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福岡高等裁判所 昭和56年(う)218号 判決 1981年5月19日

主文

原判決中被告人両名に関する部分を破棄する。

被告人栁田元並びに同吉田米作をそれぞれ懲役一一年に処する。

原審における未決勾留日数のうち被告人栁田元に対しては八〇〇日、被告人吉田米作に対しては七五〇日をその各刑にそれぞれ算入する。

被告人栁田元から押収してある回転弾倉式けん銃一丁(原審昭和五二年押第八六号の1)を没収する。

原審における訴訟費用は三分しその二につき、当審における訴訟費用はその全部につき、いずれも被告人両名の連帯負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人苑田美穀(被告人栁田元関係)及び弁護人井上正治(被告人吉田米作関係)が差し出した各控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官が差し出した答弁書に記載されたとおりであるから、ここにこれらを引用する。

一  (被告人栁田及び同吉田関係)

弁護人苑田美穀の控訴趣意並びに弁護人井上正治の控訴趣意中原判示第一に関する事実誤認の各論旨について

苑田弁護人の所論は、要するに、原判決は被告人栁田が、松本勝敏(以下「勝敏」という。)殺害につき、小森勉と共謀のうえ同人をして殺害を実行させたと認定するが、右は誤認である。被告人栁田は被告人吉田の松本組への対抗策には終始消極的であつて、一度も勝敏殺害の意思を抱いたことはなく、本件犯行前に被告人吉田や小森勉との間で勝敏殺害の謀議をしたことはなく、また本件犯行現場においても、小森に対し勝敏殺害を指示したり、その他勝敏殺害について共謀又は共同実行した事実もない。尤も、被告人栁田は松本強外一名がこがねビル四階に上つてくる態度を示したので、これを阻止するため、その前面に立ちはだかり、所持せるけん銃の撃鉄を起して発射態勢をとつたことや小森が被告人吉田の命令で勝敏殺害の意思を有していることを知りながら、小森に勝敏の所在を探させて狙撃の機会を与えたことはあるが、勝敏殺害の共謀に加担したものではない。以上のことは被告人栁田の検察官及び司法警察員に対する各供述調書や原審公判廷における供述により明らかであり、これに反し原判決が証拠とする原審証人松本強の供述中、被告人栁田と勝敏がこがねビル一階出入口付近で激しい口論をして険悪な状況になり、勝敏は配下の松本強に指示してけん銃をとりに走らせたとの供述部分は虚構の事実を捏造したもので、全く信用性がないのに、原審は右供述を措信して右の事実を契機に被告人栁田と小森との間の勝敏殺害に関する現場共謀の事実を認定するものである。したがつて、原判決は証拠の評価または取捨選択を誤り、事実を誤認したというのである。

井上弁護人の所論は要するに、原判決は、被告人吉田において、勝敏らが山川宅を襲撃したり、警護に当つている被告人岩﨑らと喧嘩になつたりするような事態にでもなれば、勝敏らを殺害するもやむなしと決意したと認定すると共に、被告人栁田がこがねビル一階付近で勝敏と激しい口論をして極めて険悪な状況に立ち至つたと認定し、ここに被告人吉田が予測した前提事実の発生があつたとして、同被告人の殺意の現存を是認するのであるが、右の被告人栁田と勝敏が口論し険悪な事態になつたということは証拠上認められない。したがつて、被告人吉田の殺意は前提事実を欠き勝敏殺害の故意とするに足りないものである。本件殺人は小森の独走的な犯罪であつて、同人自身の事情で敢行したものである。被告人吉田は被告人栁田らをこがねビルに警護にやつたのではなく、山川力宅を警戒させようとしたものであり、山川宅が襲撃されたら反撃もやむを得ないといつたまでである。原判決が証拠とする原審証人松本強の供述及び被告人栁田の供述は信用性のないものであつて、原判決はこれら証拠の評価を誤り事実を誤認しているというのである。

そこで、各所論にかんがみ被告人両名の殺意及び共謀の有無につき検討すべきところ、原判決挙示の関係証拠を総合すれば、被告人吉田は長崎市内を中心として活動していた暴力団山川組(組長山川力)の幹部であつて且つ暴力団吉田組組長とも云われているものであり、被告人栁田は被告人吉田の配下であるが、同じく長崎市内を中心として活動していた暴力団松本組において、山川組長山川力のあつせんにもかかわらず、植木唯一や東浜俊則が刑務所を出所して同市内で暴力団員として活動することを拒否する態度を示したことから、松本組と山川組が反目することとなり、山川力は右植木らに資金を援助して暴力団一誠会を結成させて、これを自己の系列下におき、さらに長崎市内で活動する暴力団佐竹組、同長田組とも結託して、松本組に対抗する態勢をとつたこと、そのうち昭和五二年二月ころから松本組組員と一誠会組員との間に抗争事件が発生するようになり、同年三月五日には一誠会組員が松本組組員にけん銃を発砲する事件が発生し、これを契機に漸次両組間の抗争が激しくなつていつたこと、被告人吉田は、一時は事態の収拾を図るべく松本組代貸水田元久と接渉したが、同組組長松本敏久が服役中であつたりしたことなどから話し合いがつかないうち、同年五月に松本敏久の実弟で松本組若頭である勝敏が、ついで右松本敏久が刑務所をそれぞれ出所したものの、被告人吉田の期待に反し、松本敏久は出所の挨拶にも来なかつたことなどから強く不満をもち、配下の被告人栁田やその弟分である小森勉、中西一男らに対し「何も言うてこん以上向こうはやる気ばい、そんならこつちの方が先にやらんばいかん。」と申し向けるなど、松本敏久らの殺害をも企図するようになり、その後被告人栁田らにけん銃を所持させ、松本敏久の動向を探らせて殺害の機会を狙うようになつていたこと、同年八月二〇日ころ、被告人吉田は、山川力から同人の居住する同市籠町九番二七号所在のこがねビルに前記松本勝敏が配下四、五人を連れていやがらせに来ている旨の連絡を受けたため、山川力の身辺を警護すべく一誠会組員らを差し向けて警戒したが、その後も引続きこがねビル周辺の警戒に当らせるようになつたこと、同月二四日午後六時ころから一誠会組員宮本新、同岩﨑英治及び長田組組員平田豊昭がこがねビル周辺で警戒に当り、同日午後九時ころには被告人吉田及び同栁田も一緒にこがねビルに赴き警戒状況を視察し、その後同市五島町三番三号所在プレジデント長崎七〇二号の吉田組事務所兼被告人吉田方に帰り、被告人栁田は右事務所に居た小森を伴い外出して飲酒した後、小森は右事務所に戻り、同被告人は同市浜町所在大塚ビル居住の妻のもとに赴いていたところ、同月二五日午時二時ころ、自宅に居た被告人吉田の許に、こがねビルの警戒に当つていた一誠会組員岩﨑英治から勝敏が配下三、四人を連れてこがねビルに現われた旨の電話連絡があり、これを受けた同被告人は勝敏らが山川方に押し掛けたり又は警備の者らと喧嘩になるなどの事態になれば、勝敏らを殺害するもやむないと考え、直ちに小森勉に命じて、被告人栁田にけん銃をもつて来るよう呼びにやらせたこと、被告人栁田は予ねて被告人吉田から預り自宅に隠し持つていた実包五発装填の三八口径回転式けん銃(スミスアンドウエツソンチーフスペシヤル)一丁及び予備弾七発をポケツトに入れて携帯し、小森とともに被告人吉田方へ赴いたが、その途中で小森から「勝敏がこがねビル二階まで乗り込んできとる、一誠会のもんが道具がなかけん貸してくれろというた。」と聞いて、勝敏が山川力の命を狙つて殴りこみをかけてきたと思つたこと、被告人栁田は被告人吉田方応接間で同被告人に対し「道具ば持つてきました。」と言つて携行した右けん銃をポケツトから出したところ、傍の小森が「兄貴、そいは俺にくれんですか。」と言つて、所携させてくれるように求めたので、右けん銃と予備弾七発を小森に渡したが、その際に被告人吉田から「今一誠会のもんから電話があつたが、勝敏が若つかもんば四、五人連れて二階に来て飲みよるらしか、あんどんは道具ば持たんといいよるけんすぐに行つてくれろ。無理せんでよかが、四階には絶対あぐんなよ。」と命ぜられ、さらに、小森とともに出発するにあたり、同被告より、同家玄関付近で「こいば持つて行け。」と言つて二二口径自動式けん銃(ベレツタ)一丁を手渡されたこと、これらにより被告人栁田は被告人吉田の松本組長の殺害を企図するなど松本組に対し打撃を与えようとする予ねての意向と思い合せ、その意思はこがねビルに来ている勝敏らが同ビル四階に住む山川力のところまで上つてきたり、警備に赴く自分らと喧嘩になるなど、状況によつては右けん銃で勝敏ら相手を射殺せよという意味で、同けん銃を渡したものと理解するとともに、被告人吉田の右の如き意中を察知してこれを了承し、右のような事態になつたら勝敏らを射殺するもやむなしと決意するに至つたこと、被告人栁田と小森は被告人吉田方を出て同被告人方玄関近くのエレベーターに乗ろうとしていたところ、被告人吉田は小森を呼び戻し、右玄関付近において同人に対し「一誠会のもんがやつけん、一誠会のもんがやりきらんときは、小森お前がやれ、栁田にはさせるな。」と耳うちし、小森はこれを了承し、自分が栁田に先き立ち勝敏らを殺害すべく決意したこと、被告人栁田は、被告人吉田の小森に対する右の行動を見て、同被告人が小森に威力のある三八口径けん銃を携帯することを許していることと思い合せて勝敏をやる場面になつたら小森に射殺するよう命じているものと思つたこと、被告人栁田と小森はタクシーでこがねビルに赴き、同ビル四階で警戒に当つていた前記宮本新、同平田豊昭らと合流した後、小森を先頭にして、勝敏らの様子を偵察するため同ビル二階のスナツク「サンポール」の方に降りたところ、折しも同スナツクから出てくる人の騒騒しい声が聞えたため、先頭の小森が被告人栁田らに対し停まれと合図をするとともに、同被告人に対し「兄貴、自分が言われとりますけん、上に行かんですか。」「兄貴は絶対にはじきますな、自分が行つてきますけん。」と告げ、一人で二階に降りて行き「サンポール」から出てきた勝敏と顔を合わせて四階に引き返したこと、小森から勝敏らの様子を聞いた被告人栁田は、同ビル四階の警戒には同被告人と宮木及び平田が当り、同所に来ていた岩﨑英治と小森は同ビル一階付近の警戒に当るように手配をきめ、同人らは同ビル一階に降りたのち、勝敏らの動向を探るため岩﨑が普通乗用自動車を運転し、小森がその助手席に同乗し、こがねビル前から付近一帯を走行し、他方、被告人栁田らは小森らと別れた後、同ビル四階に来た一誠会組員福田勇次に加えて警戒を続けていたところ、同ビル三階から上つてくる者の騒騒しい声がしたので、これを勝敏らと思つた被告人栁田は、宮木、平田及び福田らを他から見えない位置に引きこませ、所携のけん銃を右手に持ち、撃鉄を起し、いつでも撃てる態勢をととのえて、四階の階段上で身構え、同ビル三階から四階へ通じる階段の中間踊り場まで上つて来た松本強外二名に向い、すぐに立去るよう申し向けたが、同人らがこれに応ぜず口論となるうち、かくれていた宮木が姿を現わし、これを見て松本強らが逃げ出したので、同人らを追つて同ビル一階まで降りて付近の様子をうかがつていたところ、そこに戻つてきた岩﨑運転の自動車が徐行しながら、こがねビル一階出入口付近道路端に居た被告人栁田の側に近づいたこと、そして助手席の小森が被告人栁田に対し「勝敏はおらんですよ。」と言つたとき、ちようど勝敏を認めてその行動を見守つていた被告人栁田において「勝敏はあそこにおつぞ。」と指示し、小森がその方角を見たところ、約一〇メートル前方道路左端の電柱に身体を隠し顔だけを出してこちらを見ている勝敏に気づき、同所付近に居た一誠会組員宮木や同乗の岩﨑にも勝敏を攻撃する気配がうかがえなかつたところから、自分が殺害を実行べすく、岩﨑に対し「勝敏は俺がやるけん行つてくれんね。」と促し、岩﨑がこれに応じて自動車を発進させ、その直後原判示のとおり右小森が勝敏を射殺したものであることが認められる。なお関係証拠のうち被告人栁田の司法警察員に対する昭和五二年九月三日付供述調書並びに原審及び当審における各供述、被告人吉田の原審及び当審における各供述、松本強、平田豊昭の原審における各供述中右認定と相容れない部分はいずれも措信することができないものである。

右の事実関係によれば、被告人吉田は予ねてから松本組長らの殺害の意図を有し、その配下である被告人栁田及び小森らも、その意向を察知してこれに副つて行動していたものであるところ、昭和五二年八月二五日午前二時ころ、こがねビルの警戒に当つていた一誠会組員岩﨑英治から勝敏が配下三、四人を連れてこがねビルに来た旨の通報を受けるや、勝敏らが山川力方に押し掛けたり又は警護に当つている者らと喧嘩になつたりするような事態にでもなれば、勝敏らの殺害もやむなしと決意したこと、そこで、小森勉をして被告人栁田に殺傷の喧嘩道具であるけん銃をもつて来るよう呼びにやらせたこと、小森は被告人吉田の右の意図を察知して被告人栁田を呼びに行つたものであり、同被告人は被告人吉田の右指示に従い三八口径けん銃一丁をもつて同日午前二時過ぎころ、被告人吉田方に駈けつけ、その応接間で右三八口径けん銃が被告人栁田から小森に手渡され、ついで同家玄関付近で被告人吉田が被告人栁田に二二口径けん銃を手渡したが、少なくとも右の段階では小森はもちろん被告人栁田においても、被告人吉田の前示の如き決意を察知すると同時にその指示を了承し、これに呼応する趣旨で右けん銃をそれぞれ受取つたものであつて、勝敏らがこがねビル四階の山川方に押し掛け又は喧嘩となるなどの状況に応じて、同人らを殺害しようと決意するに至り、ここに被告人両名及び小森の間には、勝敏ら殺害の共謀が成立したことは否定できないところである。ただ右の共謀では、現実に殺害の実行に着手する時機が被告人栁田ら現場に赴く者の状況判断に委ねられ、且つ同被告人より先きに小森がやる手筈になつていたのである。

ところで原判決は、被告人両名と小森の間の共謀を是認する点においては右認定と同じではあるが、右の如き共謀は先ず被告人吉田と小森の間になされ、被告人栁田は現場において、同被告人と勝敏の間に激しい口論を生じ、これを契機に、右共謀に加担したものの如く判示するので、共謀の時機と態様につき若干相違するものである。しかして、弁護人の所論はいずれも、右の被告人栁田と勝敏の間に烈しい口論を生じた事実はないので、被告人栁田が口論を契機に共謀に加担する筈はなく、また被告人吉田の殺意もその前提たる険悪な事態が発生しなかつたので、これを認めるに由ないというのである。

なるほど、原判決の被告人栁田が松本強らを追つてこがねビル一階に降りたとき、たまたま同ビル付近まで戻つて来ていた勝敏との間で激しい口論となつて極めて険悪な状況に立ち至り、小森らに命じて勝敏を殺害させようと決意した趣旨の認定部分を検討するに、原審証人松本強の供述中には右に副う供述部分もあるが、右供述部分は俄かに措信できないものである。すなわち、同証人は弁護人らも指摘するとおり第八回及び第一一回原審公判期日に取調べを受け終つたものであるが、何故か右事実については何らの供述もしていなかつたのに、検察官の再度の証人尋問請求による第一五回及び第一六回原審公判期日において、はじめて右に副う供述をするに至つたものであるところ、同人は当初供述しなかつた理由につき、被告人栁田や小森に同情したからであるというのである。しかし、自分の所属する暴力団の若頭を射殺した小森やこれを指示した被告人栁田に同情すべき理由は全くなく、また、配下の者の報告により、一誠会組員数名がけん銃を所持して異常な状況下にあることを知つた勝敏が、武器を携えることもなく、こがねビルに引返すことは極めて不自然であり、さらに、口論により険悪な状況になつたのならば、被告人栁田自身がその所携のけん銃を先に松本強らに対しては撃鉄を起して発射態勢をとりながら、直近の勝敏に対して、これを使用しようともしなかつたのも不自然であること、また口論があつたとされる地点と勝敏が射殺された地点とは約一〇メートル離れているが、勝敏が右地点を移動した理由や経緯は分明でなく、関係証拠によつても勝敏が逃げ出すほどに現場の状況が緊迫したものとは認められず、寧ろ関係証拠に現われる現場の状況は少しも緊迫していないこと、その他現場に居合わせた者で口論の事実を肯定する者は一人も存在しないことなどに照らすとき、右松本証人の供述部分は到底措信できないものである。したがつて右の点に関する原判決の認定は事実を誤認せるものというほかない。

しかしながら、右の口論に基づく険悪な事態が認められないからといつて、被告人栁田並びに同吉田の殺人共謀の事実を否定するのは明らかに早計である。前示認定のとおり、右の事態の存否とは関係なく、右以前に勝敏らの殺害につき被告人吉田、同栁田及び小森の間に共謀が存したことは、原判決挙示の関係証拠を総合すれば十分肯認できるものである。その認定理由は既に詳述したところであるが、なお若干付加すると、例えば、小森が被告人吉田方を出発するとき、同被告人から「小森お前がやれ、栁田にはさせるな」と耳うちされたが、これは共謀のあつたことを前提とし、念を押す発言であり、また、こがねビルで小森は被告人栁田に向い「兄貴、自分が言われとりますけん、上に行かんですか」、「兄貴は絶対にはじきますな、自分が行つてますけん」と告げているが、これも被告人らの間に共謀のあつたこと、特に、共謀に基づいて被告人栁田がけん銃を使用することを懸念しての発言である。更に、現場で被告人栁田が「勝敏はここに居るぞ」と言つて、小森に勝敏狙撃を指示し促したのも、これより先きに勝敏殺害についての共謀が存し、小森が実行する手筈であつたことを窺わせるに十分である。

かくして、被告人吉田、同栁田及び小森間に、少なくともけん銃を手渡した時点において、勝敏殺害についての意思の連絡を生じ、共謀共同正犯にいわゆる共謀と認めるに足る事実が認められ、これは原判決の共謀の認定と全面的に同一とはいえないが、右は実質的に同じ内容の共謀につき、その成立の時点と態様を若干異にするに過ぎず、また、被告人栁田と勝敏の間に烈しい口論があつたとの原判決の認定事実も誤認であるが、これは犯罪構成事実外の寧ろ不要な事実であつて、いずれもこれらの誤認部分は判決に影響を及ぼすものではない。

なお、証拠の評価に関連する主張について、

苑田弁護人は、(一)小森勉に対する長崎地方裁判所の判決によれば、同人が被告人栁田と共謀した事実は認定されていないことに徴しても、同被告人が勝敏殺害の共謀に加わつた事実はなく、(二)このことは被告人栁田の捜査及び公判段階の各供述に明らかであつて、原判決がこれらの供述を措信しなかつたのは証拠の評価を誤つたものというのである。しかし、(一)同じ長崎地方裁判所は本件において、被告人栁田の共謀の事実を認定しているのであつて、社会的には同一の事件の共犯者であつても、その審理が各別になされた場合には共犯関係につき同一の認定がなされるものとは限らない。けだし当該被告人のみに対する審理であつて、共犯者に対する審理ではないので、かかることも場合によつては避けがたいところである。したがつて、別件の訴訟における共犯者の判決において共犯関係が認定されなかつたからといつて、これを否定すべき資料とするに足らず、本件において別件と同一の認定をしなければならないものではない。また(二)被告人栁田の司法警察員及び検察官に対する各供述調書並びに原審公判廷の供述中にも措信できない部分が存することは当審における同被告人の供述に照しても認められるところであつて、供述全部にわたり信用性を肯定すべきであるとの所論に同調することはできない。とりわけ司法警察員に対する昭和五二年九月三日付供述調書には、勝敏殺害は身に覚えのないことである旨供述している部分があるが、右は他の関係証拠と整合せず、逮捕された翌日の取調べであつて、出まかせの供述をしたものと認められ、到底措信することのできないものであり、また同被告人の原審公判廷における供述記載中には前記認定事実と相容れない部分もあるが、それは相被告人吉田の面前を憚かつて真実を供述し得なかつたためであることがうかがわれ、他の関係証拠とも整合しないので、これを措信することはできないところである。

次に、井上弁護人は被告人栁田の供述は少なからず虚偽を含み、とりわけ同被告人は二二口径けん銃を被告人吉田から渡された旨供述するが、右の供述部分は嘘である。右けん銃は被告人吉田が供述するように、同被告人から小森に渡され、その後こがねビルで同人が被告人栁田の所持していた三八口径けん銃と交換したものであつて、このことは原審証人平田豊昭の供述に照らして十分に推測しうるというのである。しかし、原審証人平田豊昭の供述中にはこがねビル四階と三階の中腹あたりで被告人栁田が小森にけん銃を渡すのを見た旨の供述部分が存するものの、右けん銃は警察官から示された三八口径けん銃とは違つていたようであるとも供述するなど、けん銃に関する同人の供述部分は極めてあいまいであつて、到底措信することはできないものであるうえに、所論においても指摘する如く、同証人は被告人吉田方において被告人らの間で二二口径けん銃が授受された際には、同所に居合わせていなかつたものであつて、同証人の供述に照らして被告人栁田の供述を排斥することは当を得ないものである。

そうしてみれば、原判決の判示第一の事実認定は共謀の時点等を除き正当であり、右除外部分は判決に影響を及ぼす誤認ではなく、その他記録を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌しても、所論(いずれも被告人の殺意及び共謀を否定)の如き証拠評価の誤りに基づく事実の誤認を発見することはできない。論旨はいずれも理由がない。

二  (被告人栁田関係)

弁護人苑田美穀の控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の論旨について、

(1)  所論は要するに、原判示第一の事実に関し、原判決が原審証人松本強の第一五回及び第一六回公判期日における前示供述部分を証拠として採用したのは刑訴法二九六条、同規則一九三条一項に違反するというのであるが、所論指摘の右条項は証拠調のはじめの段階における検察官の冒頭陳述並び当事者間の証拠調の請求の順序等に関するものであつて、その後の訴訟の発展と審理の経過に応じ必要となつた証拠の取調べを検察官において請求することを妨げるものではないので、所論は採用できない。

(2)  所論は、松本強の検察官に対する昭和五二年九月一九日付供述調書の内容は、同人が証人として原審第一五回及び第一六回公判期日において供述した供述部分と異なるから、検察官は刑訴法三〇〇条により右調書の証拠調の請求をなすべきであつたのに、これをしなかつたのを原審が看過したのは訴訟手続の法令違反であるというのである。しかしながら原審証人松本強の供述記載によれば、所論指摘の検察官に対する供述部分と同旨の供述が原審第八回及び第一一回公判期日において供述されていることが認められる。したがつて、同人の検察官に対する右供述調書は刑訴法三〇〇条にいう書面には該当しないものと解せられるので所論は失当である。のみならず、右(1)及び(2)の主張にかかる松本強の前示供述部分は前記一の事実誤認の控訴趣意に関する判断において示すとおり、措信することができず、排斥を免れないものであるから、いずれにせよ判決に影響を及ぼすものではない。論旨は理由がない。

弁護人苑田美穀の控訴趣意中法令適用の誤りの論旨について

所論は要するに、原判示第一の事実に関し、共謀共同正犯にいわゆる共謀は、厳格且つ明確に限定さるべきものであるところ、被告人栁田の行為は右の意味の共謀に該当せず、せいぜい殺人の予備又は幇助行為として評価さるべきものにすぎないというのである。

しかし、被告人栁田の原判示第一における共同加功の所為は、前記一の事実誤認の論旨の判断において示すとおりであつて、該共謀の形成過程は右に詳述したが、少なくとも被告人栁田が同吉田からけん銃を手渡された時点において、勝敏殺害についての意思の連絡を生じ、被告人栁田及び小森が現場に赴き、その状況判断の下に小森が狙撃するように、時機と実行の分担に関する合意もなされていたものである。なお、かかる共謀の成立せる基礎として注目すべき点は、該共謀が暴力団の組織内におけるものであり、とくに被告人吉田とその配下の被告人栁田及び小森の間のことであつて、特別の明示的な言動を伴わずとも暗黙の了解のうちに意思の連絡を生じることも多く、且つ事柄は暴力団の予ねてから持続的な対立抗争にからむものであり、右の容易に意思の連絡が生じ易い関係状況において、しかも前示の如き言動の下に行われているものであつて、その共謀の存したことは明らかであり、これを以て共謀共同正犯にいわゆる共謀と解するに十分である。論旨は理由がない。

三  (被告人吉田関係)

弁護人井上正治の控訴趣意中理由のくいちがい及び理由不備の論旨について、

(1)  (理由のくいちがい)所論は要するに、原判示によれば、はじめに「喧嘩になつたりするような事態にでもなれば、これに応戦し、この際、勝敏らを殺害するもやむなしと決意し」としながら、次に、右の「応戦して」という重大な前提が消えて、「勝敏らと喧嘩にでもなつて一誠会組員が勝敏を殺害できなかつた場合には小森において勝敏を殺害する旨を共謀した」とし、さらに「小森は前記のとおり被告人吉田から場合によつては勝敏を殺害するよう指示されて……」とも判示し、その間には重大な相違があり、この矛盾は理由のくいちがいであるというのである。

しかしながら、原判決の所論指摘のはじめの判示部分は被告人吉田の内心の決意内容であつて、次の判示部分は被告人らの間の共謀の内容を判示したものと認められるので、これを以て理由のくいちがいということはできない。

(2)  (理由不備)所論は要するに、原判決は、被告人吉田と小森の間では、同被告人が「一誠会のもんがやりきらんときは小森お前がやれ。……」と耳うちし、小森がこれを了承したとき、共謀が成立したと判示しながら、他方小森は、こがねビル出入口付近で、被告人栁田から「勝敏はあすこにおつぞ。」と指示されて、「被告人吉田から場合によつては勝敏を殺害するよう指示されて了承していたこともあつて、被告人栁田の右言葉を勝敏殺害の指示であることを理解したうえで、勝敏殺害の決意を固め……」と判示するので、小森が被告人吉田から前示のように耳うちされたときには、未だ殺意を有していたとはいえない筈である。したがつて右の時点では共謀の成立を認めることもできず、いつの段階において殺人の共謀が成立したのか不明であるから、原判決は理由不備というのである。

しかし、原判決によつても被告人吉田方を出発する前に、同被告人と小森の間に勝敏殺害の共謀が成立したことは明示され、被告人栁田の指示は小森に対し共謀にかかる殺意の実行を促がしたものであり、小森が「勝敏殺害の決意を固め」というのは措辞適切を欠くけれども、右は実行の着手を強調したに過ぎないものである。したがつて、共謀の成立時期が不明であるとの所論は採用できない。尤も、被告人吉田、同栁田及び小森の間における殺人の共謀は、前記一の事実誤認の論旨の判断において示すとおり、被告人吉田方でけん銃を手渡す時点において成立したと認められ、被告人吉田の小森に対する前示の耳うちは念を押したものと認むべきであつて、原判決の右の共謀の時点の判示が事実誤認であることは既に述べたとおりである。いずれにしても所論(1)及び(2)の論旨は理由がない。

同弁護人の控訴趣意中法令の解釈適用の誤りの論旨について

所論は要するに、原判決は「勝敏らが山川宅を襲撃したり警護に当つている被告人岩崎らとの間で喧嘩になつたりするような事態にでもなればこれに応戦し、この際、勝敏らを殺害するもやむなしと決意し」と判示し、また「一誠会のもんがやつけん、一誠会のもんがやりきらんときは小森お前がやれ。……」と判示して、被告人吉田の殺人の故意を条件にかからせているが、およそ刑訴上条件的故意なるものは存せず、原判決は被告人吉田に条件的な殺意を認めた点において、刑訴の解釈適用を誤つたというのである。

よつて按ずるに、およそ、故意の存否は実行に着手する時点において認識さるべきものであるとすれば、いわゆる条件付的故意もそれが現実化する実行の時点においてみることになるので、もはやその時点では条件的ではあり得ない。その意味では、条件的故意なるものが存在しないことは所論のとおりである。(なお、条件的故意は広い意味では未必的故意と同視されるが、未必的故意は実行の時点でも未必的たりうる点において、右の条件的故意とは異る。)

しかしながら、実行に着手する以前の時点、例えば共謀の時点においてみれば、当該犯意が条件的に存在しうることは否定できないところである。尤も、共謀時に条件的であつた故意も実行分担者の着手の時点においては、もはや条件的ではないので、前示のとおり故意は常に条件的たり得ないともいえるわけである。ともかく、故意をそのように狭く且つ厳密に限定すると、共謀時の条件的故意の多くは、故意が条件付となるのではなくて、故意は単純に存在し、これに基づく実行行為だけが条件にかかつている場合であるということができよう。そうしてみれば、通常いわれる条件的故意、とりわけ共謀時の条件付故意は刑法における故意として何ら欠くるところはないものといわなければならない。(大審院大正一四年一二月一日第一刑事部判決、最高裁判所昭和二五年八月九日第二小法廷判決参照)

ところで、本件の殺人の共謀は先きに一の事実誤認の論旨に対する判断において示すとおり、勝敏らがこがねビル四階の山川方に押し掛け又は喧嘩となるなどの事態になれば、勝敏を殺害することもやむないとして、同人殺害の共謀が成立し、たゞ、現実に殺害の実行に着手する時機つまり右の事態は、被告人栁田ら現場に赴く者の状況判断に委ねられると共に、その場合の狙撃の実行は小森があたることにしたものである。

これを右の解釈に照らしてみるとき、勝敏殺害の共謀が成立し、これを殺人の故意と解するに何の支障もなく、たゞ、共謀の実行行為が右の如き条件(たゞし、条件的事態は現場に赴く被告人〓田らの状況判断に委ねられた)にかかつていたにすぎないものである。

そうしてみれば、原判決が被告人吉田に対して殺意を是認したことについて、刑法の解釈適用の誤りは認められないので、論旨は理由がない。

四  (被告人らの量刑について)

弁護人苑田美穀の控訴趣意第二(被告人〓田に関する量刑不当)の論旨並びに被告人吉田の科刑について

苑田弁護人の所論は要するに、原判決の被告人〓田に対する刑の量定は、共犯者に対する刑の量定と比較して、不当に重いというのである。

よつて、本件記録のほか当審における事実取調べの結果をも加えて検討するに、これらに現われた被告人〓田の性格、年齢、生活態度、前科その他の行状並びに本件犯罪の情状等、とりわけ原判示第一の犯行は暴力団の対立抗争に起因し、相反目する暴力団の幹部を射殺したものであつて、人命を軽視する計画的な殺意に基く兇暴な犯行であること、とくにかかる犯行の社会的危険性や平穏な市民生活に及ぼす不安感等の社会的影響はたやすく看過できないものであること、右犯行において、被告人〓田は被告人吉田との共謀の結果とはいえ、配下の小森に対し「勝敏はあすこにおつぞ。」と申し向けて勝敏の狙撃を指示して、同人を殺害させたものであつて、その責任は極めて大きく、他面、被害者は暴力組織に身を置いた者であるとはいえ、本件の如き非業の死を招来させられ、その無念さは計り知れないものであること、被告人〓田は右犯行のほか原判示第三、第五、第七、第八、第一一、第一二、第一四、第一五の各犯行を敢行したもので、そのいずれもが罪質の悪いものであり、更に、同被告人のこれまでの行状をみても、銃砲刀剣類所持等取締法違反、兇器準備集合、傷害、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の各非行により保護観察に付され、次には中等少年院に送致されるなど、少年の頃から反社会的行状が多く、成人後も銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反の罪により懲役刑に処せられ、現に暴力団の有力組員であることなどにかんがみるときは、所論の被告人〓田に有利な事情や共犯者との刑の均衡を考慮しても、原判決の被告人〓田に対する刑の量定はその当時におけるものとしては十分首肯できるものである。しかし、原判決言渡し後において、被害者勝敏の母に対し、香料として現金五〇万円を支払つて遺族の慰藉に誠意を示すとともに反省の態度も強く認められ、これら原判決後の事情を考慮すると、現時においては原判決の被告人〓田に対する科刑は重きに失し、これを維持することは相当でない。論旨は理由がある。なお、職権により被告人吉田に対する量刑を調査するに、本件記録のほか当審における事実取調べの結果に現われる情状、とりわけ、被告人吉田は原判示第一の犯行の首謀者であり、右犯行の兇暴性や強い反社会性については前示のとおりであること、同被告人は原判示第四、第六、第八、第一〇、第一三、第一六の各犯行にも及んでいること、同被告人には傷害致死、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、殺人未遂、売春防止法違反の各罪により懲役刑に処せられたことが二回(一回は執行猶予)、罰金刑も二回あり、これまでの行状や生活態度にも反社会的、暴力的性向が強くみられることなどにかんがみるときは、被告人吉田の刑事責任は重く、とくに本件殺人事件等の黒幕的存在というべきであるが、右殺人の実行は現場に赴く被告人〓田らの状況判断に委ねたものであつたとはいえ、被告人吉田の予想した事態に至る以前に、〓田及び小森勉において先走り実行したものであるなど、諸般の事情を勘案すれば、これら共犯者に対する科刑と比較して、被告人吉田に対する科刑のみを重くすべき妥当性に乏しく、したがつて原判決の科刑をなお維持することは相当でない。

そこで、被告人〓田に対しては刑訴法三九七条二項に則り、また被告人吉田に対しては同法三九七条一項に則り、原判決中右被告人らに関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書に従いさらに判決する。

原判決が被告人〓田、同吉田について確定した罪となるべき事実(但し、共謀の時点と態様については前記一に認定せるとおりに改める)にそれぞれ原判決と同一の法令を適用し、その各所定刑期の範囲内で、被告人両名をそれぞれ懲役一一年に処し、刑法二一条を適用して原審における未決勾留日数のうち、被告人〓田に対しては八〇〇日を、被告人吉田に対しては七五〇日をそれぞれその刑に算入し、押収してある回転弾倉式けん銃一丁(原審昭和五二年押第八六号の1)は原判示第七の犯罪行為を組成した物で、犯人以外の者に属しないから、同法一九条一項一号二項を適用して被告人〓田からこれを没収し、原審における訴訟費用は三分しその二につき、当審における訴訟費用はその全部につき刑訴法一八一条一項本文、一八二条に則り被告人両名の連帯負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

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