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福岡高等裁判所 昭和56年(う)237号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【説明】

本件の第一審判決は、本誌四六二号一八二頁以下に登載されている。第一審以来被告人両名共、暴行の事実がなかつた旨争つてきたところであるが、一審判決は、被害者及び目撃者の供述の信用性を認めて、その存在を認定したが、本判決は、その信用性は必ずしも肯定できないとして、右一審判決を破棄し、被告人両名に無罪を言い渡した。所詮は事実認定の問題であるが、警察官による特別公務員暴行事件の起訴事例は多くない上、本誌登載に係る一審判決に対する控訴審の判断を提供するため、登載することとする。

【判旨】

同控訴趣意第一点(事実誤認)について。

記録を調査し、当審における事実の取調べの結果を参酌して検討すると、原審において取り調べた証拠の中にはその証拠価値について十分に検討吟味を要するものがあり、さしあたり、その検討の結果を示すと、原判決が挙示する各証拠(ただし、原裁判所の検証調書中の方位は西が北に当り、誤記と認められる。)によつて認定することができる事実関係は次のとおりである。

被告人らは本件事件当時いずれも長崎市滑石五丁目一番六二号所在の浦上警察署滑石警察官派出所に外勤係として勤務していた警察官であるが、昭和五四年一二月一四日午前一時頃被告人渕は同派出所内事務室で簿冊の整理をしており、被告人中野は右派出所の休憩室で仮眠中であつた。

蔭地和成は当時一八歳の少年であるが、同月一三日夜勤務先で飲酒し帰宅が遅れたため、自宅に電話して実姉蔭地喜久美に右派出所前まで自動車で迎えに来るよう依頼し、同月一四日午前一時半頃、右派出所前を行つたり来たりしながら喜久美の来るのを待つていたところ、深夜少年が一人で歩いていることに不審を抱き補導の対象とも考えた被告人渕は、和成を右派出所内に呼び入れた。

そして、被告人渕は和成に対し「今頃何をしているのか」などと質問したところ、和成はダチ(友達)のところで遊んでいたと答え、更に住所氏名を問われて任意かそれとも強制かなどと反抗的態度を示したので、同被告人は任意でも強制でもない職務質問だというと、和成は黙つてしまつた。被告人渕は和成の言動顔色から酒に酔つていると思われたので、受持管内で窃盗事件が多発している、暴走族が集まる情報もある、それで深夜うろついている君を質問しているのだ、不審がなくなれば帰すなどと説明し、年齢を尋ねると和成は大きな声で一九といつた。このとき和成のジャンパーのポケットから煙草の箱がみえたので未成年者が煙草を吸つたらいけないと注意すると、同人は二箱を取り出しねじまげて机の上に放り出し、どこにそんな法律があるとやなどというので、被告人渕は未成年者飲酒禁止法、未成年者喫煙禁止法があると教え、更に、身分を証明するものを要求したところ、和成は運転免許証を取り出し大声で本籍など記載事項を読み上げたので、同被告人はこれを提出させ、年令が一八歳であること、住所も福岡市でくいちがいがあることを指摘し、早急に住所変更の手続をとるように、今の住所地の警察署に行けば住所変更ができる、このままだと交通切符を切られるぞなどといつて指導したところ、和成は納得した様子で反抗的態度もやや収まつた。

その頃、本署からの電話があつて、同被告人がこれに応答しているとき、蔭地喜久美が同派出所内に入つてきた。喜久美は和成を迎えるため自動車を運転して右派出所南側に車を停め、和成が右派出所内から招くのに気付き入つてきたものであるが、和成は同女を認めるや、なにもしないのに呼ばれたというので、被告人渕は前記事情を説明すると、和成は分つとる、交通切符を切れなどと大声を出し、被告人渕も喜久美が和成の実姉であることを知つて同女にも説明したが、和成はなおも喚きちらし、喜久美はこれを制止していた。そこで同女が和成を迎えに来たことが分つて被告人渕は和成を同女に引渡し帰宅させようとした。

ところが、被告人中野は仮眠中派出所内事務室で被告人渕と和成とが大声で口論しているのを聞いて目を覚し、被告人渕が酔つぱらいに手古摺つているものと即断し、制服を着用して事務室内に至り、被告人渕から事情を聞こうともせず、いきなり和成に対し声高に「何をいつているのか」などと言い掛けて住所氏名を問いただし、また、喜久美を和成の不純異性交友と思い違いして「姉じやなかろう」などと言つたため、一旦収まりかけていた和成は、被告人中野の態度に激昂し、同被告人に対し大声で「外に出ろ」「制服を脱げ」などといつて右派出所の表の歩道上に行き、これを静かにさせようと外に出た被告人中野に対し更に、制服を脱げ、サシで勝負しようなどといつて挑発したため、同被告人は勢威を示せば和成もおとなしくなると思つて制服上着、ネクタイ、ワイシャツを次々と脱ぎ捨て和成と対峙したものの、なおも早く帰れと和成を説得していた。

しかし、和成が被告人中野に対する挑発、反抗的態度をやめず、被告人中野に対して右派出所の北側の方に来るよう促しながら隣にある駐車場に向うので、これら言動に憤慨した被告人渕は厳しく説諭して引戻し早く帰らせようと思い、その後を追つて右駐車場に至つた。

被告人中野は右派出所入口前路上で和成を案じてその後を追おうとする喜久美を、まだ聞くことがあるといつて制し、片腕をとつて引き止め職業とか和成がここに来た理由などを尋ねた。

被告人渕は、右駐車場内に駐車中のパトロールカー前付近でそこにいた和成に対し、こんなところに呼んでなにをするつもりかと厳しく言つたところ、和成はなんてか、お前も制服を脱げと闘争的態度を示したので、同人を引き戻すため右手で和成のジャンパー左肘付近をつかんで、こつちにこいといつて引つ張ると、和成はこれを振り払うようにした。それで被告人渕は更に左手で和成のジャンパーの右襟首もつかんで、再びこつちに来いと大声で怒鳴り引つ張つたところ、和成の力も加わつて和成は舗装地面に尻もちをついて倒れた。同被告人はこれを支えるため両手をジャンパーから離さず、お前はもう少し素直にならんかと大声で諭したところ、和成は急に後退りして土下座し、すみませんなどと謝りはじめたので、被告人渕は和成の左肘を持つて立たせた。和成は姉さんに迷惑をかけたくないなどともいつていた。

被告人渕は派出所事務所に戻り、後から入つてきた和成に改めて説諭するため同月一六日再度出頭を指示し、和成はこれを了承して派出所を出た。

ところが同派出所外南東角付近にいた被告人中野はやつてきた和成をみて、迎えの自動車のところまで連れていくため、同人のジャンパーの後襟首を右手でつかんで帰りなさいといいながら、迎えの自動車が止つていると思つていた消防署付近へ押すようにして派出所南側歩道を車道の端まで1.5メートル(原裁判所の検証調書中のから歩道までの0.7メートルを間の2.20メートルから差し引く)連れて行つて左右を見たところ派出所南側の西寄りのところに軽四輪自動車があり、これが迎えの車かと思つてこの方向に行くため、襟首から手をはずして和成の左腕を同被告人の右腕と組んで、かかえるようにして連れて行き、車の手前の横断歩道上で腕を離したところ、和成が同被告人に倒れかかるように寄つてくる感じがしたため、同被告人は何かされると思つて、とつさに、右手を上げ肘を曲げて受身の格好をし、寄つてくる和成に対し下からすり上げるよう腕を動かしたところ、これが和成に触れて同人は路上に仰向けに倒れ、痛いと声を出した。被告人中野は、とつさに、同人の腰付近に手をやつて起こそうとしたが、和成は自分で起き上つたので派出所に戻り、和成も続いて中に入り置き忘れた運転免許証を受け取つて帰つて行つた。

以上の事実が認められる。

ところで、原審証人蔭地和成の供述中には、被告人渕に連行されて滑石警察官派出所北隣の自動車駐車場に至り、同所で被告人渕と並んだと同時に被告人渕から柔道の腰投げのように腰を軸にして体を乗せられ一回転して地上に投げられ尻もちをつくようにして地上に落ち、背骨と腰骨の中間位の位置を打つたと述べ、また、被告人中野関係について、派出所前において被告人中野から襟首を後ろからつかまれて派出所南側道路にある横断歩道上に連行され、同所で胸倉を握られ足を払われて仰向けに倒され、倒れたところを被告人中野が馬乗りになつて首を締めたり胸倉をつかんで揺ぶつたりしたと述べる部分がある。

しかし、和成は、右供述中、被告人渕から投げられる際、何処を握られたか覚えず単にわからぬうちに投げられたと述べるだけで、被告人渕の具体的な行為について何ら述べることができず、また、和成は検察官の主尋問に対しては被告人中野から足を払われて倒されたと述べたことはなかつたのに、日を改めての続行期日の弁護人の反対尋問に際しこのことを供述し、前日検察官と打合せをしたとき、にわかにこれを思い出したなどと首肯しがたい事実を述べる部分があり、検察官から倒れた時の状況を詳しく尋問されても、ただ仰向けに倒されたのは覚えているが、どのようにして倒されたのかわからないと述べ、さきに被告人渕の暴行の具体的状況について答えられなかつたと同様、被告人中野の暴行の具体的状況にも答えることができず、被告人らの暴行の手順態様に関する供述はあいまいである。特に検察事務官作成の電話聴取書(原審検察官申請証拠番号甲1)によると、事件直後和成からの一一〇番通報の中には被告人中野の暴行について何らふれていないのであつて、このことは、和成が被告人中野から暴行を受けた事実の存在を疑わしめるものとして注目すべきところである。のみならず、長崎地方裁判所昭和五五年(ワ)第一八五号原告蔭地和成本人尋問調書(昭和五六年八月七日付のもの、当審弁護人申請証拠番号67)中、和成が被告人らにより受けた暴行の態様程度について供述する部分は、原審証人として述べたところと異なるところがあり、しかも、一転して被害の状況が詳細となつていることに照らすと、和成の前示証言部分の信用性に疑いを持たざるをえなくなる。

ところで、被告人らの暴行が和成のいうようなものであつたとすれば、和成は打撃を受けた部分に相当の傷害を受けたものと思われる。たしかに、この点に関しては、医療法人滑石中央病院理事長井石潔作成の「病況書」と題する書面には次のような蔭地和成の傷害に関する記載がある。

すなわち、一、傷病名胸腰椎部捻挫。一、受傷年月日昭和五四年一二月一四日午前二時頃と言う(本人の言)。一、受傷原因、第三者の行為という(本人の言)。一、初診時所見(昭和五四年一二月一四日午前二時〇五分)は、全身所見、歩行困難を訴う、頸部痛(+)、背痛(+)、その他局所所見、第四、第一〇ないし第一二胸椎附近に叩打痛を訴う、両腰筋痛(圧痛)(+)、両側ラセグ氏反応(+)、各四五度、両腸骨窩圧痛(+)、両膝〓部圧痛(−)、右腓腸筋握痛(+)、両臀部しびれ感(−)、他部に特記すべき所見並に主訴なし。X続所見には叩打痛部並に他の胸腰椎部に病的所見を認めない。一、病状経過並に治療経過、第一度安静を行い入院時諸検査を行う、特記すべき病的検査所見なし、右腓腸筋部皮膚がじんじんする、触覚鈍麻を訴え、痛覚稍正常を訴え1.5キログラム×2の重錘にて腰椎持続牽引(脊髄の神経障害を思考す)を開始す、同月一七日ラセグ氏反応は両側陽性であるが右九〇度、左八〇度と好転を認む、しかし、右腓腸筋症状は以前と同様のため牽引を持続す、重錘2.0キログラム×2に増加す、同月二四日両側ラセグ氏反応陽性右八〇度、左九五度腰痛(+)、右腓腸筋しびれ感あれど稍良好範囲縮少した、同月二八日ラセグ氏反応右(±)左(−)、右腓腸筋部しびれ感時々消失す、昭和五五年一月一日右腓腸筋部皮膚しびれ感消失す、同月三日両側ラセグ氏反応消失し、腰痛(±)、但し、体部回施時疼痛を訴う、同月四日より腰椎体操を実施開始す(リハビリ開始)、腰椎持続牽引療法終了し、腰椎間歇牽引法を腰部温〓法、マッサージと共に併用開始す、その後経過良好となり退院せしむ、以後通院中である。一、刑第三〇号捜査関係事項照会書の回答事項の第四項、右傷害は如何なる外部的圧力によつて生じたものであるか、右質問に関しては……傷病名による症状の起つたメカについての御質問と解し回答します。(一)……初診時の患者の言によれば尻もちをついた様にして受傷したと言うこと、(二)解剖学的に脊椎叩打痛部位(X線所見では第五、第一二胸椎部に相当)であること、(三)右腓腸筋部に局所神経障害を起こしていることよりして軽度の脊髄損傷を推定させること、(四)腰椎持続牽引療法により治療効果を認めたこと、右諸症状より推定すると、脊椎打撲による脊椎に対して直角方向よりの力が加わつたというよりも垂直方向に力が加わり同時に脊椎の急激な前屈によつて起つた症状と推定され脊椎圧迫骨折のなかつたことよりして強度の脊椎前屈を起してはいない程度と推定されますなどの記載がある。

また、以上の症状所見については、証人井石潔に対する当裁判所受命裁判官の尋問調書によれば、医師井石潔は、和成を初診した際、和成から受診の直前警察官から柔道の腰投げのようにして投げられた旨の事情を聞いたが身体部分を特定した主訴はなかつたこと、X線検査によるも胸、腰部に異常はなく、全身体に外形、変形は全くなく、診療録に歩行困難と記載したけれども和成を歩行させてこれを確認したものでもなく主訴にのみ基づくものであつてその程度も不明であること、問診により和成は首が痛いと訴えていたものの診察の結果異状を認めることができず主訴のみで頸部痛ありと記載したこと、叩打痛も背部を器具で叩打すると逃げる痛みを認めず叩いてはじめて痛みを感じる程度のものであつたこと、右膝から足関節にかけてじんじんする旨の主訴があり右腓腸筋の握痛を認めたがこれのみをもつて腰椎捻挫の診断はできないこと、腰椎捻挫と関連のある右腸骨窩圧痛を認めたこと、翌一五日持続牽引療法を施そうとしたところ和成はこれを嫌がり真面目に治療を受ける態度がなかつたこと、入院翌日以降の腰椎捻挫の症状の変化は、ラセグ氏反応を認め腓腸筋にしびれ感があり腰痛がある程度あつたこと、従つて、初診時に現われていたラセグ氏反応、腓腸筋のしびれ感を除く他の症状は翌日以降消失していること、初診時において胸腰椎捻挫の治療のため一週間の入院治療を要すると診断し、経過観察したところ二週間を経て主たる症状消失し退院可能と思われたが、年末にかかり正月を迎えることから退院すれば無理をして病状が悪化することを懸念して入院を延長し昭和五五年一月一六日退院させたこと、腰椎捻挫の治療の必要を認めたのはラセグ氏反応があり、また、腓腸筋のしびれ感があり、右腓腸筋の感覚やや鈍く軽い神経障害があると認めたことによること、しかし、右触覚鈍麻の検査は筆を用いて行う精密な方法によらず、単に手で皮膚を触つて感覚を比較する方法により、痛覚検査も針を用いず、つねつてみて異状を認めたが、数日後には消失したこと、結局、和成にはラセグ氏反応があり、右腓腸筋のしびれ感、右腓腸筋触覚異状、感覚の一時的異状により腰椎捻挫と診断し入院治療を継続したこと、腰椎捻挫の外見的症状である腰痛は初診時には認められなかつたが以後退院まで散発的に二回認めるも、程度も軽く部位を確認できず第一二胸椎上下あたりの痛みを訴えていたにとどまつたが、持続牽引療法により腰痛が起る場合もままあり、神経障害に対する治療に注目して腰痛を重視していなかつたこと、なお、和成の右腓腸筋部に局所神経障害があると診断したが、右診断には腱反射検査を実施せず、また、右診断の結果軽度の脊髄損傷を推定したが非常に軽度の一過性の障害と認められることなどを述べている。

しかし、証人三原茂に対する当裁判所受命裁判官の尋問調書によれば、医師三原茂は医師井石潔作成の和成に関する診療録、病況書を検討し、同医師の和成に対する検査方法、検査結果によれば同医師は和成の主訴にのみ依存して胸腰椎部捻挫と診断した疑いがあり、その診断結果も必ずしも相当とはいえず、診療録に記載されたような長期入院治療の必要があつたかどうか甚だ疑問があり治療内容が非常に濃厚である疑いがあると判断したことを述べており、その他右証人尋問調書に現われている諸批判をふまえ医師井石潔作成の「病況書」を検討すると、和成には初診時全身に外形的変化は全くなかつたうえ、同医師に訴えた頸部痛にはこれを生ずべき医学的所見もなく、歩行困難があつたことも極めて疑わしく、胸椎附近の叩打痛も和成の主訴に重きが置かれ、しかも軽度であり、両腰筋圧痛、両腸骨窩圧痛も和成の訴えに基づく診断であり、且つ腰椎捻挫とは何ら関係がなく、ラセグ氏反応を認めたとの同医師の診断には疑わしきものがあり、和成には胸腰椎部捻挫が認められる旨の右「病況書」の記載を含め同医師の診断結果は直ちに信用することができない。なお、この点については、すでに長崎地方検察庁検察官作成の捜査報告書二通(原審検察官申請証拠番号甲7、8)にある各医師の意見にも井石医師の前記診断治療方法について疑問が示されている。(もつとも、傷害との因果関係については、これを認める趣旨の記載があるが、これは検察官の説明するような外力による傷害の可能性を肯定しているにとどまり、必ずしも本件事実関係を前提としたものとは認められないので、上記認定の妨げとはならない。)

のみならず、前記のとおり初診時における和成の頸部痛には何らこれを生ずる医学的所見もなかつたこと、井石医師も認めるとおり和成は当初腰痛を訴えなかつたのに後日腰痛を訴えるようになつたことなどに徴すると、その主訴そのものに不審なものがあるといわざるを得ない。特に和成に関する滑石中央病院の看護記録写(当審弁護人申請証拠番号14)によれば、和成は入院の翌日持続牽引治療を受ける際、突然起き上り「退院する。」といつて興奮し名札板を床に投げつけるなど、医師、看護婦の指示に反抗的態度を示し、右治療法を施行した翌日右治療法をしてから腰が痛くなつたなどと訴え、右治療法の正常な施行をせず重錘を床に落したりして看護婦から注意を受けることもあり、真面目に治療を受ける態度に欠けるものがあつたことが認められ、また、原審第九回公判期日における被告人渕の供述によれば、被告人渕は直属の上司である古川係長とともに事件当日午前一〇時頃滑石中央病院に和成を訪ねたところ、和成は病室の二台の寝台の間を立つて歩いており、被告人渕らを認めると急ぎ寝台に横臥し、「痛い、痛い」といい出したことが認められる。

通常であれば患者は医師に対して自己の身体の疾患を訴えてその治癒を願い医師の治療行為を素直に受けるのに、和成が医師の指示する療法を極度に嫌つて反抗的態度を示し、治療を逃れる態度に出たことは、その病状の存在を疑わさせ、また、前記のとおり和成は井石医師の診察を受けた際には右腓腸筋の握痛を訴えたのみであるのに、被告人渕らに対し「痛い、痛い」と大ぎように訴え、程度の差はあるにせよ、被告人渕らの訪問の際の行動をみる限り、歩行困難の徴候が認められないことなど、受傷があるにしては極めて不自然な行動をとつていることをみると、和成の井石医師に対する主訴が事実に基づくものか甚だ疑わしいものといわざるをえない。

すると、和成の被告人らから受けた暴行の程度内容に関する前記証言部分は一層疑わしいものとなる。

また、和成の証言の信用性については、他の証拠とのくいちがいからも疑問視される。すなわち、原審証人桑名利洋、同柿田光の各供述によれば、同人らは道路を隔てて約二〇メートル離れた位置から和成が派出所前で被告人中野と対峙して同被告人と言い争つている状況を目撃したが、その時和成が大声で被告人中野に対し挑発的に「やろうで、やろうで」と顎をしやくりながら言いかけ、同被告人を振り返りながら独りで派出所北側の駐車場の方へ歩いて行くのを目撃した旨述べるところ、前記和成の証言によれば、和成は派出所前路上で被告人中野と対峙している時、被告人渕から「ちよつと来い」といわれて肩を後ろから小突かれるようにして駐車場の方へ連行されたと述べ、第三者の目撃状況とは全く相反する供述をしているのであつて、この点からみても和成の証言が事実を物語るものか甚だ疑問といわざるをえない。

以上のとおりであるから、和成の本件証言中被告人らから暴行を受けたと述べるところは必ずしもすべて信を措くことができないものがある。原審証人荒木利治の供述中和成の被害事情を述べる部分は和成からの伝聞にかかり到底信用することはできない。

次に、原審証人蔭地喜久美の二回にわたる証言及び原審証人蔭地喜久美に対する尋問調書について検討するに、和成が派出所前から駐車場に至る経過の目撃状況について、同証人が右各証言の場において述べるところは、被告人渕が派出所前で被告人中野と対峙していた和成をその肩を小突きながら駐車場の方に連行したというのであつて、前記原審証人桑名利洋、同柿田光の述べるところと異つていること、喜久美は原審第三回公判期日において証人として尋問を受けた際、派出所の入口の二枚重ねた引戸のガラスとこれに直角に位置する南側に面した窓ガラスとを斜めに見透して、和成が派出所南側に設けられた横断歩道上で被告人中野から押し倒され馬乗りになつて首を締められている様子であることを目撃した旨述べるが、原審証人蔭地喜久美に対する尋問調書によれば、喜久美は前記目撃状況の供述を変え、まず和成が横断歩道上で押し倒されたのを派出所の入口前の道路上から直接目撃し、次いで、その後の被告人中野の行動が見えにくかつたのでわずかに派出所入口の方に移動し、派出所入口の二枚の引戸のガラスと南側の窓ガラス越しに、横断歩道上の被告人中野が和成の上に馬乗りになつたのを目撃したとの供述記載がある。

しかも、当裁判所受命裁判官の検証調書によれば、喜久美は昭和五六年一一月二〇日午後七時四五分から午後八時四〇分にかけて行われた当裁判所受命裁判官の本件現場検証に立ち会い、被告人中野が和成を押し倒したという地点、これを目撃したという地点を指示したが、周辺には街灯、信号機等が設置されて、現場のアスファルト路面上は、それらと派出所の蛍光灯の照明によつて淡く照らされ、喜久美が目撃したと指示する地点から和成が押し倒されたという地点を見透すことができたが、被告人中野が馬乗りになつたのを見たという地点は前記派出所入口の二枚重ねた引戸の前であつて、同位置から右引戸の二枚のガラスと南側窓ガラスとを斜めに見て約九メートル離れた上記被告人中野が和成に馬乗りになつた地点までの見透しの状況は、夜間であることもあつて横断歩道上の明るさの変化により見え方も異り、通行車両の前照燈によつて路面が照らされる場合は、人の動きもほぼ視認できるが、通行車両がない場合は極めて見えにくい状況にあることが認められる。そして、本件事件発生当時は深夜の午前一時五〇分頃であつて、松尾昇の検察官に対する供述調書(原審検察官申請証拠番号甲14)によれば、同人は個人タクシーの運転者であつて、本件事故発生当時現場を自動車で通過したが、当時本件現場付近は車両の交通量も少なく歩行者もなかつたことが認められるから、かかる状況下にあつて喜久美が前記のとおり窓ガラス越しに被告人中野が横断歩道上の倒れた和成に馬乗りになつて首を締めたなど述べるところは事実に副うものかどうか直ちに判断することができないのであつて、加えて和成との身分関係、第三者の証言と異る事実の証言とも合せると蔭地喜久美の前記被告人中野の和成に対する行為に関する各証言の部分もまたすべてが信用できるというわけではない。

ところで、被告人渕の検察官に対する昭和五五年一月二一日付供述調書(第二回)中には和成を投げた旨の記載があるが、この点については前記のように被告人渕が和成の着衣の部分をつかんで引つ張り和成が尻もちをついて倒れた趣旨であつて、ことさら和成を投げたことをいうものでないことは右供述調書の全体を通読すればおおよそ理解できる。

すなわち、右被告人渕の検察官に対する供述調書によれば、被告人渕は左手で和成のジャンパーの右襟首をつかんで強く左下方に引つ張り柔道の体落しに似た格好で自分の左方に投げた旨供述をしながら、続けて、投げたとはいつても投げてやろうということを考えて左に引張つたというわけではなく、襟首と左肘を握つて強く引つ張つたことから、和成の力も利用した状況も加わり、和成の足を宙に浮かせて、そのまま同被告人の左足の近くに投げてしまつたと述べていることが明らかで、必ずしも、被告人渕が和成をことさら投げたことを供述しているわけではない。和成の被告人渕の方へ寄る力と被告人渕の和成を引つ張つた行為が重なつて和成の転倒という結果が生じたことから、被告人渕が和成を投げてしまつたという表現になつていることが認められる。ところで、右のように供述記載の意味内容を分析できるとしても、同供述調書中には同被告人の所為に対応する和成の具体的所為について述べるところがなく、両人相互の当時の対応行動を詳らかにされておらず、その供述内容が簡単で事情の説明も不十分であり、その時の同被告人の供述の意味内容の全体を把握するに甚だ困難であるが、事件当時の情況や同被告人の心情、対応は、ようやく原審公判廷において同被告人の説明供述するところにより補充でき、これによつてみれば前記被告人渕の検察官に対する供述の趣旨が決して和成を投げるつもりで引つ張つたものでないことを一層明らかにすることができる。そして、同被告人の検察官に対する昭和五五年三月三日付供述調書(第三回目にあたる)中同被告人の和成に対する行為について自ら判断する部分は結果からみてのものであつて、第二回供述調書中の同被告人の和成に対する行為内容に関する供述に変更があつたものとは認めがたい。もつとも、右三月三日付供述調書によると、本件は同被告人が理性を失い興奮した状態で腹立ちまぎれにしたことで、少年補導というような考えがなかつたし警察官であるという気持もなくなつていたと述べる部分もあるが、真実そうだとすると前回の供述を敷衍したことになつている同供述調書では被告人渕の行為が全く職務を離れた違法行為のようになつてしまい、前の供述と反することを述べることになる。しかし、被告人渕の検察官に対する各供述調書全体を読み合せたうえ、また、原審及び当審における同被告人の供述によるほか、いやしくも勤務についている制服の警察官がその勤務場所に極めて近接したところで警察官たる地位職務を放擲し専ら個人的感情の赴くがままの行動をとれる心情になれるものかどうかも考え合せると、供述の変更があつたというよりも、むしろ、被告人渕の和成に対する腹立ちの部分が特に強調されて、録取者側の意図的傾向に副つた表現がなされていることがうかがわれ、これが被告人渕の当時の真の行動意識であつたとは認めがたい。

ところで、被告人渕の本件所為は、もともと和成が同被告人に反抗的態度をとり闘争を挑み容易に姉喜久美と共に帰ろうとしない態度に業をにやし、厳しく説諭して早く姉喜久美に和成を引き渡そうとしたことによるものであることは前記認定の事実並びに原審公判廷における同被告人の供述により明らかなところで、多少は感情的に腹立ちはあつても本件所為は専ら私憤、報復などに出たものとは認められず、少年警察活動要綱(昭和三五年三月一八日警察庁乙保発第六号、警察研究第三一巻第七号一二五頁以下)第二二条、第二九条などによると、少年補導関係について、警察官は飲酒、喫煙、けんかその他自己又は他人の徳性を害する行為をしている不良行為少年については、その発見の現場で事情を聴取した上、注意、助言をし又は必要に応じてその保護者等に連絡するにとどめるものとするとされているから、不良行為少年の補導のためにならば、姉喜久美を呼び寄せ、これとともに和成を説得して鎮静させることなど他にとるべき手段方法もあり、直ちに本件のような行為に出ることが被告人渕のような立場にある者にとつてその状況に応じた最良最適の手段であつたとはいえないのではないかなどの批判はあつても、また、一旦は収まるかにみえた和成が被告人中野の配慮を欠く言動に再び反発し、被告人渕がまたもこれを収拾せざるをえなかつたという警察側の不手際があつたことは否めないにしても、当時の和成の闘争的言動からみてこれを放置するときは非行に至るおそれもあり、とても前記要綱のような対処だけでは事態を収拾できる状態にあつたとは認められないから、警察官職務執行法第一条、第五条に定める職務執行手段方法の限度を考慮しても、右のように被告人渕が和成を引き戻すため同人を引つ張つたのは、同被告人の行為目的からみてあながち不当ではなく、少年の非行の防止、健全な育成など少年補導の目的のための必要な限度を超えた濫用にわたるものであるとはいえない。従つて、有形力の行使といつても、これが違法性を帯びるものではないし、ましてや、和成が転倒したことの結果を合わせて被告人渕が和成を投げつけたと評価することは当を得ない。

また、被告人中野は和成の襟首をつかんで帰るようにいいながら同人を押すようにして連れて行き、途中で迎えの自動車の位置に気付き右手を襟首からはずし和成の左腕と同被告人の右腕を組んで自動車近くまで和成を連れて行き腕組みをはずしたところ、和成が同被告人に寄つてくる感じがして、とつさに右手を上げ肘を曲げて防禦の姿勢をとつたというのであるから、下から上へ押し上げる格好となるのは必定で、原審における被告人中野の説明供述とも合せ考えると、同被告人が検察官に対する昭和五五年二月五日付供述調書の中で押したというのはこのことをいうものと理解できる。すると、押したというのも、それは攻撃的ではなく、むしろ防禦守勢の姿勢行動がたまたま和成の体に接触したことをいうものと認めざるをえない。

そして、上記認定の事実に原審公判廷における被告人中野の供述を合せて当時の状況を考えてみると、被告人中野はその配慮を欠いた言動のため折角収まつたかにみえた和成を激昂させ、同人は被告人中野に対し暴言を吐き闘争を挑み、被告人中野の制圧方法も効を奏せず、被告人渕によつてようやく急場をしのいだものの、上級者として和成への対応には苦慮し、終始和成の言動には注意し、同人が駐車場での出来事以来一応鎮静化していても、先刻の行動からみていつまた被告人中野に対し反発するかわからぬとの思いが先に立ち、このままでは和成が喜久美のいうことをきいて素直に帰るとも思われなかつたところから、ともかく一時も早く和成を自動車に乗せようとして和成の襟首をつかんで押すようにして連れて行つたり腕組みをして連れていつたりした行為に出たもので、前後の事情からみて同被告人が和成に関して右のように状況判断をしたことは必ずしも不合理ではない。そして右のような少年補導保護の気持が逸つて手を襟首にかけたというのが実情であろうし、その状態も1.5メートルというわずかの距離の間で、和成自身これを嫌つて反発したり抵抗したりした状況も見受けられないから、上記警察官職務執行法第一条、第五条に定める職務執行手段方法の限度を考慮しても、被告人中野が右事情から和成の襟首をつかんで押すようにして連れて行つたことが直ちにその権限行使の限度を超え濫用にわたり違法であるというをえない。また、常に用心の心構えをしていたところから、遂には、腕を離したとたん、和成が急に被告人中野に寄つてくるように思え、これに対し防禦の姿勢をとらせてしまい、それが和成の体に接触し同人が転倒するに至つたものと考えられ、被告人中野の右のような行動を目して違法な有形力の行使である暴行と評価することは適当ではない。もとよりこれらの行為が積極的に私憤、報復などに出たものとは認められず、偶発的所作であり結果であると認められる。

以上説示のとおり、原判決挙示の証拠によつては、必ずしも原判示の被告人らの各暴行を認めるに十分とはいえないし、他にこれを認むべき証拠はないから、原判決はこの点において事実を誤認したものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるといわねばならない。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により更に判決する。

本件公訴事実は

被告人渕は長崎県巡査、同中野は同県巡査部長で、いずれも長崎県浦上警察署に勤務し、外勤係として長崎市滑石五丁目一番六二号所在の同署滑石警察官派出所に配置され、警戒、警らし、犯罪の予防、検挙、少年補導などの職務を行つているものであるが、昭和五四年一二月一四日、午前一時五〇分ころ、同派出所において在所勤務中、被告人渕が少年蔭地和成(当時一八年)を未成年者の飲酒喫煙等で補導した際、同人が被告人両名に反抗的態度を示したことなどにそれぞれ立腹し、

第一 被告人渕は、同派出所北側駐車場において左手で右蔭地のジャンパーの右襟首をつかみ、右手で同人の左肘を握つて同人を左方へ一回投げつけ、

第二 被告人中野は、同派出所前付近において、右手で右蔭地の襟首をつかんで押したうえ、さらに同人を路上に押し倒し、

もつて被告人両名とも、職務を行うにあたり、右蔭地に各暴行を加えたものである。

というのであるが、叙上説示のとおり、右公訴事実中被告人らの各暴行を認めるに十分な証拠がなく、結局本件被告事件について犯罪の証明がないものというべきであるから刑事訴訟法第三三六条により被告人両名に対し無罪の言渡をする。

よつて、主文のとおり判決する。

(生田謙二 永松昭次郎 早舩嘉一)

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