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福岡高等裁判所 昭和57年(う)642号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【説明】

本判決は、因果関係の存否に関する法律的判断を示すものではないが、比較的軽微な暴行行為とその後一ヶ月余を経て発生した被害者の死との間に因果関係ありと認定した点、その認定の経緯を含めて、実務上参考となると思われるので掲載する。なお、被告人の判示所為のいずれを暴行として評価しているのか、判文上かならずしも明確ではないが、被告人が、被害者を意図的に倒したとは認定していないようであり、そうすると、被告人が被害者のコートの襟首を掴えて押し進んだ行為が暴行であり、被害者の転倒・頭部打撃・死は以後の因果の流れに属する事柄とした上、右の暴行と死との間に因果関係ありとしたものであろうか。

【判旨】

所論は要するに、被告人は、森孝(以下、「森」という。)と格闘を開始し、約八メートル押し進んで、仰向けに転倒した同人の上に重なり合うようにして倒れ込み、そのまま右腕を同人の左肩越しに巻きつけて同人を数分間押え込み、その最中に同人の右後頭部をコンクリート舗装の路面に衝突させたことはなく、また、被告人の行為により森が死亡するに至つたものでもない。少なくとも、原判決の挙示する証拠によつては、被告人が森を約八メートル押して進み、仰向けに転倒した同人の上に重なり合うようにして倒れ込み、そのまま右腕を同人の左肩越しに巻きつけて同人を数分間押え込んだことを認定することはできない。更に、被告人の本件所為は正当防衛行為である。しかるに、原判決が、被告人は森に対し以上の各暴行を加え、よつて、森を死亡するに至らせたものと認定し、正当防衛行為、就中被告人の防衛意思の存在を否定し、かつ被告人の行為と森の死亡との間の因果関係を認めたのは、証拠に基づかずに事実を認定するか、又は証拠の評価及びその取捨選択を誤り、事実を誤認したものであり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかし、原判決の挙示する証拠によれば、原判示の罪となるべき事実は被告人の行為と森の死亡との間の因果関係を含めて優に認められ、とりわけ、被告人が森に対し前記暴行を加えて同人を死亡するに至らせたこと、更に、被告人の原判示所為に正当防衛の要件たる侵害の急迫性が欠如していたことは否定できない。すなわち、右証拠、被告人の当審公判廷における供述及び証人枝光昭に対する当審の尋問調書によれば、

1 森(大正一五年二月一九日生)は身長157.5センチメートル、体重約44.5キログラムで、新聞販売店に勤務し、被告人(昭和七年四月一四日生)は身長約一六七センチメートル、体重約四九キログラムで、教材販売業を営んでいたこと、

2 被告人は、森が自己の妻の経営する麻雀店からゲーム代等合計約八万円を借り受けながら、なかなか返済しないばかりか、同店にも姿を見せなくなつていた折から、昭和五四年二月一五日(原判決一枚目裏五行目に「一四日」とあるのは「一五日」の誤記と認める。)午前一〇時三〇分ころたまたま原判示の米村薬局西側路上を歩行中の森と出会い、同人を呼びとめ、同人に対し貸金の返済を迫つたが、同人が逃げ口上を使うだけであつたので立腹し、大声で文句を述べた後、「店に行つて話そう。」と誘つたところ、同人が自己の背広の左襟を掴み、「ここでは格好悪いからこつちへ来い。」と申し向けたので、同人について東方に向かい歩き出したこと、

3 森はまもなく被告人の背広から手を離したが、やがて道端に落ちていたオロナミンCドリンクの空瓶を拾い上げたので、被告人は森が右空瓶で打ちかかつてきたときの用心に上着を脱いで左腕に掛け、同人より約二、三メートル先(東方)の道路北端を東方に向かつて歩いたこと、

4 被告人は同日午前一〇時三〇分過ころ原判示の岡富安方南側路上において、森と相対し大声で口論を始めたが、そのうち同人が右手に持つていた前記空瓶を振り上げたので、左手で非力といえる同人の右手首を掴えてその動きを制止し、右腕を同人の左肩口からその首の後方を通しその右肩口に回してその首に巻きつけたり、右手で同人のコートの襟首を掴まえたりしながら、自らは前(東)向きの姿勢で、自己のすぐ東方において後(西)向きの姿勢でいた森とともに右岡富安方南側路上より約八メートル東方の原判示田中礼吉方東側路上に移動したころ、森が手や尻餅をつくなどして頭部を庇うことなく、いきなり仰向けに転倒し、同所のコンクリート舗装道路に後頭部を強く打ちつけて「ゴツン。」という音を発し、被告人も転倒した森の身体の上に重なり合うように倒れ込んだうえ、数分間右腕を同人の首に巻きつけ自己の上体を同人の上体に乗せるなどして同人を押えつけていたこと、

5 その後被告人は森の身体から手を離して立ち上がると、森も引き続いて立ち上がつたが、同人は後頭部に手をやり、やがてポケットから取り出したハンカチを右後頭部にあてて同所をふき、これをその眼前に運ぶと、右ハンカチには血が付着していたこと、

6 森は同日大牟田市兼行医院において頭痛及び悪心を訴え兼行務医師から診察、治療を受けたが、同医師はその際森の頭部にこぶが三、四か所あるのを感知したこと、

7 田中幸雄は森と親しく交際していたものであるが、同日午後六時ころ大牟田市八木町精錬所職員住宅付近道路上で、森がふらふらしながら顔は青ざめたようにして歩いているのに出会い、同人に訳を尋ねたところ、同人はものを言うのも億劫であるように苦しがつていた状態にありながら、同日被告人から頭の右端の方をやられ、コンクリートで打つた旨述べたので、触つてみると、頭部に直径約二、三センチメートルのこぶが二つ位あるのを感知し、森方まで同伴するや、同人はすぐ同人方畳の上に横臥してしまつたこと、

8 森の内縁の妻であつた宮原カヨ子が同日午後六時ころ帰宅すると、森はこたつに入り仰向けに寝てぐつたりしており、頭の後ろが痛いなどと申し向けるので、同女が森の後頭部に手をやるとこぶが三つできているのを感知したので、同部位を冷やしてやつたこと、

9 右田中は同年三月一二日ころまでの間に五、六回森宅を訪れたが、そのいずれの場合も同人は寝ていて、右田中に対しまだ頭が痛いとか、具合が悪いとか、どうも頭がふらふらしていかんとか訴えていたこと、

10 森は同年二月一七日と同月一九日にも前記兼行医院に通院して治療を受け、同年三月一五日と同月一六日に頭痛及び吐気を訴え同市枝光医院に通院して治療を受け、その翌日ころ頭痛を訴えて原判示平の山病院に入院したが同月一九日午前四時四〇分ころ同所で死亡するに至つたこと、

11 久留米医学部教授原三郎が昭和五四年三月二〇日に森の死体を解剖したところ、その右後頭葉右後面に縦約六センチメートル、横約五センチメートル大の範囲にわたりわずかながら圧平化が存し、かつ、その左前頭・頭頂部の硬膜下に軟凝血様の血腫(硬膜下血腫。一二五グラム。)が存し、血腫直下の脳に縦約一一センチメートル、横約八センチメートル大の範囲にわたり軽度の圧平化が存し、右血腫は既に一部硬膜と癒着、器質化していたこと、右硬膜下血腫は右解剖時よりも二週間ないし二か月位以前に発生したものであり、森の死因は右硬膜下血腫であること、これらの圧平化及び血腫の状態からすれば、森の左前頭部か右後頭部のいずれかに転倒や鈍器による殴打などの外力が作用した蓋然性が大きいが、統計的には後頭部に外力が作用して前頭部を損傷する場合の方が、その逆の場合に比べて圧倒的に多いこと、硬膜下血腫には外傷性のものとそれ以外のものとが存するが、両者の差異は法医学者には歴然としていること、森が右硬膜下血腫を受けた後死亡するまでの間受傷前と大差ない日常生活を送つたとしても、それは硬膜下血腫の症状と矛盾しないこと、

12 なお、右解剖の際森の第七肋骨が胸骨寄りの部位で縦方向(上下方向)に骨折し、同部位には母指頭大の淡赤褐色のやや陳旧な筋肉間出血が存したが右骨折も右解剖に先立つ二週間ないし二か月位以前に発生したものであること、肋骨骨折は人工呼吸で胸郭を圧迫した程度でも簡単に発生し、森の年代では若い年代より骨折しやすく、骨折後もその痛みを感ぜず、日常生活には差し支えないことがあること、

13 森には生前街の金融業者から借金をしていたけれども、暴力団員ないし暴力団関係者から借金をしていたことはなく、せいぜい現金支払を常態とするいわゆるにぎり行為(モーターボート競走法二七条二号、自転車競技法一八条二号参照)の相手方となつたことが認められるにすぎず、本件のとき以外に森が前叙のとおり頭部あるいは胸部を負傷した証跡は全く窺うことができないこと

が認められ、右4の各事実によれば、

14 被告人は前記岡富安方南側路上から前記田中礼吉方東側路上に至る約八メートルの間を、左手で前記空瓶を持つた森の右手首を掴まえ、右腕を前示のように同人の首に巻きつけたり、右手で同人のコートの襟首を掴まえたりしながら押し進んだため、同人が前記のとおり路上に仰向に転倒したことを推認することができる。

そして、右1ないし14の事実関係を総合すると、被告人は右14の態様でその間の約八メートルを押し進んだため、森を右田中礼吉方東側路上に仰向けに転倒させて同路面でその後頭部を強打させ、自らも転倒した同人の身体の上に重なり合うように倒れ込んだうえ、数分間右腕を同人の首に巻きつけ自己の上体を同人の上体に乗せるなどして同人を押えつけ、同人に硬膜下血腫の傷害を負わせ、よつて原判示の日時、場所において同人を右傷害により死亡するに至らせたものであることを優に肯認することができる。

これに反し、被告人の原審及び当審公判廷における各供述中右認定に反する部分は、いずれも不自然さやあいまいさが目立つうえに、前後矛盾し、関係証拠に現われた諸状況とも整合せず、証人岡ミキ子及び笠原矩子の原審公判廷における各供述中右認定に反する部分はいずれも被告人の面前を憚つて真実を供述をしえなかつたものであることが窺われ、他の関係証拠とも整合せず、また、医師村崎保夫作成の死亡診断書中森の直接死因をくも膜下出血とする部分、証人兼行務に対する原審受命裁判官の尋問調書及び証人枝光昭に対する当審の尋問調書中右認定に反する部分は、いずれも森に対する解剖を経る前の所見であり、前記原教授作成の鑑定書と対比していずれも措信することができないものである。

また、所論は、岡ミキ子は森が路面に転倒するのを目撃してはおらず、右岡の聞いた「ゴツン。」という音は手ないしは上衣にくるまれた前記空瓶がコンクリート路面に衝突して生じたものであるというのであるが、岡ミキ子の検察官に対する供述調書によれば、同女は森が路面に転倒したのを目撃していたことが認められ、かつ、人が転倒してその後頭部がコンクリート路面に衝突する音と、人の手又は上衣にくるまれた前記空瓶が右路面に衝突する音とは明らかに異なるのであるから、所論を是認することはできない。

尤も、原判決が「(被告人において)手で森の右手首を掴まえ、更に右腕を同人の左肩越しにその首に巻きつけたり、右手で同人のコートの襟を掴まえたりした。」行為を目して「同人と格闘を開始し」と評価しているのは、所論の指摘するとおり、措辞適切を欠くものである。しかしながら、右にいう「同人と格闘を開始し」というのは、同文言の前に摘示した具体的な有形力行使の事実を統括評価するものにすぎないのであるから、「同人と喧嘩闘争を開始し」というほどの意義しか有しないものであることは明らかである。しかして、判文を右の如く解する限り、右の事実認定そのものに何の誤りも認められない。

なお、所論は原判決をもつて事実誤認(原審取調べの証拠によつては原判示事実が認定できない)であると主張するものであるところ、右所論中には理由不備の主張、すなわち、原判決の挙示する証拠によつては、原判示の、被告人が森を約八メートル押して進み、仰向けに転倒した同人の上に重なり合うようにして倒れ込み、そのまま右腕を同人の左肩越しに巻きつけて同人を数分間押え込んだ事実は認定できないと主張する部分が存するけれども、被告人の原審公判廷における供述、被告人の検察官(二通)及び司法巡査(三通)に対する各供述調査、岡ミキ子(二通)及び笠原矩子の検察官に対する各供述調書、司法警察員作成の実況見分調書二通には、前記4の事実が現れる、これによれば前記14の事実を推断することができるのである。そうしてみれば、所論指摘の原判示事実もその挙示する証拠に現われているので、理由不備の違法はないものといわなければならない。

しかして、右の事実関係によれば、森が右手に持つていたオロナミンCドリンクの空瓶を振り上げた直後、被告人において左手で非力といえる森の右手首を掴まえてその動きを制止した後は、森が他に格別の攻撃を加える気配はなかつたのであるから、刑法三六条にいわゆる侵害の急迫性の要件を欠くものといわなければならない。そうすると、その余の点について判断するまでもなく、右制止後の被告人の本件行為は正当防衛行為にあたらないことが明らかである。

尤も、職権をもつて調査するに、原判決は防衛の意思の存否について、「被告人の所為がもつぱら防禦のためになされたものとは考えられず、……被告人の所為は防衛の意思を欠き正当防衛には該当しないというべきである」と判示し、正当防衛における防衛意思を専ら防衛の意図のみで行つた場合に限定する見解を前提としていることが認められる。しかしながら、防衛の意思と攻撃の意思とが併存する行為においても、正当防衛の要件たる防衛意思を欠くものではないと解すべきであつて、防衛の意思を原判示のように限定して解するのは相当ではない(最高裁判所第三小法廷昭和五〇年一一月二八日判決、刑集二九巻一〇号九八三頁参照)。

従つて、原判決は右の点において刑法三六条の解釈を誤つたものというべきであるが、しかし、前叙のとおり、被告人の本件所為については刑法三六条における侵害の急迫性の要件を欠くものであつて、結局において正当防衛の成立は否定されるべきであるから、被告人の所為について正当防衛の成立を否定した原判決の判断は、結論において正当である。

(山本茂 池田憲義 松尾家臣)

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