福岡高等裁判所 昭和62年(く)8号 決定 1987年2月25日
少年 O・M子(昭46.3.11生)
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は、付添人○○提出の抗告申立書に記載のとおりであるから、これを引用する。
そこで、当裁判所は記録を調査し当審における事実取調の結果に基づき、次のとおり判断する。
一 少年は、昭和61年3月ころまでさしたる問題行動はなかつたが、その後高校受験に失敗してから不良交友、喫煙、シンナー吸入、バイクの無免許運転、深夜はいかい、無断外泊などを重ね、さらに、昭和61年11月27日昼ごろ不良仲間のA子(中学3年生)、B子(中学3年生)とともに出身中学校におもむき、かねて顔見知りの女子中学生2名を呼び出し、同人らに売春を要求して承諾させ、そのうち1名に対し暴力団組長を相手に売春させ、売春の紹介料名下に現金4000円を受け取つたほか、同女に対しさらに金員の要求をしていたものである。
二 少年は知的に劣つていることもあつて、自信がなく、受動的、依存的であるが自分の思いどおりにならないと気がすまない我儘な性格でもあり、それだけにひがみやすく、感情を蓄積させて不機嫌になつたり、自分より弱い者に矛先を向けて不満を発散させたり、強い者らに追従して強がり、1人ではできないようなことでもやつてしまう傾向があるうえ、困難や不快なことに対する耐性が低いなど性格には問題点が多い。
三 少年の両親の養育態度は甘く、社会生活に必要な規範、道徳等の内面化のためのしつけが十分なされておらず、少年の姉たちも不良化した時期があり、それらの影響もあつて少年は怠学の習慣を身に付け、髪を染めたり、たばこを吸つたりするなど問題行動が見られるようになつたにもかかわらず、保護者がこれを厳しく阻止するなどの措置をとつた形跡がなく、総じて放任状態が窺われ、少年の生育環境はよいとはいえない。
四 保護者である母親は少年を更生させようという意欲はあるが、具体的な方針を未だ立てえない状況である。
五 以上の少年の行動歴、性格、環境、保護者の保護能力などを総合すると、少年には非行を反復する虞れがあり、早期に非行の原因を取り除くために矯正教育を施す必要があることに鑑みると、小倉少年鑑別所作成の鑑別結果通知書並びに家庭裁判所調査官作成の少年調査表記載の在宅保護の判定などを考慮に入れても、少年を初等少年院に送致した原決定はこれを取消すまでに著しく処分が不当ということはできない。(但し、当裁判所としては、諸般の事情を考慮し、少年院収容期間は短期で足りるものと思料する。)論旨は理由がない。
よつて、少年法33条1項、少年審判規則50条により本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 生田謙二 裁判官 坂井 宰陶山博生)
〔参考1〕 抗告申立書
抗告申立書
抗告人 O・M子
抗告人は昭和62年1月12日福岡家庭裁判所小倉支部において初等少年院送致の保護処分決定を受けましたが当該処分は著しく重く不当でありますので少年法32条により抗告致します。
昭和62年1月26日
付添人弁護士○○
福岡高等裁判所御中
申立の趣旨
原決定を取消す。
本件を福岡家庭裁判所小倉支部に差戻す。
申立の理由
一 少女の非行化に対する目の置きどころ
本件少女は急激に非行化に傾斜していったことが見受けられるが、このような少女の非行化をどう理解すべきであろうか。
その目の置きどころについて「非行少女の心理」(麦島文夫・坪内順子編、有斐閣新書)は大要次のようにいう(29~30頁)。
一つは、殆どの少女に不満、不安があり、その解決が自分の手に余るか、その努力が乏しいことが共通している。
第2に、自分に対する厳しさ又は統制の不足、更に周囲からの統制不足という問題がある。
第3に、そのような非行に向かう自分を許している仲間がいるかどうかである。非行化が進んでいる多くの少女は、非行化していく自分を許し、それでも仕方がないと思っているが、それは自分で考え出したのではなく、そのように教えた悪い先輩や仲間がいる-仲間関係-のである。
第4に、自分に対する自分の評価や世間の人が自分に寄せる評価をどう受けとめるかの問題、その結果不貞腐れ投げやりになってしまうということである。
第5に、どんな成育環境-しつけや愛情等を通じて作られる人格環境-にあったかということである。
本件非行は以上の目の置きどころからすればまさしく典型的な少女非行のパターンを持っている。
二 少女の非行化と性との関係
少女が非行化に陥っていく道筋は、少年の場合と異なり性の転落とぴったり一致している。
女性の場合、成熟するためには避けることのできない脱皮のような体験-初潮・初交・妊娠-が幾回か巡ってくるが、この通過儀礼の失敗体験が非行の深まりと一致していく。
失敗体験の深まりが、性的に傷つくことを恐れない図太さ、性的ななれのような心理が「ズベ公」としての自己イメージを自分の中にも他人の中にも定着させていき、それとの自我同一が深まっていくのである。(「非行少女の心理」47、48頁)
しかし、少女たちが、たとえワルの女王のキャリアを稼ぐためにしても、性交渉にのめり込むのは、性交渉そのものにオーガスムスや麻薬に似た性体験を求めるものではない。少女たちは次のように告白する。
「セックス何て好きじゃない。痛いし。でも、あんなことあっという間に終るでしょ。で、セックスすれば男の子と友達になれるし、ディスコにいったり、車にのせてもらって、走り回れるでしょ。それが楽しいの。仲間ができるのが。」
「セックスさえしとけば、男の子って優しいいんだよね。ほかの仲間にも紹介してくれるし、友達の輪が広がるし、仲間はずれにもならないし。・・・・・・」
「あのね、セックスする時の寝物語が良かったの。私、もう荒れてどうでもいいっていう生き方だったし・・・・・で、あの人(暴力団員)裸で寝てると私の悩みを『ウンウン』って背中を擦ってくれながらきいてくれるのね。で、生い立ちなんかも皆話した。その優しさになけちゃうのね。こんな優しくしてもらうの、今迄なかったもの。」
「セックスさえすれば、皆、男の人って優しいし、ご馳走してくれるし・・・・・・」
「セックスさえすれば、アンパン(有機溶剤)ただでもらえて、アンパンあればダチに顔がきくしさ、良い顔できるし、ダチを失うの一番嫌なのね。」
このコトバの背景に共通してある心理は、性交渉が心から絆のもてる仲間作りの一手段-性的な体の渇きではなく心の渇き-にほかならないということである。
12歳から15歳までの年齢の大切な課題は、同性の友人と真の信頼関係を作り、お互いの秘密を分けあい、共感しあい、やがて次の時期に出会う異性との交流の予行練習をすることである。ところが、非行に陥った少女達の性の告白に耳を傾けると同性の友人にぶつける感情を一気に性を媒体として異性にぶつけているようである。つまり、同性の親友と心の琴線にふれる交流の出来ない心の渇きを、性を代償にして、異性が示してくれる見せ掛けの優しさで満たそうとしているようである(前掲65~67頁)。
そして、少女の場合、家出や夜の徘徊をすれば、その時から盛り場で暴力団員と顔見知りになり、犯罪の深みに引きずり込まれることになる。精神的に幼いところがあって好奇心が人一倍強く、人なつこくて、甘ったれという少女時代特有の魅力が、逆に暗い世界へ引きずり込まれる盲点弱点になるのである。
そのために、少女が非行に陥る過程は少年に比べて極めて急激であるという特徴を持つのである。
本件非行少女のパターンは性的な面でもまさにこの典型と言えよう。
三 本件非行の評価
原決定は、本件非行について、実質的には児童福祉法および売春防止法に違反するものであると言う。構成要件的な法的評価は全くその通りと思われる。
しかし、既にみてきたように、少女の非行は「性の転落」と一致するが故に、その非行は常に実質的には性的罪名を伴なうことはやむを得ないのであって、その罪名の悪質性を持って保護処分の内容が決定されるとすればそれは少女非行の特質を見誤ったものと言える。つまり、少女非行の場合、罪名の悪質性を持って保護処分の内容が決定されるわけにはいかないのである。
とするならば、原決定が「初等少年院送致」を決定した理由は、次に続く「売春を強要し金銭を要求した行為は悪質極まりなく、到底わずか14、5歳の少女が思いつく犯罪とは思われない」という部分にあると言わねばならない。
しかし、果たして、本件非行は事ほどさように一般的な少女非行の枠を踏み越えたものといえるであろうか。
既に述べたように、少女の性的なことが暴力団等はもちろん異性に利用され転落の切っかけとなるものであった。逆に少女側から言えば、性的なことこそ非行にとっての道具なのである。加えて、現代社会において性が商品となり(その是非は別にして)巷に氾濫していることは否定できない事実であり、小学高学年において初潮を迎えるという時代の少女がこの性の氾濫性と商品化に無辜であるなど絶対に有り得ない。従って、性的非行に金銭がからむことは一般的少女非行の枠内であって、これを14、5歳の少女が思いつく犯罪とは思われないと激しく非難するのは余りに彼女らに対する目の置きどころと特徴を忘れた議論である。
本件少女が売春の「旋斡料」の追加を要求したことも、売春者が「B(ペッティング)までしかしなかったから」と言ったことによるもので、そこには犯罪性というよりむしろ見事に賞品としての性の意識こそが看守されるのである(Bよりセックスが高価→売春者により利益→再精算の要あり)。
四 非行からの立ち直りの条件と本件
女子非行に対しては男子に比べて世間の目は厳しいものがある。
従って、こうした世間からの白眼視や、本人および親の挫折感をはね返しあるいは吹き飛ばすことが大事である。そのためには本人の立ち直りへの意欲はもちろん親、親戚、近所の人や周囲の中に1人でも2人でも理解者を作り本人を包み込むことが必要である。
世間の目が厳しいだけに少女苑帰りなどのレッテルをつけられることは、右条件が存する限りはできるだけ避けなければならない。
今これを本件についてみると、少女本人は少女非行の一般的パターンの通り急激に非行に陥っていたのであるが、鑑別結果にも述べられている通り、収容を契機に前向きの気持ちが生じ、被害者の気持ちを考えたり、今までの生活態度を反省したりできるように変わっており、その後の両親に宛てた手紙でも反省と更生への強い気持ちを汲みとることができる。特に両親や家族に対するいたわりと深い感情をみるとき少女本人と家族との強い紐帯の存在を否定できない。
受け入れる家族の側も供述録取書記載のとおり近所に住む親類とも力を合わして立ち直りに協力することを誓っており、また勤務先も準備されているのである。
五 結論
以上の通り、本件少女に非行があるとはいっても、未だ家族や近親者の手から切り離して初等少年院で保護しなければならないほどのものではない。
よって、原決定は著しく不当な処分として取り消されなければならない。
添付書類
一 供述録取書 1通
二 手紙 2通
〔参考2〕 原審(福岡家小倉支 昭61(少)3501号 昭62.1.12決定)<省略>