福岡高等裁判所 昭和62年(行コ)9号 判決 1989年10月12日
控訴人
石川シズエ
右訴訟代理人弁護士
福崎博孝
同
石井精二
同
稲村晴夫
同
岩城邦治
同
小野正章
同
河西龍太郎
同
椛島敏雅
同
態谷悟郎
同
龍田紘一朗
同
筒井丈夫
同
原田直子
同
安田寿朗
同
横山茂樹
被控訴人
江迎労働基準監督署長前川弘明
右指定代理人
田邊哲夫
同
山田和武
同
伊藤国彦
同
秀島達也
同
松下徹夫
同
高比良勲
同
金子勝則
同
小島從美
同
宮田巌
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人が控訴人に対し昭和五二年一一月一八日付でした労働者災害補償保険法による遺族補償年金及び葬祭料の支給をしない旨の処分を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文と同旨の判決を求めた。
二 当事者双方の主張の関係は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであり、証拠関係は、原審及び当審記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。
1 原判決三枚目表一三行目の「佐々町立病院」を「佐々町立診療所」と、同四枚目表一二行目の「七月一日」を「七月一〇日」とそれぞれ改める。
2 同四枚目裏六行目冒頭から同行目末尾までを次のとおり改める。
「(二) 亡清文の死因は、直接死因としては消化管出血であるが、その消化管出血の原因となったのは、亡清文が罹患していたじん肺及びじん肺に起因する活動性の結核性胸膜炎であるから、亡清文は、右じん肺により死亡したものである。」
3 同六枚目裏一行目の「蓄水」を「胸水」と改める。
4 同七枚目裏五行目の「重篤化し易い。」の次に「通常の日常生活を送っているじん肺患者に、ある日突然感染症が合併して、時を置かずに死に至ることはよく知られているところであり、感染症状が発症する以前の生活状況を理由に感染後の病状の軽重を論ずることはできない。」を加え、同一一行目の「蓄水」を「胸水」と改める。
5 同八枚目表一行目冒頭から同四行目末尾までを次のとおり改める。
「(三) じん肺法、同法施行規則においては、じん肺の法定合併症として肺結核、結核性胸膜炎が挙げられ、またじん肺に肺癌が高率に合併することも明らかである。
本件においては、亡清文に胸膜炎が存在し、それに起因する胸水貯留が認められるが、右胸膜炎は、亡清文に対する各種の検査において癌を疑わせる所見が皆無であったこと、結核菌検査において陽性の検査結果が出ていることなどに鑑みると、結核性胸膜炎であったというべきである。
仮に亡清文の罹患した胸膜炎が癌性胸膜炎であったとしても、これは、胃癌に起因するよりは、原発性肺癌に起因する可能性が高いから、やはりじん肺との因果関係を認めることができるものである。
そして、亡清文は、右のようなじん肺と胸膜炎に起因する胸水貯留、継続した発熱、高熱、呼吸困難、チアノーゼ等によって急性の消化性潰瘍が引き起こされ、その結果、消化管出血に至り、死亡したものである。仮に消化管出血がびらん性胃炎によって引き起こされたとしても、びらん性胃炎と消化性潰瘍とは発生学的には同じものであるから、じん肺との因果関係を右同様に認めることができるものである。」
6 同一〇枚目表三行目の「べきである。」の次に「本件において、じん肺と亡清文の死亡との間の因果関係を病理的に解明することまでを要求するのは、不可能な立証、悪魔の証明を控訴人に強いるものである。労災法の立法趣旨、労働者災害補償保険制度の目的に照らして、右因果関係の立証の程度を軽減して判断すべきである。」を加える。
7 同一〇枚目裏二行目から同三行目までの「佐々町立病院」を「佐々町立診療所」と、同五行目の「じん肺に罹患していた」を「じん肺と診断されていた」とそれぞれ改める。
8 同一〇枚目裏一三行目冒頭から同行目末尾までを次のとおり改める。
「5 第5項(一)のうち、亡清文が粉じん作業に従事していたこと、亡清文がじん肺と診断されていたことは認める。(二)のうち、亡清文の直接死因が消化管出血であることは認めるが、その余の主張は争う。(三)ないし(五)の各主張は争う。」
9 同一一枚目表四行目の「亡清文」の前に「亡清文は、その胸部エックス線写真像において、右肺だけに陰影があるのであるが、もしじん肺に罹患していたとすれば、左右両方の肺に粉じんを吸い込んでいたわけであって、左右両方の肺に陰影がなければならないはずであるから、亡清文がじん肺に罹患していなかった可能性も十分にあり得るところである。仮に亡清文がじん肺に罹患していたとしても、」を加える。
10 同一一枚目裏七行目の「胃」から同八行目の「考えられるが、」までを「内視鏡検査あるいは剖検が行われていないので、その特定は困難であるが、胃癌、胃潰瘍、胃びらんのいずれかの疾患と考えられるところ、亡清文が死亡時六三歳と高令で、いわゆる癌年令であったこと、胃潰瘍又は胃びらんであれば、担当医師の不手際を除いて致死的な大量の消化管出血を来すことは経験則上考えられないうえ、通常は何らかの症状を訴えるのに、亡清文がそれを訴えたことがなかったこと、亡清文の胸部エックス線写真像によると亡清文には癌性リンパ管症を思わせる陰影があることからすると、胃癌の可能性が最も高いというべきである。このうち、」と改め、同一〇行目の「としても、」の次に「一般的にもじん肺と消化性潰瘍との間にも何らの関係もないうえ、」を加える。
11 同一二枚目裏二行目の「ものである。」の次に改行のうえ、次のとおり加える。
「(四) 労働者が業務上の疾病にかかった場合には、労災法に基づき保険給付を受けることができるが、労災法等関係法令によって労働者に生じた疾病が業務上の疾病と認められるためには、業務と疾病との間に、経験則に照らして、業務が当該疾病に対して相対的に有力な原因と認められる関係、相当因果関係が存在していることが必要であるところ、本件においてじん肺に併発した余病による死亡が業務上の疾病による死亡と認められるためには、業務とじん肺、じん肺と直接死因とのそれぞれの間に相当因果関係が存在することが必要となり、右相当因果関係は、労災保険給付を受けようとする控訴人が立証責任を負うものである。
立証の程度については、仮にその程度が軽減されるべき場合があるとしても、それは、証拠が一方の当事者の支配内にあるなど立証責任を軽減しなければ当事者間の公平の要請を満たし得ないといった特別の事情がある場合に限られるべきであるところ、被控訴人は元来自己の支配内に控訴人の立証すべき証拠を抱えていたものではなく、控訴人と比べて証拠との距離が特に近いわけではなく、しかも収集した証拠は既に提出ずみであるから、本件においては、右のように立証責任を軽減すべき特別の事情は存在しない。」
12 同一二枚目裏三行目の「以上のとおりであるから、」を「以上のとおりであって、」と改め、その次に「亡清文の直接死因が大量の消化管出血による失血死であることは疑う余地がなく、その原因は胃癌、胃潰瘍又は胃びらんのいずれかの疾病によるものと考えられるが、本件においては、その中でも胃癌と解するのが妥当であり、亡清文は、じん肺に罹患していたかどうかも極めて疑わしいが、仮に罹患していたとしても、じん肺と消化管出血の原因疾患との間には何らの関係も認められず、じん肺と亡清文の直接死因との間に相当因果関係は存在しないから、」を加える。
理由
一 請求原因第1項中、亡清文が粉じん作業に従事していたこと、同第2項中、亡清文が昭和五一年六月四日佐々町立診療所で、翌五日十全会江迎病院で受診し、同日右江迎病院に入院し、同月二〇日午前〇時一〇分死亡したこと、同人がじん肺と診断されていたこと、同第3項中、控訴人が被控訴人に対し遺族補償年金及び葬祭料の支給を請求したこと、被控訴人が本件処分をし、控訴人に対しその旨の通知をしたこと、同第4項中、控訴人が、被控訴人の本件処分を不服として長崎労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたが、昭和五四年三月八日付でこれを棄却され、更に労働保険審査会に再審査請求をしたが、昭和五七年五月三一日付でこれを棄却され、同年七月一〇日その通知を受けたこと、同第5項中、亡清文の直接死因が消化管出血であったことは、いずれも当事者間に争いがない。
二 亡清文が粉じん作業に従事し、じん肺と診断されていたことは、右のとおりであるが、被控訴人は、亡清文がじん肺に罹患していなかったと主張するので、まずその罹患の有無について判断する。
右争いのない事実に、(証拠略)、原審証人安田善治(以下「安田医師」という。)、同石川寿(以下「石川医師」という。)、当審証人海老原勇(以下「海老原医師」という。)、原審及び当審証人種本基一郎(以下「種本医師」という。)の各証言を総合すると、そのじん肺の程度については後記のとおり争いがあるものの、亡清文が昭和五一年六月二〇日死亡した当時粉じん作業によるじん肺に罹患していたことが認められる。
右認定に対しては、神戸労災病院副院長である種本医師の当審における証言中に、粉じん作業中は左右両方の肺に粉じんを吸うわけであるから、じん肺であれば左右両方の肺にエックス線写真上粒状影がなければならないが、亡清文の場合には、同人の死亡の直前昭和五一年六月五日に撮影された胸部エックス線写真によれば、右肺のみに粒状の陰影があるから、じん肺に罹患していたと診断するのは不可解である旨の部分があり、(証拠略)にも右証言を裏付ける部分がないではないものの、右は、前掲各証拠に照らすと、亡清文が罹患していたじん肺の程度はともかく、同人がじん肺に罹患していたとの右認定を動かすものとはいえず、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。
三 ところで、控訴人が亡清文の死亡による遺族補償年金及び葬祭料の支給を請求できるためには、その死亡が労災法一二条の八第二項、労働基準法七九条、八〇条の規定する「労働者が業務上死亡した場合」に該当することが必要であり、そのためには、同法七五条二項により、亡清文の死因となった疾病が昭和五三年労働省令第一一号による改正前の労働基準法施行規則三五条七号所定の「粉塵を飛散する場所における業務に因る塵肺症及びこれに伴う肺結核」か、同条三八号に規定する「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することが必要である。
ところが、亡清文の直接死因が消化管出血であることは前記のとおりであり、消化管出血が右労働基準法施行規則三五条七号所定の疾病のいずれにも該当しないことが明らかであるから、本件においては、右消化管出血が同規則三五条三八号にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かが争点となるものである。そして、右消化管出血の原因について、控訴人は、亡清文が罹患していたじん肺及びじん肺に起因する活動性の結核性胸膜炎である旨を主張し、被控訴人は、じん肺とは因果関係のない胃癌、胃潰瘍、胃びらんのいずれかであるが、そのうち胃癌の可能性が高いと主張するので、以下この点について検討する。
1 (証拠略)、原審証人安田医師の証言、原審における控訴人本人尋問の結果を総合すると、亡清文の生活歴、病状、これに対する診療、その死亡に至る経過は次のとおりであったことが認められる。
(一) 亡清文は、大正二年二月二二日生れであり、昭和一五年に控訴人と結婚をした当時は漁船の乗組員をしていたが、昭和一八年四月から長崎県北松浦郡小佐々町所在の日鉄鉱業株式会社鹿町炭鉱に勤務し、当初は採炭夫として、昭和二九年八月から翌昭和三〇年五月までの間は掘進夫として、その後は再び採炭夫として働き、昭和三六年九月からは同社北松鉱業所矢岳炭鉱に移って同じく採炭夫として働き、昭和三七年七月同炭鉱の閉山に伴って退職するまで、合計一九年三か月間にわたり坑内における粉じん作業に従事していた。亡清文は、右退職後は職に就かず、失業保険金、厚生年金、控訴人の日雇い収入などにより生計を維持してきた。
亡清文は、右退職後、咳をしたり、痰が出たりする症状はあったが、昭和四六年に高血圧、糖尿病で約二か月間病院に通って治療を受け、このころから酒が飲めなくなり、煙草も止めたことがあったものの、ほかには病院通いをしたことはなかった。亡清文は、昭和五〇年夏ころ保健所の胸部検診を受け、佐々町役場などから再診を受けるよう何度も指示、通知を受けたが、結局受診しなかった。
亡清文や控訴人は、その周囲にじん肺患者が多数いたことなどから、相当以前からじん肺やこれに基づき労災補償がなされていることを知っていた。
(二) 亡清文は、昭和五一年五月二九日ころ、老人会の日帰り旅行で長崎県大村市所在の長崎空港や同県東彼杵郡波佐見町所在の温泉センターなどを周遊し、その前ころから食欲がなかったものの、右旅行から帰った当時は楽しかったのでまた行きたいなどと話していたところ、その二、三日後から胸部の苦痛を訴えるようになり、若干の歩行にも息苦しさを覚え、睡眠が十分に取れない様子となった。
亡清文は、同年六月三日、急に咳き込み、呼吸困難を起こして苦しがり、発熱があったため、翌四日佐々町国民健康保険診療所において於保定彦医師の診察を受けたところ、喘鳴、咳嗽、喀痰を訴え、聴診によれば全肺野に笛状音が聞かれ、胸部エックス線写真によれば全肺野に点状のじん肺陰影、右下肺野に異状陰影が認められたので、同医師はじん肺の疑いが強いとして、専門医を擁する十全会江迎病院(以下「江迎病院」という。)において診察を受けるよう指示した。
(三) そこで、亡清文は、翌五日江迎病院に赴き、同病院の谷村吉三医師(以下「谷村医師」という。)の診察を受け、即日前記のとおり同病院に入院した。
入院時、亡清文は、呼吸困難を訴えていたが、チアノーゼはなく、バックレストを使用して一〇分間ほど半座位をとったところ、かなり改善された。谷村医師は、強度の呼吸困難が生じたときは酸素吸入をするよう看護婦に指示していたが、当時そのような事態は生じなかった。亡清文は、咳嗽はなかったが、喘鳴があり、そのため一〇日ほど前から眠れないと訴え、睡眠薬の処方を希望した。また、亡清文は、ほかに不整脈がみられ、三八度前後の発熱もあったため、点滴が継続され、気管支拡張剤(ネオフィリン)、冠拡張剤(ペルサンチン)、消炎酵素剤(プロクターゼ)、ビタミン剤、ATP製剤等の薬剤が投与され、同月七日以降はこれらに加えて抗生物質(セファメジン、リラシリン)が投与された。
その後、亡清文は、呼吸困難が生ずることもあったが、それが消失することもあり、体温が三八度前後で、喘鳴も継続していたが、咳漱もなく、自覚症状を特に訴えることもなく、気分も悪くない状況が続いた。
亡清文が入院した当時血液検査は行われず、同月九日初めて血液検査が行われたが、右検査結果によると、血液中の赤血球数値は三四六万であり、男性の正常値四五〇万ないし五〇〇万と比べ、やや貧血といえる状態であったほか、白血球数値は四八〇〇であり、正常な範囲内であった。
同月一三日夜に至り、亡清文の呼吸困難が強くなったため、酸素吸入が施され、また翌一四日夜にも酸素吸入が施された。
(四) ところが、同月一五日になると、亡清文の吸吸困難が強くなるなど同人の病状が急激に悪化し、血圧も同日午前一時四〇分最高血圧八〇、最低血圧四〇、午前一時五五分最高血圧六〇、最低血圧四〇、午前九時最高血圧六四、最低血圧〇となり、危機的な状況にまで低下し、午前一〇時五〇分には少量の血液が口から排出され、顔面蒼白、冷汗等がみられたため、止血剤、強心剤が投与された。その後一時その症状は回復したが、同日午後には、顔面蒼白、チアノーゼ、全身倦怠感がみられ、夜には呼吸困難があったほか、再度少量の血液を口から排出した。同日行われた血液検査の結果によると、血液中の赤血球数値が一五〇万にまで低下し、亡清文の全身の血液量の約三分の二が失われるに至った。
亡清文の右症状に対し、担当の谷村医師らは、消化管出血などにより身体内で相当量の出血があったとの疑いをもたず、そのため輸血等の必要な処置を遅滞なく講ずることができなかった。
(五) 亡清文は、翌一六日午前には血便が少量あったが、血痰はなく、午後には呼吸困難はなかったが、医師の指示により酸素吸入が施されたものの、開始後二時間弱でこれを嫌がり、自ら器具を除去した。また、チアノーゼはみられなかったが、食欲は全くなく、顔面蒼白で、全身の衰弱が著明であった。同日午後遅くから夜にかけては、特段の症状の変化はなく、呼吸困難、喘鳴、不整脈はみられず、気分もさほど悪くないとのことであったが、顔面蒼白、全身倦怠が持続した。
(六) 翌一七日になって、谷村医師は、消化器系の疾患に経験の深い江迎病院長の安田医師に応援を求めた。
右同日、亡清文は、顔面に浮腫を生じ、多量のタール状ないし泥状の血便があり、同日行われた血液検査の結果によると、赤血球数値は一一七万となり、一段と低下した。安田医師らは、右症状に対し輸血(二〇〇cc二本)を開始し、また排尿困難も生じていたため導尿処置を施したが、症状はさらに悪化し、その後意識の混濁がみられ、無意識で煙草を吸うしぐさをしたり、名前を呼ばれると目を開けるが、すぐまた意識を失うという状態となった。
(七) 亡清文は、翌一八日にはまだ呼びかけに対して応答をし、気分は良いとのことであったが、浮腫は下肢にも及び、全身倦怠感、熱感、顔面盗汗があり、下血がなお継続した。安田医師は、このような症状経過から、亡清文に消化管出血が生じていると判断し、そのために輸血(二〇〇cc三本)、点滴、薬剤の注射、酸素吸入等の治療を施した。
(八) 翌一九日、亡清文は、午前三時には最高血圧一一二、最低血圧五八であったが、少量の血液を口から排出し、少量の下血もあり、午前四時二〇分には最高血圧六六、最低血圧〇となり、午前四時三〇分には多量の下血があり、ショック状態に陥って意識を失い、声をかけても反応がなく、貧血著明、顔面蒼白、下顎呼吸、脈拍微弱の危篤状態となり、安田医師らによって、その間輸血等の処置が施されたが、回復しないまま、前記のとおり翌二〇日午前〇時一〇分死亡した。亡清文の死亡に至るまでの総輸血量は二〇〇〇ccに達した。その死亡時の年令は六三歳であった。
(九) 江迎病院において亡清文に対して行われた各種検査の結果について、安田医師は、胸部エックス線写真像には全肺野に比較的密な粒状影の散布があり、粒状影の大きさはm型(直径一・五ミリメートルを超えて三ミリメートルまでのもの)であり、異常線状影、大陰影は判読されず、じん肺分類標準エックス線写真像の第二型に相当するものとし、心電計による検査では、肺の異常により循環系の負担が生じた場合に現われる肺性pの傾向はあったものの、明らかには認められないと判定した。しかし、江迎病院において亡清文に対し心肺機能検査は行われなかった。
(一〇) 安田医師は、亡清文の死亡原因について、死亡直後である昭和五一年六月二一日に作成した死亡診断書(<証拠略>)において、直接死因を心不全とし、その原因を消化管出血及び喀血と診断している。
前記のように亡清文に消化管出血があったと判断された後、安田医師らによって消化管のエックス線、内視鏡等による検査は実施されなかったし、また、遺体について病理解剖も行われなかったため、消化管出血の部位、原因は結局解明されるに至らなかった。また、入院当初亡清文の右肺にエックス線写真上胸水貯留があると判断されたが、その後、谷村医師らによって胸水の検査がなされたこともなかった。
以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
2 亡清文の病状、これに対する診療、死亡に至る経過等は以上のとおりであるが、同人の罹患していたじん肺の程度について、控訴人は、重症であった旨を、被控訴人は、軽症に近い中等度のものであった旨をそれぞれ主張するので、検討する。
(一) 右認定の諸事実、前掲各証拠のほかに、参考資料としての神戸労災病院の患者の胸部エックス線写真であることに争いのない(証拠略)、原審証人安田医師、同石川医師、当審証人海老原医師、原審及び当審証人種本医師の各証言を総合すると、亡清文の罹患していたじん肺の程度について次の事実が認められる。
(1) 亡清文は、前記のとおり昭和五〇年夏ころに保健所の胸部検診を受け、再三再検査を受けるように促されたにもかかわらず、格別の理由もなく受診しなかったし、亡清文自身、自分の身体のことは自分が知っていると言っていた。また、亡清文も控訴人も、じん肺やそれに基づく労災補償のことを知っていたが、亡清文は、呼吸器系の発作について医師による診断、治療を受けたことはなかった。そして、前記のように炭鉱を退職後、労働に服することができなかったとしても、昭和五一年六月四日佐々町立診療所で受診するまでは、日常生活に特段の支障を生ずるほどの症状はなかった。しかも、右受診の数日前には、かなりの長距離に及ぶ前記老人会の日帰り旅行にも参加し、これを楽しんで帰宅している。
(2) 亡清文の江迎病院入院直前以降の発熱、呼吸困難等の症状の経過は前記のとおりであり、その原因は、呼吸器の感染症ないし胸膜炎による胸水貯留に起因するものであると推定されるが、消化管出血により身体の血液の約三分の二が失われるという危機的な事態に至った同年六月一五日前後(亡清文の消化管出血がいつ始まったのかは明らかではないが、前記の症状の経過からみて、同月一四日以前に始まったものと推認される。また、江迎病院の担当医師が右消化管出血を診断したのは、同月一八日であった。)までは、その症状は重篤というほどのことはなく、担当医師らの抗生物質等の投与等により緩和され、比較的落ち着いた症状の経過であった。
(3) 亡清文については、心肺機能検査等が行われていないため、実際、じん肺によって亡清文の呼吸器、循環器系の機能がどの程度損なわれていたかは正確には把握することができないが、亡清文の江迎病院入院時に撮影された胸部エックス線写真上の粒状影について、じん肺の診断、治療に深い経験を有する安田医師がこれを第二型に相当するものと判定したことは前記のとおりであるのみならず、同じくじん肺の診断、治療に深い経験を有する長崎市立長崎病院の石川医師、同じく長崎原爆病院の河野恒昭医師(以下「河野医師」という。)もまた、いずれもこれを第二型と判定している。また、じん肺の診断、治療、研究に深い経験を有する前記の種本医師は、前記のとおりじん肺罹患者は左右両方の肺に粉じんを吸い込むものであるから、胸部エックス線写真上左右両方の肺に粒状影がなければならないところ、亡清文の場合には、左右両方の肺の粒状の陰影が著しく異なっていることなどを指摘し、じん肺の罹患がないとの可能性もあるとしながらも、じん肺とすれば第一型に分類されると判定している。
ところで、じん肺は、粉じんの吸入によって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病であるが、その線維化した部分は小結節を形成し、胸部エックス線写真上粒状影又は線状影等の不整型陰影として現われ、右症状がさらに進行すると塊状巣を形成し、胸部エックス線写真上大陰影として現われる。じん肺法は、じん肺に関し、適正な予防及び健康管理その他必要な措置を講ずることにより、労働者の健康の保持その他福祉の増進に寄与することを目的とするものであるが、その健康管理の基準としてエックス線写真像と肺機能障害の程度を考慮してじん肺管理区分を定め(同法四条二項、管理一ないし管理四に区分され、このうち管理四が症状の最も重いものである。)、エックス線写真像については、昭和五二年の改正じん肺法(昭和五二年法律第七六号、昭和五三年三月三一日施行)前は、じん肺を粒状影を主とするものと異常線状影を主とするものに大別したうえ、それぞれ第一型ないし第四型に区分し、このうち粒状影を主とするものは、大陰影のあると認められるものを第四型とし、大陰影がないと認められるものは、粒状影の分布する範囲及び密度により程度の軽いものから順次第一型ないし第三型に区分されていた(右改正前のじん肺法四条一項)。
右改正以後においても、第一型ないし第四型に区分されているが、粒状影と異常線状影を区別することなく、大陰影があると認められるものを第四型とし、大陰影がないと認められるものは、粒状影又は不整型影の数により数の少ないものから順次第一型ないし第三型に区分されている(現行じん肺法四条一項)。右各医師の判定のうち、その判定の時期からみて、種本医師の判定は右改正後の基準によるものと考えられ、その余の医師の判定は右改正前の基準によるものであった。
(4) 亡清文の罹患したじん肺の合併症については、まず、安田医師は、当初昭和五一年九月一三日付意見書(<証拠略>)において、じん肺結核兼結核性胸膜炎による喀血をその死亡の有力な原因として挙げていたが、その後、昭和五三年一二月二九日付意見書(<証拠略>)においては、亡清文の入院以来の臨床症状のほか、亡清文が胸部エックス線写真上明らかなじん肺結核有所見者であり、右側下肺野に胸水貯留をも認め、少なくとも呼吸器症状が予後不良を惹起するに足りる大きな原因となったことは否定できないとし、亡清文に対する検査ができなかったため、確たる原因を明らかにすることができないが、強いていえばその直接死因の八割は消化器性病変、二割をじん肺結核と述べてみたいとの意見を明らかにし、亡清文がじん肺結核、結核性胸膜炎にも罹患していたとするものの、その程度について右各意見書間でも微妙な食い違いがみられるところである。
しかし、じん肺患者には一般的に肺結核、結核性胸膜炎が合併して生じやすく、亡清文は結核、右肺の胸膜炎に罹患していたものであるが、その胸膜炎がじん肺に起因するものであるかも疑問が残るうえ、右症状も重症ではなく、軽いといってもよい症状であった。まず、右結核診断の根拠となった江迎病院入院中の六月九日に行われた喀痰の培養検査(その結果は亡清文の死亡後である七月二八日に判定された。)については、陽性の判定がなされたものの、それに関連して本来記載すべきコロニー数が検査報告書に記載されておらず、代わりに比較的軽微な状況を示す「(+)」のみが記載されていた。また、胸部エックス線写真上結核の存在を示す陰影はみられなかった。さらに、右肺には胸水貯留があり、その程度から、亡清文は中等度の胸膜炎に罹患していたものであるが、胸水について必要な検査が行われなかったため、胸水貯留の原因を明らかにできないところ、種本医師は、自分が治療、診断した癌患者らの胸部エックス線写真(<証拠略>)と亡清文の胸部エックス線写真(<証拠略>)が酷似していることから、亡清文も右患者らと同様に癌性胸膜炎に罹患していたものと考えられると指摘している。
また、亡清文は、江迎病院入院当時気道感染に罹患していたが、その程度は、前記の症状の経過、江迎病院における治療の状況に照らすと、重症ではなかった。
さらに、亡清文には、胸部エックス線写真上明らかな肺気腫は認められなかった。
(5) 亡清文は、前記のとおり六月一五日以降再三口から血液を排出しているが、これについて、亡清文のカルテ(<証拠略>)、看護日誌(<証拠略>)、安田医師作成の意見書(<証拠略>)には喀血であった旨の記載があるが、前記のように血痰がみられず、出血量が全体の約三分の二にも及ぶほど多量であり、その出血の部位が上部消化管であると考えられること、同時期に血便が始まり、その後大量の下血が生じたこと、喀血と吐血は場合によっては判定が困難であること、石川医師、種本医師、河野医師は、右カルテ等の記載、症状からみて、喀血ではなく、吐血であったと判断していることに照らすと、右カルテ等の記載は疑わしく、亡清文には吐血があったものである。したがって、亡清文の罹患していたじん肺の合併症が喀血を引き起こすほど進行していたということはできない。
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる的確な証拠はない。
(二) 右認定の胸部エックス線写真像、心肺機能の障害の程度等の諸事実を総合すると、亡清文が罹患していたじん肺は、前記のじん肺に起因すると考えられる合併症を考慮しても、控訴人が主張するように重篤なものであったということはできないのであり、現行じん肺法四条二項の規定するじん肺管理区分中管理三のイ(エックス線写真の像が第二型で、じん肺による著しい肺機能の障害がないと認められるもの)に分類される程度のものか、それ以下の程度のものであったと認めるのが相当である。
これに対し、安田医師は、原審における証人尋問において、亡清文の症状は、じん肺、じん肺に合併した気道感染、結核により症状重篤であった旨を供述し、じん肺研究に実績をもつ千葉大学医学部高次機能制御研究センターの海老原医師は、当審における証人尋問において、また同人の作成にかかる意見書(<証拠略>)において、亡清文は、江迎病院入院以降の発熱、呼吸困難等の症状からみて、結核性胸膜炎を伴ったじん肺として重症であった旨を供述し、意見を開陳するが、これらは、右認定の症状の経過、胸部エックス線写真像、じん肺の診断等に経験をもつ医師らの所見等に照らすと、にわかに採用することはできず、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。
3 次に、亡清文の直接死因である消化管出血の原因について検討するが、右認定のように、右消化管出血については、生前には内視鏡検査等、死後には病理解剖が行われていないため、その正確な出血部位を確定することができず、その原因となった病変がいかなるものであったのかを明らかにすることができないものの、出血量、下血の状況等からみて、胃、十二指腸などの上部消化管からの出血であったものと認めるのが相当であることは前記のとおりであるから、以下亡清文に生じた上部消化管出血の原因について検討する。
(一) 上部消化管出血の原因一般については、前掲各証拠のほか、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 一般に上部消化管からの大量出血を来す疾患は、消化性潰瘍、胃癌、びらん性胃炎のいずれかであることが多いが、そのほか肝硬変に基づく食道静脈瘤破裂、血友病、白血病等の血液疾患などもあり得る。
これらのうち消化性潰瘍により右のような大量出血を来すことが最も多く、全体の約六〇パーセントを占めるといわれている。
(2) 胃癌については、現在、粉じん曝露と胃癌発生との間に有意な相関があると主張する研究者があるものの、そのような相関はないとする疫学的研究も報告され、また、じん肺の治療、研究に従事する医師の間では、じん肺と胃癌との因果関係を否定する見解が一般的である。
(3) また、消化性潰瘍は、何らかの原因によって生ずる局所の組織障害によって発症するが、その原因に関しては諸説が唱えられており、不明な点が多いだけでなく、局所性因子のほかに、自律神経異常、内分泌異常、全身栄養障害、アレルギー、体質異常などの全身性因子も関与していると考えられている。消化性潰瘍の場合には、胃癌と異なり、疼痛を伴うことが非常に多く、生命に対する予後も良いとされている。
消化性潰瘍は、重症の慢性気管支炎や肺気腫の患者に比較的高率に合併することが報告されており、この場合には、自覚症状に乏しく、突然に発症し、上部消化管に多発し、大量出血や穿孔等の重篤な病状を起こしやすいといわれている。この点について、慢性呼吸器疾患の重症度にかかわらず消化性潰瘍が合併するとの研究結果も発表され、同じ見解をもつ研究者らもいるが、消化性潰瘍が合併するのは重症な場合に限るとの見解も医師の間では有力である。右合併の原因については、心肺機能低下による低酸素血症ないし高炭酸ガス血症、肺疾患治療のためのステロイドなどの薬物の作用、全身状態不良によるストレス、煙草などが挙げられているが、定説はない。
(4) びらん性胃炎は、胃びらんともいわれるが、胃潰瘍と明瞭に区別できないところもあり、急性で、消化管出血を来すこともあり、その診断、治療は胃潰瘍に準じて考えればよいとされている。その原因については、出血性のものはアルコールの摂取、解熱、鎮痛、消炎剤の使用、ストレス等によって発症するといわれているが、十分には明らかにされていない。じん肺とびらん性胃炎との因果関係を肯定する研究報告もなく、医師の間でも右の因果関係を肯定する見解は見当らない。以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
(二) 次に、具体的に亡清文に生じた上部消化管出血の原因については、亡清文の症状、各種検査の結果を検討した医師らによると、次のとおりである。
(1) まず、江迎病院の安田医師は、江迎労働基準監督署からの意見書の提出依頼に対し、昭和五一年九月一三日付意見書(<証拠略>)を提出し、その意見の要約として、「以上の症状経過により、じん肺有所見者が気道感染により呼吸困難等の症状を起し(喀血・血痰)、何等かの原因に依り、消化管出血(出血場所不明)或は肺動脉破じょう等の何れかにより死亡したものと考えられる。症状経過重篤のため消化管検査及心肺機能検査不能、じん肺結核兼結核性胸膜炎にて喀血或は上部消化管出血?による呼吸不全、心不全を起し死亡したものと考察する。」との意見を明らかにし、前記の死亡診断書(<証拠略>)においても、直接死因を心不全、その原因を消化管出血及び喀血と診断していた。しかし、右意見書は、前認定の亡清文の症状の経過に照らし、喀血、血痰があったことを前提としているなどの点で重大な疑問が残るものである。
そこで、安田医師は、その後、長崎労働者災害補償保険審査官からの意見書の提出依頼に対しては、昭和五三年一二月二九日付意見書(<証拠略>)を提出し、亡清文が短期入院であり、当時の主治医も現在しない今、参考意見を求められても的確な判断を下し得ないことは残念であると前置きしたうえで、参考意見として「先ず症例は下血を主症状として極めて重篤なる全身状態にあったこと、主症状たる下血を認める疾病と言えば、まず消化性潰瘍を否定することは出来ない。が一般的に消化性潰瘍それ自体は自然治癒力も極めて旺盛なる疾病と考えられ、過去私の扱った症例にては殆ど治癒しているほどである。が然し、日常遭遇する潰瘍は比較的新生のものが多いものの、潰瘍自体の形態、数、局在部位及び病期に依っては勿論予後不良もあり得る。又消化性潰瘍ばかりでなく、悪性新生物もこの際は否定することは不可能に思う。が然し初診時、呼吸困難(起座呼吸)、喀痰、咳嗽等呼吸器症状を認め、心電図上頻脉及チアノーゼ等の臨床所見に加うるに、胸部レ線上明らかなじん肺結核有所見者であり右側下肺野に胸水貯留をも認めた症例にて、少くともこの呼吸器症状が予後不良を惹起するに足る大きな原因となったことは否定できない。消化管検査、他検査不能にて確たる原因は不明なるも、強いて求められるならば、直接死因の八割を消化器性病変、二割をじん肺結核と述べてみたい。」とし、原審における証人尋問においても、右同様の供述をしている。しかし、右意見書は、亡清文の死亡とじん肺との関係を必ずしも肯定するものではなく、亡清文の死亡が消化器性病変によること、その中で癌による可能性もあることを明らかにしているものであるが、じん肺結核に関する意見については、前認定の亡清文の症状の経過、各種検査の結果に照らし、右意見の前提となる亡清文の症状の把握に問題が残るものである(なお、胸部エックス線写真上亡清文には明らかな結核陰影がないことは安田医師自身右証人尋問において認めているところである。)。
(2) また、千葉大学医学部高次機能制御研究センターの海老原医師は、その意見書(<証拠略>)において、死亡とじん肺、結核性胸膜炎との関連性について、慢性気管支炎や肺気腫及びじん肺に罹患している者は、その重症度にかかわらず、出血や腸管狭窄などを起こすような重篤な消火性潰瘍あるいは広範な胃腸管出血を起こしやすいことは既に定説となっており、亡清文はじん肺と結核性胸膜炎を合併しており、自覚的にも他覚的にも重症であったし、じん肺に合併した結核性胸膜炎は入院後もじん肺による咳、呼吸困難、胸水貯留などと併せて発熱が続くほど活動的であり、かなりの身体的かつ精神的負担になったと説明したうえ、亡清文の直接死因となった消化管出血について、「その原因として、じん肺症と活動性の結核性胸膜炎が重視される。この場合の因果関係として、第一に、重症の症状と発熱が長期にわたって持続し、身体的な消耗とともに精神的にも大きな負担となっていた。第二に、こうした基盤にさらに高熱が引金となって大量の出血が生じたとの臨床的経過は、じん肺と結核性胸膜炎の病状増悪がストレスとして消化管出血の重要な要因となったことを強く示唆するものである。第三に、一般的に、慢性の呼吸器疾患では重篤な消化管出血が起こりやすい事が知られており、本症も重症のじん肺と結核性胸膜炎に罹患しており、消化管出血が生じやすい状態であった。」との意見を明らかにし、当審における証人尋問についても、右の見解を繰り返し明らかにしている。
しかし、海老原医師の右意見は、前認定のように亡清文の死因について必要な諸検査が十分になされなかった本件においては、亡清文に生じた上部消化管出血の原因について一つの可能性を示したにとどまるものであると評せざるを得ないのみならず、その前提となる亡清文の症状、結核、胸膜炎の原因、程度等についても前認定の症状の経過等に照らして疑問の余地があるものである。
(3) これに対し、長崎市立長崎病院の石川医師は、長崎労働基準局からの意見書の提出依頼に対し、昭和五二年八月一一日付意見書(<証拠略>)を提出し、亡清文の直接死因となった消化管出血の原因について、「以下の三つの場合が考えられる。<1>以前より胃、十二指腸部附近に何らかの病変があって、今回じん肺結核とは特に関係なく、たまたま出血を起こした。<2>以前より胃、十二指腸附近に何らかの病変があって今回じん肺結核による全身状態の悪化によって出血が誘発された。<3>以前より消化管には何等の変化なく、今回じん肺結核によって、かなりのストレスを受け、それにより謂ゆるストレス潰瘍を生じ出血した。……しかし当時の診療データからは<1><2><3>いずれとも決め難い。」との意見を明らかにし、原審における証人尋問においては、亡清文のじん肺の程度がさして重症ではなかったことなどから、右のうち<1>の可能性が一番高いと考えられる旨の証言をしている。
石川医師の右見解は、右の安田医師、海老原医師の各見解と同様、亡清文の病理解剖等が行われていないため、死因となった上部消化管出血の原因を明らかにすることができない状況の下において、亡清文の症状の経過、胸部エックス線写真等の検査の結果を踏まえながら、右のように推定しているものであって、右推定は、前認定の症状等に照らし、不合理ではなく、亡清文の上部消化管出血の原因について一つの可能性を明らかにしたものであるということができる。
(4) また、長崎原爆病院の河野医師は、右同様に昭和五二年二月一日付意見書(<証拠略>)を提出し、亡清文の「直接の死因となった出血は、カルテの記載事項から判断すると、喀血ではなく、消化管からの出血による吐血であると考えられる。本症例は入院前約一〇か月前の集検で、胸部異常陰影を指摘され、精密検査をうけるよう再三すすめられているにも拘らず、放置して居り、早期に症態が把握され、適切な治療をうけて居れば別な経過を辿ったであろうと考えられる。以上の事柄から業務上外の決定は難しいが、死因からすれば、業務外と言えよう。」との意見を示している。
(5) さらに、神戸労災病院の種本医師は、その意見書(<証拠略>)において、亡清文の直接死因が大量の消化管出血であることは明らかであるが、その原因は、剖検が施行されていないため推測の域を出ないものの、<1>胃癌、<2>胃潰瘍又は胃びらん、<3>肝硬変に基づく食道静脈瘤の破裂、<4>白血病などの血液疾患による出血傾向、<5>播種性血管内凝固症候詳の五つが考えられるところ、亡清文の血液検査の結果から<3>、<4>、<5>の可能性は否定できるとし、<1>、<2>については、亡清文の年令が六三歳であったこと、生前何らの胃腸症状を訴えていなかったことから、<2>より<1>の可能性が高いとの見解を明らかにし、当審における証人尋問においては、亡清文が高令であって、癌年令に入ること、生前何らの胃の症状を訴えておらず、突然に出血が起こっていることのほか、自分が診断、治療した癌性リンパ管症の患者らの胸部エックス線写真と亡清文の胸部エックス線写真が酷似していることなどの点から、<2>の可能性も否定できないものの、<1>の可能性が一番高い旨を証言している。
種本医師の右見解も、石川医師の前記見解と同様、亡清文の上部消化管出血の原因について一つの合理的な推定を明らかにしたものであるということができる。
4 ところで、控訴人が前記労災保険給付を受けることができるためには、労災法一二条の八第二項、労働基準法七九条、八〇条、七五条二項等の解釈上、亡清文の従事した業務、同人の罹患したじん肺、同人の死亡の間に順次相当因果関係が存在することが必要であり(これが実務上業務起因性と呼ばれることもある。)、控訴人において、右の各相当因果関係を立証しなければならないと解するのが相当である。右の点について、控訴人は、労働者災害補償保険制度の趣旨に照らし、相当因果関係の存在は不要であり、合理的関連性が存在すれば足りる旨を主張するが、独自の見解であって、採用することができない。
右の各相当因果関係のうち、亡清文が従事した業務によりじん肺に罹患したことは前認定のとおりであるから、同人の罹患したじん肺と死亡との間の相当因果関係の存否が問題となるところ、右の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的な証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、罹患したじん肺と死亡の結果を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを要し、かつ、それで足りるものと解すべきであって、右因果関係を病理的に解明することまでを求めるものではない。したがって、控訴人に右の点について立証責任を負担させることは悪魔の証明、不可能な立証を強いるものである旨の控訴人の主張もまた、独自の見解であって、採用の限りではない。
右立証の程度については、控訴人は、労働者災害補償保険制度の目的に照らし、その程度を軽減すべきである旨を主張するが、右のよう解すべき根拠はなく、右主張も採用することができない。また、本件でも明らかなように、じん肺患者が高令となり、余病を併発し、死亡したような場合、その死亡とじん肺との間の相当因果関係の立証が困難となる例も少なくないと考えられるが、このことから右の立証の程度を軽減すべきであると解することもできない。もっとも、例えば、訴訟当事者の一方が相手方に対し甚大な損害を被らせ、その原因が訴訟上争われたような場合であって、訴訟当事者の一方が右原因に関する有力な証拠の大半を自分の支配内におきながら、訴訟上要請される信義則に反して相手方の右原因に関する立証に協力しないといった特段の事情があるような場合であれば、信義誠実の原則、公平の要請の見地から右原因の立証の範囲、程度を必要に応じて軽減することも許されないわけではないと解されるが、本件においては、そのような特段の事情を窺うことができないばかりか、当事者が亡清文の死亡の原因について直接の明確な証拠を提出することができないのは、前認定のとおり亡清文が昭和五〇年夏ころ以降じん肺検査を受ける機会があったにもかかわらず、これを受けなかったこと、亡清文の死亡後病理解剖がなされなかったことなどの事情によるものであるから、右のような立証を軽減すべき場合に当たらないことは明らかである。
さらに、控訴人は、じん肺という慢性呼吸器疾患と消化器出血との一般的関連性が医学的に定説化していることに鑑み、訴訟上、特段の反証がない限り、じん肺と消化管出血との間に相当因果関係の存在を肯認すべきである旨を主張するが、これも、そのように解すべき根拠がないばかりか、前認定説示のように右の一般的関連性が医学的に定説化しているとはいえないものであるから、その前提を欠くものであって、到底採用することができない。
5 右の見地から本件についてみると、前認定説示のとおり、亡清文の上部消化管からの突発的な大量出血の原因となった疾患として考えられ得るのは、胃癌、消化性潰瘍、びらん性胃炎であるが、このうち胃癌、びらん性胃炎については、一般的にもじん肺との因果関係を認めることができないものであり、消化性潰瘍については、一般的には重篤な慢性肺疾患に高率に合併するということができるものの、合併症を含めた亡清文のじん肺の症状の程度はせいぜい中等度のものであったから、右の一般論が亡清文の場合に妥当するとはいい難いのみならず、ほかに右の一般論を亡清文の場合に適用すべき的確な証拠を欠くものであって、亡清文の罹患したじん肺との因果関係を認めるには足りないものというほかはない。したがって、亡清文は、じん肺には罹患していたものの、じん肺との相当因果関係を認めるに足りない胃癌、消化性潰瘍又はびらん性胃炎のいずれかにより大量の上部消化管出血を来し、死亡するに至ったものであるとみるのが合理的である。
ところで、控訴人は、亡清文がじん肺及びじん肺に起因する結核性胸膜炎により消化性潰瘍あるいはびらん性胃炎が引き起こされ、消化管出血に至った旨を主張し、前記のように海老原医師は右主張を裏付ける所見を明らかにしており、右所見も、亡清文の死因となった上部消化管出血の原因に関する一応合理的な説明であるということはできるが、右所見の前提となる亡清文の症状の把握等について疑問の余地があるうえ、亡清文の死因について必要な諸検査がなされなかった本件においては、右上部消化管出血の原因の一つの可能性を示したにとどまるものというべきであることは前記のとおりである。のみならず、亡清文の上部消化管出血は、種本医師、石川医師、安田医師の前記各所見で明らかにされたように、じん肺と因果関係の認められない胃癌等の他の疾患に起因する出血であった可能性が相当にあるといわざるを得ないから、海老原医師の右所見によって亡清文のじん肺及びじん肺に起因する合併症に基づき上部消化管出血が生じたとの相当因果関係を認めることはできないのであって、結局、控訴人の右主張を認めるに足りる証拠はないというほかはない。
また、控訴人は、亡清文がじん肺に起因する高炭酸ガス症、ストレス状態、薬物の投与等により消化性潰瘍あるいはびらん性胃炎が引き起こされ、消化管出血に至った旨を主張し、原審証人安田医師、当審証人海老原医師の各証言中には右主張に沿うかのような部分がないではなく、前認定の亡清文の症状の経過、治療の内容等に照らすと、右のストレス等の要因が亡清文に消化性潰瘍ないしびらん性胃炎を発症させ、あるいは促進したという可能性を全く否定し去ることはできないものの、本件においては、右の可能性をさらに積極的に認めるに足りる証拠がないばかりでなく、右の可能性に大いに疑問を呈する原審証人石川医師、当審証人種本医師の各証言もあり、また前記のとおり右消化管出血は胃癌等の疾患による可能性が相当にあるから、右の要因が単独に、あるいは他の原因と競合して亡清文の消化管出血の原因となったものと認めることはできないのであって、結局、控訴人の右主張も、これを認めるに足りる証拠がなく、採用の限りではない。
さらに、控訴人は、亡清文がじん肺に起因する原発性肺癌により胸膜炎に罹患し、消化性潰瘍あるいはびらん性胃炎が引き起こされた旨を主張し、当審証人海老原医師の証言中には右主張に沿うかのような部分がないではなく、前認定のように右胸膜炎の原因について必要な検査がなされなかった本件においては、右の可能性も全く否定し去ることはできないものの、さらに積極的に控訴人の右主張を認めるに足りる的確な証拠はない。
ほかに、亡清文の消化管出血による死亡がじん肺ないしその合併症によって生じたとの相当因果関係の存在を認めるに足りる証拠はない。
四 次に、控訴人は、亡清文に重篤なじん肺ないしこれに併発した呼吸器感染症による心肺機能の低下及び全身状態の悪化がなければ、その死因となった消化管出血に対する内科的、外科的対処療法により救命し得た蓋然性が高いという意味において、同人の死亡とじん肺及びこれに併発した呼吸器感染症との間には因果関係が肯定されるべきである旨を主張する。
前掲関係各証拠によれば、消化管出血の多くは輸血や止血剤の使用などの内科的処置により出血を止めることができるが、これにより出血を止めることができない場合には、患者の全身状態などからみて手術が不適切でなければ、内視鏡検査により出血部位などを確認したうえ、速やかに外科的手術を実施し、止血の処置を講ずるべきであることが認められる。
しかし、これを本件についてみると、前認定のとおり、亡清文の症状は、六月一四日以前に消化管出血が始まり、同月一五日血圧が危機的に低下するまでは、比較的安定しており、じん肺及びその合併症も重篤ではなかったものであるが、江迎病院において消化管出血の診断に達したのはやっと同月一八日のことであり、その間に既に亡清文は全身の血液の約三分の二を失うに至っており、その後死亡に至るまで僅か二日しかなく、右診断の時点以降亡清文の衰弱が急激に進行し、消化管出血のため全身状態が重篤化していたものであるから、右のような本件の事情の下においては、右診断の時点で既に内科的処置によって出血を止めることができなかったばかりか、大量の消化管出血による全身状態の重篤化のために、もはや内視鏡検査や手術自体が不可能であるか、手術を実施しても救命できない事態に至っていたものと認めるのが相当である。右認定に反する原審証人安田医師、当審証人海老原医師の各証言部分はにわかに採用することができない。
このように、亡清文の消化管出血に対する内科的処置が効を奏さず、外科的処置も施すことができなかったのは、亡清文がじん肺及びこれに伴う合併症によって重篤な状態にあったからではなく、消化管出血が急激かつ大量に生じ、しかも右消化管出血の発見と判断が著しく遅れ、そのために速やかに適切な処置を講ずることができなかったことによるものであるから、控訴人の右主張は到底採用することができない。
五 以上のとおりであって、消化管出血による亡清文の死亡は、前記労働基準法施行規則三五条七号所定の粉じん作業によって罹患したじん肺ないしはその合併症に基づいて生じたものということはできないし、また、同条三八号に規定する「その他業務に起因することの明らかな疾病」にも該当しないから、亡清文の死亡は業務に起因するものではないとして控訴人の申請にかかる前記労災保険給付を支給しない旨の被控訴人の本件処分は適法であり、ほかにこれを取消すべき違法の点は認められない。
したがって、本件処分の取消を求める控訴人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当として棄却すべきものである。
六 よって、原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松田延雄 裁判官 湯地紘一郎 裁判官 升田純)