福岡高等裁判所宮崎支部 平成16年(ラ)57号 決定 2005年3月15日
抗告人(原審相手方) A
相手方(原審申立人) B
主文
1 原審判を取り消す。
2 相手方の本件婚姻費用分担請求申立てを却下する。
3 手続費用は原審及び当審とも相手方の負担とする。
理由
第1申立ての趣旨及び理由
本件抗告の趣旨は主文と同旨であり、その理由は、別紙に記載のとおりである。
第2事案の概要
1 申立て、争点及び各審級における判断の各概要
本件(平成16年2月25日調停申立て、同年5月7日審判移行)は、抗告人(原審相手方。夫58歳)と相手方(原審申立人。妻54歳。以下、両者を「本件夫婦」という。)は、既に成人した子3人をもうけ、婚姻(以下「本件婚姻」という。)の届出から24年を経て別居した夫婦であるところ、現に無職無収入であるという相手方から会社員の抗告人に対し、相手方が無収入となった平成16年4月以降、1か月6万円の婚姻費用の分担支払いを求めた(ただし、調停申立書では1か月10万円の請求であった。)ところ、抗告人が、相手方は、他男と不貞に及んで抗告人と別居したものであり、別居につき有責配偶者であるから、抗告人には婚姻費用分担義務はない旨主張して、本件申立てを争うものである。したがって、本件の争点は、(1)別居につき相手方の有責性(不貞)の有無、(2)相手方(有責配偶者)の婚姻費用分担請求権の成否、(3)具体的分担義務(分担方法及び金額等)いかんであり、なお、本件夫婦間では、相手方から抗告人に対する離婚請求訴訟において、原審判後、離婚を認容する1審判決がされ、抗告人がこれに対して控訴中である。
これに対し、原審判(平成16年7月14日審判)は、争点(1)については、相手方の不貞の事実を否定し、同(2)、(3)については、平成16年4月以降、本件夫婦の離婚又は別居解消に至るまで毎月末日限り5万円の支払いを命じたため、抗告人が本件抗告に及んだものである。
本決定は、争点(1)については、相手方の他男との不貞の事実を認め、同(2)については、これが原因で本件婚姻関係は破綻したものであって相手方は有責配偶者であり、しかも、その相手方は訴訟を提起して抗告人に離婚を求めているのであるから、かかる相手方から抗告人に対して婚姻費用の分担を求めることは、信義則に反して許されないものと判断し、原審判を取り消した上、相手方の本件原事件申立てを理由がないものとして却下するものである。
2 基本的事実
(以下の事実関係は、記録(本件抗告事件記録)により認めることができる事実である。)
(1) 抗告人(夫。昭和22年○月○○日生)と相手方(妻。昭和25年○月○○日生)は、昭和53年4月6日、本件婚姻の届出をした夫婦であり、その間には、既に成人した長女C(昭和53年○月○○日生。神奈川県××市所在の会社勤務、単身生活)、長男D(昭和54年○月○○日生。△△市所在の仏教寺院で住職見習い、同前)及び二女E(昭和57年○月○○日生。□□大学在学中の大学生、同前)の3人の子がある。
(2) 本件夫婦は、本件婚姻の届出に先立つ昭和52年2月11日、挙式と同時に同居を開始し、昭和58年9月までに抗告人名義で同人肩書住所に土地建物(以下、同所を「自宅」という。)を取得新築し、爾来、同所で子供らともども家庭生活を営んでいたが、平成13年9月、相手方は、再度、単身自宅を出て○×町所在の同人の実家(両親が居る。)に単身戻って抗告人と別居(以下「本件別居」という。)し、さらに、同年11月、肩書住所の借家に単身転居し、本件別居状態は、現在まで継続されている(ただし、平成15年1月ころまでは、時には自宅に戻ることもあった。)。
(3) 本件別居中、抗告人は、相手方に対し、平成14年3月、夫婦関係調整調停事件(宮崎家庭裁判所同年(家イ)第○○○○号)の申立てをしたが、同事件は、同年9月10日、不成立により終了した。また、相手方は、抗告人に対し、平成15年5月、不動産仮差押命令(被保全権利は、清算的・扶養的財産分与請求権923万5000円、慰謝料請求権500万円)及び面会禁止等仮処分命令(宮崎地方裁判所同年(ヨ)第○○号)の各申立てをし、同6月16日、その旨の保全決定を得た。また、相手方は、抗告人に対し、同年7月22日、離婚等請求事件(同裁判所同年(タ)第○○号)を提起し、民法770条1項5号に基づく離婚、財産分与(清算的、扶養的財産分与)及び離婚慰謝料500万円の支払いを求め、また、抗告人は、相手方に対し、同年12月11日、予備的反訴請求事件(同裁判所同年(タ)第○○号)を提起し、離婚慰謝料(不貞)500万円の支払いを求めた(以下、これらの訴訟を「別件訴訟」という。)。
(4) 本件は、平成16年2月25日、宮崎家庭裁判所同年(家イ)第○○○○号調停事件として申立てがされ、同年5月7日、不成立により審判に移行した。
(5) 抗告人は、会社員であるが、相手方は、昭和59年ころから平成14年ころまでピアノ教師(自宅で指導)、昭和63年ころから平成11年3月まで水泳コーチをし、同年4月からは□△□△生命の保険外交員として稼働し、平成16年3月30日、同社を自己都合退職し、爾後、収入を得ていない。
(6) Fは、本件夫婦の上記子供の通っていた高校の教諭(平成15年3月をもって定年退職)である。
相手方、抗告人、F及びその妻G4者間において、△△△△を立会人として、弁護士の指導を受けた上で、平成14年2月22日付けの「合意書」(以下「第1合意書」という。)が作成された。第1合意書では、<1>相手方とFは、本日をもって互いに一切の交際を断ち、今後一切面会、電話等で交信しないこと(1条)、<2>Fは、抗告人に「本件の解決金」として、本日、30万円を支払い、抗告人はこれを受領したこと、抗告人は、Fに対し、今後一切の金銭その他の請求をせず、面会、電話等で交信しないこと(2条)、<3>Gは、相手方に名目のいかんを問わず、金銭その他一切の請求をしないこと(3条)、<4>上記4者は、互いに「本件」に関し、他に債権債務のないことを確認すること(4条)が合意されている。
(7) 平成14年12月22日、相手方は、Fと2人だけで自動車に乗り、人目を避けて駐車しているところを、抗告人の依頼を受けた興信所の調査員にその場面を撮影された。
(8) 抗告人代理人の□□□□弁護士からFあての平成15年2月付けの「ご通知書」と題する文書には、Fが配偶者(抗告人)のある女性(相手方)と野合関係をもったことについての慰謝料の支払いについて話し合いたく連絡をもらいたい旨、もし連絡がない場合には、法的手続をとる旨記載されている。また、□□□□弁護士からF代理人の○○△△弁護士あての平成15年3月10日付け「御連絡書」と題する文書には、抗告人は、Fが相手方と今後一切面接交渉をしないこと及び違反の場合の違約罰を文書で約束するならば、納得するのではないかと思われるので、解決方法を考慮されたい旨記載されている。
(9) □□□□弁護士と○○△△弁護士との間で平成15年4月4日付け「合意書」(以下「第2合意書」という。)が取り交わされた。第2合意書では、<1>Fは、抗告人に対し、今後、相手方との間でいかなる手段によっても面接その他一切の交渉を行わないことを約束すること(1条)、<2>上記違反のときは、違約金300万円を支払うこと(2条)、<3>Fは、これまでの言動により抗告人に迷惑をかけた解決金として70万円を平成15年4月10日限り支払うこと(3条)、<4>抗告人とFは、相互にその親族を含め、面会したり電話等で交信しないこと(後略)(4条)、<5>抗告人は、自己又は第三者をしてFの職場を訪問し、文書、電話等で申立てや報告等をしないこと、その違反のときは、違約金100万円を支払うこと(5条)、<6>抗告人とFは、「本件」に関し、本合意書に定めるほか、相互に債権債務のないことを確認すること(6条)が合意されている。
(10) 相手方は、平成14年8月30日以降、○×町所在の○□○□病院、△×△×病院を受診し、「適応障害(遷延性抑うつ反応)」との診断を受け、その後、薬物療法、精神療法、睡眠薬を処方されて服用し、心理テストを受けている。
(11) 別件訴訟は、反訴については、平成16年12月8日の同事件の第4回口頭弁論期日において、相手方(本訴原告・反訴被告)の同意を得て訴え(反訴)の取下げがされ、本訴については、平成17年2月15日、1審判決の言渡しがされた。同判決は、相手方とFの不貞の事実を認定した上、本件婚姻関係はこれにより破綻したものであり、相手方はこれについて有責であるが、いわゆる苛酷条項の適用はないものと判断して相手方の離婚請求を認容し、相手方の慰謝料請求を棄却し、抗告人に対し、財産分与として、621万2035円の支払を命じたものであり、抗告人がこれを不服として控訴の申立てをしている。
第3当裁判所の判断
1 争点(1)(相手方の不貞)
本件抗告事件記録により認められる基本的事実によれば、相手方がFと不貞に及んでこれを維持継続したことを有に推認することができる。
2 争点(2)(相手方の婚姻費用分担請求権の存否)
上記によれば、相手方は、Fと不貞に及び、これを維持継続したことにより本件婚姻関係が破綻したものというべきであり、これにつき相手方は、有責配偶者であり、その相手方が婚姻関係が破綻したものとして抗告人に対して離婚訴訟を提起して離婚を求めるということは、一組の男女の永続的な精神的、経済的及び性的な紐帯である婚姻共同生活体が崩壊し、最早、夫婦間の具体的同居協力扶助の義務が喪失したことを自認することに他ならないのであるから、このような相手方から抗告人に対して、婚姻費用の分担を求めることは信義則に照らして許されないものと解するのが相当である。
3 小括
よって、その余の点について判断するまでもなく、相手方の本件婚姻費用分担申立ては理由がない。
第4結論
よって、当裁判所の上記判断と異なる原審判は失当であるからこれを取り消した上、相手方の本件婚姻費用分担申立てを却下することとして、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 櫻井登美雄 裁判官 黒津英明 浅井憲)
別紙<省略>
〔参考〕 許可抗告審(最高裁第一小法廷 平17(許)10号 平17.6.9決定 棄却)
許可抗告の理由
第1高等裁判所の判例違反
1 原決定は、申立人が不貞行為を行い、これを継続維持したことが婚姻関係破綻の原因であって、それについて有責配偶者である申立人が離婚訴訟を提起するということは、夫婦間の具体的同居協力扶助義務が喪失したことを自認するにほかならないとして、その婚姻費用分担請求が信義則違反であって許されないとするものである。(原決定の理由を見る限り、それ以外の事情は一切考慮されていない。)
2 しかしながら、判例は、最低限度の生活維持の限度で有責配偶者の婚姻費用分担請求を認めるのが通例であり、原決定のように分担程度の如何を問わずこれを排斥するのは異例である。(本論点について最高裁判所の判例は見あたらない)。
例えば、昭和50年6月30日札幌高裁決定(昭50(ラ)16号判時809号59頁、判タ328号282頁)は、「夫婦が別居して婚姻生活共同体の回復の可能性が存在しない程に婚姻関係が破綻している場合において、右破綻につき専ら若しくは主として責を負う夫婦の一方は、その相手方に対し相手方と同一程度の生活を維持することを内容とする婚姻費用の分担を請求することは権利の濫用として許されないが、少なくとも自己の最低生活を維持する程度の婚姻費用の分担は請求することができる。」としている。また、東京高裁決定(昭和50年7月9日判タ332号272頁)も同趣旨である。(なお、高等裁判所の決定例ではないものの、ほかに同趣旨を含む審判例として昭和43年6月4日東京家裁審判(事件番号昭42(家)3843号・昭42(家)3844号夫婦同居及び婚姻費用分担審判申立事件 家月21巻1号105頁、判タ239号302頁)がある。)
さらに、昭和43年6月14日福岡高裁決定(事件番号昭43(ラ)25号婚姻費用分担請求事件 家月21巻5号56頁)は、「婚姻費用の分担を定めるに当たり、家庭裁判所が、当事者の離婚原因、その有責配偶者が何れであるかは必ずしも確定する必要はない」としており、昭和57年12月27日東京高裁決定(判時1071号70頁)も「破綻事態に至ったことについていずれの配偶者に責任があるかの点は離婚に伴う慰謝料および財産分与の額を定めるにつき斟酌すれば足りる」としている。
原決定は上記各高等裁判所の判例に違反している。
第2法令解釈に関する重要な事項
1 そもそも、申立人は不貞行為を行っておらず、原決定には前提たる事実認定において既に誤りがある。しかし、その点はさておき、原決定の内容は不貞行為のあった配偶者が離婚請求をした場合は、夫婦間の経済力の差や別居に至った契機、現実の生活実情等諸事情の如何を問わず婚姻費用分担請求を一切認めないとするものであり、民法760条の解釈上重要な問題を含む。
2 すなわち、仮に不貞行為があった者が離婚請求を行ったとしても、自己の最低限度の生活を営む権利を放棄するものでないことは言うまでもない。婚姻中、この最低限度の生活を営むについての第1順位の扶助義務者は夫である。従って、婚姻中である限り、少なくとも最低限度の生活を営むための婚姻費用分担請求権を失うとすべき法的根拠はない。(もっとも、不貞行為の相手と同居しその扶助を受けているなどの例外的場合は、事実上扶養の必要性がなく、結果的に夫の扶養義務がないということはあろう。)
3 まして、別居に至る事情が直接不貞行為を理由とするものではなく、配偶者の暴力や暴言などによって、同居が不可能な状態に追い込まれたような場合まで婚姻費用分担義務を認めないのは明らかに不合理である。配偶者が一方では相手の不貞行為を糾弾しつつ、他方では離婚を拒絶しているような場合はなおさらである。不貞行為を行った者が離婚請求を行うと言っても事情は千差万別であり、このことのみから自己の最低限度の生活維持のため扶助を受ける権利まで喪失するというのは論理の飛躍があり行き過ぎである。不貞行為については婚姻費用の問題ではなく、別途慰謝料の問題が発生し、これによる解決が図られれば十分である(前掲判例のとおり)。
4 加えて、双方の経済力の差が歴然としており、婚姻費用分担請求者である配偶者が疾病その他で十分稼働できない場合にまで婚姻費用分担請求ができないとすれば、生活の困窮は火を見るより明らかである。さりとて、現在の生活保護制度のもとで婚姻中の配偶者が速やかに生活保護を受けることも困難である(まずは扶養義務者である配偶者からの扶養が問題とされる)。
5 結局、原決定の論法では、不貞行為と離婚請求という2点によって、その事情の如何を問わず生活権すら奪われることにつながり、極めて酷な結果となる。
6 ところで、現実的には、離婚成立までに経済的困窮に陥るのは圧倒的に妻の方である。これは、不貞行為の有無、夫婦いずれからの離婚請求であっても基本的に変わりがない。そのため、仮に不貞行為があり離婚請求している場合であっても、やむなく婚姻費用分担請求を行わざるを得ないのもまた妻の方である。通常生活に困窮しなければそのような請求を行うことはない。
現実を直視すれば、このような状態におかれた妻からの婚姻費用分担請求を有責配偶者から離婚請求がなされていることを理由に「分担の程度を問わず」一切排斥する原決定は二重に不合理である。
以上