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福岡高等裁判所宮崎支部 平成22年(ネ)134号 判決 2010年10月29日

控訴人兼附帯被控訴人

Y(以下「控訴人」という。)

同訴訟代理人弁護士

川添正浩

金丸由宇

谷田寿人

加藤真大

被控訴人兼附帯控訴人

X(以下「被控訴人」という。)

同訴訟代理人弁護士

小城和男

主文

一  控訴人の本件控訴に基づき、原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

二  上記の部分につき、被控訴人の請求を棄却する。

三  被控訴人の附帯控訴を棄却する。

四  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人

(1)  控訴人の本件控訴を棄却する。

(2)  被控訴人の附帯控訴に基づき、原判決主文一、二項を次のとおり変更する。

控訴人は、被控訴人に対し、五〇〇万円及びこれに対する平成二〇年九月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(3)  訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

(4)  (2)項につき仮執行宣言

第二事案の概要

以下、略称については、原判決のそれに従う。

一  請求、争点及び各審級における判断の各概要

司法書士である控訴人は、被控訴人がA及びBに対し五〇〇万円を貸し付けるに際し、被控訴人の依頼を受け、Bの夫であるCが所有する本件不動産につき、登記権利者を被控訴人、登記義務者をCとする抵当権設定登記(本件抵当権設定登記)の申請手続を行ったが、その際、控訴人がCであるとして面談した人物は、A及びBがCの身代わりとして立てたDであった。

本件(平成二一年九月一〇日訴え提起)は、被控訴人が、上記登記申請手続に際し、控訴人の登記義務者についての本人確認行為に重大な落ち度があったため、被控訴人がAらに五〇〇万円を詐取されたと主張して、控訴人に対し、登記委任契約の債務不履行又は不法行為に基づき、五〇〇万円及びこれに対する本件抵当権設定登記がされた日である平成二〇年九月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

本件の争点は、(1)本件抵当権設定登記の申請手続につき、控訴人に過失があるか、(2)過失相殺の当否、(3)被控訴人の損害、の三点である。

原判決(平成二二年五月二六日言渡し)は、争点(1)について、控訴人はDに対する口頭での住所確認を怠ったために、結果として、DがCの身代わりであることを見抜けなかったものであり、控訴人の行った本人確認には過失がある旨の、争点(2)については、本件において有効な抵当権設定登記が行われなかったことについては、被控訴人にも過失があり、被控訴人の過失割合を七割と認めるのが相当である旨の、争点(3)について、被控訴人の損害額はA及びBに交付した五〇〇万円から謝礼として支払われた六〇万円を控除した四四〇万円であり、また、弁護士費用は一五万円が相当であるとして、被控訴人の請求を、上記四四〇万円からその七割を減額し、弁護士費用一五万円を加えた一四七万円及びこれに対する上記同旨の遅延損害金の支払を求める限度で認容し、その余を棄却した。

これに対し、控訴人と被控訴人の双方が、それぞれ敗訴部分について本件控訴及び附帯控訴に及んだものであるが、本判決は、争点(1)について、原判決とは異なり、本件抵当権設定登記の申請手続につき控訴人に過失があるとはいえない旨の判断をし、原判決中控訴人敗訴部分を取り消し、上記の部分につき被控訴人の請求を棄却するとともに、被控訴人の附帯控訴を棄却するものである。

二  前提となる事実及び争点

この点は、原判決二頁六行目から五頁一七行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。

第三当裁判所の判断

一  事実関係について

前記前提となる事実に加え、《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができ、これを覆すに足りる的確な証拠はない。

(1)  Aは、平成二〇年九月一七日頃、控訴人事務所に架電し、控訴人の事務補助者に対し、本件不動産の所有者であるCの甥と称して、Cが金銭を借り入れるに際し、本件不動産につき抵当権設定登記の申請手続を依頼したい旨申し述べた。

Aは、同月一九日頃、再度控訴人事務所に架電し、控訴人の事務補助者に対し、Cを事務所に同行する旨告げ、控訴人の事務補助者から、必要書類について説明を受けた。

(2)  Aは、平成二〇年九月二二日午前一一時三〇分頃、D及びCの妻であるBを伴い、控訴人事務所を訪れた。

控訴人は、A、D及びBのいずれとも面識がなく、AらからDをCであるとして紹介を受けた。控訴人は、Cが高齢で病気がちであることから、妻であるBと甥であるAが付き添ってきたものと理解した。

控訴人は、本人確認のためCの印鑑登録証明書(平成二〇年九月一九日発行)(乙一)及び後期高齢者医療被保険者証(乙二)(いずれも真正なもの)の提示を受けた。Cは運転免許証は所持していないとのことであった。また、BがCの実印及び本件不動産の登記済証(いずれも真正なもの)を持参していた。

Dは、控訴人の問いかけに対し、Cの氏名や生年月日を誤りなく答えた。控訴人は、D(当時八四歳)の所作や言葉使いは、Cの年齢(当時八三歳)相応であると思い、特段違和感は覚えなかった。

控訴人は、登記申請に必要な金銭消費貸借抵当権設定契約証書を作成するため、Aらから契約内容を聴取した。控訴人の問いかけに対しては、主にAが回答したが、Dは、借入金額を尋ねられ、五〇〇万円である旨淀みなく答え、AやBの回答についても特に異を唱えることはなかった。

Dは、金銭消費貸借抵当権設定契約証書(甲七)の債務者欄及び登記委任状(乙五)の登記義務者欄に、それぞれCの氏名を記載したが、手が震えて筆記に時間がかかったため、上記各欄のCの住所については、Bが記載した。

Aらは、Cに対する貸付金を、Cの不在時にBが代理受領するかもしれないとして、そのための委任状の書式の作成を控訴人に依頼し、控訴人は、上記書式を作成してAらに交付した。

(3)  平成二〇年九月二四日午前一一時頃、控訴人事務所にA、B、被控訴人及びEが集まった。被控訴人は、金銭消費貸借抵当権設定契約証書(甲七)の債権者欄及び登記委任状(乙五)の登記権利者欄にそれぞれ署名押印し、控訴人に対し、本件抵当権設定登記の申請手続をすることを委任した。控訴人は、被控訴人に対し、貸付金の交付が済んでから本件抵当権設定登記の申請をする旨告げた。

同日午後一時三〇分頃、Eは、控訴人事務所に架電し、被控訴人がBに対し、貸付金五〇〇万円を交付した旨告げるとともに、上記(2)の書式を使用して作成された、CがBに対し、貸付金五〇〇万円の授受に関する一切の件を委任する旨の委任状(乙六)を、ファクシミリで控訴人事務所に送信した。

これを受けて、控訴人は、同日中に本件抵当権設定登記の申請手続を行い、同手続は完了し、本件抵当権設定登記がされた。

二  控訴人の責任(争点(1))について

(1)  一般に、司法書士が登記申請を依頼される場合、司法書士は、依頼者の権利が速やかに実現されるように登記に必要な書類の徴求を指示し、依頼者が用意した書類相互の整合性を点検して、その所期の目的に適った登記の実現に向けて手続的な誤謬が存しないかどうかを調査確認する義務を負うものである。しかし、当事者の本人性や登記意思の存否については、原則として、適宜の方法で確認すれば足り、特に依頼者からその旨の確認を委託された場合や、後述する専門家としての立場から要請される場合を除き、司法書士は、それ以上これらの点に関する調査確認義務を負わないと解すべきである。依頼者が司法書士に対して登記申請を依頼する本旨は、その所期する登記の速やかな実現であり、そもそも物権変動に係る法律関係の当事者でない司法書士においては、特段の事情のない限り、当事者の本人性や登記意思の存否に関する事情を知り得る立場にはないし、当事者の取引や内部事情に介入することはその職分を超えたものであって、当事者の本人性や登記意思の存否は、本来的に取引の相手方である依頼者において調査確認すべきものといえるからである。

(2)  一方で、司法書士法は、司法書士の制度を定め、その業務の適正を図ることにより、登記等に関する手続の適正かつ円滑な実施に資し、もって国民の権利の保護に寄与することを目的として制定され(同法一条)、司法書士は、常に品位を保持し、業務に関する法令及び実務に精通して、公正かつ誠実にその業務を行わなければならず(同法二条)、他人の依頼を受けて登記又は供託に関する手続について代理するなどの事務を業として行うことが認められ(同法三条)、しかも、法定の資格を有する者のみが司法書士となり得るのである(同法四条)。これらの規定の趣旨に照らすと、司法書士は、国民の登記制度に対する信頼と不動産取引の安全に寄与すべき公益的な責務があるものと考えられ、具体的な登記申請の受任に当たっても、依頼者としては司法書士の高度な専門的知識や職業倫理に期待を寄せているといって過言ではないし、司法書士としても、具体的な事案に即して依頼者のそのような期待に応えるべきであって、専門的知見を駆使することによって依頼に関わる紛争を未然に防ぐことも、登記の速やかな実現の要請とも相俟って、依頼者との委任契約上の善管注意義務の内容となり、若しくはこれに付随した義務の内容となり得るというべきである。

このような観点から当事者の本人性や登記意思の存否に関する調査確認義務の有無を改めて考察すると、前記のとおり、特に依頼者からその旨の確認を委託された場合のほか、依頼の経緯や業務を遂行する過程で知り得た情報と司法書士が有すべき専門的知見に照らして、当事者の本人性や登記意思を疑うべき相当の理由が存する場合は、これらの点についての調査確認を行うべき義務があるというべきである。そして、司法書士がこのような義務に違反したと評価されるときは、司法書士は、依頼者に対し、委任契約上の善良な管理者としての注意義務を怠ったとして債務不履行責任を負うこととなり、また、不法行為責任を負うものと解する余地も出てくるのである。

(3)  これを本件についてみると、前記一の認定事実によれば、控訴人は、本件抵当権設定登記の申請手続に際し、Cと称するDと面談し、本人確認のためCの印鑑登録証明書や後期高齢者医療被保険者証の提示を受けているところ、これは、「宮崎県司法書士会依頼者等の本人確認等に関する規程(平成二〇年七月一日施行)」(甲九)に定める本人確認及び登記意思確認の方法に則ったものであり(第四条、第七条、第五条)、さらに、控訴人は、Cの氏名及び生年月日をDに直接口頭で回答させ、借入金額についてもDから回答を得ているのであるから、登記義務者であるCの本人性及び登記意思の存否についての一応の確認は行ったものということができる(なお、住所を口頭で暗唱させることが必須であるとまではいえない。)。

また、本件抵当権設定登記の申請に関する控訴人と被控訴人との間の委任契約において、被控訴人が控訴人に対し、特に登記義務者であるCの本人性や意思確認の存否の確認を委託したとの事情を認めるに足りる的確な証拠はない。

そこで、控訴人において、依頼の経緯や業務を遂行する過程で知り得た情報と司法書士が有すべき専門的知見に照らして、登記義務者であるCの本人性や登記意思を疑うべき相当の理由があったか否かについて、以下順次判断する。

(4)  被控訴人は、DがCの替え玉として控訴人事務所に来所した際、控訴人が氏名、生年月日、借入金額について質問したところ、Dは、誤って「大正一三年……」と回答し始め、その直後、隣に座っていたAに身体を突かれ、暗記させられていたCの生年月日に訂正して回答するといった本人性を疑うべき相当の事情があったと主張し、甲二(Aからの聴き取り報告書)、甲三(A作成の手紙)、甲四(B作成の陳述書)及び原審証人Bの証言はこれに沿う。

しかしながら、これらの証拠からは、DをCの替え玉に仕立てて被控訴人から五〇〇万円を詐取したA及びBが、被控訴人からの責任追及を回避すべく、被控訴人に迎合し、被控訴人が損害を被ったことについての責任を控訴人に転嫁しようとする姿勢が顕著にうかがえる。また、原審証人Bは、生年月日を言い間違えたDの身体をAが突いた状況について、「見たわけじゃないけど、こうして右のほうのお尻のほうをつつかれたような。」、「雰囲気で見えました。」、「目では確認しません。」といった不自然かつ曖昧な証言をしている(一四三ないし一四七項)。

以上によれば、これらの証拠からは、DがCの生年月日を言い間違え、AがDの身体を突いたとの事実をにわかに認めることができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

また、DがCの生年月日を回答する際、言い間違えかけたということが仮にあったとしても、Cの年齢を考えれば、そのことのみをもってCの本人性や登記意思を疑うべき相当の理由があったということもできない。

(5)  被控訴人は、Dは、控訴人との面談時において、一見して認知症であることが見て取れるような状態であり、そのような依頼者に対しては、登記意思の存否について、通常の依頼者に比してより慎重に確認をするための質問等をすべきであったと主張する。

しかしながら、Dは、平成二〇年一二月一八日の控訴人事務所におけるやり取り(乙四)や平成二二年三月一〇日実施の原審証人尋問においても、見当識や記憶力には問題が見受けられるものの、普通の受け答えはできる状態であったと認められるから、平成二〇年九月二二日当時、一見して認知症と見て取れる状態であったと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(6)  その他本件に表れた諸事情を考慮しても、控訴人において、依頼の経緯や業務を遂行する過程で知り得た情報と司法書士が有すべき専門的知見に照らして、登記義務者であるCの本人性や登記意思を疑うべき相当の理由があったとはいえず、DがCとは別人であることに控訴人が気が付かなかったことをもって、前記の善管注意義務違反を問うことはできない。

被控訴人は、控訴人が被控訴人に本人確認状況の報告をせず、また、被控訴人に「担保は大丈夫です。」と誤った説明をした点においても、控訴人には重大な落ち度があると主張するが、前記のとおり、被控訴人が控訴人に対し、特に登記義務者であるCの本人性や登記意思の存否の確認を委託したとは認められないのであるから、控訴人が被控訴人に本人確認状況の報告をすべき義務があったということはできず、また、控訴人が「担保は大丈夫です。」との説明をしたとの点についても、登記申請を受任した司法書士が、当該登記に係る物権変動の実体的効力を保証するような発言をすることはおよそ想定し難く、控訴人としては、所期の登記手続が滞りなく完了する見通しである旨説明したにすぎないものと解すべきであるから、被控訴人の主張はいずれも理由がない。

(7)  以上の次第であるから、本件において、控訴人について、被控訴人の主張するような債務不履行責任ないし不法行為責任はないというべきである。

第四結論

そうすると、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人の請求は理由がないから全部棄却すべきところ、これを一部認容した原判決は失当であり、本件控訴は理由があるから、原判決中控訴人の敗訴部分を取り消した上、これを棄却することとし、被控訴人の附帯控訴は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 横山秀憲 裁判官 川﨑聡子 空閑直樹)

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