大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所宮崎支部 平成8年(行コ)2号 判決 1998年6月19日

控訴人

地方公務員災害補償基金宮崎県支部長松形祐堯

右訴訟代理人弁護士

萩元重喜

右指定代理人

新垣隆正

長友秀隆

持原道雄

谷脇幸治

米丸賢悟

被控訴人

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

前田裕司

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

一  控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は、一、二審とも、被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。

二  本件事案の概要は、当審における当事者双方の主張として、次のとおり付加するほかは、原判決事実及び理由「第二 事案の概要」記載のとおりであるから、これを引用する。

1  控訴人の主張

(一)  業務(公務を含む。)と脳血管疾患又は虚血性心疾患等との間の相当因果関係の判断のためには、医学的に十分検討がなされて制定された労働省労働基準局長通達である「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(平成七年二月一日基発第三八号)(以下「平成七年通達」という。)によるべきである。なお、この通達は地方公務員である太郎には直接適用がないが、地方公務員にもほぼ同様な通達があり、その通達で直接規定されていない点は、解釈によって、平成七年通達と同様な運用がなされている(平成七年三月三一日地基補第四七号「心・血管疾患及び脳血管疾患等業務関連疾患の公務上災害の認定について(通知)」)。平成七年通達では、「<1>発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る「異常な出来事(業務に関連する出来事に限る。)」に遭遇し、又は日常業務に比較して「特に過重な」業務に就労したことのいずれかにより「過重負荷」を受けたことが認められること、<2>「過重負荷」を受けてから症状の出現までの時間的経過が、医学上妥当なものであること」が業務起因性を判断するに当たって考慮されるべきとされており、ここでいう「異常な出来事」とは、イ極度の緊張、興奮、恐怖、驚がく等の強度の精神的負荷を引き起こす突発的又は予測困難な異常な事態、ロ緊急に強度の身体的負荷を強いられる突発的又は予測困難な異常な事態、ハ急激で著しい作業環境の変化を意味し、「特に過重な」業務とは、通常の所定労働時間内の所定の業務内容に比較して特に過重な精神的・身体的負荷を生じさせたと客観的に認められる業務をいい、「過重負荷」とは、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の発症の基礎となる病態(血管病変等)をその自然的経過を超えて急激に著しく増悪させることが医学経験則上認められる負荷をいうとされている。また、右通達においては、イ発症に最も密接な関連を有する業務と目される発症直前から前日までの間の業務が特に過重か否かを判断すること、それが肯定できない場合であっても、発症前一週間以内に過重な業務が継続している場合にはその間の業務が特に過重であるか否かを判断すること、それ以前の業務については、発症前一週間以内の業務が日常業務を相当程度超える業務である場合には、それを含めて総合的に判断することとされている。しかるところ、太郎の公務は、発症直前はもとよりその一週間以内のものも、それ以前のものも過重なものではなかった。

(二)  太郎の死因である脳出血は一般的に高血圧と動脈硬化によって引き起こされるところ、高血圧の危険因子は、遺伝的素因、肥満、ナトリウムの過剰摂取、飲酒等が挙げられ、動脈硬化の危険因子としては、高血圧症、高コレステロール血症、喫煙等が挙げられている。太郎は高血圧の遺伝的素因を有し、飲酒、喫煙の習慣があり、食塩の制限も不十分であって、医師による血圧コントロールを受けていなかったことからすると、太郎の発症は自然的経過によるものというべきである。

(三)  被控訴人は、太郎の退校時間につき連日午後七時五〇分頃であったこと、日向工業高校が荒れた学校であったこと、太郎が昭和六〇年度の指導案件の三分の二の調査、指導に関与したこと、太郎が高校総体の全体準備の八割を受け持ったこと、体育授業における実技指導が四三歳の太郎にとって、肉体的負担が大きかったこと等を主張するが、それらは証拠に基づかないもの、ないし抽象的で信用性の低い証拠の裏付けしかないもので、不正確な主張である。

2  被控訴人の主張

過重な公務の継続によって、持続的に血圧上昇ないし動脈硬化が引き起されることは医学的に充分証明されているというべきであるから、発症と公務との関連を考慮する際に、被(ママ)控訴人の主張するように、被災前の一定期間に限定するべき医学的根拠はない。

三  当裁判所も、被控訴人の請求を認容すべきものと判断するが、その理由は、以下のとおり、付加、訂正、削除するほかは、原判決事実及び理由「第三 争点に対する判断」記載のとおりであるからこれを引用する。

1  原判決一一頁一行目(本誌七一一号<以下同じ>85頁3段1行目)「太郎は、」の次に「昭和四一年四月から高校教諭として勤務していたところ、」を、同一一行目(85頁3段19行目)「<証拠略>」の次に「<証拠略>」をそれぞれ加える。

2  原判決一三頁三行目(85頁4段12行目)「帰宅後深夜」の次に「及び休日」を加え、同三行目(85頁4段13行目)から四行目(85頁4段13行目)までの「こともあった。」を「ことも少なくなかった。」に改める。

3  原判決一三頁七行目(85頁4段17行目)の次に改行して次を加える。

「なお、控訴人は、この太郎の勤務時間について通常は午後七時五〇分頃まで勤務したとすることを裏付ける証拠はないと主張する。確かに太郎の通常の勤務時間を認定する直接的な資料は被控訴人本人の記憶に基づくもののみであるが、教員の職務の性質上時間外勤務を正確に記録し、把握することは困難であって、現に同校では奉仕的な時間外勤務があったことは当時の同校関係者が認めるところであり(<証拠略>)、教員には授業、会議以外にも授業準備等一定程度時間を要する職務があること(<証拠略>)、同校での平成三年一〇月の一週間の統計をとった部活動顧問教師の労働時間は月曜日から金曜日までの平均が九時間五三分、土曜日が九時間二三分、部活動顧問をしていない生活指導部員の労働時間は月曜日から金曜日までが八時間四〇分、土曜日が五時間一七分であったと認められること(<証拠略>)、前記認定のとおり太郎はサッカー部の顧問であった上、後記認定の太郎が携わっていた生活指導業務の内容、後記認定の昭和六一年四月以降の太郎が携わっていた高校総体の準備の内容からすると、太郎は同じ条件の平均的な同校の教師よりも勤務時間が長かったと推認できることからすると、右証拠の信用性は高いというべきであって、太郎の勤務時間については右のとおり認定するのが相当である。」

4  原判決一五頁一行目(86頁1段11行目)「及んでいる。」を「及んでおり、昭和六〇年は二九名で宮崎県下で約四〇校ある県立全日制高校のうち最も中退者の多い高校の一つであったこと、昭和六一年は一九名で中退者数が多い順では五位であったことが認められる。」に、同二行目(86頁1段14行目)から三行目(86頁1段15行目)までの「年平均二ないし三名に過ぎない上」を「昭和六〇年、同六一年とも特定の二校を除くと年平均各校当り一〇名以下であり」にそれぞれ改め、同一八頁一行目(86頁3段2行目)「<証拠略・人証略>、」の次に「(証拠略)、」を加える。

5  原判決一八頁二行目(86頁3段3行目)「一三名前後おり、」の次に「その職務は、年度始めに、前記の多数の生活指導案件に対処するため、その年度の生活指導方針案を作り、それを職員会議に付議する前に、指導部会において放課後数日かけて協議、検討を行ない、」を加える。

6  原判決一九頁六行目(86頁3段31行目)の次に改行して次を加える。

「また、非行事実を確定するための調査の際、関係する生徒の言い分が食違う場合には、何度も調査を繰返す必要があり、教育的な配慮の必要から、非行をしていない生徒に処分を科すことは厳に謹まなくてはならない反面、非行をした生徒に対しては適切な指導をする必要があるから、その調査を中途で放棄することはできず、結局、一つの案件に数日を要することもままあり、その上、その調査結果を踏まえた生活指導部の原案を作るために、一案件について数日会議が続くことも少なくなく、そのような場合に次の非行案件が重なることもあり、週の半分以上は生徒指導会議が入り、生活指導教員は、授業の教材研究等の準備はほとんど勤務時間内にできず、時間外に行わなければならない状況であった。」

7  原判決二一頁一行目(86頁4段27行目)「連日」の前に「ほぼ」を加え、同四行目(86頁4段32行目)「多忙な毎日だった」を「多忙な毎日で、昭和五七年八月一三日の実父が死亡した際には、太郎は、生徒に不純異性交遊の疑いがあるとのことで前日から生徒の下宿先等を見回りに行き、同月一三日の午後一一時頃まで帰宅できなかったため、その死目に会えなかった」に改め、同五行目(87頁1段1行目)「<証拠略・人証略>、」の次に「<証拠略>、」をそれぞれ加える。

8  原判決二二頁五行目(87頁1段18行目)末尾に「例えば、前記の免許証紛失案件に対しても太郎が中心となって一か月に渡って処理したことがある他、昭和六〇年九月頃には、シンナー吸引の現場を押えるため一、二週間連続して一旦帰宅後午後一〇時頃から午前零時頃まで神社を調査し、シンナーを発見したこともあり、昭和六一年二月頃、二、三人の上級生による金銭強要事件を調査したときも、それらの生徒が更に卒業予定者から金銭の支払を強要されているふしがあったため、一〇日ないしそれ以上かけて調査を続け、卒業予定者の氏名が特定したため、太郎らが、同人宅へ赴き、夜中までその両親らを交えて話をしたこともあった。」を加え、同二三頁二行目(87頁2段1行目)「そこで、」を「その上、後記の高校総体の準備もあったため、」に改め、同四行目(87頁2段3行目)「<証拠略>、」の次に「<証拠略・人証略>、」を加える。

9  原判決二六頁二行目(87頁3段21行目)「兼任していたことから、」の次に「全体のまとめ役となり、」を加え、同六行目(87頁3段28行目)末尾に「右の生徒派遣委員としての職務は、高校総体への生徒の派遣に関して委員会に提出する書類(生徒一人一人の父母の承諾書等)を各部顧問に作成させ、これをとりまとめて、部活動ごとの日程を作成し、派遣委員会を開催し、生徒等の宿泊、輸送、配車の手配を整えることであり、その前提として年度始めに各生徒の部活動加入への調査及び部活動別の名簿作りが必要であって、四月、五月はその事務処理で多忙を極めた。また、右派遣委員としての仕事を含めた高校総体の準備内容は、四月中旬に県高校総体監督会が開かれ、ここで高校総体の実施要領の説明及び申し込み等の説明があり、これを受けて学校で顧問会を開き、高校総体の説明、参加申込書及び高校総体校内資料作成のためのプリント(参加人数・参加者氏名・競技日程・職員動静表・総合開会式参加者数・交通手段・宿泊者数等)を配布し、参加申込書は四月下旬までに提出してもらい、それを一括とりまとめ集約して県高体連事務局に提出し、校内資料用プリントは各競技監督会終了後(五月中旬頃)までに提出してもらい、高校総体校内資料を大会約一週間前くらいまでに作成完了するというものであった。そして、現実に太郎が作成した資料は第一三回宮崎県高等学校総合体育大会と題する書面(<証拠略>)のうち、一頁から一〇頁であって、太郎は、その内容である各競技日程を把握し、職員の宿泊を把握し、生徒の輸送を取りまとめ、参加生徒を把握し、それらを現実に文や表にして表現するほか、参加要項を起案して、それらを自らの手でタイプを打ったものであるが、その事務をこなすために、部活動を終えて帰宅する他の教師よりも遅くまで残業することが多く、帰宅後その原稿を書いていることもあった。また、それらの作業は、遺漏のないように神経を配る必要があるものであった。」を加える。

10  原判決二八頁七行目(87頁4段19行目)末尾に「線審は後方の選手の動きに集中しながらゲームの進行に合わせて一緒に走らなければならず、一試合だけでも相当の運動量で、選手と同じくらいの体力を要求され、夏に近い時期であったことでもあり、肉体的に相当な負荷がかかるものであった。」を、同二九頁九行目(88頁1段22行目)末尾に「しかし、太郎が右試合を見学したのは、高校総体の大会役員(審判員)の委嘱があって、期間中運営に当る任務があり、審判員の交代要員として待機している必要もあったこと、体育科教員として日向工業高校の生徒の指導やサッカー部の顧問として同部の今後のサッカー指導の参考とするためでもあったから、実質的には公務の延長に属するものであった。なお、この点について、控訴人は、太郎が年次休暇をとって他校間のサッカーを六試合も観戦したのは太郎がサッカーが好きであったからに過ぎない旨主張するが、部活動を学校教育の一環と認識し、部活動を通じて生徒の教育を図ろうとすることに熱心な指導者が、県下の全高校が集る高校総体のような機会を捉えて、他校の試合をできるだけ多く観戦し、場合によっては他校の指導者と意見交換をして自校の部活動の指導に役立てようとするものであること、また、その場合、良心的な教師ほど年次休暇を利用するものであることは、部活動を体験した教師、生徒、父兄らの間ではよく知られていることであって、控訴人の右主張はそうした部活動の指導者の実態を理解していないものであって、到底採用できない。」を、同三〇頁九行目(88頁2段6行目)「<証拠略>、」の次に「<証拠略>、」をそれぞれ加える。

11  原判決三一頁二行目(88頁2段13行目)「味噌汁」の次に「、納豆、のり等」を加える。

12  原判決三六頁七行目(89頁1段21行目)「一・五mg/dl」を「一・二mg/dl(<人証略>。なお、この点、<証拠略>中には一・四ないし一・五mg/dlまで正常値ないし基準値である旨の記載もあるが、医師である原審証人清田正司の証言や<証拠略>に照らし採用できない。)」に改める。

13  原判決三七頁一〇行目(89頁2段6行目)「約一か月間、毎晩のように」を削除する。

14  原判決三九頁七行目(89頁3段4行目)「収まっていた」の次に「(いずれも、年に一度行われる職場での健康診断の結果によるものであるが、昭和四八年(三〇歳)には一五六mmHg―七〇mmHg、昭和四九年(三一歳)には一五〇mmHg―六〇mmHg、昭和五〇年(三二歳)には一四二mmHg―九〇mmHg、昭和五三年(三五歳)には一五八mmHg―八二mmHg、昭和五四年(三六歳)には一六四mmHg―九〇mmHg、昭和五五年(三七歳)には一五六mmHg―八四mmHgであった。)」を加え、同四〇頁五行目(89頁3段20行目)「と、収縮期圧の上昇が顕著」を削除し、同七行目(89頁3段24行目)末尾に「勤務校も太郎の高血圧傾向に関して特段職務上の配慮をしたとは認められない。また、太郎には、右高血圧以外に、既存の疾患は認められていなかった。」を加える。

15  原判決四一頁三行目(89頁4段2行目)末尾に「しかし、酒席や間食があり、この制限は厳格に守られているわけではなかった。」をそれぞれ加える。

16  原判決四二頁一行目(89頁4段14行目)の冒頭から四四頁九行目(90頁2段2行目)末尾までを次のとおり改める。

「1 公務外判定の基準

地公災法三一条及び四二条にいう「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷または疾病に起因して死亡した場合をいい、負傷または疾病と公務との間に相当因果関係があることが必要であり、その負傷又は疾病が原因して死亡事故が発生した場合でなければならない。

そして、負傷又は疾病と当該公務との間の相当因果関係は、経験則、医学的知見等に照らして、その負傷又は疾病が当該公務に内在または随伴する危険の現実化したものと認められる場合に肯定されるものと解するのが相当であり、また、負傷又は疾病が当該公務に内在又は随伴する危険の現実化したものと認められる関係にあるというためには、当該公務が他原因と比較して相対的に有力な原因となっている関係が認められることが必要であるというべきである。

ところで、脳血管疾患又は虚血性心疾患等は、本来、その基礎となる動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤、心筋変性等の基礎的病態が加齢や日常生活等における諸種の要因によって増悪して発症に至る場合が殆どであり、医学的にも特定の公務が発症の素地となる血管病変等の形成に直接関わるものとは認められていない。しかし、かような疾患でも当該公務が質的又は量的に過重なものであり、過重な精神的、身体的負荷を生じるものであるため、血管病変等の基礎的疾患をその自然的経過を超えて増悪させ、脳血管疾患等を発症させたと認められる場合もあり、そのような場合には、公務に内在又は随伴する危険が顕在化し、公務が相対的に有力な原因となってそれらの疾病を発症させたものとして、当該公務と負傷又は疾病との間に相当因果関係が認められることになる。

しかるところ、当該公務が質的又は量的に過重であるかどうかは、当時職員が従事していた日常の業務内容及び同種若しくは類似職種における職員の一般的、平均的な業務内容等を比較検討し、社会通念に照らして質的又は量的に過重な精神的、身体的負荷を生じさせると客観的に認められる内容の公務かどうかをもって判断すべきである。

これを本件に即していえば、太郎の日常業務の内容、一般的な宮崎県立高校の教諭の業務内容等を比較検討し、太郎が従事した業務が社会通念に照らして質的又は量的に精神的、身体的負荷を生じさせると客観的に認められるものであったかどうかをもって判断すべきことになる。

なお、この公務と負傷又は疾病との間の相当因果関係の判断の点について、控訴人は平成七年通達によるべきであると主張するが、同通達のように、従事した職務と症状の発現との間の時間的経過を重視して発症前の期間を限定して判断することは、一応の判断基準として相当といえるとしても、必ずしも医学的に絶対的根拠があるものと言い難いものであり、長期間にわたり過重な職務が継続した場合も、その疲労の蓄積又は精神的、身体的負荷の程度によっては、それによって、血管病変等の基礎的疾患がその自然的経過を超えて増悪させ、脳血管疾患等を発症させたと認められることもあり得るというべきであるから、控訴人の右主張を全面的に採用することはできない。」

17  原判決四四頁一一行目(90頁2段5行目)「争いがなく、」の次に「前記認定の」を、同四五頁一行目(90頁2段6行目)「諸検査結果と、」の次に「<証拠略>によって認められる」を、同三行目(90頁2段10行目)、「証言」の次に「及びその作成にかかる<証拠略>」をそれぞれ加え、同行から同四行目までの「太郎の死因は脳出血であったと推認するのが相当である」を「太郎の症状にみるような急激な意識障害をきたす脳血管障害は、統計的には、脳出血、くも膜下出血、脳梗塞、脳血栓の順に頻度が高いといわれているところ、太郎の場合、くも膜下出血に特徴的に出る像がCT上出ていないこと、くも膜下出血ではみられないはずの四肢麻痺が認められること、くも膜下出血でよく見られる項部硬直がみられないことから、くも膜下出血の可能性は否定され、また、前駆症状がなかったこと、心臓疾患が認められないこと、活動期に起こっており、頭痛からすぐ重篤な意識障害が起こっていること、嘔吐があること、目が正中に固定し、縮瞳が見られること、失調性呼吸が見られること、発症時に三〇〇mmHg―一二〇mmHgの高血圧が見られたこと、体温が三九・〇度と上昇したことは脳出血、特に、橋部の脳出血の際の症状等に合致し、千代田病院では脳梗塞と診断されているが、それは、橋部のCTは撮影されておらず、出血巣の特定が撮影されたCT上ではできなかったことによるものと推認できるから、太郎の死因は、脳出血であって、太郎が教室で頭痛を訴え始めた際発症したと推認するのが相当である」に改める。

18  原判決四五頁五行目(90頁2段13行目)から原判決末尾までを次に改める。

「3 脳出血の意義及び発生機序並びに精神的ストレスとの関係

(一)  (証拠略)、原審証人清田の証言によると、次の事実が認められる。

脳出血とは脳組織内で出血を見る場合をいうが、その七〇ないし九〇パーセントは発症前に高血圧症があり、そのほかには出血の原因が認められないものである。太郎には発症当時高血圧症が認められ、他原因を窺わせる事実は認められない。高血圧性脳出血の原因は出血部位の動脈硬化及び高血圧である。ここでいう動脈硬化とは、細動脈硬化、即ち、脳組織内の比較的細い動脈(細小動脈)が壊死し、血管壁の一部が薄くなることをいう。その結果、小さな動脈瘤が形成され、それが破れることによって脳出血が引き起こされる。したがって、高血圧及び動脈硬化の危険因子が脳出血の危険因子となる。

脳出血と高血圧に関しては多くの国内外の報告によって、収縮期高血圧が脳出血の最大の危険因子であって、拡張期高血圧も脳出血の危険因子であると認められている。また、脳梗塞及びくも膜下出血を合わせた脳卒中全体でも高血圧は重大な危険因子であって、例えば、男性で収縮期血圧が一六〇mmHgないし一七九mmHgの者の脳卒中による死亡率は一一〇mmHgないし一一九mmHgの者の六・六倍、一八〇mmHgを超える者に至っては七倍を超え、男子の拡張期血圧が一〇〇mmHgないし一〇九mmHgの者の脳卒中死亡率は七〇mmHgないし七九mmHgの者の三倍を超えるという報告もある。

なお、高血圧とは、一般的には収縮期血圧が一六〇mmHg以上または拡張期血圧が九五mmHg以上と定義されている。高血圧の重症度は拡張期血圧の値によって決められており、九〇mmHgないし一〇四mmHgは軽症、一〇五mmHgは中等症、一一五mmHg以上は重症高血圧とされている。重症高血圧では治療をせずに放置すれば予後は悪く、一、二年の間にかなりの患者が脳出血、動脈瘤、腎不全など重篤な血管合併症を発症するとされているが、軽症ないし中等症では高血圧の影響が弱くなる。

高血圧の発生因子は血流量の増大、末梢血管の抵抗の上昇、血液の粘度の上昇が挙げられるところ、動脈硬化と高血圧とは相乗的に互いを悪化させる要因となっている。そして、高血圧は遺伝的素因に環境因子が加わって発症するとされている。環境因子には肥満、食塩、カリウム摂取量少量、アルコール摂取、肉食過重(少菜食)、身体活動低下、交感神経亢進、インシュリン感受性低下、心臓左室重量増大等があげられている。このうち、アルコールについて、血圧を上昇させない許容量は、一日日本酒に換算して一合との報告がある。関連して、脳卒中とアルコールの関係については、少量では問題はないものの、過度の飲酒がその頻度を高める旨の報告がなされており、例えば、国内で、一日当たりの飲酒量が一合未満であれば、もともと飲まない者と罹患率がほとんど変らず、三合以上飲酒するものでは四・四倍であって、一合から二合飲酒する者では一・五倍との報告がある。食塩の過剰摂取によって血圧上昇が見られるが、それは、食塩感受性の高い人においてのみ生じるとの研究もある。なお、高血圧患者における食塩制限は一日六ないし八グラムが目安とされている。また、日常的な適度の運動は血圧の上昇を予防するのに役立つことが疫学調査や臨床研究で示されている。

動脈硬化の危険因子としては、加齢、男性であることの他、<1>高血圧、<2>高脂血症、<3>喫煙、<4>肥満、<5>糖尿病、<6>痛風、<7>ストレス、<8>遺伝、<9>運動不足、<10>低HDL血症、<11>A型性格行動パターンなどが挙げられており、このうち<1>ないし<3>が三大因子とされている。関連して、喫煙と脳出血ないし脳卒中全体の関連は高いとされており、例えば、国内外で脳出血ないし脳卒中について、喫煙者が非喫煙者より明らかに罹患率が高いとの報告がある。

生体が外部からの一定の刺激を受けてひずみが生じると、この刺激(ストレッサー)に適応しようとして、生体内部に非特異的反応が引き起こされるが、その反応をストレスという。ストレッサーには、物理・生理的ストレッサーと認知的ストレッサーがある。後者は、本人が解釈したり意味づけしたりすることによりストレッサーとなるものであって、いわゆる精神的ストレスは後者のことをいう。

精神的ストレスと高血圧、動脈硬化との関連については、疲労自体が直接高血圧や動脈硬化を引き起こすことはないものの、それによって、精神的ストレスが引き起こされ、血圧上昇を引き起こすとされている。動物実験あるいは臨床研究から精神的ストレスが一過性の血圧上昇をもたらすことはよく知られている。しかし、持続的な血圧上昇をもたらすことの確実な証拠はないとの指摘もある。他方、緊張を強いられる職域で高血圧の頻度が高い等、長期間の社会・精神的ストレスが高血圧と関係することを示唆する疫学調査成績は数多いともいわれており、例えば、高血圧の新規発症者及び降圧剤の新規服用者の労働条件や職務ストレスの関連を検討し、週六〇時間以上の労働や月五〇時間以上の残業、あせりや不安・切迫のような精神的ストレスが高血圧の発症や悪化兆候に関与し、例えば、週実労働時間が六〇時間以上の人の高血圧の発症率はそれ以外のものの二・二倍であるとの報告がある。また、精神的ストレスが持続的高血圧をもたらす機序に関して、ストレス反応が長期に繰り返される過程では、人により動脈硬化と高血圧などストレス病的症状をともなってきたとしても不思議はないばかりか、そのような可能性は大いにありうるとの指摘や繰り返される精神的刺激が、食塩の過剰摂取等と結びついて持続的な血圧上昇に至るとの報告の他、高密度連続作業の連日負荷実験において精神的ストレスの影響によって血清の総コレステロール増加や高ナトリウム血症等血圧によくない影響をもつ血液諸成分の変化が継続し、何日かの休息過程でも回復せず、そのまま続いている旨の報告もある。ただ、精神的ストレスが単独で持続的な血圧上昇をもたらすとの報告は少ないとの指摘もあり、遺伝的素因や食餌因子等と精神的ストレスが重なると持続的な血圧上昇が生じる旨の報告があり、例えば、ラットの実験において、遺伝的素因がある場合には精神的ストレスにより持続的な高血圧が生じる旨の報告がなされ、本態性高血圧の発生においても精神的ストレスが重要な役割をになう可能性が示唆されている。また、本態性高血圧患者では、ストレス反応による一過性の血圧上昇が正常血圧者に比べ大きく、境界域高血圧患者や高血圧の家族歴がある正常血圧者でも精神的ストレスに対する血圧の反応が大きいと報告されており、このことも本態性高血圧に精神的ストレスが関与している可能性を示唆する。

(二)  前記認定の事実からすると、脳出血は出血部位の高血圧及び動脈硬化によって発症するところ、過重な公務ないしそれによる精神的ストレスは持続的な高血圧及び動脈硬化の危険因子の一つであることは疫学的に裏付けられており、医学的にそのメカニズムもある程度推察すべき研究ないし報告もなされていることからすると、過重な公務ないしそれによる精神的ストレスも脳出血の危険因子であると認めるのが相当であり、特に、高血圧の遺伝的素因を有する者にはその影響が顕著であると認められる。

4 太郎の基礎疾患及びその症状の経緯

前記認定の太郎の両親の死因、死亡時の年齢及び太郎が二八歳の時点で高血圧症状を呈し、その後も収縮期血圧が境界性高血圧であったことからすると、太郎は高血圧の遺伝的素因をもっていたと認めるのが相当である。なお、太郎の兄弟が高血圧症状を発症していない点に関しては、各兄弟の具体的な血圧の程度が特定できず、例えば境界高血圧の域に達していないとまではいえないこと、遺伝的素因を有していたからといっても環境的素因によっては高血圧を発症しないこともありうることから、右判断を左右するものではない。

そして、太郎の高血圧症の症状の経緯を評価するに当たっては、右血圧測定が年に一度の健康診断時のものであることからすると、一回一回の数値を切り離して過大に評価すべきではなく、全体的、総合的に評価すべきである。そうすると、前記認定の血圧の変化からすると、太郎は、二八歳頃から血圧が高めとなって、三八歳頃までは境界性高血圧で症状はほぼ横這いであったところ、三九歳頃から徐々に血圧が上昇して行き、発症の年である昭和六一年には拡張期血圧からすると軽度の高血圧であるものの、脳出血の直接に関連する収縮期血圧はかなり高いものとなっていたと評価するのが相当である。

5 太郎の公務の過重性

太郎の形式的な公務分掌上の職務のみでは、その業務は過重といえないものの、前記認定の具体的個別的な事情を考慮に入れると、次に判断するとおり、太郎の公務は、一般的な宮崎県立高校の教諭の業務内容等の太郎と同種若しくは類似職種における職員の一般的、平均的な業務内容等と比較し、社会通念に照らし、質的量的に過重なものであったと認められる。

(一)  昭和五七年四月以降の公務の過重性

前記認定の事実からすると、太郎が日向工業高校で生活指導部を担当し始めた昭和五七年四月以降は、平日の勤務が一一時間程度となることが多く、緊急の生活指導案件があった場合には、それを超える場合もまれではなかったこと、土曜日も生活指導の他部活動の指導もあって、平日に準じた労働時間を費やしていたこと、したがって、月曜日から土曜日までの一旦帰宅するまでの平均的な実労働時間は週六〇時間以上であったこと、その間の労働も、体育教師としての公務をこなし、生徒に対する学校教育の一環としての部活動であるサッカー部の顧問として熱心に指導に当たった他、当時の日向工業高校の状況からして多大な精神的ストレスの生じる生活指導業務を、地域住民、同僚の要望に応え、強い責任感からその中心となって精力的にこなしていたこと、そのため、帰宅後や休日に生活指導のため呼び出されることが少なくなく、また、休日を返上してサッカー部顧問としての活動をせざるを得ない場合も少なくなかったことを総合勘案すると、太郎は継続してかなり過重な公務に従事していたと認めるのが相当である。

(二)  昭和六一年四月以降の公務の過重性

前記認定の事実からすると、太郎は、昭和六一年四月から六月の高校総体の準備の中心的役割を担い、それ以前と同様平均的な月曜日から土曜日の一旦帰宅するまでの実労働時間が週六〇時間以上であったこと、その間も生活指導にも相当程度関与していたこと、特に同年六月一日から三日までは高校総体に同校のまとめ役として参加した他、自校の部員を引率し、その監督を務めたばかりか、肉体的にかなりの負担のかかる線審を二度務めたこと、このうち、同月三日は休暇という形をとって他校のサッカーの試合を観にいってはいるものの、前記認定のとおり、公務の延長というべきものであること、疲労したため年次休暇をとった四日にも、高校総体の荷物を運ぶため午前九時頃学校を訪れていること、午後二時頃から同五時三〇分頃まで生徒指導に関連し、PTA副会長と面談し、生徒宅の監視等をしていたことからすると、同年六月一日から三日までの公務も精神的、身体的にそれまでと同等ないしそれ以上過重であった上、年次休暇をとったとはいえ公務と密接に関連する事柄に関与した事情もあって同月四日にもそれまでに蓄積された精神的、身体的疲労が回復しなかったものと解される。

(三)  したがって、太郎の昭和五七年四月以降の公務を総合すると、四年間以上量的、質的にかなり過重な公務が継続したものと認められる。控訴人は、太郎が従事した日常業務の授業時間数、保健体育授業の内容、生活指導部部活動係の業務内容、サッカー部の指導業務内容、高校総体の準備業務等は過重なものとはいえない旨主張するが、控訴人の主張は形式的な時間数や担当業務内容に基づくものであり、前記認定の太郎が実際に従事した職務内容、特に時間外及び休日を返上しての生徒に対する生活指導や部活動を通じての指導教育等の実態を把握したうえでのものとはえい(ママ)ないから、採用できない。

6 太郎の公務と脳出血の因果関係

前記説示のとおり、過重な公務の継続ないしそれによるストレスの継続によって、持続的高血圧及びそれに伴う動脈硬化が招来されうるところ、前記認定のとおり、太郎については、量的、質的にかなり過重な公務が四年もの長期に渡って継続したこと、公務が過重となった時期と高血圧の程度の悪化が早まった時期が一致していること、発症直前の高校総体関係の業務は従前の職務に加重されたものであり、高校総体期間中の職務も従前の職務を特に軽減するものでなかったことからすると、太郎の高血圧、動脈硬化の発症、悪化及びそれらを原因とする脳出血による死亡に太郎の公務が原因の一つとなっている蓋然性は認められるから、公務と脳出血による死亡との間には条件関係があり、公務が太郎の死亡の共働原因となっていることは明らかである。

そこで、太郎の脳出血の発症がその公務に内在又は随伴する危険が現実化したものといえるか、即ち、公務が右発症の相対的に有力な原因といえるかを検討するに、前記認定の高血圧の機序からすると、太郎の高血圧の遺伝的素因、相当程度の喫煙、加齢は高血圧及び動脈硬化の悪化に影響が少なくないと認められるものの、他に想定される要因である肥満の程度は軽く、その影響は低いと解されること、不完全ながら一定の食塩制限をしており、少なくとも平均的な食事に比べると食塩は制限されていると推認できること、飲酒はあるものの、その程度は一日焼酎一合程度に過ぎず、日本酒に換算しても高血圧ないし脳卒中への影響が比較的低いとされるものであることからすると、他に想定される要因の影響は低いと考えられ、影響が少なくないと思われるもののうち、加齢は必然的なものである上、喫煙も通常人の生活で予想される程度のものであって、それらを過大に評価することは相当でないこと、遺伝的素因は認められるものの、高血圧が悪化したのはかなり過重な公務に従事した時期頃からであって、その公務に従事するまでは境界性高血圧に過ぎなかったこと、前記認定の公務の過重性の程度及びその継続期間が四年間と長期に渡り、その間何らの回復措置がとられなかったことを総合考慮すると、過重な公務が太郎の脳出血の発症の相対的に有力な原因となったものであり、右発症は、太郎が従事した公務に内在又は随伴する危険が現実化したものであると認めるのが相当である。

なお、(証拠略)、原審証人清田の証言には、精神的ストレスは継続して加えられることにより耐性を生じ、ストレス反応が小さくなること及び精神的ストレスが単独で持続的な血圧上昇を招くことは希であることを前提として、本件程度の公務では公務と太郎の脳出血の発症には因果関係が認められない旨の部分があるが、具体的に太郎の公務の内容の詳細、特に、生活指導の実態及び高校総体準備の実態をどの程度認識検討した上の判断かが明確でないこと、太郎の生活指導に伴う精神的ストレスは、不定期的に個々別々の生徒による個々別々の非行案件に対処しなければならないものであって、その対応は生徒の性格等を勘案して適切な対処をしなければならず、その度に新たな精神的負荷を背負うので、ある程度耐性が生じるとしても、それは質的にストレス反応を激減、消滅させるものとは認められないこと、公務以外の要因と相まって高血圧ひいては脳出血を招来する場合であっても、因果関係を肯定すべき場合もありうることからすると、右各証拠は採用できない。」

四  したがって、被控訴人の請求を認めた原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却する。

(裁判長裁判官 海保寛 裁判官 多見谷寿郎 裁判官 水野有子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例