福岡高等裁判所宮崎支部 昭和43年(ネ)167号 判決 1980年3月31日
主文
一 控訴人らの被控訴人中江好孝に対する控訴並びに当審における第二次請求及び第三次請求を棄却する。
二 原判決中被控訴人医療法人玉水会に関する部分を取り消す。
三 被控訴人医療法人玉水会は控訴人らに対し別紙不動産目録第二記載の建物を収去して同第一記載の土地を明渡せ。
四 訴訟費用は第一、二審とも控訴人らと被控訴人中江好孝との間に生じた分は控訴人らの負担とし、控訴人らと被控訴人医療法人玉水会との間に生じた分は同被控訴人の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人らは「原判決を取り消す。被控訴人中江は控訴人らに対し、別紙不動産目録第一記載の土地(以下「本件土地」という。)を明け渡し、かつ昭和四二年四月一日から右明渡ずみまで一か月金六、〇〇〇円の割合による金員を支払え。被控訴人医療法人玉水会(以下「玉水会」という。)は控訴人らに対し別紙不動産目録第二記載の建物(以下「本件建物」という。)を収去して本件土地を明渡せ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、当審において第二次請求として「原判決を取り消す。被控訴人中江は控訴人らに対し本件土地を明け渡し、かつ別紙金員目録(一)記載の金員を支払え。」との判決及び第三次請求として「原判決を取り消す。被控訴人中江は控訴人らに対し本件土地を明け渡し、かつ別紙金員目録(二)記載の金員を支払え。」との判決を求めた。
二 被控訴人らは控訴棄却の判決を、被控訴人中江は当審における第二次第三次請求につき請求棄却の判決を求めた。
第二 当事者双方の主張及び証拠関係は、次につけ加えるほか、原判決事実摘示(ただし、原判決書二枚目裏一〇行目中「原告らは」の下に「金次郎の死亡により同人の賃貸人たる地位を承継したところ」を加え、同三枚目表一三行目中「被告中江好孝」を「訴外佐八郎」に、同四枚目表五行目中「意思表示をなす」を「意思表示をなし、右訴状は昭和四二年一〇月一二日同被告に送達された」に、同五枚目表一三行目中「被告中江」及び同裏一行目中「同被告」をそれぞれ「訴外佐八郎」に改める。)のとおりであるから、ここにこれを引用する。
(主張)
一 控訴人ら
1 本件賃貸借契約については借地法第一七条第一項本文の適用上その存続期間は二〇年とし、昭和一二年四月一日から二〇年の経過により期間が満了すると解すべきではなく、同条項の適用をみるのは同法施行前の賃貸借契約で二〇年に満たない期間の定めのあるもの及び期間の定めがなく、かつ同法施行当時いまだ二〇年を経過していないものに限られるのであつて、本件賃貸借契約は約定の三〇年を経過した昭和四二年三月三一日をもつて満了すべきものと解すべきであり、したがつて、控訴人らが満了前の昭和四一年五月一〇日になした更新拒絶の意思表示は有効である。
2 本件賃貸借期間満了後の本件土地使用の継続に対する異議については、次のような正当事由がある。
被控訴人中江の先代亡中江佐八郎は、昭和一二年四月控訴人らの先代亡大園金次郎から本件土地を借り受け、同地上に居宅と診療所を建築して診療業務を始めた。終戦後間もなく、佐八郎の二男三郎が復員し佐八郎と共に医療に従事していたが、三郎はその後独立したので、以来被控訴人中江が診療業務を引き継いで行なうようになつた。被控訴人中江は、昭和二九年ころ本件土地の隣接地である鹿児島市下伊敷町一六二番宅地四三五・二〇平方メートル(昭和三八年三月二九日一六二番一と一六二番二に分筆)をその所有者山元新左衛門から借り受け、右土地上に木造瓦葺二階建診療所兼病院二棟を建築し、本件土地上の前記建物と合わせて医療事業のために使用していた。その後、被控訴人らは、次のように本件土地の隣接地又はその附近に次々と土地を取得し、その地上建物を所有している。すなわち、
(1) 鹿児島市下伊敷町一六三番九
宅地 九・〇九平方メートル
(2) 同町一二九番一
宅地 三六三・六三平方メートル
(3) 同町一六二番二
宅地 二三六・三九平方メートル
(4) 同町一六二番一
宅地 一九八・八〇平方メートル
(5) 草牟田工区三八ブロックの保留地
宅地 一〇一・八三平方メートル
そして、右(2)(3)の土地上に鉄筋コンクリート造陸屋根六階建の病院(一階二七〇・一六平方メートル、二階ないし四階各三一五・〇〇平方メートル、五階三〇・二一平方メートル、六階一七・五七平方メートル)を建築し、(4)の土地上には建物が存在するけれども全くの空家であり、(5)の土地上にはプレハブ二階建の建物が存し、みどり薬局の看板を掲げているものの、営業を営んでいる形跡はない。右のほか、被控訴人中江は、(6)鹿児島市下伊敷町一二五番二宅地二〇二・七一平方メートルを所有し、同地上の鉄筋コンクリート造陸屋根二階建宿舎(床面積一、二階各八一・九六平方メートル)を看護婦寮にあて、また、(7)鹿児島市薬師町二丁目三一番四宅地二七六・一八平方メートル、(8)同市上本町一三番四宅地九六・五二平方メートルにつき、その持分一万一四一二分の八三六五を買い受け、右地上に木造瓦葺二階建居宅(床面積約五〇坪)を建築して被控訴人玉水会に勤務する医師の住宅に供している。さらに、被控訴人中江は、社会福祉法人中江報徳園を経営し、右福祉法人の経営に必要な土地を購入したり建物を建設してこれを寄附しており、右福祉法人の昭和四九年三月三一日現在における資産総額は金一億二七七〇万二九〇六円にのぼり、被控訴人ら及び社会福祉法人中江報徳園所有にかかる土地、建物の総評価額は五億円を下らない。
他方、控訴人らは、先代金次郎から本件土地のほか僅かな山林、原野、畑などを相続したが、価値あるものは本件土地のみである。そして、本件土地の仮換地指定面積は七四九・四五平方メートルで、そのうちの三五七・〇二平方メートルを被控訴人中江に賃貸し、残余の土地上に存する建築後五〇年を経過した老朽家屋(間取りは六畳四間、四畳半二間)には、控訴人淳とその家族、控訴人忠志とその家族及び控訴人ヤヱと控訴人トシ子らが生活している。控訴人淳は、鹿児島銀行に勤務し定年退職まであと僅かな年月を残すのみで、早く遺産を分割して右定年後の生活設計をたてる必要があり、控訴人忠志は、市来金物店に勤めて営業の仕事に従事しているが、将来は本件土地にて独立の営業を営むことを考えており、控訴人トシ子は離婚して実家に戻り半身不随の母親控訴人ヤヱの面倒をみているが、将来は自活することを望んでいる。このようなサラリーマンないしは無職の控訴人らに対比し、被控訴人らは多額の資産を所有し、とりわけ、本件土地とほぼ同一の面積及び条件の前記(4)の遊休宅地を所有しているのであるから、本件土地を控訴人らに明け渡しても何ら苦痛を感じるものではない。被控訴人らは、約四〇年に亘つて低廉な賃料(一か月僅かに金四、八六〇円を供託するのみである。)で本件土地を賃借し、同地上の建物は建築後約四〇年を経て柱、壁などは腐蝕し病院経営という目的からみて社会通念上その使用目的に適さずこれに投下された資本は既に十分回収されている。なお、右の事情のほか、控訴人らの先代金次郎が鹿児島市伊敷町一六三番三から前記(1)の土地を分筆してこれを被控訴人中江に売り渡したのは、被控訴人中江が前記(2)の土地上に建物を建築する際、境界につき紛争が起きたが、被控訴人中江において本件土地の賃貸借期間満了のときには必ず本件土地を返還することを確約したからである。しかるに、被控訴人らは本件土地の明渡しに応じない。また、被控訴人らは、昭和五〇年一二月前記木造瓦葺二階建の病室を取りこわし、本件土地内に建物を建築し始めたので、控訴人淳は建築の中止を申し入れたところ、鉄筋コンクリートの病院を建築するまで医療器具等を入れる仮設倉庫であり右病院完成後には撤去するということであつたのでこれを承諾したが、右病院建築後二年を経過しても一向に撤去しないなど、被控訴人らには賃貸借の信頼関係を破壊する多くの事情が存する。
3 本件賃貸借は前記のとおり期間満了により昭和四二年三月三一日限り終了したので、被控訴人中江に対し第二次的に本件土地の明渡しを求めるとともに、本件訴状送達の日の翌日である昭和四二年一〇月一三日以降本件土地の明渡ずみに至るまで別紙金員目録(一)記載の賃料相当損害金の支払を求める。
4 仮に本件賃貸借契約が更新されたとしても、被控訴人中江は昭和五一年七月ころ本件建物の腐蝕した柱、床板、基礎台の上の「ツカ木」「大ビキ」天井板の取り替え、モルタル塗工事などの修繕を行つたが、右工事の施行当時本件建物はすでに朽廃の程度に達していたのであるから、本件賃貸借契約は右工事に着手した同月末ころには終了した。よつて被控訴人中江に対し第三次的に、本件土地の明渡しを求めるとともに別紙金員目録(二)記載(1)ないし(10)の各賃料並びに(11)ないし(13)の各賃料相当損害金の支払を求める。
二 被控訴人ら
控訴人らの前記1及び3の主張は争う。4の事実中腐蝕した柱の取り替え、天井板、内壁の塗り替え等若干の補修工事をしたことはあるが、控訴人主張のような大修繕をしたことはない。本件建物がその当時朽廃していたことは否認する。
(証拠)(省略)
理由
一 被控訴人中江に対する請求について。
当裁判所は被控訴人中江に対する請求(当審における第二次、第三次請求を含む。)はいずれも理由がなく、失当として棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおりつけ加えるほか原判決の理由(原判決書六枚目表三行目から同九枚目裏六行目まで)と同じであるから、ここにこれを引用する。
1 控訴人らは借地法一七条一項本文の適用があるのは同法施行前に締結された賃貸借契約で二〇年に満たない期間の定めのあるもの及び期間の定めがなく、かつ、同法施行当時いまだ二〇年を経過していないものに限られ、三〇年の存続期間を定めた本件賃貸借契約には適用がない旨主張する。しかしながら、本件賃貸借契約は借地法が鹿児島市に施行される以前に締結されたものであるから、右契約成立の時点においては本件借地権の存続期間については民法六〇四条の適用をみることになり、二〇年を超える存続期間を定めた場合には二〇年に短縮されることになるのであるから、本件借地権の存続期間も二〇年となり、その後昭和一五年九月二六日借地法が鹿児島市に施行されたのにともない、同法一七条一項により本件借地権(これが非堅固建物の所有を目的として設定されたことは弁論の全趣旨により明らかである。)は、昭和一二年四月一日から起算して二〇年を経過した昭和三二年三月三一日をもつて存続期間が満了したことになる。そして、同被控訴人の先代佐八郎がその後も本件土地の使用を継続していたのに控訴人らの先代金次郎において何ら異議を述べなかつたことは弁論の全趣旨から明らかであるから、借地権の更新があつたものとみなされ、更新後の借地権の存続期間は昭和五二年三月三一日までとなる。したがつて、本件借地権が控訴人らの更新拒絶により昭和四二年三月三一日限り消滅した旨の控訴人らの主張は失当といわなければならない。
2 原判決書七枚目表一〇行目中「右主張にそうような甲第一号証」から同裏一行目までを「成立に争いのない甲第一号証、当審証人平郡昭の証言、当審における控訴人大園淳本人尋問の結果(第一、二回)によると、本件賃貸借契約については、昭和三三年二月一五日に至つて改めて土地賃貸借契約書が作成されたこと、右契約書によれば本件賃貸借契約の期間は昭和一二年四月一日から同四二年三月三一日まで満三〇年間とし(第一条)、期間満了の時及び契約解除の時は乙(賃借人の意)は直ちに本件土地を完全に甲(賃貸人の意)に明け渡すものとする(第六条)旨定められていることが認められる。しかしながら、本件賃貸借は存続期間についての前記約定にもかかわらず昭和三二年三月末日に更新され、昭和五二年三月三一日まで存続することとなつたことは前記のとおりであるから、控訴人らの主張を、本件賃貸借契約が昭和四二年三月三一日期間満了によつて終了したことを前提とするものであるならば、その前提においてすでに失当というほかはない。また、控訴人らの主張を、期間満了の時期如何にかかわらず昭和四二年三月三一日限り本件土地を明渡すことを合意したとの趣旨すなわち賃貸借契約の期限付合意解約の趣旨に解するとしても、前掲甲第一号証(土地賃貸借契約書)の約旨文言によれば、存続期間の満了その他契約解除等借地権そのものの消滅を前提として本件土地の明渡を約したものと解するのが相当であつて、これを期限は合意解約の趣旨に解することはできないし、他に期限付合意解約の事実を認めることのできる証拠はない。したがつて、控訴人らの右主張も採用できない。」に改める。
3 なお、控訴人らは被控訴人中江に対し本件土地の明渡しを求めるとともに、当審において第二次請求として昭和四二年一〇月一三日以降本件土地の明渡ずみまで別紙金員目録(一)記載の賃料相当損害金の、第三次請求として別紙金員目録(二)記載の賃料ないし賃料相当損害金の各支払を求めているところ、本件建物の所有権並びに本件土地の賃借権が昭和三七年六月八日被控訴人中江から被控訴人玉水会に譲渡され、同日以降被控訴人玉水会が本件土地を占有していることは当事者間に争いがなく、しかも被控訴人玉水会は本件賃借権の譲受を控訴人らに対抗しうることは先に引用した原判決の説示から明らかであるから、譲渡人たる被控訴人中江は前同日以降本件賃貸借契約関係から離脱し、特段の意思表示のない限り賃貸人に対し契約上の債務を負わないと解するのが相当であり(最高裁判所第二小法廷昭和四五年一二月一一日判決民集二四巻一三号二〇一五頁参照)、したがつて、被控訴人中江は、昭和三七年六月八日以降控訴人らに対し本件賃貸借契約に基づく賃料債務を負ういわれはなく、また、同日以降本件土地を占有しているわけでもないから不法占有による損害賠償債務を負担する理由もない。したがつて、同被控訴人に対する第二次、第三次請求はその余の点につき判断するまでもなくいずれも失当として棄却を免れない。
二 被控訴人玉水会に対する請求について。
1 本件土地が控訴人らの共有に属すること、被控訴人玉水会が被控訴人中江から本件建物の所有権並びに本件土地の賃借権の譲渡を受け本件土地を占有していることは当事者間に争いがなく、被控訴人玉水会が右賃借権の譲受を控訴人らに対抗しうることは前記のとおりである。
2 ところで、本件訴訟の経緯並びに弁論の全趣旨によれば、控訴人らは被控訴人玉水会の業務運営の実体が実質上被控訴人中江個人の経営と異なるものではなく、両者は社会的経済的には表裏一体をなすものとして、被控訴人玉水会が前記賃借権の譲受をもつて控訴人らに対抗しうるものであるならば、これを前提として、同被控訴人に対し右賃借権の消滅を主張しているものと解されるので以下控訴人らの主張について検討する。
(イ) 控訴人らは、本件建物が昭和五一年七月末ころにはすでに朽廃し、本件賃借権は消滅した旨主張する。ところで、建物の朽廃とは建物の構造部分に自然的に生じた腐蝕によつてもはや通常の保存方法によつてはその存立を維持することができず、建物が全体としてその社会的、経済的効用を失つた状態をいうと解されるところ、これを本件についてみるに、成立に争いのない甲第八号証の一の(1)ないし(3)、同号証の二ないし二一の各(1)、(2)、同号証の二二、同号証の二三の(1)(2)、同号証の二四、弁論の全趣旨を総合すると、本件建物は建築後すでに四〇年余を経過していること、被控訴人中江は昭和五一年七月ころ本件建物の腐蝕した柱のとりかえ、補強のための支柱の設置、壁の塗りかえ、等相当規模の補修工事を施したことが認められるが、建物の同一性を害するものではなく、右補修工事の施行当時、本件建物の腐蝕が甚だしく又は著しい老朽化のために崩壊の危険にさらされていたとか、使用に耐えない程度に達していたことを認めるに足る証拠はない。したがつて、控訴人らの右主張は採用の限りでない。
(ロ) 本件賃貸借の存続期間が昭和五二年三月三一日となるべきこと、被控訴人玉水会が同日以降も本件土地上に本件建物を所有して本件土地を占有していることは前記のとおりである。そして、控訴人らの主張は、右期間満了後の本件土地の使用についての異議をも主張するものと解されるので、右異議を述べるについて正当な事由が存在したか否かにつき判断する。成立に争いのない甲第一〇ないし第一四号証、第一六、第一七号証、第二七ないし第三〇号証、第三二号証、当審(第二回)における控訴人大園淳本人尋問の結果によりいずれも真正に成立したものと認める甲第三三、第三四号証、原審および当審(第一、二回)における控訴人大園淳、当審における控訴人大園忠志、同貴島信子、同大園ヤヱ、被控訴人中江好孝各本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 別紙不動産目録第一記載の鹿児島市下伊敷町一六三番三の土地中本件土地を除くその余の部分(約一三〇坪)には控訴人ら所有家屋と訴外福地某所有の家屋があり、控訴人ら所有家屋(約一九坪)には控訴人ヤヱ、同淳夫婦とその子供、同忠志夫婦とその子供、同トシ子らが居住しているが、手ぜまであるうえ老朽化しているため生活に不便を感じており、改築の時期も近付いていること、右家屋の敷地の一部は道路拡張工事のため買収される予定になつていて、その際には右家屋全体を移動させるかさもなくば買収予定地上の建物部分を取り除く必要があること、本件土地を含む一六三番地三の土地は控訴人らの先代金次郎の遺産のうちの主要なものであるが、金次郎の相続人である控訴人らは、健康に恵まれない老齢の妻控訴人ヤヱのほか、控訴人淳ら七名の子で、いずれも勤め人など暮し向きは必ずしも裕福ではなく、右土地を利用して商業を営む以外に自営ないし自活の方策がないこと、そのためには新築家の敷地として本件土地が必要であり、かつ、本件土地は賃貸後すでに四〇年余を経過していることもあつて控訴人らとしてはその返還を強く望んでいる。
(2) 他方、被控訴人らの側の事情をみるに、被控訴人中江の先代亡佐八郎が本件土地を賃借した当時は同地上に居宅と診療所を建築して診療業務を行つていたが、被控訴人中江が右業務を引きついだ後は次第に事業規模を拡大し、本件土地の西側に隣接して順次被控訴人中江所有の一六三番九宅地(九、〇九平方メートル)、一二九番一宅地(三六三、六三平方メートル)、被控訴人玉水会所有の一六二番二宅地(二三六、三九平方メートル)があり、これらの土地上には昭和五一年七月ころ被控訴人玉水会所有の病院(六階建、延床面積一二六二、九四平方メートル)が新築され、右建物の一部を被控訴人中江とその家族の居住にあてていること、右一六二番二の西側に隣接する同番一宅地(一九八、八〇平方メートル)は昭和五一年七月被控訴人玉水会が訴外山元栄二から地上建物とともに買い受け、更にその西側に隣接する約一〇〇平方メートルの土地は、もと鹿児島市の保留地となつていたものを昭和三九年被控訴人中江が競争入札で取得しているが右一六二番一の宅地は利用されている形跡はなく、また、将来の利用計画についても何らの主張立証もないこと、そのほか、被控訴人玉水会は、鹿児島市下伊敷町一二五番地二に鉄筋コンクリート造陸屋根二階建(床面積一、二階とも八一、九六平方メートル)の看護婦宿舎を、同市薬師二丁目三一番四に被控訴人中江名義で木造瓦葺二階建の宿舎を所有している。およそ以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。なお、控訴人らは、控訴人らの先代金次郎が被控訴人中江に一六三番九の土地を売渡した際同被控訴人は本件土地を期間満了時に返還する旨確約しながら未だに明渡に応ぜず、また本件土地上に設置した仮設倉庫を約旨に反して撤去しない等被控訴人らには賃貸借の信頼関係を破壊する多くの事情が存在すると主張し、原審及び当審(第一回)における控訴人大園淳、当審における控訴人貴島信子の供述中には右主張に沿う部分があるけれども、右供述は当審証人平郡昭の証言に照らし措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
以上認定の事実によれば、被控訴人らの事業規模の拡張とともに、その物的設備の占める重要性も次第に前記新築された病院に移行し、本件土地、建物の占める比重も相対的に減少してきたこと、本件建物は結核病棟ではあるが、いずれ近い将来改築の時期がくること、前記一六二番一宅地は新築の病院敷地と隣接していて場所的条件の点でも本件土地に代るべき機能を十分に果しうると考えられる。他方、控訴人らにとつては本件土地が主要な財産であり控訴人らが現在の窮屈な住居事情を早急に改善し、さらに自営自活の道を見出すために本件土地の返還を受け前記一六三番三の土地上に家屋を新築する以外に適切な方法がなく、控訴人らの本件土地の必要性は被控訴人らのそれに比して勝るとも劣らぬものということができる。そうすると、控訴人らの前記異議には正当な事由があるものというべく、本件賃貸借は昭和五二年三月三一日の経過によつて終了したものというべきである。してみれば被控訴人玉水会に対し本件建物を収去して本件土地の明渡しを求める控訴人らの請求は正当としてこれを認容すべきである。
三 よつて、原判決中被控訴人中江に対する請求を棄却した部分は正当であつて、これが取消を求める控訴は理由がないので棄却すべく、また同被控訴人に対する当審における第二次、第三次請求は失当として棄却を免れないが、原判決中被控訴人玉水会に対する請求を棄却した部分は不当であるからこれを取り消して右請求を認容することとし、訴訟費用は第一、二審とも敗訴した各当事者の負担とし主文のとおり判決する。
(別紙不動産目録は第一審判決添付のものと同一につき省略)
(別紙)
金員目録(一)
(1)昭和四二年一〇月一三日から同四三年三月三一日まで一か月金五万一、三〇〇円
(2)同四三年四月一日から同四四年三月三一日まで一か月金五万八、五〇〇円
(3)同四四年四月一日から同四五年三月三一日まで一か月金六万八、六〇〇円
(4)同四五年四月一日から同四六年三月三一日まで一か月金八万一、九〇〇円
(5)同四六年四月一日から同四七年三月三一日まで一か月金九万三、八〇〇円
(6)同四七年四月一日から同四八年三月三一日まで一か月金一〇万四、一〇〇円
(7)同四八年四月一日から同四九年三月三一日まで一か月金一二万六、〇〇〇円
(8)同四九年四月一日から同五〇年三月三一日まで一か月金一四万円
(9)同五〇年四月一日から同五一年三月三一日まで一か月金一四万四、九〇〇円
(10)同五一年四月一日から同五二年三月三一日まで一か月金一四万五、六〇〇円
(11)同五二年四月一日から同五三年三月三一日まで一か月金一四万七、三〇〇円
(12)同五三年四月一日から別紙不動産目録第一記載の土地の明渡しまで一か月金一五万円の割合による金員
金員目録(二)
(1)昭和四二年一〇月一三日から同四三年三月三一日まで一か月金一万六、五〇〇円
(2)同四三年四月一日から同四四年三月三一日まで一か月金一万九、二〇〇円
(3)同四四年四月一日から同四五年三月三一日まで一か月金二万二、一〇〇円
(4)同四五年四月一日から同四六年三月三一日まで一か月金二万六、四〇〇円
(5)同四六年四月一日から同四七年三月三一日まで一か月金三万二〇〇円
(6)同四七年四月一日から同四八年三月三一日まで一か月金三万三、五〇〇円
(7)同四八年四月一日から同四九年三月三一日まで一か月金四万五〇〇円
(8)同四九年四月一日から同五〇年三月三一日まで一か月金四万六〇〇円
(9)同五〇年四月一日から同五一年三月三一日まで一か月金四万六、六〇〇円
(10)同五一年四月一日から同五一年七月三一日まで一か月金四万六、九〇〇円
(11)同五一年八月一日から同五二年三月三一日まで一か月金一四万五、六〇〇円
(12)同五二年四月一日から同五三年三月三一日まで一か月金一四万七、三〇〇円
(13)同五三年四月一日から別紙不動産目録第一記載の土地の明渡しまで一か月金一五万円の割合による金員