福岡高等裁判所宮崎支部 昭和49年(ネ)89号 判決 1975年6月30日
主文
一、原判決及び宮崎地方裁判所が、同裁判所昭和四八年(手ワ)第一四号約束手形金請求事件につき、昭和四九年二月二八日言い渡した手形判決を、次のとおり変更する。
1. 被控訴人は、控訴人に対し、金二六一万円及びこれに対する昭和四八年六月一四日から支払ずみまで、年六分の割合による金員(ただし、金二四五万円及び内金五〇万円に対する昭和四五年四月一九日から、内金一九五万円に対する同月二五日から各支払ずみまで、いずれも年六分の割合による金員の合算額を限度とする金員)を支払え。
2. 控訴人のその余の請求を棄却する。
二、訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
三、この判決は、第一項の1に限り、仮に執行することができる。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、控訴人
「原判決を取り消す。被控訴人は、控訴人に対し、金二六一万円及びこれに対する昭和四八年六月一四日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決
二、被控訴人
「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決
第二、当事者の主張
一、控訴人の請求原因
1. 控訴人は、訴外市川広吉(以下単に「市川」という。)に対し、宮崎地方裁判所昭和四五年(手ワ)第七一号約束手形金等請求事件の手形判決に基づき、金二四五万円及び内金五〇万円に対する昭和四五年四月一九日から、内金一九五万円に対する同月二五日から各完済に至るまで、いずれも年六分の割合による金員の支払を求める債権を有している。
2. 市川は、現在無資力である。
3. 被控訴人は、別紙第一手形目録記載の約束手形七通(以下「第一各手形」という。)を振り出した。
4. 第一各手形には、いずれも、市川から株式会社西日本相互銀行へ、さらに同銀行から市川への裏書記載があり、控訴人は市川に代つて、現に、第一各手形を所持している。
5. よつて、控訴人は、市川に対する前記債権を保全するため、市川に代位して、市川が被控訴人に対して有する第一各手形債権を行使し、右各手形金合計金二六一万円及びこれに対する本件支払命令送達の日の翌日である昭和四八年六月一四日から完済まで、商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二、被控訴人の答弁及び抗弁
1. 答弁
前記請求原因1ないし4の各事実は、いずれも認める。
2. 抗弁
(一) 融通手形の抗弁
(1) 市川は、別紙第二手形目録記載の約束手形九通(以下「第二各手形」という。)を振り出した。
(2) 第一、第二各手形は、いずれも互いに資金調達のために振り出された融通手形である。
(3) したがつて、被控訴人は、市川及びその代位者である控訴人に対して、第一各手形の支払を拒むことができる。
(二) 相殺の抗弁
(1) 市川は、第二各手形を振り出し、被控訴人は、現に、右各手形を所持している。
(2) 被控訴人は、市川に対し、被控訴人の市川に対する第二各手形債権を自働債権とし、市川の被控訴人に対する第一各手形債権を受働債権として、これらを対当額で相殺する旨の意思表示をなし、右意思表示は、昭和四八年六月一二日市川に到達した。
(3) 仮に、右(2)の事実がなかつたとしても、被控訴人は、本件手形訴訟における昭和四九年一月二四日付準備書面によつて、前同様の相殺の意思表示をなし、右意思表示は、同日、市川の代位者である控訴人に到達した。
(4) したがつて、市川の被控訴人に対する第一各手形債権は、右相殺により消滅した。
三、抗弁に対する控訴人の答弁及び再抗弁
1. 答弁
(一) 抗弁(一)の(1)、(2)の各事実は、いずれも否認する。
第二各手形は、市川が逃亡した後に被控訴人によつて偽造されたものである。また、第一、第二各手形は、金額、振出日が一致せず、相互の関連性はないから、融通手形ではない。
(二) 抗弁(二)の(1)、(2)の各事実及び同(3)の事実のうち、被控訴人がその主張の相殺の意思表示をなし、右意思表示が被控訴人主張の日に控訴人に到達した事実はいずれも否認する。
2. 再抗弁
仮に抗弁(二)の(1)、(2)もしくは(3)の各事実があつたとしても、被控訴人が相殺の自働債権として主張する第二各手形債権は、いずれも各支払期日から三年を経過した昭和四八年四月二三日から同年五月二八日までの間に時効により消滅している。
四、再抗弁に対する被控訴人の答弁及び再々抗弁
1. 答弁
右主張は争う。
2. 再々抗弁
仮に、自働債権である第二各手形債権が、時効により消滅したとしても、右各手形債権は、いずれも時効消滅以前において、受働債権である第一各手形債権と相殺適状にあつたから、民法第五〇八条により、被控訴人のなした前記相殺の意思表示は有効である。
なお、約束手形の所持人が振出人に対して有する手形金債権の履行期は支払期日であつて、手形の呈示は単に付遅滞の要件にすぎないから、相殺適状であるか否かは手形の支払期日を基準にして判断すべきである。
五、再々抗弁に対する控訴人の答弁
第二各手形債権が、いずれも時効消滅以前において、第一各手形債権と相殺適状にあつたことは争う。
すなわち、約束手形は呈示証券であるから、その振出人の手形債務は、手形の呈示を受けてはじめて発生し、したがつて、右手形債務の弁済期日は、満期以後の呈示された日をもつて到来するものである。ところで、被控訴人が所持する第二各手形は、いずれも満期に支払場所に呈示されていない。したがつて、第二各手形は、被控訴人が市川に対し公示の方法によつて相殺の意思表示をなし、その効力が発生した昭和四八年六月一二日に呈示の効力を生じ、市川の右手形金債務は同日、その弁済期日が到来したものである。したがつて、第二各手形債権と第一各手形債権は、右の昭和四八年六月一二日以降になつて、はじめて相殺適状になつたが、第二各手形債権が遅くとも、いずれも時効消滅した昭和四八年五月二七日以前には相殺適状になかつたから、民法第五〇八条は適用されない。
第三、証拠関係(省略)
理由
一、前記請求原因1ないし4の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二、被控訴人は、第一各手形はいずれも融通手形であると主張する。しかし、被控訴人の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
三、そこで、被控訴人の相殺の抗弁及びこれに対する控訴人の主張について判断する。
1. いずれも成立に争いのない甲第五号証の一ないし七(第一各手形)の第一裏書人欄に顕出されている市川広吉の各住所、氏名の印影及びそれらの記名の右横にそれぞれ顕出されている「市川」なる印影と乙第一ないし九号証(第二各手形)の振出人欄に顕出されている市川広吉の各住所、氏名の印影及びそれらの記名の右横にそれぞれ顕出されている「市川」なる印影とが、いずれも同一の印章により顕出されたものと認められること及び原審における被控訴会社代表者菅沼茂本人尋問の結果によると、右乙第一ないし九号証はいずれも真正に成立したものと認められ、同乙第一ないし九号証、右被控訴会社代表者菅沼茂本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、市川が被控訴人に対し、第二各手形を振り出し、被控訴人が右各手形を現に所持している事実を認めることができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
2.(一)、成立に争いのない乙第一〇号証及び前記被控訴会社代表者菅沼茂本人尋問の結果によると、市川は事業に失敗し、昭和四五年四月二一日ころ以降行方不明となつたこと、そのため、被控訴人は、昭和四八年に至り、市川に対し、公示の方法により、被控訴人が市川に対して有する第二各手形の手形金合計金三六六万五、〇〇〇円をもつて、市川の被控訴人に対する第一各手形外四通の手形金合計金三六六万円と対当額において相殺する旨の意思表示をなし、右意思表示は、同年六月一二日、市川に到達したものとみなされたことがそれぞれ認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
しかしながら、手形は、呈示及び受戻証券であるから、後記のとおり、訴訟において攻撃防禦の方法として相殺をなす場合は別として、訴訟外で相殺をする場合には、相殺の意思表示をするほか、自働債権を表彰した手形を呈示し、かつ相殺後になお手形債権の一部が残存する場合のほかは右手形を相手方に交付することを必要とするというべきところ、前認定の事実によると、被控訴人が市川に対し、第二各手形を呈示、交付しなかつたことが明らかであるから、前記相殺の意思表示のみによつては、いまだ相殺の効果を生ずるに由ないものというほかない。
(二)、次に、被控訴人は、本件手形訴訟において、昭和四九年一月二四日付準備書面をもつて、前記被控訴人の市川に対する第二各手形債権を自働債権として、市川の被控訴人に対する第一各手形債権を受働債権として、これらを対当額において相殺する旨の意思表示をなし、右意思表示は、前同日、市川の代位者である控訴人に到達した旨主張する。そして、本件記録に徴すると、被控訴人の右主張事実を認めることができ、これを動かすに足りる証拠はない。
ところで、一般に手形債権を訴訟上行使する場合には、手形の呈示、交付を要しないこと、訴訟上の相殺は、予備的相殺の抗弁としてなされる場合が多いが、手形の呈示、交付を要するものとすれば、手形債権者に不測の損害を及ぼすおそれがあることなどからして、手形債権を自働債権として、訴訟上相殺の意思表示をなす場合には、訴訟外においてこれをなす場合と異なり、手形の呈示、交付を要しないものというべきである。そして、右訴訟上の相殺の意思表示は、債権者代位権に基づく訴訟においては、受働債権の権利者に代つて訴訟を追行する代位者に対してなすことをもつて足りると解される。したがつて、被控訴人の右相殺の意思表示は、自働債権の存在するかぎり有効であるというべきである。
3.(一)、控訴人は、被控訴人主張の自働債権である第二各手形債権は、すでに時効により消滅している旨主張する。ところで約束手形の所持人の振出人に対する手形債権は、満期の到来とともに、呈示の有無にかかわらず、これを行使することができるから、その時効期間は、満期から進行を始めるものというべきところ、前記三の1認定の事実から明らかなとおり、第二各手形の満期は別紙第二手形目録の各支払期日欄記載のとおりであつて、最も早いものが昭和四五年四月二二日、最も遅いものが同年五月二七日であるから、前記訴訟上の相殺の意思表示がなされた昭和四九年一月二四日当時には、第二各手形債権は、いずれも、手形法第七七条、第七〇条第一項所定の三年の消滅時効期間をすでに経過していたことが明らかである。
(二)、右の点に関し被控訴人は、自働債権である第二各手形債権と受働債権である第一各手形債権とは、いずれも右の時効期間経過前において相殺適状にあつたから民法第五〇八条により相殺が許される旨主張する。
前記一認定の事実に前記甲第五号証の一ないし七を総合すると、第一各手形は、いずれも被控訴人から市川宛に振り出されたものであるが、満期前に、一旦、市川から訴外株式会社西日本相互銀行にいずれも裏書譲渡されたうえ、支払拒絶証書作成期間経過後の昭和四八年六月五日に、再び同銀行から市川にいずれも裏書譲渡されたものであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そうすると、市川が、被控訴人に対して、受働債権である第一各手形債権を行使しうるに至つた時期は、同銀行から期限後裏書により右各手形、債権の譲渡を受けた昭和四八年六月五日であつたものといわなければならない。そして、自働債権である被控訴人の市川に対する第二各手形債権は、前記3の(一)のとおり、右各手形の支払期日以降これを行使することができたものであるから、結局第二各手形と第一各手形が相殺適状となつた時期は、昭和四八年六月五日であつたものというべきである。
そして、右の相殺適状となつた昭和四八年六月五日当時には、前記3の(一)の判示から明らかなとおり、第二各手形債権はいずれも三年の消滅時効期間をすでに経過していたものと認められる。したがつて、被控訴人の相殺の主張は、結局、理由がないことに帰する。
四、そうすると、控訴人の本件請求は、被控訴人に対し、第一各手形金合計金二六一万円(計算上明白である。)及びこれに対する本件支払命令送達の日の翌日であることが本件記録に照らして明らかな昭和四八年六月一四日(同月一三日現在において、すでに、前記請求原因1の債権額が右金二六一万円を上回ることが計算上明らかである。)から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払(ただし、代位者である控訴人の市川に対する前記請求原因1の債権額の範囲内)を求める限度においては、正当であるから、これを認容すべきであるが、その余の請求は失当としてこれを棄却すべきである。
五、それで、右と結論を一部異にする原判決及び本件手形判決を主文第一項の1.2.掲記のとおり変更し、民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条但書、第一九六条第二項第四項にしたがい、主文のとおり判決する。
別紙
第一手形目録
額面 支払期日 (昭和年月日) 支払地 支払場所 振出地 振出日 (昭和年月日) 振出人 受取人
(1) 四三万円 45・6・13 都城市 株式会社宮 崎銀行都城 北支店 都城市 45・2・13 被控訴人 市川広吉
(2) 三〇万円 45・6・18 〃 株式会社西 日本相互銀 行都城支店 〃 45・3・10 〃 〃
(3) 二一万円 45・7・8 〃 株式会社宮 崎銀行都城 北支店 〃 45・2・23 〃 〃
(4) 二七万円 45・7・8 〃 〃 〃 45・2・22 〃 〃
(5) 五〇万円 45・7・13 〃 〃 〃 45・3・10 〃 〃
(6) 五〇万円 45・7・20 〃 〃 〃 45・3・18 〃 〃
(7) 四〇万円 45・7・23 〃 株式会社西 日本相互銀 行都城支店 〃 45・3・10 〃 〃
別紙
第二手形目録
額面 支払期日 (昭和年月日) 支払地 支払場所 振出地 振出日 (昭和年月日) 振出人 受取人
(1) 五〇万円 45・4・22 宮崎市 株式会社西 日本相互銀 行宮崎支店 宮崎郡 田野町 45・1・12 市川広吉 被控訴人
(2) 五〇万円 45・4・28 〃 〃 〃 45・1・12 〃 〃
(3) 三五万円 45・4・30 〃 株式会社高 千穂相互銀 行大淀支店 〃 45・1・19 〃 〃
(4) 五〇万円 45・5・13 〃 〃 〃 45・1・19 〃 〃
(5) 三二万円 45・5・13 〃 〃 〃 45・2・5 〃 〃
(6) 四八万円 45・5・18 〃 株式会社西 日本相互銀 行宮崎支店 〃 45・1・28 〃 〃
(7) 五〇万円 45・5・19 〃 株式会社高 千穂相互銀 行大淀支店 〃 45・2・28 〃 〃
(8) 二八万円 45・5・23 〃 株式会社西 日本相互銀 行宮崎支店 〃 45・1・28 〃 〃
(9) 二三万五 〇〇〇円 45・5・27 〃 〃 〃 45・2・21 〃 〃