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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和53年(ネ)43号 判決 1985年10月31日

控訴人

日本国有鉄道

右代表者総裁

杉浦喬也

右訴訟代理人

和田久

控訴人

鹿児島県

右代表者知事

鎌田要人

右訴訟代理人

松村仲之助

右訴訟復代理人

野田健太郎

被控訴人

松鶴政盛

外一八名

被控訴人

北里ハツミ

右被控訴人ら訴訟代理人

亀田徳一郎

井之脇寿一

蔵元淳

小堀清直

主文

一  控訴人らの控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の申立

一  控訴人日本国有鉄道、同鹿児島県(以下「控訴人国鉄」、「控訴人県」という。)

1  原判決中控訴人ら敗訴部分を取消す。

2  被控訴人らの請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二  控訴人国鉄(原判決の仮執行の宣言に基づき給付した金員の返還請求)

1  控訴人国鉄に対し、被控訴人松鶴政盛は金二三二万一、八〇四円、同松鶴和光は金七三万四、八〇一円、同松鶴光広は金二三万四、八〇一円、同久木田富枝は金二三万四、八〇一円、同松鶴博は金二三万四、八〇一円、同松鶴政司は金二三万四、八〇一円、同松鶴政幸は金二三万四、八〇一円、同松鶴キヌ子は金一二八万一、八〇一円、同山下巖は金五万六、〇八三円、同海田幸子は金七、〇〇〇円、同中山陽子は金八万一、四六二円、同中山なぎさは金八、〇八〇円、同中山陽治郎は金一万七、〇〇〇円、同石原正雄は金五八万九、四〇〇円、同北里幸代は金三〇六万一、〇四七円、同北里美幸は金四一五万九、〇五一円、同北里敦弘は金四一五万九、〇五一円、同北里留は金五〇万円、同北里ハツミは金五〇万円及びそれぞれその右各金員に対する昭和四五年一一月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  仮執行の宣言。

三  被控訴人ら

1  本件各控訴を棄却する。

2  控訴人国鉄の前記二1の各金員の支払を求める請求を棄却する。

3  控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二  当事者の主張

当事者の主張は、次に訂正、付加するほか、原判決事実摘示中控訴人らに関する部分と同一であるから、これを引用する。

一  原判決の訂正付加

原判決六枚目裏一行目の「該当するもので、」の次に「控訴人国鉄は」と加入し、同七枚目表一行目の「外裂鋼板」を「外装鋼板」と、同九枚目裏末行の「業務であり」を「業務であるから」と、同一〇枚目表六行目の「市道より」を「市道が」と、同一〇枚目裏二行目の「著るしく」を「著しく」と、同九行目の「縁石」を「縁壁」と、同一二枚目表一三行目の「慰謝」を「慰藉」と、同一三枚目表一〇行目、同裏一三行目の各「著るしい」を「著しい」と、同表一一行目、同裏一行目、五行目の各「慰謝」を「慰藉」と、同一四枚目表九行目、同裏二行目の各「慰謝」を「慰藉」と、同一五枚目表一二行目の「原価」を「現価」と、同表一三行目、同裏七行目の「慰謝」を「慰藉」と、同一六枚目表一〇行目の「原価」を「現価」と、同一一行目の「慰謝」を「慰藉」と、同一七枚目表二行目の「原価」を「現価」と、同表四行目、同裏六行目の各「慰謝」を「慰藉」とそれぞれ訂正する。

同一八枚目裏一一行目の「所有者」を「かつ所有者」と、同二二枚目裏一三行目から同二三枚目表一行目の「約二〇メートル走行したあと、非常制動による急停止の措置をとるとともに、非常警笛を吹鳴したが及ばず、」を「直ちに非常制動による急停止の措置をとるとともに、非常警笛を吹鳴したが、右急停止の措置をとる場合に、いわゆる認知時間、反応時間にそれぞれ一秒間を要するため、右合計二秒間が経過するうちに約二〇メートル走行し、」と同二五枚目裏一一行目の「より、」を「よる」と、同二六枚目表一行目の「転落車、落石警報装置、車両」を「転落車、落石の警報装置及び転落車、落石、車両の」と、同二八枚目表四行目「とらわれて」を「車輪をとられたまま」とそれぞれ訂正する。

同三〇枚目裏末行の「二」を「三」と訂正し、同行の前に次のとおり加入する。

「二 被告県の主張に対する答弁

被告県主張の事実のうち、本件県道がもと市道であつて、これが昭和四〇年三月三一日県道に認定されたものであること、市道当時から国鉄軌道側に二段積の石造縁壁があることを認めるが、その余は争う。

なお、右縁壁は雨にも崩壊するようなもので車両の大型化、高速化に耐え得るものではない。」

二  控訴人国鉄の主張

1(一)  本件の県道吉野公園線(以下「県道」という。)は幅員七・七メートルの見とおしの良い直線道路であり、その国鉄軌道側には二段の縁石による石造縁壁が設置され、また右縁壁の内側には側溝が設置されていたのであるから、県道から国鉄軌道上への自動車等の転落防止のための設備としては、右縁壁及び側溝をもつて十分なものであつたというべきである。

(二)  仮に、右転落防止の設備が十分なものではなく、道路の管理に瑕疵があつたとしても、本件事故の責任は、以下のとおり控訴人県において負うべきものであつて、控訴人国鉄にはなんらの責任もない。すなわち、

(1) 県道の管理は、その路線の存する県が行なう旨その管理責任者が道路法一五条に法定され、控訴人県においてその管理を行なつているから、自動車等の転落防止のための設備は控訴人県の責任において設置すべきものである。

(2) そもそも国または地方公共団体が道路を設置管理する場合、道路の具有すべき安全性とは、当該道路における交通の安全を確保すべきことはいうまでもないが、同時に道路の法面の下部とか、あるいは道路の近くとかにある施設の安全、住民の生命、身体、財産等を侵害しないよう、その安全性を確保するものでなければならない。すなわち、道路管理者が道路からの自動車等の転落防止のための設備を講ずるのは、道路を通行する自動車等の安全を図るためであると同時に、道路の法面の下部にある施設、住民の安全を図るためである。

そして、本件においては、控訴人国鉄の軌道が控訴人県の管理する県道の法面の下に併進しているが、控訴人県は県道を管理して自動車等の通行の用に供している以上、自動車等の転落を防止し、これにより控訴人国鉄の軌道並びに軌道上を走行する列車、同列車の乗客の生命、身体等の安全が侵害されないようにすべき責務のあることは当然であつて、控訴人国鉄において県道の法面に安全施設を講ずべき責務があるものということはできない。

なお、このことは控訴人国鉄が強力な公共団体であることによつても異なるところはない。

2(一)  日豊本線では、本件事故が発生した昭和四五年頃には、未だ走行中の列車乗務員(運転士あるいは車掌)と地上施設(鉄道管理局あるいは駅等)との間を直接連絡する手段がなく、走行中の列車乗務員に対しては最寄りの停車駅において連絡することとしていたものであり、昭和五四年一〇月頃に至りはじめて電気機関車、ディーゼル機関車に乗務員用無線機を塔載したが、これも駅から五〇〇メートル以内を走行している列車に限り、駅と列車乗務員との連絡をなし得るにとどまり、それ以外の場合にはこれにより連絡することは不可能である。

(二)(1)  ところで、東海道新幹線においては、列車の運転速度が毎時最高二一〇キロメートルという高速度で、運転回数も上下二一〇本以上の過密ダイヤであり、しかも各停車駅間の距離は平均四二キロメートルの長距離になつていることから、列車を円滑に運転し、その安全を確保するためには、日豊本線のように最寄りの停車駅で走行中の列車乗務員に連絡するだけでは不十分であり、そのため東京の中央指令所から走行中の列車乗務員に直接連絡するため、全線区の各箇所に無線機とアンテナを設置し、トンネル内には特殊な設備のケーブルを設置している。

しかしながら、日豊本線においては、昭和四五年頃列車の運転速度は毎時最高九五キロメートル(竜ケ水、鹿児島各駅間では六五キロメートル)で、運転回数も上下五七本であり、しかも各停車駅間の距離も平均四・五キロメートル(竜ケ水、鹿児島各駅間は七キロメートル)の近距離である。

3  控訴人国鉄は、列車の運行の安全、軌道の保全につき、軌道上への異物の転落、落石等のおそれがある箇所には、警報装置を設置し、転落車両等の侵入を防止するための棚、網等を設置し、踏切に支障がある場合の警報装置等の保安設備を設置し、軌道と道路が併進して自動車等の転落のおそれがある場合には、道路管理者に保安設備の設置を要請してこれを設置せしめている。

また、本件事故現場付近の県道には、従来から軌道上への異物の転落防止のために石造縁壁が設置され、更に列車の運転については運転取扱基準規程を設けて運転の安全を図り、万一の予期し得ない異常事態が発生した場合には前記のとおり最寄りの停車駅で列車乗務員に連絡する方法を講じていたものである。

そして、日豊本線の列車の運転速度、運転回数、各駅間の距離及び保安設備設置の状況等から考えると、日豊本線の全線四二六キロメートルにわたつて東海道新幹線のような列車無線装置を設置していなかつたとしても、これをもつて鉄道施設の管理に瑕疵があるものということはできない。

4  仮に、日豊本線においても、東海道新幹線のように走行中の列車乗務員に直接連絡する方法を講じていたとしても、次のとおり本件事故の発生を防止することは不可能であつた。すなわち、

(一) 鹿児島鉄道管理局運転部列車課主席宮下一指令長は、本件事故当日の午前一〇時二九分に警察署からの電話で日高靖夫運転の本件自動車が軌道上に転落した旨の通報を受けたが、同一〇時三〇分には既に本件事故が発生していたのであるから、その間には僅かに一分間位の余裕しかなかつたものである。

(二) そして、宮下指令長が、本件自動車転落の通報を受けるや、その転落場所を確認し、無線連絡により走行中の列車乗務員を呼出して転落場所を通報し急制動の措置をとるべきことを指令するには少くとも一分間位の時間を要するところ、通報を受けた乗務員が右指令に基づいて急制動の措置をとるまでの認知、反応、空走の各時間を考慮すれば、本件事故を回避することは不可能である。

なお、本件事故当時、鳥越トンネルの竜ケ水駅側入口(鳥越トンネル入口)の手前で、小倉駅起点四六〇・一二五キロメートルの地点に遠方信号機が設置されていたが、この信号機は青色と黄色の標識だけであり、青色の標識は列車の六五キロメートル以下の減速進行を、黄色の標識は列車の四五キロメートル以下の注意進行をそれぞれ示すものであつて、右信号機には停止の標識がなく、また宮下指令長が本件自動車転落の通報を受けた午前一〇時二九分には、列車が既に右信号機の設置地点を通過して小倉駅起点六四〇・一四〇キロメートルの地点を走行中であつたから、右信号機の指示により本件事故の発生を回避することもまた不可能であつた。

三  控訴人国鉄の原判決の仮執行宣言に基づき給付した金員の返還請求の原因

1  控訴人国鉄は昭和五三年四月二一日被控訴人らから原判決の仮執行の宣言に基づいて有体動産に対する強制執行を受けた。

2  そこで、控訴人国鉄は同日被控訴人らに対し、原判決で支払を命じられた各債務元本合計金一、八六五万〇、五八五円及びこれに対する昭和四五年一一月二四日から昭五三年四月二一日まで年五分の割合による遅延損害金六九〇万八、三八一円を支払つた。

四  控訴人県の主張

1  控訴人県は、本件事故現場付近の県道上に石造縁壁を設置していたが、右石造縁壁は次の理由により同付近の地形上要求される自動車等の転落防止施設として十分なものであつた。

(一) 本件事故現場付近の県道は縁壁に自動車等が接触ないし衝突するおそれの極めて少ない道路である。すなわち、

(1) 本件県道は直線で見とおしが良く、その幅員は七・七メートルと広く、かつ、舗装されているので、自動車の運転者にとつて極めて運転しやすい道路である。

(2) 本件県道の国鉄軌道側には側溝があつて、これにより自動車を容易に縁壁に近づけない作用を営んでいる。

(3) 本件県道においては、本件事故発生に至るまでの長年の間にわたり、昭和四四年一一月一九日の転落事故を除き、自動車等が縁壁に接触ないし衝突するような交通事故は全く発生していないのであるが、このことは、本件県道が右(1)、(2)の理由により、自動車等が縁壁に接触ないし衝突するおそれの極めて少ない箇所であることを示しているものである。

(二) 石造縁壁は、上下二段の各縁石がモルタルによつて互いに接着され、その幅が約二四センチメートルにあるため、縁壁に対し横から圧力が加わるときは、縁石が互いに押合つて反発するため、縁壁は相当の衝撃に耐え得る強度を持つものであつた。

現在県道各所に設置されている新しいガードレールであつても、いかなる自動車のいかなる衝撃にも耐え得るほど強度なものではない。ガードレールや縁石の果す役割は、先ず自動車運転者の視線を誘導することにあり、もし何らかの理由で、これに自動車等が接触ないし衝突して衝撃が加わつたとしても、道路の状態に即して通常予測できる程度の衝撃に耐え得れば、これをもつて十分であるというべきである。

(三) 石造縁壁は本件事故により結果的には崩壊したけれども、これは自動車運転者日高靖夫の無謀な運転行為によるものであつて、このような無謀な運転行為は控訴人県の予測し難いところである。すなわち、日高は積載量七・五トンの本件自動車を運転し、その車輪を県道の側溝に落ち込ませて正常な車道から脱輪するや、車体が右傾して縁壁に接し、かなり高い「がらがらつ」という擦過音を発していたのであるから、そのまま進行すれば縁壁を崩壊して転落する危険が予測され、従つて通常の自動車運転者として当然急制動の措置をとるべきであるにもかかわらず、日高は急制動の措置をとらないだけでなく、かえつてアクセル・ペダルを踏んで加速したため、縁壁を崩壊するに至つたものであり、控訴人県は県道の管理者としてこのような無謀な運転行為までも予測してこれに耐え得るような施設を設置する義務はない。

2  道路の設置、管理に瑕疵があり、本件事故を発生せしめたとしても、その責任は次のとおり控訴人国鉄においてこれを負うべきものであつて、控訴人県にはなんらの責任もない。仮に、控訴人県になんらかの責任があるとしても、控訴人県が控訴人国鉄と同額の損害賠償義務を負担するいわれはない。

(一) 本件事故現場付近は県道と日豊本線の軌道が併進して、軌道が県道の崖下を通つているのであるから、控訴人国鉄は自動車等の障害物が軌道敷に転落しないように県道の法肩と軌道敷との間に保安施設を設置するだけでなく、もし仮に自動車等の障害物が軌道敷に転落した場合には、右障害物と列車との衝突を防止できるような保安施設を軌道敷に設置する義務がある。また、いうまでもなく、本件事故の被害者は控訴人国鉄の列車に乗つていた乗客であつて、県道の通行者でもなく、また県道から転落した者でもない。

(二) 控訴人国鉄は、強力な公共団体であつて、県道の法肩と軌道敷との間の東西両斜面を所有しているのであるから、右(一)の保安施設として右両斜面を利用しトンネル状に天蓋を設けることも可能であるし、また県道の法肩に自動車等の転落を防止するため、既設の石造縁壁より強力な施設を設置することは極めて容易である。このほか、控訴人県の道路管理上の義務は第一次的に県道を通行する人や車両の安全を図ることにある点を考慮すれば、控訴人県が県道に石造縁壁を備え一応の保安施設を講じている以上、控訴人県の道路管理上の瑕疵に基づく責任は控訴人国鉄の鉄道施設管理上の瑕疵に基づく責任の前に顕在することなく、従つて、控訴人県は本件事故について控訴人国鉄と共同不法行為の責任を負うものではないというべきである。

(三) 仮に、控訴人県が一部責任を負うべきものであるとしても、その責任原因である道路管理上の瑕疵の程度は控訴人国鉄の鉄道施設管理上の瑕疵と対比し、その半分以下と解すべきであるから、控訴人県の負うべき責任もまた控訴人国鉄のそれの半分以下にとどめるのが相当である。

五  被控訴人らの主張

1  控訴人国鉄の前記二の主張について

(一)(1) 同二1(一)の主張事実のうち、県道上の石造縁壁及び側溝が県道からの転落防止のための設備として十分なものであつたとの事実は否認し、その余の事実は認める。

(2) 同二1(二)及び同2ないし4の主張事実は争う。

控訴人国鉄は、自動車等の障害物が県道から日豊本線の軌道敷内に転落しないように保安施設を設置するか、もし仮に転落したとしても、自動車等の障害物が列車との衝突を防止できるような保安施設を設置すべき義務があるのにかかわらず、この義務の履行を怠つて右のような保安施設を設置しなかつた管理上の瑕疵に基づき本件事故を発生せしめたものである。

2  控訴人国鉄の前記三の請求の原因について

右請求の原因事実は認める。

3  控訴人県の前記四の主張について

(一)(1) 同四1(一)の主張事実のうち、石造縁壁及び側溝が県道からの転落防止設備として不十分なものであつたとの事実は否認する。

本件県道が直線で見とおしが良く運転しやすい道路であることは、それだけ自動車運転者がスピードを出しやすいことになるので、控訴人県の主張するように、自動車が縁壁に接触ないし衝突するおそれの極めて少ない道路であるということはできない。

本件県道にある側溝は、幅約四〇センチメートル、深さ約一五センチメートルの道路排水用の小さなものであるから、控訴人県の主張するように側溝が自動車を縁壁に近づけない作用を営むものではない。むしろ、これとは逆に側溝があるために、自動車を縁壁に近づける作用をする場合がある。すなわち、側溝に砂利、火山灰等の異物が堆積している場合、側溝は舗装された県道と比較していわゆる摩擦係数が低いので、もし自動車運転者が自動車の片側車輪を側溝に落した場合、摩擦係数の低い側溝の方向すなわち縁壁の方向にハンドルをとられ、自動車を縁壁に近づける作用を営むことがある。

(2) 同四1(二)の主張事実のうち、縁壁の強度に関する事実は否認する。

控訴人県の主張するように、現在県道各所に設置されている新しいガードレールであつても、いかなる車両のいかなる衝撃にも耐え得るほど強度なものでないかもしれないが、県道が仮に崖の上を走り、その県道の側端にガードレールが設置されている場合、崖下に何があるかによつて、ガードレールの強度は当然のことながら差異がなければならない。すなわち、崖下が原野である場合と、本件のように国鉄の軌道がある場合とでは、おのずからガードレールの強度に差異があり、道路管理者の注意義務、予見義務が異なつてくるのはいうまでもない。本件事故現場付近の県道において、ダンプカーの衝撃に耐え得るほどの縁壁を設置することは控訴人県にとつて、当時の技術水準からみても、また経済的能力からみても、さほど困難なことではなかつた。

(3) 同四1(三)の主張事実のうち、縁壁崩壊の原因は日高の無謀な運転行為によるものであつて、このような無謀な運転行為は控訴人県の予測し難いところであるとの事実は否認する。

自動車と事故の対象物との接触ないし衝突を回避するためには、自動車運転者としてハンドル操作と制動操作(ブレーキ操作、アクセル操作)をそれぞれ組合せ、ある場合にはハンドルを操作して接触ないし衝突を回避し、自車が衝突しようとする場合にはブレーキを操作し、自車が追突されるような場合にはアクセルを操作したりする。そして、経験則上、初心者ほどブレーキを操作することにより、また熟練者ほどアクセルを操作することによりそれぞれ接触ないし衝突を回避しているものである。日高は熟練の自動車運転者として側溝に落ちるや、直ちに側溝から上がるためにアクセルの操作をし、側溝から上がることができなかつたため、ブレーキの操作をしたものであり、日高のこのような瞬間的な判断と操作とは、その結果の当否はさておき、熟練した自動車運転者にありがちな運転操作であつて、決して異常な運転操作ではない。

本件事故が発生した当時はモータリゼーションの最盛期であり、自動車の高速化、大型化、大量化が年々進行し外的環境も団地等の開発によつて大幅に変ぼうしつつあつたから、このような事情を考慮すれば、自動車が国鉄軌道上に転落することは、たやすく予見し得るところであつて、控訴人県の主張するように予測し難いこととはいえない。

(二) 同四2の主張は争う。

本件事故は、控訴人県の道路の管理上の瑕疵と、控訴人国鉄の鉄道施設の管理上の瑕疵とが競合して、その発生の原因となつているので、民法七一九条一項の共同不法行為に該当するものであつて、控訴人県の責任を控訴人国鉄のそれと対比して軽減すべきなんらの事由もない。

第三  証拠関係<省略>

理由

第一本件事故の発生及びその経緯

一本件事故の発生

日高靖夫(以下「日高」という。)が、昭和四五年一一月二四日午前一〇時二五分頃大型貨物自動車(ダンプカー、以下「本件自動車」という。)を運転して鹿児島市稲荷町二四番二五号先付近の県道吉野公園線(以下「県道」ともいう。)を進行中、県道から日豊本線の軌道上に本件自動車を転落させ、そこへ国鉄竜ケ水駅方面から走行してきた山本義久の運転する国鉄宮崎駅発山川駅行きの五両連絡の急行列車錦江一号(以下「本件列車」という。)の右前部が本件自動車に衝突して、本件列車の一両目が脱線横転し、二両目が脱線したこと(以下「本件事故」という。)、本件事故により本件列車の乗客であつた北里留一ほか一名が死亡したほか、三三名の乗客が傷害を負つたことはいずれも当事者間に争いがない。

二本件事故現場付近の状況

<証拠>によると、本件事故現場付近の状況は次のとおりであると認めることができ、<証拠>中この認定に反する部分は前掲各証拠に照らしにわかに措信し難く、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

1  本件事故現場は、鹿児島市稲荷町の住宅地区にあり、原判決添付別紙図面第一図のとおり、西側から順次、鹿児島市街地方面から加治木町方面に向かう国道一〇号線、稲荷町から吉野町方面に向かう県道吉野公園線、国鉄鹿児島駅から竜ケ水駅に向かう日豊本線及び市道があり、いずれも南北に走つているが、県道吉野公園線は、鹿児島市稲荷町二四番二五号先の国道一〇号線から分岐し、北方にある吉野町方面に通ずる二車線の道路で、右分岐点付近から北方約一三〇メートルに位置する日豊本線の鳥越トンネルの鹿児島駅側出口(以下「鳥越トンネル出口」という。)付近まで、東側は日豊本線、西側は国道一〇号線に各接して併進している。

なお、県道吉野公園線は、もと鹿児島市の管理する市道であつたが、昭和四〇年三月三一日県道に認定替えされ、以後、控訴人県において管理しているものである(ただし、この事実は控訴人県と被控訴人らとの間では争いがない。)。

2(一)  本件県道は、右分岐点付近で幅員が七・七メートルあり、吉野町方面に向かつて緩やかな上り勾配となつている。そして、県道と日豊本線との併進区間には、原判決添付別紙図面第一、第二図のとおり幅約四〇センチメートル、深さ約一五センチメートルのコンクリート製の無蓋側溝が設置され、右側溝の東側には石造縁壁(長さ約一メートル、幅約二五センチメートル、上段の高さ約三〇センチメートル、下段の高さ約四〇センチメートルの二個の縁石がセメントモルタルで接着されたもので、下段の縁石は道路側で約一五センチメートル、軌道側で約二四・五センチメートルの部分が埋設されており、道路面から縁壁上端までの高さは約四〇センチメートルである。)が設置されている(ただし、鳥越トンネル出口の南方約二〇メートルの地点から後記転落地点方向への約三〇メートルの区間は、昭和四四年六月末から七月初めの集中豪雨で、同年七月五日右縁石及びこれを支持する法面が崩壊し、その後同年一二月から昭和四五年一月にかけて行なわれた復旧工事の結果、法面に添つてコンクリート製擁壁が設けられ、その法肩に右石造縁壁より約五センチメートル高いコンクリート製の縁壁が設置された。)。更に、右縁壁の東側には、右第二図のとおり八〇ないし一〇〇センチメートル位の幅で平担な土羽があり(ただし、右復旧工事個所を除く。)、その端(法肩)から約六〇度の下り急斜面となり、右斜面の日豊本線軌道敷までの斜面の距離は、前記国道一〇号線と県道との分岐点付近で約五メートル、鳥越トンネル出口南方九三・三メートルの地点で約六・八メートル、同トンネル出口付近で約一二・六メートルある。

なお、県道と国道一〇号線との併進区間にも、右第一、第二図のとおり東側と同様の無蓋側溝が設置されており、右国道との分岐点から県道は緩やかな上り勾配となつているため、県道と国道一〇号線とは法面によつて截然と区分されている。

(二)  本件県道は、コンクリート舗装道路で、国道一〇号線との分岐点から吉野町方面へ直線で延びており、かつ、同分岐点のある国道一〇号線の鹿児島市街地方面から吉野町方面(北方)への見とおしは良く、また、鳥越トンネル出口付近の県道から国道一〇号線の鹿児島市街地方面への見とおしも極めて良好である。

なお、本件事故現場付近の本件県道には、追越禁止の道路標識は設置されていない(ただし、この事実は控訴人県と被控訴人らとの間では争いがない。)。

3  本件県道が昭和四〇年三月三一日県道に認定替えされた以降、本件事故発生までの間には、本件事故現場付近では昭和四四年一一月一九日深夜に軽自動車が県道から日豊本線の軌道敷へ転落するという事故が一件発生したことがあるが、右事故は右2(一)の法面崩壊現場復旧工事未完了部分の石造縁壁が欠落している個所から、居眠り運転の軽自動車が転落したものであつた。

4(一)  本件事故現場付近の日豊本線は軌道敷の幅員五・五メートルで南北に走り、南方に鹿児島駅、北方に竜ケ水駅があり、両駅間に三九六メートルの鳥越トンネルがあつて、同トンネル出口は鹿児島駅から一、四三八メートル、小倉駅基点から四六〇・六二八キロメートルの地点にある。

本件事故現場付近の日豊本線軌道敷の西側は前記2(一)のとおり約六〇度の上り急斜面となつており、右斜面上部に本件県道があつて、東側もほぼ同様の上り急斜面で、その上部に市道がある。

(二)  右日豊本線の軌道は、小倉駅基点四六〇・四〇四キロメートル(鳥越トンネル出口から二二四メートル北方)から同四六〇・七〇五キロメートル(右トンネル出口から七七メートル南方)の三〇一メートルの区間は曲線半径三〇一・七五メートルの左カーブ(ただし、竜ケ水駅から鹿児島駅方面に向かう場合である。)となつており、同カーブの南側終点から鹿児島駅側一四八メートルの区間は直線になつている。また、小倉駅基点四六〇・一一五キロメートルから同四六〇・七七九キロメートル(鳥越トンネル出口の南方一五一メートル)の六六四メートルの区間は一、〇〇〇分の一〇の上り勾配(ただし、竜ケ水駅方面から鹿児島駅方面へ向かう場合である。)になつている。そして、鳥越トンネルの南方約二五二メートルの鹿児島駅側寄りの軌道敷東側には場内信号機、右信号機から約七〇〇メートル北方の竜ケ水駅側には遠方信号機(磯の遠方信号機)がそれぞれ設置されている(ただし、右磯の遠方信号機が設置されている事実は控訴人国鉄と被控訴人らとの間では争いがない。)。

5  昭和四五年頃、日豊本線においては、列車の運転速度が毎時最高九五キロメートル(ただし、鹿児島、竜ケ水駅間では六五キロメートル)で運行されており、本件事故現場付近における運転回数は一日上下合わせて五七本であつた。

このように認めることができる。

三本件事故発生の経緯

前記一認定の事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、<証拠>中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしにわかに措信し難く、他にこの認定を動かすに足りる証拠はない。

1(一)  日高は、昭和四五年一一月一四日訴外太田建設こと太田義輝に運転手として雇傭され、同年一一月一六日以降鳥越トンネルの北方にある滝之神の工事現場から与次郎ケ浜まで本件自動車(鹿一あ八〇七四号、昭和四二年式ダンプ、車高二・六七メートル、車幅二・四五メートル、車長七・〇五メートル、最大積載量七・五トン)で土砂を運搬する作業に従事していた。

(二)  日高は、同年一一月二四日、前記工事現場から与次郎ケ浜まで土砂を運搬した後、右工事現場へ引き返すため、本件自動車を運転して時速約四〇キロメートルで国道一〇号線を鹿児島市街地方面から加治木町方向に進行し、午前一〇時二五分頃、原判決添付別紙図面第一図の鹿児島市稲荷町二四番二五号先の国道一〇号線と県道との分岐点(Y字型交差点)付近にさしかかり、右速度で国道一〇号線から右側に進路を移して県道に進入し吉野町方面に向けて進行しようとした際、前方約三〇メートルの右分岐点付近の県道中央寄りを吉野町方面に時速一〇ないし二〇キロメートルで進行している先行自動車を認めた。

そこで、日高は、県道吉野町方面からの対向車両もなかつたことから、右先行車の右側(東側)を通つてこれを追越そうと考え、前記同速度で県道に進入して先行車に追いつき、道路中央寄りを走行していた先行車の避譲をまたず、その右側(東側)に進出してこれを追い越しにかかつたが、本件自動車と先行車とが接触しそうになり、これを回避するため、ハンドルをやや右に転把したところ、本件自動車の右前輪が県道東側の側溝に落輪した。そして、日高は、本件自動車が大型車両であることを過信し、減速あるいは停止措置をとることなく、アクセル・ペダルを踏み込んで加速しその勢いで右側溝から上がつて脱出しようとしたが、かえつて側溝にハンドルをとられ、右前輪のホイルナット付近を石造縁壁に激突させ、そのままの状態で本件自動車を約一七・六メートル進行させたところ、その間約一三・三メートルにわたつて石造縁壁の上段の縁石を下段の縁石から剥離、崩落させ(一部は縁石自体が折れている。)、本件自動車は下段の縁石を乗り越えて路外に進出するに至つたため、日高は急拠制動措置をとつたが時すでに遅く、本件自動車は制禦姿勢を失い、日豊本線の軌道敷内に転落して行つた。

(三)  本件自動車の転落地点は鳥越トンネル出口から九三・三メートルの日豊本線の西側軌条のやや外側付近であつて、本件自動車は前部を右軌条側に向け、車体後部を法面上に残した格好で停止した。

(四)  日高は、本件自動車を転落させた後、これから下車して、県道上の通行人に対し、事故の発生を警察署に緊急通報してくれるように声をかけたが、本件自動車に装備していた発煙筒を利用するなどして接近してくる列車に対し危険を報らせるような措置をとることもなく、法面を這い上がつて、右現場近くの煙草販売店へ赴き、警察署及び国鉄へ事故発生を電話連絡してくれるように依頼したところ、右商店前で事故の状況を目撃していた訴外竹之内静がすでに警察署に事故の発生を緊急通報したところであつた。そこで、日高は、雇主の太田義輝に対し電話をかけて、事故の発生を報らせ、クレーン車の手配を要請しているうちに後記のとおり本件自動車と本件列車との衝突事故が発生した。

2(一)  本件列車は、宮崎駅発山川駅行きのディーゼル気動による五両連結の急行列車錦江一号(下り急行第五〇三D列車)で、都城駅から乗り込んだ山本義久機関士が運転していたものであるが、右列車は同年一一月二四日午前一〇時三一分三〇秒鹿児島駅に到着する予定で運行されていた。

(二)  山本機関士は、本件列車を運転して、竜ケ水駅を定刻の午前一〇時二三分四五秒頃に通過し、磯の遠方信号機の青の表示に従つて進行し、午前一〇時二九分頃鳥越トンネルにさしかかり、同トンネルの竜ケ水駅側入口(以下「鳥越トンネル入口」という。)付近を時速約五八キロメートル、同トンネル中央付近を時速約五六キロメートル、同トンネル出口を時速約五五キロメートルで走行し、右トンネル出口付近に差しかかつた途端、前方軌道敷内に障害物(本件自動車)が転落しているのを発見し、非常制動による急停止の措置をとるとともに、非常警笛を吹鳴したが及ばず、本件列車一両目の右前部を本件自動車に衝突させた。右衝突後、本件列車は、約一九メートル本件自動車を引きづりながら進行し、右列車の一両目は脱線し進行方向左側に約四五度傾斜して土手に横転し、二両目は脱線し、鳥越トンネル出口から鹿児島駅方向へ一二七・七メートルの地点で停止した。

なお、本件事故発生当時、本件列車は山本機関士が運転席に、小野原四郎機関士が助手席に、境輝顕車掌が三両目の車掌室に乗務して運行されていたが、乗客は一両目約七〇名、二両目約一七名、三両目約四四名、四両目約七〇名、五両目約五〇名の合計約二五一名であつた。

(三)  控訴人国鉄の鹿児島鉄道管理局運転部列車課主席宮下一指令長は、午前一〇時二九分頃に警察署から本件自動車が鳥越トンネル付近の軌道敷内に転落したとの通報を受けたので、直ちに本件列車を停止させるため、指令担当の又木正男に竜ケ水駅へ電話連絡させたが、前記のとおり本件列車はすでに竜ケ水駅を通過した後であつた。そこで、宮下指令長は、午前一〇時三〇分頃、自ら鹿児島駅の上園運転助役に電話連絡して本件列車の防護処置すなわち本件列車事故を避止するための手配を指令したが、その頃にはすでに前記のとおり本件事故が発生しており、午前一〇時三二分頃には右運転部列車課に事故発生の通報があつた。

このように認めることができる。

四被害状況

前記一認定のとおり、本件事故により本件列車の乗客であつた北里留一ほか一名が死亡し、三三名の乗客が傷害を受けたが、<証拠>によると、右関係者の本件列車の一両目に乗車していた原判決添付別紙第二目録記載の北里留一、松鶴ケサツイ、被控訴人松鶴キヌ子、同海田幸子、同山下巖、同中山陽子、同中山なぎさ、同中山陽治郎、同石原正雄ら九名が本件事故により右目録の「本件事故当時の受傷状況」欄記載の各傷害を受けたこと、北里留一が右傷害を原因として即死したことが認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。

第二控訴人らの責任

一被控訴人らは、後記のとおり、本件事故は控訴人県の設置管理する県道及び控訴人国鉄の設置管理する鉄道施設の各瑕疵によつて生じたものであるから、控訴人両名は国家賠償法(以下「国賠法」と略す。)二条一項に基づき右事故に対する責任を負うべきであると主張するので、検討するに、国賠法二条一項の道路等の営造物の設置または管理の瑕疵とは、右営造物が通常有すべき安全性を欠いている状態をいうのであるが、そこにいう安全性の欠如、すなわち、他人に危害を及ぼす危険性のある状態とは、ひとり当該営造物を構成する物的施設自体に存する物理的、外形的な欠陥ないし不備によつて一般的に右のような危害を生ぜしめる危険性がある場合のみならず、その営造物が供用目的に沿つて利用されることとの関連において危害を生ぜしめる危険性がある場合をも含み、また、その危害は、営造物の利用者に対してのみならず、利用者以外の第三者に対するそれをも含むものと解すべきである。従つて、右営造物の設置・管理者において、かかる危険性があるにもかかわらず、これにつき特段の措置を講ずることなく、また適切な制限を加えないままこれを利用に供し、その結果利用者または第三者に対して現実に危害を生ぜしめたときは、それが右設置・管理者の予測し得ない事由によるものでない限り、国賠法二条一項の規定による責任を免れることはできないものと解すべきである(最高裁昭和五六年一二月一六日大法廷判決・民集三五巻一〇号一三六九頁参照)。

なお、右瑕疵の存否については、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断するほかないものというべきである(最高裁昭和五三年七月四日第三小法廷判決・民集三二巻五号八〇九頁参照)。

二控訴人県が本件県道の管理責任者であることは控訴人県と被控訴人らとの間では争いがないところ、被控訴人らは、本件事故現場付近の県道は危険個所であるのに追越禁止等の標識がなく、また日豊本線への車両等の転落を防止するためのガードレールの設置もなく、従前道路脇に設置されていた石造縁壁は右転落防止設備として十分なものではなく、本件事故はこのような県道の設置、管理の瑕疵に基づいて発生したものであると主張するので、以下、前記一の見地に立つて右瑕疵の存否を判断する。

1 前記第一の二12認定のとおり、本件事故現場付近の県道は、鹿児島市稲荷町二四番二五号先の国道一〇号線からY字型に分岐しており、右分岐点付近で幅員が七・七メートルあり、その勾配率も緩やかな直線の二車線の道路であつて、その見とおしも良く、かつ、県道と日豊本線との併進区間の県道東側には、幅約四〇センチメートル、深さ約一五センチメートルのコンクリート製の無蓋側溝が、その外側には石造縁壁(長さ約一メートル、幅約二五センチメートル、上段の高さ約三〇センチメートル、下段の高さ約四〇センチメートルの二個の縁石がセメントモルタルで接着されたもので、下段の縁石は道路側で約一五センチメートル、軌道側で約二四・五センチメートルの部分が埋設されており、道路面から縁壁上端までの高さは約四〇センチメートルである。)が各設置され、更に右縁壁の外側には八〇ないし一〇〇センチメートルの幅で平担な土羽があり(ただし、昭和四四年一二月から昭和四五年一月に災害復旧工事が実施された部分を除く。)、その端(法肩)から急斜面となり斜面距離で五ないし一二・六メートルの下に日豊本線の軌道が設置されるという状況にあるから、本件県道と日豊本線の法肩とは右石造縁壁によつて截然と区分され、かつ、右側溝は車道端を明示し、県道を通行する車両等を縁壁に近付けないようにする機能を有し(なお、本件全証拠によつても、右側溝が土砂等によつて埋没するなどして右機能を失なつていたものと認めることはできない。)、石造縁壁は、県道を通行する車両等の運転者の視線を誘導し、車両等がこれに接触ないし衝突することを回避し、ひいては車両等が路外へ転落することを一応防止する機能を有したものと認めることができる。

このような本件県道の構造及び設置状況等からすれば、本件事故現場付近の県道における自動車等の運転には通常困難を伴うものがあるとは到底考えられず、本件県道の設置及び構造自体に車両等が路外へ転落する危険があつたとは認められない。従つて、本件県道の設置自体に瑕疵があつたということはできない。

2  しかしながら、本件県道がその設置自体に瑕疵がなく、従前の道路利用においてその機能を十分果してきたとしても、交通量の増加、通行車両の大型化などによる道路利用状況等の変化に伴つてこれに応え得るだけの安全性を具備しない状態に立ち至つた場合に、これにつき特段の措置を講ずることなく道路を利用に供し、その結果利用者または第三者に対して現実に危害を生ぜしめたときにおいてはその管理に瑕疵があるものとされることは前記一のとおりであり、以下右瑕疵の存否について検討する。

(一) 前記第一の二12認定の事実に、<証拠>によると、次の事実を認めることができ、これを動かすに足りる証拠はない。

(1) 本件県道は、もと市道であつたところ、昭和四〇年三月三一日県道に認定替えされたが、市道から県道に認定替えされたのは、昭和三九年六月右道路の北方に鹿児島市吉野公園(県立)の開設が計画され、道路法七条一項一号にいう主要地と主要な観光地を連絡する道路となつて、交通上重要な路線となり、交通量も増加することが予想されたためであつた。

なお、本件事故現場付近の県道は、市道から認定替えされた時点においては、国道一〇号線との分岐点付近で、幅員約七・七メートルの簡易舗装された二車線道路であり、県道移管後に、控訴人県が右路面に上張り(オーバーレイ)しただけで、その他の状況は前記第一の二2のとおりであつた。

(2) 鹿児島開発事業団は昭和四〇年から同四四年にかけて県道の北方にある吉野町に大明ケ丘、天神山団地の宅地造成を施工したほか、控訴人県は昭和四〇年九月吉野公園(三〇・九ヘクタール)の事業認可を受け、昭和四五年五月同公園を開設した。

(3) 計画及び工事開始時期は不明であるが、控訴人県は、本件事故の発生前から、鹿児島市稲荷町から国道一〇号線と分岐する県道吉野公園線につき、右分岐点南方の鹿児島市街地方面から吉野町方面へ向かう二車線の高架道路を国道一〇号線の西側に、吉野町方面から右分岐点南方の鹿児島市街地方面に向かう二車線の高架道路を国道一〇号線の東側及び日豊本線の軌道敷との間に建築する改修工事を計画し、前者については本件事故発生当時すでに工事に着手し、高架の橋脚の建設を進めていた(甲第一号証の一八三の実況見分調査②、③、の各写真参照)。

なお、右鹿児島市街地から吉野町方面へ向かう二車線の高架道路については、原審(第一回)における検証が実施された昭和四六年一〇月一六日当時にはすでに上下線の道路として供用開始され、本件事故が発生した県道は改修工事のため、通行が禁止されている。

(4) 本件県道と国道一〇号線との分岐点付近における県道の交通量については本件事故当時までに調査された資料がなく不明であるが、県道の吉野町付近における交通量は、昭和四三年度二、一七八台(一二時間)、昭和四六年度三、四八八台(一二時間)であつた。

このように認めることができ、右認定事実によれば、本件県道は鹿児島市街地と吉野町方面を結ぶ交通上重要な道路であつて、本件事故現場付近の県道は、市道から県道に認定替えされた後、宅地造成、吉野公園開設及び県道改修工事等のため、建設用の大型車両の交通が増大するのに加え、その他の車両の交通量が増加するなど道路利用状況及び道路環境は急激に変化しつつあつたものと推認することができる。

(二) 右認定のとおり、本件事故現場付近の県道は、昭和四〇年三月三一日市道から県道に認定替えされた後、建設用の大型車両の交通が増大するに加え、その他の車両の交通量も増加するなど道路利用状況及び道路環境は急激に変化しつつあり、本件県道は鹿児島市街地と吉野町方面を結ぶ交通の要路となり、本件事故発生前から控訴人県によつて改修工事が進められていたこと、ところが、前記第一の二124認定のとおり、本件事故現場付近の県道は日豊本線の軌道敷と相接して併進し、県道から法面下方の軌道までは斜面距離が五ないし一二・六メートルの急斜面となつており、昭和四五年頃右軌道においては、毎時六五キロメートル近い高速で走行する列車が上下合わせて一日五七本運行され、鳥越トンネルがカーブしているため竜ケ水駅方面から走行してくる列車の見とおしは極めて悪い状況であつたのに、、右(一)認定のとおり本件県道の付属施設は従前の市道のままであつたこと、前記第一の三1認定のとおり、日高は時速約四〇キロメートルで本件自動車を運転し、その運転操作の誤りから右前輪を側溝に落してそこから脱出を図ろうとした際、本件自動車を石造縁壁に激突させ、そのままの状態で本件自動車を約一七・六メートル進行させ、その間、右縁壁の上、下段の接合部が剥離し(一部は縁石自体が折れている。)、約一三・三メートルにわたつて上段の縁石を落下させ、ついに下段の縁石を乗り越えて本件自動車を日豊本線の軌道敷内に転落させたものであるが、後記(四)説示のとおり日高の運転行為はいささか粗暴ではあるけれども、著しく無謀で全く予想外の運転方法であるとまではいえず、通常予想される程度の運転行為の範囲に含まれるものといえるのであつて、その運転行為によつて石造縁壁が崩落していること、更に、前記第一の二3認定のとおり、本件事故現場付近では昭和四四年一一月一九日居眠り運転という特異な事例とはいえ、県道上を走行する軽自動車が豪雨による法面崩壊の復旧工事の未完了部分から日豊本線の軌道敷内に転落するという事故が発生していることなどを併せ考えると、本件県道においては、本件事故前から、大型車両の運転が通常予想される範囲内のものであつても、その運転に粗暴さがある場合には、これが県道と日豊本線の軌道敷との間に設置されている石造縁壁に接触してこれを崩落させ軌道敷内に転落して、その軌道を走行する列車に衝突するという本件のような重大な事故が発生する危険を常に内包し、かつ、右事故発生の蓋然性が少なくなかつたものというべきであり、本件県道が交通の要路となり、交通量等の増加に加えて交通車両の大型化という道路利用状況及び道路環境の変動に伴つてその改修工事を進めていた状況下にあつて、その管理者である控訴人県にとつて右危険の発生が全く予測できないものであつたとは到底認め難く、右危険がおよそ予測できなかつたかのようにいう原審証人村山裕、同泉貞雄、同青木徳行の各供述はにわかに採用できない。

そして、<証拠>によると、控訴人国鉄(鹿児島鉄道管理局)では、自動車等が道路から鉄道敷地内に転落する危険のある個所につき、道路管理者に対し危険防止のための防護柵等の設置を要請してきており、本件事故現場の東側市道については昭和四三年一二月頃鹿児島市に対し転落防止柵の新設を要請したところ、同市は昭和四四年六月一〇日頃までに木造有刺鉄線造の柵を設置したこと、本件事故現場付近の県道については本件事故が発生するまで、控訴人国鉄は控訴人県に対し危険防止のための防護施設等の設置を要請したこともなく、また控訴人国鉄は自ら右防護施設等を設置することを検討したこともないこと、更に、控訴人県は前記第一の二2(一)認定の集中豪雨による崩壊場所の復旧工事が実施された際、右崩壊場所付近の石造縁壁の縁石を一個所、ハンマーとバールを使つてはずし、上段と下段の縁石の接着状況を点検したが、異常を認めなかつたこと、そして、控訴人県(鹿児島県土木事務所)は日常道路のパトロールを実施し、道路及びその付属施設等の安全点検を行なつていたが、本件事故現場付近の石造縁壁には亀裂が生じたり、接合部分が剥離するなどの物理的外形的な異常がみられなかつたことから、控訴人県では、本件事故が発生するまで、事故現場付近にガードレールを設置するなどして、車両等の転落防護施設を強化する等の特段の措置を講じなかつたことが認められる。なお、原審証人村山裕の証言によると、控訴人県では、本件県道が市道から県道に認定替えされた後、石造縁壁の強度につき科学的な検査を行なつたことがないことが認められ、本件全証拠によつてもその的確な強度は明らかでない。

(三) ところが、道路の設置または管理に当たつて要求される車両等の路外への転落防止のための防護施設については、およそ想像し得るあらゆる危険の発生につきそれを防止し得べきことを基準として抽象的、画一的にこれを決すべきではなく、当該道路の構造、規模、設置されている場所の地形、地質、気象などの地理的条件、交通利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断するほかないものというべきである。そして、右防護施設である縁石、縁壁及びガードレール等は、走行中に進行を誤つた車両等が路外に逸脱するのを防止し、乗員の傷害及び車両等の破損を最少限にとどめること及び車両を正常な進行方向に復元させることを目的とし、副次的には運転者の視線を誘導することを目的として設置されるもので、一般的には大型車両の転落を物理的に完全に阻止することまでは要求されないけれども、前記一説示のとおり道路等の営造物の安全性の欠如として要求される営造物による危害を及ぼす危険性は利用者のみならず、利用者以外の第三者に対するそれも含まれるところ、前記(二)のとおり本件事故現場付近における県道と日豊本線との設置状況という地理的条件に加え、右現場付近の県道における交通車両の増加及び大型化という道路利用状況等の変化に伴つて、県道からの転落事故発生の蓋然性が高まり、かつ、本件県道に設置されていた石造縁壁が粗暴ではあつても通常予想される範囲内の運転行為によつて崩落していること、これにより転落事故が発生した場合の日豊本線を走行する列車の乗客に対する危害の重大さ等を併せ考えると、本件事故現場付近の県道に設置されていた石造縁壁は、本件事故時点における同現場付近の地理的状況及び道路の利用状況等から要求される車両等の路外への転落防止のための防護施設としては不十分なものであり、通常の衝撃に対して安全なものでなかつたというべきであり、前記(二)説示のとおり右縁壁のみで十分であるとして、本件事故現場付近の県道につき車両等の転落防護施設を増強する等の措置を講じないままでこれを利用させてきた控訴人県の道路管理には瑕疵があつたものというべきである。

(四) これに対し、控訴人県は、石造縁壁の崩落及び本件事故は道路管理者において通常予測できないような日高の無謀運転によつて生じたものであると主張する。

ところで、前記第一の三1認定のとおり、日高は時速約四〇キロメートルで本件自動車を運転して国道一〇号線から県道へ進入し、先行車を追越そうとしたところ、先行車との接触の危険を感じハンドルを右側に転把した運転操作の誤りから右前輪を側溝に落した後、本件自動車が大型車両であることを過信して、アクセル・ペダルを踏み込んで加速しその勢いで側溝から上がつて脱出することを図り、かえつて側溝にハンドルをとられ、本件自動車を石造縁壁に激突させ、そのままの状態で本件自動車を約一七・六メートル進行させ、その間約一三・三メートルにわたつて上段の縁石を崩落させつつ、ついに下段の縁石を乗り越えて本件自動車を日豊本線の軌道敷内に転落させたものであるが、本件事故現場付近の県道に追越禁止の指定がなされていなかつたことは控訴人県と被控訴人らとの間では争いがなく、前記第一の二2認定の本件事故現場付近の県道の状況からすると、国道一〇号線との分岐点(交差点)を通過した後は道路交通法上の追越禁止場所にも該当しないものと認められ、かつ、本件県道は幅員が七・七メートルの見とおしの良い緩やかな上り勾配の二車線の直線道路で、対抗車両等がない通常の場合には追越しが十分可能な道路状況にあるものと認められる。そして、このような道路状況の下では、速度の遅い先行車を後進車が追越すことは日常的にみられるところであり、しかもその際、時として、粗暴あるいは不適当な追越行為が行なわれることも、実際の道路交通上周知の事実であるところ、日高の右追越行為も、前記第一の三1認定のとおり道路中央寄りを進行する先行車の右側を追越そうとしたもので、不適当な追越しであることは否めないが、このような不適当な追越しが時に行なわれていることは、一般に予測し難いものとはいえず、また、無理な追越行為により様々な交通事故が発生していることも公知の事実である。更に、日高は右のような不適当な追越しを行ない、先行車との接触の危険を感じてハンドルを右側に転把したため、本件自動車の右前輪を側溝に落したものであるが、このような運転操作の誤りによる脱輪事故は道路交通上稀有なものとはいえない。

更に、日高が本件自動車の右前輪を側溝に脱輪させた後の措置については、前記第一の二2認定のとおり本件事故現場付近の県道と日豊本線の法肩との間には、側溝、石造縁壁及び八〇いし一〇〇センチメートルの土羽が並列的かつ直接的に設けられていたのであるから、右施設に沿つて走行する車両等が運転を誤つて車輪を側溝に落輪させたとしても、ハンドル操作及び制動操作を適宜駆使することにより車両等を側溝から脱出させて正常な進行方向に復元させることはそれほど困難を伴うものではないと考えられるところ、本件のように車両等の運転者が側溝に車輪を落した場合に加速してその勢いで側溝からの脱出を試みようとするのはいささか粗暴な点がないではないけれども、大型車両の運転者には通常あり得るところであり、日高の脱輪後の措置が道路管理者において全く予測し難い程の異常かつ無謀な行為であつたと認めることはできない。なお、高速度交通機関の発達に伴つて、車両運転者に対しては極めて厳格な注意義務が課せられているが、本件のような道路と鉄道が併進している地形状況及び道路交通環境が変動しつつあつた状況下にあつては、道路管理者は、車両運転者が必ず右のような厳格な注意義務を遵守して運転することを前提に管理していれば足りるものではなく、道路交通上通常予測し得る範囲の違反行為や不適切、粗暴な運転行為に対してもその交通状況を考慮して、それによる通常の衝撃になお対応し得るだけの余裕をもつて、車両等の交通の安全を確保しておく義務があるものというべきである。

また、<証拠>によると、日高は昭和三九年五月一五日に大型一種自動車免許を取得し、その後同年一〇月頃から自動車運転手として稼働するなどして、大型車両の運転を習熟していたものであること、本件自動車は、昭和四五年一〇月二六日頃に道路運送車両法所定の自動車検査を済ませたもので、同年一一月二一日午後四時頃ブレーキの踏みしろの調整を受けたことがあるが、本件事故当時までにハンドル、ブレーキ、エアーホーン等の異常はなく、正常に運行の用に供されていたもので、車両関係法令に適合していたものと認められるほか、本件全証拠によつても、日高の運転行為に、例えば居眠り運転、酒酔運転、著しい制限速度違反など重大な過失があつたものと認めることもできない。

三控訴人国鉄が、機関車、貨客車、軌道設備、軌道の敷地その他これらに関連する施設(以下、これらを総称して「鉄道施設」という。)の所有者であり、かつ、占有者であることは控訴人国鉄と被控訴人らとの間では争いがなく、原審証人青木徳行の証言によると、本件事故現場付近の県道と日豊本線との間の斜面、すなわち、日豊本線の軌道敷地から右斜面の法肩までは控訴人国鉄の所有地であり、かつ、同控訴人においてこれを日豊本線の鉄道施設の一部として管理占有していたことが認められるところ、右鉄道施設が国賠法二条一項の営造物に当たることについては控訴人国鉄において明らかに争わないから、これを自白したものとみなされるところである。

そして、被控訴人らは、本件事故は控訴人国鉄の右管理占有部分に自動車の転落あるいは転落した自動車と列車との衝突を防止するための保安施設が設置されていなかつたという鉄道施設の設置または管理の瑕疵により生じたものであるから、控訴人国鉄は国賠法二条一項により本件事故の責任を負うべきであると主張するので、以下この点につき判断する。

1  列車等高速度の大量輸送手段により多数の旅客を運送する控訴人国鉄は、およそ旅客運送人が旅客の安全運送を根本的義務とされ、事故の発生を未然に防止できるより万全の措置を講じ、安全設備を具備すべき厳格な責任を課せられていることに鑑みると(商五九〇条一項など)、旅客の生命身体等の安全の確保を第一次的に考える必要のある鉄道施設の特質に照らし、同施設のうちでも、自動車ないし落石等の障害物が軌道上に転落し、列車の走行等に危険のある個所では、自らその鉄道施設内への転落防止施設等を設置するか、道路等の管理者との協議によつて転落防止措置を講じさせるか、あるいはそのような措置が講じられない場合は、車両等が軌道敷内に転落してきた場合でも、列車との衝突を防止し得るに足る保安上の防護施設を備えておく必要があり、これを欠くときには営造物たる鉄道施設の通常有すべき安全性を欠如しているというべきところ、右危険防止のための防護施設についても、およそ想像し得るあらゆる危険の発生を防止し得べきことを基準として抽象的、画一的にこれを決すべきではなく、既述のとおり当該鉄道施設の性質、構造、規模、用法、設置されている場所の地理的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断するほかないものというべきである。

ところで、前記第一の二1ないし4認定のとおり、本件事故現場付近は、控訴人国鉄の管理する日豊本線の西側急斜面上を本件県道が併進している場所であるが、昭和四四年一一月一九日の転落事故を別にすれば、本件事故発生時まで一度も自動車の転落事故が発生していない所ではあるけれども、前記二2(三)認定のとおり、本件事故現場付近の県道は、昭和四〇年三月三一日市道から県道に認定替えされた後本件事故前までに、交通量の増加及び通行車両の大型化など道路利用状況及び道路環境の変化に伴つて、大型車両が通常予想される範囲を越えない程度の粗暴な運転をする場合に、県道と日豊本線の軌道敷との間に設置されている石造縁壁に接触しこれを崩落させて車両を軌道敷内に転落させ、その軌道を走行する列車に衝突させるという本件のような重大な事故が発生する危険を包蔵し、かつ、右事故発生の蓋然性が高かつたものというべきである。そして、本件県道が交通の要路となり、交通量等の増加に加えて交通車両の大型化という道路利用状況及び道路環境の著しい変動に伴つて控訴人県ではその改修工事を進めていたこと、特異な事例とはいえ、昭和四四年一一月一九日には軽自動車が軌道敷内に転落するという事故が発生していることを右鉄道施設を管理する控訴人国鉄も当然覚知していたし、確知すべき事柄であることを考え併せると、同控訴人にとつても、右危険の発生が全く予測できないものであつたとは認め難く、右危険がおよそ予測できなかつたかのようにいう原審証人村山裕、同泉貞雄、同青木徳行の各供述はにわかに採用できない。

しかるに、控訴人国鉄は、本件事故当時までに、本件事故現場付近の同控訴人が管理する鉄道施設に車両等の転落防止施設あるいは転落した車両等と列車との衝突を防止する保安施設ないし危険防護施設を設置していなかつたことは同控訴人において明らかに争わないところであるところ、右転落車両等が出現した場合におけるこれと列車との衝突事故が発生したとする蓋然性の高さと、その場合の旅客に対する危害の重大性を考えると、本件事故発生前までに右の防止施設を設置していなかつた控訴人国鉄の本件鉄道施設は少なくとも旅客に危害を及ぼす危険性のある状態にあり、それが通常有すべき安全性を欠いていたもので、本件事故当時営造物たる本件鉄道施設の管理に瑕疵があつたものというべきである。

2 これに対し、控訴人国鉄は、本件事故現場付近の県道に設置されていた石造縁壁は自動車が軌道上に転落するのを防止するに十分な設備であり、本件自動車の転落は日高の社会通念上予想し得ない無謀な運転行為によつて惹起されたものであると主張するが、右縁壁が自動車の転落を防止するに足りる十分な施設とはいえず、日高の運転行為もいささか粗暴であるとはいえても、それが、社会通念上の予想を超える著しく無謀なものとまではいえないことは前記二2(四)説示のとおりであるから、控訴人の右主張は採用できない。

四前記第一の三1(四)認定のとおり、日高は、本件自動車を日豊本線の軌道敷内に転落させた後、右事故の発生を自動車に備え付けていた発煙筒などによつて列車に報知する措置をとることなく、警察に対する緊急通報をすべく電話をかけに行つているが、右行為は転落事故に対する措置としては不適切なものであつたといわざるを得ず、本件事故を発生させた重大な要因は同人にもあるといえるが、本件訴訟は控訴人県の本件県道の管理瑕疵及び控訴人国鉄の鉄道施設の管理瑕疵等を理由として、控訴人国鉄の運行する本件列車を利用していた乗客及びその遺族が損害賠償請求を求めているものであり、前記1のとおり控訴人県の本件県道及び控訴人国鉄の鉄道施設に瑕疵が存する以上、これら右日高の行為、控訴人県、控訴人国鉄の営造物の管理の瑕疵がなければ損害が生じ得ないもので、この三者が偶然に競合してはじめて損害が生ずるいわゆる競合共同不法行為に準じた関係にあるから、右三者の行為ないし瑕疵は部分的因果関係(因果関係の寄与度)があるにすぎず、本来、各行為は損害の一部原因であるともいえるが、これらの因果関係上の寄与度は本件全証拠によるも明確に認定することができないところであるから、右三者はいずれも民法七一九条一項後段に従いそれぞれ自己自身の部分的因果関係に相当する責任部分と他人の責任の担保的性質を有する残余部分との全責任を各自連帯してその賠償の責に任ずるものというべきである(なお、不真正連帯債務者である右三者の内部的な負担部分は各自平等というほかない。)。

以上によると、本件事故は、要するに日高が運転操作の誤りによつて本件自動車を県道から日豊本線の軌道敷内に転落させたこと及び転落後における本件列車との衝突回避措置をとらなかつたことと共に、控訴人県の本件県道の管理瑕疵並びに控訴人国鉄の鉄道施設の管理瑕疵とが偶然互いに競合してその原因をなし惹起されたものと認めるのが相当であり、右は民法七一九条一項後段の共同不法行為に該当するものと解され、控訴人県及び同国鉄は国賠法二条一項に基づき本件事故によつて生じた後記損害を連帯して賠償する義務があるものというべきである。

第三損害

本件事故による被控訴人らの損害に関する当裁判所の判断は、次に訂正、付加するほか、原判決の理由説示第三と同一であるから、これを引用する。

一原判決四七枚目裏一一行目の「成立」の前に「同人が昭和五一年一二月一日に死亡したことは当事者間に争いがなく、右事実に、」と、同一三行目の「結果」の次に「並びに弁論の全趣旨」と、同行目の「ケサツイは」の次に「本件事故による」とそれぞれ加入し、同四八枚目表三行目の「受けているが」を「受けてきたところ」と、同八行目の「死亡の点は」を「前示のとおり死亡の点は」と、同裏五行目の「五年」を「六年」と、同八行目の「慰謝」を「慰藉」と、同一一行目の「八、四二八円」を「八、四二八円、」と、同四九枚目表五行目の「八二万一、八〇四円」を「八二万一、八〇四円、」と、六行目の「(円以下切捨)宛」を「宛(いずれも円未満切捨)」とそれぞれ訂正する。

二同四九枚目裏四行目の「受け」を「小作料として取得し」と、同五〇枚目表四行目の「前記のような」を「前記認定のようにケサツイと被控訴人松鶴政盛とは夫婦として経済的同一体にあつた」と、同八行目の「著るしい」を「ケサツイの生命が害された場合に比肩しても劣らないような著しい」と、同一二行目の「慰謝」を「慰藉」とそれぞれ訂正する。

三同五〇枚目裏七行目の「慰謝」を「慰藉」と訂正し、同五一枚目表四行目の「精神的苦痛は」の次に「ケサツイの生命が害された場合に比肩しても劣らず、」と加入し、同六行目の「慰謝」を「慰藉」と訂正する。

四同五一枚目表一三行目の「本件事故」から同裏四行目までの部分全部を「本件事故当時鹿児島市に居住して軽食喫茶店を経営していたが、ケサツイの入院中、時に夜間の付添をしたり、被控訴人松鶴政盛及びケサツイ夫婦の生活費を仕送りしていたこと、被害者であるケサツイが前示引用の原判決四七枚目裏一〇行目から同四八枚目九行目までのとおり生命を害されたにも比肩すべき重篤な傷害を受けたことに照らすと、被控訴人松鶴和光はケサツイの子として被害者が生命を害されたにも比肩すべき精神上の苦痛を被つたものと認められるから、自己の権利として慰藉料を請求し得るのであつて、これは諸般の事情を斟酌して金五〇万円をもつて相当とする。」と訂正する。

五同五一枚目裏六行目の「成立」の前に「右原告が本件事故により傷害を受けたことは先に認定したとおりであるところ、」と加入し、同八行目の「本件事件」を「本件事故」と訂正し、同五二枚目表一行目の「休業し」の次に「て右給与収入を失つ」と、同五行目の「これにより」の次に「自賠法施行令二条の」とそれぞれ加入し、同九行目の「慰謝」を「慰藉」と訂正する。

六同五二枚目裏六行目の「慰謝料」を「慰藉料」と訂正する。

七同五二枚目裏末行の「前記」を「前記認定の」と、同五三枚目裏四行目の「明らかであり」を「明らかであるから」とそれぞれ訂正し、同六行目の「労働省」の前に「昭和四五年」と、同一〇行目の「右原告」の前に「原審における被控訴人中山陽子本人尋問の結果によると、」とそれぞれ加入する。

八同五四枚目表四行目の「原価」を「現価」と、同一二行目の「慰謝」を「慰藉」とそれぞれ訂正する。

九同五四枚目裏一〇行目の「慰謝」を「慰藉」と訂正する。

一〇同五五枚目表四行目の「前記」を「前記認定の」と、同九行目の「慰謝」を「慰藉」とそれぞれ訂正する。

一一同五五枚目裏三行目の「前記」を「前記認定の」と、同五六枚目表八行目の「なかつた」を「なくなつた」と、同一〇行目の「述べているが、」を「述べているが、これが」と、同裏四行目の「慰謝料」を「慰藉料」とそれぞれ訂正する。

一二同五六枚目裏一一行目を「1留一が本件事故により原判決添付別紙第二目録記載の傷害を受け即死したことは先に認定したとおり」と、同五七枚目表一ないし二行目の「山形屋百貨店宮崎支店」を「株式会社宮崎山形屋(通称、山形屋百貨店)」と、同九行目の「一四三万九、二五六円の」を「一四三万九、二五六円を下回らない」と、同裏二行目の「原価」を「現価」と、同七行目の「慰謝料」を「慰藉料」と、同一二行目の「(円以下切捨)宛」を「宛(いずれも円未満切捨)」と、同五八枚目表五行目の「(円以下切上げ)」を「(円未満切上げ)」と、同五九枚目表一行目の「幸代の」を「幸代が」と、同四ないし五行目及び一〇行目の各「(円以下切捨)」を「(円未満切捨)」とそれぞれ訂正する。

一三同六〇枚目表二行目の「慰謝」を「慰藉」と訂正する。

第四結論

一以上の次第で、控訴人両名は、各自、国賠法二条一項に基づき被控訴人松鶴政盛に対し金二三二万一、八〇四円、同松鶴和光に対し金七三万四、八〇一円、同松鶴光広、同久木田富枝、同松鶴博、同松鶴政司、同松鶴政幸に対し各金二三万四、八〇一円、同松鶴キヌ子に対し金一二八万一、八〇一円、同山下巖に対し金五万六、〇八三円、同海田幸子に対し金七、〇〇〇円、同中山陽子に対し金八万一、四六二円、同中山なぎさに対し金八、〇八〇円、同中山陽治郎に対し金一万七、〇〇〇円、同石原正雄に対し金五八万九、四〇〇円、同北里幸代に対し金三〇六万一、〇四七円、同北里美幸及び同北里敦弘に対し各金四一五万九、〇五一円、同北里留及び同北里ハツミに対し各金五〇万円並びに右各金員に対する不法行為の日である昭和四五年一一月二四日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべきである。

よつて、控訴人らに対しその支払を求める被控訴人らの本訴請求は右各金員の支払を求める限度でこれを正当として認容し、その余の請求を棄却すべきものであるから、これと同旨の原判決は結論において正当であり、控訴人らの本件控訴はいずれも失当としてこれを棄却すべきである。

二そうすると、被控訴人らに対し原判決に付された仮執行宣言に基づいて給付したものの返還を請求する控訴人国鉄の申立は原審本案判決を変更する場合に該当しないので、民訴法一九八条二項の前提要件を欠くものであり、しかも同条項に基づく申立は「本案判決の変更されないことを解除条件とするものというべきであるから、これについては判断をし裁判をする必要がない」(最高裁昭和五一年一一月二五日第一小法廷判決・民集三〇巻一〇号九九九頁参照)。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官吉川義春 裁判官甲斐 誠 裁判官玉田勝也)

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