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福岡高等裁判所那覇支部 平成16年(行コ)1号 判決 2004年4月15日

控訴人 甲

同訴訟代理人弁護士 上間敏男

被控訴人 国

同代表者法務大臣 野沢太三

同指定代理人 西郷雅彦

同 上野英二

同 福山命

同 安里康市

同 仲村朝安

同 具志堅光男

同 藤井典明

同 我那覇隆

同 髙嶺淳

上記当事者間の頭書事件について、当裁判所は、平成16年3月2日終結した口頭弁論に基づき、次のとおり判決する。

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者双方の申立て

1  控訴人

(1)  原判決を取り消す。

(2)  控訴人の平成3年2月8日にした昭和62年分の所得税の修正申告書記載の4898万4000円の租税債務が存在しないことを確認する。

(3)  訴訟費用は、第1、2審とも、被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

主文と同旨。

第2  事案の概要

本件は、控訴人が、名護税務署長に対し、平成3年2月8日受付で昭和62年分の所得税の修正申告をしたが、同修正申告書の記載は事実と異なっており、控訴人は、税務署の職員から、署名しても租税債務は発生しないなどと言われてやむなく同申告書に署名押印したに過ぎないから、同修正申告に基づく租税債務は存在しないなどと主張して、その不存在確認を求めた事案である。

1  争いのない事実

(1)  控訴人は、かつてA病院を経営していた。

(2)  控訴人は、昭和62年1月24日、有限会社B(以下「B」という。)に対して、控訴人の所有に係るA病院の土地・建物(以下「本件物件」という。)を含む同病院の営業を譲渡(売却)した。

(3)  控訴人は、平成3年2月8日受付に係る修正申告書(乙1。以下「本件修正申告書」という。)に署名押印した上でこれを名護税務署長に提出し、同税務署長に対して、別表1の「修正申告」欄記載のとおり修正申告をした(以下「本件修正申告」という。)。

(4)  被控訴人は、控訴人に対する本件修正申告に係る租税債権に基づき、控訴人の勤務する医療法人C外1名を第三債務者として、控訴人の給与債権を差し押さえ、さらに、名護簡易裁判所に支払督促の申立てを行った。

2  争点

本件修正申告が無効か、否か。

(控訴人の主張)

控訴人は、昭和57年7月から昭和61年末までA病院を経営していたところ、昭和62年1月24日Bに対して本件物件を含む同病院の営業を2億3000万円で売却した。このとき、控訴人は、同売買に係る手続の一切をBの代表者であって元税務署員であった乙(以下「乙」という。)に委任し(当初は乙個人が譲受人であると認識していた。)、その後乙から売買代金の内金として1億7000万円を受領したが、残額については、これを控訴人の納付すべき譲渡所得税の支払に充てることとし、乙において支払うこととした。

控訴人は、乙から、上記売却後も病院と病院長の名義を従前のままとし、患者の診療に当たって欲しいと要望されたため、同年10月ころまでの間、名目上の病院長として週1回の割合で同病院において診療を行い、乙から給与を支給されていた。この間、控訴人は、同病院の実質的な経営者が誰であるかも知らず、病院運営や経理上の相談も受けたことはなかった。

控訴人が本件修正申告書に署名押印したのは、税務署の職員から、同病院の名義が控訴人に存するから控訴人が税務申告の名義人になる、控訴人に請求することはないなどと言われて署名押印を迫られたため、内容も分からないままやむなくこれに応じたに過ぎない。その際、税務署職員は、乙を納税義務者と認め、控訴人からは徴税しないと明言していたし、その後に何度か担当者が交替したが、いずれの税務署職員も乙から徴収すべきものであることを認めていた。

このように、控訴人には給与以外の所得がないにもかかわらず、形式的な名義上の責任があるとして、譲渡所得に係る租税まで徴税されることは不当である。なお、控訴人が本件修正申告後、平成5年から9年までの間に数回にわたり合計数十万円を納税したことはあるが(平成5年8月12日の100万円の徴収は、税務署が控訴人の所得税還付金を充当したもので、控訴人が納税したものではない。)、これは、税務署職員から、本来は乙から徴収すべきであるがその手続が済んでいないので病院経営の名義人として支払うよう求められて支払ったに過ぎない。

(被控訴人の主張)

(1) 申告等に係る税額が過大である場合には、原則として、更正の請求(国税通則法23条)によるべきであり、納税者が、錯誤を根拠にして納税申告書の無効を主張することはできないが、その錯誤が客観的に明白かつ重大であつて、法の定めた過誤是正以外の方法による是正を許さないとすれば、納税者の利益を著しく侵害すると認められる特段の事情が存する場合に限って、例外的に、錯誤による無効を主張することができるにすぎないというべきである。

しかるに、本件修正申告書には、国税通則法19条4項所定の事項が漏れなく記載されて適正な修正申告書の体裁を備えており、同申告書の記載からは明らかな誤記・計算違い等の一見して看取できるような錯誤の存在は全く窺えず、客観的に明白かつ重大な錯誤はない。

(2) 控訴人の主張については、次のとおり反論する。

ア 控訴人は、本件修正申告書について、税務署の職員から、当時の病院の名義が控訴人に存するから控訴人が税務申告の名義人となるとか、実際には乙から徴収するので控訴人に請求することはないなど言われて署名押印を迫られ、内容も分からないままやむなくこれに応じたにすぎないなどと主張するが、税務署職員がそのような言動をした事実はないし、一般に、納税者が申告書の内容を理解しないまま署名押印のうえ修正申告書を提出することは考え難く、本件のように多額の租税債務を負担する場合はなおさらのことである。本件修正申告書の提出から12年を経過し、この間、控訴人は、不服申立等も行わないまま155万円もの納税を行っているにもかかわらず、本件修正申告書の無効を主張することは不可解である。

イ また、本件修正申告書の記載内容を検討すれば、次のような点を指摘することができる。すなわち、

(ア) 当初提出された昭和62年分の確定申告書(以下「当初申告書」という。)に記載されたその他の事業所得及び医療報酬に係る源泉所得税を本件修正申告書において零円に修正しているところ、このことは、控訴人が、昭和62年1月24日に本件物件をBに譲渡し、以後、A病院の名目上の病院長として週1回の割合で診療を行い、その対価として給与を受け取っていたという主張に符合するものである。

(イ) 本件修正申告書において、新たに給与所得700万5000円が生ずることとされているところ、このことは、本件物件の譲渡後、控訴人がA病院における診療の対価として給与を受けていたという主張に符合するものである。

(ウ) 本件修正申告書において、分離長期譲渡所得金額が2億3516万8000円から1億7856万9578円に減額修正されているが、いずれにしても控訴人に譲渡所得の金額が生じていることは明らかであるから、給与以外の所得がないとする控訴人の主張は誤りである。

敷衍すれば、本件物件の売却に際して作成された覚書(乙6)により、売買代金の支払方法として、控訴人が金融機関等に有する債務を乙において支払うこととされており、さらに控訴人には債務引受履行保証金名目で1億7000万円の小切手が交付され、売却時において本件物件の引渡しも済んでいることなどからすると、控訴人の昭和62年分の所得税の確定申告に際し、譲渡所得の金額の計算を行う必要があることは明らかであると解されるところ、本件修正申告書においては、当初申告書に記載された譲渡所得金額の計算に誤りがあったことからその金額が減額修正されているものの、いずれにしても、控訴人に譲渡所得の金額が生じていることは明らかというべきであるから、給与以外の所得がないとする控訴人の主張は誤りである。

なお、上記覚書には、譲渡税は乙の負担とする旨の記載が存するが、租税行政庁は、課税要件が充足される限り、法律で定められたとおりの税額を徴収しなければならず、控訴人についても、譲渡所得の課税要件を充足している以上、控訴人と乙との私法上の法律関係にかかわらず、被控訴人が控訴人に租税債務の履行を求めることは当然である。

第3  争点に対する判断

1  争いのない事実、証拠(甲4の1及び2、乙1、2、4ないし6)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1)  控訴人は、かつてA病院を経営していたところ、Bの代表取締役であった乙との間で本件物件及び同病院の営業の譲渡についての話が持ち上がり、交渉の上、控訴人がBに対して本件物件を含む同病院の営業一切を譲渡することとなった。

(2)  控訴人は、乙との間で、昭和61年12月31日付けの2通の覚書(乙4、6。以下「本件各覚書」という。)を取り交わした。

同各覚書には、次のような記載がある。

ア 乙6号証

「譲渡人・甲を甲とし、譲受人・乙を乙として、別紙不動産の譲渡に関し、甲、乙間に次の通り、協議が整い、この覚書を作成し、調印した。

一、(売買代金)は、八億七千万円であることを確認する。

但し、継続医療費等については、別に協議する。

譲渡税及び諸費用等(退職手当、退職金を含む)乙の負担とする。

二、(代金支払方法及び時期)

甲の金融機関等に対する債務金は、乙が債務引受けする。

-以下省略-」

イ 乙4号証

「譲渡人・甲を甲とし、譲受人・乙を乙として、別紙不動産及び営業の譲渡に関し、甲、乙間に次の通り、協議が整い、この覚書を作成し、調印した。

一、(引受債務)

引受債務は、次の通りであることを確認する。

1、甲の金融機関等に対する債務金全額

2、甲の薬品会社等に対する未払薬品代金

但し、継続医療費等については、別に協議する。

譲渡税及び諸費用等(退職手当、退職金を含む)乙の負担とする。

二、(債務引受の方法及び時期)

甲は、債務引受証と引換え、乙に対し本件土地建物の権利証等の関係書類を交付する。

-以下省略-」

(3)  昭和62年1月23日、控訴人は、乙から債務引受履行保証金名目で1億7000万円の小切手を受領した。

(4)  翌24日、控訴人は、Bに対し、本件物件及び同病院の営業を含めて引き渡し、本件物件については同月28日受付で控訴人からBに対する所有権移転登記がされた(甲4の1、2)。

(5)  昭和63年3月15日、控訴人は、名護税務署長に対し、昭和62年分の所得税について、当初申告書を提出した(その内容については、別表1の「確定申告」欄記載のとおりである。)。

(6)平成3年2月8日、控訴人は、名護税務署に対し、昭和62年分の所得税について、本件修正申告書に署名押印のうえ、これを提出した(その内容については、別表1の「修正申告」欄記載のとおりである。)。

(7)  なお、控訴人の本件修正申告書に係る滞納税額の推移は別表2記載のとおりである。控訴人は、平成5年8月12日から平成9年8月29日まで計5回にわたり155万円を納税した。

2  以上の認定事実を前提に控訴人の主張について検討する。

(1)  所得税法は、いわゆる申告納税制度を採用し(同法104条参照)、かつ、納税義務者が確定申告書を提出した後において、申告書に記載した所得税額が適正に計算したときの所得税額に比し過少であることを知った場合には、更生の通知があるまで、当初の申告書に記載した内容を修正する旨の申告書を提出することができ(同法143条、国税通則法19条参照)、また確定申告書に記載した所得税額が適正に計算したときの所得税額に比し過大であることを知つた場合には、一定の期間内に限り、当初の申告書に記載した内容の更正の請求をすることができる(所得税法152条、153条、国税通則法23条1項参照)と規定している。所得税法がこのように申告納税制度を採用し、確定申告書記載事項の過誤の是正につき特別の規定を設けた理由は、所得税の課税標準等の決定については最もその間の事情に通じている納税義務者自身の申告に基づくものとし、その過誤の是正は法律が特に認めた場合に限る建前とすることが、租税債務を可及的速かに確定させるという国家財政上の要請に応ずるものであり、納税義務者に対しても過当な不利益を強いる虞れがないと認めたからにほかならない。したがって、確定申告書の記載内容の過誤の是正については、その錯誤が客観的に明白かつ重大であつて、前記所得税法の定めた方法以外にその是正を許さないならば、納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合を除き、法定の方法によらないで錯誤その他申告書の記載内容が事実と異なる旨を主張することは、許されないものといわなければならない(最高裁判所昭和39年10月22日第一小法廷判決・民集18巻8号1762頁)。

(2)  本件についてこれをみるに、控訴人が本件修正申告の無効理由として主張するところは、税務署職員から、控訴人が病院経営の名義人となっているから控訴人が税務申告の名義人となると言われて内容が分からないまま本件修正申告書に署名押印をしたというものであるが、税務署職員が上記のように述べたとの事実を認めるに足りる的確な証拠はないし、本件修正申告の内容をみても、控訴人の所得として掲げられているのは給与所得と分離長期譲渡所得のみであって(事業所得については、確定申告では「△2億1892万2929円」とされていたのが本件修正申告では「0」とされている。)、このことからしても、税務署職員が控訴人に対し、病院経営の主体が控訴人であることを理由に本件修正申告をするよう求めたとは考え難い。

(3)  控訴人は、また、控訴人と乙との間で、控訴人がBに本件物件及び病院の営業を譲渡したことにより控訴人が納付すべき譲渡所得税については、乙においてこれを支払う旨の合意があり、税務署職員もこれを認めていたなどと主張する。

なるほど、控訴人が上記営業譲渡に際して乙との間で取り交わした本件各覚書には、譲渡税については乙において負担する旨の記載があることは前記に認定したとおりである。しかしながら、上記営業譲渡によって控訴人に譲渡所得が生じた場合には、所得税法上控訴人に租税債務が発生するのであって、控訴人と乙の間で、同租税債務については乙がこれを負担する旨の合意をしたとしても、そのような私法上の合意は、およそ控訴人の租税債務に消長を来す筋合いのものではなく、そのような合意をもって控訴人の租税債務の存在を否定することができないことはいうまでもない。控訴人は、名護税務署職員も、乙を納税義務者と認めて控訴人からは徴税しないと明言したと主張するが、そのような事実を認めるに足りる的確な証拠はないし、そもそも、所得税法上、税務署職員に納税義務者を変更する権限があるわけではないから、控訴人の上記主張は、いずれにしても理由がない。

(4)  さらに付言すれば、控訴人が本件物件を含むA病院の営業譲渡に伴い、乙ないしBから債務引受履行保証金名目で1億7000万円の小切手を受領するなどして利益を得ており、さらに、営業譲渡後もA病院で診療を行い給与を受領していたことは前記に認定したとおりであるから、本件修正申告の内容自体からしても、これが事実に反するとか、控訴人が本件修正申告書に見合う租税を負担すべき根拠がないなどということはできない。

(5)  そして、本件修正申告書において、明らかな記載漏れや誤記、計算違いなどは見当たらず、他に客観的に明白かつ重大な錯誤があったことを裏付けるような事情その他本件修正申告書を無効としなければ納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情は何ら窺われないから、本件修正申告が無効である旨の控訴人の主張は採用することができない。

3  以上によれば、控訴人の本訴請求は理由がない。

第4  そうすると、当裁判所の上記判断と同旨の原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 窪田正彦 裁判官 永井秀明 裁判官 増森珠美)

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