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福岡高等裁判所那覇支部 平成21年(う)25号 判決 2010年3月09日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役8年に処する。

原審における未決勾留日数中400日を上記の刑に算入する。

原庁で押収保管している斧1本(原庁平成20年押第9号の1)を没収する。

理由

検察官の本件控訴の趣意は,検察官佐藤隆文作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり,また,被告人の本件控訴の趣意は,弁護人釜井景介作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり,これに対する答弁は,検察官馬場浩一作成名義の答弁書記載のとおりであるから,これらを引用する。検察官の論旨は量刑不当をいうものであり,弁護人の論旨は事実誤認をいうものである。

第1事実誤認の主張について

1  弁護人の所論

弁護人の所論は,次のとおりである。すなわち,被告人は,本件犯行当時,持続性妄想性障害に罹患し,これに基づく被害妄想に重度に支配され,是非弁別能力及び行動制御能力が失われた状態にあったもので,責任能力を認めることができないのに,被告人の責任能力を認めて被告人を懲役10年に処した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある,というのである。

2  前提となる事実

そこで検討するに,まず,被告人の責任能力を検討するに当たり前提となる事実として,関係各証拠によれば,次の事実が認められる。

(1)  被告人は,昭和a年b月c日,沖縄県宮古郡d村(現在の沖縄県宮古島市d)において出生し,地元の小学校に通ったが,家の手伝いのため学校に行くことが困難となり,小学校5年生のころからは登校しなくなった。被告人は,20歳のころから,八重山地方,沖縄本島,静岡県などで働き,その後は,d島に戻った。

被告人は,e歳くらいまでは,主に漁師として働き,その後は,漁業と農業を営み,畑でサトウキビ,芋,野菜等を作っている。被告人は,自分やその妻が所有する2反の畑と,借りた6反の畑とで農作業をしていたが,三,四年前,借りていた6反の畑を返し,残る2反の畑で農作業をしていた。

被告人は,昭和f年に妻のAと婚姻し,2男6女をもうけた。そのうち1人の子は早くに死亡したが,7人の子は,中学校や高校を卒業した。被告人の子らは,いずれも独立しており,被告人は,本件犯行当時,妻と二人で生活していた。その生活費は,農業,漁業による収入と,被告人及びその妻がそれぞれ受け取る年金とで賄っていた。

(2)  被告人方と本件の被害者であるB(以下「被害者」という。)方とは隣り合っているところ,被告人は,本件犯行当時までに,被害者に対して,次のような認識を持っていた。

ア 被害者は,20年も30年も前から,被害者方の庭で髪の毛を切っていた。そのため,風に飛ばされた髪の毛が,自分の家に入ってきた。

この点,被告人は,原審及び当審の公判廷において,被害者が,自ら切った髪の毛をわざと被告人方の方へ飛ばしたとも述べている。

イ 被害者は,20年ないし30年前から,被告人方の塀の外の空き地の,雑草が生えた所に,小さい魚の頭や魚のはらわたを捨てていた。そのため,被告人方は,いつも魚の腐ったにおいがしていた。

ウ 20年くらい前,家を建てた時に,余った砂を入れていた袋を取られた。その時はだれが取ったか分からなかったが,今考えれば,被害者が取ったと思う。

エ 被告人方の敷地と被害者方の敷地との境界線にペンキを塗った大きな石を置いていたが,10年くらい前,これがなくなった。また,被告人は,同じ境界線に,赤い印を付けたブロックも積んでいたが,その赤い印も削り取られた。そのため,被告人方の敷地が狭くなった。

なお,被告人は,医師C(以下「C医師」という。)に対しては,「土地の境界に自分がブロックを立てた。被害者は,その境界も自分の土地だと言ってくる。被害者は,ブロックを積む時には文句を言わないのに,後で,自分の土地だと言って,ブロックの周辺に手を入れている。自分の家にいてブロックの下から侵入して取っていく。」などとも話している。

(3)  本件犯行の動機が形成される過程は,次のとおりである。

ア 被告人が居住するd島のg地区には,「h祭事」と呼ばれる祭事がある。h祭事は,旧暦9月に行われる五穀豊穣,航海安全等を祈る祭事である。平成19年のh祭事は,10月17日に行われた。

h祭事の際,g地区の住民は,浜から砂を取ってきて,自宅の門口や門から玄関までの間にまく。それは,神を家の中まで迎え入れるためのものであり,あるいは,神が来たことを知るためのものである,と言い伝えられている。

現在,g地区は,港や護岸が整備されたため砂浜がないが,g港の近くに砂の集積所がある。g地区の住民は,そこから自由に五,六kgの砂を持ち帰り,自宅の門口などにまくことができる。

イ 被告人は,次のとおりの考えを持つようになった。

すなわち,被告人がh祭事の際に自宅の玄関付近にまいた砂が,七,八年前に初めて取られた。そのころから,被告人の畑のサトウキビがよく枯れるようになった。初めは,だれが取っているのか分からなかった。しかし,平成19年のh祭事の日には,被害者が砂を盗んでいるのを見た。被害者が,被告人方の玄関から門までの間にまいてあった砂を手で集め,これを被害者方に持ち帰り,その玄関にまいていた。

h祭事の砂が取られると,それから1年間は,サトウキビが枯れて収入がなくなり,家族が飢え死にしなければならなくなる。七,八年前から,被告人の畑のサトウキビは,よく枯れるようになっており,他方で,被害者の畑のサトウキビはよくできていたが,これは,被害者が被告人のh祭事の砂を取っていたためである。

ウ 被告人は,上記(2)アないしエのような認識を持っていたことから,被害者に対して不快感を持っていたが,被告人なりに我慢していたところ,被害者がh祭事の砂を取ったと考えて,被害者に対する憤懣を募らせた。被告人は,被害者がそのうち被告人に謝罪するかもしれないと考えたが,被害者が被告人と会っても何も言わないため,一層被害者に対する憤懣を募らせ,もはや被害者を殺害するほかはないと考えた。

なお,上記の認定は,主として鑑定人D(以下「D鑑定人」という。)が被告人から聴取したところによる。被告人の本件犯行の動機に関する供述は,細部において変遷がある。

(4)  本件犯行及びその前後の状況は,次のとおりである(かぎ括弧内に記載する発言の一部は,g地区の方言を共通語に直したものである。)。

すなわち,被告人は,平成19年11月17日の早朝,被害者が畑に出掛けるのを見掛け,被害者方の近くでは被害者を殺害することができないことから,被害者の畑で被害者を殺害しようと決意した。そして,被告人は,自分の畑の小屋へ行って斧を持ち出し,被害者の後を付けた。

被告人は,被害者の畑(原判示の本件犯行場所)において,被害者に対し,「あんたなんで僕の砂を取ったか。」と言った。これに対し,被害者が「どんな砂か。」と答えたところ,被告人は,被害者がh祭事の砂を取ったことについて知らない振りをしているものと考えて激昂し,持っていた斧で,被害者の頭部,顔面を多数回切り付け殴打して,被害者を殺害した。

被告人は,被害者を殺害した後,被害者の死体を引きずって動かした。その結果,被害者の死体は,その頭部が,農道と畑の境にある仏桑華の垣根近くに見える状態となった。また,被告人は,その後,被告人の畑に戻り,斧を洗って袋に入れ,小屋の中にしまった。

(5)  本件犯行の翌日以降の状況は,次のとおりである。

すなわち,被告人は,本件犯行の翌日,被告人方の近くに住んでいる長女のE方を訪ねた。そこで,被告人は,Eの子のFに対し,「隣のオバー(被害者のこと)が亡くなった。」と言った。これに対し,Fが冗談で,「オジー(被告人のこと。以下同じ)がやったのか。」と言ったところ,被告人は,「お母さんに聞いたら。」と言った。また,Fが,被告人のためにアイスコーヒーを作って出す際,再度,「オジーがやったのか。」と被告人に尋ねたところ,被告人は,何も答えなかった。そして,被告人は,Eにも被害者が亡くなったことを話し,Eから,「まさかオジー,やってないよね。」と尋ねられたが,「うん,やってないよ。」などと答えた。

被告人は,本件犯行の翌々日,被告人方において,Fから,再び,「オジーがやったのか。」と尋ねられ,何も答えなかった。Fは,被告人が前日に行方不明となったこともあり,被告人の様子がおかしいと思い,この際は,まじめに尋ねたものであった。

(6)  被告人は,これまで,次のような言動に及んだことがあった。

ア 平成19年10月末ころ,被告人方のすぐそばのブロック塀で,子供が立ち小便をしたところ,その子供に石を投げつけた。その子供の親が,被告人に対し,「なんで子供たちに石を投げるか。」と言ったところ,被告人は,怒った表情で,「小便が臭い。悪魔の子供は殺してやる。」などと怒鳴った。

イ 何年か前,被告人方の門の前に銀紙が落ちていたところ,近所の女性がわざと置いたと考え,「自分の家族を呪っている。」などと言って,その女性の腕を棒で強くたたき,怪我をさせた。

ウ 平成17年ころ,近所の女性が被告人方の前の路地を歩いていると,その女性に対し,「お前は,なんで俺を呪って殺そうとしているか。俺の家の前を通るな。」などといい,暴力を振るった。被告人は,その後も,その女性に対し,「自分の家の前を通るな。殺すぞ。」などと言って追い掛けたりした。

エ 何年か前,近所の女性に対し,その女性方の庭に植えてある木について,「葉っぱが飛んできてる。葉っぱをこっちによこすな。」と怒って文句を言った。

オ 平成19年の夏ころ,被告人方の北側のブロック塀のそばにビニール袋に入った生ごみが置かれていたところ,これを手に取り,近所の者の家に向けて投げ捨てた。

カ Fと飲酒していた際,突然怒り出し,Fを銛で突き刺そうとした。

被告人は,以上のアないしカのような言動から,近所の者から,弱い女子供に対しては強く出るタイプなどと評されていた。

(7)  被告人の供述状況

被告人は,捜査段階から公判段階にかけて,被害者がh祭事の砂を取るのを見たか否かやその回数については一貫しないものの,そのほかの点では一貫して,上記(3)のとおり本件犯行の動機を供述している。また,被告人は,上記(4)のとおり本件犯行及びその前後の状況を供述している。そして,被告人は,本件犯行について,おおむね,被害者がh祭事の砂を取ったために殺害することはやむを得なかった,と振り返っている。

もっとも,被告人が,本件犯行について悔悟の気持ちを表すこと,すなわち,「被害者がh祭事の砂を取っていた事実はあるが,殺さなければよかった」と述べることはあった。しかし,「被害者がh祭事の砂を取っていた事実はなかったから,殺すべきでなかった」という考えを述べたことはない。かえって,被告人は,当審公判の最終段階に至るまで,被害者にも非があるのに被告人の行為だけが非難されるとして,不満を述べている。

3  D鑑定及びC意見

原審において,D鑑定人による鑑定が行われた(以下,同鑑定人作成名義の鑑定書(写し。当審弁2)並びに同鑑定人の原審及び当審における各公判供述を,併せて「D鑑定」という。)。また,当審において,C医師作成名義の意見書(当審弁1)が提出された(以下,同意見書及び同医師の当審における公判供述を,併せて「C意見」という。)。

D鑑定の要旨とC意見の要旨は,次のとおりである。

(1)  D鑑定の要旨

まず,精神遅滞については,知能指数だけからすると,中度から重度の精神遅滞ということができるものの,動作性の知能指数は軽度の精神遅滞を示しており,また,被告人がきちんとした教育を受けておらず,読み書き計算ができないことや,社会生活,経済生活ともに問題なく送り,生活能力を有することを考えると,刑事責任能力を低下させるような状態ではなかった。

そして,妄想性障害については,被告人の被害者に対する被害感情が妄想であるとすれば,妄想性障害の可能性もある。しかし,被告人の長女,六女によると,髪の毛のこと,境界線のトラブルは以前からあった。また,被告人の長女によると,生ごみが捨てられていることがあった。砂袋がなくなったことは,事実かどうか確認できない。しかし,今回のh祭事の砂が盗まれる事件までは,被告人はあきらめることで対処しており,妄想としての発展は認められないため,妄想性障害とは診断できない。また,鑑定入院中に,被告人に対し,繰り返し,h祭事の砂がまかれている道を腰をかがめて通れば,砂を取っているように見えることを説明したら,被害者が砂を取ったのではなかった可能性もあるという反応であり,被告人の思考は訂正可能であったから,妄想ではない。

その他の精神疾患については,いずれも否定される。

被告人は,かなり以前から,被害者に対して,髪の毛を飛ばされたり,生ごみを捨てられたりするとして,被害的な意識を持つようになったが,これらを被害者に注意しても取り合わないため,我慢することにより対処してきた。しかし,被告人は,被害者がh祭事の砂を取っているのを見るに至り,サトウキビが枯れて収入が減っていた原因が被害者の行為にあると考えて,我慢が限界に達し,本件犯行に及んだ。

被告人は,本件犯行当時,刑事責任能力に影響を与える可能性のある精神疾患には罹患していなかった。

(2)  C意見の要旨

被告人に対する診断は,持続性妄想性障害であり,副診断として,軽度精神遅滞を認める。

被告人は,本件犯行当時,被害妄想に支配されていた。その程度は,「被害者を殺さなければ,自分たち家族が飢えて死ななければならない」という重篤なものであった。

4  原判決の判断

原判決は,次のとおり判示して,D鑑定の信用性を肯定し,被告人が妄想性障害に罹患していた可能性を否定して,被告人が,本件犯行当時,心神喪失又は心神耗弱の状態にはなかったものと判断した。

すなわち,確かに,被告人と被害者との間でどのような紛争があったかは証拠上明らかではなく,鑑定人が,被告人の供述する髪の毛や生ごみによる生活妨害,境界紛争に関し,これらに沿う事実があったと考えたことについて,正確性に欠ける面があることは否定できない。しかしながら,少なくとも,被害者が敷地内で髪を梳くことがあったことや,土地の境界にブロック塀が作られていることは事実として確認できており,この限度では被告人の供述の基礎となる事実があったとも考えられる上,鑑定人が,鑑定入院中,被告人に,被害者がh祭事の砂を盗んだというのは見当違いであった可能性もあることを繰り返し説明したところ,考え方に若干の変化が見られ,訂正不可能な病的な妄想とは異なるものと考えられたこと,被害者に関すること以外に妄想的な言動は見られなかったこと,被告人は,被害者に様々な不満を抱きつつも,本件までは諦観することで対処しており,妄想としての発展は見られず,h祭事の砂を盗まれたことによって,自分の畑のサトウキビが枯れたなどと考えたことについても,d島のgの集落におけるh祭事の重要性や,被告人が人生の大半をd島で暮らしてきたこと等に照らし,信仰ないし宗教的慣習の範疇を超えたものとは解されないことなどを考慮して,被告人に病的な妄想があるとはいえないとの結論に至ったものであって,このような判断手法や判断内容に特に不合理あるいは恣意的な点は窺われない。

5  本件犯行の動機等の検討

D鑑定及びC意見の信用性を検討するに当たり,まず,上記2の認定事実に基づき,次の指摘をすることができる。

(1)  本件犯行の動機について

被告人によれば,本件犯行の動機は,「被害者は,被告人方の玄関付近にまいてあったh祭事の砂を盗んだが,h祭事の砂がなくなれば,自分の畑のサトウキビが枯れて収穫できず,収入がなくなって,自分や家族が生活できなくなるから,被害者を殺害した」というものである。

この点,h祭事は,g地区の住民にとって神聖な祭事であり,また,これに用いる砂は,必要であれば集積所から持ってくることができるから,被害者が被告人方の玄関付近にまいてあった砂を盗んだ事実があったとは考えられない。そして,自宅の玄関付近にまいた砂は,時間の経過により風に飛ばされたりしてなくなるものであるから,h祭事の砂がなくなった原因について,隣人がこれを盗んだと考えること自体,通常の範疇の思考とはいえない。

そうすると,上記の動機は,そもそも,h祭事の砂を盗まれたという通常起こり得ないことを想起した点において,了解が困難というべきである。

そして,被告人は,本件犯行の2年くらい前に,8反あった畑のうち,6反を貸主に返しており,残る2反の畑仕事と漁業による収入のほか,年金により生活しているのであって,仮にサトウキビが枯れても,被告人や家族の生活が直ちに窮地に陥るとは考えられず,そのように考えたことも了解が困難である。

他方,自宅の玄関付近にまいたh祭事の砂がなくなれば,自分の畑のサトウキビが枯れるという思考は,科学的根拠のないものではあるけれども,被告人が小学校に通うのを途中でやめ,科学的な教育を十分に受けていないことや,g地区におけるh祭事の重要性,殊に,g地区の住民は程度の差はあれh祭事を執り行わないとサトウキビが不作になるとの思いを抱いていることにかんがみると,一応了解が可能であるといえる。

(2)  本件犯行の手段,態様について

被告人は,h祭事の日の約1か月後である本件犯行当日の早朝,被害者を見掛けた時,これを好機と考え,被害者の畑で殺害に及んだ。このことからすると,被告人は,本件犯行までの間,被害者が謝るのを待ちつつ,徐々に殺意を固めるとともに,殺害を決意してからは,人目に付かない場所で殺害する機会を狙っていたものと見ることができる。そして,本件犯行は,その機会を的確にとらえて行われたものであるから,本件犯行には,深い計画性までは認められないものの,一定の計画性や合理性を認めることができる。

また,被告人は,被害者に対する殺意を固めるまでは,被害者が謝るのを待ち,殺害の直前にも,被害者との間で砂を取ったことについて問答をしており,一定の冷静さは保っていたものといえる。

そして,被害者の頭部や顔面を多数回にわたり斧で切り付け殴打するという犯行態様は,被害者を殺害するという目的を達するために行われたものであるが,残虐極まりないものであり,被害者に対する恨みの強さや殺意の強固さが窺われる。

(3)  本件犯行後の状況について

被告人は,本件犯行後,被害者の死体を動かしているが,その動かした先が,必ずしも人に見付かりにくい場所とはいえないことからすると,これを罪証隠滅行為と見ることは適当ではない。また,犯行後,斧を洗った行為については,血痕等を落とすために行ったものと考えられる。斧を隠匿することに特に支障はなかったことからすると,これを直ちに罪証隠滅行為と見ることは困難であるが,少なくとも,被告人の冷静さを窺わせる行為であるとの評価が可能である。

他方,被告人は,本件犯行後,子や孫から,被告人が被害者を殺害したのかと問われて,これを否定したり,あえて答えなかったりしており,本件犯行の違法性を認識していたものと判断される。

(4)  被告人の記憶,供述の状況等について

被告人は,本件犯行当時の記憶をよく保持している。また,被告人の本件犯行の動機に関する供述は,細部において変遷が見られるものの,大筋においては一貫している。

(5)  被告人の平素の人格との比較について

被告人は,近所の者から,弱い女子供には強く出るタイプなどと評され,ふだんから粗暴な言動に及んでいたものであるから,本件犯行をその粗暴性の発現と見ることもできないではないが,むしろ,本件犯行の残虐性は,それまでの粗暴性とは全く異質のものと評価するのが妥当である。

6  D鑑定の検討

(1)  被告人のこれまでの被害的な思考を裏付ける事実について

D鑑定は,被害者が梳いた髪の毛が被告人の家に飛んできたこと,被告人と被害者との間に境界線のトラブルがあったこと,被害者により生ごみが捨てられていること,本件犯行前,実際に被告人の畑のサトウキビが枯れて収入が減ったことを,その鑑定の前提としている。

しかし,まず,髪の毛の件について,被告人の思考に符合する客観的な事実は,被害者が自宅の玄関付近で髪の毛を梳いていたという事実だけである。被害者が梳いた髪の毛を故意に被告人方に飛ばすとは考え難く,また,被害者方から被告人方へ風が吹くことが多いとはいえ,被告人方が被害者方より高い位置にあることからすると,被害者が梳いた髪の毛が常に被告人方へ飛んでいくなどということも考え難い。そして,被告人は,被害者が自ら梳いた髪の毛を被告人方の方へ飛ばしたと述べているけれども,被害者が自宅の玄関付近で髪の毛を梳くことと,被害者がその髪の毛を被告人方の方へ飛ばすこととの間には,大きな隔たりがあるといわなければならず,被害者が自宅の玄関付近で髪の毛を梳くという事実があったからといって,直ちに,被害者が髪の毛を被告人方へ飛ばすという被告人の思考が妄想でないと解することは困難である。

また,境界線をめぐるトラブルの件については,被告人や被害者の家族の中にこれを裏付ける話を聞いた者はなく,被告人の思考内容も突飛なものであって,土地の境界にブロック塀が作られていることや,被害者らが境界の石積みやブロック塀の下に溝を掘っていた事実があることだけでは,被告人の思考が妄想でないことの根拠として不十分であるというほかはない。

さらに,本件犯行前,実際に被告人の畑のサトウキビが枯れて収入が減ったとの点について,D鑑定人は,Eから,サトウキビがねずみに食われて枯れたと聞いたと供述するけれども,Eは,検察官調書(原審甲22)において,「私は,オジー(被告人のこと)がサトウキビ畑を持っていて,サトウキビを育てていることは知っていましたが,私自身は,その畑には,30年以上前に1回だけ行ったことがあるだけで,その詳しい場所は覚えていませんし,畑の状況についても全くわかりません」と供述しており,Fも,警察官調書(当審弁4)において,平成17年に被告人の畑からサトウキビを収穫する手伝いをし,平成18年の夏にサトウキビを植える手伝いをしたことを供述しながら,サトウキビが枯れたことを供述していないから,D鑑定人の上記の供述は,直ちに採用しにくい。また,本件犯行当時は,被告人の畑は既に2反となり,被告人の家族の生活費としては他に年金もあったが,D鑑定は,この事実を前提としていないものと考えられる。そのため,h祭事の砂が取られることにより,サトウキビが枯れて収入が減り,生活ができなくなるという思考の了解可能性の検討が適切にされていない。

なお,生ごみの件については,Gの当公判廷における供述によれば,被害者又はその家族が,魚をさばいた後のごみを被告人方との境界付近に置くことがあったと認められるから,被告人の被害的な思考の基になる客観的な事実があったといえる。

そして,D鑑定は,被告人の被害的な思考が妄想として発展しなかったことを妄想性障害を否定する根拠としているから,その被害的な思考自体が客観的な根拠のない妄想である可能性があるのであれば,D鑑定の前提が欠けることとなる。以上の前提事実の認定の誤りは,D鑑定の信用性を検討するに当たり,看過することのできない誤りであるというべきである。

以上のとおり,D鑑定には,前提とすることができない事実をその前提とし,あるいは,前提とすべき事実をその前提としなかった点で,疑問がある。

(2)  h祭事の砂に関する思考の訂正可能性の点について

D鑑定人は,鑑定入院中に,被告人に対し,繰り返し,h祭事の砂がまかれている道を腰をかがめて通れば,砂を取っているように見えることを説明したところ,被告人が,被害者が砂を取ったのではなかった可能性もあるという反応をした,と供述する。この供述には,ある程度の具体性があり,これに沿う事実の存在は窺われるものの,重要な事実であるにもかかわらず,鑑定書に記載がないため,被告人の反応の具体的状況が明らかでない。また,これ以外の場面において,被告人が,被害者にh祭事の砂を取られたという思考を訂正した形跡はない。

この点,D鑑定人は,自分や病院の職員が鑑定入院期間を通じて被告人にとって受容的な環境を築いたから,上記の反応を得られたのであって,被告人は,環境が変わり,周囲が敵に思えるような環境になれば,頑なな態度を取ったり,誇張をしたりするから,同じ反応を得られない,と供述する。

しかしながら,そもそも,被害者にh祭事の砂を取られたというのは,本件犯行の動機の核心部分であり,仮にその点の思考が幾らかでも訂正されたのであれば,当然,被告人自身の本件犯行に対する評価が大きく揺らいでしかるべきものといえる。ところが,被告人は,本件犯行について悔悟の念を述べることはあっても,ついに,現在に至るまで,「被害者がh祭事の砂を取っていた事実はなかったから,殺すべきでなかった」という考えを持つには至っていない。かえって,被告人は,当審公判の最終段階においても,被害者にも非があるのに被告人の行為だけが非難されるとして,不満を述べているのであり,被告人の被害者に対する被害的な思考は依然として極めて強固なものである。

そうすると,D鑑定人の上記供述に沿う事実の存在は窺われるものの,それは,被告人が,その場でD鑑定人の説明に迎合するなどしたもので,真に自分の思考を訂正したものではないと見るのが相当である。

したがって,被告人の思考に訂正可能性があることから,これが妄想でないと判断したD鑑定には,疑問がある。

以上によれば,D鑑定には,払拭できない疑問があるから,これに依拠して被告人の責任能力を判断することはできないものといわざるを得ない。

そして,被告人の被害的な思考に,その基礎となる事実があったとも考えられること,被害者がh祭事の砂を盗んだという被告人の考えに若干の変化が見られ,訂正不可能な病的な妄想とは異なると考えられたことなどを根拠として,D鑑定の信用性を肯定し,これに依拠して被告人の完全責任能力を肯認した原判決も,また失当というほかない。

7  C意見の検討

上記のD鑑定に対する疑問を踏まえると,C意見は,本件犯行の動機の了解が困難であることや,被告人が,そのような妄想というべき動機に基づいて強固な殺意を形成し,極めて残虐な行為に及んだことを合理的に説明するものとして,採用するに足りるものといえる。

そうすると,被告人は,本件犯行当時,持続性妄想性障害に罹患しており,このため,「被害者は,被告人方の玄関付近にまいてあったh祭事の砂を盗んだが,h祭事の砂がなくなれば,自分の畑のサトウキビが枯れて収穫できず,収入がなくなって,自分や家族が生活できなくなる」という妄想に陥り,この妄想に支配されて本件犯行に及んだものであって,被告人の上記疾病が事理弁識能力又は行動制御能力に強い影響を与えていたとの疑いがあるものといえる。

8  責任能力の程度

もっとも,他方で,上記5(2)ないし(4)において検討したとおり,本件犯行の態様に一定の計画性や合理性を認めることができ,また,被告人が,本件犯行当時,一定の冷静さを保っていたと見られること,被告人が本件犯行当時の記憶をよく保持していること,被告人が本件犯行の違法性を認識していたと見られることなどからすると,被告人が,本件犯行当時,事理弁識能力又は行動制御能力を欠いた状態にはなかったことが明らかである。

9  まとめ

以上によれば,被告人は,本件犯行当時,事理弁識能力又は行動制御能力を欠いた状態にはなかったものの,これらの能力が著しく減退していた疑いがある。

そうすると,被告人は,本件犯行当時,心神耗弱状態にあったものであるから,被告人について完全責任能力を認めた原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。

弁護人の所論は,上記の限度で理由がある。

よって,検察官の所論について検討するまでもなく,刑事訴訟法397条1項,382条,400条ただし書を適用して,原判決を破棄し,自判することとする。

第2自判

(罪となるべき事実)及び(証拠の標目)「掲載省略」は,原判決記載のとおりであるが,次の点を付加する。

被告人は,本件犯行当時,持続性妄想性障害の影響により,心神耗弱の状態にあったものである。

(法令の適用)

被告人の判示行為は,刑法199条に該当するところ,所定刑中有期懲役刑を選択し,これは心神耗弱者の行為であるから,同法39条2項,68条3号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で,被告人を懲役8年に処し,同法21条を適用して原審における未決勾留日数中400日を上記の刑に算入し,原庁が押収保管している斧1本(原庁平成20年押第9号の1)は,判示の殺人の用に供した物で被告人以外の者に属しないから,同法19条1項2号,2項本文を適用してこれを没収し,原審及び当審における訴訟費用は,いずれも刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は,被告人が,隣人である被害者に対し,上記の理由で,斧で頭部,顔面を多数回切り付け殴打して殺害した事案である。

本件犯行の態様は,殺傷能力の高い斧で,身体の枢要部である頭部や顔面を多数回切り付け殴打するという,執拗で,かつ,類例を見ないほど残虐極まりないものである。また,被害者が貴重な命を落とした結果が極めて重大であることは,いうまでもない。そして,被害者は,何らの落ち度もないにもかかわらず,突如としてこのような理不尽にして凄惨な犯行の被害に遭い,その余生を奪われたものであって,その身体的苦痛が甚大であったことはもちろん,その恐怖感や無念さは察するに余りある。また,被害者の遺族も,突如として,顔形が原形をとどめず,変わり果てた被害者の遺体と対面させられ,掛け替えのない家族を奪われたものであって,その憤りや無念さは,筆舌に尽くし難いものであると推察される。被害者の遺族が,被告人側からの慰謝の措置が不十分なこともあって,依然として峻烈な処罰感情を持っていることは,至極当然のことといわなければならない。被告人は,持続性妄想性障害の影響とは考えられるものの,いまだに,謝罪や反省の弁を述べておらず,その刑事責任は重大というほかない。

しかしながら,他方,被告人は,上記のとおり,本件犯行当時,持続性妄想性障害により心神耗弱の状態にあり,物事の是非善悪を十分に判断することができず,自分の行動を十分に制御することができない状態にあったものであるから,本件犯行の責任をすべて被告人に帰せしめることはできず,刑法39条2項を適用して,その刑を減軽する必要がある。被告人は,ふだんから,いささか粗暴な言動に及んでいたものではあるが,持続性妄想性障害に罹患していなければ,本件犯行を思いとどまり,あるいは,ここまで残虐な行為に及ぶことはなかった可能性が強い。本件は,被害者及びその遺族にとって大変痛ましく衝撃的な事件であって,その憤りや無念さは十二分に理解し得るところではあるけれども,刑法が,責任主義を採り,心神耗弱者の刑を減軽することとしている以上,これを前提とした量刑をすることは,やむを得ないところである。

そのほか,被告人にはこれまで前科前歴がなく,i歳の本件犯行時に至るまでそれなりに平穏な社会生活を営んできたものであることも,被告人のために有利に斟酌すべきであるが,上記のとおり,何の落ち度もない被害者が,ある日,突然,残虐な方法でその生命を奪われ,二度と戻らぬ身となったことに思いを致すならば,刑の量定に当たって,原判決のように,「被告人が生きて社会復帰し得る余地を残し,多少なりとも社会内で余生を過ごすことが期待できるように」との配慮を加えるのは,相当ではないものと思料する。

以上の諸般の事情を考慮し,主文の刑を相当と判断する。

(裁判長裁判官 河邉義典 裁判官 山﨑威 裁判官 森鍵一)

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