福岡高等裁判所那覇支部 平成22年(ネ)136号 判決 2011年10月20日
沖縄県<以下省略>
控訴人
X
同訴訟代理人弁護士
三宅俊司
稲山聖哲
宮下哲太朗
東京都港区<以下省略>
被控訴人
株式会社EMCOM TRADE
同代表者代表清算人
A
東京都港区<以下省略>
被控訴人訴訟引受参加人
トレイダーズ証券株式会社
(以下「参加人」という)
同代表者代表取締役
B
上記2名訴訟代理人弁護士
川戸淳一郎
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 参加人は、控訴人に対し、785万円及びこれに対する平成20年8月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 控訴人の参加人に対するその余の請求を棄却する。
4 当審における訴訟費用(参加によって生じた費用を含む)はこれを3分し、その2を控訴人の、その余を参加人の各負担とする。
5 この判決は2項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人と参加人は、控訴人に対し、各自2507万5180円及びこれに対する平成20年8月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(以下、略語・略称等は原判決のそれに従う)
第2審理の経過等
1 事案の骨子
(1) 控訴人は、平成14年3月ころから、被控訴人の前身ないし被控訴人との間において、直接相対取引の態様で外国為替証拠金取引(FX取引)を行っていた。
後記取引の当時の取引約款においては、原則として1時間ごと、為替市場の急激な変動に伴い必要があると判断したときは随時に値洗い(顧客の未決済ポジションを取引通貨の実勢レートで評価すること)を行い、証拠金有効率が20%を下回った場合に強制手仕舞い(ロスカット)を行うこととされていた。また、被控訴人は、値洗いの結果、証拠金有効率が50%を下回ったことが判明した場合には、顧客に対してアラーム通知メールを送信することとしていた。
(2) 被控訴人は、平成20年3月17日午前11時26分、控訴人とのFX取引(本件取引)において、証拠金有効率が規定の20%を下回ったためにロスカット(本件ロスカット)をし、控訴人の委託証拠金2119万6461円のうち2094万円を本件取引の欠損金として処理した。
なお、被控訴人から証拠金有効率が50%を下回った旨を通知するアラーム通知メールを受信した後、控訴人がいったん送金した50万円では十分でなく、さらに午前11時20分に100万円を所定の口座に送金したものの、着金を通知するメールを被控訴人が受信したのは午前11時26分47秒であり(本件ロスカットとの先後関係は明らかではない)、被控訴人のシステムに着金が反映されたのは午前11時33分53秒であった。
(3) 控訴人は、被控訴人に対し、債務不履行ないし不法行為(業務遅滞、アラーム通知メール遅延、説明義務違反)に基づき、本件ロスカットに係る2094万円、本件ロスカットの日である平成20年3月17日から同年7月22日までの間に取得し得たスワップ金利193万5180円、弁護士費用200万円の合計2507万5180円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(同年8月19日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2 原判決
被控訴人に控訴人が指摘するような業務遅滞、アラーム通知メール遅延、説明義務違反があったとはいえないとして、控訴人の請求を棄却した。
3 不服申立て
控訴人は原判決を不服として本件控訴を提起する。
4 引受承継
参加人は、被控訴人との間において、平成21年10月27日、同年11月30日を効力発生日として、被控訴人の営むFX取引事業に関する権利義務を承継する吸収分割を行う旨の吸収分割契約書を作成したところ、具体的に承継の対象となる資産・負債・契約上の地位その他の権利義務の内容を「別紙『承継権利義務明細書』」記載のとおりと明記しながら、上記別紙を作成しなかった。参加人と被控訴人は、平成22年2月4日、所定の手続を経て、上記会社分割に係る登記を経由した。
当裁判所は、上記吸収分割契約書が作成されなかった反面、有価証券上場規程に基づく適時開示において参加人が被控訴人のFX取引事業に係る一切の権利義務を承継するとされていたことをふまえ、被控訴人と参加人の合理的意思は被控訴人のFX取引事業に関する一切の権利義務を参加人に承継させるものであったと解されるとして、控訴人の申立てにより、参加人に対して被控訴人として本件訴訟を引き受けることを命じた。
控訴人は、上記決定に伴い、参加人が被控訴人の有する損害賠償債務を引き受けたとしてその連帯支払を求める旨の訴えの追加的変更をした。なお、被控訴人はあえて訴訟脱退を求めない旨を陳述した。
第3事案の概要
1 事案の概要は、次項において付加ないし訂正し、当審における主張を付加するほかは、原判決「事実及び理由」の「第2 事案の概要」及び「第3 争点に関する当事者の主張」に記載のとおりである。
2 付加、訂正部分
(1) 原判決6頁11行目末尾に行を改めて次のとおり付加する。
「(4) 会社分割及び訴訟承継
参加人は、被控訴人との間において、平成21年10月27日、同年11月30日を効力発生日として、被控訴人の営むFX取引事業に関する権利義務を承継する吸収分割を行う旨の吸収分割契約書を作成した(乙7、丙6)。参加人と被控訴人は、平成22年2月4日、所定の手続を経て、上記会社分割に係る登記を経由した(弁論の全趣旨)。
当裁判所は、控訴人の申立てにより、平成23年4月5日、参加人に対し、被控訴人として本件訴訟を引き受けることを命ずる旨の決定をした(顕著な事実)。」
(2) 同8頁24行目「ロスカット・ルールに移行したこと」を「ロスカット・ルール全体の具体的運用、なかでも値洗い、マージンコール(後述のとおり、アラーム通知メールのことである)発信及びロスカットのそれぞれをどのような時期及び場合に行うか」に改める。
3 当審における控訴人の主張
(1) 本件取引は、控訴人と被控訴人の直接相対取引であり、控訴人の損失が被控訴人の利益となるという利益相反関係にある。被控訴人は、取引により生じ得る損失をカバーするため、控訴人を含む顧客との取引に対応する取引を他の業者との間で行っている(フルカバー取引)から利益相反関係にはないと主張するところ、被控訴人がフルカバー取引を行っていたという事実はない。
(2) FX取引においてロスカット・ルールが設けられること自体はやむを得ないものであるとしても、ロスカットが顧客に大きな不利益を強いる可能性がある制度であることに鑑みれば、ロスカット・ルールは恣意的判断の余地がないように定められなければならず、かつ、その内容について顧客の了承を得なければならない。
控訴人は、被控訴人が取引約款の改訂により全面的にロスカット・ルールに移行したこと自体は理解していたものの、その具体的な運用方針について説明を受けたことはない。すなわち、被控訴人のロスカット・ルールは、値洗いの結果、証拠金有効率が20%を下回った場合に行うとされているところ、値洗いは原則として1時間ごとに行い、為替市場の急激な変動に伴い必要があると判断したときには随時行うことができるものと定められているにとどまり、具体的にどのような事態が生じた場合に臨時の値洗いを行うこととなるのかが一向に明らかではない。アラーム通知メールが証拠金有効率50%を下回った場合に直ちに発信されるものでなく、定時又は臨時の値洗いによってそのような事態であることが判明した場合に発せられるものであるということも顧客には理解しがたい。またロスカットを行うかどうかが専ら被控訴人の判断に委ねられている。このような事態は重要事項についての説明を欠くものといわざるを得ない(金融商品取引法2条、金融商品の販売等に関する法律2条、3条)。
(3) 本件ロスカットの当日は、為替市場が混乱して値動きが激しかったのであるから、頻回(たとえば常時又は少なくとも1分ごと)に臨時値洗いを行うべきであったところ、被控訴人はせいぜい20分ないし30分に1回程度の臨時値洗いしか行わなかったため、控訴人の証拠金有効率が下落したことに気付かず、ロスカット寸前の23・96%に下落した直後である午前9時34分までアラーム通知メールが発信されなかった。
他方、控訴人は、被控訴人従業員であるCに対し、追加証拠金の入金について随時電話連絡をし、午前11時23分ないし24分には追加証拠金100万円の入金手続をした旨を告知したのに、その直後である午前11時26分に本件ロスカットを行った。
上記のようなロスカットの運用は恣意的なものといわざるを得ないところ、そのような恣意的な運用を許す取引約款は消費者の利益を一方的に害するものとして無効であるから、これに従った運用が適法であるとはいえない。
(4) 参加人は、被控訴人との間において、平成21年10月27日、同年11月30日を効力発生日として、被控訴人の営むFX取引事業に関する権利義務を承継する吸収分割を行ったところ、控訴人の被控訴人に対する債権が損害賠償請求権であることに鑑みると、上記会社分割により参加人が免責的債務引受をしたと解するのは妥当ではなく、参加人が重畳的債務引受をしたと解するべきである。
第4当裁判所の判断
1 判断
(1) 本件各条項の適法性
ア 金融商品取引法による規制
金融商品取引法36条1項によれば、金融商品取引業者等は顧客に対して誠実かつ公正にその業務を遂行することを求められている。したがって、上記業者等と顧客との間の個々の取引約款における条項中これに反するものはその効力を有しないほか、上記業者等は顧客の利益に十分な配慮をしなければならないと解される。
イ 本件各条項とその運用一般
本件各条項の内容は前述のとおりである。これによれば、値洗いは原則として1時間ごとに自動的に行われ、為替市場の急激な変動に伴って被控訴人が必要であると認めれば、随時手動で行うものとされている。
そして、被控訴人が実際にどのような事態をもって上記必要性を認めて随時の値洗いをしていたかについては本件全証拠によるも明らかでない。
ウ 本件ロスカット当日の値洗いの実態
甲3によれば、平成20年3月17日は、米ドルが暴落して為替市場が混乱し値動きが激しかったことが認められ、弁論の全趣旨によれば、本件ロスカットの当日、本件ロスカットに至るまで、午前7時00分、午前7時20分、午前9時00分、午前9時30分の4回にわたってロスカットがされたことが認められるから、被控訴人が明らかにしないために詳細は不明であるものの、1時間ごとの定時の値洗いのほか、20分ないし30会間隔で臨時値洗いをしていたものと推認される。また、同日午前9時の値洗いが自動的に行われたこと、その際控訴人に係る証拠金有効率が50%を上回っていたことは被控訴人において自認するところである。そして、前述のとおり、同日午前9時30分ころの臨時値洗いは手動で行われ、その結果証拠金有効率が23・96%であることが判明して同日午前9時34分にアラーム通知メールが控訴人宛てに送信された。さらに、弁論の全趣旨によれば、同日11時26分に行われた本件ロスカット当時の証拠金有効率は6%であったこと(控訴人による100万円の入金を考慮しなかった場合である)が認められる。また、本件ロスカットは午前11時26分の臨時値洗いに基づき同時刻に実行されたところ、上記の臨時値洗いの間隔に整合しない同時刻にあえて臨時値洗いをした理由は明らかではない。
エ 値洗いの必要性とその運用の問題点
FX取引の場合に、為替市場の急激な変動によって上記のような値洗いの必要性が生じることを避けがたいことは本件各条項の存在及び本件の各当事者がこれを前提とした行動をとっていることに照らして明らかである。現に、甲2によれば、平成20年3月14日から同月18日午後8時までの値動きは別紙1記載のとおりであり、同年2月から同年7月28日までの値動きは別紙2記載のとおりであることが認められるところである。
そして、値洗いの頻度が低い場合かつ値洗いをするかどうかの判断が業者に委ねられている場合には、値洗いの間に急激な変動があったときに顧客がこれに対応することが不可能又は困難となったり(値洗いをしたところ既にいわゆるロスカット基準を下回っている場合にそのままロスカットが行われるのであれば顧客の対応は不可能であるし、本件は不可能ではないものの対応が困難となった一例であって、まさに寸刻を争う事態を生じた)、また、対応したとしても顧客としては改めて値洗いをするまではその対応で十分であるかどうか分からず、その間は取引もできないという不安定かつ不都合な状態におかれることになったり、逆に一旦はロスカット基準に達していてもたまたま値洗いの間隔が長いために後に持ち直し結局これが判明しないままに終わるという不適切ないし不公平な事態を招くおそれがある。
すなわち、値洗いは本来頻繁に行われるべきものであって、むしろ常時値洗いをするというシステムを採用し、所定の危険域に達したと判断される場合には自動的にアラーム通知メールが発信されるようにすることが望ましい。現に、金融庁の平成22年2月を基準とする外国為替証拠金取引業者に対する一斉調査の結果についてと題する書面(甲2別紙資料2)によれば、一般的に、監視間隔が長い業者の場合、相場の急変時などにロスカット注文の執行のタイミングが遅れ、顧客に不測の被害が生じたり、業者の財務状況を悪化させたりするおそれがあること、監視間隔は、リアルタイム(常時)54%、1分以内37%、1分以上5分以内13%、5分以上10分以内8%、10分以上6%であったという結果が報告されている。
オ 本件における値洗いの状況とロスカットとの関係
前述のとおり、値洗いの頻度が低い場合には、値洗いをした時点における証拠金有効率がたまたま危険域に達していることが判明したときの対応が後手に回り、その分顧客にとって不利益が生じることを免れない。現に、本件でも控訴人の証拠金有効率は午前9時には50%を上回っていたものが午前9時30分にはロスカット基準20%に迫る23・96%に落ち込んでいたというのである。いうまでもなくロスカット・システム自体は顧客に不測の損害を与えないことあるいは業者の財務状況を悪化させないことを目的とするものではあっても、本件におけるように値洗いの頻度が低い場合に、たまたま値洗いをした時点で、証拠金有効率が所定の基準を満たしていないことから直ちに又は危険域に達していることを通知はするものの顧客に十分な時間的余裕を与えないでロスカットを行うことは、顧客の想定を超える結果をもたらすことを避けられないことはみやすい道理である。
そして、前述のとおり、FX取引においては業者と顧客との利害が相反する状況にあるから、このような場合に業者によるロスカットを行うかどうかをその自由な判断に委ねるのでは、結果いかんによっては顧客にとってきわめて不公平な結果をもたらす。すなわち、業者による値洗いの頻度が低いことに起因して顧客の対応の遅れたというのに、業者の自由な判断でロスカットを行うことによって顧客の損失すなわち業者の利益を確定させるという結果は顧客にとっては受け容れがたいはずである。また、随時に値洗いをする必要があることは自明であっても、いつ値洗いをするかが業者の判断に委ねられている場合には、業者のいわば胸先三寸でロスカットが行われたり行われなかったりするようにみえる事態を招きかねない。
カ 検討
そこで、このように値洗いの頻度が低い場合又は値洗いをする時期の判断が業者に委ねられている場合には、ロスカットを行うかどうかについて客観的に明確な基準を設けるほか、証拠金有効率が所定の基準を下回っていることを当該顧客に速やかに告知し、これに対応するための一定の時間を顧客に与えることなど、ロスカットを行うに当たって慎重な方策が講じられる必要があると解すべきである。
被控訴人の取引約款がロスカットを行うに当たって比較的広い裁量判断の余地を認めているのは、決して被控訴人の恣意的判断を許容する趣旨ではなく、むしろ被控訴人に上記のような配慮を始めとした合理的な判断を期待してのことである。したがって、そのような方策が講じられていないままで行われたロスカットは、取引約款によって認められた裁量判断を逸脱するものとして違法であって債務不履行となるという評価を免れない。
(2) 業務遅滞等について
ア 本件ロスカット当時及びその後の入金の取扱い
乙5及び6並びに弁論の全趣旨によれば、証拠金の入金について、本件ロスカット当時には明確な規定がなく、その後の平成20年6月に至って、被控訴人は顧客からの入金が確認できた時点で取引口座に入金処理を行うこと、顧客からの入金が確認できかつ被控訴人が取引口座に入金処理を行った時点で、顧客は取引が可能になること、顧客は、インターネットの通信環境及び被控訴人並びに金融機関のコンピューターシステムによる処理等の諸事情により入出金が遅延する場合があることを了承する旨の規定が創設されたことが認められる。
イ 控訴人による入金の経緯と被控訴人の認識
他方、平成20年3月17日午前9時34分にアラーム警告メールが発信され、これを受けて午前10時以降二度にわたって控訴人から被控訴人(C)に対して送金手続をする旨の連絡をし、同日午前11時20分には被控訴人の代表口座に二度目の入金があったことは前認定のとおりであり、乙2によれば、同日午前11時25分ころの控訴人と被控訴人担当者(C)との電話による会話によって、控訴人が被控訴人に対してさらに100万円を振り込んだことを伝え、これに対してCが銀行確認がとれないと口座に反映できないこと、確認でき次第口座に反映する旨伝えたことがそれぞれ認められる。
すなわち、遅くとも本件ロスカットより以前に被控訴人の管理する口座に必要な証拠金相当額の振込みがあり、その旨の連絡が届いたというのであり、被控訴人の代表口座に振込みがあったかどうかを金融機関に確認することは被控訴人にとって一挙手一投足の労で足りたということになる。なお、被控訴人は前項の規定の創設はそれまでも行われていたものを確認した注意的なものである旨主張するところ、少なくとも同創設以前においては、この確認を金融機関からのいわゆる着金メールによってすれば足りると解する理由はない(仮に、着金メールによるほか確認の方法がないというのであれば、確認ができるまでの時間が金融機関や被控訴人の内部における事情によって左右され得ることをふまえて、ロスカットを行うかどうかの判断には相応の慎重さが要求される)。
ウ 被控訴人による対応の評価
前述のとおり、FX取引においては寸秒を争う事態があり得る。そして、控訴人ができ得る限りの早さで対応したことは前認定のとおりであり、その結果として必要な証拠金相当額が被控訴人の管理下に置かれたということになる。
そうすると、Cとしては、少なくとも控訴人からの二度にわたる電話を受けて控訴人から入金があり得ること又はあったことを自ら確認するなりあるいは担当者に伝えてこれをさせるなどしたうえ、被控訴人はこれをもとになお本件ロスカットを行うかどうかについて判断する時間的な余裕があったということができる。
(3) 控訴人の行動に対する評価
そして、前認定の本件の時的経過並びに甲1及び2によれば、控訴人はアラーム通知メールを受けこれに応じて必要と思われる金員を可能な限り早急に振り込んだと評価することができる(むしろ、通常の生活の中で控訴人が本件のように対応できたこと自体が驚きである)し、弁論の全趣旨によれば、控訴人による振込みの結果である着金が反映されていれば、本件ロスカット当時の証拠金有効率は29%であったことが認められる(別紙3参照)。
(4) 本件ロスカットに対する評価
以上を総合すると、本件ロスカットは、控訴人にこれを避けるための十分な時間的余裕を与えなかったと評価できること、被控訴人の管理下に所要の証拠金相当額が振り込まれ、被控訴人においてその認識があったにもかかわらず、改めてその可否を検討しないまま被控訴人において任意に選択した時点において行われたことに照らして、前認定のとおりロスカットを行うに当たって被控訴人が尽くすべきであった慎重な配慮を欠いたものといわざるを得ず、取引約款によって認められた裁量を逸脱したものとして控訴人に対する債務不履行に該当すると評価される。
なお、控訴人は被控訴人の不法行為でもある旨主張するところ、本件全証拠によるも被控訴人の行為が不法行為であると評価すべき違法性を具備しているとは判断できない。
(5) 説明義務違反の成否
なお、控訴人は、被控訴人には説明義務違反があると主張する。金融商品販売法上の説明義務の主たる対象は、元本欠損ないし当初元本を上回る損失が生ずるおそれ及び取引の仕組みのうち重要な部分であるところ、証拠(甲1、3、4及び6)に照らし、控訴人が本件取引の当時にFX取引の仕組みに十分通じており、上記のおそれがあることを知悉していたことが明らかに認められる。
また、説明義務違反について他に控訴人が主張する点について、控訴人が被ったとする損害との間の相当因果関係があると判断できないことは原判決14頁24行目から17頁1行目末尾まで記載のとおりである。なお、被控訴人の内部における入金処理が遅れた場合にロスカットが行われうることについて、被控訴人の控訴人に対する説明が十分でなかったことは否めないものの、本件において被控訴人による入金処理が不十分なものであったと評価すべきことは前認定のとおりであるから、この点に関する控訴人に対する説明が十分であったかどうかは結論を左右しない。
(6) 損害の認定
ア 逸失利益
被控訴人による本件ロスカットの時点における値洗いの結果は2094万円の損失であったところ、甲2及び弁論の全趣旨によれば、平成20年3月17日午前11時25分に最安値192円54銭を記録したこと、その時点でも控訴人による入金が反映されておれば証拠金有効率は25%であったこと、その後同月18日午後8時ころには200円75銭あたりまで及び同年7月には215円あたりまで回復したことがそれぞれ認められ、したがって、本件ロスカットがなければ、その後の推移によって控訴人において被控訴人に預託していた証拠金を失うに至らなかったことが推認される。
もっとも、本件ロスカットはその当時に客観的に存在した損失を決済したものにほかならず、これによって決済された証拠金の額がそのまま控訴人の損害となると評価することは困難である。むしろ、本件ロスカットにより控訴人が上記証拠金を決済されてしまったことにより、控訴人はFX取引を継続し得る地位を喪失したものと評価することができるから、控訴人は上記地位に伴う利益、すなわちFX取引を継続することにより獲得することができた利益相当額の損害を本件ロスカットにより被ったものといい得る。控訴人の主張はこの趣旨を含むものであると解される。
証拠(甲2)及び弁論の全趣旨によれば、本件ロスカットがされずFX取引が継続されていた場合、平成20年7月22日までに控訴人が獲得し得た利益は、値上がり益につき最大で約1376万円、スワップ金利につき最大で193万5180円(別紙2及び4参照)の合計約1570万円であったと認められる。そして、FX取引がハイリスク・ハイリターンの取引であって、利益獲得の可否は当該顧客の取引経験や判断の正確性のほか、為替市場の値動きにも大きく左右されることに鑑みると、控訴人が上記利益の全額を必ず獲得し得たとまで解するのは困難であるものの、その取引経験等にかんがみその半額程度(785万円)の利益を上げることができたものと推認される。
イ 弁護士費用
本件で、弁護士費用を控訴人が被った損害であると判断する理由はない。
(7) 参加人の責任
ア 会社分割等
あ 参加人の完全親会社であるトレイダーズホールディングス株式会社(以下「トレイダーズHD」という)は、平成21年10月22日、被控訴人の全株式を取得してこれを完全子会社化する旨、及び、被控訴人が営むFX取引事業を吸収分割(以下「本件会社分割」という)により完全子会社である参加人に承継させる旨を取締役会で決議し、同日、有価証券上場規程に基づき適時開示をした(以下「本件適時開示」という。丙4)。
本件適時開示においては、参加人が被控訴人の営むFX取引事業に係る会社分割効力発生日(同年11月30日)における一切の権利義務を承継するところ、被控訴人はFX取引事業を専業とするため本件会社分割後はその主たる事業が存在しない状態となるとされている(丙4)。
い 被控訴人と参加人は、平成21年10月27日、参加人が被控訴人の営むFX取引事業に関する権利義務を承継する吸収分割を行う旨の吸収分割契約書を作成した(以下「本件吸収分割契約書」という。乙7、丙1)。
本件吸収分割契約書においては、被控訴人の営むFX取引事業に属する「別紙『承継権利義務明細書』に記載された資産・負債・契約上の地位その他の権利義務」を参加人に承継させる旨が記載されていたところ、本件吸収分割契約書の上記別紙は作成されなかった(弁論の全趣旨)。
う 被控訴人と参加人は、本件会社分割の効力発生日の後である平成21年12月8日、本件会社分割により参加人が承継すべき権利義務を確定するためとして「承継権利義務明細書」を作成した(以下「本件明細書」という。乙7、丙5)。
本件明細書には、承継の対象となる契約として普通預金口座6口等、資産として普通預金口座4口に係る口座残高その他立替金等、負債として外国為替受入証拠金等が記載され、その余の権利義務は承継しないと記載されている(乙7、丙5)。
え 被控訴人と参加人は、所定の手続を経て、平成22年2月4日、本件会社分割による変更の登記を了した(弁論の全趣旨)。
お 被控訴人は、平成22年3月10日、それまで5億7190万1050円であった資本金を500万円に変更し、同月31日、株主総会の決議により解散をし、同年4月14日、その旨の登記をした(弁論の全趣旨)。
イ 控訴人の主張
あ 参加人は、本件会社分割により、被控訴人の営む外国為替証拠金取引事業に係る一切の権利義務を承継したので、本訴請求に係る損害賠償債務も承継した。
い 仮に会社分割により本訴請求に係る損害賠償債務を承継していないとしても、参加人及び被控訴人を完全子会社とするトレイダーズHDは、参加人が被控訴人の外国為替証拠金取引事業に係る吸収分割効力発生日における一切の権利義務を承継するという広告をしたから、弁済責任を免れない(会社法23条1項類推)。
ウ 参加人及び被控訴人の主張
あ 吸収分割の効力は吸収分割契約書によって定まるものであるところ、本件吸収分割契約書に添付された本件明細書によれば、承継すべき権利義務に控訴人に対する義務等は含まれない。
本件吸収分割契約書作成時には本件明細書を含め承継すべき権利義務を明らかにした書面が作成されていなかったところ、これは日々刻々と変化する顧客との権利義務関係を本件吸収分割契約書作成時に確定することができなかったからである。
い 本件適時開示における「参加人が、被控訴人のFX取引事業に係る、本会社分割の効力発生日における一切の権利義務を承継する」としたのはその概要にとどまり、上記効力発生日を基準日として同日当時確定的に存在している権利義務を承継させるという趣旨である。そして、控訴人との権利義務関係は既に清算済みであり、そもそも承継の対象とはなり得ない。
エ 債務承継についての判断
吸収分割により特定の債務が承継の対象となるか否かは吸収分割契約の内容によって定まるものであるところ、前記のとおり、本件吸収分割契約書作成の時点で承継の対象となる権利義務を明らかにする書面は一切作成されず、効力発生日の後に本件明細書が作成されたに止まる。
そこで、本件適時開示において被控訴人の営むFX取引事業を参加人が承継すると公表されたことに照らすと、上記のとおり承継の対象となる権利義務を明らかにする書面を作成せずに本件吸収分割契約書を交わした被控訴人及び参加人の合理的意思は、被控訴人のFX取引事業に関する一切の権利義務を参加人が承継するというものであったと解釈される。
被控訴人及び参加人は、本件適時開示の趣旨は上記効力発生日を基準日として同日当時確定的に存在している権利義務を承継させるというものであるとするところ、文言上そのように解することは困難であるのみならず、少なくとも基本事件においてその存在が争われている被控訴人の控訴人に対する権利義務にしても将来その存在が確定されれば、同日当時客視的には存在するわけであって、これをもって同日当時確定的に存在する権利義務に含まれると解するに妨げない。
他方、被控訴人のFX取引に関する一切の権利義務を参加人が承継した結果、被控訴人はもはや上記権利義務を負わないものと判断される。控訴人は参加人がFX取引に関する債務を併存的に引き受けたと主張するところ、そのように解すべき根拠はない。
第5結論
以上のとおり、控訴人の被控訴人に対する請求は理由がないので、これと同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がない。他方、控訴人の参加人に対する請求は主文2項記載の限度で理由があり、その余は理由がない。
よって、主文のとおり判決をする。
(裁判長裁判官 橋本良成 裁判官 森鍵一 裁判官 山﨑威)
<以下省略>