福岡高等裁判所那覇支部 平成8年(ネ)66号 判決 1997年12月09日
控訴人・附帯被控訴人(以下、「控訴人」という。)
富永清
控訴人・附帯被控訴人(以下、「控訴人」という。)
島袋爲夫
右両名訴訟代理人弁護士
伊多波重義
被控訴人・附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)
甲山太郎
被控訴人・附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)
甲山花子
右両名訴訟代理人弁護士
中野清光
仲山忠克
伊志嶺善三
新垣勉
主文
一 原判決中被控訴人らと控訴人らに関する部分を取り消す。
二 控訴人らは、連帯してそれぞれ、被控訴人甲山太郎に対し、金二九一二万一六八〇円及びこれに対する平成二年一一月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、被控訴人甲山花子に対し、金二八三六万七九八〇円及びこれに対する平成二年一一月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被控訴人らのその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、原審において被控訴人らに生じた費用の一〇分の二並びに当審において被控訴人らに生じた費用及び原、当審において控訴人らに生じた費用の各四分の一を被控訴人らの連帯負担とし、原審において被控訴人らに生じた費用の一〇分の五並びに当審において被控訴人らに生じた費用及び原、当審において控訴人らに生じた費用の各四分の三を控訴人らの連帯負担とする。
五 この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 当事者の求める裁判
一 控訴の趣旨
1 原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人らの請求を棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
二 控訴の趣旨に対する答弁
1 本件各控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
三 附帯控訴の趣旨
1 原判決を次のとおり変更する。
控訴人らは連帯して、被控訴人甲山太郎に対し金四九一三万九二六五円、被控訴人甲山花子に対し金四八〇三万九二六五円及びこれらに対する平成二年一一月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、第一、二審とも控訴人らの負担とする。
3 仮執行宣言
四 附帯控訴の趣旨に対する答弁
1 本件各附帯控訴を棄却する。
2 附帯控訴費用は、被控訴人らの負担とする。
第二 事案の概要
一 控訴人らと原審相被告宮城普義、同高良哲、同名嘉浩郁との関係
控訴人富永清(以下「控訴人富永」という。)は、暴力団沖縄旭琉会の会長、控訴人島袋爲夫(以下「控訴人島袋」という。)は、右沖縄旭琉会島袋一家の総長であり、原審相被告宮城普義(以下「宮城」という。)と同高良哲(以下「高良」という。)は、いずれも右島袋一家平田組所属の組員、原審相被告名嘉浩郁(以下「名嘉」という。)は、右島袋一家伊志嶺組所属の組員である(争いがない)。
二 被控訴人らが主張する殺人事件
高良と名嘉は、平成二年一一月二二日午後六時ごろ、宮城の指示に従って、無差別に三代目旭琉会錦一家の組員を殺害する目的で、那覇市前島三丁目一〇番一四号にある右錦一家の別館事務所前路上に、高良が運転し、拳銃を用意した名嘉が後部座席に同乗するオートバイで乗りつけ、おりから右別館事務所二階に防御フェンスの取り付け作業をしていたアルバイト学生の甲山次郎(当時一九歳、以下「次郎」という。)を対立する暴力団の組員と誤認して、名嘉が殺意をもって次郎をめがけて右拳銃から銃弾二発を発射して、これを次郎の頭部に命中させ、その結果、次郎は、同日午後六時二〇分ごろ、脳損傷により死亡した(以下、この事件を「本件殺人事件」と、右三名の行為を「本件殺人行為」という。)。
三 本件請求
本件は、次郎の両親である被控訴人ら(争いがない)が、本件殺人事件の実行行為者である前記宮城、高良及び名嘉に対し、民法七〇九条に基づき、本件殺人事件により次郎が受けた損害(逸失利益、慰謝料)を相続しかつ被控訴人らが損害(葬儀費用、慰謝料、弁護士費用)を受けたと主張してその賠償を求めるほか、右実行行為者三名は、いずれも島袋一家に属する組の組員であり、島袋一家は沖縄旭琉会に属しているなどの事実から、右宮城ら三名は、控訴人らの「被用者」に当たり、本件殺人行為は、沖縄旭琉会及び島袋一家すなわち控訴人らの「事業の執行」に当たると主張し、同時に、本件殺人行為は、前記宮城、高良、名嘉及び控訴人らの共同不法行為(控訴人らについては、故意又は過失による不法行為)であると主張して、控訴人らに対し、選択的に民法七一五条(使用者責任)又は七一九条(共同不法行為責任)に基づき、右宮城ら三名に対すると同内容の損害賠償(いずれも連帯支払)を求めるものである。
四 原審判断、本件控訴及び附帯控訴
原審は、前記宮城、高良及び名嘉に対する請求及び民法七一五条(使用者責任)に基づく控訴人らに対する請求をいずれも一部認容した。
当審において、控訴人らは、原審におけると同様に、本件には使用者責任及び共同不法行為責任が発生する根拠となる具体的な事実は存在しないこと、原判決が認容した損害のうちの慰謝料の額が高額であること、過失相殺を認めなかったことなどを不服として控訴した。
被控訴人らは、原審が認容した慰謝料の額などを不服として附帯控訴をした。
五 本件における主たる争点
1 控訴人らに使用者責任が発生するか。
2 控訴人らに共同不法行為責任が発生するか。
3 損害、特に慰謝料の額と過失相殺
六 右争点に関する当事者の主張
右争点に関する当事者の主張は、原判決が摘示する(原判決九頁四行目から七二頁四行目まで)とおりであるから、これをここに引用する。
ただし、次のとおり加除、訂正する。
(一) 「二 原告らの主張」(九頁四行目)、「四 被告富永の主張」(四八頁八行目)及び「五 被告島袋の主張」(六五頁五行目)をそれぞれ「(被控訴人らの主張)」、「(控訴人富永の主張)」及び「(控訴人島袋の主張)」とし、被告高良、被告名嘉及び被告宮城の主張部分(四八頁六ないし七行目)を削除する。
(二) 三三頁九行目の「不法行為の要件が」を「不法行為の要件を」と、同一〇行目の「主観的関連共同性が」を「主観的関連共同性を」と、四三頁八行目の「高校卒業」を「高校の卒業」と訂正する。
(三) 四七頁一〇行目の次に改行して次のとおり加え、同末行の「7」を「8」と訂正する。
「7 損益相殺
被控訴人らは、労働者災害補償保険法に基づく保険給付として、遺族補償年金前払一時金三二一万円、遺族特別支給金三〇〇万円及び葬祭料三四万六三〇〇円の支給を受けた。」
(四) 六四頁初行の「6 損益相殺」を「6 弁済」と訂正し、同二行目ないし八行目を削除し、同九行目の「(二)」を「(一)」と、六五頁初行の「(三)」を「(二)」とそれぞれ訂正する。
第三 争点等に対する判断
一 控訴人らの使用者責任について
1 民法七一五条は、ある事業のために使用されている者が、その事業の執行について、第三者に違法に損害を生じさせた場合に、この者を使用する者又は代理監督者が右損害を賠償する責任を負うことを規定している。
被控訴人らが、本件において、控訴人らに右使用者責任の発生する根拠として主張する事実は、要約すると、暴力団三代目旭琉会の分裂、脱会とそれに続く暴力団沖縄旭琉会の結成に端を発した両会の対立抗争中、沖縄旭琉会の傘下にある島袋一家に属する平田組の組員宮城の指示に基づいて、平田組の組員高良とやはり島袋一家に属する伊志嶺組の組員名嘉が本件殺人事件(沖縄旭琉会の対立組織である三代目旭琉会側の錦一家の組員と誤認して行われたもの)を実行したが、控訴人富永が統括する沖縄旭琉会及びその下部組織で控訴人島袋を総長とする島袋一家は、いずれも組織の威力を背景に常習的に暴力的不法行為を行い、またその構成員が集団的あるいは常習的に暴力的不法行為を行うことを積極的に容認して、不法な利益を得ることを目的とする暴力団であって、この目的を達成するために日常的に右威力を誇示し、縄張りを維持、拡張する種々の活動をしており、この活動が沖縄旭琉会及び島袋一家すなわち控訴人らの共通の「事業」であり、本件殺人事件は、右「事業ノ執行ニ付キ」行われたというものである。
2 そこで、右使用者責任の発生根拠事実のうち、被控訴人らが主張する控訴人らの「事業」が民法七一五条所定の「事業」に当たるか否かについて検討する。
民法七一五条の責任が発生するのは、被用者が「事業ノ執行ニ付キ」第三者に損害を与えた場合であるが、被控訴人らが主張するところの本件殺人行為は、宮城の指示により、高良と名嘉が故意に次郎を狙って拳銃を発射して死亡させたというものであって、右「事業」の意味をどのように解するにせよ、客観的に見て、このような故意による殺人行為自体には「事業」に関する職務との関連性を認めることができない性質のものであるが、本件殺人行為が、「事業」の執行行為を契機としてこれと密接な関連があると認められれば、使用者の「事業ノ執行ニ付キ」行われたものと解される場合がある。
しかし、本件においては、本件殺人行為は、前述のように暴力団三代目旭琉会と暴力団沖縄旭琉会との対立抗争において、沖縄旭琉会及び島袋一家の傘下の組員として、右三名が対立組員と誤認して行ったものであると主張され、されに主張されている沖縄旭琉会及び島袋一家と各組員の関係、沖縄旭琉会及び島袋一家の組織維持の目的など(原判決が摘示する原告らの主張3(二)対立抗争行為の職務執行性(一八頁ないし二五頁)、特にこのうちの「ウ本件殺人事件の抗争における位置づけ(二一頁ないし二四頁)」)によると、被控訴人らが主張する本件における「事業」とは、沖縄旭琉会が行っていた暴力団三代目旭琉会との対立抗争であり、本件殺人行為は、右三名の職務との関連性を見るまでもなく、右「事業」つまり対立抗争の実行そのものであるというべきである。
3 民法七一五条の「事業」には、不法行為を行うことを事業の内容とするものを含まないことは自明のことである。
被控訴人らが主張するところによれば、右対立抗争は、三代目旭琉会から脱会した組織又は者が結成した沖縄旭琉会が、結成の当初から、組織の維持と三代目旭琉会からの攻撃、制裁に対する防衛を最大の活動目的として、遅くとも、本件殺人事件が発生する前の平成二年九月二一日以来始まっており、その内容は、組織暴力団特有の銃や凶器を用いて対立組員の生命、身体を狙った剥き出しの暴力を行使し、このような方法によって、対立組織を壊滅あるいは弱体化しようとする組織の総力を挙げた闘争であった(原判決一八頁ないし二〇頁)というのである。そうすると、右主張のような内容の暴力団間の対立抗争は、その後の「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」(以下「暴対法」という。)の成立、施行を待つまでもなく、それ自体、暴力的不法行為であって公序良俗に反する違法な行為として許されないことは明らかであるから、右主張の対立抗争は、民法七一五条の「事業」とはなりえないというべきである。
4 既述のように、被控訴人らは、沖縄旭琉会及び島袋一家は、集団的あるいは常習的に暴力的不法行為を行い、構成員がこれを行うことを積極的に容認して、不法な利益を得ることを目的とする暴力団であって、この目的を達成するために日常的に右威力を誇示し、縄張りを維持、拡張する種々の活動をしており、この活動が沖縄旭琉会及び島袋一家すなわち控訴人らの共通の「事業」であり、右対立抗争は、このような「事業」を行う組織の維持と防衛のために行われたものであるとも主張する。
しかし、暴力団又はその構成員が暴力団の威力を誇示して人や企業に対し金品やサービスを要求したり、債権を取立てるなどして、暴力団の活動資金や構成員の生計の資等を得ていて、そのために資金源の版図であるいわゆる縄張りを維持、拡張することが、仮に民法七一五条の「事業」に当たると解せられ、右縄張りの維持等を目的として対立抗争が行われ、その間接的な結果として、縄張りの維持、拡張がもたらされるとしても、前記内容のような目的や手段、方法による本件の対立抗争は、そのすべてが不法行為であって、「事業」の執行という要素が全く含まれておらず、このような対立抗争は、もはや右「事業」と関連性があるとはいえない。
さらに付加すれば、後に認定(原判決引用)するように、暴力団三代目旭琉会の実態、同会を構成する一家や組あるいは組員が、従前の一家や組の実態を変えないまま、それから分派して島袋一家を含む沖縄旭琉会が結成されたことによると、沖縄旭琉会や島袋一家が右に述べたその威力を示して不法な利益の獲得を図るであろうことは推測に難くなく、また、原判決のとおり認められるのでここに引用する沖縄旭琉会の活動実態(原判決一一四頁末行から一一六頁八行目まで)によれば、沖縄旭琉会や島袋一家が威力利用によって資金獲得をすることをも目的とする組織であると認定することも不合理であるとはいえない。
しかし、右活動実態として認められる沖縄旭琉会の名称を告げて行われた債権の取立て、みかじめ料の徴収、飲食店等に対する物品の購入やリースの要求、慰謝料名下の金員要求、交通事故の示談への介入といった行為は、その殆どが本件殺人事件の発生の後である平成三年以降に集中していること(甲二五)、本件殺人事件が発生した当時は、控訴人ら又は被控訴人らいずれの主張によっても、沖縄旭琉会が結成されてから未だ日が浅いこと、後に認定(引用)する三代目旭琉会の分裂と沖縄旭琉会結成及び具体的な対立抗争の事実(原判決九四頁一〇行目から一〇七頁二行目まで)によれば、本件対立抗争は、いずれは右のような不法な利益を収奪するための「権益」を守り又は拡張することに繋がるものであったとしても、当時においては、沖縄において互いに平穏に共存できない三代目旭琉会と沖縄旭琉会がその存立を賭けて、手段を選ばず、相手組織の壊滅又は弱体化を強行することそのものであったというのが、より本件対立抗争の実態に則したものであったというべきである。
5 このように見てくると、被控訴人らが主張する本件の殺人行為が密接に関連する控訴人らの「事業」とは、本件対立抗争であると解すべきであり、本件対立抗争は、使用者責任が発生する根拠としての「事業」には当たらず、また仮に、控訴人らがそれぞれ主宰する沖縄旭琉会と島袋一家において、不法な利益の獲得の基礎となるその縄張りを維持、拡張することが、右「事業」に当たるとしても、本件のような対立抗争は、右「事業」と関連性があるとはいえないから、被控訴人らの控訴人に対する民法七一五条に基づく本件請求は、その主張自体において理由がないといわなければならない。
二 控訴人らの共同不法行為責任について
1 宮城、高良及び名嘉の不法行為
(一) 本件殺人事件に関する右三名(以下「宮城ら三名」という。)の行為等は、原判決が挙示する証拠により認定するとおり(原判決七五頁三行目から八二頁六行目まで)であるから、これをここに引用する。
ただし、原判決七五頁三行目の「1前記第二の一2の争いのない事実に、」を削除し、同四行目の「を加えれば」を「並びに原審における弁論の全趣旨によれば」と訂正し、同五行目の「本件一連の対立抗争(後記二の1の(三)参照)の中で」を「後記認定(引用)の一連の対立抗争事件の中で」と訂正する。
(二) 右引用の認定事実は、要約すると、沖縄旭琉会傘下の島袋一家平田組の組員である宮城が、平成二年一〇月二一日、三代目旭琉会錦一家の事務所前に停車していたランドクルーザーが、宮城が詰めていた島袋一家伊志嶺組の事務所前を幾度も通ることを、挑発行為と認識して、高良と名嘉に錦一家の事務所や別館事務所を襲わせて、同一家の組員を殺害しようと決意し、同日、これを指示したものの、その後これを中止させ、次いで翌二二日、高良と名嘉に対し、改めて右錦一家組員への襲撃を指示し、これを受けた高良と名嘉が、同日午後六時ごろ、高良は後部席に名嘉を乗せてオートバイを運転し、名嘉は実砲五発を込めた三八口径の拳銃を所持して、錦一家の別館事務所前を通過する際、折から同事務所の窓にフェンスを張る工事に従事していた次郎を錦一家の組員であると誤認して、これを殺害すべく次郎を狙って右拳銃から銃弾二発を発射し、これを次郎の頭部に命中させ、その結果、次郎が同日午後六時二〇分ごろ、脳損傷により死亡したというものである。
右認定の事実によれば、宮城ら三名は、錦一家の組員を殺害することを共謀し、名嘉が右組員と認めて右のとおり次郎を殺害したのであるから、名嘉は、不法行為の実行行為者であり、宮城と高良はその共同不法行為者である。
2 控訴人らの不法行為
(一) 宮城ら三名による本件殺人行為の目的
(1) 三代目旭琉会と沖縄旭琉会との対立抗争に至る経緯
三代目旭琉会と沖縄旭琉会との対立抗争に至る経緯は、原判決が証拠により認定するとおり、(八三頁八行目から九九頁六行目まで、ただし、1、(一)、(1)等の表題番号は除く。)であるから、これをここに引用する。
右認定の事実は、要約すると次のとおりである。
多和田真山を会長とする旧沖縄旭琉会は、昭和五三年九月、上原組真琉会との二年越しの対立抗争が落着したのを機会に、二代目旭琉会と名称を改め、それまで幹事長であった控訴人富永は、二代目旭琉会の理事長となった。次いで、昭和五七年一〇月九日、多和田会長が富永一家の幹部組員に拳銃で射殺されたことから会長派と理事長富永派とが対立したが、警察の強い警告と取締りによって具体的な抗争事件は起こらず、昭和五八年一月、総長会議で会長代行に翁長良宏が決定され、翁長は、同年五月の総長会議で三代目旭琉会の会長となった。三代目旭琉会は、当時、一五の一家で構成され、その構成員は一二〇〇人と沖縄県最大の組織暴力団となっていた。
その後、平成二年五月、翁長が総長会で本土の山口組と五分の親戚付き合いをする意向を示したことや富永一家の組員が翁長会長付きの幹部に拳銃を向けたこと及びその対応などを巡って、三代目旭琉会は翁長会長派と控訴人富永派に分裂する切迫した様相を呈し、翁長宅、控訴人富永宅にはそれぞれ多数の組員が終結し、組事務所には相手方からの襲撃を防御する工作が施される状況にあったところ、同年九月一三日、翁長会長派から富永派へ鞍替えした巴組組長金城宏が、もと所属していた上部組織の丸長一家総長の実弟に対する拳銃による殺人未遂事件を起こしたことから、翁長会長派は、これを富永派の組織的な犯行で、自派に対する宣戦布告であると見なし、控訴人富永の弁明を拒絶したうえ、控訴人富永に対し、同月一九日をもって、堅気になるか引退するかの選択を迫り、さらに、その期限前の同月一七日、理事長の控訴人富永、富永一家若頭上江洲丈二及び右殺人未遂事件を起こした巴組組長金城宏の三名を絶縁処分にした。
これに対し、控訴人富永を総長とする富永一家を中心に、控訴人島袋を含む一〇名の総長の連名で、逆に三代目旭琉会に対し、脱会書を出し、右脱会者は、新組織を沖縄旭琉会とすることを宣言した(以上、引用部分)。
右のように控訴人富永は、二代目旭琉会において理事長としてナンバーツウの地位にあり、何事もなければ、三代目旭琉会の会長になり得る者であったが、富永一家の幹部組員が多和田会長を射殺したため、会長となれなかったものである(証人冨里弘)から、控訴人富永は、翁長を会長とする三代目旭琉会においても、自分が正統な後継者であるという意識を持っていて、これが控訴人富永の主導による右脱退と沖縄旭琉会の結成及びそれに続く対立抗争の伏流となっていたものと見ることができる。
(2) その後の三代目旭琉会と沖縄旭琉会との具体的な抗争事件
沖縄旭琉会の結成後、右両会の構成員の間において発生した拳銃による銃撃とこれによる対立組員の殺傷事件、対立組事務所へのトラック突入事件及び対立組事務所への火炎瓶の投げ込み事件が頻発しているが、その詳細は、原判決が掲げた証拠により認定しているとおり(原判決九九頁八行目から一〇七頁二行目まで。ただし、(1)等の表題番号は除く。)であるから、これをここに引用する。
右認定の事実によれば、右各事件は、控訴人らが三代目旭琉会を脱会して、控訴人富永を中心に、控訴人島袋が総長を務める島袋一家を含めて、沖縄旭琉会の結成宣言をした二日後の、平成二年九月二一日から同年一一月二五日までの約二か月の短期間に、本件殺人事件のほか発砲による警察官の死亡や市民の負傷を除いて、対立組員又は対立組事務所等に対する拳銃発砲事件が二六件、そのうち銃撃によって死亡した者四名、重傷を負った者四名である。そして、本件殺人行為が行われる前の同年一〇月二五日には、それが個別的な報復であるか否かはともかく、沖縄旭琉会の組員が三代目旭琉会丸長一家の総長宅横で車両に防弾ガラスを取り付けていた右一家の組員を銃撃して負傷させるという、やや本件殺人事件に類似する事件を起こしており、本件殺人事件の翌日には、警戒中の警察官二名が暴力団員の発砲によって死亡し、これを目撃していた市民一名も銃撃されて負傷するなど、襲撃者は、対立組員と認めれば、誤認の危険があることをも、第三者に被害が及ぶことをも顧みず、互いに無差別に銃撃を繰り返していたものであって、これらの事実によれば、右に挙げた一連の銃撃事件等(一応、本件殺人事件は除く)は、三代目旭琉会と沖縄旭琉会が相手組織を壊滅させ又は少なくとも弱体化させることを目的に、凶器を用いて執拗に対立組員を殺傷せんとし、あるいは対立組事務所に対し攻撃をしかけたものであることが認められる。
(3) 本件殺人行為の目的
先の宮城、高良及び名嘉の不法行為の項で引用した認定事実では、宮城ら三名が本件殺人を実行する前の平成二年一〇月三日、宮城と同様に島袋一家の組員として親交のあった伊志嶺組の組員知名が射殺され、宮城はその報復の思いを抱いていたところ、同月九日に、やはり島袋一家の金政組組員小浜が腹部を銃撃されて重傷を負ったことから、いよいよ三代目旭琉会所属の組員を殺害しようと決意したものである。そして、宮城は知名の殺害犯人が分からないまま、報復することを急ぎ、高良と名嘉に対し、まずは三代目旭琉会所属の沖島組幹部を襲撃するよう指示し、次いで同会所属の丸良一家幹部の襲撃を指示し、さらに一度は指示を撤回した同会所属の錦一家組員の射殺を、その翌日に改めて高良と名嘉に指示して、この両名が行ったのが本件殺人事件である。
右事実などをもとに、控訴人富永は、本件殺人行為は、もともと島袋一家の構成員らが抱いた独自の報復意識や被害者意識及び反発心から遂行されたものであると主張し、控訴人島袋は、本件殺人行為は、宮城ら三名の知人等が攻撃を受けたことに対する個人的な報復感情に発するゲリラ的行為であると主張する。
しかし、知名が殺害され、小浜が重傷を負った当時は、既に、沖縄旭琉会と三代目旭琉会との間に、拳銃の発砲事件が頻発し、これによる死傷者が出ているという熾烈な対立抗争の状況下にあったこと(前引用)、この抗争に当たって、両会の拠点となっていたのは、三代目旭琉会側は、丸長一家の事務所(本家事務所ほか一か所)、大日本維新党の事務所、会長の自宅と本件殺人事件が起こった錦一家事務所などであり、他方、沖縄旭琉会側は主としてその本部、富永一家の事務所などで、沖縄旭琉会本部には抗争に備えて食料品が多量に運び込まれ、本土からの援助もあり、島袋一家は当初この本部に詰めていたが、その後閉じていた同一家の伊志嶺組(名嘉が所属する組)事務所を開いてそこにも集まったこと、島袋一家では、宮城など組員の行動は、その都度、抗争に備えて指揮をする立場にあった行動隊長の親里孝正に報告していたこと、知名は、対立する組の偵察に行って殺害されたこと(乙イ八、二二、証人大城俊文、原審相被告宮城普義)、知名が殺害された後の島袋一家内部における状況(これは原判決認定のとおり(一三二頁六行目から一三七頁一〇行目まで。ただし、一三二頁六行目の「第一三号証」の次に「乙イ第二二号証、証人大城俊文の証言、原審相被告宮城普義本人尋問の結果」を、一三六頁六行目の「親里」の前に「本件殺人事件が起こる一〇日前ごろ、」を加え、(1)等の表題番号は除く。)であるから、これをここに引用する。)、すなわち、知名が殺害された日に同一家の幹事会が開かれた後、行動隊長の親里は、組員に三代目旭琉会に対する偵察を指示し、現実に偵察行動が行われていること、若頭の花城清昌は、知名が殺された後、右抗争を遂行することを決意し、島袋一家傘下の組員に対して、「やる気のない者は出ていけ、やる気のある者は残れ」と督励し、本件殺人事件の一〇日前ごろ、親里は、「島袋一家が犠牲者(知名と小浜)を出しながら何をしているのか」という沖縄旭琉会の他の組などからの噂を気にして、組員に対し、「何とかしろ」と言っていること、直後には宮城の指示で本件殺人事件が実行されたが、この実行後、宮城は、高良と名嘉に金(逃走資金)を渡していること、若頭の花城は、宮城及び高良と名嘉の依頼のないまま、それぞれの刑事事件について弁護士をつけた(ここまでは右引用部分)こと、知名の死亡が三代目旭琉会との抗争によるものであることは右のとおりであるが、小浜の負傷についても、島袋一家ではこれは抗争の犠牲であることを当然の前提として、若頭の花城は、小浜の見舞金は島袋一家から出すが、治療費(手術費や入院費)は組織(沖縄旭琉会)が出すのが暴力団の世界では常識であると考えており、また島袋一家内部でもこれを若頭が組織に請求するのが当たり前であるというのが殆どの意見であった(乙イ二二)こと、花城は、知名が死んだ一週間後の平成二年一〇月一〇日(本件殺人事件が起こる前)に、実弟を介して行動隊長の親里に拳銃一丁と実砲三〇発を渡している(乙イ二二)こと、宮城は本件殺人事件で使用された拳銃と実砲を誰から渡されたか言いたくないといっていること(原審相被告宮城普義)、高良と名嘉が受け取った金は、親里が宮城に渡したもので、高良と名嘉は本件殺人行為を行う前に対立組員を一人殺害すれば沖縄旭琉会、控訴人富永から一〇〇万円出るといった話を聞いており、宮城は高良に一〇〇万円用意すると言い、本件殺人事件後に名嘉は親里から高良と名嘉に各一〇〇万円下りると聞かされていた(甲四、六、七、二〇)こと、宮城ら三名はいずれも沖縄旭琉会及び島袋一家の構成員であって、宮城は、昭和五年ごろから島袋一家の幹事を務め、併せて二代目旭琉会(多和田会長)の幹事でもあり、同一家における序列では、宮城は親里の下であったこと(甲八、乙イ二二)、高良は、昭和六三年四月、正式に三代目旭琉会平田組(分裂後は沖縄旭琉会に所属)の幹部与那嶺喜三の子分となり、平成元年には宮城の子分に変わった(甲三)こと、名嘉は、平成二年一〇月二二日、沖縄刑務所を出所したばかりであるが、翌二三日には伊志嶺組に出所挨拶に出向き、それまでの三代目旭琉会との対立抗争の経過を聞いている(前引用、乙イ二二)こと、これらの事実に前記認定(引用)の事実すなわち、宮城が三代目旭琉会との対立抗争につき主戦論者であったこと、その宮城が指示をし、それに基づき高良と名嘉が執拗にかつ無差別に対立組員を射殺しようとして、本件殺人実行行為をした事実を総合すると、宮城ら三名の本件殺人行為は、沖縄旭琉会と三代目旭琉会との対立抗争の一つとして実行されたものであることが優に認められる。
一般的に、暴力団の間の対立抗争事件において、控訴人らのように暴力団最上位又はより上部に位置する者は、個々の具体的な抗争事件における攻撃に対する反撃とか報復といった意識や感情よりも対立組織へ打撃を与えようとする意欲が大きく、他方、より下部の構成員になればなるほど、比較的、報復感情によって動かされることが多くなることがあるといってよい。しかし、暴力団の間の対立抗争事件では、抗争を目的とする対立組織への攻撃意思と個々の報復感情とは併存してなんら矛盾しない。したがって、宮城ら三名に報復感情があったからといって、本件殺人行為が沖縄旭琉会と三代目旭琉会との対立抗争として行われたものでないとはいえず、下部の構成員では、むしろこの報復感情が攻撃意欲を強める関係にあるものといえ、前認定の具体的な事実を見ると、宮城ら三名の本件殺人行為もこのようなものであったと認められる。
(二) 沖縄旭琉会の結成時期、本件殺人事件当時の沖縄旭琉会の組織、沖縄旭琉会における控訴人らの地位
(1) 沖縄旭琉会の結成時期
前認定の分裂の経過(三代目旭琉会と沖縄旭琉会との対立抗争に至る経緯の項)のように、三代目旭琉会の理事長であり富永一家の総長であった控訴人富永をはじめ、島袋一家の総長の控訴人島袋ほか合計一〇の一家や特別参与及び丸長一家、丸良一家の一部組員は、平成二年九月一九日、三代目旭琉会からの脱会を宣言して新組織を結成し、その名称を「沖縄旭琉会」とし、代紋と本部事務所は従前どおりとしたもので、沖縄旭琉会は、これを関係団体等に通知した(乙イ一〇)。
(2) 本件殺人事件当時の沖縄旭琉会の組織、沖縄旭琉会における控訴人らの地位
原判決は、沖縄旭琉会の組織について詳細に認定をしているが、これに対し、控訴人富永は、沖縄旭琉会が三代目旭琉会との抗争状態の中で生まれた組織であることを認めた上で、抗争遂行を目的に結成された一時的なものではなく、その後の存続を構想していたから、新組織の体制や役員人事の確定も慎重に行われ、控訴人富永が会長に就任したのも平成二年一一月中旬であって、沖縄旭琉会は、本件殺人事件が発生した当時、いまだ統一のとれた組織ではなかったと主張し、それに沿う供述をする。
確かに、本件殺人事件が発生したのは、沖縄旭琉会が結成された約二か月後であり、しかも三代目旭琉会との対立抗争が連日のように続いている慌ただしい最中であり、(前認定)、右沖縄旭琉会の発足通知には、新役員を後に連絡すると書かれている(乙イ一〇)。また、沖縄旭琉会は、平成四年六月二六日、暴対法三条所定により指定暴力団に指定されているが(甲三七)、原判決が右のように沖縄旭琉会の組織について認定した証拠のうち甲第二一号証、第二三号証ないし第二七号証は、警察が暴対法の成立直後の平成三年五月ころから資料を収集して、平成四年四月に作成し、沖縄旭琉会が暴対法三条所定の指定要件に該当するか否かを判断するための資料として、沖縄県公安委員会に提出されたものであって、右各号証には、本件殺人事件が起こった当時における沖縄旭琉会の組織等について明確に記述するところはない(甲二一、二三ないし二七)、さらに甲第二九号証は、右指定を争う行政事件訴訟において、平成六年六月二九日に行われた控訴人富永の本人尋問調書であって、その中でも、本件殺人事件が起こったころの沖縄旭琉会の組織、構成についても供述するところはない(甲二九)。したがって、これらの証拠をもって、本件殺人事件が発生した当時に原判決が認定するような沖縄旭琉会の組織、構成が確立していたと認めることはできないし、その他の同じく認定の証拠とされている甲第二号証(高良の司法警察員に対する供述調書)を併せてもこれを認定することは困難である。
しかし、「三代目旭琉会と沖縄旭琉会との対立抗争に至る経緯」として既に認定(引用)した事実によれば、二代目旭琉会の会長であった多和田は、本土の暴力団にならって、親分子分の盃事という擬制的血縁制度を導入して、二代目旭琉会の内部組織の結束と統制を強固なものとするため、昭和五四年一二月には神戸に本拠を置く暴力団大嶋組を取持人として右盃事を挙行し、翌五五年一〇月には本土の暴力団稲川会の組織に倣って、一家総長制(それまで寄合所帯であった傘下の各組やグループを統廃合して一家とし、その一家の長を総長とするもの)と上納制を導入したのである。こうした組織の具体的な内容は、二代目を継いだ三代目旭琉会においては、会長の下に理事長(控訴人富永)と二名の副会長がいて、これらが役員であり、会長のもとに一五の団体(一家)があり、この一家の長が総長として、一家に所属する各組を統括しており、会長と各総長の関係は、沖縄における従来からの兄弟関係を重視して、四分六分の兄弟分つまり会長が六分の兄、各総長が四分の弟と擬制され、組織に関する重要な事項は、少なくとも、他の暴力団組織でいう最高幹部会議に相当する総長会議で協議されることとなっていた(甲三〇)が、擬制的血縁制度を導入した前記の目的から、三代目旭琉会においては、各総長又は総長会議といえども、強固な組織維持の要諦というべき右擬制的兄弟関係の序列を乱すことは決して許されないから、右重要事項についての最終決定権限は会長にあったと認められる。
次ぎに、やはり「三代目旭琉会と沖縄旭琉会との対立抗争に至る経緯」のところで見たとおり、三代目旭琉会の分裂の直接の原因は、要するに、会長(翁長)派と理事長(控訴人富永)派との対立であり、三代目旭琉会から脱退したのは、個々の暴力団員の烏合の衆徒ではなく、一部には一家を離れて参加した者もあるがこれは少数で、これを除くと、三代目旭琉会の会長に次ぐ地位にあった理事長の控訴人富永が率いる富永一家を中心にして、一〇の一家がそっくりそのまま脱退したもので、その中には控訴人島袋が統括する島袋一家も含まれていた。そして、前記脱会及び沖縄旭琉会の結成通知の各総長の順序は三代目旭琉会当時の序列の順序としていて(控訴人富永清)、この分裂を機に従前の組織秩序にいささかも下克上のような変動があったことを認めうる証拠はないから、この脱会と沖縄旭琉会の結成は、三代目旭琉会が分裂して二つの組織になったものであり、沖縄旭琉会は、その結成時において既に、三代目旭琉会における擬制的兄弟関係等の仕組みを変更せず、これを維持していたと認められる。
なるほど、沖縄旭琉会の結成時には、正式にその会長は定められてはいないが、右事実と、三代目旭琉会における控訴人富永の地位、分裂の経緯、沖縄旭琉会結成後遅くとも約二か月後には控訴人富永が会長となっていることを総合すると、沖縄旭琉会は、その結成当初から、関係者の当然の了解のもとに、控訴人富永を会長身分とし、その下に各一家の総長が弟分としてあり、各総長とその下の各組の組長との間にも同様の関係を持った組織であったことが推認でき、当時、沖縄旭琉会では各役員(三代目旭琉会でいえば、理事長、副会長等)が決められていないからといって、この推認を左右するものではなく、反証はない。
(三) 沖縄旭琉会と三代目旭琉会との対立抗争(本件殺人事件を含む)に関する控訴人らの行為
(1) 控訴人富永について
本件殺人の計画や実行行為について、控訴人富永が明確な指示をし、共謀をするなど、直接、具体的にこれに関与したと認めうる証拠はない。
しかし、控訴人富永は、脱会するについて、三代目旭琉会からの報復攻撃を予想し(また、現実に、脱会の二日後には、三代目旭琉会側から沖縄旭琉会側への発砲事件があった。前認定)、抗争のための拠点を確保し(前認定)、脱退した各総長らと共に、控訴人富永を含む各総長の身辺を慎重に警護する措置をとった(甲三二、控訴人富永清)。その一方、右三代目旭琉会側からの攻撃に対応するかのように、同日には、沖縄旭琉会側から三代目旭琉会側への拳銃発砲事件が起こっている(前認定)。次ぎに、原判決(一四一頁五行目から一四五頁八行目まで。ただし、(1)等の表題番号は除く。)のとおり認定できるのでこれをここに引用するが、その認定事実の主要部分を纏めると、三代目旭琉会との対立抗争で逮捕、服役した沖縄旭琉会の組員に対する報奨金の支給やその家族への経済的な世話を沖縄旭琉会がすると高良及び名嘉は認識しており、また、現実に宮城ら三名は、認識していた金額より少額ではあるがこれを受領しており、右沖縄旭琉会が報奨金を支給したり事後援助をするということは、(島袋一家の組員が小浜の治療費を沖縄旭琉会が支出すべきであると考えていたことなど)その他の情報などからも根拠のないことではないこと、本件殺人事件や警察官殺害事件後、控訴人富永や三代目旭琉会会長翁長は、抗争の自粛や休戦宣言をしてはいるが、これが真摯なものであるかは極めて疑わしいものの、控訴人富永は、平成四年一月に保釈されてから三代目旭琉会と折衝し、沖縄旭琉会が同年二月一三日に、三代目旭琉会が同年三月一日に、それぞれ抗争の終結宣言をマスコミに発表したことをもって、抗争は概ね沈静化したことが認められるというものである。さらに、控訴人富永は、主として宮城ら三名の刑事事件の訴訟において情状として斟酌されるよう、本件殺人事件の遺族である被控訴人らに対し合計一一〇〇万円を支払っていること(なお、控訴人富永は、これが右訴訟において考慮されなかったことに不満を述べている)が認められる(乙イ一三)。
(2) 控訴人島袋について
控訴人島袋についても、本件殺人の計画や実行行為について、同人が直接かつ明確にこれを指示するなどの関与をしたと認めうる証拠はない。
しかし、沖縄旭琉会は、平成二年一一月に、新役員の人事を関係者に通知しているが、会長控訴人富永の下に理事長上里一家総長の上里忠盛を、その下に四名の副会長が置かれているところ、控訴人島袋は、島袋一家総長としてその中でも筆頭の副会長となっていて、もちろん月一回開かれる沖縄旭琉会の総長会議にも出席しており、前記若頭花城も沖縄旭琉会の組織運営委員となっている(乙イ九、控訴人島袋爲夫)。このことと前認定の沖縄旭琉会の当時の事実上の組織等から、遅くとも本件殺人事件が起こった当時には、控訴人島袋は既に沖縄旭琉会の中で重きをなしており、若頭花城も主要な地位についていたと認められる。そして、控訴人島袋は知名や小浜の事件が起こったことは発生当日に電話連絡を受けて知っており(控訴人島袋爲夫)、既に認定したように、三代目旭琉会と沖縄旭琉会との対立抗争や前記のように知名が射殺され、小浜が重傷を負った後の島袋一家内部における若頭花城を初めとする幹部の対立抗争に関する積極的言動があり、これに加えて、島袋一家の幹事である宮城の指示で本件殺人事件が実行されたが、この実行後、宮城は、高良と名嘉に前記金(逃走資金)を渡しており、若頭の花城は、宮城及び高良と名嘉の依頼のないまま、それぞれの刑事事件について弁護士をつけているのである。
控訴人島袋は、宮城ら三名は、同人らが所属する組の組員であって、島袋一家の構成員ではなく、控訴人島袋は、偶然の機会でもなければ、各組にどのような組員がいるか知りえないのが実態であると主張し、名嘉とは全く面識がなく、宮城と高良も名前と顔が結びつかないと主張し、宮城は二、三度顔を見たことがあり、高良と名嘉は全く知らないと供述する。
しかし、先に認定(引用)したように、宮城は島袋一家の幹事であり、高良は昭和六三年四月ころから島袋一家の本家にその名札が掛けられており、さらに名嘉は、昭和六三年七月以来島袋一家傘下の伊志嶺組の組員であったが、平成元年の年末に傷害事件を起こして平成二年三月から服役して、同年一〇月二一日に出所してきた者である(甲一三、前認定)。これらの事実に照らして、このような三名を知らないなどという控訴人島袋の供述は到底信用できない。
(四) 控訴人らの不法行為
前記1及び2の(一)ないし(三)でこれまでに認定した事実、なかんづく三代目旭琉会と沖縄旭琉会との対立抗争に至る経緯、三代目旭琉会と沖縄旭琉会との具体的な対立抗争、本件殺人実行行為の目的、沖縄旭琉会の結成と本件殺人事件当時の沖縄旭琉会の組織及び同会における控訴人らの地位、対立抗争(本件殺人事件を含む)に関する控訴人らの行為の事実を総合すると、控訴人らには、それぞれつぎのような過失による不作為(不法行為)のあったことが認められる。
(1) 三代目旭琉会会長が控訴人富永を絶縁したことを契機として、沖縄旭琉会を結成した者、とりわけ中心人物である控訴人富永はもとより、結成に参加した島袋一家の総長である控訴人島袋も、右結成の当初から、両会が沖縄では平穏に共存できず、三代目旭琉会が沖縄旭琉会の壊滅を目的に攻撃を仕掛けてくることを予想し、その対抗策を講じたばかりか、一度攻撃を受けるや、沖縄旭琉会の構成員が反撃をし、本件殺人事件が起こるまでにも数次にわたって互いに襲撃を繰り返してきたのであるから、右のような地位にあった控訴人富永は、右対立抗争の過程において、本件殺人事件のように、対立組事務所近辺において、無関係の者に誤殺傷等の事件が発生することを十分に予見できたことが認められる。そして、本件殺人事件が発生した当時、既に実質的にも沖縄旭琉会の会長であった控訴人富永は、上命下服の強固な規律のもとにある暴力団沖縄旭琉会の会長として、弟分の各総長を通じるなどして、右攻撃あるいは反撃を中止させることが可能であったから、右のような事件の発生を未然に防止するための措置をとるべき注意義務があったところ、控訴人富永は、三代目旭琉会の壊滅又は弱体化の目的を実現するに急で、本件殺人事件が起こり、踵を接して警察官等の殺人事件が起こっても、真摯にこれを中止しようとせず、右各事件の発生の約一年三か月後に抗争終結宣言を発表するまで、なんらの措置をとらなかった過失のあることが認められる。
(2) 右のような沖縄旭琉会結成の背景事情を知り、また三代目旭琉会からの攻撃を予測していた控訴人島袋は、単なる防御、報復を超えて三代目旭琉会の壊滅又は弱体化を遂行するという沖縄旭琉会の方針を認識しており、また島袋一家の組員知名や小浜の前記事件の発生を知っており、さらには、控訴人島袋が統括する一家の重要幹部によって対立抗争に対する具体的な指示がされているのであるから、控訴人島袋は、控訴人富永に比してより直接的に、対立抗争中に、抗争とは無関係の第三者に対し、本件殺人事件のような被害の及ぶことを予見できたことが認められる。そして、これと控訴人島袋とその配下の組員との前認定の関係によれば、控訴人島袋は、右事件の発生を防止すべき注意義務があるのに、同一家の組員による無差別の抗争行為を放置して、これを怠った過失があると認められる。
3 控訴人らの共同不法行為責任
これまでの認定事実及びその評価と判断を総合すると、控訴人らの右各過失による不作為と、宮城ら三名が抗争行動として行った本件殺人行為には、客観的に関連共同性があるだけでなく、主観的にも関連性があり、これと前記沖縄旭琉会の組織及びその行動原理によれば、控訴人富永の右過失による不作為と控訴人島袋の不作為又は宮城ら三名の本件殺人行為との間には相当因果関係があり、控訴人島袋の右過失による不作為と宮城ら三名との本件殺人行為との間にも相当因果関係があり、もちろんこの実行行為と次郎の死亡との間には因果関係があって、右各行為は、連鎖的に又は競合して次郎の死亡と因果関係があるということができる。
したがって、控訴人らは、民法七一九条一項により、連帯して、宮城ら三名の本件殺人行為によって、次郎及び被控訴人らに生じた損害を賠償する義務がある。
三 損害
1 各慰謝料及び弁護士費用を除く次郎と被控訴人太郎の損害と被控訴人らの相続
右各損害については、原判決が認定するとおり(原判決一四九頁三行目から末行まで及び一五一頁五行目から一〇行目まで及び一五二頁二行目から六行目まで。ただし、それぞれ一四九頁三行目の「逸失利益」を「次郎の逸失利益」と、一五一頁五行目の「(三)」を「(二)」と、一五二頁二行目の「(1) 葬儀費用」を「(三) 被控訴人太郎に生じた葬儀費用」とする。)であるから、これをここに引用する。
すなわち、本件殺人行為の結果により、次郎が失った得べかりし利益は四一一四万五九六〇円で、これを両親である被控訴人らがその各二分の一宛(各二〇五七万二九八〇円)相続し、本件殺人事件と相当因果関係のある次郎の葬儀費用は一〇〇万円であり、被控訴人太郎は、その支出を余儀なくされた。
2 慰謝料
本件殺人行為の結果と相当因果関係のある次郎と被控訴人らの慰謝料は、当裁判所も次郎につき二〇〇〇万円、被控訴人らにつき各三〇〇万円と認めるのが相当であると判断するが、その理由は、原判決が認定した事実に基づき説示するとおり(原判決一五〇頁初行から一五一頁四行目、一五二頁七行目ないし一〇行目まで。ただし、一五〇頁初行の「(二) 慰謝料」を「(一) 次郎の慰謝料」と、一五二頁七行目の「(2)慰謝料」を「(二) 被控訴人らの慰謝料」とし、一五二頁九行目の「原告太郎固有の」を「被控訴人ら固有の」と訂正する。)であるから、これをここに引用する。
被控訴人らは、不法行為の損害としての慰謝料には、当該不法行為に対する社会的制裁の機能があることを強調して、この機能を考慮すると原判決が認定する慰謝料の額は低額であると主張する。
しかし、不法行為による損害の賠償は、あくまでも、当該不法行為によって被害者に具体的に生じた損害を填補するものである。そして、この損害のうち精神的損害の内実は、精神的なものであるために、証拠による認定に困難が伴うことがあり、また外から窮うことの難しい被害者の個人的な資質や耐性といったものによって左右される場合もあるといったことなどから、精神的損害については、これが発生すると考えられる具体的な諸事情をもとに、ある程度客観化されることも止むを得ない。右諸事情の中には、故意、過失、目的、手段、方法等を含む当該不法行為の悪性とその程度も含まれることがあり、その結果、当該不法行為と因果関係があると認められた具体的な慰謝料が、社会的に当該不法行為に対する非難や制裁の機能を果たしていることがあるとしても、不法行為による損害の填補とは別に、右制裁を独立の目的としているものではない。当裁判所は、慰謝料の算定に当たって、損害の填補という枠組みを超えて、右制裁の機能を持たせることを考慮すべきであるとは考えない。
四 過失相殺、損益相殺、弁済及び弁護士費用
1 過失相殺、損益相殺、弁済及び弁護士費用についても、次に付加、訂正する他は、原判決が認定、判断するとおり(一五三頁六行目から一五七頁六行目まで。ただし、表題番号及び(一)ないし(三)の番号を除く。)であるから、これをここに引用する。
(一) 一五四頁末行冒頭から一五五頁九行目末尾までを次のとおり訂正する。
「那覇労働基準監督署は、次郎の死亡を業務災害と認めて、労働者災害補償保険法に基づき、受給権者を次郎の実弟甲山三郎として、遺族補償年金前払一時金三二一万円、遺族特別支給金三〇〇万円を支給し、受給権者を被控訴人太郎として、葬祭料三四万六三〇〇円を支給した(甲三九の1ないし3)。
ところで、労働者災害補償保険法によれば、遺族補償年金の受給権者は、労働者の配偶者、子、父母、孫、祖父母及び兄弟姉妹であって、労働者の死亡の当時その収入によって生計を維持していた者であり、兄弟姉妹は一八歳に達する日以後の最初の三月三一日までの間にあること又は六〇歳以上でなければならないとされている(一六条の二)が、次郎の父母である被控訴人らが右受給権者となっていないのは、次郎の収入によって被控訴人らが生計を維持していなかったものであり、次郎は死亡当時一九歳であり(前認定)、右実弟甲山三郎は当時一五歳であって(甲三八)、甲山三郎が次郎の死亡当時、次郎の収入によって生計を維持していたか否かについて、特に資料のない本件においては、いささか疑念があり、これと被控訴人らが原審以来、被控訴人らが右遺族補償年金前払一時金と遺族特別支給金を受領していると主張してきていることによれば、支給決定の受給権者はともかく、実質的には被控訴人らがこれらを受領したものと認めるのが相当である。
そして、右支給金のうち遺族補償年金前払一時金三二一万円は、控訴人らが次郎の逸失利益の額から控除し、右葬祭料三四万六三〇〇円は、被控訴人太郎の葬儀費用から控除すべきであるが、遺族特別支給金は、被災労働者の損害を填補する性質を有するものではないから、右遺族特別支給金を次郎の逸失利益の額から控除することはできない。」
(二) 一五六頁九行目から一五七頁初行までを、次のとおり訂正する。
「前記三で認定した次郎の逸失利益の被控訴人ら各相続額二〇五七万二九八〇円から前記遺族補償年金前払一時金三二一万円の各二分の一である一六〇万五〇〇〇円を差し引くと、右相続の残額は各一八九六万七九八〇円となり、被控訴人太郎の前認定の葬儀費用一〇〇万円から葬祭料三四万六三〇〇円を控除するとその残額は六五万三七〇〇円となる。そしてそれぞれ相続した右逸失利益の残額、前認定の次郎及び被控訴人らの慰謝料、さらに被控訴人太郎については葬儀費用の残額をそれぞれ合算すると、控訴人らに対し、被控訴人太郎は三二六二万一六八〇円を、被控訴人花子は三一九六万七九八〇円を請求しうるところ、既に損害賠償金として一一〇〇万円を受領しているのであるから、右各損害賠償額から各五五〇万円を差し引くと、右請求しうる額は、被控訴人太郎が二七一二万一六八〇円であり、被控訴人花子が二六四六万七九八〇円となる。」
(三) 一五七頁二行目から同六行目までを、次のとおり訂正する。
「弁護士費用 被控訴人太郎二〇〇万円、被控訴人花子一九〇万円
本件事案における主張、立証の難易、控訴人らの主張、審理の経過、前記認容の各損害額、その他本件に現れた諸事情と弁護士費用について本件不法行為時から遅延損害金を請求していることを総合すると、本件殺人事件と相当因果関係のある右事件時における損害としての弁護士費用は、被控訴人太郎につき二〇〇万円、被控訴人花子につき一九〇万円と認めるのが相当である。」
(四) そうすると、右各額に前認定の弁護士費用を加えた損害残額は、被控訴人太郎が二九一二万一六八〇円、被控訴人花子が二八三六万七九八〇円となる。
五 結論
以上のとおりであるので、被控訴人らの各選択的請求のうち、控訴人らに対する民法七一五条に基づく損害賠償は理由がなく、民法七一九条に基づく請求は、控訴人らに対し、被控訴人太郎が損害賠償金二九一二万一六八〇円とこれに対する本件不法行為の日である平成二年一一月二二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を、被控訴人花子が損害賠償金二八三六万七九八〇円とこれに対する右同様の遅延損害金の連帯支払を求める限度で理由があり、その余の請求は理由がない。
よって、右民法七一五条に基づく控訴人らに対する損害賠償請求を一部認容した原判決は正当でないから、原判決のうち右請求にかかる部分を取り消し、被控訴人らの民法七一九条に基づく各請求につき、右理由のある限度でこれらを認容し、その余の部分を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条本文、九三条一項但書を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官岩谷憲一 裁判官角隆博 裁判官吉村典晃)