福岡高等裁判所那覇支部 平成8年(ラ)27号 決定 1997年7月31日
抗告人 上原政治
事件本人 上原政和
事件本人 仲宗根政史
主文
原審判を取り消す。
本件を那覇家庭裁判所に差し出す。
理由
一 抗告の趣旨及び理由
本件抗告の趣旨及び理由は、別紙「即時抗告申立書」記載のとおりであり、要するに、本籍沖縄県那覇市字○△××番地戸主上原政和の改製原戸籍中、本籍欄に「沖縄県那覇市字○△××番地」との記載があり、本籍沖縄県島尻郡真和志村字○△××番地戸主仲宗根政史の除籍(以下「本件除籍」という。)中、本籍欄に「沖縄県島尻郡真和志村字○△××番地」との記載があるが、真実の本籍はいずれも「沖縄県首里市崎山町×丁目××番地」であるので、戸籍の記載に誤記があり、その旨訂正されるべきであるから、これをいずれも却下した原審判を取り消し、本件を那覇家庭裁判所に差し戻すとの裁判を求めるというものである。
二 当裁判所の判断
1 本件記録によれば、次の事実が認められる。
(1) 本件除籍の記載によれば、抗告人は、事件本人亡仲宗根政史(以下、「政史」という。)、亡マサ(以下、「マサ」という。)夫婦の四男であり、同夫婦の子には、そのほか、長女上原ヒサ子(以下「ヒサ子」という。)、三女玉城尚子(以下、「尚子」という。)、長男亡政明(平成8年7月に本件除籍に記載。以下、「政明」という。)、二男事件本人上原政和(以下、「政和」という。)、三男亡政行(以下、「政行」という。)がいる。
また、本件除籍の記載によれば、政史は、本籍首里区金城町×丁目××番地戸主仲宗根政也の三男であり、大正7年12月20日、本籍首里区崎山町×丁目×××番地戸主玉城流の二女マサと婚姻し、大正8年11月4日分家届出をしたものである。
(2) 長女ヒサ子は、大正11年8月4日、首里市(区)崎山町×丁目で出生した。また、三女尚子は昭和5年9月17日に、長男政明は昭和8年4月15日に、二男政和は昭和11年3月14日に、三男政行は昭和13年7月19日に、四男抗告人は昭和16年7月27日に、いずれも政史、マサ夫婦の当時の住所で、マサの両親宅の隣家である首里市崎山町×丁目××番地(以下、「崎山町×丁目××番地」という。)の借家で出生した。
(3) 今次大戦により、政史、長男政明が死亡し、マサら抗告人一家は、戦後の収容所生活を経て、昭和22年ころ、首里市崎山町××丁目に戻った後、昭和24年ころ、島尻郡真和志村字○△××番地(以下、「○△××番地」という。)の土地を購入し、同年10月21日ころ、同所に転居した。
(4) また、今次大戦において、沖縄の戸籍の大半が滅失したため、昭和21年9月19日臨時戸籍事務取扱要領(昭和21年9月19日沖縄総務部長通牒)が発せられ、臨時戸籍が調整されたが、世帯主マサの臨時戸籍には、本籍が崎山町×丁目××番地と記載された。
(5) 二男政和は、昭和24年3月○○小学校を卒業したが、その卒業台帳には、本籍が崎山町×ノ××、現住所が崎山区××ノ××と記載されている。また、三男政行は昭和26年3月に、四男抗告人は昭和28年3月に、それぞれ○○○小学校を卒業したが、その卒業台帳にはいずれも本籍が首里市崎山町×ノ××と記載されている。また、二男政和は昭和30年3月に○○高等学校を卒業したが、その卒業台帳には本籍が首里市崎山町×ノ××番地と記載されている。他方、抗告人は昭和36年3月に○○高等学校を卒業したが、その卒業台帳には本籍が那覇市字○△××番地と記載されている。
(6) 昭和28年11月16日、大戦により滅失した戸籍を再製して整備するため、琉球政府戸籍整備法(以下、単に「法」又は「戸籍整備法」ということがある。)が公布され、昭和29年3月1日施行された。
(7) 政史の戸籍については、マサ及びヒサ子の話を聞き取りした者において、法6条1項による仮戸籍申告書のほか、同条2項による届出として、マサを届出人とする昭和22年1月5日付けの政史の死亡届(死亡現認書添付)、政和及びその親権者マサを届出人とする同年3月5日付けの政和の家督相続届、ヒサ子を届出人とする昭和26年9月25日付けの都紀江の出生届をそれぞれ代書し、マサ及びヒサ子がその届出人欄に押印し、昭和29年6月4日、真和志市役所にこれらが提出された。
これらの申告書等の本籍欄は、いずれも○△××番地と記載された。他方、仮戸籍申告書のヒサ子、尚子、政和、抗告人らの出生に関しては、本籍で出生と記載された。
なお、尚子は、昭和29年1月10日に玉城勝利と婚姻したため、同日付けの婚姻届を同年5月31日付けの法6条2項による届出として○○村に提出したが(受付日付は昭和31年12月18日)、その婚姻届には尚子の本籍が首里市崎山町×ノ××と記載されており、その婚姻同意者としてマサ及び政和の名が記載され、その名下に「上原」の印が押捺されている。
(8) 真和志市長は、法17条1項に基づき設置された戸籍調査委員会に対し、昭和30年6月2日、政史の戸籍につき諮問したところ、同委員会は、調査審議の結果として、同月10日、仮戸籍申告書について「適当で信憑性充分なる申告と認める。」旨、死亡届、家督相続届及び出生届について「適法なる届出と認める。」旨答申した。その後、真和志市長による仮戸籍の調整、縦覧等を経て、昭和31年9月28日、本件除籍及び改製原戸籍が整備された。
2 ところで、戸籍は、日本国民の身分関係を公証登録した公文書であり、一定の親族関係にある者につき、出生より死亡に至るまでの間の身分上の重要な変動を公証するものであるから、そのような身分上の変動は届出等に従って時系列的に忠実に記載されることが要求される。戸籍整備法も、当該戸籍滅失の日までに滅失にかかる戸籍又は除籍に関し、届出、訂正申請、報告又は請求をした者に対して、その事項を申告させるとともに(法6条1項)、滅失の日から同法施行の日までに戸籍法に基づいて届け出るべき事件があった者に対し、その事項を届け出させる(同条2項)ことなどによって、滅失した戸籍につき、各構成員の身分行為等を時系列的に忠実に復元してこれを整備しようとしたものであるから、同法に基づいて整備された戸籍ないし除籍が、それまでの戸籍上の変動等を忠実に復元していない場合には、原則として、真実に従って、右戸籍ないし除籍が訂正されるべきである。
3 それを本件についてみるに、前認定の事実によれば、マサらは、昭和24年になって○△××番地の土地を購入し、同地と関わりを持つようになったのであるから、それ以前において、事件本人政史の本籍が○△××番地であったとは認められず、また、同人の死亡による昭和22年3月5日付の家督相続届に基づき作られた事件本人政和の戸籍(本件改製原戸籍)についても、右家督相続届の作成日付当時の本籍が○△××番地であるとはいえないことは明らかである。
他方、臨時戸籍事務取扱要領に基づく世帯主マサの臨時戸籍においては、本籍が、マサらが戦前に住居を構えていた崎山町×丁目××番地と記載され、抗告人ら兄弟の卒業台帳上の本籍も、右臨時戸籍上の本籍に従ったものとなっているところ、右臨時戸籍上の記載は、特段の事情がない限り、マサの認識するところに従って記載されたものであり、したがって、マサはその当時、本籍を崎山町×丁目××番地と理解していたと考えられる。そして、事件本人政史と同所との関係に照らすと、右特段の事情がない限り、同所が同人の本籍であったと推認することができるというべきである。
4 ところで、戸籍整備法による申告等の結果、本件除籍及び改製原戸籍の本籍欄は、○△××番地と記載されているところ、一件記録によれば、その理由は、マサが新たに本籍を○△××番地と定める意思で、事件本人政史の本籍を○△××番地であるとする仮戸籍申告書を提出したためであると認められる。
なお、抗告人及び尚子は、代書による申告の際、本籍と現住所とが混同されたのではないかというが、ヒサ子は、マサ及びヒサ子が話し合って、本籍を○△××番地に決めたと明確に述べている上、前述のとおり、特段の事情がない限りマサの認識に従って作成されたと考えられる臨時戸籍においては、住居と本籍が区別されており、マサにおいて本籍の意味が分からなかったとは考えられないこと、マサが平成2年に死亡するまでの間に、戸籍の記載に不満をもっていたことは全く窺われないことなどからすると、抗告人らの供述するところは採用できない。
5 そこで、本籍変更(転籍)の意思で戸籍整備法による申告を行った場合の効力について検討する。
前記の臨時戸籍事務取扱要領は、沖縄総務部長が各市町村宛に出した通牒であって、それ自体が法律としての効力を有するものであるとは解されず、また、現住者について編製されている点で本来の戸籍とは異なるものであって、マサの右申告当時(昭和29年6月4日)の戸籍に関する法律は、大正3年法律26号(旧戸籍法)である(沖縄県においては、いわゆるニミッツ布告より、昭和31年まで旧戸籍法の効力が維持され、昭和32年1月1日から新民法とともに新戸籍法が施行された。)。旧戸籍法によれば、転籍手続は、新本籍を届書に記載して、戸主がその旨を届け出なければならず、他の市町村への転籍には戸籍の謄本を届書に添付しなければならないとされているところ(同法158条)、当時、事件本人政史の戸籍は滅失しており、また、政和の戸籍も編製される余地がなかったのであるから、同法に定められた正式の転籍手続を行うことは事実上不可能であったと認められる。そして、旧戸籍法によれば、転籍は転籍地においてもすることができ(同法159条)、また、届出をなすべき者が未成年者である場合には親権者が届出義務者とされていたのであるから(同法49条)、同法による転籍の手続が可能な場合には、戸籍整備法による前記の申告と同じく、政史死亡後の戸主である政和の親権者であるマサが、新戸籍となる真和志市においてこれを行うことができるものである。
一般に、戸籍に関する創設的届出については、その要式性から、ある事項に関する届出を別の届出として取り扱うことは許されないと解される。しかしながら、本来の手続を正式に行うことが事実上不可能な状態にあるときに、当該届出にかかる効果を発生させる意図で別の届出を行い、それが本来の手続に準じた手続を経ていると解され、かつ、それを本来の届出として取り扱っても特に問題が生じないような場合には、例外的に、それを本来の届出として取り扱うのが相当と解せられる。
前認定の各事実によれば、本件においては、マサが、昭和29年6月4日、新たに本籍を○△××番地と定める意思で、事件本人政史の本籍を○△××番地であるとする仮戸籍申告書を提出したことをもって、同日、事件本人政和の親権者マサにより、戸主政和の本籍を○△××番地に転籍する旨の届出があったものとして取り扱うのが相当である。
6 以上によれば、臨時戸籍上の記載がマサの認識するところに従って記載されたとは認められないような特段の事情がない限り、事件本人政史の戸籍(本件除籍)にかかる本籍は、崎山町×丁目××番地であったものとしてこれを訂正し、事件本人政和の戸籍(本件改製戸籍)については、昭和29年6月4日、崎山町×丁目××番地から○△××番地に転籍されたものとして、本籍欄等を訂正するのが相当であるが、右特段の事情の有無については、未だ十分な審理がされていないので、右審理を尽くさせるため、原審理を取り消した上、本件を那覇家庭裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 岩谷憲一 裁判官 角隆博 吉村典晃)
(別紙) 即時抗告申立書
抗告の趣旨
平成8年(家)第1181号第1639号戸籍訂正許可申立事件の平成8年11月5日付の審判において、抗告人が戸籍訂正許可申立を行った下記2項の申立事項について、「本件申立てをいずれも却下する。」との審判はこれを取り消し、本件を那覇家庭裁判所に差し戻すとの裁判を求めます。
尚、準備書面及び証拠等をさらに補充して立証をして行きたいと思います。
申立事項
(1) 本籍沖縄県那覇市○△××番地戸主上原政和の改製原戸籍中、本籍欄に「沖縄県那覇市字○△××番地」とあるのを「沖縄県首里市崎山町×丁目××番地」と訂正する。
(2) 本籍沖縄県島尻郡真和志字○△××番地戸主仲宗根政史の除籍中、本欄に「沖縄県島尻郡真和志村字○△××番地」とあるのを「沖縄県首里市崎山町×丁目××番地」と訂正する。
抗告の理由
1 長女ヒサ子は首里市崎山町×丁目××番地で出生し、三女尚子及び長男政明、次男政和、三男政行、四男政治も同住所で出生しております。
2 昭和29年5月の頃の那覇市○△の区長は○○ではなく、△△であります。(添付の承認書及び歴代区長一覧表)
3 △△(昭和29年当時の区長)が息子の△○に送った手紙の筆跡から戸籍整備法第6条1項に基づく仮戸籍申告書及び同条2項に基づく届け出書類は当時の区長△△が記載したものではない事は明白であります(添付の△△の手紙)
4 昭和29年5月の頃、長女ヒサ子は住込の軍作業に行っていたために、戸籍の件で自宅で長女ヒサ子から聞き取りをする事が物理的にできなかった
5 審判の主文によると、当時の区長○○が届出人母マサ及び長女ヒサ子に代わって仮戸籍申告書及び同届け出書に記載し、母マサ及び長女ヒサ子は右記載を確認の上、それぞれ押印した。となっているが、押印は母マサの印も長女ヒサ子の印も同一印で別々の印鑑でない事が印影で明白である。
6 審判による裁判所の判断によると、仮戸籍申告書が調査審議の結果、いずれも適法で信憑性十分な申告かつ適法な届出がなされた。としているが、当時の状況や昭和29年3月1日施行の戸籍整備法の戸籍の再製の過程をまとめた、那覇市発行の「那覇市の戸籍“戦災からのあゆみ”」と、さらに昭和29年3月以降の当時の新聞並びに当時戸籍の再製に関係した人の証言からして、必ずしも適法で信憑性十分な申告かつ適法な届出がなされたと言い切れるものではないことは素人が判断しても明らかである。
以下は以上の資料に基づいたもので、一部は抜粋である。
下記により、すべて真実が記載された訳ではなく、又個人からの申告書の記載事項を裏付ける資料が無かった事と、短期間で全住民の申告書を調査審議しなければならなかった事からして、真正な調査審議されないまま答申され、信憑性に乏しいものであったが、当時としてはやむをえない事であった。そのために、戸籍の訂正が頻繁におこる事が予想されたために、戸籍の訂正手続きの簡素化と錯誤、遺漏の訂正処理の法通達(法民第209号、法民第345号、法民第1260号、法民第265号、法民第57号)がなされ、その後戸籍の訂正事務が円滑に処理されたために昭和42年(1967年)6月9日の法民第630号によって法民第209号は廃止された。
(那覇市の戸籍“戦災からのあゆみ”より)
那覇地方法務局長通達 昭和47年12月18日戸第380号
那覇地方法務局長通達 昭和47年12月18日戸第381号
那覇市の戸籍“戦災からのあゆみ”と関係者の証言より
(1) 仮戸籍申告期間がわずか3ヵ月(3月1日から5月31日)の短期間であった。
(2) 那覇市の戸籍簿は戦災でほとんどすべてが滅失したために、個人からの戸籍の申告に対しては、それを裏付ける資料が皆無であった。そのために戸籍申告書の調査のやりようが無く、ほとんど個人の申告の通りにするしかなかった。
(3) 滅失した個々の戸籍の内容に明るい戸主の多くが死亡したり、中には一家全滅の家族も有り、戦後8年も経った後の個人の記憶を辿っての個人からの申告であった。
昭和29年(1954年)3月~5月の新聞による(抜粋)
(4) 仮戸籍の申告に対して関心が非常に薄く、特に南部の都市地区においてはひどかった。首里市においては申告を受ける約6千件の中、150件しか申告してなく、この150件もほとんどが恩給獲得権者で一般の人々は僅かであった。したがって申告締切り日の5月31日まで到底不可能ではないかと憂慮されている。(1954年4月16日の沖縄朝日新聞より)
(5) 戸籍の申告は5月31日までであるが期間内に怠った場合は一件当たり千円の罰金が課せられるので、民事課では住民の義務として申告してほしい、と注意をうながしている。
△申告書を充分整備してから提出したいという考えで渋っている間もあるようだが、未整備のまま提出しておいて、その後追完とか、訂正申請によって完備することも出来るので、期間内に申告書を提出してほしい。(1954年4月25日の沖縄タイムスより)
7 以上の事実は添付資料等からでも明白であり、昭和29年の仮戸籍申告当時の本籍は首里市崎山町×丁目××番地であったことはこれまでの資料からしても明白である。
審判官は何の証拠もない長女ヒサ子及び長男政和の虚偽の証言を真正の証言として認め、昭和29年当時の唯一の公証であった臨時戸籍及び公証としては最も信頼のおける学校の証明書等も無視し、一方、本籍が○△ではなかった可能性も肯定している。
戸籍の記載はいかなる理由があろうが事実を記載する事が大原則であり、証拠資料が有効か無効かを決める事ではなく、証拠資料の記載が事実かどうかを決める事である。
戸籍の記載が事実ではない可能性があれば、当然これを削除し、事実のみを記載すべきである。
結語
原審判は抗告人が提出したすべての公証資料の事実の記載を否定する事になり、公文書に対する信頼性を失墜させるものであります。したがって申立てを却下した原審判は不当であります。
よって抗告の趣旨どおりの裁判を求めるため、即時抗告の申立てをいたします。
〔参考1〕原審(那覇家 平8(家)1181号、1639号 平8.11.5審判)<省略>
〔参考2〕 「沖縄」の戸籍再製の沿革
沖縄県は、第二次世界大戦により未曾有の戦火を受け、宮古、八重山を除く本島及びその周辺離島の市町村が保管する戸籍及び関連公簿が滅失した。
戦後、米国の施政権下に統治され、昭和20年7月1日ニミッツ布告により旧民法、旧戸籍法施行が持続され、昭和21年9月21日寄留法に基づく臨時戸籍事務取扱要綱が交付され、翌年3月5日から臨時戸籍事務が開始された。「臨時戸籍」は、現住する家族を把握する住民票的な役割と米国援助物質の配給台帳的なもので法的根拠を有するものではなかった。
昭和27年2月29日琉球政府章典(米国民政府布令第68号)により、琉球住民の概念が「琉球の戸籍簿にその出生及び氏名の記載されている自然人」とされた。その後、身分行為や日本政府の援護関係法の沖縄への適用等で戸籍再製の必要性が生じ、昭和28年11月16日戸籍整備法が制定され、翌年3月1日施行されて本格的な戸籍整備事業が始まった。
戸籍再製の手続は、申告者の記憶で「仮戸籍申告書」を提出したため、誤謬や錯誤が多かった。また、申告者の口述を代書〔代書料は登載者1人につき拾円(米軍票)、現在の貨幣価値で3千円〕させて申告する者も多かったので、死亡した者、婚姻した者、海外に移住した者等は申告しなくてもよいという風潮があったといわれ、登載遺漏もかなりの数になると考えられる。
本土に在住する沖縄県民は、昭和23年10月1日福岡法務局に沖縄関係戸籍事務所が開設されて関係人から申出があると仮戸籍を調製し、本土内での転籍、婚姻、分籍等があれば除かれた仮戸籍、本戸籍、本除籍等の取扱いがなされた。
昭和47年5月15日日本復帰に伴い日本法制下に移行したが、沖縄県の施政権が本土から分離された状況下で戸籍整備が進められた結果、沖縄県の再製戸籍に錯誤や遺漏及び重複戸籍が多く、いまだに戸籍訂正事件が多い。
沖縄関係戸籍年表
年月日
事項
昭20・6・23
沖縄戦終わる。
20・7・ 1
日本の行政権が停止され、現行法の施行を持続する旨の布告第1号(いわゆるニミッツ布告)が発布される。
20・8・15
大戦終結
21・1・29
連合国軍総司令部覚書により、日本政府との行政が分離される。
21・9・19
臨時戸籍事務取扱要綱を通達
22・3・ 5
臨時戸籍事務取扱要領を通達
27・4・ 1
琉球政府創立
27・4・28
日本国との平和条約発効
27・8・25
改名願いの処理に関する委任規則布告
28・5・28
法務局に戸籍整備委員会設置
29・3・ 1
戸籍整備法施行 申告、届出開始(仮戸籍)
29・5・31
戸籍整備申告届出終了
29・7・23
米国民政府指令第6号「琉球列島への転籍」布告
30・7・ 6
米国民政府指令第6号「戸籍に関する文通」が発布され、本土の市町村役場との直接文通が認められる。
31・6・22
認知の訴の特例に関する立法公布、即日施行
32・1・ 1
新民法 新戸籍法施行
35・4・ 1
住民登録法施行(寄留法廃止)
36・8・ 1
沖縄戸籍事務所、宮古、八重山の各法務支局は廃止され、新たに那霸、コザ、名護、宮古、八重山の各法務支局設置される。
40・8・ 6
旧法戸籍の改正規則施行 戸籍改製要領を通達
42・7・ 1
旧法戸籍の改製作業開始
46・6・17
沖縄の返還協定調印
47・5・15
本土復帰 沖縄県発足
〃
那霸地方法務局発足
〃
民事局長「沖縄の復帰に伴う戸籍事務の取扱いについて」を通達
(注) この資料は、那覇家庭裁判所において作成された「「沖縄」の戸籍訂正事件の実務」から一部修正して引用したものである。
〔参考3〕
戸籍整備法(1953年11月16日立法86号・1954年3月1日施行)
(この立法の目的)
第1条 今次大戦によって滅失した戸籍の整備については、戸籍法(大正3年法律第26号)第15条の規定にかかわらず、この立法の定めるところによる。
(申報、具申、告示)
第2条 戸籍簿の全部又は一部が滅失した市町村の長は、その事由、年月日、帳簿の名称、冊数その他必要な事項を記載し、この立法施行の日から1月以内に、法務局長に申報しなければならない。
2 法務局長は、前項の申報を受けたときは、必要な事項を調査して、行政主席に具申しなければならない。
3 行政主席は、前項の具申に基いて、必要な事項を告示しなければならない。
(戸籍整備事務)
第3条 前条第3項の規定により告示された市町村の長は、この立法の定めるところにより、戸籍を整備しなければならない。
2 前項の市町村に廃置分合又は境界変更があった場合においては、あらたにその区域を管轄することとなった市町村が、戸籍を整備しなければならない。
(市町村長の戸籍等の写送付義務)
第4条 市町村長の保管している戸籍簿及び除籍簿中、前条の市町村に本籍を有していた者があるときは、その者に関する写を当該市町村長に送付しなければならない。
2 前条の市町村に本籍を有する者の寄留地の市町村長は、寄留届書及び寄留簿に基いて、寄留簿に記載すべき事項を謄写して当該市町村長にこれを送付しなければならない。
3 前条の市町村に本籍を有する者の、臨時戸籍事務取扱要綱に基く臨時戸籍(以下「臨時戸籍」という。)を編製してある市町村長は、その謄本を当該本籍地市町村長に送付しなければならない。
(法務支局長の届書等の写送付義務)
第5条 法務支局長は、第3条の市町村の滅失に係る戸籍又は除籍に関する届書、訂正申請書、報告書、請求書又は入籍通知書等にして、法務支局に保存するものについては、その写をつくり、これを当該市町村の長に送付しなければならない。
(申告義務)
第6条 第2条第3項の規定により告示する滅失の日(以下「滅失の日」という。)までに、第3条の市町村長に対し、滅失に係る戸籍又は除籍に関し届出、訂正申請、報告又は請求をなした者は、その事項を申告しなければならない。
2 滅失の日からこの立法施行の日までに戸籍法に基いて届け出るべき事件があった者は、その事項を届け出なければならない。
3 前2項の場合において申告又は届出をしなければならない者が死亡その他の事由によって、これらをなすことができないときは同籍者が、同籍者がなすことができないときは最も近い親族が申告又は届出をしなければならない。
4 前各項の申告又は届出は、居住地の市町村長になすことができる。
(謄本等の呈示義務)
第7条 滅失の日までに、第3条の市町村が交付した戸籍又は除籍の謄本、抄本、証明書等を所持するものは、これを当該市町村長若しくは居住地の市町村長に呈示しなければならない。
(書類送付等の期限)
第8条 第4条から第7条までの書類の送付、申告、届出及び呈示は、この立法施行の日から3月以内にしなければならない
(居住地市町村長の書類送付義務)
第9条 第6条及び第7条による申告、届出又は呈示を受けた居住地の市町村長は、相当の調査をして、遅滞なく、本人の本籍地市町村長に送付しなければならない。但し、第7条の場合においては、その写を作成して送付するものとする。
(仮戸籍の調製)
第10条 第3条の市町村長は、第4条から第7条まで及び前条の規定により蒐集された資料並びに臨時戸籍に基いて、仮戸籍を調製する。
2 前項の資料等は、戸籍調査委員会の審査を経なければならない。
(縦覧期間)
第11条 市町村長は、仮戸籍を調製したときは、その後30日間その指定した場所において、一般の縦覧に供さなければならない。
2 市町村長は、縦覧開始の日からすくなくとも10日前に、縦覧の場所、縦覧期間及び仮戸籍の名称を告示すると共に、時事に関する事項を掲載する日刊新聞紙に、そのことを公告しなければならない。
(異議の申立)
第12条 仮戸籍に脱漏又は誤載があると認める者は、縦覧開始の日から40日以内に、当該市町村長に異議の申立をすることができる。
2 市町村長は、前項の申立を受けたときは、戸籍調査委員会に諮り、その申立が正当であるかないかを決定しなければならない。この場合においては、戸籍調査委員会は、関係人の意見を聴かなければならない。
3 第1項の申立を正当であると決定したときは、直ちに仮戸籍を修正すると共にその旨を申立人及び関係人に通知し、正当でないと決定したときは、その旨を申立人に通知しなければならない。
(戸籍整備の申報、具申)
第13条 市町村長は、異議の申立がなく又は異議の申立について必要な処分をなしたときは、その旨を法務局長に申報しなければならない。
2 法務局長は、前項の申報を受けたときは、厳密な調査の上仮戸籍が相当な信憑力を有するものと認めたときは、行政主席にその旨を具申しなければならない。
(整備された戸籍の認定)
第14条 行政主席は、前条の具申を適当と認めたときは、これを整備された戸籍として認定する。
2 前項の場合行政主席は、戸籍の名称、認定年月日その他必要な事項を告示しなければならない。
(施行日後の届出の処理)
第15条 この立法施行の日以後戸籍法に基く届出があるときは、前条の認定の後これを記載しなければならない。
(副本等の送付)
第16条 市町村長は、第14条の認定があったときは、遅滞なく、その副本を調製し、申告書、届書その他の証憑書類と共に戸籍事務所に送付しなければならない。
(戸籍調査委員会)
第17条 戸籍整備に関して市町村長の諮問に応ずるため、第3条の市町村に戸籍調査委員会を置く。
2 戸籍調査委員会の組織、権限その他必要な事項については、規則で定める。
(政府の経費負担)
第18条 この立法の規定に基く戸籍の整備に要する経費については、政府は、その全部又は一部を負担するものとする。
(郵送料の免除)
第19条 この立法の規定に基く申告、届出、報告及び請求等の書類の郵送料はすべて無料とする。
2 前項の書類は、郵便官署において調査をなし、戸籍書類である旨の表示をしたものでなければならない。
(委任規定)
第20条 この立法の施行の為に必要な事項は、規則で定める。
(罰則)
第21条 正当な理由がなくて、この立法若しくはこの立法に基く規則に規定されている期間内になすべき申告、届出、訂正申請、報告又は請求等を怠った者は、1千円以下の過料に処する。
(過料の裁判の管轄)
第22条 過料の裁判は、過料に処せられるべき者の住所又は居所を管轄する巡回裁判所が行う。
附則
(施行期日)
第1条 この立法の施行期日は、公布の日から6月をこえない期間内において、規則で定める。
(臨時戸籍の失効)
第2条 この立法施行の日以後、戸籍法に基く届出があるときは、その者の臨時戸籍に記載しておき、第15条の規定によりその戸籍に記載されたときは、当該臨時戸籍は、効力を失う。
(経過規定)
第3条 第16条の戸籍事務所の事務は、当分の間法務局民事課において取り扱う。
2 戸籍整備法の一部を改正する立法(1969年4月7日立法3号)
立法院の議決した戸籍整備法の一部を改正する立法に署名し、ここに公布する。
1969年4月7日
行政主席 屋良朝苗
立法第3号
琉球政府立法院は、ここに次のとおり定める。
戸籍整備法の一部を改正する立法
戸籍整備法(1953年立法第86号)の一部を次のように改正する。
第11条第2項を次のように改める。
2 市町村長は、縦覧開始の日からすくなくとも10日前に、縦覧の場所、縦覧期間及び仮戸籍の名称を告示しなければならない。
附則中第3条を第4条とし、第2条を第3条とし、第1条の次に次の1条を加える。
(失効期日)
第2条 この立法は、1972年1月1日にその効力を失う。ただし、その時までに市町村長に対してした申告及び届出については、なお、従前の例による。
附則
この立法は、公布の日から施行する。