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福岡高等裁判所那覇支部 昭和53年(ネ)26号 判決 1983年3月22日

控訴人

新崎直子

右法定代理人父兼控訴人

新崎俊夫

右法定代理人母兼控訴人

新崎智恵子

右控訴人ら訴訟代理人

中野清光

本永寛昭

被控訴人

日本赤十字社

右代表者社長

東龍太郎

右訴訟代理人

饗庭忠男

小堺堅吾

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の申立

一  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は控訴人新崎直子に対し、金二八七七万円、控訴人新崎俊夫及び新崎智恵子に対し、各金五五〇万円並びに控訴人新崎直子に対する内金二六一七万円、同新崎俊夫及び同新崎智恵子に対する各内金五〇〇万円について昭和五〇年五月三日から、控訴人新崎直子に対する内金二六〇万円、同新崎俊夫及び同新崎智恵子に対する各内金五〇万円について第一審判決送達の翌日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文と同旨

第二  当事者の主張<以下、省略>

理由

第一控訴人直子の出生及び失明と被控訴人病院入院中の経過、控訴人直子の失明の原因、酸素投与に関する過失、眼底検査に関する過失、療養上の指導義務違反に関する当裁判所の認定判断は次のとおり付加訂正を加えるほか原判決理由と同一であるから、これを引用する。

一原判決一九枚目裏一〇行目中7.5グラムとあるを7.4グラムと訂正する。

二<省略>

三原判決二九枚目裏八行目より三一枚目裏五行目までを削除し、次のとおり挿入する。

1  控訴人らは被控訴人病院の酸素管理に関し過失があると主張するので、まず、昭和四五年二月当時における本症に対する理解の程度、酸素療法に対する医療水準について検討する。

産婦人科、小児科界等において、未熟児に対する酸素療法に関し発表された主な文献は、次のとおりである。

(一) 昭和三二年四月発行の医学シンポジウム第一六輯未熟児(文献⑰)においてR・L・F発現の関係は未だ見解が一致しているとはいえないとしながらも、酸素濃度に関係があることを指摘し、「低い酸素張力の下に胎内生活を送つた未熟児が生後四〇―六〇%の酸素環境で生活することが影響する。Gylleustenはねずみの新生児を高酸素環境においたところRLFと同じ変化をおこしたという。即ち酸素濃度を高くすることが原因であるという説がある。Gordon は酸素六〇%以上から四〇%にしたらR・L・Fは半減したといつている。この考えから現在では大体酸素濃度は四〇%即ち空気の酸素温度の2倍以上にはしないというやり方が多くなつた。また必要時以外はやたら酸素は使わぬ方がよいともいわれている。」と述べ、高酸素濃度の使用に警告を発している。

<中略>

(二五) 昭和五一年一二月発行の「産婦人科シリーズ」(文献)において、昭和大学小児科奥山和男教授は「未熟児網膜症のすべて」と題し、アメリカにおけるRLFと酸素療法についての歴史的背景、未熟児に対する酸素療法の変遷、酸素投与の制限による影響、本邦におけるRLFについて述べ、一九五九年から一九六八年にかけての文献を紹介し、更に動脈血PO2との関係を述べた後、アメリカにおける一九七一年の酸素療法についての勧告を参考にして酸素療法の注意を列挙している。

2  酸素投与の適応及び濃度の指標

(一) 前記文献によれば、昭和三二年ごろから本症には酸素濃度が関係あるものとして指摘されるようになり、(文献⑰)未熟児に酸素投与する場合には保育器内の酸素濃度を四〇%以上にしないよう警告が発せられていたが、昭和三六年から昭和四二年にかけて、酸素使用を厳格に制限しようとする文献、、、が相次いで発表され、酸素投与は、未熟児に呼吸障害やチアノーゼの認められる場合に限つて投与すべきものとされ、酸素濃度は四〇%以下に保ち、チアノーゼなどが消失し必要がなくなつたときは徐々に減量し、速やかに中止することが強調されるようになつた。

また、昭和四三年ころからは、文献、、、、、、、に明らかなとおり、特発性呼吸障害のある未熟児に対する酸素管理に関連して、保育器の酸素を十分上げないと血中酸素濃度PO2が上昇せず酸素不足となるので、保育器内の酸素濃度よりも動脈血の酸素分圧をどこまで上昇するかを問題とするのが合理的とされ、未熟児の動脈血中の酸素分圧の値が六〇ミリないし八〇ミリ水銀柱であれば、本症は発生しないが、右分圧は未熟児の状態によつて変化するので動脈血を頻回に採取して測定し酸素管理をすることが望ましいと指摘されるようになつた。

しかし、右方法は技術的困難性が伴う上右血中濃度測定機は本件当時これを完備している病院は殆どなく、先駆的一部病院で実施し得たに過ぎなかつた。これがため、一般の病院ではチアノーゼ等の有無を目安として酸素管理をすべきものとされていた。

更に、昭和四四年には、文献、により、酸素投与は四〇%の濃度でも長期間にわたれば、本症の発生を確実に予防し得ないとの見解が述べられるようになり、酸素濃度を四〇%に押えていた一三〇例中七例に本症の発生をみた旨の発表もなされるようになつた。

以上の文献が主として本症の発生を防止するという観点から酸素使用の厳格な制限を強調するのに対し、未熟児の保育医療には生命の保持あるいは脳性麻痺の防止等他の重要な要請も含まれているとの観点から、文献に代表されるように、「出生後暫くの期間における未熟児は血液酸素飽和度は低性を示し、又肺の毛細管網の発達が不十分なために、酸素の摂取が不良であることが予想され、一度無酸素症に陥れば、無酸素性脳傷害や無酸素性脳出血を起す可能性があるとして、チアノーゼや呼吸困難を示さない未熟児に対しても総て酸素を供給する。」との見解が有力な指針として述べられていた。

殊に、体重一、五〇〇グラム以下の極小未熟児は死亡率が高いのみでなく、肺機能の未熟度が高く無酸素症に陥る危険があるため、酸素投与の厳しい制限はかえつてこれら極小未熟児の死亡率を高め、無酸素症に基因するより重篤な結果を招く虞れがあるとして、極小未熟児にはチアノーゼ等の有無に拘らず酸素を投与すべきであるとの見解(文献、)も述べられており、右見解は小児科及び産婦人科界の根強い支持を受けていたものと推測される。

以上、本件当時未熟児の生命の保持、脳性麻痺の防止という要請と本症の発生防止という二律背反の要請を両立させ得る酸素療法に関する定説は未だ確立していなかつたものというほかなく、いずれの要請をより重視するかにより臨床医の間に酸素療法に関し可なりの差異のあつたことは避け難いことであつたものと推認される。

(二) その後、本件口頭弁論終結時までに発表された文献、、、並びに乙第一六六、第一六七号証によれば、未熟児に対する酸素療法にあたつては、保育器内の酸素濃度よりも未熟児自身の血液中の酸素分圧がより重要な問題であることが指摘され、経皮的血液酸素分圧測定法なども紹介されて、右酸素分圧を連続測定しながら酸素管理すべきことが強調されるようになつたことが認められる。

しかし、昭和五五年九月発行の小児科二一巻一〇号(文献)において、植村恭夫は「Pao2を六〇ないし八〇mmHgに保つても一、五〇〇グラム以下の極小未熟児については依然として五〇%以上の高率で本症の発生がみられており、失明症例は殆ど極小未熟児であること、したがつて極小未熟児については本症の発生を完全に予防できる保証はない。」と迷べており、右の見解に文献、、並びに乙第一六四号証を総合すると、現時点においても、本症の発生及びその重篤化の防止と脳性麻痺の防止あるいは死亡率の改善との関連についてはこれを解決する明確な基準はなく、血液酸素分圧を連続測定して厳しく酸素管理をしてもなお、本症の発生を完全に予防することは極めて困難であることが認められる。

(三) ところで、控訴人らは、控訴人直子の全身状態は入院直後より格別呼吸障害もなく極めて良好であつたから、酸素投与の必要がなかつたのに漫然と酸素投与がなされた旨主張する。

前記認定のとおり、控訴人直子が被控訴人病院に入院した二月一二日足底部に軽度のチアノーゼが認められたほか入院当初チアノーゼが出現しなかつたことは控訴人ら主張のとおりである。

しかしながら、未熟児の全身状態に応じて酸素の投与を必要とするかどうかは本来高度の専門的知識と経験に基づいて医師の決定すべきものであるから、これが当時の医療水準からみて明らかに不相当と認められない限りその点の判断は医師の裁量に任せられているものといわなければならない。

よつて検討するに、文献によれば、未熟児の死亡率は体重の低い程高く、出生時体重一、〇〇〇グラム以下の未熟児の死亡率はほぼ九〇%と報告されており、前記認定のとおり被控訴人病院においても一、〇〇〇グラム以下の未熟児は一例生育例があるのみで他の数例はいずれも死亡していたこと、控訴人直子は出生時の体重九八〇グラムの極小未熟児であり、しかも在胎期間二八週の早産児であつて、入院後体重が八三五グラムまで下り、出生時の体重に戻すのに約一ヶ月間を要しており、入院後四月一七日までの約二ヶ月間余もカテーテルにより哺乳をされる状態であり、体温は三二度ないし三三度の低体温が続いていて、全身に冷感が認められ、四月一日ころからは強い貧血症状を呈し鉄剤投与や二度にわたる骨髄輸血を受けており、同月一四日には努力呼吸がみられるなどの状況も出現していたのであるから、控訴人直子の入院中における全身状態は良好であつたものとは到底認め難いところである。

したがつて、被控訴人病院の医師が控訴人直子の出生時の体重、在胎期間及び右全身状態を考慮し、チアノーゼの有無にかかわらず酸素投与の適応あるものと判断したことはやむを得なかつたものというべく、前記のとおり保育器の酸素濃度を四〇%以下に保てば本症の発生の危険はないとの見解もあり、生命の保持と脳性麻痺等の防止のため酸素制限に消極的な見解も相当の支持を受けていたものと推測される本件当時の医療水準に照らせば、右判断が医師に許された裁量の範囲を逸脱していたものとは認め難いところである。

そうすると、この点に関する控訴人らの主張は採用することができない。

3  保育器内の温度

控訴人らは、控訴人直子の体温は三五度以下の低体温であつたにもかかわらず保育器の温度は三二度のまま放置されており、チアノーゼ出現の原因となつた旨主張するのでこの点について検討するに、文献によれば、賛育会病院小児科部長中村仁吉は、未熟児の保育器内の温度及び湿度について「体重一、四〇〇グラム以下の未熟児は温度三二度ないし二八度、湿度七〇ないし八〇%、体重二、〇〇〇グラム以下の未熟児は温度二八度ないし二五度、湿度六〇ないし五〇%とする。但し、特に小さい未熟児の生後数日間は飽和湿度とする。」と述べている。

また、文献によれば、奥山和男医師は保育器内の温度及び湿度について「体重一、二〇〇グラム以下の未熟児は温度三四度ないし三二度、湿度七〇%、体重一、四〇〇グラムないし二、五〇〇グラムの未熟児は温度三二度ないし三〇度、湿度七〇%とする。」と述べ、「皮膚温が三六度ないし36.5度に保たれると酸素消費量が最低となり未熟児にとつて快適な環境温度である」と説明している。

原審における証人岸野貢、同大河原久子の各証言によると、被控訴人病院においては、一、二〇〇グラム以下の未熟児の場合、保育器内の温度は三四度に保ち湿度を七〇%とすることが基準とされていたことが認められる。

しかるに、乙第二号証によると、被控訴人病院においては、控訴人直子の入院直後保育器内の温度を被控訴人の平岡医師の指示により三二度、湿度を一〇〇%と定め、翌二月一三日湿度のみが八〇%と下げられていることが認められる。

しかし、右平岡医師が保育器内の温度を被控訴人病院の一般的基準を二度下回る三二度と指示したのは、控訴人直子の出生時における体温が三三度程度の低体温であつたためではないかと推測されるに止まり、その理由は必ずしも明らかでなく、右乙第二号証によると、その後他の担当医が右温度の変更を指示した形跡も認められないから、その後の保育器内の温度はおおよそ三二度前後のまま推移していたものと推認される。

そうすると、右保育器内の温度は被控訴人病院における一般的基準を二度下回る低温であつたこととはなるけれども、右三二度の温度は前記中村仁吉医師の体重一、四〇〇グラム以下の未熟児に対する基準の上限の温度に一致し、奥山和男医師の体重一、二〇〇グラム以下の未熟児に対する基準の下限に一致するものであるから、控訴人直子の出生時における未熟児保育に関する一般的指導書の基準範囲内の温度であつたものというべく、その後控訴人直子の体重が増加した事情を考慮すれば、格別不当な温度であつたものとは認め難いところである。

また、乙第二号証によれば、控訴人直子の体温は二月一一日より三月六日ころまでの間一時上昇したこともあつたが、概ね三三度ないし三四度の低体温であつたことが認められるけれども、右同号証によれば、控訴人直子に貧血症状が現われ強いチアノーゼが出現したのは同人の体温が三六度を超えるようになつた四月以降であることが認められるから、低体温の持続とチアノーゼの出現との間に必ずしも相関関係があつたものとは認められず、更に被控訴人病院においては、二月一二日、一三日、一六日、二二日、二四日に保育器内に湯たんぽを入れるなどして控訴人直子の体温保持に努力していることが認められるから、これらの事実を併せ考えると、保育器内の温度が不当に低温のまま放置された結果控訴人直子のチアノーゼが出現し、酸素投与量が増量せざるを得なかつたとする控訴人らの主張は採用することができない。

4  酸素投与の指示と濃度の測定

控訴人らは保育器内の酸素濃度を流量のみで指示し、酸素濃度について具体的指示をしていないのみでなく、控訴人直子の入院当初における酸素投与は毎分五リットルないし四リットルであるから保育器内の酸素濃度は優に四〇%を超えていたものと主張する。

しかして、原審における証人岸野貢、同大河原久子の各証言によれば、被控訴人病院においては、昭和四五年当時未熟児保育のためアトムV―55型の保育器六台を備えており、酸素投与はパイピング方式により医師から指示された具体的酸素流量を看護婦が操作することによつて行われていたこと、右保育器内の酸素濃度については一般的に四〇%ないし三〇%に保つよう指導されていたが、具体的には看護婦がベックマン氏酸素濃度計により保育器内の酸素濃度を頻回に測定し、医師から指示された数値を保つよう努めていたことが認められる。

しかして、乙第二号証によれば、控訴人直子の保育器に対する酸素投与は二月一二日酸素流量毎分五リットルと指示され、同月二六日までこれが持続され、同月二七日から三月二四日までは四リットルに下げられていること、酸素濃度については、二月一二日三三%を保つように指示されているほかはその後何等の指示もなされておらず、二月一六日から三月五日までの間の酸素濃度についてはその記帳が全くなされていないことが認められる。

ところで、文献によれば、関西大学教授松村忠樹は酸素濃度に関し「保育器によつても異なるが、酸素流量一分間1.5リットルで酸素濃度は三〇%位、二リットルで三五%ないし四〇%、三リットルで四五%になる。」と述べており、乙第二号証によると、酸素流量毎分ニリヅトルの場合でも控訴人直子の保育器の酸素濃度は三五%ないし三八%程度に達していたことが認められるから、右各証拠を総合すると、毎分五リットルないし四リットルの酸素流量の投与が続げられた前記二月一六日から三月五日ころまでの間の右保育器内の酸素濃度は優に四〇%を越えていたものではないかとの疑いがないわけではない。

しかしながら、乙第二号証並びに原審証人岸野貢、同大河原久子の各証言によれば、二月一二日から一五日までの間の酸素濃度は五リットルの酸素流量にもかかわらず三二%ないし三八%に保たれており、三月八日より二四日までの間の酸素流量は四リットルにもかかわらず酸素濃度は概ね三〇%ないし四〇%に保たれていること、担当看護婦は保育器内の酸素濃度をベックマン氏濃度計により一日頻回に測定しているが、その測定値が指示範囲内の場合にはその都度記帳していないこと、控訴人直子は出生時体重九八〇グラムの極小未熟児であつたため、おむつの交換、カテーテルによる栄養補給種々の検査、治療等により保育器の操作窓が開閉される回数が多かつたこと、これらの措置をとつたときはその都度保育器内の酸素濃度が一〇%程度下ることがしばしば起り得ることが認められる。

これらの事実を併せ考えると、前記二月一六日から三月五日までの間の酸素濃度は酸素流量が五リットルないし四リットルであつたことから直ちに四〇%を越えていたものと速断することは相当でなく、他に特別の事情の認められない限り、保育器内の酸素濃度は概ね指示どおりの範囲内にあつたものと推認すべきである。

前掲各証拠によれば、その後酸素流量は三月二四日から三リットル、同月二八日から二リットル、四月一〇日から1.5リットル、同月二二日から一リットルに、控訴人直子の発育に応じて順次減量をし、体重が二、〇〇〇グラムを越えた五月一日投与を中止していること、その間四月一四日の酸素流量が一時増量され酸素濃度が四〇%を越えたのは同日の午前四時ころ、控訴人直子に努力呼吸の様子が認められたため医師の指示によりなされたものであつて、同日の午後三時には再び元の流量に戻していることが認められ、投与期間中酸素濃度の下限を三〇%としたのは、控訴人直子が極小未熟児であり、生命の保持及び脳性麻痺防止のため必要なものとして指示されたものであることが認められる。

そうすると、控訴人直子の保育器内の酸素濃度に関し医師の具体的指示が全くなかつたわけではなく、保育器内の酸素濃度が四〇%を越えていたものとも認め難いから、この点の控訴人らの主張も採用することができない。

5  七九日間の酸素投与

控訴人らは、酸素投与すれば本症の発生の危険があるから必要最小限度に止め、余り長期にわたらないようにすべきところ、被控訴人病院の医師は一般の臨床医の実施した基準を無視し、七九日間の長期にわたり酸素投与をした過失があると主張する。

昭和三八年発行の(文献)によれば、酸素投与の期間は「生下時体重一、二〇〇グラム以下には2.3週、一、五〇〇グラム以下には1.2週、二、〇〇〇グラム以下には三日ないし七日、二、〇〇〇グラム以上は一日を大体の目安としている。」とする。

昭和四三年四月発行の(文献)によれば、「生下時体重一、五〇〇グラム以下の児には、通常当初より酸素を与える。一、五〇〇グラムより二、〇〇〇グラム以下の児には原則として一二時間酸素を与える。二、〇〇〇グラム以上の児には当初より酸素を与えることはしない。無呼吸、チアノーゼ、その他一般状態不良の児に対しては体重の如何に拘らず酸素を与える。」とする。

昭和四四年五月発行の(文献)によれば、「特に呼吸窮迫、チアノーゼなどのない未熟児でも生下時体重一、五〇〇グラム以下のときは最短一週間、二、〇〇〇グラム以下三日間とする。」としている。

右各基準に照らせば控訴人直子に対する酸素投与の期間は長期にわたることが認められる。

しかしながら、前記のとおり控訴人直子は出生時体重が低く、在胎期間が短かく、出生時の全身状態も必ずしも良好であつたものとは認め難いところであるから、その生命の保持と脳性麻痺等脳障害の防止の点に重点を置き酸素投与を実施した結果その期間が長期にわたつたことをもつて一概に不相当であるということはできない。

しかも、右投与期間中の酸素流量については控訴人直子の体重の増加に伴い漸次減少させ、体重が二、〇〇〇グラムを概ね超えた時点で中止するなど漫然と投与を継続していたものとも認め難いから、酸素投与の期間についても医師に許された裁量の範囲を逸脱していたものということはできない。

6  以上、本件酸素供給管理について被控訴人の医師に不相当な措置があつたものとは認め難く、他に被控訴人病院の医師に過失があつたことを認めるに足りる証拠はない。

四<省略>

五原判決三三枚目裏八行目中天理よろず相談所病院とあるを天理よろづ相談所病院と訂正する。

六原判決三七枚目表一一行目の後に、次のとおり挿入する。

3 控訴人らは当審において、控訴人智恵子は、昭和四五年二月二〇日控訴人直子の失明の危険をおそれて被控訴人病院の担当医岸野貢に対し、眼の相談をしているにも拘らず、同医師はこれに対する関心を示さず、控訴人直子の入院中眼底検査の実施を怠り、その結果光凝固等の治療の機会を失わせたと主張する。

しかして、<証拠>によれば、控訴人智恵子は夫の職場の同僚から「未熟児は保育器に入れられると眼をやられる。」という話を聞き及び、控訴人直子の出生後一〇日目にあたる昭和四五年二月二〇日被控訴人病院の第二産婦人科部長岸野貢医師に対し眼の心配について相談したところ、同医師は「今眼のことをいう段階ではない。生命を助けるのが先だ。眼のことをいうのなら連れて帰つても良い。」と返事し、控訴人直子の入院中被控訴人病院の眼科医に依頼するなどしてその眼底検査を実施する措置を全くとらなかつたことが認められ、これに反する証拠はない。

ところで、光凝固治療のためには未熟児の眼底を検査し、本症の発生を早期に発見し、その可逆性のある活動期のうちにその治療の実施時期を的確に判断することが要求されるところであるが、前記認定のとおり、未熟児の眼底は全身状態による制約あるいは眼底がヘイジイメディアによる検査不能、その他の理由によりその検査自体が極めて困難な場合があるのみならず、控訴人直子の出生した昭和四五年当初においては、永田誠医師が実験的に試みた光凝固治療の二症例が発表されたのみで、本症の各症例の紹介も十分でなく、その診断基準も明らかにされていなかつたこともあつて、未熟児の眼底を検査し光凝固の治療の実施時期を的確に診断し得る医師は先駆的特定の研究者とその周辺の人達に限られていたところである。

そして、<証拠>によれば、横浜市周辺において比較的医療水準の高いとされる横浜市大病院においても未熟児の眼底検査を実施したのは昭和四六年ないし昭和四七年ころであり、光凝固の機械を購入したのは昭和四七年三月ころであること、また神奈川県のこども医療の専門病院として昭和四五年五月ころ開院した神奈川県立子供医療センターにおいても、眼底検査を実施したのは昭和四七年ないし昭和四八年ころからであり、光凝固の機械を購入したのは昭和四七年末ころであることが認められ、これに反する証拠はない。

右事実によれば横浜市周辺の医療施設の相当完備した総合病院ないし大学の付属病院においても、光凝固治療が普及定着したのは昭和四七年前後と認められ、それ以前には右治療を一般的に実施することができる状態にはなかつたところである。

更に、<証拠>によれば、本件当時被控訴人病院の産婦人科においては眼科と協力体制をとり未熟児の眼底検査を実施した経験のないことが認められるから、前記認定の未熟児の眼底検査の困難性並びに横浜市周辺の病院における眼科医の医療水準を併せ考えると、本件当時における被控訴人病院の眼科医の本症に対する医療水準は、専門的研究家のそれに遠く及ばなかつたものと推測される。

以上の事実を総合すると、控訴人直子の出生した昭和四五年当初においては、極く限られた先駆的研究家を擁する一部病院のほかは光凝固治療に関する認識が十分でなく、本症の眼科的管理を実施するに至るまでの医療水準には達していなかつたものであつて、被控訴人病院の眼科医に対し本症を早期に発見し有効な治療方法を施すことを目的とする眼底検査の実施を期待することは困難であつたものといわざるを得ず、控訴人直子を光凝固の実施可能な医療施設へ転医させるにしても、その転医の時期を的確に判断することを期待することは無理な状況にあつたものというべきである。

いわんや、被控訴人病院の産婦人科の医師が永田誠医師の光凝固治療についての症例紹介を知らず、眼底検査の必要性を認識していなかつたとしてもやむを得なかつたものというほかなく、光凝固治療が一般に実施可能となり、産婦人科の医師も平均的にこれを認識する時期に至るまでは被控訴人病院の岸野貢医師が控訴人智恵子の相談を受けながら同直子に対し適切な眼科的管理を行わなかつたことをもつて直ちに過失があつたものということはできない。

よって、この点の控訴人らの主張も採用しない。

七原判決三七枚目表末行より同裏全部を抹消し、次のとおり訂正する。

1  退院時における指導義務違反について

控訴人らは、被控訴人病院の産婦人科の医師は未熟児に対し長期間にわたり高濃度の酸素投与をすれば本症の発生を予見し得たものであるから、控訴人直子の退院に際し、本症の危険性を説明し、退院後定期的に専門医による眼底検査を受けるよう指導し、その療養方法等について説明指導すべきであつたにも拘らず、これを怠つた過失があると主張するので判断する。

前記認定のとおり、酸素療法と本症との関係については、本件当時までに産婦人科、小児科の文献等にも多くの研究発表がなされていたところであるから、被控訴人病院の産婦人科の医師が未熟児に長期間酸素投与を継続すれば、本症発生の危険性のあることは少なくとも予見し得る状況にあつたものと認め得るところである。

しかし、原審における控訴人智恵子、当審における控訴人俊夫各本人尋問の結果によれば、同人らは控訴人直子の入院当初から未熟児は酸素療法により失明する可能性のあることを聞き及び強い関心を有していたところであり、後記認定のとおり、退院に際しても被控訴人病院の看護婦に対し控訴人直子の眼を心配して眼底検査の相談をしていることが認められるから、右保護者に対し、本症の発生の危険性を説明するだけでは格別の意味を有し得なかつたものといわなければならない。

また、被控訴人病院の産婦人科の医師が控訴人直子の退院に際し、定期的に眼底検査を受けるよう指導しなかつたことは当事者間に争いがないところであるが、前記のとおり、本件当時被控訴人病院の産婦人科の医師に定期的眼底検査の義務が認められない以上、控訴人直子の退院に際し、退院後定期的に眼底検査を受けるよう指導しなかつたことをもつて過失があつたものということはできない。

よつて、更に医師法第二三条に基づいて被控訴人病院の医師が本症の療養の方法に関し説明の義務を負うかどうかについて考えるに、医師が患者に対して負うべき治療上の義務は当該医師が標榜する専門診療科目について臨床医が一般的に採用している医療方法に準拠すれば足りるのであつて、当該専門医療界に発表されたか、未だ追試の段階にあり一般に実施されるに至つていない新規開発にかかる治療方法の如きはこれを患者に対し説明あるいは紹介する義務を負うものではないと解するのが相当である。

しかるに、前記認定のとおり昭和四五年当初においては光凝固治療については水田誠医師の実験的に試みた二症例が紹介されていたに過ぎず、その有効性については追試の段階にあり、未だ確実な治療方法として確立していたものではなく、被控訴人病院はもとより横浜市周辺の比較的医療水準の高いとされる大学の付属病院その他の病院においても光凝固治療を実施し得る状態には至つていなかつたところである。

そうすると、被控訴人病院は眼科の併設されている総合病院であるから、右眼科医の関与が得られたとしても、当時の医療水準によれば、控訴人直子の退院に際し、本症の療養方法として光凝固治療のあることを説明する義務はなかつたものというほかなく、いわんや被控訴人病院の産婦人科の医師が右治療方法を知らなかつたとしてもやむを得ないところであつて、被控訴人病院の産婦人科の医師が控訴人直子の退院に際し、本症の治療方法に関し説明指導をしなかつたことをもつて医師法第二三条の違背があつたものとすることはできない。

2  退院時における誤導について

<証拠>によれば、右控訴人らは控訴人直子の退院の前日である昭和四五年五月一六日被控訴人病院を訪ねて入院費用等の支払をなし、その精算をすませた際、右直子の眼のことが心配であつたため、同病院の看護婦に対し、「直子の眼の検査をしてもらいたいので眼科医の紹介をしてほしい。」旨申し入れたこと、右申し入れを受けた看護婦は二、三分してから戻つてきて「まだ小さいので眼の検査はできない。もう少し大きくならないと無理だと先生は云つていますよ。」と返答したこと、右控訴人らは、直子がまだ小さいため眼の検査を受けることができないものと誤信し、直子の退院後も眼科医の診断を受けなかつたこと、同年八月ころ右直子の六ヶ月検診において、保健所の医師から眼の異常を指摘され、同年九月二日神奈川県立子供医療センターにおいて始めて眼底検査を受けたが既に両眼とも本症により失明しており治療の方法のないとの診断を受けるに至つたことが認められる。

しかし、<証拠>によると、被控訴人病院における昭和四五年五月一六日の当直医は宮原敬明医師であることが認められるが、同医師は看護婦から控訴人直子の眼に関して何等の相談を受けていないことが認められ、控訴人俊夫、同智恵子らが相談したという被控訴人病院の看護婦の氏名は本件全証拠によるも明らかでなく、他に右看護婦が控訴人俊夫、同智恵子に対しなした回答について、宮原敬明医師が関与していたことを認めるに足りる証拠はない。

したがつて、宮原敬明医師が控訴人直子の退院に際し、右直子が小さく眼の検査はできないと誤導したとの事実を前提とする控訴人らの主張は採用の限りでない。

次に、控訴人俊夫、同智恵子が前記看護婦に対し直子の眼の検査を依頼したのは、被控訴人病院は眼科医の併設されている総合病院であるから、眼科医を紹介して診断を受けられるようにしてもらいたいとの趣旨であつたとも解し得るけれども、前記看護婦の回答の内容は、その文言の内容に照らし、被控訴人病院の眼科医を紹介すること自体を断つたり、右眼科医が診察を拒否しているとの趣旨を伝えたものとは認め難く、前記認定のとおり当日の当直医である宮原敬明医師が何等の相談を受けていないことからすると、右看護婦の回答は、被控訴人病院の産婦人科に所属する看護婦としての判断ないし意見を述べたに過ぎないものといわざるを得ない。

したがつて、もし被控訴人病院の産婦人科の医師ないし看護婦の応答が本症に対する理解に欠け不十分であつて信頼がおけないと判断される場合には、直子の退院後速やかに他の専門の眼科医に相談して診断を求めるなり意見を徴するなどの方法がとれなかつたわけではなく、被控訴人病院の眼科において診断を求めるにしても、直接右眼科にその旨申し出でれば足りるところであつて、右診断を受けるについて同病院の産婦人科の紹介あるいは了解を得る必要はなかつたところであるから、被控訴人病院産婦人科の看護婦が同病院の眼科医を紹介しなかつたことと、右直子の眼の診察の時期が遅れる結果となつたこととの間には相当の因果関係があるものとは認め難いところである。

もつとも、前記看護婦の回答は、控訴人直子が小さいので眼の検査の時期は尚早であるとの判断が含まれており、産婦人科の医師の意見を伝えているものと理解される余地もあつて、誤解を招き易い部分がないわけではないけれども、産婦人科の医師ないし看護婦にとつては、本症は専門外の領域に属するものであつて、当時の医療水準によれば、右医師ならびに看護婦に対し光凝固治療、転医並びに眼底検査の指導のほか本症に対するその他の療養の方法に関し的確な説明指導を求めることは困難であつたのであるから、右看護婦の回答の内容に若干不適切な説明が含まれていたとしても、直ちに被控訴人病院に誤導の責任があるものと解するのは相当でないというべきである。

そうすると、退院時に誤導があつたとする控訴人らの主張も採用の限りでない。

八結論<省略>

(新海順次 比嘉輝夫 大田朝章)

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