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福島地方裁判所 平成10年(わ)87号 判決 2001年10月05日

主文

被告人を懲役一三年に処する。

未決勾留日数中八七〇日を右刑に算入する。

押収してあるけん銃一丁(平成一〇年押第一四号の1)及び同けん銃(実包一個添付)一丁(同号の4)を没収する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(犯行に至る経緯)

一  被告人は、昭和一〇年に福島県内で出生し、地元の中学校を卒業し、農業や土木作業等に従事した後、昭和五三年ころ、実妹の夫が経営するタクシー会社に入社し、以後、同社及びその系列会社の常務として、労務対策等の事務に従事した。

学校法人○○学園は、△△高等学校を経営していた学校法人であるが、同法人は、昭和六二年に□□大学と業務提携し、昭和六三年四月に学校名を□○高等学校(以下「学校」という。)と、同年一一月に法人名を学校法人□△学園とそれぞれ改称し、更に、平成九年四月に法人名を学校法人□△学園(以下、学校法人□○学園とともに「学園」という。)と改称し、現在に至っている。学園には、理事長を代表とする理事会が正式な意思決定機関として存在していたが、理事長が非常勤で、一か月に数回出勤する程度であったため、平成七年ころから、□□大学から出向し常任理事に就任したA(以下「A」という。)が実質的に学園経営の実権を握り、同人から抜擢され学園事務局長に就任したB(以下「B」という。)がこれを補佐する形で日常の学園経営が行われた。

二  学園では、かねてから経営者側と□△高等学校教職員労働組合(以下「組合」という。)との間で激しい対立があり、組合が校外でビラを配布したり、学園と組合が訴訟で争うなどした歴史があったところ、Aは組合を嫌悪し、平成七年に実質的に学園経営の実権を握ると、労務対策担当者として、組合対策の経験を有する人物を学園外から採用する方針を固め、Bに適任者を探すよう指示した。その結果、当時学校のPTA副会長を務めていた被告人の実妹の夫の推薦を受けた被告人が適任者と判断されたことから、被告人は、同年一〇月、非常勤職員として学園に採用され、以後、学園本部組合対策部長として、学園における組合対策を行うようになった。

平成八年二月ころから、学園と組合の間では、いわゆる雇い止め問題が生じた。これは、学園には当時常勤講師は数年勤務すれば終身雇用の教諭に昇格するという慣行があったところ、学園が昇任試験を実施し、成績不良を理由に常勤講師二名について新年度の雇用契約をしない、いわゆる雇い止めの通告を行ったため、組合が不当解雇であると主張して争ったものであった。このときの雇い止め問題は、組合側が、当時組合委員長であったC教諭(以下「C教諭」ともいう。)を先頭に争った結果、結果的に学園が平成八年度の雇い止めを撤回するという形で一応の決着を見たが、Aは組合の委員長であるC教諭と、当時組合の執行員であったD教諭(以下「D教諭」ともいう。)に対する嫌悪感を募らせ、Bや被告人に対し、両教諭について、「組合の馬鹿奴ら。」「あんなのいなくたっていいんだ。」「何とかならないか。」などとしきりに述べるようになった。組合対策部長である被告人は、かかるAの意向を受けて、両教諭を辞職に追い込む方策を案じ、その結果、元暴力団組長で、かねてから被告人と親交のあったE(以下「E」ともいう。)に両教諭を脅迫させ、両教諭が畏怖し辞職するよう仕向けようと考えた。被告人は、この考えをBに伝えたところ、Aの意向を確認したBから了解が得られたため、平成八年四月ころE方を訪ね、両教諭を脅迫して辞職させるよう依頼した。Eは、当時、所属していた暴力団を破門となり、生計に窮していたため、相当額の報酬を期待して、これを承諾した。これを受けて、被告人はそのころBから両教諭らの氏名、住所、電話番号、性格等が記載され、各人の写真が添付されたメモや健康診断票の写しを入手し、これをEに交付した。

このような状況下、平成八年六月下旬、組合が発行している機関誌「おはようニュース」に、被告人を「ダブルの背広を着、ボタンをはずし、ヤクザ風な姿で歩いていた人」とするなど、被告人やAを揶揄する内容の記事が掲載され、これが学校内で配布された。被告人は、これに激怒し、C教諭ら組合幹部を呼びつけ、名誉毀損であるなどとして激しく追及するとともに、Eに対し、同月下旬ころから翌七月初めころ、「CやDはとんでもない奴らだ。早く辞めさせて欲しい。全然効き目がないみたいですが、どうなってるんですか。」などと述べ、両教諭を脅迫により辞職させるよう催促し、特にD教諭については、右記事を書いて本人であろうと考えていたことから、同教諭について、「とんでもない野郎だ。あんな野郎生かしておけない。バラすしかない。Dをやってくれないか。」旨述べるなどした。Eは、このときは被告人が本気でD教諭の殺害を依頼しているとは受け取らなかったものの、催促を受けた以上、脅迫を直ちに実行することとし、同年六月二八日ころからC教諭宅に、続いて同年七月下旬ころからはD教諭宅に、「八月までに片腕を落とすぞ。」などと述べる脅迫電話や無言電話をかけ始めた。被告人は、同年七月末ころ、Eから経費の支払いを求められたことから、Bに依頼して一〇〇〇万円を学園の経理を不正操作することによって調達してもらい、このうち五〇〇万円を同年八月下旬ころEに支払った。

三  被告人は、平成八年八月からは、学園の常勤職員となり、「学園本部長」の通称で、組合対策を行うようになった。被告人が常勤職員になるに当たっては、学園から月額一〇〇万円を超える月給の支給が約束され、同月以降、その支払いがされた。

他方、前記経緯で、Eによる両教諭に対する電話による脅迫が開始されたが、両教諭には一向に辞職する様子がなかったことから、被告人はBから脅迫の効果が出ていない旨指摘されてしまった。そこで、被告人は、Eと今後の対応を話し合い、その中で、両教諭に対する脅迫の効果が現れていない、D教諭が被告人にとって許しがたい、D教諭を殺害する、その道具としてけん銃を入手してほしい旨述べた。Eは、既に五〇〇万円もの大金を被告人から受け取っていながら、依頼を受けた両教諭を辞職させるという成果を達成できずにいたことに加え、けん銃購入名目で被告人から更に金を得ることができると考えたことから、けん銃の入手依頼を承諾し、同年九月下旬ころ、被告人から三〇〇万円を受領し、同年一〇月ころ、口径0.45インチコルト一九一一年A一型自動装てん式けん銃(平成一〇年押第一四号の1。以下「米国製コルト」という。)と口径7.62ミリメートルトカレフ型自動装てん式けん銃(同号の4。以下「トカレフ」という。)を各一丁ずつ、これらに適合する実包約六〇発(同号の2及び3の実包並びに同号の4のけん銃添付の実包はこの一部である。)とともに、これを被告人宅に持参した。被告人とEは、テーブルの上にこれらを取り出して見た上で、米国製コルトとその適合実包を被告人が、トカレフとその適合実包をEがそれぞれ所持することとなった。被告人は、この時、Eに更に一〇〇万円を交付した。

この後も、Eによって両教諭に対する電話による脅迫が続けられたが、一向に両教諭に辞職の気配がなく、被告人は、Bから何度も状況を尋ねられるなどしたため、平成八年一〇月から一一月ころにかけて、早く成果を上げなければならないと焦り、Eに対し、「帰宅途中を狙って車を衝突させて事故を起こして車から降りたところをけん銃で撃ち殺してくれ。」「玄関に呼び出して応対に出たところを撃ち殺してくれ。」「魚釣りに行くところをやったらどうですか。」旨言って、D教諭殺害を催促した。Eは、その都度言い訳を繰り返し、実行を躊躇していたが、被告人から執拗に催促されて閉口していたこと、多額の資金を被告人から受け取りながら、脅迫電話等ではそれまでにD教諭を辞職させることができなかったばかりか、このままでは同教諭を辞職させることができないと思ったこと、更に、被告人の求めに応じて同教諭を殺害すれば多額の報酬が得られると考えたことなどから、次第に同教諭殺害もやむを得ないと考えるようになり、同年一一月下旬ころから、同教諭の自宅がある福島県耶麻郡猪苗代町大字蚕養の集落へ頻繁に下見に出かけるようになった。

同年一二月一日ころ、Eは、同集落付近でD教諭を待ち伏せしていたところ、同教諭の写真によく似た人物(同教諭とは別人であるD')が、犬を連れて散歩しているのを見つけた。Eは、念のために、被告人に電話をかけて、D教諭が犬を飼っているかどうか確認したところ、被告人から「D(教諭)は犬を飼っているから、その男に間違いない。早くその男を殺してくれ。」旨返答を受けたため、犬を連れて散歩している前記人物がD教諭本人に間違いないと確信し、その人物を殺害しようと決意の上、「分かりました。チャンスを見てやりますから。」旨返答し、ここに被告人とEとの間で、後記罪となるべき事実第一1及び2記載の犯行の共謀が成立した。

同月四日、Eは、適合実包六発を装てんしたけん銃(トカレフ)を持参し、自己の運転する車両で前記集落へ向かい、EがD教諭であると誤認していた前記犬を連れて散歩している人物を探し求めて同集落付近を車両で走行し、午後五時四七分ころ、以前と同様に同人物が犬を連れて対向して歩いてくるのを発見したことから、自車の運転席ガラス窓を全開にし、自車をD'に接近させ、同人から約三メートルの位置で自車を停止させるや否や、後記罪となるべき事実第一1及び2の犯行に及んだ(以下、これを「D銃撃事件」という。)。

四  右犯行後、Eは、直ちに現場から逃走し、その途中で右けん銃を山中に埋めて隠匿するとともに、被告人に対し、「D教諭」を銃撃した旨報告した。被告人は、同日夜、妻であるF(以下「F」という。)に三〇〇万円を持参させて、Eに手渡した。

ところが、その後、Eが銃撃した人物はD教諭でなく、人違いであることが判明した。そこで、被告人は、Eに対し人違いであった旨伝えるとともに、「人を間違って撃ったんだから、もう一回きちんとやってもらわなければ困るんだ。」などと言って、更にD教諭を殺害するよう申し入れた。

五  平成九年に入ると、被告人は、Bから、学園の非常勤理事の一人が不正を行ったとして、同理事を辞職させる方法について相談を受けた。被告人は、同理事に対する脅迫もEに依頼するよう提案し、Bから了解を得たので、Eに対し、「Dはまた後でやってもらうけど別な急ぎの仕事をやってくれ。」旨述べて、同理事に対する脅迫の実行を求めた。Eはこれを承諾し、多数の脅迫状の文案を自ら作成し、妻であるG(以下「G」ともいう。)や愛人であったH(以下「H」ともいう。)に右文案をもとに脅迫状を作成させ、これを同理事に送付して脅迫を行った。Eの同理事に対する脅迫は効果があり、同理事が理事会に欠席するなど、畏怖している様子が認められたため、被告人は、同年七月ころ、Bの意向を受けて、Eに対し同理事に対する脅迫の打ち切りを指示した。

他方、この間、学園と組合との間では、前記雇い止め問題がなお続いていたことに加え、平成八年一二月の団体交渉の際の学園幹部の発言を巡って激しい対立が生じ、D教諭の要請で、組合の上部組織である福島県私立学校教職員組合連合に□□問題調査団が作られたり、平成九年五月ころには、D教諭の学園幹部に対する発言を巡って、学園と組合の間で警告文や抗議文の発出が繰り返されるなど、学園と組合の労使対立は一層深まっていた。このような状況の下、被告人はEに対し、右のように前記理事に対する脅迫の打ち切りを指示するとともに、再度D教諭に対する殺害を実行するよう指示した。すると、Eが、D教諭に対する脅迫文の送付を提案してきたことから、被告人は、AおよびBの了解を得た上で、平成九年七月上旬ころ、Eに対し、D教諭へ脅迫状を送付して同教諭を辞職させるよう依頼した。Eはこれを承諾し、G及びHに脅迫状の作成や投函等につき協力を求め、同女らの了承を得た。こうして、被告人はA、B、E、G及びHとの間で順次共謀の上、E、G及びHにおいて、D教諭に対し、学校を辞めなければ同教諭やその家族に危害を加える旨告知する内容の脅迫状を多数作成の上、これを同月一一日ころから東京都内のポスト等に投函して、後記罪となるべき事実第二1の犯行に及んだ。

また、C教諭についても、被告人は、A及びBの了解を得た上で、同年八月下旬ころ、Eに対し、脅迫状を送付して同教諭を辞職させるよう依頼した。Eはこれを承諾し、前同様にG及びHの了承を得、ここに被告人はA、B、E、G及びHとの間で順次共謀の上、前同様の方法で同教諭に対する前同様の内容の脅迫状を多数作成の上、これを同年九月一日ころから東京都内のポスト等に投函して、後記罪となるべき事実第二2の犯行に及んだ。

六  このようにして、平成九年七月ころからEらが繰り返し両教諭に対し脅迫状を作成・送付したが、相変わらず両教諭は学校を辞職する気配が全くなく、両教諭らの活発な組合活動による学園と組合との対立がなおも続いた。同年九月ころには、被告人の組合対策が何ら功を奏さないことから、被告人はAから、「高い給料を払っているのにさっぱり効果が出ない。」などと叱責され、「申し訳ありません。もう少し待って下さい。」などと言って謝罪したことがあった。

被告人は、D銃撃事件後、同年一一月ころまでに、両教諭を辞めさせるための経費等として更に多額の金員をEに渡していたが、何ら状況が変化しないことから、Eに頻繁に電話をかけて活動状況を聞くとともに、D教諭の出張等の情報を提供するなどして、同教諭の殺害を実行するよう繰り返し催促した。これに対し、Eは、なかなかチャンスがないなどと言い訳を繰り返していたが、既に多額の金を受領しながら、脅迫状の送付でも効果がない以上、受領した金を返還せず更に報酬を得るためには、殺害依頼を実行するほかないと次第に考えるようになった。Eは、前記のように、D銃撃事件で使用したけん銃(トカレフ)を山中に隠匿したところ、隠匿場所の目印がなくなり、その場所が分からなくなってしまったことから、被告人の所持するけん銃(米国製コルト)を借りることとし、平成一〇年一月初めころ、被告人からこれを適合実包と共に借り受け、経費等として更に二〇〇万円を受領した。

しかし、Eは、被告人から右けん銃などと経費を受け取ったのに、なおもD教諭殺害を実行しなかった。そこで、被告人は繰り返しEに電話をかけて殺害の実行を迫ったが、Eは、真実は東京にいるにもかかわらず、電話口に被告人に対し、猪苗代は雪が多くて動けないなどの言い訳を繰り返し、D教諭殺害を実行しようとしなかった。

被告人は、Eが、積雪を理由に一向にD教諭殺害を実行しないことから、同月末ころ、Eに対し、「猪苗代が雪で駄目なら、郡山には雪がないから、郡山のC一本に絞ってやって下さい。Cなら自転車で通勤しているから簡単だから。」旨述べて、D教諭に代えてC教諭を銃撃して殺害するよう指示した。Eは、右指示を受けるに及び、もはやこれ以上言い訳を続けることはできないと考え、「分かりました。一生懸命やります。」旨答え、ここに被告人とEとの間で、後記罪となるべき事実第三1及び2の共謀が成立した。

七  EはC教諭殺害を決意したため、平成一〇年一月三〇日ころ、東京から福島県須賀川市内の自宅に戻り、以後、ほぼ毎日、Gと共に繰り返し同教諭の自宅や通勤経路を確認し、また、三回にわたり、福島県内の山中でけん銃(米国製コルト)の試射を行った。このころ、Gは、Eが被告人の依頼を受けてC教諭を銃撃して殺害しようとしていることを知るとともに、銃撃の際に自動車を運転してほしいとのEの申し出を了承し、ここに被告人、E、Gの間に後記罪となるべき事実第三1及び2の共謀が順次成立した。

同年二月六日午前中、EとGは、出勤途中のC教諭を銃撃して殺害すべく、Gが運転する自動車に乗って、同教諭の自宅付近で待ち伏せし、自転車で出勤中の同教諭を発見し追尾したが、機会を逸したためこれを実行できず、一度前記須賀川市内のEの自宅に戻った。EとGは同日夕方、帰宅途中の同教諭を銃撃して殺害しようと考え、再度、前記自動車に乗車の上、学校の通用門付近や同教諭の自宅付近で同教諭を待ち伏せた。しかし、同教諭を見つけることができなかったため、やむを得ず引き上げようとして、同教諭の自宅近くを車で走行していたところ、自転車に乗って対向してくる帰宅途中の同教諭とすれ違った。そこで、Eは、Gに自車の方向転換を命じるとともに、後部座席左側に移り、自車の後部座席左側の窓と助手席窓を全開するよう指示し、全開した自車の左側窓からけん銃(米国製コルト)を構え、自転車に乗ったC教諭に約一メートルの距離まで近付いた上で、後記罪となるべき事実第三1及び2の犯行に及んだ(以下、これを「C銃撃事件」という。)。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  Eと共謀の上、

1  同人が、平成八年一二月四日午後五時四七分ころ、福島県耶麻郡猪苗代町大字蚕養字堰下<番地略>I方付近道路において、Eの運転する自動車の右側歩道上を犬を連れて散歩し対向して近づいてくるD'(当時四三歳)に対し、同人をDと誤認した上で、殺意をもって、E車両の運転席窓を開けて、運転席がD'の真横に来た状態で同車両を停めるや、左脇腹に挟んでおいたけん銃(トカレフ型自動装てん式・平成一〇年押第一四号の4)を持った右手を窓から出して構え、約三メートルの至近距離から右けん銃を五回発射し、もって、法定の除外事由がないのに、不特定若しくは多数の者の用に供される場所において、けん銃を発射し、うち弾丸一発をD'の左大腿部前面に命中させたが、同人に入院加療一一日間を要する左大腿前面裂挫創を負わせたにとどまり、殺害するに至らなかった。

2  法定の除外事由がないのに、Eが右けん銃一丁を所持したものであるが、右日時・場所において、右けん銃をこれに適合する実包六発(うち一発は同号の4のけん銃に添付された実包である。)と共に携帯した、

第二  A、B、E、G及びHと順次共謀の上、

1  平成九年七月一一日ころから同年一二月一七日ころまでの間、別表一記載のとおり、前後七五回にわたり、福島県耶麻郡猪苗代町大字蚕養字下平<番地略>D(当時四八歳)方の同人宛に、別表一「脅迫文内容」欄記載の内容を記した脅迫文在中の封書及び葉書合計七五通を、東京都台東区池之端<番地略>先に設置された郵便物ポスト等上野郵便局管内に設置された郵便ポスト等に投函し、同年七月一二日ころから同年一二月一八日ころまでの間に、同人方に到達させてこれらを同年七月一二日ころから平成一〇年二月一二日ころまでの間に同人に閲読させ、勤務先である私立□△高等学校の教諭を辞職しなければ、同人及びその家族の生命、身体等に対し害を加える旨告知して脅迫し、Dをその旨畏怖させ、もって、同人に義務のないことを行わせようとしたが、同人がこれに応じず辞職しなかったため、その目的を遂げなかった、

2  平成九年九月一日ころから同年一一月一三日ころまでの間、別表二記載のとおり、前後一八回にわたり、福島県郡山市字十貫河原<番地略>C(昭和十七年一一月四日生)方ほか一か所の同人宛に、別表二「脅迫文内容」欄記載の内容を記した脅迫文在中の封書一八通を、東京都台東区元浅草<番地略>元浅草郵便局前に設置された郵便ポスト等浅草郵便物局管内に設置された郵便ポスト等に投函し、同年九月二日ころから同年一一月一四日ころまでの間に、同人方ほか一か所に到達させてこれらを同人に閲読させ、勤務先である前記学校の教諭を辞職しなければ、同人及びその家族の生命、身体等に対し害を加える旨告知して脅迫し、Cをその旨畏怖させ、もって、同人に義務のないことを行わせようとしたが、同人がこれに応じず辞職しなかったため、その目的を遂げなかった、

第三  E及びGと順次共謀の上、

1  EがG運転の自動車後部座席に乗車し、平成一〇年二月六日午後五時四五分ころ、福島県郡山市水門町<番地略>所在のJ方付近道路において、前方左側を同一方向に自転車に乗って走行しているC(当時五五歳)に対し、殺意をもって、開放された助手席側後部ドア窓から、けん銃(米国製コルト型自動装てん式・同号の1)を出して構え、約一メートルの至近距離から右けん銃を二回発射し、もって、法定の除外事由がないのに、不特定若しくは多数の者の用に供される場所において、けん銃を発射し、うち弾丸一発をCの右臀部に命中させ左下腹部へ貫通させたが、同人に入院加療約三二日間を要する銃創による腹腔内大量出血、小腸損傷及び直腸損傷の傷害を負わせたにとどまり、殺害するに至らなかった、

2  法定の除外事由がないのに、Eが右けん銃一丁を所持したものであるが、右日時・場所において、右けん銃をこれに適合する実包六発と共に携帯した

ものである。

(証拠の標目)<省略>

(事実認定の補足説明)

一  弁護人は、(一)罪となるべき事実第一1及び第三1の各殺人未遂の罪につき、①各犯行時に、発砲行為を行ったEには殺意がなかった、②被告人はEとの間で殺人の共謀はもとより、けん銃発砲により各被害者に傷害を負わせる旨の共謀も遂げていない、(二)罪となるべき事実第一2及び第三2の各銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪につき、被告人には当該実包が当該けん銃に適合する旨の認識がなかった旨主張し、被告人も、公判廷において、右主張に沿う供述をするので検討する。

二 まず、D銃撃事件(判示第一1の殺人未遂)について、現実に発砲行為を行ったEが当時殺意を有していたかどうかについて検討する。

1 本件において、Eが使用したけん銃は、正規工場製の口径7.62ミリメートルトカレフ型自動装てん式けん銃で、金属性弾丸の発射機能を有し、十分な殺傷威力を有するものである。Eは、あらかじめDを銃撃するため、自動車を運転して現場付近で待ち伏せしていたところ、現場道路の右側歩道を犬を連れて散歩し対向して近づいてくるD'を見かけるや、同人をDであると思い込み、ブレーキを踏んで左側車線を減速走行しながらD'に近づいて行き、運転席ドアのガラス窓を全開し、左脇腹に挟んでいた前記けん銃を右手で掴んで取り出し、同人が運転席の少し前あたりに来た時点でハンドルを右に切って道路中央線を越えて同人に近づくと同時にブレーキを踏んで自動車を停車させ、直ちにけん銃を持っている右手を運転席窓から肘のあたりまで突き出すと同時に、ほぼ真横でわずか約三メートルの至近距離からD'に向けてけん銃を二回続けて発射し、これに驚き「何だこの馬鹿野郎。」などと言ってE車両後方に向かって全力で逃げていくD'に向けて、更に続けて三回発射した。D'にはEの発砲した最初の二発のうち一発が命中し、D'は、左大腿前面裂挫創を負ったのであるが、その部位は人体の枢要部である下腹部に近く、弾道がわずかでも外れれば、致命傷となった可能性が高いものである。

2 そもそも、けん銃は人を殺す道具であって、けん銃を使って人を銃撃する行為は、人の生命を抹殺する危険性の極めて高い行為であり、射撃の標的となる人が遠距離にいる場合や射撃に経験を積んだ者が至近距離から標的となる人の身体の枢要部以外を狙って慎重に発射する場合など特別な事情のある場合を除き、けん銃を人に向けて発砲すると、その標的となる人が死亡するおそれが高いことは誰の目にも明らかである。E自身も、捜査段階で、D'の足を狙った旨供述しながらも、「けん銃という道具は、もともと人を殺す道具であり、これを人に向けて撃ち、けん銃の弾をその人の体に命中させた場合、当たりどころが悪ければその人が死んでしまう可能性があるということは当然分かっていた」旨供述しており、人に向かってけん銃を発砲する行為が人の生命を抹殺する危険性の極めて高い行為であることを十分認識していたと認められる。

3 EがD銃撃事件を敢行するようになった経緯については、判示のとおりであり、Eは、被告人側の拠出した資金でけん銃二丁を入手し、そのうち本件けん銃(トカレフ)一丁をEの手元に置いていたところ、被告人からD殺害を何度も催促されて、それまでに受け取った多額の金員を被告人に戻すこともできず、殺害を実行すれば更に報酬をもらえるのではないかと期待するとともに、被告人から執拗に銃撃実行を催促されるという重圧から開放されたいとも考えて右けん銃を使って本件銃撃を実行した。

4 Eは、捜査段階において、「けん銃を人に向けて撃ち、けん銃の弾をその人の体に命中させた場合、当たり所が悪ければその人が死んでしまう可能性があるということは当然分かっていた。相手が死んでも仕方がないという気持ちでけん銃を撃ったといわれても仕方がない。」旨供述し、未必の故意の限度で殺意を認めている。これに対して、Eは、公判廷において、相手(EがD教諭と誤認したD')にけん銃を向けて手を挙げさせて学校を辞めてくれないかと言って言うことを聞かせようと思った、けん銃を撃つつもりはなかった、Eが相手にけん銃を向けて「止まれ、手を挙げろ。」と言っても相手がこれに従わなかったので、空に向けて二回発砲し、逃げ出したD'の足の下の方に向けて三回発砲した旨供述し、殺意を否認する。しかしながら、Eの右供述は、発砲されたD'の供述内容やその他関係証拠から認められる本件銃撃の状況とは一致せず、不自然、不合理な点が多い上(例えば、被害者D'の蒙った創傷は、その部位が左大腿部前面の大腿四頭筋の位置で、内側の射入口から外側に向けて、外側が若干下がる形で横に走った創であり、Eが述べるように、空などに向けて発砲してできるものではない。)、Eの公判廷における供述がその供述内容自体に変遷も多く、更に、被告人の面前で被告人をかばって十分な供述ができなかったものとも認められ、前示認定に反する部分は到底信用することができない。

5 なお、弁護人は、Eは、被告人からD教諭殺害を依頼されたことがないのに、Gに対し、被告人からD教諭を殺害してほしいと頼まれた旨うそをついてしまった、Gがこれを真実と誤解して取調官にその旨供述してしまったため、Gの供述を信用した取調官は、アルコール中毒に苦しむEに対しウィスキーボンボンを与えたり、Gらと異なる供述をするのであれば、GやHの捜査が長引き刑も重くなると脅すなどして、Gの供述内容に沿った供述をするよう強制した、その結果、Eの捜査段階における供述調書の内容はGの供述と合致することになった、したがって、このようなEの捜査段階における供述には信用性がない旨主張する。しかしながら、Eが、なぜ右のようなうそをついたのかという点について、Eは、「夫婦の間だし、どうしてって言われても、自分をよく見せるために、そんなことを言ったかも分からないですけど……」、「今答えなくちゃ駄目ですかね、よく思いだして言ったんでは。」、「答えられないことはないですけれども、なんか私も理由はあると思うんですけど……」などと言ってその理由を明確にしなかったり、被告人が電話で、D銃撃事件を実行したのがEであることをGに漏らした旨同女から聞いて、被告人に対し腹が立ったので、被告人からD教諭を殺害してほしいと頼まれた旨Gに対しうそをついた旨供述したり、「女房(G)もいろいろ私にもしつこく聞いてきたもので、うそを言っちゃった。」と供述するなどしており、その供述の出方や供述態度のみならずその供述内容も不自然であること、Eは、取調官に対し、D銃撃事件後にけん銃(トカレフ)を隠匿した場所を供述し、現にその場所から当該けん銃が発見されたことを始めとして、隠匿当時にはその場所に看板が設置されていたこと、銃撃後逃走途中の道路で工事が行われていたこと、被告人との間で行われた会話内容や、けん銃や経費の授受の態様など取調官やGが知り得ない事実について具体的かつ積極的な供述をしており、これらは取調官の誘導によらない供述であると認められること(なお、C銃撃事件については、Eはけん銃試射場所などについて供述している。)、犯行後にEが報酬を受け取った状況については、Eは、報酬を持参したFと異なる供述をしていることなどが認められ、これらの諸点に、量刑を決定するのが取調官でなく裁判官であることは、E自身その経歴などから十分分かっており、取調官が前記のようなことを口にするはずもないと考えられることのほか、Eがアルコール中毒などの症状を示していたことは全くなく、取調官がウィスキーボンボンを差し入れたこともないことやEには捜査段階から弁護人が付いていたことなどを併せ考えると、Eの捜査段階における供述は、取調官がEにGの供述内容に沿った供述をするよう利益誘導し、あるいは、強制した結果、Eの捜査段階における供述調書の内容がGの供述と合致することになったものでないことは明らかといってよく、Eの右供述調書の内容は十分信用することができる。弁護人の右主張は採用できない。

以上のとおりであって、本件で使用された凶器が殺傷能力の高いけん銃であること、至近距離から人体に向けてけん銃を五回執拗に発射しているなど本件銃撃の状況、発射した弾丸のうち一発を人体の枢要部に近い左大腿部前面に命中させて判示のとおりの結果を発生させていることなど被害者の傷害の部位、程度のほか、本件犯行に至る経緯、動機などをも併せ考えると、Eは、D教諭と誤認していたDに対し、殺意をもって銃撃したと認めるのが相当である。

三 次に、D銃撃事件について、被告人がEとの間で殺害の共謀を遂げたかどうかについて検討する。

1 本件犯行に至る経緯などについては、判示のとおりであって、そもそもEには、被告人から本件犯行を持ちかけられなければ、本件を敢行するような動機がない上、E自身は、D銃撃を実行に移すことを躊躇して、これを引き延ばしていたのに、被告人から執拗に銃撃実行を催促された結果、本件犯行に及んでいるのである。被告人は、銃撃対象であるD教諭が犬を飼っているかどうか調査するようEから依頼を受けるや、これを調査して同人に報告しているほか、D'銃撃後には、Eから銃撃の報告を受けるや、同人に報酬(三〇〇万円)を与え、更に同人の銃撃した相手がD本人でなかったことを知った後も、Eに対し、D銃撃を止めるよう申し入れるどころか、「人を間違って撃ったんだから、もう一回きちんとやってもらわなければ困るんだ。」などと申し入れて再度D殺害の実行を迫っている。Eは、D殺害を実行に移すのに躊躇を覚えたため、脅迫状を送付することにより両教諭を辞職に追い込もうとしたものの、両教諭には相変わらず辞職する気配がなかったため、被告人から更に執拗な催促を受け、その結果、罪となるべき事実第三1の犯行にも及んでいる。

2 Eは、公判廷において、当初は被告人からけん銃で殺害するよう依頼を受けD銃撃事件を起こした旨供述したほか、捜査段階においても、被告人からけん銃入手を依頼されて入手した状況、被告人から執拗にD殺害を催促されたこと、その催促を受けた際に被告人から具体的な殺害方法まで提案されたこと(例えば、帰宅途中のD教諭の自動車と衝突事故を起こして降車してきた同教諭をけん銃で撃ち殺してほしい旨提案されたことなど)、被告人からD教諭殺害の催促があまりに執拗であったため、E自身嫌気がさして妻のGに愚痴をこぼしたこと、被告人から「D教諭が犬を飼っているから、その男に間違いない。」などと言って殺害を催促されたとき、Eが相手の足を撃つ旨提案したが、被告人は「殺してもらわなければだめだ。Dだけは許せねえんだ。」旨言って、Eの提案を拒否してD教諭殺害を迫り、Eも、被告人がD教諭を殺すこと以外は考えていないことが分かり、これ以上話しても無駄だと思ったこと、Eが被告人にD銃撃を報告したとき、被告人は「なんだい、足かい。」などと言って、EがD教諭を殺害しなかったことに不満そうな口振りで答えたことなどを明確に供述する。Eの右供述は、具体的で詳細であり、自己に不利益な事実も率直に述べられているほか、Eが述べなければ捜査官には分からない内容も含まれている。更に、Gも、捜査段階及び公判廷で、Gは、Eと一緒に、入院した被告人を見舞って自宅に戻った日に(D銃撃事件の前である平成八年九月ころ)、EはD教諭を殺害してほしい旨被告人に依頼された、Eは殺害を依頼する被告人がどうかしているなどと言ってD教諭殺害を依頼してきた被告人に対する感想を述べた、Eは平成八年一一月下旬ころから毎日猪苗代へ出かけていったが、それはEが被告人から依頼を受けたD教諭殺害のためである、GはD銃撃事件の翌日被告人から電話で「人違いのようだと社長に伝えてください。」などと言われ、これを聞いて被告人がEにD銃撃を依頼していたのだと思った旨供述しており、Gの右供述内容は、前記Eの捜査段階における供述など他の証拠とも符合している上、GにことさらEや被告人を罪に陥れるような事情が認められないので、十分信用することができる。これらの諸点のほか前示二5で指摘した点などをも併せ考えると、Eの捜査段階等における右供述もこれまた十分信用することができる。

3 被告人自身も、捜査段階において、D教諭を最初の銃撃の標的にした理由につき、「四人の先生の中で、D先生が一番言動・態度が悪く、学校にとっても最も有害な人物であり一日も早く学校からいなくなってほしい人だった。D先生をけん銃で撃てば、C先生ら三人の先生も身の危険を感じて学校をやめるだろうと考えた。」旨供述し、殺意や共謀の点につき、「Bに相談した結果、まずDをけん銃で撃つことになり、被告人が平成八年一〇月ころEに『Dをやってくれ。』と言ってD教諭殺害を依頼し、Eはこれを引き受けた。被告人は、D教諭を銃撃すれば、同教諭が死ぬことも十分あり得るが、そうなったらそうなったで仕方がないと思っていた。D銃撃事件は被告人の依頼によりEがD教諭をけん銃で撃つつもりで誤って別人をけん銃で撃ってしまったものであることに間違いない。被告人は、EからD銃撃の報告を受け、その日のうちにEに報酬を支払った。被告人はD銃撃の翌日(平成八年一二月五日)付けの朝刊を見て、Eが銃撃した相手がD教諭でないことを知り、その後Eとの電話の会話中で、『今度はよく確認してくださいよ。よろしくお願いします。』と言って、今度こそ間違えずにD教諭をけん銃で撃ってほしい旨依頼した。」などと供述しており、被告人は、EにD教諭をけん銃で撃つことを依頼し、これに基づいてEがDと誤認してD'を銃撃し、判示結果を発生させたことを、同教諭に対する被告人の主観的な感情も交えて明確に認めている。被告人の捜査段階における供述調書の内容は、Eの捜査段階における供述調査等やGの供述内容とも符合している上、詳細かつ具体的であり、被告人の心情も吐露されており、これを十分信用することができる。

4 ところで、被告人は、当公判廷において、Eとの殺人の共謀はもとより傷害の共謀をも否認する。しかしながら、被告人は、第一回公判期日での罪状認否で、殺人の共謀を否定したものの、「足でも怪我をさせて、学校に来られなくなればいい」旨供述し、傷害の共謀については明確に認めていたのに、その後の被告人質問において、傷害の共謀すらなかった、Eが「けん銃を向けて何をするんだか、私も分からない。」旨述べて供述内容を不自然に変遷させているほか、これまで指摘した諸点に照らして、被告人の右弁解や供述は到底信用することができない。なお、Eについても、前示のとおり、公判廷における供述を変遷させているが、Eの殺意を否定する旨の供述や被告人との共謀を否定する旨の供述は、これまた信用することができない。

以上の諸点に、けん銃を使って人を銃撃する行為は、人の生命を抹殺する危険性の極めて高い行為であり、前示のような特別な事情のある場合を除き、けん銃を人に向けて発砲すると、その標的となる人が死亡するおそれが高いことは、被告人も十分分かっていたと認められることをも併せると、EのD'に対する銃撃(殺人未遂)は、被告人のEに対する銃撃による殺害依頼に基づくものであり、被告人はEとの間で本件犯行に関する共謀を遂げたと認められる。

四 更に、C銃撃事件(判示第三1の殺人未遂)について、現実に発砲行為を行ったEが当時殺意を有していたかどうかについて検討する。

1 本件において、Eが使用したけん銃は、アメリカ合衆国レミントンランド会社製の口径0.45インチコルト一九一一年A一型自動装てん式けん銃で、金属性弾丸の発射機能を有し、十分な殺傷威力を有するものである。Eは、あらかじめC教諭を銃撃するため、Gに自動車を運転させEが後部座席に乗って同教諭方付近で待ち伏せしていたところ、同教諭が自転車に乗って対向してくるのを目撃し、Gに命じて自車をUターンさせて同教諭の後方から同教諭を追いかけるように同一方向に進行させ、けん銃を手に取って後部座席左側に移り、車両左側の前後のガラス窓を全開し、自車の前後に他の車などがないことを確認した上で、後方から同教諭に近寄って行き、Gに自車の速度を落とすよう命じた後、右手で前記けん銃を持ち左手を添えてこれを安定させ、後部座席助手席側のドアに左脇の下あたりをかけてドアの外にけん銃を出してほぼ水平に構え、銃口を自転車を運転する同教諭に向けて、左目をつぶって右目で狙いを定め同教諭のやや右斜め後ろわずか一メートル弱しか離れていない位置から連続して二回発射した。Eの撃った弾丸二発のうち一発が同教諭の臀部に命中、貫通し、判示のとおり、同教諭は入院加療約三二日間を要する銃創による腹腔内大量出血、小腸損傷及び直腸損傷の傷害を負ったもので、同教諭は大量出血により血液の巡りが保たれず人命にかかわる極めて危険な状態に陥り、小腸の一部切除、直腸の縫合など緊急手術を施して一命を取り留めたが、適切な医療行為がなければ確実に死亡していたものである。

2 本件犯行に至る経緯などは、判示のとおりであって、Eは、D銃撃事件後、銃撃した相手が人違いであることを知った被告人から、再度D教諭殺害を申し入れられ、更に、執拗に同教諭の殺害の実行を迫られるに及び、既に多額の金を受領しながら、脅迫状では成果を上げられない以上、受領した金を返還せず更に報酬を得るためには、殺害の依頼を断ることはできないと考えるようになり、被告人から、前記米国製コルトとその適合実包のほか経費等として二〇〇万円を受け取った。Eは、なおもD教諭の殺害を実行せず先延ばししていたところ、被告人から、同教諭に代えて、C教諭を銃撃して殺害するよう指示されるに至り、もはやこれ以上言い訳を続けることはできないと考えてこれを承諾し、平成一〇年一月三〇日ころから、C教諭の自宅や通勤経路を確認したり、けん銃の試射を行い、その威力を十分認識した上で罪となるべき事実第三の犯行に及び、同教諭銃撃後、被告人に右銃撃を報告して報酬の支払を要求し、その日のうちに報酬金(三〇〇万円)を受け取った。

3 Eは、捜査段階において、概ね次のとおり供述する。Eは、C教諭に何の恨みもなく、積極的に同教諭を殺してやりたいという気持ちはなかったが、被告人から同教諭殺害を執拗に迫られ、もはや同教諭を銃撃するしかないまでに追い詰められていた。Eは同教諭を銃撃して弾が当たれば、同教諭が死ぬ可能性があることはもちろんよく分かっていた。四五口径の大型けん銃で試射していたからその威力も分かっていた。試射したときに、確実に狙ったところへ当てるとの自信はなかった。太股などに当たっても出血多量で死ぬことはあるだろうと思っていたし、まして、動いている車の中から自転車に乗っている人間を狙うので、実際にC教諭のどこに当たるかはっきりわからないとの思いもあった。すでに被告人から大金をもらっており、被告人から殺害するよう迫られ、せっぱ詰まった気持ちであったことから、「撃って、もうこんなことは終わりにしたい。」との気持ちが強かった。単に、「脅し」のために同教諭に当てないように撃つのでは、もはや被告人が納得しないということもよく分かっていた。したがって、このときは同教諭に当てないように撃とう、死なないようにしなければならないという気持ちはなかった。同教諭が死ぬ危険があることは分かりながら、「Cさんを撃つことによって、すべてを終わりにしたい。」との気持ちから、夢中でけん銃の引き金を引いた。以上のとおり供述し、C教諭に向かって発砲したときの内心の状態をも含めて詳細に供述する。ところで、Gも、公判廷において、平成一〇年二月二日、同女がEを車に乗せて学校通用門付近でC教諭を待ち伏せしているとき、Eが「チャンスがあればいつでも(C教諭を)撃つ。」、「C先生は殺されても仕方がない悪い男だ。」などと述べるのを聞いた、翌三日Eが自宅でけん銃の手入れをしているとき、GがEに「本当にC先生を撃って殺しちゃうの。」などと言って尋ねると、Eは真剣な表情をして「殺すよ。」と答えたので、GはEがC教諭殺害を決心したと思った旨供述し、このようなGの供述内容は、詳細かつ具体的であり臨場感もあって、GにことさらEや被告人を罪に陥れるような事情が認められないので、十分信用することができる。これらの諸点に、けん銃発砲の危険性や前示二5で指摘した点などをも併せ考えると、Eの捜査段階における右供述も十分信用することができる。

4 ところで、Eは、公判廷において、「C教諭を殺害するつもりは一切なく、足に当てる自信を持っていた。銃撃の際は、同教諭の足を狙った。一発目を発砲したとき、Gが急に車のブレーキをかけたためEの体が前のめりになって弾が下に向いてしまった。その後体勢を戻し再度狙いをつけて二発目を発砲しようとしたとき、Gが自車のスピードを出したため、Eの体が後ろに引っ張られ、手元が狂ってしまい、外してしまったにすぎない。」旨述べて殺意を否認する。しかしながら、Eの射撃能力については、同人がC銃撃までに山中へ赴きけん銃を試射していることは認められるが、このときは木立などに向かって発砲したにすぎず、走行している自動車内から発砲したわけでも、動いている標的を狙って発砲したわけでもないのであり、現にC銃撃のときには、至近距離から発砲したのに二発のうち一発を外しC教諭に命中させていないことなどに照らしても、Eが確実に狙ったところに当てる射撃能力があったとは到底認められない。また、C銃撃当時の状況につき、Gは、左前方を自転車で走行する同教諭の一〇メートルくらい手前でEから自車を左に寄せてゆっくり走行するよう指示されて、運転する自車を左に寄せC教諭の乗っている自転車より少し速い速度で走行し、同教諭に追いつき、そのときEが同教諭に向かって発砲した旨供述しており、Eの右供述のように、Gが本件発砲の際にEの体が前後にのめり込むような運転方法をとったとは認めることができない。これらの事実に、前示のとおり、Eが公判廷で供述を変遷させていることなどを併せ考えると、Eの公判廷における右供述内容も到底信用することができない。

以上のとおりであって、本件で使用された凶器が殺傷能力の高いけん銃であること、至近距離から人体に向けてけん銃を二回執拗に発射しているなど本件銃撃の状況、発射した弾丸のうち一発を人体の枢要部付近である臀部に命中、貫通させて判示のとおりの結果を発生させていることなど被害者の傷害の部位、程度のほか、本件犯行に至る経緯、動機などをも併せ考えると、EはC教諭に対し、殺意をもって銃撃したと認めるのが相当である。

五 更に、C銃撃事件について、被告人がEとの間でC教諭殺害の共謀を遂げたかどうかについて検討する。

1 本件犯行に至る経緯などについては、判示のとおりであって、そもそもEには、被告人から本件犯行を持ちかけられなければ、本件を敢行するような動機がないところ、Eは、被告人の指示に基づいて、その指示どおり、両教諭を辞職させるべく、両教諭に対する電話による脅迫、罪となるべき事実第一1及び2のD銃撃事件の実行、罪となるべき事実第二1及び2の両教諭に対する脅迫状の送付などを重ねてきた(なお、学園理事に対する脅迫状の送付も敢行している。)。それでも両教諭が辞職しなかったことから、被告人はEにD教諭の旅行計画などの行動に関する情報(例えば、D教諭が長良川温泉で開催された会合に参加することやその宿泊先など)を伝えたり、被告人の所持するけん銃(米国製コルト)とその適合実包を渡すとともに経費などとして多額の現金をも渡した。それでもなお、Eは、D教諭の殺害を実行せず言い訳を繰り返し、猪苗代の積雪を理由に同教諭の殺害を先延ばししたことから、被告人は、同教諭に代えてC教諭を銃撃して殺害するよう依頼し、Eはもはやこれ以上言い訳を続けることはできないと考えてこれを承諾し、判示のとおり、C銃撃事件を実行した。被告人はC銃撃事件後にEからその旨報告を受けるやEに報酬を支払っている。

2 Eは、捜査段階において、概ね次のとおり供述する。被告人はD'銃撃後、Eに「きちんと確かめないでやったあんたが悪いんだからもう一回やってもらう。今度はちゃんとやってくれ。」などと言って、更にDを殺害するよう申し入れた。被告人はその後「上から言われて、早くかたをつけないとどうしようもないから、一日でも一時間でも早く殺しちゃってくれ。」などと言って、Eに殺害の実行を迫った。同人はこのころ被告人が一日に何度も同人の携帯電話に電話を入れてくるので、電話に出るのが嫌になり、携帯電話の電源を切った状態にしておいた。Eも精神的に参っており、Gと話したときに、「また、Kさんから電話があって、やってくれ、やってくれというんで参っちゃった。人殺しなんてできねぇよな。」など何度も愚痴をこぼした。また、Eは、被告人に腹立ちを覚えたため、Gに向かって「Kさんが殺せ殺せと言ってっけど、学校でそんなことやっていいのか。やつら何考えてんだっぺな。」などと言った。しかし、被告人の執拗な催促を受け、Eは次第に追い詰められた気持ちになり、銃撃する以外にないと思うようになってきた。その後、被告人はEに猪苗代が積雪のためD教諭殺害ができないのであれば、それに代えて郡山に住むC教諭を殺害するよう指示し、Eもこれを聞いて、同教諭を銃撃して殺害するしかないと考えて、C銃撃事件に及んだ。以上のとおり供述しており、Eは、捜査段階において、被告人から執拗にD教諭、更にはC教諭を殺害するよう依頼され、それに基づきC銃撃事件を敢行した旨明確に認めている。Eの右供述内容は、具体的で詳細で臨場感もあり、当時のEの心情や自己に不利益な事実についても率直に述べられているほか、Gの後述する供述ともよく符合している。すなわち、Gも、Eが被告人から、D教諭を殺害するよう催促されて困っているなどと言ってEが心情を吐露するのを聞いた旨供述するほか、Gは、平成一〇年一月二〇日被告人から電話を受け、その中で被告人から「仕事が遅れているので、学校の上の方から催促されている。被告人は自分の土地家屋を売却し、学校も辞めて被告人がこれまでEに渡した金銭を学校に弁償する。Eは猪苗代は雪で仕事ができにくいというが、事務員が猪苗代から通っているのに、猪苗代で仕事ができないのはおかしい。仕事ができないなら別の者に依頼する。大事なものを預けている。」などと言われ、これが被告人のEに対するD教諭殺害を催促する趣旨であると受け取った旨供述し、Gの右供述内容は、詳細かつ具体的であり臨場感もあって、他の証拠ともよく符合するほか、GにことさらEや被告人を罪に陥れるような事情が認められないので、十分信用することができる。以上の諸点に前示二5で指摘した点などを併せ考えると、Eの捜査段階における右供述もこれまた十分信用することができる。

3 被告人自身も、捜査段階において、前示のとおり、平成九年八、九月ころ被告人が本部長としての職責を果たそうと一生懸命やっていたのに、Aから「高い給料を払っているのに、さっぱり効果が出ない」などと被告人の努力が足りないような言い方をされて、悔しい思いをし腹が立った。平成一〇年一月初旬に、それまで被告人が所持していたけん銃(米国製コルト)をEに渡した、D教諭をけん銃で撃つのが降雪のために困難であるなら、雪の積もっていない郡山に住んでいるC教諭をけん銃で撃ってほしい旨Eに申し入れ、Eも被告人の申し入れを承諾した、被告人は、同人がC銃撃を実行した後、Eからその旨報告を受け、被告人の妻Fに指示してEに報酬金を届けた、被告人は、同人がC教諭をけん銃で撃って同教諭が死ぬことがあってもやむを得ないという気持ちでEにC襲撃を依頼した旨供述している。被告人の捜査段階における供述調書の内容は、Eの捜査段階における前示供述内容やGの供述内容、更には客観的な事実とも符合しているほか、詳細かつ具体的であり、被告人の心情が吐露されていたり、被告人が述べなければ捜査官には分かり得ない内容も含まれ、また自己に不利益な事実も率直に述べられており、これを十分信用することができる。

4 ところで、被告人は、当公判廷において、Eとの殺人の共謀はもとより傷害の共謀をも否認し、Eも、公判廷において、その途中から、被告人からC殺害の依頼はなかった旨供述する。しかしながら、被告人とEの公判廷における供述が合理的な理由もなく変遷しているのは前示のとおりであるほか、これまで指摘した諸点に照らして、被告人の右弁解もEの右供述内容も到底信用することができない。

以上の諸点に加えて、けん銃発砲行為の危険性などを併せ考えると、EのC教諭に対する銃撃(殺人未遂)は、被告人のEに対する銃撃による殺害依頼に基づくものであり、被告人はEとの間で本件犯行に関する共謀を遂げたと認められる(なお、被告人がEを介してGと順次共謀を遂げたことは、本件証拠に照らしてこれまた認めることができる。)。

六  弁護人は、罪となるべき事実第一2及び第三2の各銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪について、被告人は、当該実包が当該けん銃に適合するとの認識がなかった旨主張し、被告人も、公判廷において、右同旨の供述をする。しかしながら、判示のとおり、被告人は、D銃撃事件で使用されたけん銃(トカレフ)とC銃撃事件で使用されたけん銃(米国製コルト)のいずれについても、平成八年一〇月ころEがけん銃と実包を被告人方へ届けたとき、これらをテーブルの上に取り出して見た、被告人はそのときEに対し、米国製コルトの方を手に取って、「こっちの方が大きくていいな。」とか、「弾はどっちが多いの。」などと言った、このとき被告人が米国製コルトを、Eがトカレフを所持することとなったが、その際、被告人がEにけん銃の取り扱い方を尋ねたため、同人は被告人の面前で、弾倉を外す方法、弾倉に弾を込める方法、弾倉をはめる方法、けん銃の上部をスライドさせて弾を装てんする方法などを実演するなどして被告人に見せたほか、被告人は、前示のとおり、現にこれらのけん銃と実包を用いて各銃撃を実行するようEに指示したのであるから、当該実包が当該けん銃に適合する旨認識していたと優に認めることができる。弁護人の右主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示第一1及び第三1の各所為のうち各殺人未遂の点はそれぞれ刑法六〇条、二〇三条、一九九条に、各けん銃発射の点はそれぞれ包括して同法六〇条、銃砲刀剣類所持等取締法三一条、三条の一三に、同第一2及び第三2の各所為はそれぞれ刑法六〇条、銃砲刀剣類所持等取締法三一条の三第二項、一項、三条一項に、同第二1及び2の各所為はそれぞれ包括して刑法六〇条、二二三条三項、一項、二項にそれぞれ該当するところ、判示第一1及び第三1の各所為は、いずれも一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条によりそれぞれ一罪として重い殺人未遂の罪の刑で処断し、判示第一1及び第三1の各罪については各所定刑中有期懲役刑をそれぞれ選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により刑及び犯情の最も重い判示第三1の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中八七〇日を右刑に算入し、押収してあるけん銃(実包一個添付)一丁(平成一〇年押第一四号の4)は判示第一1の殺人未遂の用に供した物、同じく押収してあるけん銃一丁(同号の1)は判示第三1の殺人未遂の用に供した物で、いずれも犯人である被告人及び共犯者以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれらを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、判示のとおり、被告人が積極的な組合活動を行い学園と対立する教諭二名を辞職させるべく、うち一名をけん銃を発射して殺害する旨Eと共謀を遂げ、Eが当該教諭と誤認して道路上で第三者を銃撃したが、死亡させるに至らなかった殺人未遂・銃砲刀剣類所持等取締法違反の事案(判示第一1及び2・D銃撃事件)、Eら五名と順次共謀の上、両教諭を辞職させるべく多数回にわたり脅迫状を送付して辞職を強要したが、辞職させるに至らなかった強要未遂の事案(判示第二1及び2)、更に辞職しない両教諭のうち一名をけん銃を発射して殺害する旨Eらと順次共謀を遂げ、Eが道路上で当該教諭を銃撃したが、死亡させるに至らなかった殺人未遂・銃砲刀剣類所持等取締法違反の事案(判示第三1及び2・C銃撃事件)である。

本件一連の犯行は、労務対策担当者として高額の報酬など厚遇を約束されて学園に採用された被告人が、学園と組合とが激しく対立し、学園に対し事あるごとに反発する両教諭らに対する嫌悪感、特に、組合の機関誌で被告人らを揶揄するような記事を記載したと思われたD教諭に対する嫌悪感を強めるとともに、両教諭を目障りな存在とし、労務対策担当者である被告人に早く事態を改善するよう求めてくるAやBに対し、両教諭を早く辞職に追い込むことで成果を上げ、自らの立場を保身しようと考えたことから、自己の知人の元暴力団組長であったEに依頼して両教諭を辞職に追い込むよう両教諭やその家族に脅迫電話などを繰り返し架電させたことに端を発するものである。

まず、D銃撃事件についてみるに、判示のとおり、被告人は、Eに交付する経費等としてBに一〇〇〇万円を用意させた上で、右のようにEをして両教諭に対する脅迫を行わせたものの、両教諭がこれに一向にひるむ気配がなかったことから、この際、手早く成果を上げるためには、EをしてD教諭を銃撃して殺害させるしかないと考え、Eに同事件を敢行させたものであって、その動機は極めて短絡的、自己中心的というほかなく、酌むべきものは全くない。被告人は同人と事前共謀の上、前示のとおり、約三メートルという至近距離からD教諭と誤認したD'に向けて殺傷威力の高いけん銃を五回発射し、うち一発を同人の左大腿部前面に命中させたのであり、その犯行態様自体、悪質で危険極まりないものである。被告人は、Eに報酬等の支払いを約束して本件銃撃を依頼し、被告人が提供した資金で同人にけん銃を入手させた上で、銃撃に必要な情報を種々提供し、銃撃を躊躇する同人に対し再三にわたり催促を繰り返し、実行を決意させ実行に移させたのであって、その果たした役割は極めて大きい。自ら手を下すことなく、学園に用意させた金をもってEに犯行を実行させた被告人の本件犯行関与の態様はまことに狡猾で悪質である。D'は、D教諭と誤認されて銃撃を受けたもので、かかる仕打ちを受けなければならない理由は全くない。それにもかかわらず、D'は入院加療一一日間を要する左大腿前面裂挫創の傷害を負わされたもので、結果は重大である。同人の蒙った肉体的・精神的苦痛も深刻で、処罰感情には険しいものが認められる。

次に、両教諭に対する強要未遂事件についてみるに、判示のとおり、被告人は、D銃撃事件が前示のとおり人違いに終わったことから、なおD教諭殺害をEに求めたところ、脅迫状送付による両教諭への辞職強要をEから提案され、同人らと順次共謀の上これを同人らに実行させたもので、その動機にこれまた酌むべきものは全くない。被告人らは「片腕を切ってやるつもりだったが、考えなおしてお前と家族の命を狙っている。十分な心構えで覚悟していろ。」とか「お前の家族一人一人が何をするのにも全く見張っている。」「大切な家族やお前自身が救われたいなら一日も早く学習塾か予備校にでも職業を変えるべきだぞ。」など、両教諭のみならずその家族らの生命、身体等に危害を加える旨告知した脅迫状を、長期間にわたり、C教諭に対して一八通、D教諭に対して七五通もの多数を送り続け、辞職するよう迫ったものであって、不当な圧力に屈したくないという両教諭の気丈な精神によって強要は未遂に終わったものの、執拗に両教諭の心情を弄び、苦しみを与え続けたその態様は卑劣極まりなく悪質である。被告人は、かかる犯行を報酬等の支払いを約束してEに依頼し、両教諭の生活や行動に関する具体的な情報を次々とEに提供し、脅迫状作成を容易にしており、その果たした役割は重大である。本件被害者らはかかる仕打ちを受ける理由がないのに、本件脅迫行為を受けたもので、本件犯行により両教諭やその家族が受けた不安感・恐怖感など精神的苦痛は察するに余りあり、被害結果も重大である。被害者らの処罰感情も癒されていない。

更に、C銃撃事件についてみると、判示のとおり、被告人は、学園内で厚遇を受けた上、両教諭を辞職させるためBに多額の経費等を工面させ、これをEに渡していながら、なおも成果を上げられず、Aから叱責させるなどしていた状況下、再度EにD教諭を銃撃させようとし、Eの求めに応じて被告人の所持するけん銃(米国製コルト)を手渡したが、EがD教諭の銃撃が積雪等によって難しい旨述べたことから、対象をC教諭に代え、Eに同教諭を銃撃して殺害するよう依頼したもので、被告人の本件への関与はまことに執拗で、自己保身的というほかなく、その動機に酌むべきものは全く見いだしがたい。被告人は、Eらと順次共謀の上、前示のとおり、自転車で走行中のC教諭に向け、約一メートルという至近距離から、殺傷威力の高いけん銃を二回発射し、うち一発を同教諭の右臀部に命中させ、腸間膜を傷つけながら直腸及び小腸を貫通した上で左下腹部へ射出させ、その結果、同教諭に腹腔内大量出血、小腸損傷及び直腸損傷の傷害を負わせ、大量出血によって意識不明に陥らせたのであり、同教諭は緊急手術により一命を取り留めたものの、死亡に至るおそれが極めて高かったもので、その犯行態様は危険極まりない。被告人は、自ら所持するけん銃をEに渡し、同人はこれを使い被告人の指示に従ってC銃撃事件を敢行したもので、被告人の果たした役割はこれまた極めて大きい。C教諭は、かかる仕打ちをうける理由がないのに、瀕死の重傷を負い、その後約三二日間もの入院加療等を余儀なくされたものであり、同教諭及びその家族が受けた肉体的・精神的苦痛は甚大であり、処罰感情には極めて厳しいものが認められる。

被告人は、これらの犯行をEに依頼、催促して実行させたのであって、被告人なくしていずれの犯行もあり得なかったという点で、被告人が果たした役割は極めて大きく、現実の実行行為を担当したEと比して、優るとも劣らないものと評価することができる。教育現場における労使対立に端に発し、元暴力団組長に依頼して、組合幹部の教諭を殺害しようとまでした本件犯行が、学校の生徒及び関係者を始めとする教育関係者や、世間一般に与えた衝撃は大きく、また、本件各銃撃が、近隣住民等に与えた恐怖感も軽視できない。以上の諸点に照らすと、被告人の刑責は極めて重大である。

しかしながら、銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪を除く各事件については、幸い未遂に終わったこと、被告人が、本件各犯行の外形的事実についてはこれを認め、結果的に被害者らに与えてしまった精神的・肉体的苦痛に対する謝罪の意思を表明し、しょく罪に努める旨述べていること、被告人にはこれまで前科前歴がないこと、本件により相当期間の身柄拘束を受けていることなど、被告人にとって有利に斟酌すべき事情も認められる。したがって、これらの諸事情も十分に考慮し、主文掲記の刑に処するのが相当であると判断した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・原啓、裁判官・鈴木信行、裁判官・堀部亮一)

別表一、二<省略>

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