福島地方裁判所 平成10年(行ウ)4号 判決 2002年9月03日
主文
本件訴えを却下する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告が,別紙「実態と異なる不正支出」に記載された各部局所属の実態と異なる不正支出に関与した福島県職員に対し,別紙「実態と異なる不正支出」記載の実態と異なる不正支出額合計金29億6455万4000円のうち金4億4999万1000円を支払えとの請求をしないことは違法であることを確認する。
第2事案の概要
原告は,福島県の公金29億6455万4000円が不正に支出されたにもかかわらず,福島県知事である被告が,不正支出に関与した福島県職員に対し,25億1456万3000円のみの返還を求め,その余の4億4999万1000円についてはその返還を求めなかったことが違法であるとして,怠る事実の違法の確認を求めている。
1 争いがない事実等
(1) 原告らはいずれも福島県民であり,被告は福島県知事である。
(2) 福島県は,平成9年4月21日,公費支出検討委員会を設置して県職員による公金不正支出の調査を開始した。
その調査は,①対象部局及び所属として,知事部局,企業局,教育庁,監査委員事務局,人事委員会事務局,地方労働委員会事務局に属する354所属,②対象年度として,平成6年度から平成8年度までの3年度分,③対象科目として,県職員が執行する旅費,賃金,報償金,食糧費,使用料及び賃借料などにかかる県予算執行の実態とするものであった。
(3) 公費支出検討委員会は,平成9年12月2日,県職員による不正支出(不適正支出)の合計額が29億6455万4000円であると発表した。
(4) 被告は,(3)の発表があった平成9年12月2日,不正支出(不適正支出)額29億6455万4000円のうち23億4332万9000円については返還を求めることを決め,さらに,現金として保管されていた1億2929万3000円はそのまま返還させることとし,その余の4億9193万2000円については返還を求めないことを決定した。
(5) 被告は,平成10年1月14日,再精査のうえ,(4)で返還を求めないこととした4億9193万2000円のうち4194万1000円の返還を求める額に加え,最終的に,返還を求めない額を4億4999万1000円とした。
(6) 原告らは,平成10年4月8日,福島県監査委員に対し,監査請求の対象となる事実を証する書面として平成9年12月2日付けの福島民友新聞を添付したうえ,下記の内容の「福島県知事措置請求書」と題する書面(甲3)を提出し,監査請求(以下「本件監査請求」という。)をした。
記
ア 被告は,1997年12月2日,「1994年度から96年度の3年度分の福島県に於ける不正支出は,金29億6455万4000円に及ぶが,このうち金23億4332万9000円についてのみ,県職員などから返還させ,残6億2122万5000円については返還を求めない。」ことを決定した。
イ 上記決定は,以下2点に於いて地方自治法242条1項の「違法若しくは不当に公金の賦課若しくは徴収若しくは財産の管理を怠る事実」に該当し違法である。
(ア) 県知事は,不正支出金額の全額につき返還を求める権限があり,且つ,それを厳正に行使すべき義務を県民に対して負担しているにも拘わらず,その権限行使を怠っている。換言すれば不正支出の返還を免除してやる権限は,知事にはない。
(イ) 6億2122万5000円をなぜ免除するのかその根拠が全く不明である。換言すれば知事は,極めて恣意的に免除額を決定しており,仮りに知事に免除権限があるとしても,この様な恣意的免除は,それ自体違法である。
ウ よって,監査委員は厳正な監査を行い,福島県知事に対し,上記6億2122万5000円の返還を求める措置をとるように勧告していただきたく,地方自治法242条1項により請求する。
(7) 福島県監査委員は,平成10年5月12日付けで,「請求人の主張は平成6,7,8年度の3会計年度における支出6億2122万5000円について監査対象行為を特定することなく監査を行うことを求めているが,監査対象行為を個別的,具体的に摘示しない請求は住民監査請求たりえない。」との理由で,本件監査請求を却下した(甲4)。
(8) そこで,原告らは,同年6月3日,本訴を提起した。
2 主たる争点
監査対象行為が特定されていないことを理由に監査委員が本件監査請求を却下したことから,①監査請求の対象が特定されているか否か(争点1),②本訴の請求の趣旨が特定されているかどうか(争点2)が争われている。さらに,被告は本件監査請求の対象と本件訴訟の対象との間に同一性がないから,本件訴訟は監査請求を経ていない,あるいは,請求の趣旨が訂正されたことに関連して,請求の趣旨の訂正は新訴の提起になるところ,訴え提起の手続を経ていないと主張したため,③本件監査請求の請求と本訴における請求が同一か否か(争点3),④請求の趣旨の訂正が新訴の提起に当たるか否か(争点4)が争われている。加えて,⑤本件監査請求は,不正行為が行われた日から1年を経過した後になされたものであるところ,期間を徒過したか否か(争点5)も争点となっている。
(1) 争点1(監査請求の対象の特定の有無)について
(被告)
本件において監査請求の対象とされた行為は,福島県知事がした「平成6年度から平成8年度までの3会計年度分の不正支出のうち6億2122万5000円について返還を求めない」ことの決定と解されるが,これらの公金支出は一体のものとしてその違法又は不当性を判断するのを相当とするような事情は何ら存せず,公金支出が不正なものといえるかどうかは個々の支出ごとに判断するしかない。
(原告ら)
ア 住民監査請求では,簡易かつ略式の方式で,住民が監査委員に対し,監査の請求をすることができることを予定しており,厳格な特定を法は予定していない。また,地方自治法242条の2第1項3号(以下,単に「3号」という場合もある。)に基づく請求の場合,請求の相手方と請求金額の特定は監査請求の時点では不要である。同号の対象は債権の行使ではなく,管理を怠っていることである。
行使は管理の一部であるが全部ではない。行使の準備行為すなわち「債権の保全及び取立に関し必要な処置」も管理に含まれる。
イ 監査請求の段階で,資料は既に収集済みであり,やる気さえあれば監査はできた。監査委員が職権を発動して検討委員会の手元にある同委員会が返還不要と認定したところの個々の支出ごとの支出理由,支出金額を記載した資料を検分していれば,請求の特定は容易にできたのにそれをしなかったのであるから監査委員の判断は不当であり,原告は監査を経たことになる。
ウ 本件監査請求は「1994年度から1996年度の3年度分の福島県における不正支出のうち,被告が返還を求めないとした6億2115万5000円」という形で特定している。返還を求めない分も返還された分も不正支出の実態は同じであるので,監査委員は,返還を求めないとした部分についても,1つ1つの支出を個別に分析せずとも,被告からなぜその部分について返還を求めないとしたかの理由,つまり裏金の使い途を聴取し,それが損害賠償請求権を消滅させるに相応しい事由であるかを判断し,相応しくないと判断した場合には,被告にその部分の損害賠償請求権を行使するように勧告すれば足りる。しかも,その使い途も1つ1つが全部バラバラというのでなく,「職場で不足していた備品購入費に充当したもの」という形で類型化できるはずであり,その類型ごとに判断すればいいだけのことである。そうだとすれば,監査委員が判断を下す対象は実質的には「被告が返還を猶予した裏金の使途」として特定されているのであり,まさに「被告の当該行為等を一体とみて,違法・不当性を判断するのが相当な場合」に該当する。
エ 原告らは,できるだけの特定はした。被告は,「公費支出調査結果及び改善策について」(甲1)を発表したが,調査資料の開示請求に対し,その開示を拒否している。わずかに部局別の集計結果を開示したにすぎない。一方では調査資料の開示を拒否しながら,当該行為の厳格な特定を原告らに要求している。被告はすべて知りながら,資料を独占し県民にはこれを隠している。特定を原告らに求めるのであれば,資料を開示すべきである。開示しないのであれば,原告らに厳格な特定を要求すべきでない。
(2) 争点2(本件請求の趣旨の特定の有無)について
(被告)
住民訴訟においては,その対象とする怠る事実を他の事項から区別し,特定して認識できるように個別的,具体的に摘示し,また,その怠る事実が複数である場合には,各怠る事実を他の事実と区別し,特定して認識できるように個別的,具体的に摘示しなければならない。
住民訴訟でいう「怠る事実」というのは,作為義務に反してなすべき行為を怠っている不作為をいう。怠る事実のうち,「財産の管理」には「債権の管理」を含むと解されるが,「怠る事実」の対象とされる損害賠償請求債権または不当利得返還請求権(以下,単に「損害賠償請求債権」という。)について,その内容が具体的に特定されなければならない。誰に対して何を請求すべきかが定まらなければ「怠る事実」の存否が判断できないからである。裁判所が何をとらえて作為義務の懈怠の違法を確定したのかが全く明らかにならない。
本件の怠る事実の対象とされている事実は,福島県の各部局における平成6年度から平成8年度までの3年度にわたる旅費,食糧費,賃金等の数万件にのぼる公金の支出にかかるものであるが,個々の支出についての日時,支出金額,支出先,支出目的等が明らかにされていない。
(原告ら)
怠る事実の住民訴訟にあたって原告は,損害賠償請求債権の個別的発生原因事実を一つずつ明らかにする必要はない。被告が損害賠償請求債権を行使するにあたっては,どの職員にいくら請求するか,個別的発生原因事実を一つずつ特定しなければならないが,怠る事実の住民訴訟で原告にそこまで要求するかは別問題である。被告が職員に対する損害賠償請求債権を行使するにあたって確定しなければならない事実は,職員の個々の違法行為と,それによって不正に支出された公金の額である。それを調査し特定することは被告の作為義務の一部である。被告が調査をすれば確定は可能であるが,被告が情報の公開を拒否している現状では,原告がそれをすることは不可能である。怠る事実の住民訴訟は,被告に請求権行使にあたっての作為義務の履行も含んでいると解すべきである。原告に厳格な特定を要求することは,地方自治法242条の2第1項が4号(不当利得の返還)(以下,単に「4号」という場合もある。)以外に3号を設けている制度趣旨に反するだけでなく,原告にそこまで求めるとすれば,原告は住民訴訟をあきらめなければならず,逆に被告は情報を非公開とすることによって,自らの作為義務の履行を免れることになる。怠る事実の違法確認請求訴訟においては判決の執行ということを観念する必要はないのであるから,民事訴訟の給付訴訟におけるように損害賠償請求権の成立要件のすべてを認定した上で具体的金額を判決主文に示さなければならないと解すべき理由はない。主文として原告の掲げる請求の趣旨記載のとおりの判決が下された場合,被告は判決の拘束力として,返還しなくてもよいとした職員に対して損害賠償請求をなすべき義務を負うだけである(3号による場合の請求の趣旨は4号による場合ほどに特定する必要がない)。
本件の特徴は,原告らが請求を怠っていると指摘している損害賠償請求債権の内訳(誰にいくら)を被告が全部つかんでいるという点にある。被告がその調査資料を本件訴訟に提出さえすれば,被告が求める特定はたちどころに実現する。
本件の場合,不正な支出金の返還は,個々の職員が行ったのではなく,財団法人福島県職員共助会が職員にかわって一括して返還している。福島県と共助会の間で,知事(検討委員会)が不正支出と認めた金額を職員にかわって返還するとの約束がとりかわされていると考えられるので,本件に関しては誰にいくらと特定する必要はなく,もっぱらプールされた裏金の使途が返還義務を消滅させるに足るべき事由といえるかどうかをめぐって争えばすむので,請求の特定が原告らの主張する程度でも,被告の攻撃防御に支障が生ずるおそれはない。
(3) 争点3(本件監査請求と本件訴訟の同一性)について
(被告)
請求しないという決定に対する監査と請求しないこと(怠る事実)の違法確認であり,同一性がない。
(原告ら)
本件監査請求の内容と本件訴訟の内容は,実質的には同一である。
(4) 争点4(新訴の提起か否か)について
(被告)
原告らは,当初被告の返還を求めないとする決定そのものの違法確認を求め,その後,請求をしないことの違法確認に訴えを変更したが,この本件請求の趣旨の訂正は,実質的に新たな訴えと同視すべきである。
(原告ら)
本訴における請求の趣旨は,一貫して返還を求めない怠る事実の確認請求であり,請求の趣旨の訂正をしたが,それは何ら新たな訴えの提起ではない。
(5) 争点5(本件監査請求時における期間制限)について
(被告)
不正支出のときから監査の期間制限にかかり,監査請求した時点では1年以上経過している。
(原告ら)
本件公金不正支出は,秘密裡に行われたものであり,原告がそれを知らなかったことは当然であり,期間徒過について正当な理由がある。
第3争点に対する判断
1 争点1(監査請求の対象の特定の有無)について
(1) 地方自治法242条による住民監査請求は,同法75条に基づく監査請求とは異なり,地方公共団体の長その他の財務会計職員の一定の具体的な違法若しくは不当な財務会計上の行為または怠る事実(以下「当該行為等」という。)に限って監査委員にその監査等を請求する権能を認めたものと解される。したがって,住民監査請求においては,対象となる当該行為等を監査委員が行うべき監査の端緒を与える程度に特定すれば足りるというものではなく,当該行為等を他の事項から区別して特定認識できるように個別的,具体的に摘示することが必要であり,当該行為等が複数である場合には,当該行為等の性質,目的等に照らしこれらを一体と見てその違法または不当性を判断するのが相当とする場合を除いて,各行為等を他の行為等と区別して特定認識できるように個別的,具体的に摘示することを要するものである。監査請求書及びこれに添付された事実を証する書面の各記載,監査請求人が提出したその他の資料等を総合しても,監査請求の対象が上記の程度に具体的に摘示されたと認めらないときは,当該監査請求は,請求の対象の特定を欠くものとして不適法であり,監査委員はその請求について監査をする義務を負わない(最高裁判所平成2年6月5日第3小法廷・民集44巻4号719頁参照)。このことは,地方自治法242条の2第1項3号に基づく請求の場合も,他の号に基づく請求の場合も異ならない。
(2) 本件監査請求は,不正支出とされた29億6455万4000円のうち6億2122万5000円について,被告が返還を求めない決定をしたことが違法であるとして,監査委員に対し,被告をして返還を求める措置をとるように,被告に対する勧告を行うよう請求したものである。このような返還を求めないという決定をしたことの違法性,不当性は,個々の支出行為ごとにその返還を求めない(返還義務を免除する)ことが違法または不当であるか否かのを認定しなければこれを判断することができないから,監査請求においては,監査を求める対象となる支出行為を個別的,具体的に摘示しなければならないというべきである。
ところが,監査請求書には,「1994年度から96年度の3年度分の福島県に於ける不正支出のうち,被告が返還を求めないことと決定した6億2122万5000円」という限定がされてはいるものの,その6億2122万5000円が,いつのどのような支出であるかについて,3年度の間の何年度に,どの部局により支出されたものかという事項についてすら特定ができておらず,個々の支出についての日時,支出金額,用途等は明らかにされていないことからして,包括的に過ぎ,具体的な当該行為等の特定に欠けるものといわなければならない。
また,監査請求書に添付された事実を証する書面である平成9年12月2日付福島民友新聞には,「公費不正支出の事後処理の焦点だった返還問題では,不正支出の79パーセントに当たる23億4332万9000円を県に返還することを決めた。返還額の算出方法は,不正支出から執行残の現金1億2929万3000円と公務上必要な経費のために充当されていた金額のうち,領収書などで確認された1億5627万3000円,制度の不備を補てんした3億3565万9000円を除いた額。」と記載されている(甲2)。しかし,これによっても,個々の支出についての日時,支出金額,用途等は明らかにされておらず,具体的な当該行為等の特定に欠けるものといわざるを得ない。
(3) これに対し,原告らは,本件監査請求において,監査委員が判断を下す対象は実質的には「被告が返還を猶予した裏金の使途」として特定されているのであり,まさに「被告の当該行為等を一体とみて,違法・不当性を判断するのが相当な場合」に該当するから,本件監査請求の対象は特定している旨主張する。
しかしながら,本件において不正支出とされた公金の支出は,支出した部局等も13部局と1大学にわたり,その費目も旅費,食糧費,賃金,その他と異なり,期間も平成6年度から8年度までの3会計年度となっており(甲1),これらの不正支出と他の不正でない支出とを包括的に識別することはできない。また,これらの不正支出のうち返還を求めた部分と求めていないない部分の特定もなされておらず,返還を求めていない部分と返還を求めた部分を包括的に識別することはできない。そうすると,本件の場合,結局のところ返還を求めないという決定をしたことの違法性,不当性は,支出行為を類型化し,類型ごとに判断できる性質のものではなく,個々の支出行為ごとにその返還を求めないことないし返還義務を免除することが違法または不当であるか否かを認定しなければ判断することができないのであるから,支出行為を一体とみて,違法または不当性を判断することを相当とする場合には該当しない。
(4) また,原告らは,被告は調査資料を開示すべきであり,それを開示しないのであれば,できる限りで特定をした原告らに厳格な特定を要求すべきでない旨主張する。
しかしながら,前記のとおり,監査請求の対象は個別的,具体的に特定されていることを要し,かつ,それは請求人自らが監査請求書等によって特定をすることを要するものであるから,地方公共団体が開示すべき調査資料を開示しないというのであれば,請求人はその資料の開示を求める別の手続をとる等して監査請求の対象を特定すべきであり,資料の開示がないからといって,前記監査請求の対象の特定の基準が変動するものではない。また,請求人は手持ちの資料等でできる限りの特定をすれば足りるというものでもない。
(5) 以上のとおりであるから,本件監査請求は,請求の対象の特定を欠くものとして不適法であり,本件訴えは適法な監査請求を経ていないものとして不適法といわざるを得ない。
2 よって,原告らの本件訴えを却下することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条,65条1項本文を各適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 吉田徹 裁判官 本間健裕 裁判官 中原淳一)
(別紙省略)