福島地方裁判所 平成13年(ワ)102号 判決 2002年6月26日
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1請求
1 被告は,原告Aに対し,金2000万円及びこれに対する平成13年4月28日から完済まで年6分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告B,原告C,原告Dそれぞれに対し,各金666万6666円及びこれに対する平成13年4月28日から完済まで年6分の割合による金員をそれぞれ支払え。
第2事案の概要
原告らは,交通事故でなくなったEの法定相続人であるが,Eが被告との間で締結していた保険契約の受取人として,保険契約に基づき,死亡保険金及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成13年4月28日から完済まで年6分の割合による遅延損害金の支払を求めている。
1 前提事実(争いがないか掲記の証拠により容易に認められる事実)
(1) Eは,平成12年1月1日,被告との間で,下記の保険契約(以下「本件保険契約」という)を締結した。
(保険の種類) 年金払交通傷害保険
(保険期間) 平成12年1月1日から平成13年1月1日まで
(死亡保険金額) 金4000万円(一時払)
(保険料) 金2480円(月額)
(証券番号) 6612-56848
(保険契約者及び被保険者) E
(死亡保険金受取人) 被保険者の法定相続人
本件保険契約の保険約款第1条1項2号,同7条1項には,被告は,運行中の交通乗用具に搭乗している被保険者等が,急激かつ偶然な外来の事故によって被った傷害の直接の結果として,死亡した場合に死亡保険金を支払うと規定されている。
(2) Eは,平成12年11月21日午前2時25分ころ,福島県伊達郡a町b字c先県道において,軽四輪乗用自動車をd方面からa町方面に向けて運転中,道路右側e線高架橋下のコンクリート擁壁に衝突する自損事故(以下「本件事故」という)を起こし,これにより傷害を負って,同日午前3時1分ころ,a町所在の甲病院において,心臓破裂によるショックによって死亡した。
(3) 原告らとEの関係
原告Aは,Eの妻であり,原告B,原告C及び原告DはいずれもEの子である。原告らは,いずれもEの法定相続人であり,原告Aは2分の1,同B,同C,同Dは同じく各6分の1の法定相続分を有する。
(4) 原告らは,被告に対し,本件保険契約に基づき,死亡保険金4000万円を請求したが,被告は,Eが偶然な事故によって死亡したとは認められないとの理由により死亡保険金の支払を拒否した(甲8及び弁論の全趣旨)。
2 主たる争点
本件事故が偶然な事故であるか否かが争われている。本件事故が偶然な事故であると認められれば,保険約款に基づき,被告から原告らにEの死亡保険金が支払われることになる。しかし,偶然な事故であるか否かは原告側で立証しなければならず(最高裁判所平成13年4月20日第二小法廷判決 裁判所時報1290号2頁),偶然な事故でないとの疑問が払拭できないときは,被告は保険金の支払義務を負わないこととなる。争点に対する当事者の主張は次のとおりである。
(原告らの主張)
本件事故は,以下の事情等からして,Eの不注意(居眠り,脇見及び考えごと等)による偶然な事故であり,同人の故意又は自殺行為によるものではない。
(1) 本件事故現場の状況
本件事故は,深夜に発生しており,また本件事故現場は,下り坂の危険な道路で,照明施設はなく,しかも本件事故当時,本件事故現場における路面が雨で湿っていたことからすれば,Eの不注意により,本件事故は容易に発生しうる。
(2) 本件事故前のEの行動
Eが,①本件事故直前にタバコを4箱購入していること,②本件事故の3日前である平成12年11月18日,甲病院で,腰椎症,両側変形性膝関節症の治療のための貼り薬を1週間分受け取っていること,③同日,腕時計を分割払いで購入していること,④本件事故の10日前である平成12年11月11日,自ら使用するために歯ブラシ10本を購入していること,⑤同人設立にかかる乙会の定例会を平成12年11月25日午後6時から開く予定でいたこと,⑥本件事故当時,E宅は競売に付されていたが,これを子供の名義で競落すべくその資金として金1700万円を準備していたこと等からすれば,これらの行動は自殺者の事前の行動として不自然である。
(被告の主張)
本件事故は,以下の事情等からして,Eの故意又は自殺行為による事故であり,同人の不注意による偶然な事故ではない。
(1) 本件事故の発生原因が運転操作のミスによるものではないこと
ア 居眠り運転の可能性がないこと
Eは,本件事故約25分前に,コンビニエンスストアで買い物をしている。そのコンビニエンスストアから本件事故現場までの距離は,約690メートルで,自動車での所要時間は約1,2分である。また,その間の道路状況はカーブが連続している。これらからすると,Eが,疲労ないし単調な刺激によって居眠り運転をする可能性は考えられない。
イ 脇見運転の可能性がないこと
本件事故当時は深夜で,周囲は暗く,また本件事故現場前の道路は,道路両側にコンクリート擁壁が設置されている。本件事故車両は,衝突地点手前の縁石に左前部の車輪を乗り上げ,そのまま右側に傾斜した状態で,正面からコンクリート擁壁の先端部分に衝突している。仮に脇見運転によりセンターラインを越えたとしても,本件コンクリート擁壁に衝突するまでの間には十分にブレーキを踏む時間的余裕はあったことになるが,本件事故車両は衝突直前において何ら危険回避措置をとった形跡がないこと等の事情からして,脇見運転が本件事故原因であることも考えられない。
ウ 人ないし車両との衝突回避の可能性のないこと
① 本件事故は深夜2時半ころに発生したものであり,また道路両側が壁となっていること等の道路状況からして,人や動物が飛び出すことは考えられないこと,②本件事故車両には他車との接触の痕跡は一切ないこと,何ら危険回避措置をとった形跡がないこと等の事情からして,人ないし車両との衝突回避の可能性も考えられない。
エ 速度超過によるミスの可能性のないこと
① 本件事故現場の道路は,緩いカーブで,走行実験によれば,時速70キロメートルの高速で運転しても,ブレーキをかけることなく,高架下を通過することができ,高架をくぐる前に速度超過により事故が起きる可能性はない。②仮に速度超過であっても,危険が目前に迫っていることを認識している以上,何らかの危険回避措置をとるはずであるが,前記のように縁石の手前のアスファルト部分や衝突地点直前の本件県道上には,危険回避措置の痕跡はなかった。③本件事故現場は,E宅からわずか約2キロメートルの距離であり,Eは本件事故現場の道路状況を熟知していたと考えられる。以上の事情に照らせば,本件事故原因が,速度違反による操作ミスの可能性も考えられない。
オ スリップによる路外逸脱の可能性のないこと
① 本件事故現場直前の道路は,緩いカーブであり,仮にスリップを起こせば左後輪が右に振れた状態で,コンクリート擁壁には,車両の右前部が衝突するはずであるが,本件事故車両は正面からコンクリート擁壁の先端部分に衝突している。②危険回避措置の痕跡がないこと等の事情からして本件事故原因が,スリップによる路外逸脱の可能性も考えられない。
カ 飲酒による酩酊運転の可能性のないこと
Eの血液からはアルコールは検出されなかったことから,本件事故原因が飲酒による酩酊運転である可能性もない。
キ Eの意思の介在
本件衝突地点に到達するためには,衝突地点40メートル手前でハンドルを右に少なくとも6から7度切りセンターラインオーバーをして衝突地点に向かわなければならず,これはEの意思が介在しなくては起こりえない。
以上からして,Eは,衝突地点直前でハンドルを意識的に右に切り,センターラインオーバーをし,何らブレーキを掛けたりスリップをしたりすることなく,少なくとも時速約50キロメートル以上のスピードで正面からコンクリート擁壁の先端部分に衝突したものであり,本件コンクリート擁壁に少なくとも50キロメートル以上のスピードで正面から衝突すれば,死の危険は容易に予測しうることであり,本件事故はEの故意に基づく衝突であって,偶然なものではない。
(2) Eの経済状況
本件事故当時におけるE及びその家族の経済状況は悪化しており,その経済状況及び彼らの所有していた不動産の競売実施状況等からして,本件事故は「この時しかない」という絶妙ともいうべき時期に発生しているのであって,到底偶然な事故とは認められない。
(3) Eの保険契約状況
E及びその家族である,F,G,原告Aらは,Eを被保険者として,計10社の異なる保険会社ないし共済組合との間で,自動車保険を含めて計14件もの保険契約ないし共済契約を締結し,その死亡保険金額ないし死亡共済金額は総額3億8240万円,月額保険料及び共済掛金の合計額は約9万1000円にものぼっていた。しかも,保険契約の種類は自動車保険を除いて全て同種の傷害保険であり,さらにその大半は「交通事故」傷害保険である。まさに本件事故は各保険ないし共済の全てがそのまま適用されることになり,本件事故が偶然に発生したとするにはあまりにも出来すぎている。
(4) Eの保険金取得歴
E,原告A及びHは,平成7年から平成12年5月まで,計11回にわたって,合計金額938万円に及ぶ保険金ないし共済金の支払を受けており,その事故内容及び入通院期間の長さからして,そのほとんどが保険金取得を目的とした詐病の疑いが強く,本件事故も保険金取得を目的とした自殺行為である可能性が高い。
第3争点に対する判断
1 前記前提事実,証拠(甲5の1・2,6,9の1・2,10の1・2,11,12の1・2,13の1ないし6,16,17の1・2,18の1ないし3,19ないし21,24,25,乙2,3,4の1・2,5,9の1ないし4,10の1ないし4,15の7,16ないし19,26の2,28,33,原告Aの一部,証人I,調査嘱託の結果,検証の結果),各項掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(1) 本件事故は,福島県伊達郡a町大字b字c先の県道とe線高架橋とが交差する地点で発生した。本件事故の現場付近は,見通しのよい非市街地にあり,信号機,横断歩道及び照明施設は存在しない。本件事故現場付近の道路は,片側1車線のアスファルト舗装道路で幅員は片側約4メートルであり,d方面からa町方面にかけて,2パーセント程度の下り坂で,左にゆるやかにカーブしている。本件道路の両側にはコンクリート擁壁が続いている(但し,道路右側は車道とコンクリート擁壁の間に歩道が設置されている。)。なお,d方面から本件衝突地点に至るまでは,小刻みなカーブが連続している。
本件事故は,深夜午前2時25分ころ発生したが,事故現場付近には照明施設がないため,暗い。事故当時,路面は雨でやや湿っていた状態であった。本件衝突地点には,本件コンクリート擁壁の突起部分が存在する。
本件事故直後,d方面から本件事故現場に向かう本件道路上にスリップ痕,タイヤ痕及び落下物等は認められず,道路両側コンクリート擁壁に擦過痕等も認められなかったが,本件事故現場手前の道路端縁石上にタイヤ痕が認められ,本件事故車両が停止していた地点において本件事故車両の部品が落下していた。
本件事故の現場付近の夜間の交通量は,通行人は少なく,車両は5分に1台程度で通過するだけである。
(2) 本件事故車両は,本件道路とf方面に向かう町道とが交差した路外において,車両前部が凸状に押し込まれた状態で大破し,北方を向いて停止していた。本件事故車両の内部においては,ハンドルは変形し,運転席のエアーバッグは展開し,速度計は時速約50キロメートルを指して停止していた。運転席のシートベルトは,収納スペースに収まったままで,衝撃を受けたことによるシートベルトの繊維の伸びは認められなかった。本件事故車両には,アンチロックブレーキシステムは装着されておらず,急ブレーキ等の事故回避措置が取られたときに,スリップ痕やタイヤ痕が道路に残される可能性はあったが,スリップ痕やタイヤ痕は残されていなかった。
(3) Eは,本件事故の約25分前に,コンビニエンスストアで買い物(タバコ4箱,あんパン及び牛乳)をした。そのコンビニエンスストアから本件事故現場までの距離は,約690メートルで,自動車での所要時間は約1分である。
(4) Eは,本件事故の3日前である平成12年11月18日,甲病院で,腰椎症,両側変形性膝関節症の治療のための貼り薬を1週間分受け取り,同日,腕時計を分割払いで購入し,本件事故の10日前である平成12年11月11日には,自ら使用するために歯ブラシ10本を購入した。さらに,同人が設立した乙会の定例会を平成12年11月25日午後6時からEの自宅で開催する予定になっていた。
(5) Eは,本件事故時に飲酒していなかった(乙4の1・2)。
(6) 本件事故前,E及び原告らは,少なくとも10億円程度の負債を抱え,本件事故当時,彼らの,自宅土地建物を含む所有物件の多くは競売に掛けられており,その一部は既に他人に競落されていた。
Eは,競売に付された家作等を競落するための資金1700万円を親戚等から借り集めて準備していた。原告Aは,上記1700万円にEの死亡保険金を加えて,自宅を競落した。
(7) E,F,G,原告Aは,Eを被保険者ないし被共済者として,計10社の異なる保険会社ないし共済組合との間で,自動車保険を含めて計16件の保険契約ないし共済契約を締結し,その死亡保険金額ないし死亡共済金額は総額3億8240万円に,月額保険料及び共済掛金は合計額9万1870円にのぼっていた。
E,原告A及びHは,平成7年から平成12年5月まで,計11回にわたって,合計金額938万円に及ぶ保険金ないし共済金の支払を受けていた。
(8) 平成8年3月から同11年12月まで,交通事故及びケンカ等を原因とする外傷によって計6回,胃潰瘍によって1回,それぞれ入院していた,また,Eは,昭和48年から死亡直前まで,躁鬱病及びアルコール依存症による治療を受けていた。
2 以上の認定事実が認められる。これによれば,本件事故が偶然な事故といいうるかには疑問の余地がある。そもそも,本件事故は,Eが,シートベルトを着用しないまま,遅くとも時速50キロメートル程度の高速で軽乗用車をd方面からa町方面へ向けて走行させ,何ら危険回避措置を取らずに,本件コンクリート擁壁に正面衝突したというものである。衝突する直前に,ブレーキをかける等の衝突を防止するための回避措置をとった形跡はない。本件事故当時,路面が雨で湿った状態にあるものの,タイヤ痕やスリップ痕が残らない程までに湿っていたとまで認めるに足りる証拠はないし,歩道と車道を隔てている縁石にはタイヤ痕が残っていること,擁壁に正面衝突していることも併せ考慮すれば,衝突防止の措置を講じなかったことが強く窺われる。時速70キロ程度の高速で現場付近を走行することが可能であることからすれば,本件事故は,一見すると,自損事故による自殺であると思われなくもない。
事故直前にEが買い物をしたコンビニエンスストアから本件事故現場までの車両による所要時間は1分程度であり,通常,自動車の運転を開始してから,このような短時間で,居眠り運転に陥るとは考えられないし,Eの体内からはアルコールは検知されておらず,飲酒による酩酊によるものとも想定できない。また,本件事故現場付近は,照明施設がないため夜間は暗く,人通りは少なく,車両の通行量も普通程度であって,人目を引くような施設もないから,本件事故の原因が脇見運転であるとするには疑問がある。Eが自己及び家族の経済状況に悩みを抱えており,さらに精神的に悩みやすい状況にあったことは窺えるものの,そのことから,Eが考えごとをしていて,本件事故を惹起したとまでは推認するに足りない。人ないし車両との衝突回避,速度超過,スリップ等による路外逸脱が本件事故の原因であることを具体的に推認させるような事情も見出せず,結局,本件事故が偶然な事故であることを認めるに足りる証拠はない。
Eは,事故直前にたばこや歯ブラシの買い置きをするなど,自らの死亡を予定していない言動を行っているが,人が自殺に思い至る経緯は様々であり,自殺者の自殺に至る前の行動の中に,自殺を前提としていない行動があることは希ではない。仮に家族思いでない人であっても,翻意し,自殺をすることで保険金を得て家族の経済状況を打開しようとすることもあり得ることであろうし,本件事故が周到に用意された自殺行為ではなくとも,突発的な衝動による自殺の可能性も否定できない(仮に,保険金取得目的の計画的な自殺行為であれば,あらかじめ自らの死亡とは相容れない行動をしておいて,自殺を図るということも想定しうる)。証人Iの,Eは自殺をして家族に保険金を残すような性格の人物ではない旨の証言は,長年にわたり精神的な治療をEに施してきた精神科医の証言として興味深いものであるが,そのことから本件事故が自殺以外の原因によるものであるとまで認定することはできない。
本件事故の客観的態様に加え,E一家の当時の経済状況や家計の苦しい中多数の保険契約に加入し,被告との契約に際し,多数の保険に加入していることを告知しなかったこと(原告A)も併せ考慮すれば,依然として,本件事故がEの自殺によるものであるとの疑問が払拭できておらず,本件事故がEの不注意による偶然な事故であることを認めるに足りる証拠はない。
第4結論
よって,本訴請求は理由がないからこれを棄却し,訴訟費用の負担につき,民事訴訟法61条,65条1項本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 本間健裕)