福島地方裁判所 平成15年(ワ)249号 判決 2005年6月14日
原告
A野太郎
同訴訟代理人弁護士
山下幸夫
被告
福島県
同代表者知事
佐藤栄佐久
同訴訟代理人弁護士
佐藤喜一
同指定代理人
菅野将男
他3名
被告
国
同代表者法務大臣
南野知惠子
同指定代理人
林享男
他6名
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告らは原告に対し、連帯して一〇〇〇万円及びこれに対する平成一二年九月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、原告が、虚偽の被害申告が端緒となった原告に対する強制わいせつ被疑事件について、福島県会津若松警察署(以下「会津若松署」という。)警部による逮捕状請求、福島地方検察庁会津若松支部検察官による勾留請求及び勾留延長請求、並びに、会津若松簡易裁判所裁判官による逮捕状の発付、勾留決定及び勾留延長決定がそれぞれ故意又は過失による違憲・違法な公権力行使であり、これにより精神的苦痛を被ったとして、会津若松署を設置する被告福島県並びに検察官及び裁判官が所属する被告国に対し、国家賠償法一条一項に基づき、慰謝料九五〇万円及び弁護士費用五〇万円の賠償を求めた事案である。
(なお、年の記載を省略した月日のみの記載は「平成一二年」を表す。)
一 前提事実等(争いがないか掲記の証拠により容易に認められる事実)
(1) 原告は、平成一二年八月当時、建築資材の販売等を目的とする有限会社C川の代表取締役の地位にあった者である。
(2) 被告福島県は、会津若松署を設置する普通地方公共団体であり、同署に所属する司法警察員の、故意又は過失による違法な公権力の行使につき、国家賠償法一条一項に基づき損害を賠償する責任を負う地位にある。
(3) 被告国は、福島地方検察庁会津若松支部に所属する検察官及び会津若松簡易裁判所に所属する裁判官の、故意又は過失による違法な公権力の行使につき、国家賠償法一条一項に基づき損害を賠償する責任を負う地位にある。
(4) 原告は、平成一二年八月二六日午前、仕事上の打合せのためB山松夫方(以下「B山」という。)を訪れたところ、同人は不在であったが、同人の妻B山花子の案内によりB山方でB山松夫を待つことにし、初対面であったB山花子としばらく会話をするなどした後、B山方を退去した。
(5) B山花子は、同月二七日、被害事実がないにもかかわらず、同月二六日午前一〇時四〇分から一一時ころまでの間に原告から強制わいせつ被害を受けたとして、会津若松警察署長に対し、被害届を提出した。
会津若松署司法警察員警部加藤勇一は、九月一日、原告に対する強制わいせつ被疑事件(以下「本件被疑事件」という。)につき、会津若松簡易裁判所裁判官に対し、逮捕状請求(以下「本件逮捕状請求」という。)をし、裁判官端山憲一は、同日、逮捕状を発付した(以下「本件逮捕状発付」という。)。会津若松署司法警察員警部補星宗治らは、同月四日午前七時一五分ころ、原告に任意同行を求め、同日午前一一時三四分、上記逮捕状に基づき同署内で原告を通常逮捕(以下「本件逮捕」という。)した。
同月五日、加藤警部は、本件被疑事件を福島地方検察庁会津若松支部検察官に送致した。
(6) 同支部検察官事務取扱副検事阿部憲昭は、同日、会津若松簡易裁判所裁判官に対し、原告の勾留を請求し(以下「本件勾留請求」という。)、裁判官中村恭は、同日、刑訴法六〇条一項二号、三号に定める事由があるなどとして、勾留決定(以下「本件勾留決定」という。)をし、原告は会津若松署留置場に勾留された。
(7) 阿部副検事は、同月一四日、会津若松簡易裁判所裁判官に対し、原告の勾留延長を請求し(以下「本件勾留延長請求」という。)、端山裁判官は、同日、被疑者、関係人の取調未了、被害者及びその夫の供述の裏付け捜査未了等を理由として、同月二二日までの勾留延長決定(以下「本件勾留延長決定」という。)を行った。
福島地方検察庁会津若松支部検察官は、同月二二日、事件について嫌疑不十分であるとして本件被疑事件を不起訴処分とし、原告は釈放された。
(8) 原告は、B山花子に対し、一〇月一六日、B山花子が虚偽の被害申告をしたことについて不法行為に基づく損害賠償請求の民事訴訟を提起し、これについて、平成一四年五月一一日、一部認容判決が確定した。
二 主たる争点
本件の主たる争点は、①逮捕状請求(争点一)、②勾留請求及び勾留延長請求(争点二)、③逮捕状発付、勾留決定及び勾留延長決定(争点三)が、国家賠償法一条一項にいう故意又は過失による違法な公権力の行使にあたるか否かである。
(1) 争点一(本件逮捕状請求の違法性)について
(原告の主張)
本件逮捕状請求は、B山花子の供述を裏付ける客観的な状況が全く存在せず、かつ、その供述は重要な部分において変遷しているにもかかわらず、同人の供述のみに依存してなされたものであり、逮捕の理由及び必要性がないのに逮捕状の請求を行った違憲・違法なものである。
ア B山花子の供述はもとより虚偽供述であったところ、被害申告から本件逮捕状請求までの間の供述内容を見ても、①被害当時のテーブルやB山方内の電話機の配置、着席場所、被害場所といった被害状況に関する本質的な部分について供述を変遷していること、②犯人来訪時に来訪者が誰と認識したかについて、事前に夫が話していたA野さんという人であったと認識したとの供述が、B山花子からD原さんですかなどと声をかけるなどした結果、D原という男性が来たと認識したとの供述に変遷していることが認められる。さらに、③原告から頬を叩かれたり、首を絞められたり、電話機を投げつけられたなどの供述をしているにもかかわらず、B山花子の頬や頸部に暴行の痕跡はなく、実況見分時にも電話機の損傷が見られないなど、被害申告を裏付ける客観的証拠は全く存在しなかった。したがって、会津若松署司法警察員は、B山花子の供述の矛盾をつき又はそれに疑念を抱くべきであったにもかかわらず、この点の捜査を何ら行わずに、B山花子の供述のみに依拠して本件逮捕状請求を行っている。本件逮捕状請求時には、原告に対する客観的な合理的根拠を持った嫌疑があったとは到底いえない。
イ 逮捕状請求書には、原告がB山方から逃走した事実がないにもかかわらず、「被疑者は、逃走しており」と記載しており、裁判官の逮捕状発付のためにあえて虚偽事実を記載した可能性がある上、本件被疑事件は必ずしも重大事案とはいえないこと、他に目撃者がいないこと、原告が有限会社の代表者を務めていることなどからすれば、原告に対する任意の取調べを行い、B山花子の供述内容が信用できるかを慎重に判断すべきであったにもかかわらず、逮捕の必要性がないままに逮捕状の請求を行っている。
(被告福島県の主張)
会津若松署司法警察員警部は、B山花子の被害届一通、告訴状一通及び警察官調書二通、B山松夫の警察官調書一通、B山花子立会による実況見分調書一通、捜査報告書一通、身上調査照会回答書一通を疎明資料として会津若松簡易裁判所裁判官に提出し、また、請求時である九月一日までに、B山花子が供述する犯人運転の乗用車について原告使用車両の裏付け捜査、B山松夫から被害事実を聞かされたという第三者の裏付け捜査をした。
そして、下記のとおり、本件逮捕状請求時に逮捕の理由及び逮捕の必要があると判断して、これを行ったので、違法はない。
ア B山花子からの事情聴取を二回実施したが、同人の供述内容に大きな変遷はなく、被害状況について一貫性があり、信用できること、B山花子及びB山松夫と原告はほとんど付き合いがなく、初対面の相手方を強制わいせつの虚偽申告により陥れることは通常考えられず、B山花子夫婦に虚偽申告をする動機がないこと、B山松夫からの事情聴取により原告がB山方を訪問した事実があり、B山花子が被害を打ち明けた状況などに不審点はないことなどから、逮捕の理由があるものと判断した。
イ 強制わいせつ罪など性犯罪は重要犯罪と位置づけ、通常、強制捜査で臨んでいること、B山花子の供述から、原告は犯行時、「旦那や警察に言ったら旦那の仕事をだめにして北会津にいられなくしてやる」などとB山花子を脅迫する言動をしたと認められたこと、B山松夫が原告に電話して事実を確認した結果、原告は、B山花子と会った事実は認めているが、強制わいせつについては否認した事実が認められることから、逃走及び罪証隠滅のおそれがあると判断した。
(2) 争点二(検察官による本件勾留請求及び本件勾留延長請求の違法性)について
(原告の主張)
原告に罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由が存在せず、かつ、勾留の必要性がないにもかかわらず、福島地方検察庁会津若松支部検察官は本件勾留請求及び本件勾留延長請求を行っており、これらはいずれも違憲・違法である。
ア 本件勾留請求の違法
争点一における原告主張の事実に加え、原告は検察官に対し、被疑事実は無実無根である旨供述しているから、勾留の理由及び勾留の必要性は認められない。
イ 本件勾留延長請求の違法
勾留の理由及び必要性が認められないのであるから、それを前提とする勾留延長請求も同様にその理由及び必要性は認められない。
被告国は、勾留延長は不可欠なものであったと主張するが、原告及びB山花子の供述は出尽くしている上、供述内容の客観的裏付け捜査も実施済みであったのであるから、勾留期間内にその捜査を終えるべきであったのであり、さらに勾留延長が必要であるとはいえない。
(被告国の主張)
検察官の勾留請求又は勾留延長請求について、国家賠償法一条一項の規定にいう違法があるといえるのは、各請求時において、捜査により収集した証拠資料を総合勘案して罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由、勾留の必要性等を判断する上で、これらがあると判断すべき合理的な根拠が客観的に欠如していることが明らかであるにもかかわらず、あえて勾留請求又は勾留延長請求をしたと認め得るような事情がある場合に限られると解するのが相当であるところ、本件においてかような事情は存しないから本件勾留及び本件勾留延長請求は適法になされたものである。
ア 本件勾留請求
性犯罪においては、被害者の供述だけが唯一の直接証拠となることが通常であるところ、本件被疑事件においては、本件勾留請求をする前の段階で、司法警察員が数回にわたりB山花子の取調べを行い、同人は、一貫して本件被疑事件の存在を供述し続け、被害状況の再現実況見分においても同様の被害状況を供述した上、その供述内容も相当程度詳細なものであった。また、B山花子の供述どおり、原告がB山方を訪れた事実が存在した上、初対面の原告を虚偽告訴する理由が見当たらなかったことからすれば、その供述が虚偽であると直ちに判断できるような状況にはなかったのであるから、勾留請求に必要な嫌疑は十分に存在していたものである。
また、性犯罪という事案の性質や原告が一貫して否認していた状況等を考慮すれば、逃亡及び罪証隠滅の危険性は高かったと認められるから、勾留の必要性も十分に存在していた。
したがって、罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由、勾留の必要性を判断する上において、これらがあると判断すべき合理的根拠が客観的に欠如していることが明らかであるにもかかわらず、あえて勾留請求をしたと認め得るような事情は存しないから、本件勾留請求は適法である。
イ 本件勾留延長請求
勾留延長の要件である「やむを得ない事由があると認めるとき」とは、事件の複雑困難あるいは証拠収集の遅延若しくは困難等により勾留期間を延長して更に捜査をするのでなければ起訴若しくは不起訴の決定をすることが困難な場合をいう。本件被疑事件は、事案の性質上、被疑者の供述がほぼ唯一の直接証拠であるところ、勾留後も原告が一貫して犯行を否認し続けていたのに対し、B山花子は司法警察員及び検察官に対して一貫して被害状況を供述し、その供述は真っ向から対立していた。一般的に性犯罪の被害者は、犯人に対する恐怖心等から被害時の状況について供述に曖昧な点があることが少なくなく、他方で性犯罪の被疑者は、真実は罪を犯していながら頑強に否認することが少なくないから、この種事案においては、供述の信用性を吟味し、事案の真相を解明することは容易ではない。本件においても、勾留延長請求を行った上で、原告及びB山花子を詳細に取り調べるとともに裏付け捜査を実施するなどのさらなる捜査を遂げて事実関係を解明しなければ、起訴不起訴の処分を決することはできなかったものであり、勾留延長も不可欠なものであった。
したがって、検察官は、原告に、相当な嫌疑がある、罪証隠滅のおそれが十分認められると判断して勾留延長請求したものであり、これらがあると判断すべき合理的根拠が客観的に欠如していることが明らかであるにもかかわらず、あえて勾留請求したと認め得るような事情は存しないから、本件勾留延長請求は適法である。
(3) 争点三(裁判官による本件逮捕状の発付、勾留決定及び勾留延長決定の違法性)について
(原告の主張)
原告に罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由が存在せず、かつ、勾留の必要性がないにもかかわらず、会津若松簡易裁判所裁判官は本件逮捕状発付、本件勾留決定、本件勾留延長決定をそれぞれ行っており、これらはいずれも違憲・違法である。
被告国は、最高裁判所昭和五七年三月一二日第二小法廷判決(民集三六巻三号三二九頁。以下「最高裁昭和五七年判決」という。)を引用して、特別の事情がないなどと主張するが、この判決は、争訟の裁判には妥当するがそれ以外の裁判、少なくとも、逮捕状発付の裁判には妥当しないし、仮にこの考え方を前提にしても、身体の自由という重大な権利侵害をもたらす本件逮捕についての裁判は、裁判官による良識のある判断とは到底認めることのできない不合理なもので、しかも判断が誤っていることは明白で、その誤りを是正することは容易であった場合に該当するのであるから、本件逮捕状発付、本件勾留決定及び本件勾留延長決定について、いずれも、付与された権限の趣旨に明らかに背いて行使したものとして、責任を認めるべき特別の事情も存在する。
(被告国の主張)
最高裁昭和五七年判決は、「裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟上の救済方法によって救済されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不法な目的を持って裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である」と判示し、また、争訟の裁判ではない裁判長のした法廷警察権の行使の違法に関しても、最高裁判所平成元年三月八日大法廷判決(民集四三巻二号八九頁)は、「裁判長の措置は、それが法廷警察権の目的、範囲を逸脱し、又はその方法が甚だしく不当であるなどの特段の事情がない限り、国家賠償法一条一項の規定にいう違法な公権力の行使ということはできないものと解するのが相当である。」と判示しているところ、これらは職務行為一般に妥当するものであって、国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任が肯定されるためには、裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、およそ裁判官としての誠実な権限行使とは評価しがたい程度に合理性を欠く場合でなければならない。原告は、裁判官の本件逮捕状発付、本件勾留決定及び本件勾留廷長決定につきこのような特別の事情の存在について何ら主張立証していないから、本件訴えは失当である。
第三 争点に対する判断
一 本件逮捕状請求の違法性(争点一)
(1) 逮捕は、その時点において犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつ、必要性が認められる限りは適法であり(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁参照)、したがって、それに先立つ逮捕状請求にあたっては、少なくとも、逮捕状請求時における各種の捜査資料を総合勘案して合理的な判断過程によって、罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由及び逮捕の必要性があると認められるときは、適法である。
(2) 《証拠省略》によれば、逮捕状請求時までの捜査状況について、以下の事実が認められる。
ア B山花子は、八月二七日、会津若松署警察官に対し、同月二六日午前一〇時四〇分ころから午前一一時ころまでの間、夫の仕事の関係でB山方を訪れたC川という会社のA野という男から、強制わいせつの被害を受けた旨被害申告し、被害届及び供述調書が作成された。この際対応にあたった警察官は、B山花子の頸部及び顔面を確認したが傷跡などの顕著な痕跡を認めなかった。
イ B山花子は、同月二七日、警察官に対し、自分を襲った男とは初対面であること、夫であるB山松夫とは七月一二日に結婚したばかりであること、夫が八月二六日午前七時三〇分ころ仕事のため外出する際に、午前一一時ころに男性が来るので待たせておくようにと指示されたこと、同日午前九時三〇分ころB山方を来訪した身長一七〇センチメートル、やせ型、顔が面長で色白の男が「B山さんいますか。」と声をかけてきて応対したこと、被害の後、夫に聞いた結果、その男がC川という会社のA野という人(すなわち原告)であることが判明したこと、同日午前一〇時四〇分ころから一一時ころまでの間、原告から馬乗りの状態にされて首を手で絞められるなどして反抗を抑圧されてわいせつ行為をされたこと、被害に遭っていた際、原告に対し、夫との待ち合わせ時間である午前一一時に近い時間になったことを指摘するとわいせつ行為が止まったこと、わいせつ行為が終わった後、B山花子が夫に電話をかけようとしたところ、原告に電話を取り上げられ、それを投げつけられたこと、原告が出ていく際、夫や警察に言えば夫の仕事に影響を与えるなどと、原告から口止めされたこと、口止めされたので直ちに夫に相談することは躊躇したが、同日夜に相談して被害申告をすることにしたことなどを供述した。また、被害状況について、トイレに通ずる廊下に接する茶の間を上記廊下の上方に書き入れた上、茶の間内の配置状況について、廊下と平行方向に長いテーブルが設置され、図面中のテーブル右側に犯人が座り、同テーブル上側で被害に遭い、茶の間の右上方の角に設置されている電話機で電話をかけようとした際、これを取り上げられて投げつけられた旨を示す図面を作成した。
同月二九日、B山方でB山花子立ち会いの下、実況見分が行われ、また同人の供述調書が作成された。
実況見分の際、B山花子は、警察官に対し、被害時の服装(花柄の半袖シャツにエンジの半ズボン)、犯人が居宅南側の出入口の村道に車を止めた状況、犯人に対し、居宅縁側において、B山花子から「宮下のD原さんですか。」などと声をかけて、茶の間に招き入れた後の応対状況、トイレに通じ東西方向に広がる縁側の北側に位置する上記茶の間に南北方向に長い長方形のテーブルが設置され、その南側に犯人が座り、テーブル西側で犯人に引っ張られ倒れて馬乗りになられた後、テーブル南側で陰部を触られたこと、上記茶の間南東側にある電話機で被害後夫に電話をかけようとした際、犯人から電話を取り上げられたことなどの被害状況等を指示説明した。
また、同日付けB山花子の警察官調書によれば、同人は、警察官に対し、八月二四日ころB山松夫から、D原という人が仕事のことで来訪すると言われたことがあったので、来訪者は「D原さん」であると勘違いしていたこと、白っぽいワゴン車で来訪した男性に、「宮下のD原さんですか。」などと声をかけたところ、男性が「D原です。」と名乗ったこと、八月二七日付け警察官調書では、犯人から右頬を平手で叩かれるなどした場所とわいせつ行為をされた場所が同じ場所であると供述したが、勘違いであり、少し場所の移動があったことを思い出したこと、被害場所の移動以外は上記同月二七日付け警察官調書と概ね同内容の被害状況、被害をB山松夫に話したときに来訪者が原告であったことが判明した状況、同月二七日にB山松夫とともに原告の実家に行き原告の住居電話番号を知り、B山松夫から、同月二八日に原告に電話をして事実を確認したがわいせつ行為を否定された旨聞かされたことなどを供述した。
ウ また、B山松夫は、八月二九日、警察官に対し、次のとおり供述した。
(ア) 同月二六日は、午前七時三〇分ころ、妻に対し、午前一一時ころA野という人が家に来るので待たせておくよう伝えてから外出し、同日午前一一時四〇分ころ帰宅した。
(イ) 帰宅すると、いつもは話しかけてくる妻が何も話をしてこなかったので様子が変だと感じた。妻に対し、原告の来訪の有無を問うと、「九時三〇分ころ来て一一時ころまで待っていた。」、「あとで電話すると言っていた。」との答えであった。
(ウ) その後、同日午後一〇時になってはじめて、妻から涙ながらに被害事実を訴えられた。
(エ) 同月二七日、原告の実家に行って原告の住所及び電話番号を聞き、同月二八日朝、原告に電話をしたところ、原告は来訪事実は認めたもののわいせつ行為については否定し、本件について原告を訴えるなら、逆に名誉毀損で訴えるなどと言って話にならなかった。
エ 前記星警部補は、八月三〇日、原告の所在確認をした上、原告の身上調査照会回答書の送付、B山松夫の告訴状提出を受け、それまでの捜査経過を記載した会津若松署長司法警察員警視大和田忠良宛ての捜査報告書を作成した。本件の捜査主任官である前記加藤警部は、大和田署長らに対し、逮捕状請求の指揮伺いを行い、強制捜査を行ってよいとの決裁を受けた。
B山花子は、同月三一日、警察官に対し、同月二七日にD原某をB山松夫から紹介されたが、犯人とは全く別人であったことなどを供述した。
オ 加藤警部は、九月一日、B山花子の被害届一通、告訴状一通及び警察官調書二通、B山松夫の警察官調書一通、B山花子立会での実況見分調書一通、捜査報告書一通、身上調査照会回答書一通を添付して、原告に対する強制わいせつ被疑事件について、本件逮捕状請求を行った。
(3) 以上認定の事実によれば、本件逮捕状請求時、各種の捜査資料を総合勘案して合理的な判断過程により、罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると認められ、かつ、逮捕の必要性も認められるというべきであり、本件逮捕状請求が違法なものとはいえない。
ア 本件被疑事件については、もとより被害状況について目撃証言を得ることは著しく困難であり、B山花子の供述が唯一の直接証拠であったところ、本件逮捕状請求の決裁がなされた当時の捜査資料によれば、原告とB山花子とは初対面であり、原告とB山松夫も八月二六日以前に仕事の関係で一回会ったことがあるのみで、両者の間に利害関係は認められなかった上、B山夫妻のそれまでの言動から、本件を口実に原告から金銭等を取得しようとするなどの不正な意図も全く見あたらなかったこと、B山花子の処罰感情は明確強固なものであったと認められることなどから、この時点において、会津若松署警察官らが、B山松夫又はB山花子について、原告を無実の罪に陥れる動機が存在しないと判断したとしてもやむを得なかったといえる。
B山花子の供述内容も、八月二六日午前九時三〇分ころに原告が来訪し、午前一〇時四〇分ころ原告から馬乗りの状態にされて首を絞められるなどして反抗を抑圧されてわいせつ行為をされ、原告とB山松夫との待ち合わせ時間である午前一一時であることを指摘するやわいせつ行為が止まったとの被害状況や、原告の退出時にB山松夫や警察に言えばB山松夫の仕事に影響を与える旨の口止めをされ、口止めされたので直ちにB山松夫に相談することは躊躇したが同日夜に相談したという被害申告状況について一貫し、その内容も必ずしも不合理とはいえないことに加え、帰宅直後からB山花子の態度に不審な点があったとするB山松夫の警察官に対する供述の内容とも整合する。さらに、B山花子の供述する犯人の身体的特徴は、原告のそれと一致している上、原告に問いただしたところ、犯行時刻ころB山方に行ったことを自認した旨のB山松夫の供述も存在する。
一方で原告が主張するように、B山花子の頬や頸部に暴行の痕跡は見あたらず、実況見分時に電話機の損傷が見られないなど、申告された被害を裏付ける客観的証拠が存在しなかったことは事実であるが、B山花子の供述する犯人から素手で首を絞められたとの暴行態様に照らせば、痕跡が残らなかったとしても、必ずしも矛盾するものではないし、電話機に損傷がないことも特段不自然とはいえない。八月二七日付け警察官調書添付の図面と、実況見分の結果及びB山花子による指示説明の違いについては、犯人の暴行態様そのものに関する供述ではないから、この点に混乱があるからといって、事件性及び犯人性に関する供述の信用性まで否定されるわけではない。茶の間内の両図面を比較すると、被害場所以外の家具の配置や犯人及びB山花子の着席位置は九〇度回転させた位置で概ね一致することからすれば、部屋の家具の配置を誤解していたにすぎない可能性が高い。また、犯人来訪時に来訪者が誰であると認識したかについて、事前に夫が話していたA野さんという人であったと認識したとの供述が、B山花子からD原さんですかなどと声をかけるなどした結果、D原という男性が来たと認識したとの供述の変遷も、B山花子の供述によればわいせつ行為をされたとする一時間以上前の犯人来訪時の記憶に残りにくい出来事についてであることに加え、原告とも「D原」なる者とも面識がなかったことからすれば、記憶の混乱が起きたと説明することも十分可能である。
以上のことからすれば、本件逮捕状請求時において、B山花子の供述を虚偽供述であると判断することはできず、これを一応信用できるものとして捜査が行われたことはやむを得ない。
そうすると、本件事案の性質、原告とB山花子及びB山松夫との関係、B山花子の供述及びこれを裏付けるB山松夫の供述、伝聞ではあるが犯行日時とされる時間にB山花子と会ったことを原告が自認していると認められることなどから、本件逮捕状請求時の捜査資料に基づいて原告に本件被疑事件を犯したと疑うに足りる相当な理由があると判断したことは合理的であったと認められる。
イ また、本件被疑事実が法定刑が当時六か月以上七年以下の懲役という強制わいせつ事件であること、本件逮捕状請求時の捜査資料として信用しうるB山花子の供述によれば、逃走したと評価するか否かは別にしても、原告がB山花子に口止めをしてB山方を退去していると認められること、原告は、B山松夫に対し、B山花子と会った事実は認めているが、強制わいせつについては否認した事実が認められることなどから、本件逮捕状請求時の捜査資料に基づく合理的な判断過程からみて逮捕の必要性があると認められる。
ウ 原告は、B山花子は虚偽告訴をしているのであるから逮捕状を請求してはならなかったにもかかわらず、B山花子の供述に依存して判断を誤ったと主張するが、前記のとおり、本件逮捕状請求時の捜査資料と照らし合わせてB山花子の供述に信用性を認めることは合理的な判断ではないとはいえない。
二 検察官による本件勾留請求の違法性(争点二のア)
(1) 勾留は、その時点において犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつ、必要性が認められる限りは適法であり(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁参照)、したがって、それに先立つ勾留請求は、少なくとも、勾留請求時における各種の捜査資料を総合勘案して合理的な判断過程によって罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由及び勾留の必要性があると認められるときは、適法である。
(2) 《証拠省略》によれば、勾留請求時までの捜査状況について、前記前提事実等及び前記一(2)の事実に加え、以下の事実が認められる。
ア B山花子は、九月四日、警察官に対し、八月三〇日にA野と名乗るものから電話があり、話をしたくないので直ちに電話を切ったこと、取調べ中の原告について透視鏡から面通しを行い、犯人であることは間違いないことを供述した。
イ 原告は、九月四日、警察官に対し、犯罪事実につき全く身に覚えはないこと、B山方に行き、B山花子と話したことは間違いないが、体を触ったりしたことはない旨、また、九月五日、検察官に対し、被疑事実記載日時ころにB山方に行き、B山花子に会ったことを認めるも、わいせつ行為については全くの事実無根であり、とことん相手とは戦うつもりである旨供述した。
ウ B山花子は、九月五日、警察官に対し、被害現場と供述する自宅の茶の間のテーブル、同人及び犯人の位置関係、電話の位置について、被害申告時には勘違いしていた旨申し立てて、同人作成の図面について訂正する供述をした。
エ 検察官は、前記逮捕状請求時のほか、これまでに作成されたB山花子の供述調書、原告の供述調書、通常逮捕手続書を疎明資料として、刑訴法六〇条一項二号、三号所定の事由があるとして、本件勾留請求を行った。
(3) 以上によれば、本件勾留請求時、各種の捜査資料を総合勘案して合理的な判断過程により、罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると認められ、かつ、勾留の必要性も認められるというべきであり、本件勾留請求が違法なものとはいえない。
ア 前記一(3)アで述べたとおりの事案の性質、原告とB山花子及びB山松夫との関係、B山花子の供述及びこれを裏付けるB山松夫の供述が存在することに加え、犯行日時とされる時間にB山花子と会ったことを原告が自認したことが認められることなどから、本件勾留請求時の捜査資料に基づく合理的な判断過程によれば、原告に本件被疑事件を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると認められる。
イ 前記一(3)イで述べたとおり、本件被疑事実が強制わいせつ事件であること、B山花子の供述によれば原告が口止めをしてB山方を退去していると認められること、原告は、B山花子と会った事実は認めているが、強制わいせつについては否認し、むしろとことん相手とは戦うつもりであるなどと供述したことが認められることなどから、本件勾留請求時の捜査資料に基づく合理的な判断過程によれば、刑訴法六〇条一項二号、三号所定の罪証隠滅のおそれ及び逃亡のおそれがあると認められる。
三 検察官による本件勾留延長請求の違法性(争点二のイ)
(1) 勾留の期間は、やむを得ない事由があると認めるときは、延長することができる(刑訴法二〇八条二項)。したがって、それに先立つ勾留延長請求にあたっては、少なくとも、勾留延長請求時における各種の捜査資料を総合勘案して合理的な判断過程により、やむを得ない事由があると認められるときは、適法である。
(2) 《証拠省略》によれば、本件勾留延長請求時までの捜査状況について、前記前提事実等及び前記一(2)、二(2)の事実に加え、以下の事実が認められる。
ア B山花子は、九月一一日、検察官に対し、警察官に対する供述と同様の供述を繰り返したほか、原告は左手でB山花子の性器を触った旨供述した(なお、調書は同月一九日に作成されている。)。
イ 原告は、九月四日、任意同行中の取調べにおいて、八月二六日午前一一時四〇分ころから五〇分ころまでの間、E田木工所を訪れた旨供述したが、翌五日、裏付け捜査を行った結果、上記E田木工所に原告が最後に訪れたのは八月一一日であったことが判明した(もっとも、検察官にこの事実が勾留請求時までに伝達されていたことを直接示す証拠はない。)
ウ 原告は、九月一一日、警察官に対し、従来の供述を繰り返したほか、B山松夫と初めて会ったのは八月二四日であること、同月二六日にB山方で待ち合わせをすることになった経緯、同日一〇時三〇分ころ、会社の軽四輪貨物の白色ワゴンを運転してB山方に到着した際、B山松夫が一人暮らしと思っていたのでB山方に女性がいたことに驚いたこと、B山花子から家に上がるよう言われたこと、同日一一時一〇分ころにB山方を退去し立木を見て自宅に戻ったこと、同月二七日、A田という女性から電話でB山花子の体を触ったか確認されたがこれを否定したこと、八月二八日午前七時ころ、B山松夫からわいせつ行為の確認の電話があったがこれを否定したこと、原告からB山方に電話をしたことは一度もないこと、かつて同月二六日午前一一時四〇分ころE田木工所に行った旨供述したことは嘘であったことなどを供述した。
エ 警察官は、B山夫妻の知人であるA田竹子から、八月二七日か二八日に、B山松夫から電話で「A野が花子(妻)の体を触った」と聞かされたとの事実を聞き込み、九月九日付け捜査復命書を作成した。また、原告の長男から、八月二六日の原告の有限会社C川への出社状況は不明であること、伝票等から合板等の配達状況を聴取したとの九月一四日付けの捜査復命書を作成した(もっとも、これが検察官に送付されたことは認定できない。)。
オ なお、《証拠省略》によれば、本件勾留延長決定後までの捜査状況について、前記前提事実等及び前記各認定事実に加え、以下の事実が認められる。
警察官は、B野製作所のC山から、原告が八月二六日午前一〇時一五分ころ来所した旨聴取した旨の九月二〇日付けの捜査復命書を作成した。
検察官は、B山花子の、それまでの供述と概ね同様の九月一九日付けの供述調書、及び、原告の、午前一〇時ころ有限会社C川を出て、B野製作所に立ち寄った旨の九月二〇日付け供述調書を作成した。
(3) 以上によれば、本件勾留延長請求時、各種の捜査資料を総合勘案して合理的な判断過程により、やむを得ない事由があると認められ、本件勾留延長請求が、違法なものとはいえない。
すなわち、勾留延長のやむを得ない事由が認められるためには、勾留期間を延長して更に捜査をするのでなければ起訴もしくは不起訴の決定をすることが困難であることが必要であるが、本件被疑事件においては、B山花子と原告の供述が真っ向から対立し、両者の供述の信用性の検討のためには、なおも原告のB山方来訪時の前後の状況等の捜査を遂げた上、原告及び関係人の詳細な取調べをしなければ、起訴もしくは不起訴の決定をすることは困難であったことが認められる。
四 裁判官による本件逮捕状の発付、勾留決定及び勾留延長決定の違法性(争点三)
裁判官の行為が、国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不法な目的を持って裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当であって、これは、争訟の裁判のみならず、裁判官が行う職務行為一般に関しても同様であり、裁判官がした逮捕状発付、勾留決定及び勾留延長決定の各裁判についても妥当する(最高裁昭和五七年判決、最高裁判所平成元年三月八日大法廷判決・民集四三巻二号八九頁参照)。
そうすると、本件逮捕状発付、勾留決定及び勾留延長決定の各裁判については、上記特別の事情があると認めることはできないので、いずれも違法と認めることはできない。
この点について、原告は、最高裁昭和五七年判決は、争訟の裁判には妥当するが、それ以外の裁判には妥当しない旨主張する。しかし、裁判官の裁判とは、証拠に基づく事実認定及び認定した事実に対する法の解釈適用作業であるところ、事実認定は裁判官の自由心証に委ねられ、裁判官に幅広い裁量が与えられて、上訴制度等を設けて当該訴訟手続内において是正されていることを予定し、それによって得られた最終判断は覆し得ないものとして尊重すべきものとされ、裁判を担う裁判官は、その良心に従い独立して職権を行うとされているのであるから、仮にその職務行為に法規範に違背する瑕疵が存在したとしても、直ちに国家賠償法上の違法を問うべきではないという点は、争訟の裁判以外の裁判においても同様である。確かに、逮捕状発付の裁判は、それ自体には不服申立の手段はないが、一般的にはこれに続く勾留の裁判において実質的に逮捕の適法性についても審査がなされるのであるから、当該手続内において是正されることが予定されているという点で、これに限って他の裁判と区別すべきであるとはいえない。
また、原告は、最高裁昭和五七年判決の考え方に従っても、身体の自由という重大な権利侵害をもたらす本件逮捕についての裁判は、裁判官による良識のある判断とは到底認めることのできない不合理なもので、しかも判断が誤っていることは明白で、その誤りを是正することは容易であった場合に該当すると主張するが、前記認定事実によれば、本件各裁判は、そのような場合とは認められない。
第四 よって、原告の請求は、損害の点について判断するまでもなく理由がないので、いずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 森髙重久 裁判官 田中邦治 遠田真嗣)