福島地方裁判所 昭和24年(ワ)106号 判決
原告 吉田勝美
被告 国
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
二、事 実
原告は、被告は、原告に対し金四万八千八百円を支拂え。訴訟費用は、被告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として、原告は、昭和二十三年八月六日傷害等の嫌疑があるとして、平簡易裁判所裁判官吉井信男の逮捕状により逮捕され、次いで、同月九日同裁判所裁判官渡辺久男の勾留状により平刑務支所に勾留されたが、同月十八日福島地方檢察廳平支部檢察官宮後誠一により暴力行爲等処罰に関する法律違反として、福島地方裁判所平支部に公判を請求されたところ、同年十一月十二日同支部において懲役二年六月(但し、未決勾留日数六十日算入)に処する旨の判決宣告あり、同月十五日仙台高等裁判所に控訴の結果、昭和二十四年七月三十日懲役一年六月(但し、未決勾留日数六十日算入)に処する旨の判決の宣告を受け、目下上告中である。しかるに、右逮捕状には、原告に対する被疑事実として「被疑者は、昭和二十三年八月五日午後九時ごろ久ノ浜町中町の久ノ浜劇場前において、同町海洋青年会員数名と吉田一家が乱闘する際、子分に対しドスを持つて來いと命令し、子分を指揮し乱闘したるものなり。」と記載してあり、又右勾留状には、逮捕状記載の通りとあるにもかゝわらず、右公判請求書における原告に対する公訴事実中には、右被疑事実が包含されていないのはもちろん、原告が逮捕、勾留の理由となつた事実と全然異る事実について起訴されたことは明白である。從つて、旧刑事訴訟法(大正十一年法律第七十五号)第二百五十七條第一項、日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の應急的措置に関する法律第八條第五号の規定により、檢察官は遅くとも同年八月十八日原告を釈放しなければならなかつたものである。しかるに、檢察官は、同日を過ぎても原告を釈放しないのはもちろん、新たな勾留状の発布を求めて改めて原告を勾留するの措置をとらず、そのまゝ放置し、次いで、同支部裁判官志邨守義は、同年十月七日、十一月八日、十二月六日の三回にわたり漫然原告に対する勾留更新の決定をし、又同支部裁判官猪狩一は同年十二月二十九日同じく勾留更新の決定をした。なお、原告の控訴後、昭和二十四年二月一日仙台高等裁判所第一刑事部は、更に原告の勾留更新決定をしたが、同月三日に至り、同刑事部は、原告を勾留することの不法であることを発見し、遂に勾留取消の決定をし、同日原告は、漸く釈放された。叙上の如く原告は、檢察官又は裁判官に故意がないとしても、少くともその重大なる過失により昭和二十三年八月十八日の起訴の日から昭和二十四年二月三日の釈放された日まで前後百六十九日にわたり不法に勾留を受け、原告の自由を侵害されたもので、このため原告が被つた物質上、精神上の損害は、もとより少くない。從つて被告は、国家賠償法第一條第一項に「国の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国はこれを賠償する責に任ずる」とあるのに從い、原告に対し損害賠償の義務がある。右公務員中には、裁判官、檢察官をも包含することは、いうまでもない。原告は、明治三十八年九月十五日生で、久ノ浜町で映画等の興業を業とする外、かたわら露天商を営み、毎月六千円以上の收入を得て、妻及び二人の女兒を養育してきたものであるが、右勾留により一日少くとも金二百円の收入の道を失つたのみならず、原告は、ざ骨神経痛並びに腦神経衰弱症のため勾留中はつぶさに苦難をなめ、精神上多大の苦痛を受けた。從つて、不法勾留日数百六十九日分一日金二百円の割合により、合計金三万三千八百円及び慰藉料として金一万五千円計四万八千八百円の賠償を求めるため本訴提起に及んだ次第であると陳述し、なお、原告に対する未決勾留の不法であることは、既に主張したところであるが、原告に対する不法勾留日数が本刑に算入された事実をもつて原告に生じた損害が既に賠償されたものということはできない。刑法第二十一條、旧刑事訴訟法第五百五十六條、新刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)第四百九十五條の規定にいわゆる未決勾留は、適法な未決勾留を指称し、本件の如き不法な未決勾留を包含しないものと解すべきである。從つて、かゝる未決勾留は、その全部又は一部を本刑に算入することができないもので、形式は、未決勾留であつても、眞実は、未決勾留ではない。若し、かゝる未決勾留を本刑に算入することが是認されるものとすれば、不法の勾留をしてもこれを本刑に算入するにおいては、被告人のため不利益とならずとの誤れる観念にとらわれ、漫然又はし意をもつて被告人を不法に勾留することがないことを保しがたい。仮に不法なる未決勾留が本刑に算入されたとしても、既にされた不法なる勾留により生じた不法勾留は、依然として不法勾留であつて、本刑に算入されたため不法なる未決勾留が適法の勾留となるものでないことは多言を要しない。果してしからば原告に対する不法なる勾留につき、刑事判決において本刑に算入したかどうか、該刑事判決が確定したかどうかを問わず、民事訴訟においては、独立なる見識の下に適正妥当な判断をすべきものであると附言し、被告の主張事実中、勾留状表示の被疑事実と公訴事実とは、昭和二十三年八月五日夜から翌六日の深夜にかけて平市各所で黒潮会こと吉田一家と海洋青年会員との間に行われた一連の乱闘に関するものであることは認めると述べた。<立証省略>
被告は、主文同旨の判決を求め、原告の主張事実中、原告がその主張の各日、その主張の各裁判官により、その主張のように逮捕、勾留され、その主張の檢察官により、その主張のように公判を請求されたところ、第一審、第二審でその主張のように各刑に処する旨の判決の宣告を受け、目下上告中であること、逮捕状及び勾留状の各記載がそれぞれその主張のとおりであること、檢察官がその主張の日原告を釈放せず、且つその主張のように改めて原告を勾留する措置をとらなかつたこと、次いで、その主張の各裁判官がその主張の各日にそれぞれ原告に対する勾留更新の決定をしたこと、仙台高等裁判所第一刑事部がその主張の日勾留取消の決定をしたこと、原告が、その主張のように前後百六十九日にわたり勾留されたこと、原告が、明治三十八年九月十五日生で久ノ浜町で露天商及び興業等を業としていること及び被告に賠償義務があるとすれば、原告主張の損害の数額は、認めるが、その余の事実は爭う。
第一勾留状に表示された被疑事実と公訴事実との間には、同一性があるから、本件未決勾留は、違法な勾留ではなく、從つて、被告に損害賠償義務はない。
勾留状に表示された被疑事実は、「被疑者(原告)は、昭和二十三年八月五日午後九時ごろ、久ノ浜町中町の久ノ浜劇場前において同町海洋青年会員数名と吉田一家が乱闘する際子分に対しドスを持つて來いと命令し、子分を指揮し乱闘したるものなり。」というのであり、公判請求書記載の公訴事実は、要するに、原告が親分である黒潮会吉田一家の子分と吉田浅治が会長をしている海洋青年会の会員との間に昭和二十三年八月五日午後九時半ごろ前記場所でけんかがあり、原告は、このけんかは、会長である吉田浅治の指揮に基くものとし、子分等と相談の上、同人を連行して報復しようと企て、翌日の午前二時半ごろ子分とともに同町の大森菊太郎方に押し寄せたところ、偶々同家に吉田浅治が居合わせたので、子分に命じて同人を原告方に連行させ、同夜行われた前記けんかの責任を問い質した上、子分に命じて木劍や野球用バツトで同人を殴打させ、原告自身も足げりにする等の暴行を加えたのであるというのである。この公判請求書記載の原告の犯罪行爲は、勾留状に表示されたいわゆる乱闘と密接不可分の関係があり、むしろ乱闘の一環をなすものであると見る方が社会通念上妥当であろうと思われる。從つて、原告が子分に命じて吉田浅治を殴打させ、且つみずからも同人を足げにした行爲は、勾留状にいわゆる「海洋青年会数名と吉田一家が乱闘する際………子分を指揮し乱闘したるものなり。」というに該当する。勾留状の表示は、抽象的であり、公判請求書の記載は、具体的であるだけの相違であつて、態様は、若干の差異はあつても、前者は、後者を包含すると解して差しつかえあるまい。問題は、行爲の日時及び場所であるが、行爲の場所は、いずれも同一町内であり、日時は、いずれも同夜のことに属し、その時間的ずれは、僅か五時間半に過ぎない。しかも、公判請求書記載の原告の犯罪行爲は、勾留状に表示された久ノ浜劇場前の乱闘に関連し、その報復措置として行われたものであることは、公判請求書の記載自体に徴して明白なのであるから、行爲の日時及び場所に若干の相違があるとしても、これをもつて直ちに勾留状表示の被疑事実と公訴事実との間に同一性がないと断定することは行き過ぎではあるまいかと思う。公訴の範囲を如何に定めるか、公訴事実の同一性を如何に解釈するかは、刑事訴訟の実際においてしばしば問題になるところであるが、行爲の日時及び場所又はその態様に若干の差異があつても、その基礎となる違法行爲が社会通念上同一のものと認められる場合には、公訴事実の同一性を害しないものと解すべきことについては異論がない。本件の場合においても、勾留状表示の被疑事実と公訴事実の間には、若干の差異はあるが、両者はいずれも右に述べたように、昭和二十三年八月五日夜から翌六日の深夜にわたつて、久ノ浜町において行われた吉田一家と海洋青年会の乱闘事件中暴行行爲を基本とするものであるから、この両者の間にはなお同一性があると解する余地があると思う。仙台高等裁判所第一刑事部は、この点に関し、公訴事実中には、被疑事実は全然包含されていないから、本件勾留は、違法であるとして、取り消されたが、被告は今にわかに同裁判所の見解に賛成しかねる。
第二本件未決勾留が違法な勾留であつたとしても、檢察官又は裁判官に過失がないから、原告の本訴請求には應じられない。
本件の被疑事実と公訴事実との間には、同一性がなく、被疑事実については、公訴の提起がなかつたのであるから、強制処分による勾留期間満了の日に原告を釈放すべきものであつたのにもかゝわらず、檢察官及び裁判官はその措置を誤り、不法に勾留を継続したものとしても、この事実から当然に檢察官又は裁判官に不法勾留について過失があつたものと断定することはできない。被告は、次の理由から檢察官及び裁判官の無過失を主張する。
(1) 本件の被疑事実と公訴事実との間には同一性があるという被告の主張が誤つているとしても、立場と見解の如何によつては、同一性ありと見て、見れない事案ではない。問題は、極めて機微の間に存するのであるから、担当の檢察官及び裁判官が被疑事実と起訴事実との間に同一性があると解していわゆる勾留状の切替手続をとらずにそのまゝ勾留を継続したとしても、原告主張の如く、彼等に重大な過失があると見ることは甚しくか酷である。檢察官及び裁判官は法の解釈を誤つていたかも知れないが、この誤りを犯したことは、事案の客観的性質から見て、無理からぬことと思われる。本件の具体的場合においては、檢察官及び裁判官は、法令の解釈を誤つたことについては、責められるべきでないと思う。
(2) このことは、吉田勝美に対する数次の勾留更新及び保釈請求に関し、数名の檢察官と数名の裁判官と数名の弁護士が仙台高等裁判所第一刑事部が勾留取消決定を行うまでは、五箇月余の間誰一人として本件勾留の適法性について疑念をさしはさむ者がなかつた事実に徴して明らかであると思う。從つて本件勾留が違法であるとしても、被告は、これによつて、原告に生じた損害を賠償する義務はないと考える。
第三原告は、本件未決勾留期間中、必然的に勾留されるべき事情の下にあつたのだから、被告は、これによつて原告に生じた損害を賠償すべき責任はない。
本件刑事被告事件の内容、原告本人の行状、原告が犯行の一部を否認していた点、その他諸般の状況から考えれば、原告が当時未決勾留処分を受けるべき運命にあつたことは、刑事訴訟における常識であり、当福島地方裁判所にも顕著な事実に属することであろうと思われる。そして、その勾留が本件勾留期間に相当する期間継続したであろうことは、数次の勾留更新及び保釈請求の経過に徴しても、又現に本件勾留が継続されていた事実から推しても容易に首肯できることと思う。從つて、損害発生原因としての勾留を実質的に見るならば、本件の勾留状(原告の主張によれば、無効な勾留状)に基いて勾留するか、又はいわゆる勾留状切替の手続をとつて、新しい勾留状を発布して勾留するかの差があるだけであつていずれにしても原告が本件未決勾留期間中勾留されていたであろうことは、動かすことのできない事実であると思う。換言すれば原告は、本件勾留期間中は、好むと好まざるとにかゝわらず、必然的に勾留されるべき運命にあつたのである。原告は、がい然性はあつたが、必然性はないというかも知れないが、本件の具体的な事情の下においては、いわば、必然的ながい然性なのだから、がい然性と必然性を区別することは観念の遊戯に過ぎないと思う。刑事訴訟の分野においては、勾留の必然性があるからといつて、違法又は無効な勾留状に基いて勾留すべからざることは当然であり、若しそうした勾留が行われたとすれば、その勾留が違法な勾留であることは、被告も強くこれを主張する。ただ民事訴訟の分野においては、違法な勾留があつたからといつて、当然に損害賠償義務が生ずるものではない。本件の場合のように必らずや勾留状の切替手続がとられ、その結果、原告が勾留されたであろうことが明らかな場合には、その勾留によつて生じた損害は、原告が当然に受忍すべき損害なのであるから、原告は、不法勾留を原因としてその損害の賠償を求める権利がないものといわなければならない。詳言すれば、国家賠償法による損害賠償も不法行爲に基く損害賠償に外ならないのであるから、行爲と損害との間には、因果関係がなければならない。從つて、違法な勾留を原因とする損害賠償の請求においては、勾留と損害との間に、仮にその勾留なかりしとせば、その損害も生じなかつたであろうと認められる関係があることが必要であり、その勾留の有無にかかわらず、生じたであろう損害については、違法勾留を原因として、その賠償を求めることができないものというべきである。本件においては、右に述べたように、仮に原告主張の如き違法勾留がなかつたとしても、当然に切り替えられた勾留状によつて勾留されていたであろうことが明らかなのであるから、本件勾留が違法勾留であるとしても、これを理由として勾留期間中原告がその身体の自由を拘束されたことによつて生じた損害の賠償を求めることができないものと考える。これを別の観点からみれば、勾留によつて生ずる損害は、身体の自由を拘束されたことによつて生ずる損害に外ならないから、その勾留がなかつたとすれば、彼は身体の自由を拘束されることなく、從前どおり社会生活を営むことができるということを前提として、初めて考えられる観念である。ところが、本件の場合においては、右に述べたように原告は必然的に勾留されるべき状況の下にあつたのだから、この前提條件が欠けているのである。原告が本件の勾留がなかつたならば、自分は勾留されなかつたであろうと主張することは、形式上の論理としては、もとより正しいが、本件の勾留がなかつたとしても、原告は、勾留されたであろうという被告の主張も、刑事訴訟の実際に照らし、決して理由のない主張ではないと考える。被告は、この場合においては、形式上の論理は、実体的結論の前にその席を讓るべきであると思う。即ち、本件の具体的場合についていえば、原告には、実質的に見て賠償を求めるべき損害が法律上あり得ないのである。
以上の次第であるから、原告の本訴請求には、應じがたいと陳述した。<立証省略>
三、理 由
原告が、昭和二十三年八月六日傷害等の嫌疑があるとして、平簡易裁判所裁判官吉井信男の逮捕状により逮捕され、次いで、同月九日同裁判所裁判官渡辺久男の勾留状により平刑務支所に勾留されたが、同月十八日福島地方檢察廰平支部檢察官宮後誠一により暴力行爲等処罰に関する法律違反として、福島地方裁判所平支部に公判を請求されたところ、同年十一月十二日同支部において懲役二年六月(但し、未決勾留日数六十日算入)に処する旨の判決が宣告され、同月十五日仙台高等裁判所に控訴の結果、昭和二十四年七月三十日懲役一年六月(但し、未決勾留日数六十日算入)に処する旨の判決の宣告を受け、目下上告中であること、右逮捕状には「被疑者は、昭和二十三年八月五日午後九時ごろ久ノ浜町中町の久ノ浜劇場前において、同町海洋青年会員数名と吉田一家が乱闘する際、子分に対しドスを持つて來いと命令し、子分を指揮し、乱闘したるものなり」と記載してあり、勾留状には逮捕状記載の通りとして、逮捕状記載の右被疑事実を引用していること、檢察官が原告に対し公判を請求した昭和二十三年八月十八日原告を釈放せず、又新たな勾留状の発布を求めて改めて原告を勾留するの措置をとらなかつたこと、次いで福島地方裁判所平支部裁判官志邨守義が同年十月七日、十一月八日、十二月六日の三回にわたり原告に対する勾留更新の決定をし、又同支部裁判官猪狩一が同年十二月二十九日勾留更新の決定をしたこと、仙台高等裁判所第一刑事部が、昭和二十四年二月三日原告に対する勾留の取消決定をしたこと及び原告が昭和二十三年八月十八日の起訴の日から昭和二十四年二月三日の釈放された日まで前後百六十九日にわたり勾留を受けたことは、当事者間に爭がない。
よつて、案ずるに、日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の應急的措置に関する法律第八條第五号の規定によると、同條第一号ないし第四号の場合、その他すべて被疑者が逮捕されたすべての場合においては、公訴の提起は、遅滯なくこれをしなければならず、勾留状の請求があつた日から十日以内に公訴の提起がなかつたときは、檢察官は、直ちに被疑者を釈放しなければならないのである。從つて、若し、檢察官が逮捕、勾留の理由となつた被疑事実と異る事実につき公訴を提起したときは、被疑者を釈放するか、若し、勾留の必要があれば、改めて所定の手続に從い被疑者を勾留する手続をとらなければならない。しかしながら、檢察官は、公訴を提起する際、勾留の理由となつた被疑事実と全く同一の事実につき公訴を提起しないときは、被疑者を釈放しなければならないと嚴格に解する必要はないのであつて、勾留状表示の事実と公判請求書記載の事実とに同一性があれば足るものと解すべきであり、現にそのように解されている。こゝに、事実の同一性とは、具体的事実として枝葉の点まで同一である必要はなく、基本たる事実関係において同一であればよいのであつて、この点は、行爲の日時及び場所又は態様に若干の差異があつても、その基礎となる違法行爲が社会通念上同一のものと認められる場合には、事実の同一性を害しないものと解すべき旨の被告の見解には、全然同感であるが、この前提よりして勾留状表示の本件被疑事実と公訴事実との間に同一性があるとの被告の主張には賛同することができない。勾留状表示の被疑事実は、「被疑者は、昭和二十三年八月五日午後九時ごろ久ノ浜町中町の久ノ浜劇場前において、同町海洋青年会員数名と吉田一家が乱闘する際、子分に対しドスを持つて來いと命令し、子分を指揮し乱闘したるものなり」というのであることは前段認定のとおりであり、又当事者弁論の全趣旨によると、公訴事実の要旨は、原告が親分である黒潮会吉田一家の子分と吉田浅治が会長をしている海洋青年会員との間に昭和二十三年八月五日午後九時半ごろ久ノ浜劇場前でけんかがあり、原告は、このけんかは、会長である吉田浅治の指揮に基くものとし、子分等と相談の上、同人を連行して報復しようと企て、翌日の午前二時半ごろ子分等とともに同町の大森菊太郎方に押し寄せたところ、偶々同家に吉田浅治が居合せたので、子分に命じて同人を原告方に連行させ、同夜行われた前記けんかの責任を問い質した上、子分に命じて木劍や野球用バツトで同人を殴打させ、原告自身も足げりにする等暴行を加えたものであるということが明らかであつて、勾留状表示の被疑事実は抽象的であるのに反し、公訴事実は、具体的であり、後者は、前者の久ノ浜劇場前の乱闘に関連し、その報復措置として行われた一連の行爲であることには相違ないが、これによつて直ちに前者と後者の事実に同一性があるとはいい得ない。かえつて、後者の事実は、前者の乱闘事件が一應終息した後、新たな決意をもつて原告がその行爲に及んだものであつて、たとい時間的には約五時間のズレしかなく、場所は、同一町内であるといつても、その日時、場所、行爲の態様及び罪名を異にし、基本たる事実関係において差異があるから、事実の同一性はないものといわなければならない。しかるに、公訴事実には、勾留状表示の被疑事実が全然包含されていないから、檢察官は、本件公訴の日である昭和二十三年八月十八日原告を釈放しなければならなかつたのである。このように、客観的に事実の同一性がないと認められる事案において、檢察官が原告を釈放せず、又裁判官が勾留を継続したことについて、檢察官及び裁判官に故意又は重大な過失があつたかどうかを考えるに、原告は、「檢察官、裁判官に故意がないとするも、少くともその重大な過失により」と主張するもので、故意があつたと主張するものでないことが明らかであるから、重大な過失の点を檢討するに、犯罪事実の同一性の有無の判断に関する抽象的な理論を立てることは、さして困難な問題ではないが、具体的事案においては、時に頗る困難な問題であつて、深思熟慮苦心論究の末下した判断であつても、過誤なきを期することはできない。まことに、被告の主張するとおり、「問題は極めて機微の間に存する」案件が少くはない。本件においては、被疑事実と公訴事実との間に同一性があるものとして、檢察官は、いわゆる勾留状の切替手続をとらず、裁判官は、数次勾留更新決定をしたものであろうと考えられるが、一見一読直ちに同一性がないと断定し得るほど、しかく明白な事案でないことは、本件勾留を適法なものとして、原審並びに第二審の弁護人は、しばしば保釈の請求をし、仙台高等裁判所もひとたびはこれを却下した事実(昭和二十五年二月二十四日附被告提出の準備書面第二項(2) で援用している吉田勝美の保釈請求関係一覧表参照。弁論の全趣旨からして、この事実は、原告において、爭う意思がないものと認める。)に徴し、極めて明白である。結局において、同高等裁判所は、公訴事実中には、被疑事実が全然包含されていないものとして、本件勾留を取り消し、当裁判所も、また議を重ねた末、両者の間に客観的同一性がないものと認定したのであるが、以上の経緯からすれば、担当の檢察官及び裁判官が、同一性があるとの見解のもとに事を処理しても、重大な過失があつたものということはできない。進んで同人等に、国家賠償法第一條第一項に規定する過失があつたかどうかを考察するに、法の解釈は一つでなければならないから、本件において、両者の間に同一性がないとする見解が正当である以上、同一性があるとする見解は、法を誤解したものというのほかないが、法の誤解は、常に、必ず、これを誤解したものの過失によるものと速断すべきではなく、その過失の有無は、箇々の場合によつて決せられるべき具体的問題である。檢察官又は裁判官が、その職務上通常要求されている注意義務をつくしたなら、よういに避けることができたであろうと思われる法の誤解を、不注意によつて引きおこしたものと認められるときは、むろんそれは過失によるものというべきであるが、通常拂うべき注意を怠らず、問題の所在をつきとめ、周到な研究調査をとげ、かくして得られた信念の下にした法の解釈適用が、結果においてまちがいであつたとしても、事案の性質上、かかるまちがいをしても、むりからぬことと客観的に認められるなら、それは過失というべきではない。本件が相当の難件とみて差支ないことは、先きに説述したところにより、明白であり、いま、なお被告の同一性説に左たんするものがないとは保しがたい。檢察官及び裁判官が同一性説をとつたからとて、多くの人は、それを不注意による明白な法の誤解と断じさることを躊躇するであろうし、当裁判所も上來認定した諸般の事情に照らし、それはやむを得ない過誤であつて、国家賠償法にいわゆる過失には該当しないものと認定する。ほかに、同人等に過失があつたものと認めさせるに足る主張、立証がないから、原告の本訴請求は、既にこの点において失当として、これを棄却すべきものである。
よつて訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九條を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 齋藤規矩三 黒江清 野村喜芳)