福島地方裁判所 昭和24年(行)40号 判決
原告 霜山藤兵衞
被告 梁川町農地委員会・福島県農地委員会
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
二、請求の趣旨
被告梁川町農地委員会(以下町農委という)が梁川町字上町四十四番地上一、木造かわらとたんぶき平家建一むね建坪五十九坪のうち南側の部分建坪四十三坪につき公告した買收計画を取り消す。被告福島縣農地委員会(以下縣農委という)が右買收計画に対する原告の訴願について昭和二十四年三月一日附でした裁決を取り消す。訴訟費用は、被告等の連帶負担とする。
三、事 実
原告は、その請求の原因として、原告は梁川町字上町五十九番地原告の兄霜山泉から同人方家屋建坪十九坪のうち十二疊及び六疊の二間を賃借し、十二疊の間を作業場、六疊の間を居間として昭和十三年七月から鍛治屋業を営んできた。ところが、霜山泉は、妻及び子女四人家族で、田二反四畝七歩、畑四反を耕作し(泉及び妻が耕作に從事。)、比較的廣面積の部屋を必要とする農業を営むものであるにもかかわらず、家族五人を擁し僅か十疊一部屋に居住していたので、原告は、同人から既に以前から適当な家屋を物色して移轉するように求められていた。原告は、昭和二十三年五月訴外阿部武次郎から梁川町字上町四十四番地上一、木造かわらとたんぶき平家建一むね建坪五十九坪を買い受け、当時同人が使用していた右家屋の北側の一部屋十六坪に、妻及び三人の子女とともに移轉した。そして、移轉後は、泉方十二疊の間を作業場として鍛治屋業を営み、現住所では兼業として田一反四畝七歩、畑二反三畝を耕作し、農業を営んでいる。原告及び泉の居住状態は、前記の如くであり、原告が右家屋を買い受けたのは、全くやむをえない正当の事由に基くものであつた。原告が買い受けた右家屋中、原告が現在居住する十六坪を除いた四十三坪には、訴外堀内フヂが從前から阿部武次郎より賃借居住し、農業を営み、子女五人の家族を擁して、田四反畑一反一畝十四歩を耕作しているが(フヂ及び二男が耕作に從事していた。)、堀内フヂは、昭和二十三年十月自作農創設特別措置法(以下自創法という。)第十五條に基き原告が阿部武次郎に引き続いて同人に賃貸する家屋部分を買收すべき旨、被告町農委に申請した。しかしながら、該申請は、同條の規定にいわゆる「相当とする場合」に該当しない。けだし、
(一)買收の対象となる家屋は、原告が居住する家屋の一部分であり、これを分割して買收することは、建物利用に関する国家経済上望ましくない。
(二)右家屋の所在地は、梁川町を縱断する縣道に面する商店街にあり、右家屋は、もともと店舖用として建てられ、フヂ方においては、從前右家屋で薪炭及び蚕物商を営んでいたが、昭和十四年に企業整備によりこれを廃したものであつて、商店経営には適するが、道路以外の三面はすべて隣家と僅かに三尺の距離をもつて密接していて、取入れ、脱穀等の作業は、四隣の衞生的見地から、枯草わら等の貯藏は、四隣の防火的見地から極めて不適当である。又附近には農家が極めて少く、右家屋を中心として約百米四方の地域に存在する全戸数八十六戸のうち農家はフヂを除き專業農家が二戸、兼業農家が六戸に過ぎない状況にあるから、自作農創設の目的をもつて右家屋を買收することは、最も不適当である。
(三)原告が居住する部屋からは、右家屋の一部である通路を通行しなくては、街に出ることはできない。
(四)自創法は、農村における封建的色彩を一掃し、農村における民主化を促進しようとするものである。しかしながら、原告とフヂとの関係は、從來いわゆる地主対小作人の如き封建的色彩を有するものでなく、経済的実力においても差異がない。從つて、原告がフヂに賃貸する右家屋を買收するが如きは、何等農民の民主化に資するものでなく、いたずらに原告一家に哀嘆と長恨をしげくするに過ぎない。
(五)フヂが右家屋の買收を申請し得る根拠は、同人が梁川町の隣村である五十沢村において僅か三畝十四歩の土地の解放を受けた結果であるが、右三畝十四歩は、フヂが自創法制定後昭和二十二年十二月訴外八卷長兵衞から一時賃貸借の甘言をもつて賃借し、その後昭和二十三年自創法に基く解放を受けたものである。若し、フヂが右土地を耕作していなかつたとすれば、買收申請は、法律上不能に帰したのである。從つて、フヂは、実質的に右買收を申請するに必要な相当の條件をそなえているものではない。
(六)しかも、フヂは梁川町上町農事実行組合に対し五十沢村における耕作の届出をせず、右土地の賃借以來該土地分につき不法に供出を免れている。のみならず、同人は、同人の耕作する他の土地分についても、正当の事由なく、常に供出をとどこおり勝ちである。
(七)原告の兄泉の居宅は、僅か十九坪であり、原告は、現在そのうち六坪を作業場として賃借しているのであるから、泉は十三坪の家屋において六人家族をもつて廣面積の家屋を必要とする農業に從事している。このような状態においては、原告が右六坪の作業場を泉に返還し、又原告においてフヂに適当な居宅を提供して、フヂが居住している家屋部分の賃貸借を解約するのを最も適当とする。原告は右家屋部分の買收を決定した町農委において「原告はフヂに対し家屋十二坪を新設して贈與する用意ある」旨言明をした。しかるに、町農委は、原告の申出を拒絶したのである。即ち、右家屋は、自創法第十五條第二項第二号の規定に該当するものである。
(八)フヂ方の主たる收入は農業によるものでなく、農業による收入は微少であり、所得税及び事業税を納付していない。フヂの二男は福島市曾根田町東北ドツク株式会社に就職し、三女は隣村の粟野村小学校に奉職し、右両名の月給がフヂ方の主たる收入である。即ち、自創法第十五條第二項第一号の場合に該当するものである。
(九)フヂの耕作面積は、僅か田四反、畑一反一畝十四歩であるが、その所在地並びに反別は、
富野村字下台二十六番 一、田一反二畝
同 字山路屋敷九番十番 一、田二反
同 字八幡岩下三十四番三十五番 一、田八畝
同 字八幡糠森四十四番四十五番 一、畑八畝
五十沢村字石川 一、畑三畝十四歩
であり、買收の対象となるフヂ方の家屋の近辺に存するものは全然なくすべて他村にある。即ち、フヂは、農業を專業として経営し得べき條件をそなえてなく、同人の農業経営規模は、自創法に基き農業用施設として家屋を買收するのを相当とするが如きものではない。
(一〇)梁川町は政爭の激しい町であり、縣会議員には、相反する立場から二名即ち被告町農委員会長宍戸喜七及び訴外菅野英助(右家屋に対する買收計画樹立当時町農委員)が選出されている。右縣会議員選挙においては原告は菅野英助を、フヂは、宍戸喜七を應援したのである。右の如き政爭が「常識人ならば、あり得べからざることと考えられる右家屋買收」の原因であると、原告は固く確信している。この故に、右家屋の買收には、「原告が現在使用する便所」が含まれ、又「原告が現在現に居住する家屋部分の宅地(地主は、菅野英助)」が自創法により買收の上、フヂに賣り渡されている如き不法極まりない取扱がされている。
右各項の事由により、フヂの家屋買收申請は、自創法第十五條の規定にいわゆる「相当とする場合」に該当しないことが明らかである。しかるに、被告町農委は、右家屋につき買收計画を樹立し、昭和二十三年十一月一日その公告をしたので、原告は、これに対し異議を申し立てたが、棄却されたので更に被告縣農委に訴願を提起したところ、昭和二十四年三月一日棄却され、同年四月一日その通知を受領した。よつて、原告は、被告町農委の公告した右家屋に対する買收計画及び被告縣農委が原告の訴願を棄却した裁決の各取消を求めるため本訴提起に及んだのであると陳述した。(立証省略)
被告等は、主文第一項同趣旨の判決を求め、原告の主張事実中、原告が梁川字町五十九番地原告の兄泉から同人方家屋建坪十九坪ののち十二疊及び六疊及び六疊の二間を賃借し、十二疊の間を作業場、六疊の間を居間として、昭和十三年七月から鍛治屋業を営んできたこと泉が妻及び子女四人の家族で田二反四畝七歩、畑四反を耕作している(泉及び妻が耕作に從事)こと、原告が昭和二十三年五月阿部武次郎から梁川町字上町字上町四十四番地上一、木造かわらとたんぶき平家建一むね建坪五十九坪を買い受け、その北側の一部屋十六坪に妻及び三人の子女とともに移轉したこと、そして、移轉後も引き続き泉方の十二疊の間を作業場として鍛治屋業を営み、現住所では兼業として、田一反四畝七歩、畑二反三畝を耕作し、農業を営んでいること原告が買い受けた右家屋は、フヂが從前から阿部武次郎から賃借し(原告の右家屋のうち十六坪を除くとの主張は否認)、子女五人の家族を擁して田四反、畑一反一畝十四歩を耕作して農業を営んでいること、畑一反一畝十四歩のうち三畝十四歩は、フヂが不在地主八卷長兵衞から賃借耕作していたが自創法により買收され、フヂに賣り渡されたものであること及びフヂか被告町農委に対し十六坪を除く右家屋の買收方を申請したことは認めるが、その余の事実は爭う。原告が武次郎から五十九坪の家屋を買い受けたのは、やむをえなかつた事由に基くものではない。原告は鍛治屋が本業で今までのところでは、狹いとはいつてもこと足りており、將來もこと足りるのにことさらにフヂを出し拔いて内密にこれを買い受けたのである。右家屋については、もと武次郎とフヂの亡夫堀内久次郎との間に賃貸借契約が存していたのであるが、原告がこれを買い受けたため、その賃貸人たる地位を承継し、原告と久次郎との賃貸借関係になつたところ、昭和二十三年九月久次郎が死亡したので、相続により賃借権は、妻であるフヂや子供に移轉したのであり、從つて原告は、フヂ等の賃借していた右家屋のうち十六坪の部分に住みこんだもので当時武次郎が十六坪の部分を使用していたのではない。フヂが被告町農委に右家屋の買收方を申請したのは、昭和二十三年九月十四日である。原告は、被告町農委が公告した右家屋に対する買收計画及び被告縣農委がした裁決が違法である旨主張するが、その主張は当らない。即ち、昭和二十二年三月まだ右家屋が武次郎の所有時代に氏名不詳のブローカー風の男が堀内方を訪れて、家主の武次郎はこの家屋を賣るから二万円で買い受けぬかと勧められた。久次郎は、友人鹿俣金次を介して武次郎と交渉して両者間に金一万八千円で買い受ける約束ができていよいよ証書を作成する段取となつたとき武次郎の母からこの家屋は在仙中の武次郎の末弟に與える約束があつたから、一應その末弟と相談してという横やりがはいりその話は一時中止となつた。翌二十三年四月ごろ今泉某という梁川町借家人組合の役員と称する男が突然堀内方を訪れてての家屋全部を原告が買い受けたからとて明渡を迫り、はては「お前達が素直に明け渡さなければ不法占拠として処罰される」というようなすご文句を並べられた。当時久次郎は、幽門狹さく症の病状が相当亢進しており、長男はソ連に抑留されて帰還の見とおしもつかず、二男以下は若年で相談相手にもならず、妻のフヂだけでは到底たち打ちができかねてやむを得ず当時物置や農作業に使つていた十六坪を明け渡す約束を余儀なくされ、久次郎が後事を妻フヂに託して入院した後、その十六坪に、原告は、移轉居住したのである。即ち、現に堀内が居住し、專業農家として多年使用中の家屋であり、しかも家主より申し込まれて大体買受の話合のついているものを、隠密の間に堀内を出し拔いて買收し、強引に明渡を迫るということは、甚だ不当であつた。しかるに、逆に原原告から(一)ないし(一〇)の理由をもつて主張されることは、甚だ首肯しがたいところである。以下これを反ぱくすれば、
(一)家屋を分割することが国家経済上好ましくない所以は分らない。
(二)右家屋が立地條件において衞生上や火防上農家として不当の理由がどこにもない。この附近は、同様な立地條件の下に置かれてある農家である。原告が使えば農家としてさしつかえがないが、堀内が使えば不適当だとでもいうのだろうか。
(三)右家屋内の一部分が原告の通路となることが何故惡いのか。もとより不本意ではあるが、堀内としては、原告が右家屋内を通行することを容認してかつて拒んだことはない。
(四)右家屋は、堀内にとつて農家として必要な最少限度である。原告は、十六坪という面積を承知の上で無理に居住していて、先住者の堀内方が廣過ぎるというような主張は承服できない。
(五)フヂは自創法に基き右家屋の買收を請求し得る立派な有資格者である。若し、フヂが三畝十四歩を耕作していなかつたとすればという空想的仮定を前提とする原告の主張は理由にならない。
(六)フデとしては、五十沢の小作畑は、自家用野菜畑で、主要食糧を作らないから、届け出ないだけのことであるし、その届出を怠つても買收請求が違法になる理由がない。なお、フヂは割り当てられた供出をとどこおつたことはかつてない。
右以外の原告の主張は、いずれもそのとおりは認めがたい。從つて、原告の本訴請求は理由がないから棄却されなければならないものであると陳述した。(立証省略)
四、理 由
原告が梁川町字上町五十九番地原告の兄泉から同人方家屋建坪十九坪のうち十二疊及び六疊の二間を賃借し十二疊の間を作業場、六疊の間を居間として昭和十三年七月から鍛治屋業を営んできたこと、泉が妻及び子女四人の家族で田二反四畝七歩、畑四反を耕作している(泉及び妻が耕作に從事)こと、原告が昭和二十三年五月阿部武次郎から梁川町字上町四十四番地上一、木造かわらとたんぶき家屋一むね建坪五十九坪を買い受け、その北側の一部屋十六坪に妻及び三人の子女とともに移轉したこと、そして移轉後は、泉方の十二疊の間を作業場として鍛治屋業を営み、現住所では兼業として、田一反四畝七歩、畑二反三畝を耕作し、農業を営んでいること、原告が買い受けた右家屋は、フヂが從前から阿部武次郎から賃借し(但し、十六坪を除くか否かは爭あり)、子女五人の家族を擁して田四反、畑一反一畝十四歩を耕作して農業を営んでいること、畑一反一畝十四歩のうち三畝十四歩は、フヂが不在地主八卷長兵衞から賃借耕作していたが、自創法により買收され、フヂに賣り渡されたものであること及びフヂが被告町農委に本件家屋の買收方を申請したことは当事者間に爭がなく、フヂの申請により被告町農委が本件家屋につき買收計画を樹立し、昭和二十三年十一月一日その公告をしたので、原告がこれに対し異議を申し立てたが、棄却されたので、更に被告縣農委に訴願を提起したが、昭和二十四年三月一日棄却され、同年四月一日その通知を受領したことは、当事者弁論の全趣旨によつて認めることができる。
よつて、原告がフヂがした本件家屋買收の申請を自創法第十五條の規定にいわゆる「相当とする場合」に該当しない理由として主張する点を遂次判断する。
(一)の点につき案ずるに、証人堀内フヂの証言に原告本人尋問の結果及び檢証の結果を総合すると、原告の居住する十六坪の家屋は、フヂの居住する本件家屋と順次フヂ方の炊事場、物置を置いて接続する本件家屋の裏屋に当り、フヂ方は、本件家屋に、原告方は十六坪の家屋にそれぞれ起居して独立の生活をしていること及び現下の住宅拂底の事情の下では、原告方並びにフヂ方の生活上の不便は、両者の協調にまつの外なく、右家屋の利用状況をもつて満足しなければならぬ状況にあることが認められるから、本件家屋を原告居住の家屋と分割して買收することをもつてにわかに建物利用に関する国家経済に反するものとはいい得ない。
(二)の点につき案ずるに、成立に爭のない甲第一号証に檢証の結果を総合すると、本件家屋は梁川町のほぼ北端に当り、幅員三間半の道路に面し、附近は、右道路に沿うて発達した市街地(商店街というほどでもない。)をなし、本件家屋の東側は幅員一間半の土間となつて隣家屋に接し、本件家屋の北側は順次原告方居宅、フヂ方の物置、家畜小屋に接続し、更にその地続きは畑となり、本件家屋の西側は、隣家屋まで五尺ないし三間を距てていること、フヂ方の脱穀等の作業には本件家屋の東側の土間を利用し、枯草等の貯藏には右土間あるいは物置を利用し得ること、これらの農作業並びに枯草等の貯藏をもつて格別に四隣の衞生的又は防火的見地からみて不当とすべきでないこと及び本件家屋の附近には、畑並びに原告主張どおり、專業農家が二戸、兼業農家が六戸存在していることが認められるから、本件家屋の位置、構造上農家に適しないとはいい得ない。
(三)の点につき案ずるに、証人堀内フヂの証言に原告本人尋問の結果及び檢証の結果を総合すると、原告方居宅から街に出るには、本件家屋の東側の土間及び東隣の渡辺善助方屋敷内に通路に利用できること及び原告が初め右土間を通行していたが、フヂ方の戸締の関係上、フヂからその通行を禁止されたが、その後は右渡辺善助方の屋敷内を通行していることが認められるから、原告方居宅から街に出る通路が全然ないわけではない(なお、通路の問題については、両者互に協調し利便を図るべきはいうまでもない。)
(四)の点につき案ずるに、原告とフヂとの関係が地主対小作の関係がなく経済的力において差異がないとしても、フヂが本件家屋の買收を申請することができることはいうまでもない。
(五)の点につき案ずるに、堀内フヂの証言によると、フヂの夫久次郎が八卷長兵衞から同人が富野村に居住し、遠くて耕作に不便だからというので、五十沢村に所有する畑三畝十四歩を賃借耕作していたところ、右畑は不在地主の畑として買收され、フヂに賣り渡されたことが認められる。右認定に反する証人八卷長兵衞の証言は信用しがたく他に右認定を左右するに足る証拠がない。從つて、フヂは、自創法の定めるところにより適法に自作農となつたのである。
(六)の点につき案ずるに、証人長谷川徳次及び堀内フヂの各証言を総合すると、フヂは供出を怠つたことがないことが認められる。
(七)の点につき案ずるに、農業用施設買收を除外する場合を規定する自創法第十五條第二項の規定は、本件家屋買收計画公告の日である昭和二十三年十一月一日以後昭和二十四年法律第二百十五号をもつて昭和二十四年六月二十日から施行されたのであるが、右規定は、農業用施設買收を除外する規準を定めたもので、右規定施行前に買收計画が公告されたか否かによつて別異に扱う理由はないものというべきである。証人堀内フヂの証言によると、本件家屋及び原告の居住している家屋全部は、フヂの夫久次郎が昭和四年ごろ阿部武次郎の先代清七から借り受け、新炭、蚕物商を営んできたこと、その後清七が死亡した後は武次郎から引き続き賃借し、支那事変が始つて間もなく、堀内方では薪炭、蚕物商をやめ、專ら農業を営んできたこと、昭和二十二年三月ごろになつて武次郎から堀内方に対し右家屋全部の買受方交渉あり、久次郎が代金一万八千円でこれを買い受けることになつたところ、武次郎の母から右家屋は、仙台に居る息子に贈與することになつているからという話が出て一應中止の形になつたところ、原告がこれを買い受け、その賃貸人たる地位を承継したこと、その後昭和二十三年四月ごろ梁川町借家人組合副組合長今泉と称する者が堀内方を訪れ、右家屋全部は、原告が買い受けたから、十六坪の部分(当時堀内方では納屋として使用していた。)を明け渡してもらいたい。若し明け渡さないときは、不法占拠で処罰されると明渡を要求して來たので同年五月久次郎はやむなく十六坪の部分を明け渡すに至つたこと、その後かねて病床にあつた久次郎は入院したが、同年九月死亡し、妻フヂ及び子供等が本件家屋の賃借権を相続したことが認められる。この事実にフヂが本件家屋で家族七名(フヂの証言によると長男は昭和二十四年一月十九日ソ連から復員した。)をもつて農業を営んでいること(檢証の結果によると本件家屋中居間として利用し得る部分は約十五坪。)、原告が兄泉方の十二疊の間を作業場として鍛治屋業を営み、家族五名をもつて十六坪の居宅で生活していること、先に(二)において認定したとおりフヂ及び原告方では現在の家屋の使用状況をもつて満足しなければならない状態にあること及び証人菅野英助、堀内フヂの各証言に原告本人尋問の結果を総合して認められる町農委の席上原告がフヂに十二坪の家屋を新設して贈與する旨発言はしたが確定的な契約が成立していたわけでもなかつたことを合わせ考えると、原告の事情をもつて直ちに自創法第十五條第二項第二号の規定にいわゆる所有者が近くみずから使用することを相当とする場合に該当するとはいい得ない。
(八)の点につき案ずるに、証人堀内フヂの証言によると、フヂ方ではフヂ及び長男が農耕に從事し、二男は、福島市の東北ドツク株式会社に工員として、三女は伊達郡粟野村中学校に教員としてそれぞれ勤務しているが主業は農業であつて、主たる所得は、農業によつていることが認められるから、自創法第十五條第二項第一号の場合に該当するとはいい得ない。
(九)の点につき案ずるに、耕作面積が少く農地が居住家屋の近辺に存しなくともこれをもつて農業をもつて專業として経営し得べき條件をそなえていないとはいい得ないのみならず、これをもつてフヂ方の農業経営に支障を來していることを認めしめる証拠もない。
(一〇)の点につき案ずるに、本件家屋買收が政治的理由から不法に買收されたと認めしめるに足る証拠がない。
よつて、原告の(一)ないし(一〇)の主張はすべて理由なく、その他原告の全主張、立証をもつてしても本件家屋買收計画を違法たらしめる理由を見出し得ない。
從つて、原告の本請求の理由ないことが明白であるから、夫当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條、第九十五條を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 松浦欣 斉藤規矩三 野村喜芳)