福島地方裁判所 昭和33年(行)1号 判決 1960年3月07日
原告 高橋信房
被告 飯館村
主文
被告は原告に対し金五五万円およびこれに対する昭和三二年一二月二二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は主文同旨の判決および仮執行の宣言を求め、請求の原因として、
一、原告は昭和二二年四月より福島県相馬郡大館村村長の職にあつたところ、昭和三一年九月三〇日大館村と隣村飯曽村とが合併して、あらたに被告飯館村が設立されたので、同日限り村長の職を退いたものである。
二、当時大館村において施行されていた昭和二九年一月一四日制定の「大館村職員の退職手当に関する条例」によれば、村長その他の常勤職員が退職した場合には退職手当を支給するものとし、村長、助役および収入役に対する退職手当の額についてはその都度村議会の議決を経て定めることとされていたのであるが、大館村は前記合併の直前である昭和三一年九月二八日に招集された村議会において、原告に対して支給する退職手当の額を金七五万円と定めることを議決し、その支給事務を被告飯館村当局者に引継いだ。
三、しかるに被告は原告に対し、昭和三二年六月一日金二〇万円の退職手当金を支給したのみで、残金五五万円については、原告から同年一二月一六日到達の内容証明郵便で該郵便到達の日から五日以内に支給せられたい旨の催告を受けながら、これが支給を拒んでいるものである。
四、よつて原告は被告に対し右金五五万円と、これに対する前記催告期間満了の日の翌日である昭和三二年一二月二二日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の附加支払を求めるため本訴に及んだ次第である。
と陳述し、被告の主張事実を否認した。(証拠省略)
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、
一、請求原因に対する答弁として、
(一) 第一、三項の事実は認める。
(二) 第二項中旧大館村が昭和三一年九月二八日招集の村議会において、原告に対し支給すべき退職手当の額を金七五万円と定めたことおよびその支給事務を被告飯館村当局者に引継いだことは否認する。すなわち原告主張の日時に正規の村議会が招集されたか否か不明であるのみならず(議会の招集につき告示簿に記入がない)、仮りに同日村議会が適式に招集され、退職手当の支給に関し何等かの議決がなされたとしても、その議決の内容はせいぜい原告を含む数名の退職予定者に対し退職手当金二六〇万円を支給するという包括的なものに過ぎないのであつて、各人毎に具体的な支給額を定めたものではないから、かような議決によつては原告に確定金額の退職手当金請求権が生ずる余地はない。
(三) 原告は昭和三三年二月三日の第一回口頭弁論期日において原告の本件退職手当金受給権については旧大館村における条例上の根拠がないことを自白したので、被告は即時該自白を援用したのであるから、原告はその後にいたつてこれに反する主張をすることは許されない。仮りに自白の撤回が許されるとしても、合併当時大館村において原告主張の条例が施行されていたことは争う。
二、仮りに原告の請求原因事実が認められるとしても、
(一) 旧大館村は原告等特別職員に対する退職手当支給のための予算措置として、昭和三一年度歳入歳出追加更正予算を調製しその財源を起債に求めた上、前記村議会で原告等に対する退職手当の支給やこれが予算等についても議決してはいるが、村債を起して特別職に属する職員の退職手当支給の財源に充てることは地方財政法第五条第一項に違反するものであり、違反しないとしても、地方自治法第二二六条第二項によれば地方債を起すには起債の方法、利息の定率及び償還の方法についても同時に議会の議決を経なければならないとされているのに、旧大館村村議会は前記予算議決の際これらの点につき同時に議決した形跡がないから、右予算は法令に違反する無効なものである。しかのみならず、新に予算を伴うことになる案件につき議会の議決を経るためには予算更正の手続を要するものなるところ、本件は退職手当支給の財政的な裏付けとなる予算が無効であつて執行不能であることは前述のとおりであるから、かような瑕疵は退職手当の支給に関する議決自体を無効ならしめるものというべきである。
(二) 特別職に属する地方公務員に対する退職手当の支給は民法にいわゆる贈与の特質を有するものというべきところ、原告主張の退職手当の額を定める村議会の議決があつただけでは単なる内部的な意思決定があつたに過ぎないのであつて、旧大館村および被告飯館村の何れにおいても、右の意思を原告に表示したことはないのであるから、原告は退職手当金の支給を求める権利を取得していない。仮りに右の意思表示がなされたとしても、書面によつてなされたものではないから、本訴においてこれを取消す。
と述べた。(証拠省略)
理由
一、福島県相馬郡大館村が昭和三一年九月三〇日隣村飯曽村と合併して、あらたに被告飯館村が設立されたことと、原告は昭和二二年四月以来旧大館村村長の職にあつたが、被告飯館村の発足と同時に退職したことはいずれも当事者間に争がない。
証人佐藤軍蔵、松下三郎、山田光雄、星義継の各証言、原告本人尋問の結果(第一回)およびこれによつて真正に成立したと認める甲第三号証に弁論の全趣旨を綜合すると、旧大館村は昭和二九年一月一四日村議会の議決を経て「大館村職員の退職手当に関する条例」を制定し、その頃これを公布施行したこと、同条例の第二条第一項には「この条例の規定による退職手当は村長(中略)その他の常勤の職員が退職した場合にその者に対し支給する」と定め、第八条には「職員のうち村長、助役、収入役に対する退職手当の額については(中略)その都度議会の議決を経て定めるものとする」と規定していること等が認められるのであつて、特段の反証のない本件では、右条例は合併当時も施行されていたものということができる。右認定を覆えすに足りる証拠はない。もつとも証人山田光雄の証言によつて成立を認め得る乙第一号証(大館村条例規程綴であつて、表紙の部分の成立については当事者間に争なし)中の条例目次欄には右退職手当に関する条例が掲記されておらないし、同号証中には右条例の原本が綴り込まれていないけれども、右条例規程綴は綴り込まれた条例原本の数及び綴り込みの順序からみても、その整理が極めてずさんなものであることが明かであるのみならず、成立に争のない乙第八号証の二によつて昭和三一年三月三一日制定されたものと認める「大館村職員の退職給与積立金条例」がこれに綴り込まれていないこと及び成立に争のない乙第五号証、証人高橋市平の証言により真正に成立したものと認める乙第九号証の一、四によつて認められる旧大館村から被告飯館村に引継がれた条例綴が少くとも二冊あつた事実に徴すれば、右乙第一号証に綴り込まれなかつた条例原本が他にも相当数存在するのではないかと疑わせるものがあるから、同号証の存在は前示認定を妨げる資料とするに足りない。被告は、原告は昭和三三年二月三日の口頭弁論期日において、原告の本件退職手当金受給権については旧大館村の条例上の根拠がないことを自白したのであるから、右自白を撤回して前記条例の存在を主張することは許されないと主張するが、記録によれば本件第一回口頭弁論期日において原告代理人は「本件退職手当金の支給は議会の議決をもつて足り、地方自治法第二〇四条の二による条例をつくつてやらなくともよいものである」と釈明したに過ぎないことが認められるのであつて、かような釈明は単に法律上の見解を表明したに止まり、旧大館村には村長に対する退職手当の支給に関する条例がなかつた旨の事実上の陳述があつたものと認めることはできないから、被告の右主張は採用の限りではない。
二、そこで旧大館村では前記条例に基き原告に対する退職手当の額を定める村議会の議決が果してなされたか否かを次に検討する。成立に争のない甲第一号証、証人山田光雄、星義継の証言によつて真正に成立したと認める乙第三号証、証人佐藤軍蔵、松下三郎、斎藤好見の各証言、証人大谷久男、油座彦蔵、星義継の証言の各一部部、原告本人尋問の結果(第一回)に弁論の全趣旨を綜合すると、旧大館村では本件合併により村長である原告をはじめとし助役松下三郎、収入役末永進、固定資産評価員市沢由已等特別職に属する四名の職員が職を失うこととなつたので、当時村長であつた原告は被告飯館村発足に先立つてこれら退職すべき職員に対する退職手当の支給額を予め決定しておくのが便宜であると考え、既に合併した他の町村の実例にあらわれた算定基準を参考として支給を受くべき各職員ごとに支給額を調定したが、その内村長たる原告に対する支給予定額は金七五万円であり、これを助役、収入役および固定資産評価員に対する分と合計すると総額は金二六〇万円となつたこと、しかるに当時村長たる原告は右支給案につき村議会に議案として提出するにあたり作成した大館村特別職員退職手当支給についてと題する議案書(甲第一号証)には「本件合併により特別職に属する職員は失職するので退職手当として金二六〇万円を支給するものとする」旨概括的な記載をしたに止まり、支給を受くべき者の氏名および各人に対する個別的な支給金額を特定しなかつたこと、右議案は本件合併直前の昭和三一年九月二八日に開かれた大館村村議会の会議(弁論の全趣旨により適式に招集されたものと認める。)において村長たる原告から議案第七八号として提出されて議事に付されたが、議案の内容が前示のように概括的なものであつたため、議員油座彦蔵が支給額の内訳につき理事者に質したところ、助役松下三郎において支給の対象となるのは村長、助役、収入役および固定資産評価員の四名である旨を明らかにすると共に各人に対する個別的な支給金額をその算定基準を示しながら逐一具体的に説明したので、出席議員の大部分がこれを諒承し、同議案は満場一致をもつて可決されたことが認められるのであつて、証人大谷久男、油座彦蔵、星義継等の証言中前記認定に牴触する部分は前掲各証拠に照らし信用せず、他にこの認定を左右すべき証拠はない。
以上認定の事実から判断すると、原告が提出した議案は当初その内容が概括的で不特定なものではあつたけれども、審議の際の松下助役の説明により支給を受くべき者各人に対する特定された支給額が明らかにされたことにより、敢て議案訂正の形式的な手続を履践しなくてもおのずから議案の内容が明確にされるにいたつたものと解するのが相当であるから、右議案を可決した前記村議会の議決は、単に原告等四名の特別職職員に対する退職手当の支給額を包括的に定めた趣旨ではなく、原告に対する分金七五万円をはじめとし受給者各人別に特定されたところの支給額を定めたものというべきである。
三、被告は、原告等四名の特別職職員に対する退職手当支給の財政的裏付けとなる旧大館村における昭和三一年度歳入歳出追加更正予算は、法令に違反する無効なものであるから右退職手当の支給に関する村議会の議決もまた無効であると抗弁する。しかし普通地方公共団体の経費の支出を要する議会の議決は、たといそのために必要な予算上の措置が講ぜられなくても議決自体の効力には影響がない。(地方自治法第二三九条の二参照)地方自治法第二三九条の四は「普通地方公共団体の長は、条例その他議会の議決を要すべき案件が新たに予算を伴うこととなるものであるときは、この法律に別段の定があるものを除く外、これがため必要な予算上の措置が適確に講ぜられる見込が得られるまでの間は、これを議会に提出することができない。」と規定するが、これはむしろ右のことを前提とし、議会の議決と予算との間の矛盾不一致をなるべく避けるため設けられた訓示規定であるから、この規定を理由として予算措置を伴わない議決は無効であるということはできない。そうであるとすれば仮に本件退職手当支給の裏付となる追加更正予算が無効であるとしても、前記退職手当支給額を定めた村議会の議決自体の効力には影響がないことは明かである。従つて本件においてはむしろ大館村の権利義務一切を承継した被告飯館村において旧大館村の議決にもとずく原告に対する退職手当の支給を予算がないことを理由として拒否し得るか否かが問題であつて、被告が右議決の無効を主張する真意もむしろここにあるというべきである。ところで公共団体の経費の支出を伴う議会の議決には、給付に対する反対給付又はこれに準ずる経済的対価(例、国家賠償法の定める損害賠償金)として公共団体の経費支出を義務づける議決と、公共団体の政策的ないし恩恵的な支出(例、補助金、見舞金)を義務づける議決の二種類があつて、公共団体は後者については予算の範囲内においてのみ経費支出の義務を負うが、前者については議決に従つて予算措置を講ずる義務を負い、予算がないことを理由としてその支出を拒否し得ないと解すべきである。被告は特別職に属する地方公務員に対する退職手当の支給は民法上の贈与の性質を有すると主張するけれども、退職手当は政策的ないし恩恵的な無償給付ではなく、公務員の在職中における勤務に対する対価と解すべきであるから、退職手当支給に関する議決は前叙第一種の議決に属するものというべく、従つて旧大館村の権利義務を承継した被告としては、大館村議会の前記議決にもとずく原告に対する退職手当の支給を予算措置が講ぜられていないことを理由として拒否することは許されないといわねばならない。
被告は前記大館村議会の議決は旧大館村の内部的意思決定に過ぎないから、旧大館村又は被告から原告に対し退職手当を支給する旨の意思表示のない本件においては、原告はこれを被告に請求する権利がない、と主張する。しかし原告の本件退職手当受給権は前掲「大館村職員の退職手当に関する条例」にもとずく(公法上のの)権利であつて、右条例によれば村長その他の特別職の退職手当受給権は、退職という事実と支給金額を定める村議会の議決によつて当然発生するのであつて、特に村から退職者に対する意思表示を必要としないと解すべきであるから、被告の右主張は理由がない。また、被告は仮に原告に対し退職手当を支給する旨の意思表示がなされたとしても、書面によらない贈与であるから本訴においてこれを取消すと抗弁するが、公務員の退職手当が贈与の性質を有しないこと及び退職手当を支給する旨の意思表示が必要でないことはいずれも前叙認定のとおりであるから、右抗弁もまた採用の限りではない。
四、そうであるとすれば、原告は前記村議会の議決と退職という事実により旧大館村に対し金七五万円の退職手当受給権を取得したことが明かであるというべきところ大館村と飯曽村が前示議決直後の同月三〇日合併して被告飯館村が設立され、その権利義務の一切を承継したのであるから、仮に旧大館村と被告飯館村の当局者間に原告に対する退職手当金の支給事務に関する引継がなされなかつたとしても被告は法律上当然に旧大館村の前示債務を承継したものであることはいうまでもない。而して原告が昭和三二年六月一日被告から退職手当金として金二〇万円の支給を受けたことは原告の自認するところであり、残金五五万円については原告が同年一二月一六日被告に到達した内容証明郵便をもつて該郵便到達の日から五日以内に支給されたい旨の催告をしたことは当事者間に争がないのであるから、被告は原告に対し退職手当金の残金五五万円およびこれに対する昭和三二年一二月二二日から完済まで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払義務があることは明らかである。
よつて原告の本訴請求を全部正当として認容し、訴訟費用は民事訴訟法第八九条により敗訴被告に負担させ、仮執行の宣言はこれを付するに適当でないと認めるからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判官 檀崎喜作 滝川叡一 近藤浩武)