大判例

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福島地方裁判所 昭和55年(わ)45号 判決 1980年7月17日

主文

被告人を懲役四月に処する。

この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、講道館から柔道三段の資格を受けている者であるが、昭和五四年二月七日午後一〇時過ぎ、友人の阿部正宣(当時三四年)と共に、福島県二本松市郭内三丁目二八七番地スナック「かすみ」に飲みに行ったところ、この日初めて見る小野清一(当時三八年)が酒に酔って、同店の経営者の柳沼登喜子(当時四四年)に対して同女の弟の残したという債務に関して執拗にからんでいたため、その様子を見ていると、小野、柳沼及び阿部の三人が店外に出て行ったが、間もなく、外の方で大声でどなる声がしたので、心配になって店の外に出ると、店の向い側にある同市郭内三丁目二三二番地霞が城公園大手門入口付近において、小野が柳沼をかばっている阿部のみぞおち付近を二回位足げりにしているのが見え、その後も、小野がその知人宮澤紘一(当時三七年)から押えつけられるなどして制止されていたにもかかわらず、なおも暴れていたので、同日午後一〇時三〇分ころ、仲裁しようという気持から、小野と宮澤のいる所に近づくと、小野がめがねをはずして宮澤に手渡した上、いきなり、手拳で被告人の顔面を目がけて殴りかかり、これを左手で払いのけたが、そのこぶしが被告人の左肩に強く当ったため、小野の右腕を自分の左脇にかかえ、更に右腕で同人の左肘付近を押さえたが、同人が被告人を二、三歩後退させるほど強く押してきたため、小野の急迫不正の侵害に対し、自己の身体を防衛する意思で、防衛の程度を超えて、柔道技にいわゆる払い腰の方法で同人の左腰を自分の左腰に乗せるようにして投げ、同人を固い地面に転倒させ、よって、同人に対し、全治不能の頸髄損傷等の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役四月に処し、情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の本件所為が刑法三六条一項の正当防衛又は同法三五条の正当行為に該当し、被告人は無罪である旨主張するので、これらの主張について順次判断する。

一  本件犯行に至る経緯

前掲各証拠によると、次のとおりの事実が認められる。

被害者小野は、本件犯行当日の午後六時ころから午後八時ころまでの間、宮澤の家で日本酒五合位を飲んだ上、同日午後八時三〇分ころ、同人と共にスナック「かすみ」に行き、二時間位の間にウイスキーを水割りで一、二杯飲んで、かなり酩酊していた。小野は、「かすみ」に行ってから間もなく、柳沼に対し、「おめい、六〇万円払え、このくそばばあ。」などと言って、同女の弟の残したという債務について返済するように執拗に迫り、同席していた客に対しても、大声で「おまえは馬鹿野郎だ。」などと言ってからんだり、「おめら、こんなばばあのところに飲みにくんなよ。」などと言って騒ぎ立て、同日午後一〇時過ぎに被告人及び阿部が現われてからも、柳沼に対し、「金を払え、どんなことをしても金を取ってやる。」などと大声でどなっているうち、たまりかねた同女が小野に店外で話をしようと言うとともに、阿部に一緒に来るように頼んだため、小野、柳沼及び阿部の三人が店外に出たところ、店の前の霞が城公園大手門入口付近において、小野が柳沼に近づいて右手で同女の胸を一回押した。そのころ店内にいた被告人は、外で大声でどなる声を聞いて心配になり、店の外に出ると、小野が柳沼をかばっている阿部のみぞおち付近を右足で二回位けとばしているのが見えた。既に店外に出てこの様子をみていた宮澤は、小野の所に行き、制止しようとして、背後から同人を羽交い締めにしたが、同人は、羽交い締めにされたまま、再び阿部のみぞおち付近を右足で一回位けり上げ、更に、宮澤の手を振り切ろうとして両手をばたばたさせて暴れたため、同人の手が離れて、二人共その場に倒れた。小野は起き上がってなおも阿部の方に向かおうとしたが、また宮澤に後方から押えられ、再び小野と宮澤の二人が倒れた。そこで、様子を見ていた被告人が仲裁のため小野と宮澤のいる所に近づくと、小野がいきなり被告人に対して判示のとおりの暴行を加えたため、被告人がこれに対して判示のとおりの行為に及んだ。なお、小野が投げられた所は、コンクリートの上に薄く土砂のかぶっている固い地面である。以上の事実が認められる。

二  正当防衛の成否について

1  急迫不正の侵害の有無

右に認定した各事実、特に、小野がかなり酩酊した上、興奮した状態で暴れていたこと、被告人は、小野が柳沼の胸を押した直後から、小野の一連の行動を見ていたこと、小野が一方的に被告人に殴りかかった上、被告人に右腕と左肘付近を押えられながらも強い力で押していたこと等の事実を合わせて考えると、小野の被告人に対する暴行が急迫不正の侵害に当たるものということができる。

検察官は、小野が多量の飲酒によってひどく酩酊していたため、阿部をける動作がぎこちなく、被告人に対しても容易に避け得る程度の速さで殴りかかってきたということを強調して、小野の被告人に対する暴行が急迫不正の侵害に該当しない旨主張するところ、小野がかなり酔っていたことは、前記のとおりの同人の飲酒量や「かすみ」における言動によって肯定することができ、かつ、同人が阿部をぎこちない感じでけったことや被告人に殴りかかる動作がそれほど速くなかったことは、被告人自身が供述しているところであって、間違いないものと思われるけれども、一方で、前掲各証拠によると、小野が柳沼の胸を片手で押したり、阿部のみぞおち付近を片足で二回位けっていながら、その際よろけて転ぶことがなかった事実が認められ、この事実によれば、小野が攻撃能力を欠くほどの状態ではなかったものと考えられ、現に、同人の手拳が被告人の顔面には当たらなかったものの、左肩に強く当たっている上、小野は、右腕と左肘付近を押えられながらも被告人を二、三歩後退させるだけの力で押すことができたのであるから、小野がかなり酔っていて動作にぎこちなさがあったとはいえ、同人の被告人に対する攻撃が急迫不正の侵害に当たらないということはできない。

2  防衛の意思の有無

前記のとおり、本件犯行に至る経緯において認定した各事実によれば、被告人の本件所為は、小野の被告人に対する攻撃に対応してなされたものということができ、また、被告人は、「相手もつかまれまいと押してきたので、あばれると何をされるかわからないと思って、柔道の払い腰で投げ倒したのです。」「このことで、この争いの仲裁ができればしかたないと思って投げてしまいました。」とか、「酔って力が強いし、自分が危くなると思いました。」、「なるべくタッチしないように見ていたのですが、急に殴りかかってきたので、制圧するために投げました。」などと述べているところ、本件犯行に至る経緯に照らしてみると、これらの供述は被告の素直な気持を表わしたものとして首肯できるから、本件所為は、小野の被告人に対する攻撃を制圧する意思でなされたものと認めることができ、以上を総合すれば、被告人に防衛の意思があったものということができる。確かに、被告人自身が「頭にくる程ではありませんでしたが一寸ムカッとしました。」と供述しているとおり、被告人が小野の攻撃に対して気分を害したことは認められるけれども、被告人の本件所為がもっぱら報復的又は懲罰的意図でなされたものと認めるに足る証拠はないのであるから、このことをもって防衛の意思を欠くということはできない。

3  防衛行為の必要性・相当性の有無

防衛行為の必要性についてみると、前示のとおり、小野が被告人に殴りかかった後右腕と左肘付近を押さえられてもなお被告人を二、三歩後退させるほど強く押していた事実が認められるのであるから、被告人に対する攻撃は現在していたものと考えられ、被告人としては、小野の攻撃を甘受したり、その場から逃げ去ること以外に、同人に反撃してその行為を積極的に制圧することも許される状況にあったということができ、従って、防衛行為の必要性があったことは明らかである。

そこで、防衛行為の相当性について検討する。被告人の反撃行為の態様をみると、柔道三段の実力をもつ被告人が柔道技である払い腰で小野を投げたものであるところ、この技は、自分の腰に相手の腰を乗せるようにした際、相手の両足が投げる者の肩付近まで上がり、その後相手の身体が落ちるときには相手の顔の向きが大きく回転するという大技である。《証拠省略》によれば、払い腰は柔道技の中で安全なものであるということであるが、柔道家の間で安全な部類に属する技であっても、本件のように、柔道の受け身を知らず、しかもかなり酩酊して運動能力が鈍っている者をコンクリートに薄く土砂のかぶった固い地面の上に投げる場合には、重大な結果を生ずることがあり得ると考えられ、従って、本件行為はかなり危険なものであるといわざるを得ない。更に、前掲各証拠によると、被告人は、身長一七二センチメートル、体重七〇キログラムのがっちりした体格を有し、柔道三段の実力をもつ年齢二八才の若者であるのに対し、小野は、身長一七〇センチメートル、やせ型で、年齢も三八才であるばかりでなく、本件犯行の際かなり酩酊していたことが認められ、従って、体力の点でも運動能力の点でも被告人の方が優っていたことが明らかであり、更に、小野が兇器を持たずに素手で攻撃してきたことを考慮すると、被告人としては、払い腰を用いることまでしなくとも、例えば小野を逆手にとってねじ上げるなど、より危険の少ない方法により同人を制圧することができたものと考えられ、かつ、被告人がそのような手段を用いることは本件の事情の下において容易であったと判断される。従って、被告人の小野に対する反撃行為は、防衛行為の相当性の範囲を逸脱しているものといわざるを得ない。

以上の次第で、被告人の本件所為は、小野による急迫不正の侵害に対し自己の身体を防衛する意図から行われたと認めることができるものの、その防衛の程度を越えたものであるから、過剰防衛行為であるといわなければならない。

三  正当行為の成否

逮捕行為が正当行為とされるためには、その行為がその際の状況からみて社会通念上逮捕のために必要かつ相当であると認められる限度内の実力の行使であることが必要であるところ、本件においては、前記のとおりの被告人と小野との体力及び運動能力の差並びに同人が素手であったことを勘案すると、逮捕行為としても相当性を逸脱していると考えられ、従って、被告人に小野を逮捕する意思があったとしても、被告人の本件所為は、正当行為として違法性が阻却されるということはない。もとより、本件は、弁護人指摘の東京高判昭和五一年一一月八日(判例時報八三六号一二四頁)と事案を異にする。

(量刑の理由)

本件は、前記のとおり酩酊して暴れている被害者の攻撃から自分の身体を防衛するために行われたものであって、その動機において十分酌むべきものがあるのみならず、被害者が被告人の行為の結果全治不能の傷害を負うということまでは、被告人の予想していなかったところであり、その意味で、被告人にとってまことに不運な事態であったということもできるが、しかし、柔道家である被告人がいかにとっさの判断による防衛行為であるとはいえ、受け身も知らないばかりでなく酩酊している被害者に対し払い腰を用いて固い地面の上に投げた行為はかなり危険であるばかりでなく、現に、被害者が一生半身不髄の生活を余儀なくされるという重大な結果を生じていることは、とうてい無視することができない。確かに、触らぬ神にたたりなしという昨今の風調が好ましくないものであることは、弁護人の指摘するとおりであるけれども、だからといって、限度を越えた反撃が正義の発露として許されてよいはずはない。特に、力をもつ者はその行使に謙抑的であることが要求されるのに、柔道三段の被告人が軽々に柔道技を用いて被害者に重傷を負わせたということは、柔道家の恥といわれることはあっても、英雄的行為として高く評価されるべきではない。これらの事情を考慮すると、本件について懲役刑を選択することはやむを得ないというべきであるが、前記のとおり、本件について被告人に同情すべき余地があることに加え、被告人には交通事故で一回罰金刑を受けた以外に前科・前歴がなく、生活態度がスポーツマンらしく実直であること、その他諸般の事情を斟酌すると、主文のとおり、懲役四月の刑を科した上、その刑の執行を猶予することが相当であると考えられる。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 山室惠)

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