福島地方裁判所いわき支部 平成22年(ワ)493号 判決 2012年2月17日
主文
1 被告と原告との間の別紙1物件目録記載の各不動産についての賃貸借契約における月額賃料として、平成22年12月1日から平成23年11月30日まで、各月ともその支払期日において、659万6625円から別紙2償還金額総括表の該当月の「償還金額合計」欄記載の金額を控除した金額を超えて支払義務のないことを確認する。
2 被告は、原告に対し、439万6725円及びこれに対する平成22年12月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 原告のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用(補助参加により生じた費用を含む。)は、これを7分し、その1を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
5 この判決は、2項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求の趣旨
1 被告と原告との間の別紙1物件目録記載の各不動産についての賃貸借契約における月額賃料として、平成22年12月1日から平成31年2月28日まで、各月ともその支払期日において、659万6625円から別紙2償還金額総括表の該当月の「償還金額合計」欄記載の金額を控除した金額を超えて支払義務のないことを確認する。
2 主文2項同旨
第2事案の概要等
1 事案の概要
本件は、別紙1物件目録記載の各不動産(以下「本件各不動産」という。)について、協和興産株式会社(以下「協和興産」という。)との間で賃貸借契約(以下「本件賃貸借」といい、その賃料を「本件賃料」という。)を締結していた原告(当時の商号株式会社ニトリ)が、同目録記載1の建物(以下「本件建物」という。)の所有権及び同目録記載2(1)ないし(22)の各土地(以下「本件各土地」という。)の借地権を取得し、本件賃貸借の賃貸人たる地位を承継した被告に対し、①協和興産との間で本件賃料の一部と原告が有する債権とを対当額で相殺する旨の合意(以下「本件相殺契約」という。)がなされており、その効力は被告にも及ぶと主張して、平成22年12月1日以降被告に支払う賃料として、本件賃料から別紙2償還金額総括表の該当月の「償還金額合計」欄記載の金額を控除した金額を超える支払義務のないことの確認を求めるとともに、②平成22年10月分及び11月分の賃料につき、本件相殺契約の効力が発生しているにもかかわらず、相殺前の金額を支払ったとして、不当利得返還請求権に基づき、439万6725円及びこれに対する訴状送達日の翌日である平成22年12月11日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 前提となる事実(争いのない事実に加え、各項末尾記載の証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認められる事実)
(1) 本件賃貸借
原告は、平成11年3月15日、本件建物の所有権及び本件各土地の借地権を有していた協和興産との間で、本件各不動産につき、おおむね以下の内容の賃貸借契約(本件賃貸借)を締結した。(甲1)
ア 目的 家具・インテリア用品販売店舗及び駐車場
イ 期間 平成11年3月15日から満20年間
ウ 賃料 1か月659万6625円(消費税込み)
エ 支払方法 毎月末日までに翌月分を支払う。
オ 敷金 1億4956万円
(2) 本件相殺契約
原告は、本件賃貸借の締結に際し、協和興産との間で、原告が協和興産に対して有する以下の名目及び金額の債権(以下「本件建築協力金等」という。)について、別紙2償還金額総括表の「年 月 日」欄記載の日に、同「償還金額合計」欄記載の金額と、本件賃料とを対当額で相殺する旨の合意(本件相殺契約)をした。(甲1)
ア 建築協力金 3億5824万円
イ テナント解約貸付金 1億円(年2%の利息を付する。)
ウ 建築準備保証金 7500万円(利息を付するものとし、1年目は本件建物引渡時の長期プライムレート2.6%、2年目からは2年目の同月の長期プライムレートを用いる。)
(3) 協和興産は、平成22年5月31日、当庁に特別清算開始申立てを行い、同年7月9日、特別清算開始が命じられた。(当庁平成22年(ヒ)第501号。以下「本件特別清算」という。甲2)
(4) 協和興産は、裁判所の許可を得た上で、平成22年8月31日、本件建物の所有権及び本件各土地の借地権を、被告に対し、代金3億1144万1030円で売却し(以下「本件売買」という。)、被告は、本件賃貸借の賃貸人たる地位を承継した。なお、補助参加人は、本件売買の仲介業者である。
本件売買においては、敷金返還債務については被告が承継し、本件建築協力金等の支払義務については協和興産が負担することとされており、これを前提に裁判所の許可がなされている。(甲5、乙1、2、丙1)
(5) 原告は、被告に対し、平成22年9月30日に同年10月分の、同月30日に同年11月分の本件賃料全額(659万6625円)をそれぞれ支払った。
別紙2償還金額総括表「償還金額合計」欄記載の金額は、同年9月30日が219万7464円であり、同年10月31日が219万9261円である。
3 争点及びこれに対する当事者の主張の要旨
本件相殺契約の効力が被告に及ぶか否か
(原告の主張)
(1)ア 平成11年3月15日、原告と協和興産との間で、本件相殺契約が締結されたことにより、本件賃料は期限の到来又は条件の成就によって消滅する債権に変容した。被告は、この変容を受けた賃料債権を承継したのであるから、本件相殺契約の効力は被告にも及ぶ。
イ 平成10年3月24日最高裁第三小法廷判決(以下「平成10年判決」という。)は、「建物の賃料債権の差押えの効力が発生した後に、建物が譲渡され賃貸人の地位が譲受人に移転したとしても、譲受人は、建物の賃料債権を取得したことを差押債権者に対抗することができない。」と判示しており、これは、将来賃料の差押債権者と差押えの効力が発生した後の賃貸建物の譲受人とは対抗関係となり、先に対抗要件を備えた方が勝つという趣旨である。また、平成13年11月22日最高裁第一小法廷判決は、将来債権譲渡についても直ちに準物権的効力が生じ、かつ第三者対抗要件の具備が可能であると判示しているから、将来賃料の譲受人とその譲渡の効力発生後の賃貸建物の譲受人との関係は対抗関係となる。
そうすると、弁済や相殺のように、格別の対抗要件を具備することなく、その効力を第三者に主張できる場合は、相殺等の行為時と賃貸建物の譲受人の対抗要件具備の時期を比べ、早い方が優先することとなり、本件売買よりも先に本件相殺契約が締結されている本件においては、本件相殺契約が優先することとなる。
この点に関し、被告及び補助参加人は、平成10年判決の結論は、「差押え」の有する特別の効力から導かれるものと捉えているようであるが、平成10年判決をそのように理解する見解は見当たらないし、判示内容とも整合しない。多くの学説は、平成10年判決の趣旨は、賃料債権の譲渡と賃貸建物の譲渡の場合にも及ぶとしており(甲33ないし35)、「賃料債権の譲渡」と「賃料債権を目的とする相殺」とは、いずれも賃料債権の任意処分であって、区別して取り扱う理由はない。また、第三者が利害関係を有するに至った時点では相殺予約のみが存し、相殺そのものがなされていない場合であっても、その後になされた相殺予約に基づく相殺の効果を、その第三者に主張できるとする見解もあり(甲30)、条件ないし期限付きとはいえ、相殺そのものが行われている本件においては、その効果は第三者である被告に当然及ぶ。
(2) 本件相殺契約は平成11年3月15日になされていることから、会社法517条1項1号は適用されない。仮に同号の適用が問題となり得るとしても、以下の事情からすれば、本件相殺契約は、同号において禁止されている相殺には当たらない。なお、原告は、本件建築協力金等につき、本件特別清算における債権届出をしていない。
ア 破産手続においても、相殺が有する担保的機能は保護されているところ、本件賃貸借は、協和興産の財産的危機時期以降になされたものではないし、原告が、協和興産に対し、本件建築協力金等を預託したのは、本件賃料から回収できるとの期待があったからであり、その期待は正当なものであって、相殺により優先的回収を認めたとしても、他の債権者間に不公平を生じることでもない。
原告としては、協和興産が破綻した場合等の担保として、預託した本件建築協力金等を回収するため、本件賃料の一部と相殺するとの本件相殺契約をなしたものである。
イ 原告の賃料債務は、平成11年3月15日に締結された継続契約である本件賃貸借に基づいて負担するに至った債務であり、本件特別清算開始命令日である平成22年7月9日以降に協和興産に対して負担した債務ではない。
ウ 原告は、協和興産が将来破綻等した場合の担保として、賃料の一部と相殺するという本件相殺契約を締結した上で、本件建築協力金等を預託したものであり、本件特別清算という偶然の事情によって、本来主張できた相殺が主張できなくなるとすると、原告は予想外の著しい不利益を被る結果となる。また、本件相殺契約は、賃料の一部との相殺であり、合理的な範囲内での相殺であることから、相殺は認められるべきである。
(被告の主張)
(1) 相殺契約ないし相殺予約の対外的効力について
相殺予約や、期限又は条件付き相殺契約の有効性は、契約自由の原則に由来するものであり、取引上の要請から、相殺の担保的機能を拡大して、契約当事者以外の第三者に相殺の対抗力を拡大する範囲や限度について議論がなされている。しかしながら、相殺予約等に対外効を認めることは、債権者平等の原則や債権譲渡の自由を侵すことになるのであって、民法505条の定める要件により認められる相殺の範囲を超えて拡大することは、契約外の者の契約の自由を侵すことにつながる。また、何ら公示が要求されない契約当事者の合意のみで物権的効力が相殺予約等に広く与えられるのは、法的不安定をもたらすものであり、これら合意の対外効については基準を明確にして、抑制的、制限的に解釈されなければ、他の取引の安全を脅かしかねない。
相殺予約等の対外効について、契約の自由を根拠とし、合意による担保的機能を拡大するため、無制限に肯定しようとする見解があるが、契約自由の原則が妥当するのは当事者間についてであり、対外的に影響がある取り決めについて、当然に第三者が拘束されることは原則としてあり得ない。
(2) 本件が特別清算手続における賃貸物件の処分に関するものであり、本件相殺契約の効力は第三者たる被告には及ばないことについて
ア 建築協力金等は、敷金とは別の消費貸借契約に基づく期限付債権であり、破産手続の場合には、破産財団から賃貸借の目的である物件を譲り受けた第三者に承継される敷金とは性質を異にし、当然に賃料と相殺される地位が承継されるものではない。期限付債権である建築協力金等は、破産手続の中で管財人が賃貸借の目的である物件を売却した場合には、履行期が到来したと解し、破産債権として処理されるべきものであり、これは特別清算手続においても妥当する。
イ 被告は、本件特別清算の開始後、裁判所から、本件建築協力金等については一般協定債権として特別清算手続内で処理されることを前提とした売買の許可がなされ、仲介業者から、重要事項説明書により買受け後に承継するのは敷金のみであるとの説明を受けて、明確な条件の下で本件売買を締結し、本件各不動産の所有権等を取得したものである。売買契約外の第三者たる原告から、協和興産との契約に過ぎない本件相殺契約を根拠に、本件建築協力金等に関し、担保権を有しているかのような主張をされる理由はない。
ウ 特別清算手続において、競売により賃貸物件が売却された場合、相殺契約が対外効のある担保的機能を有するのであれば、競売手続の物件明細書に必要的記載事項として記載されることとなるが、敷金以外の期限付債権については、相殺契約が存していたとしても、買受人が承継する義務がある旨の記載はなされない実務となっている。
これは、賃貸借契約における具体的賃料は、各期において発生するものであり、これら将来の賃料債権の譲渡は期限が到来して初めて移転が可能となるのであって、その時点で具体的に発生した賃料債権につき処分権限を有していなければその効力は発生し得ないからであり、また、賃料等の担保として預託される敷金と貸付金たる建築協力金等とは法的性質が異なり、建築協力金等は建物譲受人に承継させるべきではないからである。建物所有権が移転し、賃貸人たる地位が譲受人に移転した後に発生した賃料債権については、譲渡人は処分権を失っているのであるから、譲渡人と賃借人との間の賃料債権の譲渡契約や相殺契約は効力を生じないとみるべきである。
原告の主張を前提とすると、賃貸人と相殺契約を締結すれば、他に優先する地位を得ることとなり、抵当権等が担保物の処分価額を超えて満足を得ることがないのに比較し、相殺契約をなした賃借人は、建物譲受人との間で賃料債権と相殺して債権全額の弁済を受けるのと同様の結果を得られることになり、不合理である。
エ 敷金とは異なる貸付債権についてまで、相殺契約に対外効を認めるならば、賃借人の債権について、公示方法もなく、契約当事者以外の第三者に対抗し得る優先弁済機能を付与することとなる。相殺契約という契約当事者間で合意された、公示されない非典型担保に物権的機能を与え、他の者の権利を制限することは許されない。
破産手続や特別清算手続等の裁判所が関与する手続においても、これが許されるのであれば、同手続等において、相殺契約が締結されている賃貸物件を売却処分するすべての場合に、相殺契約の内容を評価し、これを差し引いた価格で売却又は財団からの放棄をしなければならなくなり、かかる場合の換価処分は困難ないし不可能となって、同手続等は困難あるいは無意味となることも多くなり、一般債権者の利益は大きく損なわれ、債権者平等の原則を著しく害することとなる。
オ 特別清算手続においては、賃貸物件の売却は裁判所の許可を受けてなされるものであり、また、特別清算手続は、清算会社の全資産をもって全債務の弁済をなすことが不可能な場合に、債権者平等の原則から、その利害を調節し、一般債権者を平等に扱い、すべての資産を処分換価して、最終的にこれを終了する手続である。したがって、債権債務が当事者を異にして残存し、他の法定相殺権者や担保権者は手続の終了により、残存する債権は免除ないし自然債務となるのに、相殺契約における債権者のみ、その枠外で処理されるとすることは特別清算手続の意味を失いかねず、また、手続内での財産の処分を困難にし、手続の存在理由を弱めるものである。
さらに、物権法定主義にも反する当事者間の合意に、強力な対世的な非典型担保を認めることは、民事法上の担保制度そのものを揺るがすことにもなる。
(3) 平成10年判決は、建物の譲受人が賃料債権を取得したことをその差押債権者に対抗できるか否かについて判断をしたものに過ぎず、任意譲渡や特別清算等の他の手続による賃貸物件の譲渡の場合にまで妥当するものではなく、本件特別清算において協定債権としての届出をなし、協定債権者の法定要件を満たした多数の同意による協定に服すべき立場にある原告について妥当するものではない。
また、原告が指摘する学説等についても、本件に直接当てはまるものではない。
(補助参加人の主張)
以下の点を付加する他は、被告の主張を援用する。
(1) 本件売買においては、被告は敷金の返還義務を承継するが、本件建築協力金等については、被告に承継されず、協和興産と原告との間で解決することとされている。
このような処理は、実務上定着した取扱いに倣ったものであり、補助参加人は、本件建築協力金等が賃貸借契約と別個に消費貸借の目的とされたものであること、本件売買の締結前に本件特別清算の開始が命じられ、本件建築協力金等の債権は協定債権として行使されることになったこと(原告も本件建築協力金等についての協定債権者であることは本件特別清算において自認している。)、本件売買はこのような事情が明示され、それを前提に裁判所の許可を受けたものであることを確認して仲介業務を行った。
なお、協和興産と被告が、原告に対し、本件建築協力金等について、本件特別清算において処理される旨の書面を送付した後、原告が、平成22年10月分及び11月分の本件賃料全額を支払い、また、本件建築協力金等の回収ができなくなったことを前提として賃料の減額を求めた経過もある。
(2) 原告が、本件相殺契約の効力が被告に及ぶことの根拠として指摘している平成10年判決の最大の論拠は、継続的債権についての差押えの効力に関する特則を定めた民事執行法151条にあり、同条により将来発生する債権についても差押えの効力が及ぶことを踏まえ、建物の譲渡前に賃料差押えの効力が発生していたから、新所有者は、その効力を引き受けると判示しているに過ぎず、前所有者のもとでの任意処分の効力について、新所有者が引き受けることを示した先例ではない。賃料債権が現実化する際の債権者は、新所有者であって当事者が異なるにもかかわらず、前所有者のもとで行われた任意処分が新所有者に引き継がれる理由について、原告は説明ができていない。
平成10年判決の趣旨が任意処分の事案に及ぶかに関して原告が指摘する学説の中には、建物の譲渡人が濫用的な譲渡を行った場合、賃料債権の譲受人には、濫用的な建物譲渡を防止する方法がないのは賃料債権が差し押さえられた場合と同じであるから、賃料債権譲渡の効力を建物譲受人との関係でも肯定すべきと一応解すべきであるとの解釈論を示唆するものにとどまるものもあり(甲33)、特別清算手続中の会社が有していた不動産の処分につき、同不動産をめぐる権利関係が明示された上で、裁判所の許可を受けて売買が行われた本件について同様に考えることは相当でない。
第3当裁判所の判断
1 特別清算手続との関係について
(1) 前記前提となる事実によれば、本件売買は、本件特別清算手続の中で、裁判所の許可を得た上でなされており、また、原告が相殺を主張する賃料債務は、本件特別清算開始後の本件各不動産の使用収益に対する対価で、その支払日もその開始後に到来するものであるところ、特別清算手続においては、会社法517条が相殺の禁止について定めるなどしていることから、本件特別清算手続によって、本件相殺契約による相殺が制限されないか、まず検討する。
(2) この点、特別清算手続と同様に、清算型の倒産手続を定める破産手続においては、平成16年法律第75号による廃止前の破産法(以下「旧破産法」という。)は、同法104条(現行破産法71条、72条)で、相殺の禁止に関する定めをするとともに、旧破産法103条1項前段が、賃貸人が破産宣告を受けた場合に、賃借人が破産債権者でもある場合の借賃との相殺について、破産宣告時の当期及び次期の借賃について相殺することができる旨を定め、将来賃料を受働債権とする相殺について規定していた。同項前段は、将来賃料を受働債権とする相殺等を無制限に認めた場合には、財団を著しく減少させ、他の破産債権者を害するため、相殺を制限し、破産手続開始時点の次々期以降の賃料を破産財団に確保する趣旨の規定であったと解される。
旧破産法が、同法104条の他に、将来賃料との相殺に関し、特に同法103条1項前段を定めてその制限をしていたことからすると、そのような規定がない場合には、破産宣告後の不動産の使用収益に対する対価であり、その支払日も破産宣告後に到来する賃料であっても、それを受働債権とする相殺が許されると解される。
そして、旧破産法103条が廃止された現行の破産法においては、破産財団に属する不動産の賃借人が破産債権者でもあるときは、賃貸借契約による債務負担自体が否認されるような場合を除き、将来賃料を受働債権とする相殺が許されるものと解され、その結果、他の債権者に不利益が生じることも許容されているものと解される。(「一問一答新しい破産法」(商事法務)90頁以下や「大コンメンタール破産法」(青林書院)294頁に同旨の説明がなされている。)
なお、本件における相殺は、原告と協和興産との合意によるものであるが、単独行為たる民法上の相殺と別異に解する理由はない。
(3) 特別清算手続は、破産法と同様の清算型の倒産手続で、会社法574条により破産手続への移行も予定されている手続であり、破産法における解釈と異なる解釈を採るべき理由も見当たらないから、特別清算手続においても、破産法と同様の解釈を採るべきである。そうすると、旧破産法104条(現行破産法71条、72条)と同様の定めである会社法517条の他に相殺を制限する特別の規定がない以上、特別清算会社に債権を有する者が賃借人であった場合は、将来賃料を受働債権とする相殺が、特別清算手続によって制限されることはないものと解するのが相当である。
なお、特別清算手続においては、否認権が認められていないが、否認権を行使しなければならないような事案については、破産手続によって処理すべきものといえ、否認権が認められていないことが、特別清算手続において破産法の解釈と異なる解釈を採用すべき理由とはいえない。
(4) 被告及び補助参加人は、裁判所が、本件建築協力金等の支払義務については協和興産が負担することを前提に本件売買の許可をしていることを指摘するところ、原告が、本件建築協力金等の支払義務を協和興産が負い、本件相殺契約の効力が被告に及ばないと被告に信じさせた場合であれば、その効力を被告に主張することが、信義則に違反し、又は権利の濫用に当たるものと解される場合もあり得るが、本件においてそのような事情はうかがわれず、被告が、裁判所がした上記許可を信頼したからといって、原告の権利が制限される理由はない。
(5) 以上によれば、本件相殺契約による相殺は、本件特別清算手続によって制限されるものではないということができる。
2 本件売買との関係について
(1) 本件売買により、本件賃貸借の賃貸人の地位は、協和興産から被告へと移転しており、賃料債権も被告が取得しているところ、原告と協和興産との間で締結された本件相殺契約の効力を、本件建物等の譲受人である被告にも主張することができるのかについて、検討する。
(2) まず、将来賃料であっても、処分をすることは可能であるから(昭和5年2月5日大審院判決参照)、不動産の賃貸人が、将来賃料について、賃借人との間で相殺契約を締結することも許されると解される。
そうすると、原告は、協和興産に対しては、本件賃料の請求に対し、本件相殺契約による効力を主張して対抗することができたといえる。そして、民法468条は、債務者が、異議をとどめない承諾をした場合を除き、債権の譲受人が対抗要件を具備するまでの間に、譲渡人に対して生じた事由をもって、譲受人に対抗することができる旨を定めているところ、賃貸人の地位の移転は、将来賃料の債権譲渡という側面も有しているから、賃貸人の地位の移転によって賃料債権が移転した場合にも、債権譲渡の場合と同様に、新賃貸人が対抗要件を具備するまでに、賃料債権について旧賃貸人に対抗することができた事由をもって、新賃貸人にも対抗できるものと解するのが相当である。
さらに、賃貸人の地位の移転は、不動産の所有権移転登記によって公示されていると解されるから、賃借人が、所有権移転登記がされる前に、旧賃貸人に対して取得した債権については、賃借人は賃料債権と相殺することに対する期待を有しているといえ、このような賃借人の期待は保護されるべきであって、このことは合意による相殺であっても同様である(なお、抵当権に基づく担保不動産収益執行に関してではあるが、平成21年7月3日最高裁第二小法廷判決は、賃借人が抵当権設定登記の前に取得した賃貸人に対する債権については、賃料債権と相殺することに対する賃借人の期待が抵当権の効力に優先して保護されるべきであるとして、抵当権設定登記と自働債権の取得の先後によって、抵当権と相殺の優劣を判断している。)。
このような事情を考慮すると、譲渡された不動産の賃借人は、その所有権移転登記の前に取得した旧賃貸人に対する債権を自働債権とし、賃料債権を受働債権とする相殺あるいは旧賃貸人との相殺契約をもって、不動産の譲受人である新賃貸人に対抗することができるというべきである。
(3) 被告及び補助参加人は、建築協力金等が、不動産の所有権の移転に伴って、当然には新所有者に承継されないものであることから、賃料と相殺される地位についても当然に承継されるものではない旨の主張をする。
この点、賃貸借契約の当事者間に建築協力金等の債権債務がある場合、所有権が移転したとしても、新所有者は、特段の合意をしない限り、建築協力金等の返還債務を承継しないが(昭和51年3月4日最高裁第一小法廷判決参照)、そのことと、建築協力金等と賃料とを相殺する旨の合意の効力が新所有者に及ぶか否かとは事案が異なり(建築協力金等の返還債務自体を承継する場合には、たとえその額が、残りの期間の賃料よりも多額であったとしても、新所有者は建築協力金等全額の返還義務を負うことになる。)、被告及び補助参加人の主張は採用できない。
(4) 前記前提となる事実記載のとおり、原告が協和興産に対する本件建築協力金等の債権を取得し、本件相殺契約を締結したのは、いずれも本件売買より前のことであるから、原告の相殺の期待は保護されるべきであって、原告が、賃料債権の移転に関して異議をとどめずに承諾したという主張立証のない本件においては、本件相殺契約の効力は、被告にも対抗することができるというべきである。
なお、本件売買は、本件特別清算手続の中で、抵当権が設定されていた本件建物について、抵当権の実行ではなく、任意売却をすることとして締結されたものであることから、その抵当権の設定登記と本件建築協力金等の債権の取得あるいは本件相殺契約の先後によって、本件相殺契約の効力を対抗できるか否かを判断するという解釈も成り立ち得ると考えられるが、本件建物の抵当権設定登記は、原告が、協和興産に対する本件建築協力金等の債権を取得し、本件相殺契約が締結された後である平成11年4月8日になされているから(甲6)、本件相殺契約の効力は、上記抵当権にも優先するものと解される。
3 以上のとおり、本件相殺契約による相殺は、本件特別清算手続によって制限されることはなく、本件各不動産を譲り受けた被告にも対抗できるものであるから、本件口頭弁論終結時において既に到来していた平成23年11月30日までに支払日が到来した本件賃料債務については、本件相殺契約によって、別紙2償還金額総括表「償還金額合計」欄記載の金額と対当額で相殺され、原告にはそれを超える支払義務がないものと認めることができる。そして、前記前提となる事実記載のとおり、本件賃料全額が支払われた平成22年10月分及び同年11月分の賃料のうち、その支払日に対応する同欄記載の金額(合計439万6725円については、被告は、法律上の原因なく取得したものと認められる。
他方で、本件相殺契約は、同表「年 月 日」欄記載の日に相殺する旨の合意であるから、本件口頭弁論終結時において、平成23年12月31日以降に支払日が到来する賃料債務については、未だ相殺はなされておらず、本件口頭弁論終結時において、原告は、それ以降に支払日が到来する本件賃料全額について支払義務を負っていたと認められる。
第4結論
以上によれば、原告の請求は、主文の限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとして、訴訟費用について民事訴訟法64条本文、61条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 鈴木清志)
(別紙)物件目録<省略>
償還金額総括表<省略>