福島地方裁判所いわき支部 昭和45年(わ)76号 判決 1971年5月28日
主文
被告人星を懲役二年に
被告人菊田を懲役一年二月に
被告人千葉を懲役一〇月に各処する。
被告人三名に対し、未決勾留日数中各五〇日を、右刑に算入する。
被告人菊田、同千葉に対しいずれもこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用中証人鈴木昇(第一三回公判分)、同石井菊文(同公判分)、同佐野重治、同草野忠義(第一四回公判分)に支給した分は被告人星の負担とし、その余は被告人ら(各三分の一ずつ)の負担とする。
理由
一 事実関係
(一) 被告人の経歴、地位等
被告人星は、もといわき地方の新聞記者を経て、地方新聞の経営を志し、昭和四一年以降(株)(株式会社を指す。以下同じ)夕刊福島新聞社(のち改称して(株)福島日報社―以下日報社という。―)の代表取締役としてその経営にあたるとともに、主に東京に在勤して自ら東京支社の業務を統括し、また直接求人広告勧誘の企画、指導にも当ってきたもの、
被告人菊田は、昭和四二年五月同社に入社し、当初東京支社で「外まわり」(後述)を担当し、昭和四三年二月同支社練馬分室長となり、昭和四三年一二月初頃からは、本社企画室長(現面―後述―の現地側責任者)となるとともにその頃から本社業務全般をも統括したもの
被告人千葉は、昭和四三年三月同社に入社し、当初東京支社赤羽分室の「電話屋」(後述)として、同年九月頃から同年一一月頃までの間は同会社を離れ、鈴木光之助経営の広告代理業東西企画にあって現面付求人広告勧誘にあたり、日報社復帰後、昭和四四年(以下同年の場合は記載を省くことがある。)四月頃から東京支社長として、被告人星の指示のもとに同支社の求人広告勧誘に関する事務等を掌理し、時には自ら「電話屋」として同広告勧誘を行なったものである。
(二) 福島日報社の組織変遷等(初期)
「福島日報」の前身「夕刊福島」はもといわき市平(昭和四一年九月以前は平市)において発行される旬刊ないし週刊の地方紙であった。昭和三九年七月(株)夕刊福島新聞社が設立され、代表取締役に玉置精一、専務取締役に被告人星が就任し、同社において「夕刊福島」を発行し、その頃から同紙は日刊となった。その頃すでに同紙は、東京支社を有し、同支社の扱う求人広告料がその収入の大半を占めていた。昭和四一年玉置が死亡して被告人星が同社の代表取締役社長に就任し、それ以降は同被告人においてその経営の実権を掌握した。
昭和四二年六月同社は社名を日報社に、新聞の題号を「福島日報」(以下日報という。)に改めたが、その頃ますます東京支社扱いの求人広告の比重は高まり、同年一〇月頃から同支社は分室制をとり、広告勧誘関係者は東京都内数ヶ所の分室に属し、歩合制(固定給なし)で求人広告勧誘に当ってきた。昭和四三年七月同社は、いわき市平谷川瀬字吉野作九三番地に本社新社屋を設け、輪転機の新設備を入れて、さらに事業の拡張を図った。
ところで、昭和四三年一〇月五日付「週刊新潮」は「呼べど答えぬ求人広告でかせぐ商売」との見出しで日報の求人広告勧誘を同紙発行部数僅少等の故をもって詐欺的行為と難じ、その影響等で求人広告勧誘は挫折し、当時同部門の従業員約一二〇名は十数名を残して離職し、またその頃赤羽分室長鈴木光之助は、同分室員(被告人千葉を含む)とともに独立して広告代理業「東西企画」を営むに至った。
日報社は、前掲の多大の投資と広告業務の挫折により強い経営難を招いたが、これを打開するため、分室制を廃して東京での業務は、同都豊島区西巣鴨二丁目二〇五一番地(大塚駅前)所在の東京支社に集中し、広告勧誘担当社員の給与も固定給プラス報償金制に改め、また、鈴木光之助ほか東西企画従業員を再び同支社に迎え、現面付求人広告に力を注ぐこととし、そのため練馬分室長被告人菊田を本社企画室長として現面責任者に配し、昭和四三年一二月から右広告の現地面接会をはじめるに至った。
(三) 求人広告の勧誘と現地面接の実態
「夕刊福島」から「福島新聞」(後述)に至るまで、東京支社あるいはその分室に「電話屋」(別称「デスク」)と「外まわり」(別称「歩き屋」)と呼ばれる社員が広告勧誘にあたった。「電話屋」は同支社等から電話で他紙の求人広告主や職業別電話帳などで選び出した企業主等に自紙へ求人広告を出すよう勧誘し、これに応じた企業主等のもとに「外まわり」が訪問して契約締結、広告料収受に至るものである。
現地面接(現面ともいう。)付求人広告は、求人企業側と求職者が新聞社の設営する面接会場において直接面接しその場で採否を決定できる等の理由から、求人側が容易に広告の勧誘に応ずるていのものである。日報社では、求人企業八ないし一二位を組合わせいわき市内の市民会館等に合同現面会場を設け、自紙上に各企業ごとの葉書大の求人広告と現面の日時場所を掲載するとともに、同文のちらしを他紙に折込配布することとし、広告料を右諸経費とも一件四万円とした。
同広告の勧誘方法は前掲のとおりであるが、これに加えて、求人側に向い現面付求人広告は、他紙の単なる求人広告とは違い、自社の「特別企画」で、「就職希望者を確保している」等と申し向け、あたかも現面に加われば、二、三名は確実に採用できるかのような印象を与えるのを常としていた。
右広告及び勧誘方法は、東西企画で実施されていたものを踏襲したもので、前後を通じ概ね同様である。被告人千葉は、前記のとおりこれを自ら担当し、あるいは指導にあたり、被告人星も直接企画及び担当社員の指導にあたり、この方法につきいずれも熟知しており、被告人菊田もこれをかねてから聞知していた。
このようにして、現面付広告は、求人企業の関心を呼び、多くの広告契約はできたものの、いわき市方面に求職者がとくに多くあったわけでもなく、広告を掲載する日報の部数が多いときでも二、〇〇〇部程度の僅少であったこと等から、現面に出席する求職者は実際にはほとんどなかった。昭和四四年初頃にはすでに被告人菊田において自社従業員や現面出席の日当めあての者など求職意思のないものをさくらとして現面会場に呼び集めるなどしてその場を糊塗したが、求人側から求職者が予期どおりないことに対する苦情申入れもすくなからぬ事態になり、夏頃にはさくらの提出する履歴書の住所、氏名が仮空であることもあって、求人側の苦情はさらに繁くなった。
以上のような事態は、被告人らが苦情処理にあたっていたことや被告人菊田から概ね即日東京の被告人星への電話連絡がされていたこと等により、さほど遅滞なく被告人星、同千葉にも了知されていた。三月には、被告人星も同菊田、同千葉等に事態解決につき意見を求めることもあったが、術もないまま経過し、さらに、被告人菊田は一時現面廃止を被告人星に申し入れるなどしたが、これを日報社の主財源とみる同被告人は、さくらを会場に呼び集めて求人側の不満を一時押えることを被告人菊田に指示する等のことをしただけで現面継続の方針を改めなかった。
(四) 福島日報の廃刊、福島新聞の発刊
日報社は、前掲の大きな投資、一部従業員の高給与、派手な宣伝などの放慢な経営により生じた借入債務、未納付公課等が約三〇〇〇万円に達し、新社屋に対し競売手続もはじめられる一方、収入の主をなす求人広告にはさほどの伸びも期待できない破目に陥った。そこで、被告人星は、夏過ぎ頃これに対処するため、日報を廃刊して新しい題号の新聞紙を発行し、表面上日報社を解散して同被告人が新聞経営から手を引く形をとって、債権者の追及を免れようと考え、また、同時に現面付、求人広告への苦情非難もますます高まったところから、一〇月二〇日頃までには、以上に併せて東京支社の移転や現面を取り止めて通常の求人広告により収益を挙げることなどを決め、被告人菊田、同千葉を含む幹部社員等の了承を得(これに前後して一〇月二九日付「毎日新聞」―「金の卵世話します 詐欺続出 バイト中学生利用して」との見出し―や翌三〇日付同紙が日報社の現面付求人広告を強く非難したため、日報の名で求人広告を勧誘することはほとんど不可能となった。)、逐次実行に移した。すなわち、一〇月二五日頃同社の大口債権者東部建設(株)の代表者岡田不二に交渉して新社長就任の内諾を得、一一月二五日同都豊島区東池袋一丁目一二番二号畑野ビル内への東京支社の移転を了し、同月二〇日限り日報を廃刊し、一二月一日から(株)福島新聞社(未設立、以下これを福島新聞社という。)の名で岡田を発起人代表、被告人菊田を発行責任者として日刊紙「福島新聞」を発行した。
けれども、福島新聞社の経営の実態についていえば、日報社は清算手続に向わなかった一方、新会社設立につき、被告人星を除く何人も出資する能力あるいは意思がなく、登記手続も昭和四五年一月中に完了することを当初予定しながら何人もこれに当ろうとせず、日報社の従業員らの殆んどは、右組織変更につきなんら告げられないままで福島新聞社名下の業務に当たり、経理面でも日報社のそれと福島新聞社関係のそれは区分されないまま経過した。
結局福島新聞社は、被告人星の出資あるいは被告人星からの借受名義での日報社の資産利用によって、その業務が遂行されていたもので、被告人星はこれら出資の回収まであるいは東京支社従業員の動揺を避けるため等して、その経営の実権は従前日報社におけると同様に自ら掌握してきた。
さらに具体的にいえば、被告人星は、福島新聞発刊後も東京支社に出社して社務全般を掌握し、ことに企業収入の大半を占める広告収入すべてを自己の手中にし、自己の定めるところにしたがい、一部金員をあるいは本社に送金し、あるいは同支社従業員の給与等同支社の諸経費の支払に充て、また日報社の一部債権者に適宜弁済する状態で、経理関係を公開せず、人事採用・給与決定等もすくなくとも同支社については概ね専行し、また、広告勧誘業務の指導をも行なっていた。
(五) 福島新聞の現面付求人広告
一一月に入り、一二月発行の「福島新聞」に掲載されるべき求人広告(現面のないもの)の勧誘がはじまったが、契約はさほど成立せず、とうてい経営を維持できる線に達しなかったし、また、広告関係の従業員らもために収入減少を来たし強く不満を訴えていた。
(犯罪事実―共謀等)
そこで、被告人星は、従前日報社における現面付求人広告が自社側のいうほどに価値のないこと、すなわち、求職者のほとんどない(日報社当時と特に異った事情は見られない。)ことを知悉しながら、現面付求人広告勧誘の再開を決意し、一一月一八日被告人菊田の上京を求め、同日及び翌日頃同都練馬区春日町一丁目二五番一四号の被告人星宅や前掲東京支社で被告人菊田、同千葉を含む幹部社員らにその意(なお、再開する現面付求人広告は広告料を諸経費込み六万円とするほか、日報社当時のそれとさほど異らず、勧誘方法も従来どおりとする。)を明らかにし、被告人菊田、同千葉もこのような事実を熟知しながら、それぞれこれに賛同し、その頃同支社において被告人星、同千葉等から「電話屋」「外まわり」等にその旨示達し、爾後その勧誘に着手するよう命じた。そして、右決定にしたがい、被告人星、同千葉は、東京支社において電話屋、外まわりの指導等を、同菊田は、本社にあって現面会場の設営等を各担当することとなった。
(実行行為等)
右決定に基き、東京支社従業員中、被告人千葉は広告勧誘を指導するとともに自ら「電話屋」として、ほか、松井秀行、吉田武示、長田和雄、松本明彦、渡辺彰、岸申吾、鈴木喜三郎が「電話屋」として、大竹公英、草野忠義、石井菊文、鈴木昇、竜太郎こと草野忠三郎、内村脩二、町田真吉、花島利昭、松田鶴吉、大野清明が「外まわり」として(別表においては鈴木喜三郎、草野忠三郎をそれぞれ「鈴喜」、「草竜」と表示するほか姓だけで示す。)現面付求人広告を勧誘した(方法は概ね(三)に記載されたところに同じ)。
すなわち、被告人らは、共謀のうえ(共謀の形式等は前記のとおり)、別表記載のとおり、一一月末頃から一二月末頃までの間、A欄記載の日、B欄記載の東京支社従業員(電話屋)をして同支社から、求人企業の事業所等K欄記載の場所(注記のある場合を除く。以下同じ)に電話させて求人企業の経営者や人事担当者等C欄記載の者(その地位役職は同欄のとおり)に対し、あたかも、いわき市方面には炭鉱離職者やその家族及び集団就職者中ほどなく退職した者で東京等での就職を望む者が多数あって求人は極めて容易であるからとして福島新聞社の開催する現面に参加するよう勧誘させ、求人側がこれに応ずる見込があるときは、別表D欄の日、同E欄の者(外まわり)をして同K欄記載の場所に訪問させ、同F欄記載の者(その地位役職は同欄のとおり)に面談し、趣意書(一一月二六日付読売新聞に好間炭鉱閉山の事実が報道されたのを利用し、その事実や前記求職者が多いとする事情を記したもので、勧誘の便宜のため、被告人星の指示で作成されたもの)を見せるなどして前記事実をさらに強調し、自社の開催する現面には求職者は必ず集まり求人の目的は極めて容易に達することができる旨を申し向けさせ、折柄求人に苦心している同人らをしてその旨を誤信させ、よってG欄の日H欄記載の者(その地位役職は同欄のとおり)をしてK欄の場所においてI欄記載の自社員に対しJ欄記載のとおり求人企業の振出した小切手(各一通、額面は同欄記載金額、記載のないものは六万円)又は現金(金額は同欄記載のとおり、記載のないものは六万円)を交付させあるいは別表注記のとおり福島新聞社名義の口座に振込ませ(以上金額合計五二五万七、二二〇円)、その頃被告人星においてこれを各受領して騙取したものである。
二 証拠の標目≪省略≫
三 法律の適用
刑法二四六条一項、六〇条(別表の各所為につき)
刑法五四条一項前段、一〇条(別表73、74の所為につき)
刑法四五条前段、四七条本文、一〇条
刑法二一条(以上各被告人につき)
刑法二五条一項一号(被告人菊田、同千葉につき)
刑事訴訟法一八一条一項本文(被告人三名につき)
(裁判官 高山晨)
<以下省略>