福島地方裁判所郡山支部 平成5年(ワ)373号 判決 2002年4月18日
原告
A野太郎
他4名
上記五名訴訟代理人弁護士
安藤裕規
同
安藤ヨイ子
同
齋藤正俊
同
大堀有介
上記C川、D原、E田三名訴訟代理人弁護士
大峰仁
同
阿部晶子
被告
B野株式会社
同代表者代表取締役
A田春夫
同訴訟代理人弁護士
吉川幸雄
同訴訟復代理人弁護士
平石典生
主文
一 被告は、A野太郎に対し、三四九万三七七五円、同B山松夫に対し、二八四万円及びこれらに対する平成五年一〇月三〇日から支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。
二 原告C川花子、同D原竹子及びE田梅夫の請求並びに同A野太郎及び同B山松夫のその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用中、鑑定費用は全部被告の負担とし、その余の費用は、(1)原告A野太郎に生じた費用の三分の二と被告に生じた費用の九分の二は原告A野太郎の負担とし、(2)同B山松夫に生じた費用の三分の二と被告に生じた費用の九分の二は原告B山松夫の負担とし、(3)原告C川花子、同D原竹子及び同E田梅夫に生じた費用全部と被告に生じた費用の九分の三は原告C川花子、同D原竹子及び同E田梅夫の負担とし、(4)原告らに生じたその余の費用及び被告に生じたその余の費用は被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、原告A野太郎に対し、九九九万三七七五円及びこれに対する平成五年一〇月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告B山松夫に対し、九八五万八六四〇円及びこれに対する平成五年一〇月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告は、原告C川花子、同D原竹子に対し、各自三四四万四二一三円、同E田梅夫に対し、三四四万四二一二円及びこれに対する平成五年一〇月三〇日から支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告が設置した工場から有害物質であるテトラクロロエチレンが地下水に流出したことにより原告らの井戸水が汚染され、損害を被ったとして、原告らが被告に対し、不法行為に基づく損害賠償及びこれに対する不法行為の日の後である平成五年一〇月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求めた公害訴訟の事案である。
これに対し、被告は、汚染経路、過失(予見可能性)、違法性(受忍限度)、損害額について、それぞれ争っている。
一 前提となる事実(当事者間に争いのない事実のほか、文中掲記の各証拠及び弁論の全趣旨により認められる事実)
(1) 当事者
ア 原告A野太郎(以下「原告A野」という。)は、福島県白河市《番地省略》に居住し、昭和六〇年当時、既にその敷地内に井戸を掘削してその井戸水を飲料水等の生活用水に使用してきた。
イ 原告B山松夫(以下「原告B山」という。)は、《住所省略》に居住し、昭和六〇年当時、既にその敷地内に井戸を掘削してその井戸水を飲料水等の生活用水に使用してきた。
ウ(ア) E田夏夫(以下「亡E田」という。)は、同市《番地省略》に居住していたが、昭和六〇年当時、既にその敷地内に井戸を掘削してその井戸水を飲料水等の生活用水に使用してきた。
(イ) 亡E田は、平成一〇年四月一八日に死亡した。
(ウ)a E田秋子は、亡E田の妻である。
b E田秋子は、平成一三年七月二五日に死亡した。
(エ) 原告C川花子、同D原竹子、同E田梅夫(以下三名を併せて「原告C川ら」という。)は、いずれも亡E田及びE田秋子の子である。
エ 被告は、金属製容器等の製造並びに販売等を業とする株式会社であり、昭和五九年ころから同市《番地省略》において、工場(以下「本件工場」という。)を設置して操業している。被告は、同工場において金属製押し出しチューブ等の製造を開始し、昭和六〇年四月ころ、その製造工程の中にその製品を洗浄するための設備を設置して、洗浄液としてテトラクロロエチレンを使用するようになった。
(2) テトラクロロエチレンの性状
ア 一般的性状
テトラクロロエチレン(CCl2=CCl2)は、合成化学物質であり、自然界には存在しない物質である。用途は、有機物質の溶剤、ドライクリーニング溶剤、金属部品の脱脂洗浄、繊維工業などに用いられている。平成一二年当時で確認されている一般的性状は次のとおりである。
物理的状態:無色透明の液体
臭い:クロロホルムに似た甘い臭い
分子量:一六五・八五
沸点:一二一・二℃(一〇一kPa)(七六〇mmHg)
融点:-二二・三五℃(凝固点)
引火点:なし
発火点:なし
爆発特性:(酸素中)一〇・八vol%(八〇±三℃)~五四・五vol%(一一〇±三℃)
蒸気圧:二、一三三Pa(一六mmHg)(二〇℃)
揮発性:二・五九(二〇℃のn-酢酸ブチルの揮発速度を一・〇〇とする相対値
比重:一・六二三(二〇℃)
蒸気比重:五・八三(空気=一)
溶解度:水(二五℃)〇・〇一五%溶剤(二五℃)〇・〇一〇五%
粘度:〇・八八〇(二〇℃)
イ 毒性
平成一二年当時で確認されているテトラクロロエチレンの毒性については、次のとおりである。
(ア) 一般的有害性
a 吸入した場合
短時間に多量の蒸気を吸入すると急性中毒を起こす。その初期症状としては、目、鼻、のどに刺激を感じ、ついで頭痛、めまい、こん迷、悪心、嘔吐が起こり、意識を失って倒れることもある。
b 皮膚に付着した場合
液を皮膚に接触しても軽度の刺激のみであるが、繰り返し又は長期間皮膚に接触すると皮膚脂肪が除去されるので、皮膚炎を起こすことがある。
c 目に入った場合
流涙、しゃく熱痛を伴い、眼の炎症を起こす。
d 飲み込んだ場合
初期症状として悪心、嘔吐、血便を伴う下痢などの胃腸管刺激症状が現れる。
e 慢性毒性(化学物質を長期間繰り返し投与により示される毒性)・長期毒性
低濃度でも長期間暴露で中枢神経系、肝臓や腎臓に悪影響を及ぼすことがある。
(イ) 発がん性の国際的評価(特殊毒性)
a 日本産業衛生学会(二〇〇〇)
「第二群B」
人間に対しておそらく発がん性があると考えられる物質で、証拠が比較的十分でない物質
b 国際がん研究機関(IARC)(一九九九)
(a) 化学物質「グループ2A」
ヒトに対しておそらく発がん性である物質
(b) ドライクリーニングにおける職業暴露「グループ2B」
ヒトに対して発がん性である可能性がある物質
c 米国環境保護庁(EPA)(評価時期不詳)
「B2」
恐らくヒト発がん性物質で、動物での十分な証拠があり、かつ疫学的研究から、ヒトでの発がん性の不十分な証拠があるか、又は証拠がない物質
d 米国国家毒性プログラム(NTP)(一九九九)
「b」
合理的にヒト発がん性であることが予想される物質
e 米国産業衛生専門家会議(ACGIH)(一九九九)
「A3」(一九九三)
動物発がん性物質
f 欧州連合(EU)(一九九九)
「カテゴリー3」
発がん影響を及ぼす可能性があるためヒトに対して懸念を引き起こすが、利用可能な情報がそれについて満足なアセスメントを行うために適切でない物質
g ドイツ研究協会(DFG)(一九九七)
「B」
(評価内容不詳)
(ウ) 汚染に対する対策
テトラクロロエチレンに汚染された水を飲用する場合、煮沸飲用ないし活性炭による吸着という対策が考えられる。一〇分間ないし一五分間煮沸すれば、テトラクロロエチレンは揮発性が高いため、ほとんど除去することが可能である。
(3) テトラクロロエチレンに関する法規制等
ア 水道法
水道法四条は、水道により供給される水について一定の水質基準に適合することを要件としているが、平成五年一二月一日施行の旧厚生省令によりテトラクロロエチレンについて〇・〇一mg/㍑以下の基準に適合するものでなければならないとしている。
なお、旧厚生省は、昭和五九年二月一八日当時、通達により水道水の暫定的な水質基準(以下「暫定基準」という)として、同値の基準を設定していた(旧厚生省環境衛生局水道環境部長通達昭和五九年二月一八日環水第一五号)。
このようなわが国における基準策定にあたって、WHO(世界保健機構)の飲料水水質ガイドライン(WHO、一九八四)及びUSEPA―HAの根拠データ(NCI、一九七七)をもとに、リスク外挿法線形多段モデルによるライフタイム七〇年に対する発がんリスク10-5の評価から水質評価値〇・〇一〇mg/㍑が算出された。かかる〇・〇一〇mg/㍑以下とは、ヒトの体重を七〇kg、一日当たりの飲料水量を二リットル、飲料水の寄与率を一〇パーセントであるとして、ヒトが飲料水を一生飲み続けても、特殊毒性のリスクが10-5、すなわち一〇万人に一人であることを示す基準値であり、ただし、不確定性として102の数値が見込まれており、これは、リスクが一〇〇〇人に一人であるかもしれないし、一〇〇〇万人に一人であるかもしれないという意味である。また、特殊毒性におけるリスクは、検出値と単純に比例するものではない。
イ 水質汚濁防止法
水質汚濁防止法は、人の健康保護と生活環境保全のために昭和四六年六月施行され、当初は工場等から公共用水域に排出される水を規制したが、平成元年一〇月一日施行の改正により、地下に浸透する水についても規制が加えられた。
同法二条二項一号に基づく施行令では、テトラクロロエチレンを人の健康に被害を生ずるおそれがある物質と規定し、同法三条に基づく総理府令では、テトラクロロエチレンの排水基準を〇・一mg/㍑以下と定めている。
また、県知事等は、地下水等の汚染・汚濁の状況を常時監視し(同法一五条)、毎年水質測定に関する計画を作成し(同法一六条)、水質汚濁等の状況を公表しなければならないとされている(同法一七条)。
ウ また、平成元年七月七日付通商産業省・厚生省告示第七号の「トリクロロエチレン又はクリーニング営業者以外の事業者に係るテトラクロロエチレンの環境汚染防止措置に関する技術上の指針」には、次の事項が記載されている。
記
一.トリクロロエチレン等を取り扱う施設・場所については、次の事項に留意した構造とすること。
1.1 各施設・場所に共通する事項について
(1) 床面は、トリクロロエチレン等の地下浸透を適切に防止できるコンクリート等の材質とすること。また、そのひび割れ等が心配される場合には、トリクロロエチレン等に耐性をもつ合成樹脂による床面の被覆、容器等の下へのステンレス鋼の受け皿の設置等浸透防止措置をとること。
(2) 必要な場合には、取り扱うトリクロロエチレン等の量及び作業に対応して、施設・場所の周囲に防液堤、側溝又はためますを設置する等トリクロロエチレン等の流出を防止する措置をとること。
また、雨水のかかる施設・場所及び水を使用する施設・場所の周囲には、上記の措置に加えてトリクロロエチレン等と水を適切に分離する分離槽を設置すること。
(4) テトラクロロエチレンの検出
ア 自治体等による調査
福島県は、水質汚濁防止法の規定に基づき地下水の汚染状況を調査していたが、平成二年四月一二日行われた概況調査の結果、被告所有の深井戸からは評価基準を超えるテトラクロロエチレン等は検出されなかったものの、その工場排水から〇・〇二二mg/㍑のテトラクロロエチレンが検出された。
その後白河市は、同年五月二一日に原告A野所有の井戸の井戸水の水質調査をしたところ、評価基準を超える〇・〇一二mg/㍑のテトラクロロエチレンが検出され、さらに同市が同年六月一三日に水質検査を実施したところ、同井戸水から評価基準を超える〇・〇四五mg/㍑のテトラクロロエチレンが検出された。
さらに福島県は、同年九月二八日、汚染井戸周辺地区の井戸水の水質調査を行ったところ、原告A野の井戸水から再び〇・〇三一mg/㍑の、原告B山所有の井戸の井戸水から〇・〇一六mg/㍑の、訴外片桐重男(以下「訴外片桐」という。)所有の井戸の井戸水から〇・〇〇三二mg/㍑のテトラクロロエチレンがそれぞれ検出された。
また亡E田所有の井戸の井戸水については翌年三月二八日の調査で〇・〇〇一一mg/㍑のテトラクロロエチレンが検出された。
また、平成三年三月一四日の福島県産業公害等防止条例に基づく立入調査において、マットの置いてあった位置(工場排水が流れる側溝付近)の表層土壌から五〇ppmという濃度のテトラクロロエチレンが検出された。
上記の他、当事者間に争いのない水質検査の結果の詳細は、別紙水質検査データ一覧表記載のとおりである。
イ 鑑定による調査
鑑定における調査を実施したところ、平成九年五月当時、本件工場敷地内の旧洗浄室付近において、検知管で検知される程度の地下空気汚染現象を呈する領域が三九〇m2に及び、その中心部でのテトラクロロエチレンの最高濃度は一九ppmを示した。また、地下観測井におけるテトラクロロエチレン濃度は、同年六月の段階では〇・〇〇三mg/㍑であり、補足調査の同年八月の段階では〇・〇一二mg/㍑であった。そして、本件工場の敷地内では、旧洗浄室付近を除けば特筆すべきテトラクロロエチレンによる汚染は存在しなかった。さらに、同年八月の補足調査では、原告B山の井戸から〇・〇〇〇五mg/㍑のテトラクロロエチレンが検出された。
(5) 被告の本件工場と原告らの井戸の位置関係等
ア 原告らの各所有する本件井戸と被告の本件工場の位置関係は、別紙テトラクロロエチレン表層汚染調査結果図(縮尺一/四〇〇)のとおりである。
同図面によると、原告A野の井戸は、本件工場内の旧洗浄室の所在した場所付近から南西に約七五メートル離れた位置にあり、原告B山の井戸は同じく南南西に約一〇〇メートル離れた位置にある。また、亡E田の井戸は、本件工場内の旧洗浄室から南南西に約一五〇から一六〇メートル離れた位置にあり、かつ、用水池北側の汚染地域から南南西に約九〇メートル離れた付近に存在する。
また、原告ら所有の各井戸及び本件工場敷地周辺の地下地層は、地表から深度方向へ「埋土等の人工地層」・「谷部及び丘陵を覆う沖積層」・「丘陵を構成するローム層」・「風化して砂状になったデイサイト質凝灰層」に大別されているが、本件工場敷地内の旧洗浄室付近の深度〇・六~一・四メートルまでは人工地層のコンクリート・ガラが分布し、また、本件工場南側の用水池付近では凝灰質礫を含む凝灰質風化砂が盛土材として使用されて人工地層を形成している。他方、亡E田の井戸付近は下部に凝灰質風化砂、上部にローム質の両埋土によって造成された人工地層がみられるが、原告A野、同B山の各井戸付近は地表面の植生や畑土のほかには人工地層は認められない。
本件工場の旧洗浄室付近の地下地質は別紙地質汚染ボーリング柱状図(その一)No.1のとおりであり、原告A野所有の井戸付近の地下地質は別紙地質汚染ボーリング柱状図(その二)No.3のとおり、原告B山の井戸付近の地下地質は同図面No.2のとおり、亡E田の井戸付近の地下地質は別紙地質汚染ボーリング柱状図(その三)No.4のとおりである。
イ 原告ら所有の井戸付近及び本件工場付近の地下地質の構造は上記のとおりであるところ、同地域に存する井戸は、水位差の違いからローム層に滞水する地下水を水源とする井戸(以下「ローム層仕上げ井戸」という。)と沖積層に滞水する地下水を水源とする井戸(以下「沖積層仕上げ井戸」という。)に区別される。そして、ローム層を単元とする地下水は、鑑定の結果、ほぼ北東から南西方向に向かって流動しており、また、沖積層を単元とする地下水についてもほぼ同様に流動していることが確認された。原告A野及び同B山所有の井戸はローム層仕上げ井戸、亡E田所有の井戸は沖積層仕上げ井戸に分類される。
このような前記各井戸と本件工場の位置及びその地下地質並びに地下水流動系を前提として、汚染経路に関する鑑定の結果によれば、本件工場敷地内では、工場建屋内の旧洗浄室付近で小規模なテトラクロロエチレンの汚染スポットが確認されるとともに、工場敷地外周の測線上では、南側用水池に対面する地点で、テトラクロロエチレンによる痕跡程度の地下空気汚染が確認されている。加えて、本件汚染現場の地下水流動系については、各地質ボーリング調査坑を利用して設けた観測井における水位測定の結果、北東から南西方向への地下水流動が確認された。
これらの調査結果から、原告A野及び原告B山の所有する各井戸の汚染は、前記旧洗浄室付近で地下浸透したテトラクロロエチレンが前記地下水流動系に沿って移動し汚染に至ったと認められる。また、亡E田所有の井戸の汚染に関しては、前記用水池と通じあるいは漏水によって沖積層の地下流動系へ移行して汚染したと認められる。
二 主たる争点
(1) 被告の侵害行為の態様及び汚染経路
(原告らの主張)
ア 前記のとおり、原告らの所有する各井戸において、別紙水質検査データ一覧表記載のとおりのテトラクロロエチレンが検出され、さらに、白河市が平成二年六月一三日に水質検査を実施したところ、原告A野所有の井戸の井戸水から前記のとおり〇・〇四五mg/㍑のテトラクロロエチレンが検出された。
このように原告らの所有する各井戸の水がテトラクロロエチレンに汚染されるに至ったのは、被告が使用していたテトラクロロエチレンが本件工場の排水に混じり、あるいは本件工場の洗浄室付近から地下浸透して地下水を汚染し、これらが原告らの井戸水に混入したと考えるのが相当である。
イ 被告は、テトラクロロエチレンを含有する工場排水を流したり、地下浸透させたことはないと主張している。しかし、被告は、その工場内に工場から排水をするための側溝を設けているところ、その側溝は洗浄室にも設置されていた。製造工程で出された排水はこの側溝を通じて工場建屋外の側溝に導かれ、その後油水分離槽に貯水された後、工場敷地南側に位置する調整池に排出されることになっている。ところで、平成二年四月一二日の調査により工場排水から〇・〇二二mg/㍑のテトラクロロエチレンが検出されており、上記調整池からも〇・〇三六mg/㍑のテトラクロロエチレンが検出されている。加えて、平成三年三月一四日の立入調査の際には、上記油水分離槽の底に沈めておいたマットが取り出されて置かれた位置の表層土壌から五〇ppmという濃度のテトラクロロエチレンが検出されたことが明らかとなっている。このような事実に鑑みると、被告は工場排水の中にテトラクロロエチレンを混入させて排水とともに工場外の開発地に排出されていたことは明らかである。そして、工場排水を含んだ調整池の水は地下に浸透し、地下水とともに原告らの井戸に流れ込んだと見ることができる。
なお、地下水の流動系については、鑑定の結果により北西から南西の方向へ流れていることが確認されている。そうすると、調整池の位置と原告A野の井戸の位置関係は、調整池の位置を基準とすれば、そこから南西の方向へ位置していないことになる。
しかし、地下水は大きな流れとして南西の方向へ放射状に流れて行くにしても、原告A野がその井戸の水を多量に費消すれば、地下水は水位の下がった井戸へ流れ込んでいくものであり、原告A野の井戸の位置関係をもって調整池に含まれたテトラクロロエチレンが混入しなかったとは言いきれないものである。
ウ また、鑑定の結果によれば、「被告の周辺事業所である共栄化工(株)、(株)東北理化、(有)難波平八郎商店の三事業所内の調査はしていないものの、本鑑定調査からは、前記三事業所並びに山中などの周縁に仮想した汚染源から、原告らの本件井戸並びに被告工場敷地内及び被告工場敷地を経由して原告らの本件井戸に至るテトラクロロエチレンの移動経路が確認されなかった」とし、被告工場内の旧洗浄室付近のホットスポット以外には、汚染源が存在しないと理解されると判定しており、被告の汚染経路に関する主張は成り立たない。
エ 被告は、「シャープ三槽式洗浄機UT―二六一三H」を昭和六〇年四月一日に購入したとしている。しかし、原告らは、調停手続において、平成三年一二月二五日に本件工場に立ち入り当時存在した洗浄機を確認したが、そのときはいわゆる三槽式の洗浄機ではなかった。被告は、シャープ三槽式洗浄機を購入する前に古い仕切のない洗浄機を使用して洗浄作業を行っていたものであり、しかも、この古い洗浄機は蒸気洗浄の設備がないために、ざぶづけやすすぎをした製品の入った洗浄籠をそのまま引き上げるため、洗浄液が籠から床に滴り落ちることになり、ここからコンクリートを通じて地下浸透し、あるいは付近の側溝から工場外に排出されてしまうことになった。そして、このようなことから新しい洗浄機の購入を迫られ、かつ、コンクリート土間に洗浄液が落ちても地下浸透させないように塗装する必要に迫られて塗料等を購入したとみるべきである。
(被告の主張)
ア 原告らの所有する各井戸において、別紙水質検査データ一覧表記載のとおりのテトラクロロエチレンが検出された事実及び白河市が平成二年六月一三日に水質検査を実施したところ、原告A野所有の井戸の井戸水から〇・〇四五mg/㍑のテトラクロロエチレンが検出された事実は認める。
また、鑑定の結果によれば、本件工場の旧洗浄室付近に比較的浅い微弱なホットスポットがあり、それが原告A野の浅い井戸と共通する地層にあるため汚染が及んだもので、地下水の流動系にそってその下層につながる地層の調整池にもそれが到達したものと認められ、汚染原因となるべき被告の故意による汚染水の排出、投棄、埋設処分、廃液等の地下浸透といった不当行為の痕跡は全く認められず、(「はね」、「たれ」程度の)ケアレス・ミスが原因の汚染であると指摘しており、被告も、その限度で、本件工場の旧洗浄室付近からテトラクロロエチレンの地下浸透があった事実は認める。
しかし、原告ら所有の各井戸の水がテトラクロロエチレンに汚染されるに至ったのが、被告が使用していたテトラクロロエチレンが工場排水に混じって汚染したとの主張は争う。
被告は、原告らが主張するようにテトラクロロエチレンを含む工場排水を排出していない。被告の所有していた洗浄装置は、洗浄液を排水と一緒に外へ出す装置ではないし、また洗浄装置の置いてある洗浄室は排水を工場外へ出す配管はしていない。当時、側溝は第二工場増築計画の一環として造成した敷地外周に工事したものであって、水質検査の前月に完成したばかりであった。敷地造成工事のため、旧洗浄室は解体撤去されて新しい地盤の下になり、洗浄機はとりはずされ、休止状態で渡り廊下に保管されていた。この状態については、県公害対策センターから再検査に来社した係官も確認しているのである。その状態で、洗浄設備から汚染原因となる排水を放流できる道理はない。また、甲四〇の写真に写っている被写体は原告らの主張するような側溝ではなく、その下には屋外の灯油貯蔵タンクからの送油管で、工場内の温風暖房機への燃料補給用のパイプが設置されているのであり、埋め戻した側溝跡ではない。
そして、甲一号証の記載中には、公害対策センターの検査結果として、調整池のテトラクロロエチレンの検出値「〇・〇三六mg/㍑」との記載があるが、その記載は、平成七年六月二二日付の福島県生活環境部長による調査嘱託についての回答文書である「調査嘱託事項に対する回答」によって事実でないことが判明した。同書面によれば「調整池の水質調査は実施していない。」と明確に否定している。したがって、甲一号証の当該記載部分は不実記載である。
また、原告らの「油水分離槽の底に沈めておいたマット」との主張も誤りである。当該マットは、「油脂吸着マット」と称し、本来、タンカーの座礁事故等の際に、海上に流出した油類を吸着させる目的で、海水面に浮かべて使用するものである。ところで、コンプレッサーのオート・ドレーンからは、凝縮水と共に若干の油脂分が放出されることがある。例え新品でも、どの型のコンプレッサーにも共通して発生する現象である。そこで、本件工場では、その油膜を吸着除去する目的で、このマットを側溝の流水に何枚か浮かせて活用していたもので、たまたま側溝清掃の際、かたわらに引き上げて置かれていたものである。当該マットが「油水分離槽の底に沈めてあった」との主張は事実に反している。
さらに、地下水の流動系と、調整池の汚染が原告らの井戸に及んだとする主張は、鑑定の結果からみて無理がある。鑑定書第八図に示す地下水位の数値によると、「ローム層仕上げ井戸」に属する原告A野・同B山両家の水位が、調整池付近の水位に比較して一m以上も高いと解析している。従って、低い水位の調整池から高い水位の両原告の井戸への汚染水移動を主張することは、理論上無理がある。
イ 原告らは、平成三年一二月二五日の時点における被告所有の洗浄機が、乙一九のシャープ三槽式洗浄機ではなく、「ざぶづけとすすぎを一緒にする作業、つまり、仕切のない洗浄機」だったと主張している。しかし、ざぶづけとすすぎを一槽の中で実施した場合、汚れた洗浄溶剤からの再汚染を招き、ただの一つも売物にはならず、顧客の信用を失い、経営さえも脅かされる結果となる。余程どうでもよい物(大きなゴミさえ落ちれば良い程度)でない限り、一槽式洗浄機を使用する企業は日本に存在しない。また、仕切のない(一槽式)洗浄槽の中で、どのようにして「ざぶづけ」と「すすぎ」の二工程の作業ができるのか、理解できない。品位の高い製品の洗浄は、溶剤洗浄である場合はすべて蒸気洗浄を行う。テトラクロロエチレンの蒸気は槽内に充満し、その温度は沸点(一二一・二℃)に近い状態になる。このときに洗浄籠の取っ手が短い場合は、作業者の火傷事故が続発することになり作業は不可能である。「取っ手の長い洗浄かご」こそが、蒸気洗浄(三槽式)専用とも言える作業用具なのである。したがって、この点に関する原告の主張は失当である。
(2) 被告の侵害行為における過失の有無(予見可能性の有無)
(原告らの主張)
ア テトラクロロエチレン等の有機溶剤の有害性については、従前から指摘されてきたところであるから、被告がテトラクロロエチレンを使用するにあたって、テトラクロロエチレンが周囲の飲料水等に混入しないような措置を講ずべき注意義務を負っていたというべきである。
イ 被告の侵害行為のうち、テトラクロロエチレンを本件工場の旧洗浄室のコンクリート床面から地下浸透させた行為については、以下に述べるとおり、テトラクロロエチレンがコンクリートを透過することにつき、当時の知見のもとで予見可能性があったというべきである。
そもそもコンクリートはセメントと水及び骨材とを適当な割合で練り混ぜて造るものである。骨材としては、川砂、川砂利、山砂、山砂利、海砂、海砂利等が用いられ、時には人工的に粉砕して作る砕石を用いることもある。そして、このようなコンクリートの原料の品質や調合割合、空気量、混和方法等によりその強度が左右されてくるとされている。他方、通常のコンクリートは四〇~七〇%の水を用いるため、余分の水は後日蒸発して必然的に空隙を残すとされている。従って、そもそもコンクリートは本質的には有孔材料で吸水または透水はやむを得ないと古くから一般的には認められている。このため、敢えて防水効果を発揮させなければならないような場合には、コンクリート強度との兼ね合いや防水効果の永続性との兼ね合いで防水剤(例えば、火山灰、けい藻土、石油、コールタール等々)を選択し、これを混和剤として使用することで防水効果を発揮させることが出来るのである。このように、コンクリートそのものは、その組成原材料からして透水性があると一般的に認識されており、この透水性のあるコンクリートに防水効果を求めるために、目的に応じた混和剤としての防水剤を選択し使用することで防水効果を上げるとされているのである。
従って、コンクリートに関しては、古くからの知見として透水性が認められており、昭和六〇年当時も透水性に関する予見可能性はあったと言うべきである。
そして、コンクリートの透水性に関しては、水のみならず、テトラクロロエチレンも同様に考えて良いと考える。すなわち、テトラクロロエチレン等の有機化合物は揮発性が高く、不燃性で油の溶解力が高い等の特性を持つために、一般金属の前処理、塗料の溶剤、電子部品等の洗浄などの様々な目的に用いられてきた。このテトラクロロエチレンの物性をまとめると、比重は一五℃の気温下で一・六三一と水よりも重く、水への溶解度は二〇℃の条件下で〇・〇一五g/一〇〇mlとなっており、必ずしも水に溶けやすい物性を持っているわけではない。しかし、コンクリートの透過性という観点で検討するならば、テトラクロロエチレンの水との親和性よりは、テトラクロロエチレンの物性としての粘性度が問われなければならない。そして、テトラクロロエチレンは水に比較して粘性が低いという特性を有しているため、コンクリートを透過して、地下に浸透・拡散して広範な地下水を汚染する危険性を有しているといえる。
このようにテトラクロロエチレンの粘性が低いという特性は、これらが人工的に合成されて生成した化学物質であり、従前から知られているところである。よって、被告は、昭和六〇年当時において、テトラクロロエチレンを洗浄剤として使用するにあたって、このような有機化合物がコンクリートを通して地下浸透しないようにコンクリートの被膜処理をしたり、不通水性の処理をしたコンクリートを使用して地下浸透を防止する処置を施す義務があったと言うべきである。
ウ 本件では、被告は、昭和六〇年四月ころからテトラクロロエチレン等を含んだ工場排水を排出したり、テトラクロロエチレンがコンクリートを通して地下浸透しないようにコンクリートの被膜処理をしたり、不通水性の処理をしたコンクリートを使用して地下浸透を防止する処置を十分に施すことを怠り、テトラクロロエチレンを地下浸透させて、原告らの井戸水にテトラクロロエチレン等を混入させて、原告らの井戸水にテトラクロロエチレン等を混入させて汚染させたものであるから、被告には、前記注意義務違反による過失があるというべきである。
なお、テトラクロロエチレン等に対する法的規制は、行政上の規制措置であって、仮にこれを遵守していたとしても現に飲料水にテトラクロロエチレン等を混入させた場合には民事上の責任を負うのであって、これを免れることはできないというべきである。
(被告の主張)
ア 被告は、本件工場において、テトラクロロエチレンの使用に当たり、当時知り得た限りの当該物質の特性・特徴について、作業担当者の指導・教育を行い、その保管、取扱い、並びに設備・作業場の構造及び管理についても、監督官庁の指導の範囲で誠実に遵守実践してきたもので、注意義務違反はなく、したがって、テトラクロロエチレンの地下浸透について過失はない。
イ 被告に、昭和六〇年当時、テトラクロロエチレンのコンクリートの透過性について予見可能性があったとの主張は争う。
コンクリートの透水性について、原告らは一般的に認識されていたとの主張を行っているが、原告らの主張は、コンクリートについての専門的研究文書に基づくもので、一般社会の認識とはいえない。
また、旧通商産業省の作成した「トリクロロエチレン等適正利用マニュアル」やこれを現場作業にも理解し易いようにと編集された、クロロカーボン衛生協会発行の『「トリクロロエチレン等適正利用マニュアル」の解説』と題するマニュアルにおいても、テトラクロロエチレン等の物質を取り扱う全ての施設及び床面に被覆処理等の施工を要求しているわけではなく、それらのマニュアルを作成した専門家もテトラクロロエチレンのコンクリートの透過性を十分認識していなかった。
よって、被告には、昭和六〇年当時、原告らの主張するテトラクロロエチレンのコンクリート透過性についての予見可能性はなかった。
ウ 旧洗浄室は昭和六〇年三月末に完成した。なお、旧洗浄室を含む本件工場については当初、C山株式会社名義で昭和五九年一二月一一日、建築確認を受けたものであるが、同社が合併で被告会社となったので昭和六〇年三月二七日に建築主変更となったのである。また、建築確認申請当初の予定では洗浄室を設ける予定はなかったので設計図上、洗浄室がないのであるが、建築後必要が生じたために、設計図上コンプレッサー室に予定している部屋を洗浄室と変更して利用されているのである。旧洗浄室の床の構造は次の通りである。表面より①モルタル金ゴテ、厚さ三〇mm、ポゾリスカラークロン仕上。なお、このポゾリスカラークロンとは株式会社ポゾリス物産の製品のマスタークロンのことである。このマスタークロンには浸食に対する抵抗性がある性能を持つのである。②土間コンクリート、厚さ一二〇mm、この土間コンクリートの中に、太さ一〇mmの鉄筋が二五〇mm間隔でクロス状に入っているのである。③断熱材、厚さ二〇mm、④防湿材ビニールフィルム、厚さ一・五mm、⑤砕石地業、厚さ一五〇mm。
旧洗浄室は被告の第二工場増築時に解体することになったもので、その代替施設として、第二工場内に新洗浄室を設けることとなったものである。旧洗浄室の取り壊し時期は平成二年八月上旬ころであり、新洗浄室の完成時期は第二工場増設時期で平成二年一一月三〇日ころである。
エ したがって、被告は、昭和六〇年当時の知見に従い、監督官庁の指導の範囲でテトラクロロエチレンを取り扱ってきたもので、その当時として、テトラクロロエチレンがコンクリートを透過するとの予見可能性はなく、したがって、被告には注意義務違反の事実は認められず、被告の行為には過失はない。
(3) 被告の侵害行為の違法性
(原告らの主張)
被告は、原告らの井戸から検出されたテトラクロロエチレンの量がごく僅かであり、人命への影響がなく、あったとしても看過できる程度のものであるから受忍限度の範囲であるとして違法性はないと主張している。
そもそも、受忍限度論は、ある被害が第三者に対する関係で違法な権利侵害ないし利益侵害になるかどうかの判断基準とされているが、一般的な考え方として、違法性の問題を考えるに当たっては「被侵害利益の種類と侵害行為の態様との相関関係」の中で判断されることになるところ、これまで違法性の問題を考えるに当たって受忍限度論が問題になったケースというのは、航空機騒音や工場等の騒音、カラオケ騒音等であり、その侵害行為とされる騒音を出す行為が人格権等との関係で問題になったものである。このような音を出す行為や騒音という結果は、社会生活を営む上で避けて通れない行為ないしは現象であって、どの程度の基準で音ないしは騒音を甘受するかの判断基準を設けることは一定の意味のあることであるし、その理論として受忍限度論が機能してきたことは否定し得ない。
しかし、この考えを本件に適用して受忍限度論を採用することは許されない。なぜなら、本件で問題となっている被侵害利益は原告らの生命健康という至上の価値であり、代替性のないものであり、しかも、飲料水を確保する手段としては、公共水道や施設水道が設置されていない以上、地下水を汲み上げて利用するしか選択の余地のない地域に居住している立場にあったものである。そして、被告の使用していたテトラクロロエチレンは自然界には存在しない有機溶剤であり、その発がん性が指摘されて危険性が認識されていたものである。このような被侵害利益が至上の価値を持つ生命健康という価値であり、これを維持するために井戸水の利用しか選択の余地がなかった地域に居住する原告らに対して、テトラクロロエチレンを工場排水に混入させ、あるいは地下浸透させ、その結果として原告らの井戸水に混入させたのであるから、その侵害行為は、それ自体相関関係の中で見たとしても、当然に違法であると言うべきであり、受忍限度論を基準として判断すべきではない。
(被告の主張)
ア 被告が本件工場に洗浄設備を設置し、洗浄液としてテトラクロロエチレンを使用するようになったのは昭和六〇年四月からである。したがって、前記の法律制定の経緯や規制の時期等に照らし、被告の本件侵害行為は、法規制以前の行為であり、違法行為に該当しない。
イ 受忍限度について
(ア) 民事上の損害賠償事件に際しては、受忍限度を判断基準とすることに何ら問題はなく、むしろ、その採用が妥当である。かつて自然界に存在していなかった物質が多数存在する現在の社会において、汚染物質が自然界に存在していたか否かは問題ではなく、具体的に如何なる損害を、如何なる過失、または故意によって与え、与えられたか、そして、その損害をどの程度、どのように賠償させるべきであるかを公平の理念によって判断されるべきである。そしてその際、受忍限度を判断基準として採用されることは、決して不当なことではなく、むしろこれを採用してこそ、当事者間の公平がはかられるのである。また、生命、健康といった根源的・絶対的な価値を損なうおそれがあるとの主張はおのずからその侵害の程度と密接な関係にあり、現に曝露されるに至った物質の影響が、学理的、現実的にどの程度生命の存続に係わり、健康を阻害し、阻害するおそれを生じたかを公正に判断しようとするとき、受忍限度(人の生命、健康に対する具体的な曝露の程度)をもってする以外に公正な基準はない。
(イ) 仮に本件侵害行為について被告に過失があるとしても、本件侵害行為の程度では、一般の受忍限度内の行為であり、違法性はない。
本件工場の敷地内や原告らの井戸で検出されたテトラクロロエチレンの汚染の程度はいずれも極めて軽微であり、本件の汚染程度による人命への影響はなく、仮にあったとしても看過できる程度の軽微なものであるから、本件侵害行為は受忍限度内の行為として違法性はない。
(4) 原告らの損害額
(原告らの主張)
原告らは、前記の被告の不法行為により以下の損害を被った。
ア 井戸掘削費用
原告らが居住する地域では、以前から各家庭において井戸を掘削し井戸水を飲料水等の生活用水として利用していたが、原告らも井戸水を飲料等にして利用してきた。上水道設備が完備した後も、原告らは水道水を使用することなく、井戸水を飲料水等に利用してきた。
ところで原告らは、地下水汚染の被害を受けたために、それぞれ自己所有の井戸について、従前の井戸とは別の地下水脈から地下水を汲み上げる井戸の掘削工事を行った。
原告らが負担した掘削工事費用はつぎのとおりである。
原告A野 一四〇万円
原告B山 一三四万円
原告E田 一八一万四〇〇〇円
イ 土地評価損
原告らは、前記の被告の地下水汚染行為により飲料等の井戸水利用が困難となったが、井戸水利用地域における地下水汚染により、原告ら所有地の評価額は下落した。その損害額は、原告A野、同B山、亡E田につき各二〇〇万円である。
ウ 慰謝料
(ア) 地下水汚染による原告らの精神的損害は重大である。自然界に存在していない発がん性物質であるテトラクロロエチレンが飲料水として利用していた井戸水に混入したものであり、汚染自体による精神的苦痛は計り知れない。
原告らの井戸水から検出されたテトラクロロエチレンの最大濃度は次のとおりであった(水道水の暫定基準〇・〇一mg/㍑)。
原告A野 〇・〇四五mg/㍑
原告B山 〇・〇一六mg/㍑
亡E田 〇・〇〇一一mg/㍑
(イ) それに加えて被告の交渉担当者であったD川冬夫(以下「D川」という。)の対応は、原告らの精神的苦痛を倍加させるものであった。すなわちD川は、地下水汚染問題の解決策について原告らと協議していたが、被告がテトラクロロエチレンを地下水に混入させたことについて、行政機関等の調査結果によって汚染原因者と推定されながら、これを認めようとしなかった。すなわちD川は、平成三年一月二四日ころ、給水交渉のために被告工場を訪問した原告A野に対し、「(汚染原因者の)特定は無理なことで出来ないであろう、日本の法律は疑いだけで罰することはできないし、責任を取る義務もない」、「責任を取っての給水と言われたのでは困る。気色が悪いから水をくれてやって良い」等と発言し、地下水汚染の責任を認めようとしなかったばかりでなく、原告らが被告に対し言いがかりをつけているかのような発言をして原告らの感情を逆なでした。
このようなD川の不誠実な対応によって原告らの苦痛は倍加し、二次的被害ともいうべき精神的苦痛を受けたものであり、その損害は重大である。
(ウ) このような原告らの精神的損害を金額に換算するとつぎのとおりである。
原告A野、原告B山、亡E田 各六五〇万円
エ その他
原告A野は、水質検査等を行ったり、地下水汚染問題を解決するために弁護士に相談したりして、それらの費用負担を余儀なくされた。また、原告B山、亡E田は水質検査等を行い、その費用負担を余儀なくされた。これらの費用はつぎのとおりである。
原告A野 合計九万三七七五円
原告B山 一万八六四〇円
亡E田 一万八六四〇円
オ 以上の原告らの損害を合計すると次のとおりである。
原告A野 九九九万三七七五円
原告B山 九八五万八六四〇円
亡E田 一〇三三万二六四〇円
(原告C川らがそれぞれ相続した)。
(被告の主張)
原告らが主張する各損害についてはいずれも争う。
ア 原告らの従前の井戸に混入したテトラクロロエチレンの量は僅かであり、新たに井戸を掘削する必要性はなく、その費用が相当因果関係にある損害とはいえない。
イ 原告らの各所有地について、これまで現実に売買の事実も売買の交渉をした事実もなく、土地の評価損などありえない。
ウ(ア) 原告らの井戸から検出されたテトラクロロエチレンの量では煮沸して飲めば身体に影響はない。また、煮沸しなくて飲んだとしても、一生涯飲んだ場合でも一般毒性はない。
(イ) 原告の慰謝料についての主張のうち、被告との交渉過程についての主張は、事実に反しており、D川が原告主張のような発言をしたことはない。また、当時の事情からは、被告がテトラクロロエチレンを扱っていたことと本件地下水の汚染との因果関係が明確に判明していなかったのであるから、その段階で被告が自ら本件地下水の汚染原因者であったとの認識を持たなかったのはやむを得ないことであり、その時点で自己の責任を否定したとしても、非難されるべきではない。
第三争点に対する当裁判所の判断
一 争点(1)(被告の侵害行為の態様及び汚染経路)について
(1) 前記認定となる事実、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。
ア 本件工場と原告らの井戸の位置関係
原告らの所有する各井戸と被告の本件工場の位置関係は、別紙テトラクロロエチレン表層汚染調査結果図(縮尺一/四〇〇)のとおりであり、同図面によると、原告A野の井戸は、本件工場内の旧洗浄室の所在した場所付近から南西に約七五メートル離れた位置にあり、原告B山の井戸は同じく南南西に約一〇〇メートル離れた位置にある。また、亡E田の井戸は、本件工場内の旧洗浄室から南南西に約一五〇から一六〇メートル離れた位置にあり、かつ、用水池北側の汚染地域から南南西に約九〇メートル離れた付近に存在する。
イ 本件工場付近の地質と地下水の状況
また、原告ら所有の各井戸及び本件工場敷地周辺の地下地層は、地表から深度方向へ「埋土等の人工地層」・「谷部及び丘陵を覆う沖積層」・「丘陵を構成するローム層」・「風化して砂状になったデイサイト質凝灰層」に大別されているが、本件工場敷地内の旧洗浄室付近の深度〇・六~一・四メートルまでは人工地層のコンクリート・ガラが分布し、また、本件工場南側の用水池付近では凝灰質礫を含む凝灰質風化砂が盛土材として使用されて人工地層を形成している。他方、亡E田の井戸付近は下部に凝灰質風化砂、上部にローム質の両埋土によって造成された人工地層がみられるが、原告A野、同大平の各井戸付近は地表面の植生や畑土のほかには人工地層は認められない。
本件工場の旧洗浄室付近の地下地質は別紙地質汚染ボーリング柱状図(その一)No.1のとおりであり、原告A野所有の井戸付近の地下地質は別紙地質汚染ボーリング柱状図(その二)No.3のとおり、原告B山の井戸付近の地下地質は同図面No.2のとおり、亡E田の井戸付近の地下地質は別紙地質汚染ボーリング柱状図(その三)No.4のとおりである。
原告ら所有の井戸付近及び本件工場付近の地下地質の構造は上記のとおりであるところ、同地域に存する井戸は、ローム層仕上げ井戸と沖積層仕上げ井戸に区別され、原告A野及び同B山所有の井戸はローム層仕上げ井戸に、亡E田所有の井戸は沖積層仕上げ井戸に分類される。そして、ローム層仕上げ井戸と沖積層仕上げ井戸とはその水位差が一・〇メートル以上もあることから、これらは別々の帯水層単元であると認められ、ローム層仕上げ井戸の単元は、不圧地下水(自由地下水)であり、沖積層仕上げ井戸の単元は、被圧地下水であると認められる。
ローム層を単元とする地下水は、ほぼ北東から南西方向に向かって流動しており、また、沖積層を単元とする地下水についてもほぼ同様に流動している。
また、沖積層を単元とする被圧地下水に比較してローム層を単元とする不圧地下水の方が地下ポテンシャル(位置エネルギー)が大きく、このことはローム層から沖積層への漏水を示唆している。また、本件工場の旧洗浄室の地下水流動系については、各地質ボーリング調査坑を利用して設けた観測井における水位測定の結果、北東から南西方向への地下水流動が確認された。
ウ テトラクロロエチレンの検出状況
(ア) 本件工場における検出値
a 被告の本件工場において確認されたテトラクロロエチレンの検出状況は別紙水質検査データ一覧表の「会社井戸」、「工場排水」、「会社調整池」各欄記載のとおりであり、平成二年四月一二日時点の福島県郡山公害対策センターの調査における工場排水の〇・〇二二mg/㍑が最高数値であった。また、平成三年三月一四日の福島県産業公害等防止条例に基づく立入調査において、マットの置いてあった位置(工場排水が流れる側溝付近)の表層土壌から五〇ppmという濃度のテトラクロロエチレンが検出された。
b なお、原告らは、甲一の記載をもって、平成二年四月一二日当時、福島県郡山公害対策センターの調査において被告の本件工場敷地内の調整池から〇・〇三六mg/㍑のテトラクロロエチレンが検出された旨主張する。
しかしながら、調査嘱託の結果(福島県生活環境部長平成七年六月二二日付調査嘱託について(回答))によれば、福島県は上記の事実を明確に否定しており、かかる内容に照らすと、甲一の上記記載部分は、にわかに信用できず、この点に関する原告の主張は、採用できない。
(イ) 原告A野所有の井戸における検出値
原告A野所有の井戸において確認されたテトラクロロエチレンの検出状況の詳細は次のとおりである。
日付 (検査主体(略称)) 数値
①平成二年五月二一日 白河市 〇・〇一二mg/㍑
②平成二年六月一三日 白河市 〇・〇四五mg/㍑
③平成二年九月二八日 県公害センター 〇・〇三一mg/㍑
④平成三年一月三〇日 A野家 〇・〇一六mg/㍑
⑤平成三年二月八日 FKC調査 〇・〇一五mg/㍑
⑥平成三年三月二八日 白河市 〇・〇一三mg/㍑
⑦平成三年五月八日 県公害センター 〇・〇一二mg/㍑
(ウ) 原告B山所有の井戸における検出値
原告B山所有の井戸において確認されたテトラクロロエチレンの検出状況の詳細は次のとおりである。
日付 (検査主体(略称)) 数値
①平成二年八月二九日 B山家 〇・〇〇九mg/㍑
②平成二年九月二八日 県公害センター 〇・〇一六mg/㍑
③平成三年二月八日 FKC調査 〇・〇〇八八mg/㍑
④平成三年三月二八日 白河市 〇・〇〇九七mg/㍑
⑤平成三年五月八日 県公害センター 〇・〇一mg/㍑
(エ) 亡E田所有の井戸における検出値
亡E田所有の井戸において確認されたテトラクロロエチレンの検出状況の詳細は次のとおりである。
日付 (検査主体(略称)) 数値
①平成三年二月八日 FKC調査 <〇・〇〇一mg/㍑
②平成三年三月五日 E田家 <〇・〇〇一mg/㍑
③平成三年三月二八日 白河市 〇・〇〇一一mg/㍑
④平成三年五月八日 県公害センター 〇・〇〇〇八mg/㍑
⑤平成三年七月九日 E田家 <〇・〇〇〇五mg/㍑
(オ) 鑑定における調査結果
鑑定における調査を実施したところ、平成九年五月当時、別紙テトラクロロエチレン表層汚染調査結果図のとおり、本件工場敷地内の旧洗浄室付近において、検知管で検知される程度の地下空気汚染現象を呈する領域が三九〇m2に及び、その中心部でのテトラクロロエチレンの最高濃度は一九ppmを示していることが確認された。また、地下観測井におけるテトラクロロエチレンの検出量は、同年六月の段階では〇・〇〇三mg/㍑であり、補足調査の同年八月の段階では、〇・〇一二mg/㍑であった。そして、本件工場の敷地内では、旧洗浄室付近を除けば特筆すべきテトラクロロエチレンによる汚染の存在は確認されなかった。
さらに、同年八月の補足調査では、原告B山の井戸から〇・〇〇〇五mg/㍑のテトラクロロエチレンが検出された。
エ 旧洗浄室の施設状況及び洗浄機の形状、稼動時期等について
(ア) 旧洗浄室の施設状況等
被告の本件工場における旧洗浄室は、昭和六〇年三月末ころに完成した。旧洗浄室は、建築確認申請当時は予定されていなかったため、設計図上、洗浄室が記載されていないが、建築後必要が生じたために、設計図上コンプレッサー室に予定している部屋を洗浄室と変更して利用されることとなった。
旧洗浄室の床の仕様は次の通りである。表面より①モルタル金ゴテ、厚さ三〇mm、ポゾリスカラークロン仕上。②土間コンクリート、厚さ一二〇mm。この土間コンクリートの中に、太さ一〇mmの鉄筋が二五〇mm間隔でクロス状に入っている。③断熱材スタイロホーム、厚さ二〇mm、④防湿材ビニールフィルム、厚さ一・五mm、⑤砕石地業、厚さ一五〇mm。
上記ポゾリスカラークロンとは株式会社ポゾリス物産の製品のマスタークロンのことであり、本来は、耐摩耗床材であって、吸水性を軽減する機能もあるが、直接防水を目的とした素材ではない。
また、旧洗浄室から排水溝への排水口は床面より約三〇cm高く設置してあった。
旧洗浄室は被告の第二工場増築工事に伴って解体することとなり、その代替施設として、第二工場内に新洗浄室を設けることとなった。旧洗浄室の取り壊し時期は平成二年八月上旬ころであり、新洗浄室の完成時期は第二工場増設時期で平成二年一一月三〇日ころである。
(イ) 洗浄機の形状、稼働状況
被告は、昭和六〇年四月一日、宮崎塗料株式会社(以下「宮崎塗料」という。)から「シャープ三槽式洗浄機 UT―二六一三H」一台を購入し、本件工場の旧洗浄室において、アルミニウム製チューブ等の製造過程で、チューブの表面に印刷する前にプレスの過程で付着した表面の油分(潤滑剤)を取るため、テトラクロロエチレンを洗浄剤として使用していた。上記チューブの年間生産量は概ね四五〇〇万本であり、そのうち、洗浄が必要なものは〇・五パーセント程度であった。洗浄方法としては、製品をステンレス製の網籠に入れ、この網籠を上記洗浄機の第一槽に入れて加熱した溶剤による浸漬洗浄(洗浄液中に直接被洗浄物を浸す)を行い、引き続き第二槽に入れて常温浸漬洗浄を行って被洗浄物を冷却し、引き続き第三槽に入れて蒸気洗浄(溶剤を蒸発させてその蒸気層中で洗浄する)を行うという一連の工程を七、八個の網籠を用いてローテーションにより順次洗浄するというものであった。
被告は、平成二年末ころ、旧洗浄室から新洗浄室に移転したが、原告らの地下水汚染の問題が表面化したことから、平成三年一月一一日、上記宮崎塗料に依頼して、本件洗浄機の溶剤をテトラクロロエチレンから1、1、1―トリクロロエタンに交換した。その後、他の業者に委託するなどして徐々に本件工事内での洗浄作業は減少し、平成七年秋ころに本件工場内での洗浄作業は完全に中止した。
そして、平成七年一二月二九日、本件工場内において、宮崎塗料の担当者に本件洗浄機を確認してもらい、さらに原告A野やその代理人弁護士の立会のもとで上記洗浄機を確認し、平成九年ころ、上記洗浄機を処分した。
原告らは、調停手続において、平成三年一二月二五日に本件工場に立入り当時存在した洗浄機を確認したが、その際、被告は、いわゆる三槽式の洗浄機ではなく、古い仕切のない洗浄機を使用して洗浄作業を行っていたものであり、この古い洗浄機は蒸気洗浄の設備がなく、ざぶづけやすすぎをした製品の入った網籠をそのまま引き上げるため、洗浄液が籠から床に滴り落ちることになり、ここからコンクリートを通じて地下浸透した旨主張し、原告A野本人もこれに沿う供述をしているが、同供述は被告が洗浄作業をしている状況そのものを観察したものではないし、上記認定のとおり、平成七年一二月二九日に本件洗浄機の納入業者である宮崎塗料の担当者が本件洗浄機を確認していることからすると、上記供述はにわかに信用できず、原告らの主張は採用できない。
オ 被告による地下水汚染の浄化対策
被告は、本件テトラクロロエチレンの汚染問題が浮上した後、福島県郡山公害対策センターと相談の上、調整池の底のパイプに穴を開け、コンプレッサーでエアーを吹き込んでエアレーションを行った。
また、被告は、本件訴訟における鑑定での調査を契機に、鑑定人に依頼して、平成一〇年一〇月一二日から浄化対策を実施し、ローム層を単元とする帯水層については完全に浄化が終了した。
(2) 検討
以上の事実をもとに被告の本件工場におけるテトラクロロエチレンの汚染の態様及び汚染経路について検討する。
上記認定の本件工場と原告らの各井戸の位置関係、本件工場付近の地質と地下水流動系の状況、テトラクロロエチレンの検出状況等を総合すれば、本件工場の旧洗浄室付近が汚染源であると認められるところ、旧洗浄室付近において確認された上記汚染の程度が比較的軽度であったことに照らすと、被告がテトラクロロエチレンを故意に大量に流出させたものではなく、旧洗浄室内での日常の洗浄作業の過程で、テトラクロロエチレンを跳ね飛ばしたり、垂らしてしまい地下浸透させたものと推認するのが合理的であり、その結果、同所から地下浸透したテトラクロロエチレンが地層を汚染し、同時に地下空気汚染を伴って、やがて地下水に溶解し、同一帯水層内を南西方向に移動拡散して、原告A野や原告B山の各井戸に到達したこと、また、調査池を介してあるいはローム層から沖積層の帯水層単元へ漏水して亡E田の井戸へ到達したものと推認するのが相当である。
原告は、汚染態様について、被告がテトラクロロエチレンを工場排水に混入させて工場外の調整池に排水させたという主張もしているが、旧洗浄室付近の汚染に比較して調整池付近の汚染はもとより軽微であり、平成二年四月一二日の工場排水の〇・〇二二mg/㍑が最高数値であって、それ自体も平成元年一〇月一日改正の水質汚濁防止法におけるテトラクロロエチレンの排水基準(〇・一mg/㍑以下)を下回っている上、それ以降はほとんど検出されていないこと、旧洗浄室は排水溝に至る排水口が床面より約三〇cm高く設置されていること、その他にこれまでに認定してきた汚染経路、旧洗浄室の施設状況及び洗浄機の形状、稼働状況等を総合すると、被告がテトラクロロエチレンを工場排水に混入させて工場外の調整池に排出させたとみることはできない。
(3) 結語
したがって、被告は、昭和六〇年四月から平成二年八月に至るまでの間、旧洗浄室において、テトラクロロエチレンを溶剤として洗浄作業を行った過程において、テトラクロロエチレンを床面に滴下し、それが地下浸透して、地下水の流動系に沿って南西に移動拡散した結果、原告A野及び原告B山の各井戸を汚染し、さらに、調整池を介してあるいはローム層から沖積層の帯水層単元へ漏水して亡E田の井戸が汚染されるに至ったものと認められる。
二 争点(2)(被告の侵害行為における過失の有無―予見可能性の有無)について
(1) 前記前提となる事実、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。
ア コンクリートの透水性(水密性)に関する知見
コンクリートは、セメントと水及び粗骨材、細骨材などからなっており、その断面は現実的には均質ではなく、このようなコンクリートの原料の品質や配合、空気量、混和方法、養生の仕方等により空隙が多数生じることがあり、通常のコンクリートは四〇~七〇%の水を用いるため、余分な水分は後日蒸発して必然的に空隙を残すとされている。特に水セメント比の影響が大きく、水セメント比が六〇%以上になると、透水量や透気量が急激に大きくなることが知られている。
また、骨材とセメントペーストの接合面に存在する付着ひびわれ、ブリージング水の上昇によって生じる骨材下面などの局部的空隙や水みちなどの欠陥によって水が透過することも知られている。
従って、そもそもコンクリートは本質的には有孔材料で吸水または透水はやむを得ないと一般的には認識されている。このため、敢えて防水効果を発揮させなければならないような場合には、混和剤としての防水剤を選択し使用することで防水効果を上げるとされている。
このように、少なくとも、昭和六〇年当時においても、コンクリートに一定の透水性があるとの知見はあったと認められる。
イ テトラクロロエチレンの性状に関する知見
前記前提となる事実のとおり、テトラクロロエチレン(CCl2=CCl2)は、合成化学物質であり、自然界には存在しない物質であって、その一般的性状については、無色透明の液体で、揮発性が高く、特にコンクリートの透過性との関係では、その性状として水と比較して比重が重く(一・六二三(二〇℃)、粘度が低い(〇・八八〇(二〇℃)ことが特徴として認められる。
(2) 検討
前記前提となる事実、争点(1)の認定事実に加え、以上の認定事実をもとに被告の本件工場において、上記侵害行為の当時、テトラクロロエチレンがコンクリート床を透過することが予見可能であったか否かについて検討すると、本件工場の旧洗浄室の床面の仕様については、前記一(1)エ(ア)に認定したとおり、鉄筋の入った厚さ一二〇mmの土間コンクリートの表面上に耐摩耗床材としてポゾリスカラークロンが塗布されていたものの、同表層材は、直接防水を目的としたものではなかったこと、少なくとも昭和六〇年当時において、コンクリートには、一定の透水性が認められるとの知見があったこと、また、テトラクロロエチレンの一般的性状として、水よりも比重が重く、粘度が低いとの特徴が一般に知られていたこと、平成元年七月七日付旧通商産業省・旧厚生省告示第七号の「トリクロロエチレン又はクリーニング営業者以外の事業者に係るテトラクロロエチレンの環境汚染防止装置に関する技術上の指針」においても、取り扱う施設について無条件にコンクリート床のみで良いとされているのではなく、そのひび割れ等が心配される場合には、トリクロロエチレン等に耐性をもつ合成樹脂による床面の被覆、容器等の下へのステンレス鋼の受け皿の設置等浸透防止措置をとることや必要な場合には、取り扱うトリクロロエチレン等の量及び作業に対応して、施設・場所の周囲に防液堤、側溝又はためますを設置する等トリクロロエチレン等の流出を防止する措置をとることが指導されていること、旧通商産業省は、上記指針に先立って、昭和六〇年七月に「トリクロロエチレン等適正利用マニュアル」を策定し、その中でも上記と同旨の指導をしていることなどに照らすと、被告において、前記侵害行為の当時、テトラクロロエチレンが床面へ滴下すればコンクリートを透過し、地下に浸透することの予見可能性があったとみるのが相当である。
したがって、被告は、上記侵害行為の当時、本件工場の旧洗浄室においてテトラクロロエチレンを使用するにあたり、テトラクロロエチレンが床面のコンクリートに滴下すればコンクリートに浸透して地下水を汚染するに至ることを予見することが可能であり、かつ、洗浄槽の設置部分にステンレス製の受け皿を設置する等のテトラクロロエチレンの地下浸透を防止する措置を講ずることも容易であり、そのような措置を十分に講ずるべき注意義務があったというべきである。
そして、被告はかかる注意義務を尽くさず、テトラクロロエチレンをコンクリート床面に滴下させ、これを地下浸透させて、原告らの各井戸の汚染をもたらしたのであるから、被告のかかる侵害行為については、被告の過失が認められる。
三 争点(3)(被告の侵害行為の違法性)について
(1) 被告の侵害行為の違法性の判断基準
上記のとおり、被告の侵害行為につき、被告の過失が認められるとして、かかる侵害行為に違法性が認められるか否かにつき以下検討する。
本件工場の操業に伴う公害が、第三者に対する関係において、違法な権利侵害ないし利益侵害になるかどうかは、侵害行為の態様、侵害の程度、被侵害利益の性質と内容、本件工場の所在する地域環境、侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況、その間に採られた被害の防止に関する措置の有無及びその内容、効果等の諸般の事情を総合的に考察して、被害が一般社会生活上受忍すべき程度を超えるものかどうかによって決するのが相当である。
原告らが主張するとおり、人の生命・健康に対する侵害は、たとえ些細なものであっても、金銭によって償えない代替性のないものであるから、その違法性を判断するに当たって慎重な配慮を要することは言うまでもないが、それ故に人の生命・健康に対する侵害について、およそ受忍限度を論ずる余地がないとまではいえない。
したがって、この点に関する原告らの主張は、独自の見解に立つものであって採用できない。
他方、被告が主張するように、侵害行為の当時、これを現在の基準でもって直接規制する行政法規が存在しなかったことをもって、直ちに不法行為における違法性がないということもできないというべきである。
(2) 検討
上記の見地に立って本件を検討するに、前記前提となる事実及び争点(1)で認定したとおり、被告の本件工場における侵害行為の態様は、被告が故意にテトラクロロエチレンを廃液として廃棄したり、工場排水として流出させたものではないとしても、通常の作業の過程において、継続的にテトラクロロエチレンを滴下させ地下浸透させて、地下水を汚染し、同一帯水層にある原告A野、同B山の井戸を汚染させたものと認められること、テトラクロロエチレンの性状及び毒性に関しては、テトラクロロエチレンは自然界にない人為的な物質であり、その特殊毒性である発がん性について、現時点において、その可能性が議論されていること、旧厚生省は、昭和五九年二月一八日当時、WHOの飲料水水質ガイドライン等をもとに水道水の暫定基準として、テトラクロロエチレンの基準値を〇・〇一mg/㍑以下と設定していたところ、前記認定のとおり、原告A野所有の井戸から平成二年五月二一日ないし同三年五月八日の間の各検査において、合計七回にわたって上記暫定基準を上回るテトラクロロエチレンが検出され、また、原告B山所有の井戸からも平成二年九月二八日、同三年五月八日の各検査において、上記暫定基準を上回るテトラクロロエチレンが検出されたこと、その結果、人は、人格権として生存及び健康を維持するのに十分な飲用水及び生活用水を確保、使用する権利を有していると解されるところ、原告A野及び原告B山においては、テトラクロロエチレンに汚染された井戸水を飲用水及び生活用水として継続的・長期的に摂取することにより人体に対する影響が懸念されるとして保健所から常に煮沸飲用するよう指導をされ、かようにしなければ水を飲用できない生活を強いられ、上記利益が害されたこと、原告A野及び原告B山の各自宅は、本件工場に近接しており、しかも、本件当時、水道管が近くになく井戸水により飲料水や生活用水を確保せざるを得なかった原告A野及び原告B山及び本件工場付近の地域環境に鑑みると、昭和六〇年四月以降に製品の洗浄作業としてテトラクロロエチレンを溶剤として使用していた被告が、原告A野ら周辺住民による苦情等が表面化した後、平成三年一月一一日に本件洗浄機の溶剤をテトラクロロエチレンから1、1、1―トリクロロエタンに交換し、さらに平成七年秋ころには、本件工場内での洗浄作業は完全に中止したこと、また、被告が、調整池に対してエアレーションを実施し、鑑定の結果においてその有効性が確認されていること、さらに、自ら費用を投じて鑑定人に依頼し、平成一〇年一〇月一二日から地下水の浄化対策を実施し、ローム層を単元とする帯水層については完全に浄化が終了したことなど被告がテトラクロロエチレン汚染防止のために諸施策を講じたことを考慮しても、テトラクロロエチレンに汚染された井戸水の飲用に一定期間にわたって継続的に曝されてきた原告A野及び原告B山との関係では、被告の前記侵害行為は、それぞれ社会生活上、受忍すべき限度を超えた違法なものであるというべきである。
これに対し、亡E田所有の井戸におけるテトラクロロエチレンの汚染の程度は、確認された範囲でも、①平成三年二月八日に<〇・〇〇一mg/㍑②平成三年三月五日に<〇・〇〇一mg/㍑③平成三年三月二八日に〇・〇〇一一mg/㍑、④平成三年五月八日に〇・〇〇〇八mg/㍑、⑤平成三年七月九日に<〇・〇〇〇五mg/㍑というものであり、そのほとんどが定量下限値以下の数値であって、〇・〇〇一一mg/㍑や〇・〇〇〇八mg/㍑という数値もそれ自体が極めて軽微である上、現時点において指摘されているテトラクロロエチレンの特殊毒性のリスクに鑑みると、直ちに何らかの危険性があると評価できるか否かも微妙であるといわざるを得ないこと、また、同井戸は、本件工場の旧洗浄室からの直接の汚染を受けたローム層を単元とする帯水層とは別の単元の沖積層を単元とする帯水層に位置していること、現在ではローム層を単元とする帯水層の浄化が完了していること等を勘案すると、亡E田との関係では、被告の前記侵害行為は、未だ社会生活上、受忍すべき限度を超えた違法なものということはできない。
(3) 結語
以上により、被告の上記侵害行為は、原告A野及び同B山との関係では、それぞれ受忍限度を超える違法なものであって、被告は、同原告らに対し、各不法行為責任を負うというべきである。
これに対し、被告の上記侵害行為は、亡E田との関係では、未だ受忍限度を超えるものとまでは認められず、被告は、亡E田に対し、不法行為責任を負わないから、亡E田の相続人である原告C川らの本訴請求は、争点(4)について判断するまでもなく、いずれも理由がない。
四 争点(4)(損害額)について
上記三の認定を踏まえ、被告の不法行為により、原告A野及び原告B山のそれぞれ被った損害額について検討する。
(1) 井戸掘削費用について
《証拠省略》によれば、原告A野は、平成二年七月三〇日付をもって福島県白河保健所から同原告の井戸水からテトラクロロエチレンが検出され、水道水の暫定的水質基準に適合せず、煮沸飲用を指導されたこと、平成三年八月二七日、代替井戸を掘削するため、一四〇万円の費用を支出したこと、原告B山は、平成二年一一月二六日付をもって福島県郡山公害対策センターから同原告の井戸水からテトラクロロエチレンが検出され、水道水の暫定的水質基準に適合せず、上記保健所の指導を受けるよう指示されたこと、平成四年一〇月二六日、代替井戸を掘削するため、一三四万円の費用を支出したことなどが認められ、これに前記のような同原告らの所在する地域環境、テトラクロロエチレンの毒性、被侵害利益の重大性等の事情も併せ考えると、これらの費用は、被告の前記不法行為と相当因果関係にある損害であると認めるのが相当である。
したがって、原告A野の井戸掘削費用一四〇万円、原告B山の井戸掘削費用一三四万円がいずれも損害として認められる。
(2) 土地評価損について
原告らは、被告の前記不法行為により地下水が汚染し、原告ら所有地の評価額が下落したことから、原告A野、同B山につき各二〇〇万円の損害を被った旨主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない。
(3) 慰謝料について
原告A野及び同B山が、被告の前記不法行為により、井戸水を汚染され、一定期間テトラクロロエチレンの毒性の脅威に曝されて煮沸飲用を強いられ、新たな井戸を掘削せざるを得なかったことは、前記認定のとおりであり、原告らの精神的損害を算定するにあたっては、前記争点(3)において認定した各事実に加え、他方で、原告らの被害内容として具体的な病気の発生等までは認められないこと等の本件記録に顕れた諸般の事情を総合考慮し、その精神的損害に対する慰謝料としては、それぞれ原告A野につき、二〇〇万円、原告B山につき、一五〇万円が相当であるというべきである。
(4) 弁護士費用、調査費用等について
《証拠省略》によれば、原告A野は、被告の前記不法行為により、井戸水の水質調査及び弁護士への相談等の必要に迫られ、それぞれ水質検査費用として四万三七七五円、弁護士費用として合計五万円を支出したことが認められ、これに前記のようなテトラクロロエチレンの毒性、被侵害利益の重大性等の事情も併せ考えると、これらの費用は、被告の前記不法行為と相当因果関係にある損害であると認めるのが相当である。
また、原告B山は、被告の前記不法行為により水質検査等を行い、その費用一万八六四〇円の負担を余儀なくされた旨主張し、《証拠省略》によれば、同原告が、平成二年八月に福島県白河保健所に対し、水質検査費用として同額の支払をした事実が認められるものの、かかる水質検査は「細菌検査」とされているのであって、《証拠省略》において、亡E田に関する同保健所の水質検査がその費目として化学物質の検査であることが明示されていることと対照してみると、原告B山の上記支出は、直ちに被告の前記不法行為と相当因果関係にある損害であると認めることはできない。
したがって、原告A野について、被告の前記不法行為と相当因果関係にある水質検査費用及び弁護士費用として合計九万三七七五円の損害を認めることができる。
(5) 結語
以上により、被告の不法行為により原告A野が被った損害額は、合計三四九万三七七五円、原告B山が被った損害額は、合計二八四万円であるとそれぞれ認められる。
第四結論
以上のとおり、原告A野及び同B山の各請求は、主文掲記の限度で理由があるからいずれもこれを認容し、その余の請求は理由がないからいずれもこれを棄却し、原告C川らの各請求は理由がないからいずれもこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 鈴木桂子 裁判長裁判官滝澤雄次、裁判官鈴木義和は、いずれも転補のため署名押印することができない。裁判官 鈴木桂子)
<以下省略>