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福島家庭裁判所 平成2年(家)698号 1991年4月12日

主文

不在者大沢義夫を失踪者とする。

理由

1  申立の要旨

別紙家事審判申立書(写)中の「申立の趣旨」及び「申立の実情」欄記載のとおりである。

2  当裁判所の認定した事実

当裁判所の事実調査の結果によれば、以下の事実が認められる。

(1)  不在者は、昭和28年3月○○大学経済学部を卒業して同年4月○○信用金庫(のち合併により○○信用金庫となる)に就職し、昭和34年4月21日申立人婚姻して長女(昭和35年1月4日生)及び二女(昭和37年10月23日生)の2児をもうけ、昭和61年2月、参与、理事長付部長を最後に○○信用金庫を退職して同年6月に○○商事有限会社の支配人に就任し、○○市○○町字○○××番地の×の自宅に家族とともに居住している。

(2)  不在者は、岩魚釣りを趣味とし、その釣り歴20年の経験者であり、これまで休日には早朝から釣り仲間らとともに○○市郊外の沢に入って渓流入りを続けてきており、また、山歩きを好み、山菜の時期になると山に入って山菜の採取を楽しんでいた。

(3)  不在者は、昭和63年5月22日午前4時頃、岩魚釣りのため、同釣り歴10年を超える友人山口一郎(当時満51歳)とともに、小型バイク2台を積んだワゴン車と乗用自動車で、○○市○○町所在の○○山方面に向けて各自宅を出発し、山形県境に近い旧国道○○号線の○○○トンネル付近でそれぞれ小型バイクに乗り換え、旧国道と○川との交わる山道で下車し、同川を北上して同日午前6時40分頃、同川と○○○川との合流地点に到着したのち、○○○川を上流に向って釣り上り、同日午前11時半頃、合流地点より約1.5キロメートル北西に進んだ○○○川右岸の辺で知人に合い、同人と釣りの話を交わしたのち、○○沢の奥の方へ向って行ったのを最後に消息を絶ってしまった。

(4)  申立人は、同日夕刻になっても不在者が帰宅しなかったため、○○警察署に不在者の捜索願の届出をし、これを受けて翌23日、同警察署員6人、地元消防団員39人、家族関係者8人の53人による捜索、更に翌24日には警察官46人、消防団員30人、猟友会員17人、営林署員2人、家族関係7人計112人、25日には計152人による捜索がなされ、その後も雨天の6月3日と同月9日を除いて6月12日まで連日、捜索の場所を広げながら延べ1、340人を動員しての捜索が行われた。

しかし、この間、同月23日に○○○○トンネルの出口から約500メートル北西の山中で不在者らの小型バイク2台が、同月27日に、前記知人と会った地点から約1キロメートル上流の○○○川の高さ約8メートルの滝つぼ中で不在者の釣竿が、更に、そこから約1.5キロメートル上流の土手で山口の納竿された釣竿が発見され、山口の釣竿が発見された地点より約500メートル下流の○○○川左岸の砂地に人の足跡(不在者らのものかどうかは不明である)が発見されたほかは、何ら手掛りとなるものは見つけることはできなかった。警察官らによる捜索打切り後も、申立人らの家族や猟友会員らによる捜索が継続して行われたが、依然として、不在者及び山口の消息は不明である。なお、危険なため、捜索隊員の立入りのできなかった区域が2か所程あった。

(5)  不在者らが岩魚釣りに出掛けた同年5月22日当時、その消息を絶った○○沢付近は、残雪が多く、ブナ林が続き、辺りが同じような風景に見えるため方向感覚を失って道に迷いがちな場所であり、また、不在者の釣竿が発見された地点から上流の○○○川の両岸は岩の崖が多く、滝つぼが連続しており、歩行が困難又は不能の地形であるため、複雑かつ、危険な場所であった。

しかも、同所付近は、同日夜から翌23日にかけて雨が降り続いたため、付近の川が増水し、気象条件も、気温が低く、みぞれ模様で霧が立ちこめる等悪い状況のもとにあった。

当時、不在者及び山口は、いずれも同所付近の地理に明るくなく、雨具、防寒具を持たず、軽装であり、食糧も1回分しか用意していなかった。

(6)  不在者は、昭和49年1月、それ以前に取得しておいた肩書住所地の宅地(306.7平方メートル)上に木造亜鉛メッキ鋼板葺2階建の居宅を新築し、それまで居住していた○○市○○町から家族ともども転居し、以来同所に定着し生活してきた。

(7)  不在者は、昭和63年5月当時、満57歳であり、糖尿病の気があり、血圧もやや高めであったものの、これ以上心身の状況に格別の問題はなく、同居の家族は、妻である申立人(昭和4年4月22日生)、二女及び母(明治42年4月8日生)であり、長女は昭和61年3月8日結婚して1児を得、夫とともに○○市内に居住し、中学校教諭として勤務しており、二女は縁談が進行中であった(昭和63年10月23日婚姻し、現在は○△市内に居住)。不在者は、これら家族との関係もよく、家庭内は円満であり、前記岩魚釣りに出掛ける半月ほど前の昭和63年5月7日には、海外旅行をするためのパスポートを取得し、同年6月家族らとともに海外旅行をすることを楽しみにしていた。

(8)  不在者は、大学卒業後信用金庫に就職して33年弱の期間働き、昭和61年2月円満退職(退職金600万円ないし700万円)し、同年6月○○信用金庫の子会社である○○商事有限会社の支配人に就任したが、同有限会社は各種保険の代理店を主たる営業種目としているものの、同会社の業務内容は親会社の○○信用金庫の顧客が同金庫から融資を受ける際、抵当権を設定する家屋に火災保険をつける契約の代理業務であり、顧客の大部分は○○信用金庫の顧客であり、独自の顧客拡張の努力は必要でなく、責任者としての支配人の主たる職務は8名の従業員を管理することにあり、支配人自らが客との契約にたずさわることはない。不在者はその生死が不明となり、昭和63年6月1日付で支配人を解任されたが、仕事の引き継ぎを受けた後任支配人(不在者の前任支配人でもあった)は、不在者の2年間の在任中の仕事には何の問題もなく、もとより金銭的な不正等は全くないと述べている。

また、○○信用金庫時代、○○商事有限会社時代の不在者の先輩、上司は、不在者の人柄は温厚篤実そのもので、部下の面倒見がよく、顧客の受けもよく、生活態度は堅実で、酒を飲み回るようなこともせず、家族思いであり、仕事の上でも、個人的交際の上でも他人から怨みを買うような人ではなかったと口を揃えて述べている。

(9)  不在者は、昭和39年12月1日に明治生命保険相互会祉の2倍保障30年満期養老保険(被保険者不在者、死亡保険金受取人申立人、死亡保険金100万円)の契約を、昭和46年12月5日に第一生命保険相互会祉の特別終生安泰保険(被保険者不在者、死亡保険金受取人申立人、災害死亡保険金額500万円、死亡保険金額300万円)の契約をそれぞれ締結しており、その後も更に生命保険に加入したい意向があったようだが、血圧が高めであったため契約することができなかった。

(10)  前記岩魚釣りに同行した山口一郎(昭和12年3月19日生)は、昭和50年12月○○市○○町字○○××番×の宅地(206.77平方メートル)を購入し、その宅地上に昭和53年1月居宅を新築して母マサヨ、妻奈々子(昭和10年7月25日生、○○県○検定所勤務)、長女尚子(昭和40年3月1日生、昭和61年4月7日婚姻)及び長男正人(昭和42年11月18日生、○○○勤務)とともに居住するようになり、洋服仕立業を営んでいた。

山口は、渓流釣りを好み、シーズン中は毎週のように○○川支流の○川方面に岩魚釣りに出かけ、この方面の地理に詳しく、更に、山菜やきのこの季節にはそれらの採取で山に入ることが多く、冬季は猟友会員として狩猟を楽しみ、その他○○市○○地区○○協会理事、○○市○○協会副会長の役を努め、ソフトボールや綱引きなどのスポーツも得意な人であった。

(11)  不在者と山口とは、職業も年齢も異なるが、渓流釣りの指導をしてもらった人が同一人物であったため、かねてから顔見知りであり、ともに○○市○○町内に居宅を新築して居住するようになってからは、相互に訪ね合って茶を飲みながら釣りの話に興じたり、一緒に蔵王方面へ渓流釣りに出かけたりし、双方家族ぐるみで芋煮会に出掛けたことも何度かあるほど親しい交際を続けていた。なお、不在者は、昭和58年ころから山口に年に1着程度の洋服の仕立てを注文していたが、代金の未払いはなく、その他の金銭の貸借関係もない。

(12)  山口の妻は、本件失踪宣告申立が認められれば、山口についても失踪宣告の申立をしようと考えて見合わせていたが、平成2年12月11日当裁判所に山口の失踪宣告の申立をし、現在公示催告中である。

3  当裁判所の判断

以上の認定の事実によれば、不在者は、昭和63年5月22日午前4時ころ、肩書住所の自宅を出て、友人の山口一郎と連れ立って岩魚釣りに出かけ、山形県○○へ通ずる国道○○号線と交わる○川を上流に向って釣り上り、○川と○○○川との合流地点から向きを○○○川に変え、同川を約1.5キロメートル上流へ釣り進んだ川辺で、同日午前11時半頃、知人に合って話を交わしたのを最後に消息を絶って音信不通となり、以後2年10か月余を経た現在まで不在者及び山口の生死が分明でない状態が続いていることが認められる。

ところで、申立人は、本件につきいわゆる危難失踪の適用を求めているが、民法30条2項に定められる「死亡の原因たるべき危難」とは、地震、台風(暴風雨)、洪水、山崩れ、雪崩など、それとの遭遇により死亡の可能性が極めて高い一般的事変及び断崖からの転落、熊などの野獣の襲撃などの個人的な遭難をいうと解すべきところ、上記認定の事実によれば、不在者が前記一般的事変に遭遇した者でないことは明らかであり、どのような個人的な遭難に遇ったものかは不明である。

しかしながら、前記認定の事実によれば、不在者及び山口の家庭はいずれも円満であり、2人は趣味を通しての良き友人であって、双方間はもとより、他との間に金銭的問題、紛争は見られず、不在者の勤務会社での勤務状況も良好で、職務上金銭的にも人間関係上も何ら問題はなく、不在者が山口と争って殺傷し合ったり、2人が相謀らって自殺したり、或いはいわゆる蒸発したりする事情があったことは全く認められず、しかも、多少の危険を伴う渓流釣りに可成りの経験を有する2人が揃って3年近くもの間、音信が不通であり、その生死が不明である事実に徴すると、不在者は、余人には知り難い何らかの死亡の原因となるべき危難に遭遇したものと認めるのが相当である。

よって、不在者は、その危難が去った昭和63年5月23日以後1年以上その生死が分明できないので、公示催告の手続を経たうえ、主文のとおり審判する。

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