秋田地方裁判所 平成25年(行ウ)3号 判決 2015年3月06日
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別紙1「当事者目録」記載のとおり
主文
1 秋田労働基準監督署長が、平成23年8月5日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文同旨
第2事案の概要
本件は、c株式会社(以下、「本件会社」という。)に勤務していたC(以下、「C」という。)の妻である原告が、Cの自殺が本件会社における過重な業務負担等に起因するものであると主張し、労働者災害補償保険法(以下、「労災保険法」という。)に基づく遺族補償年金及び葬祭料を不支給とした平成23年8月5日付けの秋田労働基準監督署長の処分の取消しを求める事案である。
1 前提事実
以下の事実は、当事者間に争いがないか、後掲各証拠によって容易に認めることができる。
(1) 本件の当事者その他の関係者
ア C及び原告
Cは、昭和34年○月○日生まれの男性であり、平成3年5月16日に本件会社に入社した。
原告は、Cの妻である。
イ 本件会社
本件会社は、昭和42年10月23日に設立され、新車及び中古車の販売、点検、整備及び修理、自動車用部品・用品・油脂類の販売、損害保険及び生命保険代理店業務、携帯電話等通信機器の販売を行っている。
本件会社の組織には、a本部とb本部があり、a本部には、総務課、経理課、管理課、秘書課が設けられている。
(2) Cの本件会社における勤務状況等
ア Cは、本件会社に入社後、平成12年2月16日付けで総務課から経理課へ異動し、平成13年6月1日付けで経理課長代理に昇格し、平成18年6月1日付けで経理課長に昇格し、その後、平成21年6月1日付けで次長心得(以下、単に「次長」という。)に昇格した。なお、次長は、a本部において、a本部長・取締役a総括部長に次ぐ地位である。
イ 次長としての業務内容は、営繕を含む総務、経理、人事が主なものであり、特に、店舗の修理等に関する見積りや発注等の営繕業務については全て次長の責任であった。また、経理業務については、部下が作成した伝票や資料のチェック、d株式会社に提出する月次決算の損益計算書、貸借対照表のチェックとその報告を行っていたほか、人事業務については、4月の定期採用や欠員が生じた際の臨時採用のための求人票の作成、自動車整備学校との間の連絡・調整、採用面接の準備などを行っていた。
Cが、次長として勤務していた平成21年6月から平成22年8月まで主に関わっていたのは、総務課及び経理課の所管業務であった。平成22年8月当初の総務課及び経理課の人員体制は、次長であるCの下に、総務課係長1名、経理課主任2名、経理課係員4名というものであった。また、Cは、上司であるa本部長・取締役a総括部長D(以下、「D」という。)の下で業務を行う立場にあった。
(3) Cの労働時間等
ア 本件会社の就業規則上、具体的な始業時刻、終業時刻、休憩時間や休日の月日、曜日は規定されていない。
Cの勤務する事業場において、拘束時間は、午前9時(以下、「始業時刻」という。)から午後5時30分とされていたが、午前8時からは課長以上の管理職による朝礼が、午前8時45分からは社員全員による朝礼がそれぞれ10分程度ずつ行われていた。また、休憩時間は正午から1時間とされていた。
休日は、毎週月曜日とほぼ隔週の日曜日、年末年始、ゴールデンウィーク期間、お盆前後の期間とされていた。
イ Cの時間外労働時間等(証拠<省略>)
(ア) 始業時刻以前の労働時間を朝礼時間(公休日のうち日曜日のみ10分、通常の勤務日は20分)及びその準備時間(朝礼1回につき5分)のみとした場合、Cの月ごとの時間外労働時間数はおおむね以下のとおりである。ただし、後記のとおり、始業時刻以前の労働時間数については当事者間に争いがある。
・平成21年4月(4月2日から5月1日) 100時間40分
・同年5月(5月2日から5月31日) 78時間20分
・同年6月(6月1日から6月30日) 95時間26分
・同年7月(7月1日から7月30日) 112時間15分
・同年8月(8月5日から9月3日) 71時間20分
・同年9月(9月4日から10月3日) 97時間35分
・同年10月(10月4日から11月2日) 84時間10分
・同年11月(11月3日から12月2日) 108時間50分
・同年12月(12月3日から1月1日) 81時間20分
・平成22年1月(1月2日から1月31日) 102時間30分
・同年2月(2月2日から3月3日) 100時間40分
・同年3月(3月4日から4月2日) 122時間35分
・同年4月(4月3日から5月2日) 91時間50分
・同年5月(5月3日から6月1日) 112時間55分
・同年6月(6月2日から7月1日) 113時間20分
・同年7月(7月2日から7月31日) 149時間53分
(イ) Cは、平成21年4月から平成22年6月までの間は、4週4日の休日を確保しており、おおむね1週間に1日は休業できていた。
また、Cは、同年7月13日から同年8月1日まで20日間連続勤務をしていた。
(4) Cの自殺
Cは、平成22年8月2日、本件会社の地下駐車場の社長の駐車場所において自殺した(以下、「本件自殺」という。)。
(5) 労災保険制度等の概要
ア 労災保険制度
使用者は、労働者の業務上の負傷、疾病、障害又は死亡に対し、療養補償、休業補償、障害補償、あるいは遺族補償及び葬祭料を負担しなければならないところ(労働基準法75条ないし77条、79条、80条)、使用者の労働者ないしその遺族に対するこれら災害補償の支払を担保するのが、労災保険制度である。労災保険制度では、概要、労働者ないしその遺族の請求に基づいて、労働者の業務上の負傷、疾病、障害又は死亡が認められた場合に、必要な範囲で保険給付が行われることとなる(労災保険法7条1項1号、12条の8第1項、2項参照)。
なお、何が業務上の疾病に当たるかについては、労働基準法施行規則別表第1の2に規定されている。
イ 判断指針(証拠<省略>)
(ア) 厚生労働省(中央省庁等改革基本法の実施に伴う厚生労働省設置法施行以前においては労働省を指す。以下、同法の施行前後を問わず、単に厚生労働省と表記する。)労働基準局長は、平成11年9月14日、「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」(基発第544号。以下、「判断指針」という。)を発した。
(イ) この判断指針は、いわゆる「ストレス-脆弱性」理論(精神的破綻が生じるかどうかは、環境由来の心理的負荷(ストレス)と個体側の反応性、脆弱性との関係で決まり、心理的負荷が非常に強ければ、個体側の脆弱性が小さくても精神的破綻が起こるし、逆に脆弱性が大きければ、心理的負荷が小さくても破綻が生じるとする考え方)に基づき、①労働者が、国際疾病分類第10回修正第Ⅴ章「精神及び行動の障害」(一般には、「国際疾病分類第10回修正」が「ICD-10」と称されるが、本件においては、以下、「国際疾病分類第10回修正第Ⅴ章「精神及び行動の障害」」を「ICD-10」と称することとする。)に分類される精神障害を発病した場合において、②その精神障害の発病前おおむね6か月の間に、客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められ、③業務以外の心理的負荷及び個体側要因により当該精神障害を発病したとは認められない場合に、当該精神障害を労働基準法施行規則別表第1の2に規定される疾病に該当するものとして取り扱う、すなわち当該精神障害の発病に業務起因性を認めるとするものである。
そして、心理的負荷の強度を評価する指標として、職場や職場外の出来事をそれぞれ類型化した心理的負荷評価表が用いられた。
ウ 改正判断指針(証拠<省略>)
判断指針の策定後、職場を取り巻く状況が変化する中で、新たに心理的負荷が生ずる事案が認識されるようになり、判断指針の運用に困難を伴う事案が少なからず見受けられるようになったことから、厚生労働省労働基準局長は、平成21年4月6日、「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針の一部改正について」(基発第0406001号。以下、「改正判断指針」という。)を発した。改正判断指針は、判断指針の基本的な形式、考え方を変更するものではないが、ストレス出来事の評価に関する委託研究の結果を踏まえて、判断指針の心理的負荷評価表の具体的出来事の追加又は修正等の改正等がされた。
エ 認定基準(証拠<省略>)
その後、精神障害等の労災請求件数が増加していること、労災請求事案の処理を迅速・適正に対処するために基準を明確化、具体化する必要が生じたことなどから、厚生労働省は、精神医学、心理学、法律学の専門家によって構成される「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会」に精神障害等の労災認定についての検討を依頼したところ、平成23年11月8日、同検討会は「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会報告書」を取りまとめた。この報告書では、近時の医学的知見、これまでの認定事例、裁判例の状況等を踏まえた上で、いわゆる「ストレス-脆弱性」理論に引き続き依拠することが適当であるとされ、従来の判断指針及び改正判断指針の考え方を維持しつつも、審査の迅速化や効率化を図るために、業務による心理的負荷の評価基準及び審査方法等の改善が提言された。厚生労働省労働基準局長は、この報告書の内容を踏まえ、平成23年12月26日、「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(基発1226第1号。以下、「認定基準」という。)を発し、これにより、判断指針及び改正判断指針は廃止された。
認定基準においても、判断指針及び改正判断指針の基本的な考え方に実質的な変更はないが、主として、次のような点において修正が図られている。すなわち、業務による心理的負荷の評価方法を明確にするため、上記報告書の提言に従って、判断指針及び改正判断指針の「職場における心理的負荷評価表」に代わり、新たに「業務による心理的負荷評価表」(認定基準の別表1)が定められた。この「業務による心理的負荷評価表」では、出来事の類型が詳細に見直され、具体例も盛り込まれたほか、検討の視点として「特別な出来事」と「特別な出来事以外」の項目に区別され、「特別な出来事」に該当する出来事があった場合には、業務における心理的負荷はそれのみで「強」とされた。また、労働者に既に業務外の精神障害が発病していた場合において、その後、当該精神病が著しく悪化した場合に、その悪化のおおむね6か月前に上記「特別な出来事」に該当する出来事がある場合には、その悪化は業務に起因するものとされた。
なお、認定基準の内容は、別紙2「心理的負荷による精神障害の認定基準」記載のとおりである。
オ 精神障害による自殺(証拠<省略>)
判断指針においては、ICD-10のうち、F0ないしF4に分類される多くの精神障害では、精神障害の病態としての自殺念慮が出現する蓋然性が高いと医学的に認められることから、業務による心理的負荷によってこれらの精神障害が発病したと認められる者が自殺を図った場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し、原則として精神障害による自殺には業務起因性が認められるとする。そして、この考え方は、改正判断指針及び認定基準においても踏襲されている。
(6) 原告による労災申請等
ア(ア) 原告は、処分行政庁である秋田労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づき、遺族補償給付としての遺族補償年金及び葬祭料を申請したが、同署長は、平成23年8月5日付けで、遺族補償年金及び葬祭料をいずれも支給しない旨の処分(以下、「本件処分」という。)をした(証拠<省略>)。
(イ) なお、本件処分時には、判断指針及び改正判断指針は存在していたが、認定基準は存在していなかった。
イ 原告は、本件処分を不服として秋田労働者災害補償保険審査官に対し審査請求を行ったが、同審査官は、平成23年12月21日付けで、同審査請求を棄却した。
ウ 原告は、これを不服として労働保険審査会に対し再審査請求を行ったが、同審査会は、平成24年9月21日付けで、同再審査請求を棄却した。
エ 原告は、平成25年3月21日、本件訴訟を提起した。
2 本件の争点
(1) 業務起因性の判断枠組み
(2) 本件自殺の業務起因性の有無
3 争点に対する当事者の主張
(1) 争点(1)(業務起因性の判断枠組み)について
(原告の主張)
認定基準や判断指針は、処分庁が迅速に業務起因性を判断する手がかり、基準、目安となるものであるが、これらの基準に合致しない限り業務起因性を否定する根拠となるものではない。
認定基準や判断指針では、精神障害発症後の出来事について、極めて限定的な「特別な出来事」を除き、原則として考慮しないこととなっているが、鬱病の発症も、その後の増悪もいずれも自殺という最悪の結果を招来する要因であり、後者のみ特別の要件や因果関係を必要とするのは不当である。
(被告の主張)
労災保険法上の保険給付は「労働者の業務上の負傷、疾病、障害又は死亡」に対するものであるから(労災保険法7条1項1号)、当該労働者の疾病を業務上のものであるというには、当該労働者が当該業務に従事しなければ当該結果が発症しなかったという条件関係が認められるだけでは足りず、当該業務と当該疾病等の間に法的にみて労災補償を認めるのを相当とする関係、すなわち相当因果関係が存在することを要する。
そして、相当因果関係が肯定されるためには、当該疾病の発病が、当該業務に内在する危険の現実化と認められることが必要であり、「ストレス-脆弱性」理論に基づき、①平均人を基準として、業務によるストレスが客観的に精神障害を発病させるに足りる程度のものであり(危険性の要件)、かつ、②当該発病に対して、業務による危険性がその他の業務外の要因に比して相対的に有力な原因となっていること(現実化の要件)が必要というべきである。
改正判断指針は、上記のような業務起因性の判断枠組みを前提とした上で、見直し等検討会が取りまとめた報告書に従って業務起因性に関する判断基準を示したものであり、認定基準においても、おおむねこの考え方は維持されている。そして、本件処分は改正判断指針に依拠したものであり、本件においても改正判断指針及び認定基準に照らし業務起因性が判断されるべきである。
(2) 争点(2)(本件自殺の業務起因性の有無)について
(原告の主張)
ア 長時間労働
(ア) Cは、次長に昇格する前から毎月100時間を超える時間外労働をしており、とりわけ、自殺2か月前の30日間では合計143時間40分、自殺1か月前の30日間では合計184時間18分の時間外労働をしている。しかも、自殺直前の7月13日以降は一切休日がなく、20日の連続勤務を続けている。
このような長時間労働は、認定基準によっても、「特別な出来事」として類型化されている「極度の長時間労働」に該当するものである。
また、被告が認定する発病時期を前提としても、Cの時間外労働時間数は、発病前1か月が132時間30分、同2か月が111時間20分、同3か月が138時間50分であるから、認定基準の「発病直前の3か月連続して1か月おおむね100時間以上の時間外労働を行った」に該当するものである。
(イ) Cはおおむね午前7時20分ころには出社しているところ、それ以降、朝礼及びその準備時間以外は自由に過ごしていたというのは不自然であり、Dは午前7時には出社していたというのであるから、それ以降は部下であるCは労働に従事していたというのが実態に即している。
実際にも、始業時刻前であっても、CとDは仕事のやりとりをしていたし、Cはメールチェックや部下と仕事の話をし、デスクには仕事の資料が広げられているなどしていたのであるから、労働実態があったといえる。
イ 過重な業務負担と心理的負荷等
Cが次長に昇格後、担当業務等が名目上増えていないかに見えても、その責任や負担感、緊張感は増加し、それに応じて労働時間も増加していったことは明らかである。また、Dは、Cの次長昇格に当たり暗に休日出勤を命じていたほか、Dや社長が宴席を設けてCを激励するなどしており、Cの責任感や精神的緊張、負担も増加した。
また、Cは採用事務を一人で担当していたほか、労働局等への書類提出の最終責任者であり、さらに、4月から6月は決算業務で多忙であった上に、7月には税務調査の準備作業で更に業務負担が増加していた。
ウ 以上のように、Cは、会社の業務遂行のため、恒常的な長時間労働を続け、強い心理的負荷を受け続けた結果、精神障害を発病し、社内で自殺するに至ったのであり、ほかに、Cを自殺に至らせる原因はないのであるから、業務起因性が認められる。
(被告の主張)
ア 改正判断指針に基づく検討
(ア) 危険性の要件を充足しないこと
a Cは、遅くとも平成21年秋頃から不眠傾向を示し、平成22年1月以降、睡眠導入剤を服用し、食欲や元気がない様子であり、自殺願望を示す言動が見られた。秋田労働局地方労災医員協議会精神障害等専門部会では、こうしたCの経過をICD-10に照らし、Cが平成22年1月頃に「F32.1中等症うつ病エピソード」(以下、「本件精神障害」という)を発病したと判断している。
Cは平成21年6月1日付けで次長に昇格したものの、仕事の内容や業務量、裁量の範囲に変化はなく、この出来事を判断指針別表1に当てはめると、心理的負荷は「Ⅰ」である。
また、本件精神障害発病前6か月のCの時間外労働時間数が月100時間を超えるのは、平成21年7月と11月のみであり、おおむね1週間に1日は休業できていたのであるから、月100時間を超えるような恒常的な長時間労働を継続的に行っていたとまではいえず、次長昇格により労働時間が極端に増加するということもなかった。また、Cの業務内容に著しく困難なものもなく、Cから具体的な援助等の依頼もなかったから、職場内の支援体制に不備もない。以上によれば、業務による心理的負荷の総合評価は「弱」である。
したがって、Cについて、本件精神障害発病前の6か月間に、客観的に本件精神障害を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷があったとは認められず、危険性の要件を充足しない。
b 始業時刻前については、朝礼及びその準備等に要する時間(公休日のうち日曜日のみ10分間及び通常の勤務日の場合は20分間並びに朝礼の準備時間等として、朝礼1回に対し各5分間)のみを労働時間として計算すべきである。
Cが会社からの業務命令として従事しなければならなかった業務は、朝礼への参加及びその準備にとどまり、Cがほかに何らかの業務に従事していたことを認めるに足りる具体的な証拠はない。また、始業時刻以前に出勤した社員は、自由に新聞を読むなどして過ごしており、勤務実態は乏しかった。
(イ) 現実化の要件を充足しないこと
Cに対する周囲の評価からすれば、Cはメランコリー親和型(自己の日常生活を日常生活たらしめているものの総体である秩序への志向性が、几帳面という形で固執しすぎていること、自身に向けられた要求水準が高すぎることなどを本質とする性格傾向)の特徴を有しており、平成19年以降のCの業務日誌に記載された「自殺したい」「死にたい」などの自殺願望を示す記載からすれば、Cの精神的な脆弱性を否定できず、上記のとおりCの業務による心理的負荷の強度が客観的にみて精神障害を発病させるに足りる程度のものでなかったことからすれば、本件精神障害の発病は、業務による心理的負荷がその他の業務外の要因に比して相対的に有力な原因となっていたとはいえず、現実化の要件を充足しない。
イ 認定基準に基づく検討
(ア) 危険性の要件に該当しないこと
Cの次長への昇格は「自分の昇格・昇進があった」に該当するが、業務内容や業務量、裁量の範囲に変化はなく、平均的な心理的負荷の強度は「Ⅰ」であり、総合評価を行った心理的負荷は「弱」である。
また、Cは、平成21年9月1日から同月13日まで13日間連続勤務をしており、「2週間(12日)以上にわたって連続勤務を行った」に該当するが、最も遅い退社時刻でも午後8時55分であり、同月7日は正午から午後5時30分までの勤務にとどまっており、Cが休日出勤したのはDの「多少は休日出勤した方が立場上いいのではないか。」とのアドバイスに従ったためで、平日勤務でこなせないほどの業務量があったわけではない。したがって、平均的な心理的負荷の強度は「Ⅱ」であり、総合評価を行った心理的負荷は「弱」である。
なお、上記の各出来事は関連して生じておらず、全体評価をした心理的負荷も「弱」である。
また、前記のとおり、本件精神障害発病前およそ6か月間の時間外労働時間をみても、極度の長時間労働は認められず、1週間に1日は休業していた。
以上によれば、本件精神障害発病前には、認定基準別表1の「特別な出来事」に該当する出来事はなく、上記各出来事の心理的負荷の総合評価は「弱」であり、また、労働時間数についても、心理的負荷の強度が「中」を超えることはないというべきであって、客観的に本件精神障害を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷があったとは認められない。
(イ) 現実化の要件を充足しないことは、上記ア(イ)と同様である。
(ウ) 本件精神障害発病後の出来事
本件において「特別な出来事」として類型化される「心理的負荷が極度なもの」「極度の長時間労働」に該当する具体的出来事は存在しないから、本件精神障害発病後の事情をもって業務起因性を認めることはできない。
(エ) 業務の過重性判断は単に労働時間数のみならず、事案ごとに労働密度等も考慮すべきであるところ、Cの経歴や業務経験に照らして、Cが担当していた業務が困難であったということはできず、労働密度が殊更高かったこともうかがわれない。原告の主張する官庁対応については、その具体的業務内容が明らかでない。税務調査についても、具体的業務内容が明らかでなく、経理部門の複数の職員も分担して税務資料を作成するなどしており、Cのみに責任や負担が集中してはいない。労働基準監督署への対応についても、会社が何らかの指導等を受けたことはなく、会社において労働基準監督署への対応を要する業務が特に行われた形跡もなく、具体的な業務内容が明らかでない。
第3当裁判所の判断
1 争点(1)(業務起因性の判断枠組み)について
(1) 精神障害の発病の業務起因性の判断枠組みについて
ア 前記前提事実(5)に記載のとおり、労働者ないしその遺族に対し、労災保険法に基づく労災補償給付がなされるには、労働者の疾病が業務上の事由により生じた疾病に当たること(労災保険法7条1項1号、12条の8第1項、2項)、具体的には労働基準法施行規則別表第1の2に掲げる疾病に当たることが要件とされるところ、労災保険制度が、労働基準法上の災害補償責任を担保する制度であり、災害補償責任が使用者の過失の有無を問わずに被災者の損失を填補する制度であって、いわゆる危険責任の法理に由来するものであることに鑑みれば、労働者の疾病が業務上の事由により生じた疾病といえるためには、当該疾病が労働者の従事していた業務に内在ないし随伴する危険性が発現したものと認められる必要があるというべきである。
したがって、労働者の疾病の業務起因性の判断においては、業務と当該疾病の発病との間に条件関係があるだけではなく、労災保険制度の趣旨に照らして、当該疾病が労働者の従事していた業務に内在ないし随伴する危険性が発現したものとして両者の間にそのような補償を行うことを相当とする関係、いわゆる相当因果関係があることが必要である。
イ その上で、労働者が精神障害を発病した場合の相当因果関係の具体的な判断方法について検討するに、精神障害の病因については、環境由来のストレスと個体側の反応性・脆弱性との関係で精神的破綻が生じるか否かが決まり、ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に、個体側の脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生じるとする、いわゆる「ストレス-脆弱性」理論に依拠するのが相当である。
そして、今日の社会においては、何らかの個体側の脆弱性要因を有しながら業務に従事する労働者も少なくないという実情と、労災保険制度が上記で述べたような危険責任の法理にその根拠を有することを併せ考慮すれば、上記相当因果関係の判断に当たっては、何らかの個体側の脆弱性を有しながらも、当該労働者と職種、職場における立場、経験等の点で同種の者であって、特段の勤務軽減を要することなく通常業務を遂行することができる平均的労働者を基準とするのが相当であり、このような意味での平均的労働者にとって、当該労働者の置かれた業務における心理的負荷が、一般に精神障害を発症させるに足りる程度のものであり、かつ、業務による心理的負荷がその他の業務外の心理的負荷や個体側の要因に比して相対的に有力な原因となったと認められる場合には、当該業務と当該精神障害発症との間に相当因果関係を認めるのが相当である。
ウ ところで、前記前提事実(5)エのとおり、平成23年11月8日に取りまとめられた「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会報告書」(証拠<省略>)は、精神医学、心理学、法律学の専門家によって構成された専門検討会が、近時の医学的知見、これまでの労災認定事例、裁判例の状況等を踏まえた上で、従前の判断指針及び改正判断指針が依拠している「ストレス-脆弱性」理論に引き続き依拠し、従前の考え方を維持しつつも、業務による心理的負荷の評価基準の改善と審査方法の改善を提言したものであり、厚生労働省は、これを踏まえて、同年12月26日に認定基準(証拠<省略>)を定めたものである。
そして、認定基準は、本件処分の当時は存在しておらず、また、判断指針及び改正判断指針と同様、裁判所による行政処分の違法性に関する判断を直接拘束する性質のものではないことは当然であるものの、上記イで述べた当裁判所の業務起因性の判断枠組みと整合するほか、近時の医学的知見を踏まえて、特に業務における心理的負荷の判断要素を詳細かつ緻密に分析したものであり、その作成経緯に照らしても合理性を持つものである。
したがって、本件における業務起因性の判断においては、基本的には認定基準にのっとって、当該労働者に関する精神障害の発症に関する具体的事情を総合的に考慮し、必要に応じて認定基準を修正しつつ、業務と精神障害の発症との間の相当因果関係を判断するのが相当である。
具体的には、①労働者がICD-10の精神障害を発病したことを前提に、②その精神障害の発病前おおむね6か月の間の業務における出来事が、認定基準の別表1「業務による心理的負荷評価表」に照らして、その心理的負荷の程度が「強」と認められること、一方で、③認定基準の別表2「業務以外の心理的負荷評価表」に照らして業務以外の心理的負荷により精神障害が発症したとは認められず、また個体側要因により精神障害が発症したとも認められない場合を基本として、必要に応じてこれらの基準を修正しつつ、労働者の精神障害の発症に業務起因性を認めるのが相当である。
(2) 精神障害の発病後の自殺と業務起因性についての判断枠組みについて
認定基準においては、ICD-10のF0からF4に分類される多くの精神障害では、精神障害の病態としての自殺念慮が出現する蓋然性が高いと医学的に認められることから、業務による心理的負荷によってこれらの精神障害が発病したと認められる者が自殺を図った場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し、原則として業務起因性を肯定するものとされている(証拠<省略>)。そして、上記(1)ウで述べたことからすれば、本件においても、精神障害の発病後の自殺の業務起因性については、労働者が業務による心理的負荷によってICD-10のF0からF4に分類される精神障害を発病し、その後に自殺を図った場合には、特段の事情がない限り、労働者の自殺に業務起因性を認めるのが相当である。
2 争点(2)(本件自殺の業務起因性)について
(1) 認定事実
ア 月ごとの時間外労働時間数
(ア) Cは、出社後、たばこを吸いに執務室の外に出る以外は、基本的には自分の席に着いていることが多かった。また、始業時刻前に、CからDに決裁関係や緊急案件などの話をすることや、DからCに仕事の指示を与えることが、それぞれ月に一、二回程度あったほか、他の社員の出勤後、Cが、仕事の話や雑談をしていることがあった。(証人D)
E(以下、「E」という。)は、午前8時35分から40分頃に出勤しているが、出勤した際、Cのデスク上には、仕事の資料等が置かれていることが多かった(証人E)。
Cが出社してから始業時刻までの間、会社あるいはDからCに対して、仕事についての具体的な指示や命令はなかった(証人D)。また、Dは、始業時刻前に従業員が仕事をしているか否かは特にチェックしておらず、Cが始業時刻前に仕事をしていても、仕事をしないように指導することもなかった(証拠<省略>)。
(イ) 被告は、始業時刻前については勤務実態に乏しかった旨主張するところ、確かに、Cが出勤した後に具体的にどのような業務を行っていたのかについては必ずしも明らかではない。
しかし、始業時刻前にDとCが仕事のやりとりをすることも少ないながらもあったことや、Cが部下と仕事の会話をすることがあったこと、部下が出勤した際には既にCのデスクに仕事の資料が置かれていたこと等からすれば、始業時刻前であってもCが仕事を行っていた客観的状況が認められる。このような状況で、始業時刻前であるからといって朝礼以外の時間は仕事をせず自由に過ごしていたとは考え難いが、後記ウ(ア)のとおり、上司からも部下からもその仕事ぶりが真面目で丁寧であると評価されていたCの場合であればなおさらである。また、Cは始業時刻前に処理すべきものとして業務を命じられてはいなかったものの、当該時間内に処理すべきものとして命じられた仕事をしていなければ労働時間にならないとはいえず、かえって、会社側から仕事がないのであれば出社しないよう積極的に促していたなど、Cが仕事はないにもかかわらず会社に居たことをうかがわせるような事情も認められない。
以上によれば、Cの出社後、始業時刻前の時間についても、基本的には労働の実態があったと推認することができ、これに対する被告の主張は、Cに自由に過ごす時間があったという一般的な可能性を指摘するにとどまるものにすぎず、上記推認を覆すに足りる具体的事情は認められない。Dは、Cが地元紙をウェブサイトで見ていた旨述べるが、Cが仕事をしているかチェックしていなかったとも述べるから、Dの供述をもって上記推認が覆るなどとは到底いえない。
したがって、Cの出社後、始業時刻前についても、労働時間として認めるのが相当である。
(ウ) そして、証拠<省略>の出勤簿形式の記録について、その信用性には特別争いがなく、同記録に記載の時刻にCが出社していたことが認められる。
また、平成22年7月16日から同月31日については、直接Cの出社時刻を裏付ける資料は存在しないものの、証拠<省略>によれば出張等の特別な事情のない限りCはほぼ午前7時20分に出社していたと認められることからすれば、同期間についても基本的に同時刻に出社していたものと認めるのが相当である。
(エ) そこで、このような出社時刻の認定を前提に、それ以降は労働時間であるとすると(休憩時間1時間を除く。)、月ごとの時間外労働時間はおおむね次のとおりであると認められる(ただし、各月に含まれる日にちは、前記前提事実(3)イ(ア)と同じである。)。
・平成21年4月 127時間30分
・同年5月 103時間05分
・同年6月 125時間21分
・同年7月 143時間20分
・同年8月 97時間
・同年9月 127時間
・同年10月 113時間10分
・同年11月 139時間25分
・同年12月 107時間20分
・平成22年1月 133時間30分
・同年2月 130時間35分
(なお、証拠<省略>によれば、同月8日、9日、13日は出張とされており、始業時刻が不明であるため、定時である午前9時を始業時刻として算定した。)
・同年3月 154時間05分
・同年4月 115時間
・同年5月 141時間40分
・同年6月 144時間40分
・同年7月 184時間18分
イ Cの担当していた業務の具体的内容等
(ア) 経理(証拠<省略>)
業務課から1か月に1回提出される売上月報の売上げ及び粗利益をチェックし、会社全体の貸借対照表と損益計算書に反映させ、それらをDに提出する。また、入金チェックのほか、部下が行った入金に関して、再度チェックするという業務もある。
税務署関係の業務として、税務調査の際の資料の準備がある。具体的には、帳簿等を事前に確認した上で、税務署からの質問に備え、日報がとじられている売上月報や買掛金支払明細をとじた資料等を準備していた。税務署との直接の対応はDが行っており、Cは資料を準備した上で別室で待機していた。税務調査は四、五年に1度行われるのが通常であり、本件自殺直後にも予定されていた。なお、Cはこれまでに税務調査を2度経験していた。
(イ) 総務
総務の業務としては、採用、営繕等がある。
採用の業務として、年に1回、仙台と東京の自動車専門学校の学校主催の就職説明会に出席し、会社案内を行っている。また、年に三、四回程度、会社訪問の希望者がある場合に、半日程度の会社案内や説明などをしていた。また、筆記試験の準備や面接を担当するDらのために応募者に関する資料作成等を部下とともに行っている。(証拠<省略>)
営繕の業務は、会社の設備の修理等であり、その費用が5万円程度まではCの判断により、それ以上の場合にはDの許可を得て処理する。修理費用が1万円以上となる場合には、稟議書を作成するが、店舗や担当の課が作成するため、総務課で作成することはほとんどない(証拠<省略>)。また、社員寮の管理も担当していた(証拠<省略>)。
そのほかに、月に1度、残業時間や営業職の奨励金等を加味した給与計算の結果のチェックを行っている。また、労働基準監督署への対応として、変形労働時間に関する協定書の作成、法令の変更に伴う就業規則の変更、労働基準監督署での講習への出席等がある。(証拠<省略>)
また、事業計画及び売上計画の立案、売上計画の達成度についての確認、決算の作成、部下の人事考課といった業務も行っていた(証拠・人証<省略>)。
Cの業務に関する大きなイベントとしては、4月1日の入社式と1月末頃から2月初め頃の総決起大会がある。入社式に関して、Cは、会場の確保や当日の司会、入社式後に新入社員を神社に連れて行くなどの業務を行っていた。総決起大会については、Cが、他の社員とともに書類準備等の作業をしていたほか、当日の司会も担当していた。また、入社式や総決起大会の前は仕事量が増え、Cが部下とともに残業することがあった。(証拠<省略>)
(ウ) 業務体制
Cが主に関与していた総務課及び経理課の人員体制は前記前提事実(2)イに記載のとおりであるが、Cの次長昇任後である平成21年7月に、部下1名が異動し、同年11月19日で新規採用により補填された(証拠<省略>)。
(エ) 繁忙期等
Cの勤務していた部署では、4月ないし6月が決算業務のために比較的忙しい時期であった(人証<省略>)。
平成22年8月に税務調査が予定されていたため、同年7月は、その準備のため業務量が増えていた。5年ほど前にされた前回の税務調査は、事前通知があり当日に関係書類を見るというやり方だったが、平成22年の税務調査では、1か月以上前から資料の提出を求められ、追加で資料を作成する必要もあったことや税務署の追及が厳しいなどの違いがあった。(証拠・人証<省略>)
(オ) 通勤時間等
Cは、自家用車により通勤しており、通勤時間は15分程度であった(人証<省略>、原告本人)。
(カ) Cの次長への昇格
Cの次長昇格は、真面目な勤務態度を評価したことのほか、Cのモチベーションを上げるとともに、部下に指図できないようであるCが、部下に仕事を回しやすくするよう指揮権を強化することなどを目的としてされたものであり、次長職は新設されたポストで前任者はいなかった(証拠・人証<省略>)。また、昇格前後を通じて、業務内容や業務量はほぼ同じであった(人証<省略>)。
ウ Cの様子
(ア) 会社
Cは、非常に真面目で丁寧な仕事ぶりであった(証拠・人証<省略>)。会社内での人間関係のトラブルも特にはなかった(人証<省略>)。
Dは、Cが子の進学のことで悩んでいる話を聞いたことや、仕事中に原告から子のことで電話がありCが帰宅したことがあったが、そのほかには、自殺の直前を含めて、Cが精神的に追い詰められている様子などに特に気が付くことはなかった(証人D)。
Eは、平成22年7月頃のCについて、税務調査のために残業が続いていて疲れた様子が顕著であり、自殺するのではないかということが頭をよぎるほどであった(証人E、証拠<省略>)。それ以前については、時々疲れる様子を見かけることはあったが、上記のような深刻な様子を感じることはなかった(証人E)。
(イ) 家庭(原告本人、証拠<省略>)
Cは、平成21年6月に次長に昇格後、原告に対して、仕事を休めなくなった、何時に帰ることができるか分からない、子どものことを頼むなどと不満等を言うことが多くなった。
原告は、平成21年秋以降、Cが眠れない様子であることに気が付いた。Cは、市販の睡眠導入剤を服用しており、平成22年1月頃、原告もその空き箱を見つけて服用していることを知った。
同月頃には、Cは仕事がたまる一方であるなどと言うようになり、また、徐々に独り言が増え始めていた。
原告は、同年5月頃、Cに病院に行くことを勧めたものの、Cはこれを拒否した。
同年6月頃には、Cの独り言などがかなり強くなってきたため、原告は、Cの様子を見るために休職した。
(ウ) Cの手帳の記載(証拠<省略>)
Cの平成19年以降の手帳には、退職の希望や自殺願望を示す記載や、自己の能力や仕事に対する否定的な記載が散見される。
(2) 本件自殺の業務起因性について
ア 本件精神障害発病の業務起因性について
(ア) 本件精神障害発病について
地方労災医員協議会精神障害等専門部会による「Cの精神障害に係る業務起因性の医学的見解」(証拠<省略>)によれば、Cの精神障害について、次長昇進(平成21年6月)以降のCの家庭及び職場での状況の推移等を踏まえ、Cは、「F32.1 中等症うつ病エピソード」を発病しており、発病時期は平成22年1月頃と考えられると判断している。
また、F医師作成の「C事案に対する医学的意見書」(証拠<省略>)によれば、上記専門部会による意見書で指摘されるCの状況等のほか、平成12年以降のCの手帳の希死念慮や自信喪失を示す記載を詳細に認定した上で、Cは「F32.1 中等症うつ病エピソード」を発病しており、その発病時期が平成22年1月頃という判断は妥当であり、臨床的には、平成22年1月に突然発症したというよりは、徐々に形成されていったものと思量するとの意見が示されている。
以上の各医学的意見に加え、本訴訟において、これらに反する医学的見解は示されていないことからすれば、本件自殺の業務起因性を判断する上では、Cが平成22年1月頃にICD-10のF3に分類される精神障害である中等症うつ病エピソードを発病したとの判断を前提とすべきである。
(イ) 業務による心理的負荷について
発病(平成22年1月)前6か月間のCの時間外労働時間数は、前記認定事実(1)ア(エ)のとおり、毎月約97時間から139時間であり、直前3か月については、約107時間から139時間であるから、認定基準別表1の「1か月に80時間以上の時間外労働を行った」という具体的出来事に当たり、この心理的負荷の強度を「強」と判断する具体例として挙げられている「発病直前の連続した3か月間に、1月当たりおおむね100時間以上の時間外労働を行」ったに該当する。
労働密度に関しても、前記認定事実(1)イのとおり、Cはa本部において、Dに次ぐ地位の管理職として、経理、総務、人事の全般的な業務を担当していたということができる。また、Cが会社には居るものの仕事をしていない時間が相当程度あった、あるいは、Cの業務遂行が非効率で遅かったなどといった事情は全くうかがわれない上、業務がないのであれば残業しないよう会社側から指導していたということも見受けられず、むしろ、Cの仕事ぶりは非常に真面目で丁寧であり、次長職を新設して昇格させるほどの評価を受けていた。さらには、前記認定事実(1)イ(カ)のCの次長昇格の経緯からすれば、Cが仕事を部下に回すことができず自ら抱えていたような状況もうかがわれる。以上を考慮すると、上記時間外労働時間数に見合う程度の業務内容、業務量があったことが推認でき、認定基準別表1の心理的負荷の強度を「強」と判断する具体例である「その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった」にも該当するといえる。
この点、被告は、心理的負荷の要因として次長への昇格という出来事を捉え、その前後で業務量や責任等は変わっておらず、残業を要するほどの業務量ではなかった旨主張する。しかしながら、前記のとおりCは次長に昇格する前の平成21年4月及び5月にも月約127時間及び103時間の時間外労働をしていたことが認められ、昇格の前後を通じて恒常的に長時間の時間外労働をしていたといえるから、昇格前後を通じ業務量等の変化がなかったことをもって残業するほどの業務量ではなかったとはいえない。
したがって、Cの発病前の時間外労働については、平均的な心理的負荷の強度は「Ⅱ」であるが、上記のとおりCは月に約100時間以上の時間外労働を恒常的に行っていたといえ、その長時間労働に見合う業務内容であったこと等に照らすと、心理的負荷の総合評価は「強」であるといえる。
(ウ) 業務以外の要因について
Dは、Cが子の進学について悩んでいたことや、子が原告に暴力を振るったとのことで職場に電話がありCが帰宅したことがあった旨供述している。しかしながら、後者については、原告やその家族が暴力等の事実を否定している(証拠<省略>)上、上記供述は、電話のあった際に家庭で何らかのトラブルがあったことをうかがわせるものの、実際に暴力等があったことを認めるに足りる具体性はない。Cの子が家庭内で暴れることがあったなどとするF医師の考察(証拠<省略>)には前提に誤りがある。仮に、子の進学や親子の不和があったとしても、その心理的負荷の強度は、認定基準別表2に照らすといずれも「Ⅰ」であり、総合評価を「中」又は「強」とすべき事情も見当たらないから、いずれも心理的負荷の総合評価は「弱」であり、発病の要因となるものとはいえない。
(エ) Cの脆弱性
被告は、Cがメランコリー親和型の特徴を有していることや手帳に自殺願望を示す記載がされていることなどを基に、本件精神障害の発病が個体側要因である脆弱性によるものであると主張する。
この点、地方労災医員協議会(証拠<省略>)は、Cの性格傾向として、真面目で一人で悩む、断れない性格、仕事一筋などの家庭や職場といった周囲の評価を指摘している。また、F医師(証拠<省略>)は、日常生活で他人に気付かれない様子であるが、内面では、自信喪失、抑鬱感、希死念慮が存在しており、退避的な思考を有する傾向があり、Cの個体要因の脆弱性が大きかったことが推測できるとの考察をしている。
しかしながら、F医師の上記考察は、業務上の心理的負荷の総合評価が「弱」であることを前提とするものであり、既に認定したように業務による心理的負荷が「強」であるとして、なお個体側の要因であるCの脆弱性が発病の有力な原因となったと認められるか否かという観点から十分な検討がされたものであるとはいい難い。したがって、個体要因であるCの脆弱性が本件精神障害発病の原因となったと判断するに足りる的確な医学的根拠は示されていないというべきであり、個体側の要因により本件精神障害が発病したとは認められない。
(オ) 以上によれば、Cの本件精神障害の発病は、恒常的な長時間労働によるものといえ、業務起因性が認められる。
イ 本件精神障害発病後の自殺の業務起因性について
前記認定事実(1)ウのとおり、Cは、平成22年1月以降徐々に独り言が増えていたが、同年6月頃には独り言が強くなり原告が休職するほどの状態であり、同年7月頃には、職場の者もCの精神的な変調に気が付くほどとなっており、本件精神障害が悪化して本件自殺に至ったものということができる。
そして、前記認定事実(1)ア(エ)のとおり、平成22年1月以降のCの時間外労働時間数は、月約115時間から184時間であり、この最も長時間の時間外労働は自殺前1か月の平成22年7月のものである上、同月13日からは20日間の連続出勤もしている。また、毎年4月から6月は決算報告のため忙しい時期であった上、同年7月は税務調査の準備という業務があり、前回の調査と比較して厳しい内容であったことからすると、労働時間に見合うだけの業務量が存在していたことが推認でき、特に、7月の業務は例年に比べて多忙であったということができる。
これに加え、本件精神障害発病後にこれを増悪させるような業務外の要因等は認められないことを考慮すると、本件精神障害が上記のような業務により悪化し自殺に至ったということができ、本件自殺について業務起因性を否定すべき特段の事情はない。
ウ 以上によれば、Cは業務により本件精神障害を発病したことにより、正常な認識、行動選択能力が著しく阻害され、あるいは、自殺行為を思いとどまる精神的抑制力が著しく阻害されている状態で自殺したものと推定できる。
3 したがって、Cの自殺について業務起因性を認めることができるから、これを業務起因性がないものと認定してされた本件処分は違法である。
よって、本件請求には理由があるからこれを認容することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 棚橋哲夫 裁判官 太田多恵 裁判官 古屋勇児)
(別紙1)
当事者目録
原告 X
同訴訟代理人弁護士 沼田敏明
同 虻川高範
同 三浦広久
被告 国
同代表者法務大臣 A
処分行政庁 秋田労働基準監督署長
被告指定代理人 Bほか11名