秋田地方裁判所 平成4年(ワ)398号 判決 1995年9月22日
原告
甲野一郎
右甲野一郎法定代理人親権者父兼原告
甲野義美
右甲野一郎法定代理人親権者母兼原告
甲野郡子
右三名訴訟代理人弁護士
金野和子
被告
天王町
右代表者町長
櫻庭敏朗
右訴訟代理人弁護士
加藤堯
被告
乙野二郎
右乙野二郎法定代理人親権者父兼被告
乙野三郎
右乙野二郎法定代理人親権者母兼被告
乙野テツ子
被告
丙野三郎
右丙野三郎法定代理人親権者母兼被告
丙野カヂ子
被告
丁野四郎
右丁野四郎法定代理人親権者父兼被告
丁野健悦
右丁野四郎法定代理人親権者母兼被告
丁野テツ子
右八名訴訟代理人弁護士
木元愼一
主文
一 被告乙野二郎、被告丙野三郎及び被告丁野四郎は、各自原告甲野一郎に対し金二〇〇万円及びこれに対する平成四年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員、原告甲野郡子に対し金五〇万円及びこれに対する同日から支払済みまで同割合による金員並びに原告甲野義美に対し金一三三万八四四〇円及び内金八三万八四四〇円に対する同日から支払済みまで同割合による金員をそれぞれ支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分し、その四を原告らの負担とし、その余は被告乙野二郎、被告丙野三郎及び被告丁野四郎の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 原告らの請求
被告らは各自、原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)に対し、金一〇〇〇万円及びこれにつき被告天王町は平成四年一一月一九日から、その余の被告ら(以下天王町以外の被告を「被告乙野ら八名」という。)は同月二一日から各支払済みまで年五分の割合による金員、原告甲野義美(以下「原告義美」という。)に対し、金八六五万七四四〇円及び内金六六五万七四四〇円につき被告天王町は平成四年一一月一九日から、被告乙野ら八名は同月二一日から各支払済みまで年五分の割合による金員、原告甲野郡子(以下、「原告郡子」という。)に対し、金三〇〇万円及びこれにつき被告天王町は平成四年一一月一九日から、被告乙野ら八名は同月二一日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
第二 事案の概要
一 本件は原告一郎が天王町立天王中学校二年に在学していた平成三年一月に、休憩時間中の校内トイレで同校三年生であった被告乙野二郎、同丙野三郎及び同丁野四郎(以下「被告二郎ら三名」という。)から殴られたり、膝蹴りされたりする暴行(以下「本件暴行」という。)を受け、その精神的影響から、心因反応(退行状態)を発症し、治療のため入退院を繰り返さざるを得ない健康状態になったとして、原告一郎及びその両親(原告ら)が、被告天王町に対し、国家賠償法一条一項の過失による損害賠償を、被告二郎ら三名及びその親権者ら(以下「被告親権者ら」という。)に対して、不法行為責任(民法七〇九条)に基づく損害賠償をそれぞれ求めた事案である。
これに対して、被告天王町は、天王中学校の教職員(以下「天王中側」という。)には、本件暴行発生についての予見可能性がないなど過失はなかったと主張し、被告親権者らは、親権者としての注意義務違反、教育義務違反の過失はなかったと主張し、また、いずれの被告も、本件暴行と原告一郎の心因反応ないし北海道転居後の原告一郎の症状との間には相当因果関係がないと主張した。
二 本件における主な争点
本件における主な争点は、①被告天王町の責任の有無、②被告親権者らの責任の有無、③本件暴行と原告一郎の心因反応の発症ないし北海道転居後の原告一郎の症状との間の相当因果関係の有無、④損害額である。
三 原告らの主張
1 本件暴行の経過
平成二年末、原告一郎は、天王中学校二年に在学していたが、同校の三年生であった被告二郎ら三名から変形学生服を買えと押し付けられた。
原告一郎は、お年玉で変形学生服の代金を支払う予定でいたが、その金を保管している母原告郡子に言えず、代金を支払うことができなかった。そのため、原告一郎は、冬休みが終わって通学し始めた平成三年一月一八日、三年生に囲まれ、右代金を支払うように脅されて、学校へ行くのが怖くなり、同月二一日から二三日まで欠席した。原告一郎は、同月二四日、親から右代金をもらって登校したが、教師が預かると言うので渡し、右代金を支払えず、同月二五日、学校で再び三年生に取り囲まれ、教師に保護された。
原告一郎は、同月二六日午前九時四五分頃、同校の一時間目が終わった休憩時間に同校内の体育館入口の一階トイレに入ったところ、被告二郎ら三名がいた。被告二郎ら三名は、右トイレ内において、原告一郎に対し、最初に、被告乙野二郎が原告一郎の襟をつかみ、「ちくったべ」と言いながら顔を殴り、被告二郎ら三名が逃げようとする原告一郎の胸倉をつかんで首を絞め、更にこもごも膝蹴りをしたり顔や身体を殴りつける暴行を加えた。このため、原告一郎は、トイレ内の壁に頭を打ち、その場に転倒したまま一時気を失った。
しばらくして気が付いた原告一郎は、ふらつきながら教室に戻るため二階への階段を上がって行ったところ、二時間目の音楽の時間に原告一郎がいないため探しに来た舛屋教諭に「殴られたべ」と声を掛けられたとたん、再びその場に卒倒してしまった。
原告一郎は、そのまま保健室で一時間位寝かされ、その後学校から天王町藤原記念病院に運ばれ三日間入院した。
2 原告一郎の心因反応の発症、治療等経緯
原告一郎は、平成三年一月二七日、今、食事したことを忘れるという記銘力の異常が現れ、同月二八日箸をぽろっと落とし、言葉が幼児口調になり、夜中に幼児のように泣き出す等の異常が出て、同月二九日には自分の力では歩けない状態となったため、同月三〇日、秋田大学医学部附属病院心療センター(以下「心療センター」という。)の診察を受けた。同センターでは、病名心因反応、主病態は退行状態で、顕著な幼児化、記銘力及び記憶力の低下、意識野の狭隘化、意気力の減退、社交性の低下等がみられると診断され、週一回の割合で同年三月一三日まで通院治療を受けた。
原告らは、同年四月に北海道に転居し、原告一郎は函館市立病院精神神経科、医療法人同仁会佐々木病院等で治療を受けてきたが、記憶が戻るにつれ、かえって本件暴行を受けたときの恐怖がよみがえり、言語障害が起きたり、幼児化の退行現象が出て、入退院を繰り返し、その病状は一進一退の状況にある。転校した七飯町立大中山中学校では、中学卒業の資格だけは得られたが、今後は、両親の付添いの下に生活しながら少しずつ社会に慣れさせ、通院治療を続けていく必要があり、病状は予断を許さない状態にある。
原告一郎は、現在治療を受けている佐々木病院の担当医師から、原告一郎が二〇歳くらいになると小学校五、六年生くらいまでなら回復すると診断されている。
3 被告天王町の責任(争点①)
(一) 被告天王町は、天王町立天王中学校の学校設置者であり、被告天王町の公務員である同校の校長以下教師らは、生徒を指導監督すべき義務及び学校内における生徒の安全に配慮すべき義務がある。
(二) 本件暴行は、原告一郎が、一時間目と二時間目の間の休憩時間中、体育館から教室へ移動する途中で体育館入口のトイレに入ったところで発生したものであるから、教育活動に密接不可分な範囲内での事件である。
(三) 天王中側は、本件暴行を予見していた。
天王中側は、平成三年一月一八日頃、原告一郎が三年生に囲まれ、変形学生服の代金を請求され脅かされたことを知り、同月二四日、原告らに対し、右代金は支払わずに変形学生服を返すように指導した。また、天王中側は、変形学生服を原告一郎に渡した甲山五郎を指導した翌日の同月二五日に再び原告一郎が三年生数人に囲まれたことも知っていた。
これらのことからすれば、三年生グループによる原告一郎に対する意趣返しが行われる危険性が確実に発生し、天王中側は本件暴行の発生を予見できたはずであり、その対策として、原告一郎を休ませて危険の発生を避けるとか、担任だけでなく教科担当教師にも授業の前後の保護を徹底させる等して、学校内における保護を徹底した上で意趣返しをしかねない三年生グループを十分に調査・指導をする必要があった。
しかるに、天王中側は、右報復いじめの発生を軽視し、右報復防止の保護監督義務を果たさず、本件暴行を発生させたのであるから、天王中側には本件暴行を発生させたことにつき過失があり、被告天王町は、本件暴行から生じた損害について、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償責任を負う。
4 被告二郎ら三名の責任
被告二郎ら三名は、共謀し、計画的に原告一郎に本件暴行を加え、心因反応を起こさせたのであるから、不法行為に基づく損害賠償責任を負う。
5 被告親権者らの責任(争点②)
被告乙野三郎及び同乙野テツ子は同乙野二郎の、同丙野カヂ子は同丙野三郎の、同丁野健悦及び同丁野テツ子は同丁野四郎のそれぞれ親権者である。
被告丙野カヂ子は、本件暴行前に、教師らの家庭訪問を受け、変形学生服の売買を止めるように指導を受けたのであるから、直ちに子から事情を聞き、子に対する指導を徹底し、また、他の被告親権者らにも連絡して、本件暴行を未然に防止すべき義務があったのに、漫然と放置した。
仮に、被告親権者らが、変形学生服の売買等具体的事実を知らなかったとしても、被告親権者らは、それぞれ自らの子の生活関係全般にわたって監護教育し、少なくとも自らの子が他人の身体に危害を加える等の行為を行わないように日頃から教育すべき義務を負うものであって、少し気を付ければ子の生活の乱れを知り、未然に回避の方法を取り得たにもかかわらず、学校での生活について注意を払わず、漫然と何らの対応をすることなく放置し、本件暴行を発生させたのであるから、親権者としての注意義務違反があり、不法行為に基づく損害賠償責任を負う。
6 本件暴行と原告一郎の心因反応の発症との間の相当因果関係(争点③)
原告一郎は、平成三年一月一八日、三年生に囲まれ、代金を支払うように脅されて以来、学校で三年生から相当ないじめにあうかもしれないという不安と恐怖に対する異常な日々が重なり、本件暴行は単なる一過性でない不安、恐怖の毎日の防衛本能の蓄積のなかで発生したという絶望的なものであった。
このような経過で、原告一郎は本件暴行に対し、異常な防衛本能が働き、心因反応が生じたと認められる。したがって、本件暴行と心因反応の発症との間には相当因果関係がある。
7 本件暴行と北海道転居後の原告一郎の症状との間の相当因果関係(争点③)
原告一郎の症状は、記憶が戻るにつれ、本件暴行を受けたときの恐怖がよみがえり、再び言語障害が起きたり、幼児化の退行状態が発症するなど一進一退を続けるというものであり、北海道転居後の受診機関も、原告一郎の病名を心因反応と診断している。したがって、本件暴行と北海道転居後の原告一郎の症状との間にも相当因果関係が認められる。
8 原告らの損害(争点④)
(一) 原告一郎の損害
原告一郎は、本件暴行により心因反応を起こし、中学校も満足に通学できず、高校へも進学できなかった。現在、父の仕事の手伝いをして社会復帰を試みているが、自ら独立して生計を立てていく可能性は少なく、父母等の介添えが一生必要な状態になっている。
原告一郎が、本件暴行により受けた右の肉体的・精神的損害をあえて計算すると、慰謝料として一〇〇〇万円が相当である。
(二) 原告義美の損害
原告義美は、原告一郎の治療関係の費用として一六五万七四四〇円(医療費三三万八四四〇円、交通費一六万四〇〇〇円、付添費一一五万五〇〇〇円)を支出した。
原告義美は、原告一郎の通院の付添いが原告郡子だけでは不可能なため、仕事を休んで通院の付添いをし、更に今後も原告一郎を手元において監護しなければならなくなった。これらの事情による慰謝料は五〇〇万円が相当である。
また、本件訴訟進行についての弁護士費用は二〇〇万円が相当である。
以上の原告義美の損害合計は、八六五万七四四〇円である。
(三) 原告郡子の損害
原告郡子は、原告一郎が本件暴行により心因反応を起こしたことにより、原告一郎を日常的に監護することが必要になった。このことによる慰謝料は三〇〇万円が相当である。
四 被告天王町の主張
1 天王中側には、保護監督義務違反、安全配慮義務違反はない(争点①)。
(一) 学校教師等の生徒に対する安全義務は、親権者等の法定監護義務者に代わって生徒を監督すべき義務(代理監督者の義務)であり、その義務の範囲は、学校の教育活動及びそれと密接不可分の関係に限られる。
本件暴行は、学校の校舎内で起きたものではあるが、休憩時間に発生した生徒による暴行行為であるので、教育活動やこれと密接不可分の関係から生じたものとはいえず、天王中側は、法律上既に責任能力が認められる年齢に達している中学三年生による休憩時間中の暴行行為についてまで、監督義務を負うものではない。
(二) 本件暴行発生の予見不可能性
(1) 原告一郎が、被告二郎ら三名から継続的ないじめにあっていたことはない。
(2) 天王中側は、原告一郎が変形学生服の代金を三年生から請求されているのを把握し、原告らに変形学生服の返還を指導し、返還に伴う紛争予防のため、変形学生服を原告一郎に渡した甲山五郎と、変形学生服の持ち主であった被告丙野三郎を指導しているが、原告一郎は、変形学生服の購入の経緯に関し真実を述べておらず、特定の上級生からいじめられているとも訴えていなかった。
天王中側は、一般的に変形学生服に絡んで生徒間でいざこざがあるかもしれない程度の予測や、教師が変形学生服の授受を知ったことでいわゆるチクリとなってそれに関してのトラブルの予測は可能であったとしても、原告一郎と被告二郎ら三名を結び付けること、更には本件暴行の発生を予見するのは不可能であった。
(三) 天王中側としては、無関係な生徒の人権問題もあり、あらゆる生徒を被疑者扱いすることはできず、生徒である原告一郎に欠席を勧める状況にも至っていなかった。また、授業時間以外に原告一郎の側に常に教師が付き添うこと、休憩時間や放課後において、常時誰か不特定多数の者の行為から、原告一郎の身辺保護を保持することは、事実上、不可能であって、本件暴行の事前防止対策にも限界があり、これを予知し回避することは極めて困難である。したがって、本件暴行を予知し、防止対策が取れなかったからといって、天王中側に安全配慮義務違反があったとはいえない。
2 本件暴行と原告一郎の心因反応の発症との間の相当因果関係(争点③)
(一) 原告一郎は、小学校低学年当時から、情緒が不安定な病状があって、大学病院の眼科や心療センター等で継続的に治療を受けているが、完全に治癒状態には至ってはいなかった。その原因となるものは必ずしも明白ではなく、原告一郎の資質や家庭環境、養育環境等が影響しているものと認められる。
原告一郎の心因反応も、従前の症状の延長として発症したものであり、別個のものではない。
(二) 本件暴行は、それほど強力な暴行ではない。原告一郎は、教師の配慮から藤原記念病院に三日間入院したが、経過良好で退院している。
原告らは平成三年二月一九日に警察に被害届を提出したが、その際、原告一郎は事情聴取を受け、その事情聴取により精神的に傷つけられ、これが同人の症状に大きく影響を与えている。
原告一郎の症状は、いろいろな刺激で多種多様に反応することは明らかであり、必ずしも本件暴行から生じているとは断定できない。
3 本件暴行と北海道転居後の原告一郎の症状との間の相当因果関係(争点③)
原告一郎は、本件暴行後、退行状態となったが、北海道に転居する時点までには、相当改善し、平成三年四月から転校した中学校においては、他の生徒と変わらぬくらい元気を回復し、四月二二日、二三日の東北方面の修学旅行に参加し、五月二五日の全校マラソン大会にも参加し、七月一七日に函館市立病院に入院するまで通常の学校生活をしていた。
また、原告一郎は、同年六月二四日、札幌医科大学付属病院で診断治療を受けた際、視力障害を訴えたが、この症状は、原告一郎の子供の頃からの症状と同一であり、発症の原因を本件暴行に結び付けることはできない。同年七月一日、原告一郎を診察した函館市立病院の担当医師は、同人の視力障害の訴えにつき、作為的と判断している。
原告一郎は、七月五日夕方、友人の自転車に相乗り中、車と接触する事故を起こし、同月一七日に入院し、それ以降入退院が多くなったが、右交通事故が大きく影響したものである。
要するに、原告一郎の幼児期からの諸症状は、多様な環境変化に敏感に反応し、その時その時の環境変化に対応し切れなくなったときに自己防衛的に発生していることが窺われる。
右事情からして、仮に、本件暴行と原告一郎の心因反応の発症との間に因果関係が認められるとしても、本件暴行の影響は軽微であり、本件暴行と原告一郎の北海道転居後の症状との間には相当因果関係は認められない。
五 被告乙野ら八名の主張
1 被告二郎ら三名が、本件暴行前に、原告一郎を日常的にいじめていたという事実はない。
2 暴行の態様
被告二郎ら三名は、平成三年一月二六日、たまたま一階トイレで原告一郎に会ったことから、同人に対し変形学生服の売買について教師に告げ口をしたことを問い詰めようとしたが、素直に答えなかったため、暴行を加えた。本件暴行は、計画的なものではなかった。
暴行の態様は、被告乙野二郎が平手で原告一郎の顔面を一回殴り、被告丙野三郎が原告一郎の腹部を一、二回蹴り、被告丁野四郎が原告一郎の胸倉をつかんで手拳で同人の顔面を二、三回殴ったというものであったが、原告一郎は、トイレ内で立ったままの姿勢でおり、倒れたり、壁に頭を打ったりはしていない。
原告一郎は、中学二年生としては大柄な体格(身長一七〇センチメートル)であり、被告二郎ら三名が加えた暴行はそれほど強度なものではない。
3 被告親権者らの責任(争点②)
被告親権者らは、いずれも日頃から悪いことはしてはならないと自らの子を指導監督し、義務を果してきている。
被告親権者らは、いずれも、本件暴行前に天王中側から指導を受けたことはなく、変形学生服売買に関しての自らの子と原告一郎との関係についての情報を取得しておらず、また、本件暴行は偶発的なものであるから、本件暴行発生の予見可能性はなかった。
したがって、被告親権者らは、本件暴行の発生について過失はない。
4 本件暴行と原告一郎の心因反応との間の相当因果関係(争点③)
被告天王町の主張2、3と同じ。
第三 当裁判所の判断
一 本件暴行発生の経緯
証拠(甲一、一一、乙一の二、一〇、証人奥山啓悦、原告郡子本人、被告丙野三郎本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(一) 原告一郎は、平成二年末、天王中学校二年に在学していたが、同校の三年生であった甲山五郎や女友達を介して、被告丙野三郎の変形学生服を買い受け、代金(三〇〇〇円ないしは四〇〇〇円)は年明けに支払うことになった。被告二郎ら三名は、変形学生服の代金を三人で分けることにしていた。なお、変形学生服の売買までは、原告一郎と被告二郎ら三名とは、個人的には特に付き合いはなかった。
原告一郎は母原告郡子に変形学生服を買い受けたことを話せず、代金にあてる金も持っていなかったことから、代金を支払うことができずにいた。
(二) 平成三年一月一八日(金)
二年部主任の舛屋教諭は、原告一郎が三年生に囲まれ話しかけられているところを目撃し、原告一郎に事情を聞いたところ、同人は、被告丙野三郎の変形学生服を甲山五郎から渡されて買い、その代金を支払うように三年生から請求されている旨打ち明けた。
舛屋教諭は、原告一郎が変形学生服の代金を請求されている件について、二年生担当の教師らで協議し、以後、休み時間と放課後の校内巡視体制を厳しくした。
(三) 同月二一日(月)から同月二三日(水)
原告一郎は、同月二一日、頭痛を訴えて藤原記念病院を受診し、同日から二三日まで風邪を理由に、学校を欠席した。同病院では、急性気管支炎の病名で、治療を受けた。
舛屋教諭は同月二二日、原告郡子に電話連絡をし、変形学生服の売買の件を伝えた。
原告郡子は、同月二三日、原告一郎から、変形学生服の売買と代金を払えずにいた事情を聞き、舛屋教諭に電話で、変形学生服を買ったのは事実であり、その代金として四〇〇〇円を持たせて明日登校させるので、代金を渡すのを見届けて欲しいと連絡したが、舛屋教師は、そのようなことはできないと応対した。
舛屋教諭は、三年部主任の夏井教諭に事情を説明し、生徒指導上の配慮を依頼した。
(四) 同月二四日(木)
舛屋教諭は、代金の受渡しの立会いはできないと考え、登校した原告一郎から四〇〇〇円を預かり、同人に対し、教室から一歩も出ないこと、三年生から代金を要求された時は、舛屋に見つかって取られたと言うように指導した。
夏井教諭は、朝の三学年打合せで、舛屋教諭からの依頼を伝え、三学年においても校内巡視活動を強化することを確認した。
舛屋教諭は、放課後、原告一郎を自宅に送り、その際、原告郡子に対し、学校としては学校での金品の売り買いの立会いはできないので、変形学生服は相手に返し、代金も支払わないのがよいのではないか、変形学生服を捜しても見つからない時は双方の親同士で解決してはどうかと指導した。これに対し、原告一郎の兄は、代金を支払わないと原告一郎がいじめられると言ったが、原告郡子は、舛屋教諭の説得で、その指導に従うことにした。
帰校した舛屋教諭は、実際に変形学生服を手渡した甲山五郎から事情を聞いてもらうよう三年部担当教師に依頼し、夏井教諭および井川教諭が、甲山五郎宅を家庭訪問し事情を聞いたが、甲山五郎は原告一郎を知らない、変形学生服は背の小さい生徒に売り、代金は受領済であると答えた。
(五) 同月二五日(金)
舛屋教諭は、夏井教諭および井川教諭から、甲山五郎への家庭訪問の報告を受けた。舛屋教諭は、原告一郎が変形学生服を直接渡したのは甲山五郎であるがその服は被告丙野三郎の物であると言っていたのを思い出し、変形学生服を被告丙野三郎に返すよう指導することにした。
舛屋教諭は、昼休みの巡回中、三年生男子数人が原告一郎に寄ってきたのを目撃し、原告一郎を職員室に保護し、二年副主任の藤盛教諭が、原告一郎に対し、一階トイレに入らないように指導した。一階トイレは、体育館につながる通路にあり、生徒の往来も多く、以前同トイレで喫煙事件などが起きたことがあった。
放課後、原告一郎の担任金教諭が原告一郎を家まで送り、家族と対応を協議した。
(六) 同月二六日(土)
原告一郎が、一時間目の体育の授業を終え教室へ帰る途中、友人と前記一階トイレに寄ったところ、被告二郎ら三名が入ってきて、原告一郎以外の生徒を追い出し、原告一郎に本件暴行を加えた。
原告一郎が被告二郎ら三名から受けた本件暴行の態様は、少なくとも、被告乙野二郎から平手で顔面を一回殴られ、被告丙野三郎から腹部を一回蹴られ、被告丁野四郎から胸倉をつかまれ手拳で顔面を二、三回殴られ、壁に頭部を打ったという程度のものであった。
(丙野三郎は、原告一郎は壁に頭をぶつけたりはしていない旨供述するが、原告一郎が本件暴行後受診した藤原記念病院で頭頂部痛を訴えていること、意識障害の発症する前、原告一郎が一貫して、壁に頭を打ったと供述していたこと(甲二、一一、乙一〇)に照らし、被告丙野三郎の右供述は採用することができない。なお、原告らは、本件暴行により原告一郎は卒倒して一時気を失った旨の主張をするが、それを認めるに足りる証拠はない。)。
二 被告二郎ら三名の責任
被告二郎ら三名は、本件暴行を原告一郎に加えたが、当時、いずれも中学三年生で、それぞれの年齢は、被告乙野二郎は一五歳九か月(甲一四)、被告丙野三郎は一五歳一〇か月(甲一五)、被告丁野四郎は一五歳五か月(甲一六)であり、事の是非善悪を識別できる能力は備えていたと認められる。
被告二郎ら三名が、共同して原告一郎に本件暴行を加えた行為は、共同不法行為(民法七一九条一項)に該当するので、被告二郎ら三名は、本件暴行から生じた損害について、連帯して賠償する義務がある(不真正連帯債務)。
三 被告天王町の責任(争点①)
1 公立学校の教職員には、学校における教育活動及びこれと密接に関連する生活活動において、生徒を保護監督すべき義務(安全保持義務)があり、教職員がこの保護監督義務を怠り、生徒に損害を発生させた場合には、当該公立学校設置者は、国家賠償法一条一項に基づき、その損害を賠償すべき責任がある。
教職員の保護監督義務の一内容として、本件のような生徒間の暴行の発生を防止すべき義務も当然に含まれるが、休憩時間中のトイレ内での暴行というように、教師の直接的な指導監督下にない時間、場所で発生する生徒間の暴行事件については、当該具体的な状況下で予見することが可能な範囲内で、暴行発生の危険性及び切迫性を判断し、その程度に応じた指導、保護的措置を講じれば足りるものと解するのが相当である。
なお、被告天王町は、本件暴行は休憩時間中に発生したものであるから、教育活動やこれと密接不可分の関係から生じたものとはいえず、天王中側は監督義務を負うものではない旨主張するが、授業時間、休憩時間等学校内における時間割りは当該学校の教育的判断から決められ、生徒はそれに従って学校施設内で生活活動を行っているのであるから、教育活動やこれと密接不可分の関係から生じたものではないと解するのは相当ではない。むしろ、本件暴行が休憩時間中に発生したという点は、本件暴行の発生の予見可能性の有無の一事情として、考慮すべきものというべきである。
2 一で認定した事実によれば、天王中側は、原告一郎が三年生から変形学生服を買ったがその代金を支払っていないこと、三年生男子数人が原告一郎を取り囲むようにして右代金の支払を請求していたこと、二年部主任の教師が原告一郎に代金を支払わないように指導したこと、その指導後、再度三年生男子数人が原告一郎を取り囲む状況があったことなどの事実を把握していたことが認められ、右からすれば、天王中側は、三年生男子数人のグループが、原告一郎が変形学生服の売買の件を教師らに話したことを告げ口と評価し、少なくとも何らかの意趣返しを行うかもしれないとの程度の予測はできる状況にあり、実際にも、舛屋教諭ら二年担当の教師らは、原告一郎を三年生から保護したり、一階トイレに入るなと指導するなどの措置をとり、右の意趣返しが行われるおそれがあることを認識していたと認められる。
しかしながら、天王中学校では、平成元年ころ、上級生が下級生を暴行した事件が発生して以来本件暴行まで、暴行事件は発生していなかったこと、天王中側に関係者として名前が判明していた被告丙野三郎は、服装、授業態度等で注意を受ける生徒ではあったが、具体的な問題行動が指摘される生徒ではなかったこと(以上証人奥山啓悦)、甲山五郎から原告一郎との関係を否定されていたこと、原告一郎から教師らに対し、被告二郎ら三名から暴行を受けるおそれがあるとの訴えは特になかったこと(弁論の全趣旨)などからすれば、三年生男子数人のグループが原告一郎に対し、集団で暴行を加える危険性及び切迫性が高かったとはいえない状況でもあり、天王中側において、被告二郎ら三名が原告一郎に暴行を加えるおそれがあると予見し得る状況にはなかったと認められる。
3 右認定した状況下での天王中側の講じた措置をみてみると、一で認定したように、天王中側は、原告一郎の変形学生服売買に関し、原告らに対し、変形学生服を相手に返すように指導し、変形学生服の売買の問題の解決を図ろうとし、下校時には原告一郎に教師が同行して、家庭訪問し、原告らに対する指導、連絡を密にし、学生服を渡した甲山五郎に対して家庭訪問して事情聴取し、変形学生服の売買に関係していると思われる三年生のグループと原告一郎との接触を避けるため、校内巡視を二年、三年生担当教師らが協力して強化したことなどの対応策を講じたことが認められ(なお、被告天王町は、本件暴行前に被告丙野三郎の家庭を訪問し指導した旨主張するが、それを認めるに足りる証拠はない。)、右状況下では、天王中側が、原告一郎の安全保護のために必要な措置を講じていたと評価することができる。
原告らは、原告一郎に学校を休ませ、意趣返しをしかねない三年生のグループを十分に調査・指導すべきであった旨主張する。確かに、天王中側の講じた措置を事後的に評価すると、被告丙野三郎からの事情聴取を実施していれば、原告一郎と被告二郎ら三名との関係もある程度把握できた可能性があり、その結果として被告二郎ら三名に対する有効な指導が採り得た可能性もあったこと(もっとも、被告丙野三郎から事情聴取しても、変形学生服の売買に対する関与を否定された可能性もある。)、休憩時間中に一階トイレを重点的箇所として、校内巡視を強化すれば本件暴行の発生を防げた可能性もあったこと、三年部担当の教師らが、三年生全体に対し、変形学生服の売買に関して具体的な指導をしていれば、三年生グループに意趣返しを断念させる契機を与えることができた可能性もあったこと、原告一郎に学校を休ませていれば、本件暴行を受けることがなかったことなどに照らすと、他にも採るべき措置があったと一応、指摘することは可能である。しかしながら、生徒一人一人の人格と自主性を尊重し、他の生徒との集団生活の中で、生徒の健全育成を図る中学校において、三年生グループによる原告一郎に対する暴行が行われることを前提として、犯人の割り出しのような積極的な調査を行うことは必ずしも適当ではなく、三年生グループ個々人の特定ができなかったことはやむを得ない面があり、また、変形学生服の売買自体は重大な非行というわけでなく、かつ、暴行の危険性が切迫していたとは認められない当時の状況からすれば、三年生全体に対する変形学生服の売買に関する具体的な指導を行わず、原告一郎に学校を休ませる措置を講じなかったことも不当とはいえず、結果として本件暴行の発生を防げなかったとしても、先に認定した措置を講じている天王中側には保護監督義務(安全保持義務)違反があったとまでは認められない。
4 天王中側には、被告二郎ら三名による本件暴行発生の予見可能性はなかったものであり、また、三年生グループによる意趣返しのおそれに対して相当な措置を講じているのであるから、保護監督義務(安全保持義務)違反は認められず、被告天王町に責任はない。
四 被告親権者らの責任(争点②)
1 被告乙野三郎及び同乙野テツ子は同乙野二郎の、同丙野カヂ子は同丙野三郎の、同丁野健悦及び同丁野テツ子は同丁野四郎のそれぞれ親権者であり(当事者間に争いがない)、被告二郎ら三名に責任能力が認められるにしても未成年者であることから、被告親権者らはそれぞれの子を監護教育すべき義務を負っている。
被告親権者らが、右監護教育義務に違反し、本件暴行を発生させたと認められる場合には、不法行為責任(民法七〇九条)を負うが、法定監督義務者としての責任(民法七一四条)の場合とは異なり、一般的に監護教育義務を怠ったというのでは足りず、子が他人の生命身体等に対し危害を加えることがある程度具体的に予見されたにもかかわらず、それを阻止すべき措置を故意・過失によって採らなかった場合にその責任が認められると解するのが相当である。
そこで、被告親権者らに本件暴行発生の予見可能性があったかを検討する。
2 証拠(甲一一、乙一の二、一〇、証人奥山啓悦、原告郡子本人、被告丙野三郎本人、被告乙野テツ子本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告二郎ら三名が原告一郎を継続的にいじめていたことはないこと、被告親権者らは、その子の服装について学校から注意を受けたことがある程度で、いじめとか、暴行事件で天王中側から指導等を受けたことはないこと、被告丙野三郎が原告一郎に変形学生服を売却したことについて、本件暴行発生前には、被告親権者らいずれに対しても、天王中側及び原告らから、何らの申し入れ、指導等はなく、変形学生服の売買を知らなかったことが認められる。
3 右認定事実及び一で認定した本件暴行発生の経緯からすれば、被告親権者らは、いずれも、その子が原告一郎に対してはもとより、誰か他人に暴行を加えるおそれがあると具体的に予見することができる状況にはなかったと認められる。
したがって、被告親権者らに、不法行為責任を認めることはできない。
五 本件暴行と原告一郎の心因反応との間の相当因果関係(争点③)
1 被告らは、因果関係について、そもそも原告一郎の心因反応発症の原因は本件暴行ではないと主張し、仮に、そうであったとしても、その影響は軽微で、北海道転居後の症状とは相当因果関係はない旨主張する。
2 本件暴行と心因反応の発症との間の相当因果関係について
(一) 本件暴行の程度
先に認定したように、本件暴行は、被告二郎ら三名が他の者を追い出し、原告一郎と被告二郎ら三名のみがいた一階トイレで行われ、原告一郎が受けた暴行は、少なくとも、被告乙野二郎から平手で顔面を一回殴られ、被告丙野三郎から腹部を一回蹴られ、被告丁野四郎から胸倉をつかまれて手拳で顔面を二、三回殴られ、壁に頭部を打つというものであった。
また、証拠(甲一、二、一一、乙一の三、一〇)によれば、原告一郎は、本件暴行後一時間ほど保健室で休んだが嘔気が持続し、車イスで藤原記念病院に入院したこと、同病院では、入院時の病名を頭部、腹部打撲と診断したこと、原告一郎は入院時には意識障害はなく、主に頭頂部痛を訴えていたこと、藤原記念病院での頭部CTスキャン等の検査では異常は認められず、頭痛等も解消したので、一月二八日、三日間の入院で退院したこと、同月三〇日、藤原記念病院の石澤医師は、原告一郎の症状について頸椎捻挫で約三週間の外来加療を要する見込みであると診断したことが認められる。
右に認定した事実からして、本件暴行の程度は決して軽いものではなかったと認められる。
(二) 本件暴行前の原告一郎の診療状況
証拠(甲六、七、証人高橋修三)によれば次の事実が認められる。
(1) 原告一郎は、昭和六二年八月に、秋田大学医学部附属病院眼科、耳鼻科等で、診断を受け、翌年一月二〇日からは心療センターで高橋医師の治療を受け、同医師は、原告一郎の症状について、ヒステリー視野狭窄で、深層に何か抑圧されたものがあるようで、発症に心身相関が考えられ、その原因については、母親が体調を崩し、原告一郎が幼稚園時代から入退院を繰り返したため、子供としての愛情不足、欲求不満が第一の因子であり、アル中気味の祖父との関係(昭和六三年九月には祖父からアイロン台で頭部を殴打され、頸痛、嘔気等が出現した被害体験を有していることが認められる。)等が作用していると考えられると診断した。但し、原告一郎の性格が病的なものであるとは認められていない。
(2) 原告一郎の諸症状は徐々にではあるが軽減し、日常生活に支障がない程度に改善し、平成二年三月二七日に終診し、本件暴行まで、心療センターでの診察は受けていなかった。
(三) 心因反応の発症の状況
証拠(甲一、二、七、八、一一、証人高橋修三、原告郡子本人)によれば次の事実が認められる。
(1) 平成三年一月二六日の藤原記念病院入院時、原告一郎には意識障害はなかった。
(2) ところが、同月二七日、いま食事したことを忘れるという記銘力の障害が現れ、同月二八日箸をぽろっと落としたり、言語が幼児口調になり、夜中に幼児のように泣き出す等の異常がみられた。同月二九日には、普通に話すことも、独歩することもできない状態となった。
(3) 原告一郎は、同月三〇日、心療センターの診察を受けた。同センター受診時同人の症状は、記銘力の減退、記憶力の減退が顕著な精神的症状であり、学校恐怖状態といった不安、恐怖の状態が認められたが、受診前にどういうことがあったか話しをすることはできる状態であった。
原告一郎は、同年二月六日、心療センターの診察を受けた。原告一郎の症状は、前回診察時よりも、退行が一見して著しい状態(幼児レベル)となっており、起立性低血圧状態で、めまい発作が絶えず、向かい合って面接することが困難な状態であった。高橋医師は、病名心因反応、主病態は退行状態で、著名な幼児化、記銘力及び記憶力の低下、意識野の狭隘化、意気力の減退、社交性の低下等がみられると診断した。
(四) 心因反応(退行状態)とは、ある特定の心理社会的な要因が契機となり、精神的に乱れを生じるような精神症状であり、遭遇した恐怖等に対し、異常な防衛機制が働いたことを原因とするものである(甲三一、証人高橋修三)。
一で認定した本件暴行発生の経緯によれば、原告一郎が変形学生服の支払をめぐり三年生グループに取り囲まれるといった状況が少なくとも本件暴行の一週間くらい前からあり、そのような状況は、原告一郎にとって相当な精神的な圧迫になっていたと推認されること(原告一郎は平成三年一月二一日から同月二三日まで風邪を理由に欠席しているが、その症状は朝になると頭痛がひどくなるというものであり(甲一)、三年生グループから代金請求されることを避けるための登校拒否的な側面があったと推測できる。)、(一)で認定したように本件暴行は人気のないトイレで集団で加えられた軽視できない威力の暴行であったこと、原告一郎の心因反応は、本件暴行後に発生しているが、本件暴行以外に原告一郎が精神的圧迫を感じるような異常な出来事はなかったこと、原告一郎の心因反応は、本件暴行後数日してから発症しているが、退行状態になっていく場合、必ずしも心因が加わった直後に急激にそういった状態が現れるとは限らず、一定時間をかけて症状が顕著になっていくことはしばしばみられること(証人高橋修三)などから、原告一郎の心因反応は本件暴行により発症したものと認めるのが相当である。
被告らは、原告一郎に心因性の視野狭窄等の病歴があったことから、心因反応は、本件暴行が原因ではなく、従前の症状の延長としての発症に過ぎないと主張するが、従前の心因性視野狭窄に対する治療は、平成二年三月二七日病状が改善し、それ以降本件暴行までの間には行われておらず、また、従前の原告一郎の症状は、視野狭窄、弱視等に留まるもので、退行状態が発症したことはなく、本件暴行後に発症した心因反応と従前の症状とは、その様相が明確に相違しており、そのきっかけとなっている心理社会的な要因も異なるとみるのが相当である。したがって、心因反応は、従前の心因性視野狭窄等の病態が重篤となって発症したものということはできず、被告らの右主張は採用できない。
なお、原告一郎の精神的圧迫に対する対応力の不安定性等の資質的な面が、心因反応の発症に関連していることは従前の診療歴や病気の性質に照らして否定できないが、原告一郎の資質面で病的異常な側面があったとは認められないから、その影響性は本件暴行と原告一郎の心因反応の発症との相当因果関係を否定するまでのものではなく、損害額の評価の際に一要素として考慮すれば足りるものである。
3 本件暴行と北海道転居後の原告一郎の諸症状との因果関係(争点③)
(一) 心因反応発症後の診療の経過等
証拠(甲三、五、七ないし一〇、一七、一八、二〇、二七、丙一、証人高橋修三、原告郡子本人)によれば、次の事実が認められる。
(1) 原告一郎は、心因反応発症後、週一回の割合で平成三年三月二〇日まで心療センターで通院治療を受けた。
高橋医師は、同月一一日付け診断書に、原告一郎の退行状態は、斑状で必ずしも一貫して進行したり固定化したものではなく、情況因性であり、予後は状況の改善に負うところが大である旨記載した。
(2) 原告義美らは、原告一郎の療養を考え、原告一郎が小学校四年まで暮らしていた北海道に転居した。
原告一郎は、一家の引っ越しに伴い、同年四月二日、と一一日、函館五稜郭病院整形科で診察を受け、同月八日、五月二〇日、六月二四日札幌医科大学付属病院精神神経科に通院した。同年四月八日の診察の際、原告一郎は、担当の高畑医師に対し、学校はおもしろいと言い、原告郡子も函館に来て良かったと話した。
原告一郎は、同年四月から七飯町立大中山中学校三年に在学し、休みながらも通学し、同月二二日から二四日の東北方面の修学旅行、五月二五日の全校マラソン大会にも参加した。同月三〇日に一度言葉が不明瞭で手足の震えがみられた。
(3) 原告一郎は、札幌医科大学付属病院精神神経科の担当医から地元の精神科で診療するように勧められ、同年七月一日、函館市立病院の診察を受けた。その際、原告一郎は、視力障害を訴えたが、担当医師は、マンガを読み、ゲームを行い、友達とも遊んでいることなどから、視力は作為的と判断し、原告一郎の眼鏡を作ってほしいという申し出に対し、伊達眼鏡で十分であると診断した。
(4) 原告一郎は、同月五日夕方、友人の自転車に相乗り中、車と接触する事故を起こし、膝に打撲傷を負い、警察で事情を聞かれた。
(5) 原告一郎は、膝の怪我で好きな所へ出掛けられなくなったことから苛立ちが募り、原告郡子にあたるなど気持ちの動揺がかなりみられるようになったため、同月一七日から同年八月三〇日まで函館市立病院精神神経科に入院した。
原告一郎は、退院後、一週間に二度くらいの割合で函館市立病院精神神経科に通院を続けた。
原告一郎は、平成三年九月初めから中学校に週に一、二度通学したが、学校で体調が悪くなったと連絡が入り、親が迎えに行くということを繰り返し、同月末からは通学が困難となった。
原告一郎は、同年一〇月頃から、医療法人同仁会佐々木病院に通院して、担当の小林医師の治療を受けた。
原告一郎は、一〇月八日、進学したいが、遊びたい、学校には行きたくない気持ちなどから精神的な苛立ちを募らせ、椅子を投げつけて原告郡子を怪我させるなどし、精神不安定となり、幼児口調、退行状態が現れたため、医療法人同仁会佐々木病院に入院した。
原告一郎は、同月一四日、担当医師に、成績は良くないが数学は好きであり、高校へは行かずに、訓練校に行きたい等と話した。
原告一郎は、入院後、一〇月に二日、一一月に一日、登校したが、登校しても、一人だけ除け者にされているようだと感じるなどして、続けて登校することはできなかった。
原告一郎は入院後、薬物療法等により漸次病状が軽減したので、平成四年三月一九日に退院した。
(6) 原告一郎は、平成四年三月、大中山中学校を卒業し、その後は、父の原告義美が現場監督として働いている道路舗装工事現場で、原告義美が面倒をみながらアルバイトとして働くことになったが、仕事に行くのは週に一度くらいであった。
原告一郎は、平成五年九月一三日から同年一〇月三日までと、同年一二月七日から平成六年二月一三日まで医療法人同仁会佐々木病院に入院した。
(7) 秋田における原告一郎の主治医であった心療センターの高橋医師は、原告一郎の今後につき、回復はしていくが、情緒的な面、困難に直面した時のセルフコントロール等については思春期レベルに止まり、精神的不安定、情緒不安定になりやすい面が残り、社会的に特別な配慮が必要であると判断している。
(二) 右に認定したところによれば、原告一郎の症状は、心因反応発症前の状態にまでは回復していないが、反面、北海道へ転校後、両親から離れ、二泊三日の修学旅行に参加したり、原告義美と一緒に道路舗装工事現場で働いたりするなど、かなり改善された状態もあったと認められる段階に入っているものと考えられる。
心因反応によって、幼児レベルまで退行した者は、退行前の状態に一気に回復することはなく、精神的葛藤は継続するものであるから、幼児から児童レベルへという過程を経て、徐々に回復していくものであり、その回復過程も、直線的なものではなく、記憶が戻るに従って、再び症状が悪化することもあるから(証人高橋修三)、原告一郎の症状にかなり改善された状態が認められるからといって、本件暴行と前記認定の原告一郎の症状との間に相当因果関係がないものとすることはできない。
もっとも、本件暴行と原告一郎の症状との因果関係は月日の経過と原告一郎の内面的成長により希薄になっていくべき性質のものと理解することが相当であり、本件暴行後数年を経過した後の原告一郎の症状については、因果関係の相当性に合理的な疑いが生ずるものというべきである。
六 原告らの損害(争点④)
(一) 原告一郎の損害
原告一郎が本件暴行により、心因反応を発症し、前記認定の諸症状からすれば、原告一郎が相当の精神的損害を受けたことは明らかである。本件暴行の態様及び背景、原告一郎の心因反応の程度及びその影響、心因反応発症の一要因としての原告一郎の資質面、被告二郎ら三名の年齢等、本件の一切の事情を考慮すると、原告一郎が受けた精神的苦痛に対する慰謝料の額は二〇〇万円が相当である。
(二) 原告郡子の損害
原告郡子は、子の原告一郎が通常の中学生活を送り、順調に成長していくことを期待していたのに、本件暴行により、その原告一郎が心因反応を発症し、その発育成長に対する不安や他の同年齢の子とは違った養育上の配慮を必要とする心労が生じているものであり、精神的苦痛を受けたことは明らかであるから、これに対する慰謝料の額は五〇万円が相当である。
(三) 原告義美の損害
原告義美が、原告一郎の医療費として、少なくとも三三万八四四〇円を支出していることは認められる(甲二一の一ないし甲二六の六九)。しかしながら、付添費については、医師の指示等付添の必要があったこと及び原告義美がこれを支出したことを認めるに足りる証拠がなく、交通費については、原告一郎が天王町に在住中、秋田市所在の秋田大学医学部附属病院心療センターに通院していたことなどからして、交通費を要したことは推認することはできるが、その額を確定することができず、損害と認定することができない。
原告義美も、原告一郎の父として、原告一郎の心因反応発症により精神的苦痛を受けたことは明らかであるから、これに対する慰謝料の額は五〇万円が相当である。
原告義美が本件訴訟代理人に本件訴訟の提起・追行を委任し、報酬の支払約束をしたことは弁論の全趣旨により認められるところ、本件の審理経過、認容額等によれば、本件と相当因果関係を有する弁護士費用の額は、五〇万円であると判断するのが相当である。
第四 結論
以上より、本件請求は、被告二郎ら三名に対し、原告一郎につき二〇〇万円、原告郡子につき五〇万円及び原告義美につき一三三万八四四〇円並びにそれぞれに対する(ただし、原告義美については、内金八三万八四四〇円に対する)平成四年一一月二一日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないから棄却する。
(裁判長裁判官片瀬敏寿 裁判官坂本宗一 裁判官唐木浩之)