秋田地方裁判所 平成8年(ワ)216号 判決 2002年3月15日
主文
<省略>
事実及び理由
第1 請求<省略>
第2 事案の概要
本件は、被告の設置するA大学医学部附属病院(以下「大学病院」という。)において排卵誘発剤を使用した不妊治療を受けた原告が、その後脳血栓症を発症して脳梗塞となり、左上肢の機能全廃等の後遺症が残ったが、その原因は大学病院の医師らの診療上の過誤にあると主張して、被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である。
1 前提となる事実(特に証拠を摘示していない事実は当事者間に争いがない。)
(1) 被告は、秋田市広面字蓮沼<番地略>に大学病院を設置している。
(2) 原告は、秋田県鹿角市に居住する昭和三六年一一月二七日生まれの女性である。原告は、昭和六一年六月にE(以下「E」という。)と婚姻の届出をして夫婦となったが、平成六年一一月一日に離婚した(甲2、36、40)。
(3) 原告及びE(以下「原告夫婦」という。)は子供に恵まれなかったため、平成四年一月一四日に大学病院の産婦人科外来で診察を受けた後、排卵誘発剤を使用した体外受精を受けることとし、同年六月一三日から、大学病院ないしその依頼を受けたH総合病院において、卵巣を刺激して多数の卵胞を成熟させる排卵誘発剤であるHUMANMENOPAUSALGONADOTROPIN(以下「HMG」という。)二二五IUの注射を七回、一五〇IUの注射を一回受け、同月二二日夜、大学病院において、排卵を促す作用を有する排卵誘発剤であるHUMANCHORIONICGONADOTROPIN(以下「HCG」という。)一万IUの注射を受けた。なお、大学病院において原告の不妊治療を担当したのは、B医師(以下「B医師」という。)とC医師(以下「C医師」という。)であった(甲24、乙1)。
(4) Eは、同月二四日、大学病院の泌尿器科において精巣上体から精子を摘出され、原告は、同日、大学病院において卵子二七個を採取された。媒精によってできた受精卵四個は、同月二六日、原告の体内に戻されて、原告は、その日のうちに大学病院を退院した(乙1)。
(5) 原告は、同年七月二日、C医師の診察を受けたが、腹満が増加しており、卵巣過剰刺激症候群(OVARIANHYPERSTIMULATIONSYNDOROME、以下「OHSS」という。)と診断された。原告は、C医師から、安静を保ち水分を多く取るよう指示されて帰宅した(乙1)。
(6) 原告は、同月六日に大学病院に入院したが、このときの原告のOHSSの症状としては腹満と嘔吐があり、ヘマトクリット値は48.1パーセントであった(乙1)。
(7) 原告は、同月七日の夜、腹部膨満感が強度になり、吐き気と頭痛があったため、C医師は、同日午後一一時から一一時四〇分までの間、原告の腹水一五〇〇ミリリットルを除去し、輸液一〇〇〇ミリリットルを点滴した(乙1)。
(8) 原告は、同月八日午前三時ころ、左片麻痺を発症し、検査の結果、血栓症又は塞栓症による両側内頚動脈の閉塞が確認されて(以下「本件事故」という。)、大学病院の脳神経外科に転科した(乙1)。
2 争点
(1) 争点1
原告が血栓症又は塞栓症を発症した原因はOHSSか。
ア 原告の主張
血栓症又は塞栓症は、排卵誘発剤投与の副作用であるOHSSの合併症の一つであるところ、原告が大学病院に入院した平成四年七月六日のヘマトクリット値は48.1パーセントであり、OHSSの分類において重症と認められる血液濃縮状態にあったのであるから、原告が発症した脳血栓症の原因は、OHSSというべきである。なお、一般に脳血栓症の原因としては動脈硬化も考えられるが、原告が本件事故当時三〇歳と比較的若年であり、動脈硬化の危険因子である高血圧症、高脂血症、喫煙の既往歴等も一切なかったことからすればそれは否定されるべきであり、原告にはその他脳血栓症の素因とされるものもなかった。
イ 被告の主張
一般に、排卵誘発剤投与の副作用であるOHSSによる血液濃縮は血栓症又は塞栓症発症の一因と考えられてはいるものの、実際に発症するのは極めてまれなことから、血栓症又は塞栓症の発症には、血液濃縮に加えて患者側の何らかの先天的又は後天的素因も関与するものと推測されている。
本件において、原告のOHSSによる血液濃縮の程度は、入院後の治療により中等症域まで改善し、自覚症状の軽減も認められ、血液凝固検査においても血栓形成を示唆する明らかな異常所見は認められなかったから、原告は、OHSSによる血液の過凝固状態に何らかの先天的又は後天的素因が関与して血栓症又は塞栓症を発症したものと推測されるが、実際にどのようなメカニズムで発症したのかは明確ではない。
したがって、OHSSと血栓症又は塞栓症との間に相当因果関係を認めることはできない。
(2) 争点2
大学病院の医師らが、原告を妊娠させる手段として排卵誘発剤による体外受精を選択したことに過失があるか否か。
ア 原告の主張
原告夫婦の不妊の原因は原告ではなくEにあったのであるから、人工授精や、排卵誘発剤を使用しない体外受精も可能であったにもかかわらず、大学病院の医師らは、OHSSという副作用を発症する危険性の高い排卵誘発剤を使用する体外受精を安易に選択したもので、この点につき過失がある。
イ 被告の主張
原告の夫は閉塞性無精子症という難治性不妊症であり、精巣上体を穿刺することにより初めて精子を回収できるものの、そのための手術的侵襲は小さくなく、精子を回収できる回数が数回に限られる上、精巣上体の精子は量的質的低下が大きいため、人工授精では妊娠の確率が極めて低い。したがって、この方法は採り得ない。
また、排卵誘発剤を使用しない体外受精においては受精卵は最高一個しか採取できず、妊娠率は排卵誘発剤を使用した場合と比較して極めて低いため、自然周期での体外受精を行っている施設はほとんどない。本件では精子の採取が数回しか望めないことは前記のとおりであり、このような場合には、一周期での妊娠率を上げることが極めて重要であり、排卵誘発剤を使用した体外受精を選択したことは医学的常識に基づいた適切な判断である。
よって、大学病院の医師らに過失はない。
(3) 争点3
原告が排卵誘発剤を使用した体外受精を受けることを決定するに際して、大学病院の医師らに説明義務違反があったか否か。
ア 原告の主張
体外受精は、日常生活を送る上で何ら支障のない患者に対し、OHSSを発症する危険性のある排卵誘発剤を投与するものであり、患者の生命健康の維持促進のためになされる通常の治療行為とは異なる性格を有し、緊急性も認められないから、体外受精を行おうとする医師は、排卵誘発剤の副作用としてOHSSを発症し、腹水等が貯留することや、重症の場合には血栓症を発症する場合もあることについて十分な説明をなすべき義務を負うというべきである。
本件において、大学病院の医師らは、原告に対し、人工授精や、排卵誘発剤を使用しない体外授精について全く説明しなかった他、排卵誘発剤を使用した体外受精の場合、副作用であるOHSSを発症する可能性があることや、OHSSにより腹水等が貯留することがあること、重症の場合には血栓症を発症する場合のあること等についての説明は全くなかった。このため、原告は、体外受精のための排卵誘発剤に副作用があるとは思いもよらず、体外受精が安全で簡単なものとの認識のもと、本件体外受精を受けるに至ったものである。
したがって、大学病院の医師らには説明義務違反がある。
イ 被告の主張
原告が排卵誘発剤を使用した体外受精を受けることを決定するに際しては、事前に、B医師とC医師がそれぞれ治療の方法や有効性、危険性等について原告夫婦に入念に説明しており、同意書による意思の確認も行われている。
人工授精や排卵誘発剤を使用しない体外受精については説明しなかったが、これは、閉塞性無精子症というEの症状からすると、排卵誘発剤を使用する体外受精が現実に受け入れられる妥当な確率をもって妊娠を期待できる唯一の方法であると考えたためであり、それ以外の治療方法は不適切なものというべきであるから、そのような治療方法については説明義務はなかったというべきである。
OHSSについては、「卵巣過剰刺激症候群」という表現は専門的であることから使用しなかったものの、採卵後に腹水が貯留して安静が必要となる可能性があることを、B医師とC医師がそれぞれ説明している。
血栓症が起こりうることについては説明しなかったが、それは、極めてまれな症例として血栓症が起こりうるとの学会報告があったことを別とすれば、当時、国内の学術論文としての症例報告はなく、これから体外受精を受けようという患者に対し、極めて発症率の低い合併症の可能性を説明して恐怖をあおり立てることは、患者を混乱させるだけで不適切と考えたためであって、そもそも説明義務はなかったというべきである。
(4) 争点4
大学病院の医師らが、排卵誘発剤投与に際し、卵巣の過剰刺激による副作用を防止する注意義務に違反したか否か。
ア 原告の主張
排卵誘発剤の副作用としてOHSSが高頻度に発生することが知られているから、排卵誘発剤療法を施行するに当たっては、OHSSの発症や重症化を未然に防ぐための最大限の努力がなされなければならないのに、大学病院の医師らはそれを怠った。その具体的内容は以下のとおりである。
(ア) HMGの投与量について
HMGは、卵胞刺激ホルモンとして一日七五~一五〇IUを連続筋注し、使用に際しては厳密な経過観察が必要とされ、また、その投与法としては、漸減、等量、又は漸増法があるが、通常は一日量一五〇IU連日筋注する等量投与か、一日量一五〇IUから開始し、反応をみながら投与量を二二五~三〇〇IUへと増量する漸増法がとられるところ、本件においては、ほぼ一律に一日量二二五IUという多量のHMGが原告に投与されている。しかも、原告には排卵障害などの異常はなかった上、三〇歳と若年であり、OHSS発症の危険性が高かったのであるから、原告にHMGを投与するに当たっては、過剰な刺激を回避するため投与量を減量すべきであったのに、多量のHMGが投与されたものである。
(イ) HCG投与時のエストロゲン値の測定について
エストロゲン濃度の高い状態においてHCGを投与するとOHSSを発症する危険性は高いとされているから、HCG投与日におけるエストロゲン濃度を知ることは、OHSSの発症を予知する上で重要な指標になるところ、本件において、大学病院の医師らは超音波診断法による卵胞のモニタリングしか行わず、エストロゲン値を測定しなかった。
(ウ) HCG投与の中止について
HCG投与時における卵胞数もOHSSの発症を予知する指標として重要視されており、卵胞数が多い場合にはOHSSを発症する可能性が高いとされているところ、本件で原告から採取された卵子の数は二七個と多数にのぼり、HCG投与時における卵胞数は極めて多かったから、HCGの投与により重症のOHSSが発症する可能性は極めて高かったというべきであり、大学病院の医師らはHCGの投与を中止すべきであった。
(エ) 受精卵の凍結保存方法について
OHSSの発症の可能性が高い場合には、刺激周期での受精卵の胚移植をせずに、受精卵を凍結保存し、他の周期に胚移植することによりOHSSを予防するとともに妊娠成立を得ることが可能である。本件の場合、若年者である原告に対し、過量のHMGが投与され、卵胞の発育が極めて過剰であったため、HCGの投与はOHSSを発症させる可能性が非常に高く、したがって、仮にHCGを投与したとしても、妊娠による重症のOHSSの発生を防止するため、受精卵を凍結保存し、他の周期に胚移植をすべきであり、大学病院にはその技術もあったが、大学病院の医師らはこのような予防措置をとらずに漫然と胚移植をした。
(オ) HMGの注射を第三者に依頼したことについて
大学病院の医師らが原告に対するHMGの注射を第三者であるH総合病院に任せたことは誤りであった。
イ 被告の主張
大学病院の医師らは、原告を妊娠させるという目的に向かって最も合理的で有効な治療を行うべく努力を行った。原告は結果としてOHSSを発症したが、その重症度は中等症であったと考えられ、この程度のOHSSの発症は排卵誘発剤を使用する体外受精においては不可抗力というべきものである。なお、一般に、OHSSは保存的治療のみで数週間にて完治するものである。
(ア) HMGの投与量について
原告の主張は、複数の卵胞を発育させることを目的とする体外受精の治療の実際に沿ったものではない。本件では、原告はOHSSのハイリスク患者ではなく、受精能力の乏しい精巣上体精子を使用するため発育卵胞が不足しては有効な治療ができないことをも考慮して、原告に対する一日のHMGの投与量を二二五IUとしたもので、この使用量は体外受精患者としては平均的なものである。
なお、OHSSの発症を決定する要因としては、個人の卵巣の感受性がより重要であり、HMGの投与量とはあまり関係がないとする考え方が一般的である。
(イ) HCG投与時のエストロゲン値の測定について
血中エストロゲン値の測定は、その有効性が明らかでないことと、測定方法が煩雑なことから、ルーチンの検査としては一般に行われておらず、現在の医療現場では、HCG投与時の超音波断層所見のみをOHSSの予測に利用する場合が多い。
(ウ) HCG投与の中止について
現在の医療技術においては、OHSSの発症を確実に予防するにはHCGの投与を行わずに治療をキャンセルすることでのみ可能であるが、治療をキャンセルすることは、患者のそれまでの努力を無にすることで患者の経済的、肉体的、心理的損害は極めて大きいことから、医師は安全性に十分配慮した上で可能な限り治療の継続を考慮し、安易なキャンセルは避けなければならない。
現在の医療現場では、HCG投与時の超音波断層所見のみをOHSSの予測に利用する場合が多いが、キャンセルの基準として絶対的なものはなく、その判断は医師の経験に依存する部分が大きい。
本件では、HCG投与の時点で、超音波断層所見からは原告に重篤なOHSSが発症するとは予測されなかったので、治療が継続されたものである。原告から二七個の卵子が採取されたのは、個々の比較的小さな卵胞から効率よく卵子が採取された結果であり、それだけで重症のOHSSが発症すると断定する根拠にはならない。
(エ) 受精卵の凍結保存方法について
胚移植の時点でOHSSの発症の確率が高い場合に胚移植を見送ってすべての受精卵を凍結保存し、その周期での妊娠を阻止して妊娠によるOHSSの重症化を防止する方法は、近年一部の施設で行われているものの、この技術は凍結受精卵による治療が確立している施設でしか行うことができず、現在国内で凍結受精卵の治療を行っている施設が体外受精を行っている施設の約二〇~三〇パーセントにすぎないことからしても、一般化していない技術というべきである。また、一般に凍結受精卵による胚移植は、新鮮卵による胚移植と比較して妊娠率が低下することを覚悟しなければならない。
(オ) HMGの注射を第三者に依頼したことについて
排卵誘発剤を使用した体外受精においては、まだ卵胞が未成熟な段階ではただ注射を打つだけの通院となるので、最初の時期のHMGの注射は、原告の自宅に近いH総合病院に依頼したものである。B医師とC医師は、平成四年六月一八日以降、HCGの切替時期の決定のため連日超音波断層の検査を行っており、問題はなかった。
(5) 争点5
大学病院の医師らがOHSSの重症化予防注意義務に違反したか否か。
ア 原告の主張
大学病院の医師らは、原告のOHSSの重症化を予防する注意義務があるのに、これを怠った。
具体的には、平成四年七月二日の時点での原告の状態は、卵巣腫大、腹水貯留の症状が現れ、血液濃縮(ヘマトクリット値40.1パーセント)、白血球の増加(一万三七〇〇)も認められ、OHSSの中等症に該当するところ、このような場合には主として外来での経過観察を厳重に行い、重症化傾向が認められたら入院させられるように準備しておくべきであるが、若年者等OHSS発症の危険性が高い患者や、厳重な経過観察ができないような遠方に居住している患者については、入院の上で経過観察を行う必要があるとされている。原告は三〇歳と若年者で、かつ大学病院まで片道三時間を要する鹿角市に居住しているため、外来による厳重な経過観察は到底不可能な状態にあったから、この時点で入院させて経過観察を行い、必要に応じて電解質補液等の適切な治療がなされるべきであったにもかかわらず、大学病院の医師らは原告を入院させることもなく、原告が同月六日に入院するまで外来による経過観察さえ行わなかったため、原告のOHSSは重症化し、OHSSによる脳血栓症を引き起こしたものである。
イ 被告の主張
平成四年七月二日の段階では、原告のOHSSは中等症で症状は安定しており、直ちに入院させる適応はなかった。また、同日原告を診察したC医師は、原告に対して安静を保つよう指示し、もし症状が悪化した場合には直ちに来院するように告げたもので、極めて常識的な判断である。原告の症状が悪化したのは妊娠の成立によるものであり、入院によりそれが予防できた可能性は考えにくい。また、補液などの治療は、OHSSの重症型に対して症状を緩和する目的で行う治療であり、中等症のOHSSの増悪を予防する治療とはなり得ない。
(6) 争点6
大学病院の医師らが脳血栓症発症予防注意義務に違反したか否か。
ア 原告の主張
原告の脳梗塞の原因は脳血栓であるところ、大学病院の医師らは、OHSSにより脳血栓症が発症しないようにすべき注意義務があるのにそれを怠った。その具体的内容は以下のとおりである。
(ア) PIC(プラスミン・アンチプラスミン複合体)・TAT(トロンビン・アンチトロンビン三複合体)検査について
PIC及びTATは血栓形成及び血液の凝固亢進状態を知る上で鋭敏な検査であり、原告の血液の凝固亢進状態を知るためにはPIC及びTAT検査を施行すべきなのに、大学病院の医師らはこれを施行しなかった。
なお、大学病院の医師らは、平成四年七月六日に血液凝固検査を行っているが、血液凝固検査のみによって血液凝固系の異常の程度や亢進の程度を正確に把握することは困難であり、不十分なものであった(しかも、血液凝固検査の結果からも原告の血液凝固系の異常は認められている。)。
(イ) MRI(磁気共鳴脳血管撮影)等の検査について
原告には、平成四年七月五日に頭痛、吐き気、左上肢麻痺の症状が現れ、同月六日に大学病院で診察を受けた際にも、左下肢麻痺等の症状が現れており、脳血栓の前駆症状が認められるところ、排卵誘発剤の副作用であるOHSSにおいては、血栓症を発症することがあると指摘されている以上、大学病院の医師らは、前記脳血栓の前駆症状が現れた同月五日の時点、遅くとも診察を受けた同月六日の時点において脳血栓を疑い、MRI等による脳血管系の検査をすべきであり、また、この時点で脳血管系の検査を施行していれば、脳血管に閉塞又は狭窄所見が発見できたはずであり、この時点であれば脳梗塞は完成していなかったのであるから、抗凝固剤や血栓溶解剤等の投与により脳血栓の悪化を抑え、改善することができたにもかかわらず、その検査や治療を行わなかったため、原告は脳梗塞になった。
(ウ) 腹水除去について
前記(イ)のとおり、原告には平成四年七月五日及び同月六日の時点ですでに脳梗塞の症状が出ていたのであるから、原告の状態を十分に診断して腹水を排液する必要性を検討し、検討の結果、腹水の排液が不可避であったとしても、注意深く時間をかけて一回の排液を一〇〇〇ミリリットルまでにとどめておく注意義務があるのに、C医師は一五〇〇ミリリットルの腹水を除去したため、原告の脳梗塞を悪化させた。
イ 被告の主張
そもそも、原告の症状は、脳血栓症というよりも、身体のどこかの動脈に形成された血栓が血流に乗って運ばれて脳血管を突然閉塞して脳への血流が局所的に途絶したために発症した脳塞栓症と考えられるところ、原告の入院時の血液濃縮はOHSSとしては常識的範囲内のものであり、治療により中等症域まで改善した。原告の脳塞栓症は、医師の十分な警戒と治療にもかかわらず発症したものであり、現在の医学では血栓症又は塞栓症の予測及び予防に限界があることから、不可抗力であったと考えざるを得ず、大学病院の医師らには何ら過失はない。
(ア) PIC及びTAT検査について
PIC及びTATは、凝固・線溶系の検査のマーカーとしては極めて感度が高い検査方法であるが、血栓症又は塞栓症に対する診断的意義は確立しておらず、その測定も煩雑であり、一般的な臨床検査としては行われていない。
なお、平成四年七月六日に行った血液凝固検査では、比較的鋭敏な線溶系のマーカーであるFDP―Dダイマー、プラスミン・インヒビター及びキニン系のマーカーであるプレカリクレインに異常が見られたが、これらの軽度の線溶系の活性化所見は、OHSSの病態を考えればむしろ当然であり、一般的にみてこの所見だけをもって生命予後に影響を及ぼす血栓形成が存在したと判断することはできない。
(イ) MRI等の検査について
原告は、平成四年七月八日に脳血管の閉塞による左片麻痺症状を突発的に発症するまで、明らかに血栓形成の前駆症状と断定できる症状は存在せず、同月六日に入院後は血液濃縮も改善傾向にあって原告の状態は安定していたから、原告の主張するような検査をしなければならなかったとはいえない。また、抗凝固剤や血栓溶解剤は、それ自体強い副作用の危険があることから安易に投与することはできず、原告には神経学的症状及び血栓形成を強く示唆する検査所見が認められなかったので、脳梗塞の発症までに抗凝固療法の適応は認められなかった。
(ウ) 腹水除去について
一回の排液を一〇〇〇ミリリットルまでにとどめておくべき注意義務があるというのは、消化器疾患における腹水の治療方針である。OHSSの腹水貯留は、一過性であるが急速な場合が多く、患者の症状を緩和する目的でしばしば一〇〇〇ミリリットル以上の腹水を除去することが必要となるが、対象が内科疾患の患者とは異なり代償能力の低下していない患者であるため、腹水除去の総量が一度に二〇〇〇~四〇〇〇ミリリットルを超えなければ問題ないと考えられる。
本件の場合、C医師は、一五〇〇ミリリットルで腹水穿刺を終了したが、腹水穿刺と並行して、循環血液を希釈、保持する目的で、約一〇〇〇ミリリットルの輸液も開始しているので、原告の実際の体液の損失量は一五〇〇ミリリットル以下に抑えられていたといえるし、C医師は、腹水除去後に原告の血液検査を行い、ヘマトクリット値が四五パーセントで血液濃縮の所見が進んでいないことを確認している。
(7) 争点7
原告の被った損害額
ア 原告の主張
(ア) 治療費 二六六万六四七六円
(イ) 休業損害 一三九万八二〇五円
(ウ) 後遺症による逸失利益
六三七九万四三六二円
(エ) 慰謝料 二〇〇〇万円
(オ) 弁護士費用
八七一万八七二四円
合計 九六五七万七七六七円
イ 被告の主張
原告の主張を争う。
第3 争点に対する判断
1 証拠(後掲)によれば、以下の事実が認められる。
(1) 原告夫婦は、婚姻以来子供に恵まれなかったため、Eが平成元年一月にH総合病院で診察を受けたところ、不妊の原因が同人の閉塞性無精子症にあることが分かり、いったんは子供を持つことをあきらめていた(証人E、原告本人)。
(2) 大学病院では、平成二年三月、本邦で初めて閉塞性無精子症の男性の精巣上体精子を使用した体外受精に成功した。原告夫婦は新聞報道でその事実を知り、自分たちも子供を持つことができるかもしれないと考えて、平成四年一月一四日、大学病院の産婦人科外来を受診し、B医師に不妊及び体外受精等に関する相談をした。B医師は、同日、原告の卵巣の超音波断層検査を行い、原告には排卵障害等がないことから、H総合病院での原告の夫の組織検査の結果を次回の診察時に持参するよう指示し、同年三月に体外受精の計画をすることとした(乙1、12、証人E、証人B、原告本人)。
(3) 原告は、同年二月二四日、H総合病院での夫の検査結果を持参して大学病院のB医師の診察を受けた。B医師は、検査結果から原告の夫の精巣に精子があることを確認し、体外受精が可能であると判断して、これを進めることとした(乙1、証人E、証人B)。
(4) 当時の大学病院における排卵誘発剤を使用した体外受精の方法は、GONADOTROPIN RELEASING HORMONE AGONIST(GNRHA)を前周期の黄体期中期から使用するとともに、月経周期の二日目からHMGを連日投与し、主席卵胞の直径が一七ミリメートル以上、子宮内膜の厚さが一〇ミリメートル前後に到達した時点を目安にHCG一万IUを投与するというものであった。B医師は、同年三月一六日の診察で、同月一八日からGNRHAを使用することとし、同月二八日の診察で、同年四月七日から卵巣刺激を開始することとし、それぞれその旨を原告に告げたが、原告に対する体外受精の説明においては、排卵誘発剤を一週間程度使うと述べたほか、体外受精は特にそれほど危険なものではないが、普通の一般的な盲腸炎の手術程度の危険性は認識しておいてほしいと述べた程度であった(甲18、27、乙1、証人B)。
(5) C医師は、同年四月七日、原告の卵巣の超音波断層検査を行って発育卵胞の状態を検査したが、子宮内膜症(チョコレート)嚢胞が認められた他、今回の発育卵胞かどうか不明の嚢胞があるのを確認したため、原告夫婦の体外受精が精巣上体精子を用いたものでもあることから、最良の状態で臨みたいとして、その回の治療を中止し、同年六月の月経に合わせて治療を再開することとした(乙1)。
(6) B医師は、同年六月二日、原告を診察し、原告の月経があと一週間で発来することから、体外受精の治療を再開することとした(乙1)。
(7) 原告は、同月一三日、大学病院でC医師の診察を受け、HMG二二五IUの注射を受けたが、C医師は、鹿角市に住む原告の負担を考えて、同月一五日から三日間はH総合病院でHMGの注射を受けるように原告に指示するとともに同病院にその旨依頼し、原告は、同月一五日ないし一七日は同病院でHMG各二二五IUの注射を受けた(甲36、乙1)。
なお、C医師は、同月一三日の診察の際、原告夫婦に対し、排卵誘発剤を使用した体外受精の方法について説明し、妊娠率は二〇ないし三〇パーセント程度であり、排卵誘発剤の副作用であるOHSSについて、腹水が貯まって苦しくなることがあると説明したが、OHSSが重篤化した場合の合併症やそれにより後遺症が残る可能性等については説明しなかった(甲17、35、証人C)。
(8) 原告は、同月一八日、大学病院でC医師の診察を受け、HMG二二五IUの注射を受けるとともに卵巣の超音波断層検査を受けた。同検査によれば、主席卵胞の大きさは一三ないし一四ミリメートルとなっていた(乙1)。
(9) 原告は、同月一九日、大学病院でB医師の診察を受け、HMG二二五IUの注射を受けるとともに、卵巣の超音波断層検査を受けた。B医師は、超音波断層検査による原告の卵胞の発育状況からすれば、翌日はHMGの注射のみで足りるため、鹿角市に住む原告の負担を考慮して、翌日はH総合病院でHMGの注射を受けるよう指示したため、原告は、翌二〇日、再び同病院でHMG二二五IUの注射を受けた(甲36、乙1、証人B)。
(10) B医師は、同月二一日、原告を診察したが、超音波断層検査によると発育卵胞数が多いと判断してHMGの量を一五〇IUに減らして原告に注射した。B医師は、翌二二日も原告の超音波断層検査を行ったところ、原告の左卵巣に径一八ミリメートルの卵胞があり、右卵巣に径一七ミリメートルの卵胞があることを確認したため、同日夜、HCG一万IUを注射した(甲24、乙1、証人B)。
(11) Eは、同月二三日に大学病院に入院し、翌二四日、精巣上体の切開、穿刺が行われて精子が採取された。また、原告は、同日、大学病院に入院し、採卵が行われ、卵子二七個が採取された。原告夫婦から採取された精子と卵子は媒精されて、同月二六日、受精卵五個のうち四個が原告の体内に移植された。原告は、その日のうちに大学病院を退院した(乙1、8)。
なお、平成四年当時、大学病院では、複数の受精卵の一部を移植し、余った受精卵を凍結保存する方法は行われていたが、OHSSの予防のためにすべての受精卵を凍結保存するという方法は行われていなかった(甲56、証人B)。
原告夫婦は、原告が採卵のための入院をした同年六月二四日付けで、体外受精、胚移植のための承諾書を大学病院に提出したが、同書面には、妊娠に対する異常の発生については自然妊娠と同程度の危険性が存在することや、採卵に必要な超音波断層法による経膣的採卵及びそれに伴う麻酔に関しては、一般的な開腹手術と同程度の危険性が存在すること等の記載はあるが、OHSS及びその合併症に関する記載はなかった(乙1)。
(12) C医師は、同年七月二日、原告を診察し、着床を助ける目的で黄体ホルモン二五〇ミリグラムを注射した。原告の腹満感は増加しており、血液検査をした結果、ヘマトクリット値は40.1パーセント(正常域は34.0~42.0パーセント)であった。C医師は、原告がOHSSを発症しており、症状の程度は中等症と判断し、原告に対し、安静を保つことと水分を多く取ることを指示し、原告は帰宅した(乙1、証人C)。
(13) 原告は、同月四日から胃部に不快感があり、翌五日からは苦痛が増強して、吐き気や冷汗があった。原告夫婦は、同日、大学病院に電話をしたが、主治医であるB医師とC医師には連絡がつかなかった。原告は、翌日にB医師の診察を予約していたため、安静にして翌日まで様子を見ることとした(甲35、乙1、証人E)。
(14) B医師は、同月六日、原告を診察したところ、原告の卵巣が径一〇センチメートル程度に腫大しており、腹水の貯留もあったため、OHSSが重症化したと判断して原告を入院させることとしたが、大学病院の産婦人科病棟は満床であったため、B医師が時々出向しているI病院に入院するように指示した(乙1、証人B)。
原告は、B医師の診察後に具合が悪くなって嘔吐を繰り返し、ナースステーションの処置室のベッドに移動した。C医師が原告を診察したところ、過換気状態でやや興奮状態にあり、腹満がある他、嘔吐もあったため、そのまま大学病院に入院させることとした。原告の同日の血液検査の結果によれば、ヘマトクリット値が48.1パーセントに上昇しており、一五〇〇ミリリットルの輸液を受けた(甲36、乙1)。
原告は、同日午後六時にお茶とポカリスウェットを飲み、午後七時に嘔吐したが、午後八時の時点では吐き気が軽度になった(乙1)。
(15) 原告は、同月七日午前四時三〇分には、吐き気はあるものの嘔吐はなく、腹満感と頭痛があるという状態であり、同日午前六時に胃液様のものを嘔吐した。原告は、同日午前一一時には吐き気が少し緩和し、昼食にサラダ一皿を摂取した。B医師は、同日の午前中に原告を診察し、この日も一五〇〇ミリリットルの輸液を行うこととした。同日正午の時点での原告の血液検査の結果は、ヘマトクリット値が46.9パーセントとなり、前日よりやや低下した。(乙1、証人B)。
また、同日の超音波断層所見では、原告の左卵巣は径6.0センチメートル、右卵巣は径7.4センチメートル×6.2センチメートルに腫大し、腹水貯留が著明であったため、C医師は、基本的に血液濃縮の原因は腹水であると診断した。原告の腹囲は、胚移植時の六三センチメートルから七五センチメートルに増加していた(乙1)。
原告は、同日午後四時ころ、吐き気はなくなり、少し落ち着いたようだと看護婦に話した。この時点での血液検査の結果、ヘマトクリット値が44.0パーセントに低下していた。B医師は、原告を診察して、症状がかなりよくなったが、まだ歩き回るほどの元気はないと判断した(乙1、証人B)。
原告は、同日午後六時には、夕食のみそ汁を摂取し、腹部膨満感が続いていると看護婦に話した(乙1)。
原告は、同日午後八時、腹満感が強くなってきたようだと話し、同日午後一〇時三〇分には腹部膨満感が強度になり、吐き気と頭痛があると訴えた。C医師は、原告の腹満感が顕著であり、悪心、嘔吐が認められ、かなり苦痛を訴えていたため、苦痛を緩和する目的で、同日午後一一時から一一時四〇分までの間、原告に腹腔穿刺を行い、腹水一五〇〇ミリリットルを除去するとともに、循環血液量を保つ目的で一〇〇〇ミリリットルの輸液をした。腹水穿刺後の原告の血液検査の結果は、ヘマトクリット値が45.1パーセントであった。原告は、腹水穿刺後に嘔吐があった他、起きあがると同時に強い頭痛があり、しばらく動けなかったが、翌八日の午前〇時三〇分には入眠した(乙1、証人C)。
(16) 原告は、翌八日午前三時、左片麻痺を発症し、検査の結果、両側内頚動脈の閉塞が確認され、同月九日には脳浮腫の状態が進み、早急に手術をする必要があるとの医師の判断から、同日、開頭手術が行われた(乙1)。
(17) 原告は、体外受精によって双胎を妊娠していたが、同年八月五日に,大学病院で中絶手術が行われた。原告は、同年九月一日、大学病院の脳神経外科で頭蓋形成手術及び硬膜下血腫除去手術を受け、同月二一日に秋田県立Jセンターに転院したが、脳梗塞による左上肢の機能全廃及び左下肢機能の軽度障害により、身体障害者等級二級の障害が残った(甲40、乙1)。
(18) 大学病院は、本件事故後の同年九月から、以下の内容を含むOHSSの予防指針を立て、その結果、OHSSの発症率を低下させることができた(甲18)。
ア 採卵数の適正化
初回治療で若年の場合、HMGの量を一五〇IUから始める。
イ HCG刺激による増悪の回避
(ア) 卵胞数が多い場合は早めにHCGに切り換える。
(イ) 刺激による反応が強すぎる場合はキャンセルする。
(ウ) 全受精卵を凍結することによって、刺激周期での妊娠による増悪を回避する。
(19) 本件事故と同じ平成四年の日本産科婦人科学会雑誌は、「治療に際しての副作用ないし事故としては、卵巣過剰刺激症候群一八七例のほか、出血、感染などの少数例が報告されているが、いずれも重篤なものではなかった」と報告していた(乙6)。
他方で、OHSSの重症化により血液の濃縮が起こり、凝固亢進や血栓形成のおそれがあることを指摘する論文もあり、また、本件事故前にも、国内の医療機関や大学において、排卵誘発剤を使用した体外受精施行中にOHSSに脳梗塞等を合併した事例がいくつか報告されていた。B医師も、平成四年当時、OHSSに血栓症又は塞栓症を合併した海外の報告二、三例を英語の文献で読んで知っていたほか、国内の事例一例を知っていた(甲10、11、29、41、42、46、証人B)。
2 争点1(血栓症又は塞栓症を発症した原因はOHSSか。)について
前記1に認定した事実に鑑定の結果を総合すれば、原告は、排卵誘発剤を使用した体外受精によってOHSSを発症し、これが重症化して腹水貯留を来たした結果、血液濃縮が進んで血液凝固系が亢進し、同時に血管内脱水も著明となり、血栓症又は塞栓症を発症したと認めるのが相当である。
この点、被告は、原告が血栓症又は塞栓症を発症したのは、原告の過凝固状態に何らかの先天的または後天的素因が関与したものであると主張するが、本件全証拠によっても、原告に何らかの素因があったとは認められず、鑑定の結果に鑑みれば、仮にそのような素因があったとしても、OHSSと血栓症又は塞栓症の発症との間の相当因果関係が否定されることはないというべきである。
3 争点2(大学病院の医師らが、原告を妊娠させる手段として排卵誘発剤による体外受精を選択したことに過失があるか)について
一般に、不妊治療は、患者を妊娠・出産させる目的で行われるものである以上、妊娠率を向上させることが重要となるが、他方で、不妊治療は日常生活を送るのに支障のない者に対して行われる医療行為であるため、患者の負担をなるべく少なくすることも求められるものである。
本件においては、精子の提供者であるEは閉塞性無精子症であり、その精子を回収するためには精巣上体を切開・穿刺する必要があって、そのための手術的侵襲が小さくなく、Eの負担が大きいことに照らせば、一回の不妊治療における妊娠率の向上が特に求められていたということができる。そして、証人Bによれば、精巣上体の精子は機能が低下している可能性もあるため、人工授精という治療方法では妊娠の確率が低く、原告を妊娠させるという不妊治療の目的を達成できない確率が高かったと認められる。また、原告の排卵機能が正常であっても、自然周期によっていたのでは受精卵は一個しか得られないところ、前記事情から、Eの精子を回収できる機会は自ずと限定されてしまうことからすれば、多くの受精卵を得て原告の妊娠率を向上させるため、排卵誘発剤を使用して複数の卵胞を育てる必要性も認めることができる。したがって、本件においては、人工授精も排卵誘発剤を使用しない体外受精も適切な方法とはいえない。
なお、排卵誘発剤を使用する体外受精では、OHSSという副作用を発症する危険性が高いことは原告の主張するとおりであるが、証拠(甲4、5、鑑定の結果)によれば、OHSSは排卵誘発剤を使用した体外受精に内在する医原性の疾患であり、軽症や中等症であれば安静により軽快することが認められるから、OHSSを発症するという理由だけで排卵誘発剤を使用する体外受精を選択しえないものではない。
以上のとおり、原告を妊娠させる手段として、大学病院の医師らが人工授精又は排卵誘発剤を使用しない体外受精を選択しなければならなかったということはできず、排卵誘発剤による体外受精を選択したことに過失があったとはいえない。
4 争点3(排卵誘発剤を使用した体外受精を受けることを決定するに際して、大学病院の医師らに説明義務違反があったか)について
(1) 一般に、医師は、患者に対して医的侵襲を伴う治療行為をしようとする場合、患者の病状や実施予定の治療行為の内容、予想される成果と付随する危険性、当該治療を実施しなかった場合の予後について事前に十分に説明し、その承諾を得なければならない。中でも不妊治療は、通常の病気や怪我に対する治療行為とは異なり、日常生活を送るのに格別の支障のない患者に対して行われるもので、直ちに行うべき緊急性に乏しく、また、生命や健康の維持促進のための治療行為ではなく、妊娠・出産という一定の結果の発生を目的として行われるものである。しかも、不妊治療を受けようとする患者は、不妊治療の意図した結果である妊娠・出産に意識の重点があることが多く、不妊治療が成功しなかった場合に子供が持てないという以上に重大な結果を生ずるおそれがあることについて全く認識していないのが通常であるから、不妊治療を行おうとする医師は、患者が不妊治療を受けるべきかどうかを自らの意思で決定できるようにするため、妊娠・出産が期待できる適切な不妊治療の方法や当該不妊治療を行った場合の危険性等について特に十分に患者に説明する義務があるというべきである。
(2) 以上を前提として、本件における大学病院の医師らの説明義務違反の有無について検討する。
まず、人工授精や自然周期を利用した体外受精については、原告を妊娠させるための治療方法として適切でないことは前記3で認定したとおりであるから、大学病院の医師らにはこれらの不適切な治療方法については原告に説明する義務はなかったというべきである。
OHSSについては、平成四年当時でも排卵誘発剤の副作用として既に知られていたから、排卵誘発剤を使用した体外受精を受けるかどうかの意思決定をする前提として、OHSSを発症する可能性や発症した場合の症状について事前に説明する義務があったというべきであるが、本件では、前記1(7)のとおり、C医師が、腹水が貯まって苦しくなることがあると説明しており、OHSS自体が軽症や中等症であれば基本的には安静により軽快する病気であることからすれば、OHSSの一般的症例自体の説明としてはこの程度でも説明として不十分とはいえず、説明義務違反とまではいえない。
しかしながら、OHSSが重篤化した場合に血栓症又は塞栓症を合併する可能性については前記1のとおり説明がされていないが、証拠(甲29、41、証人B、証人F)によれば、OHSSから血液濃縮が起こることは一般的に認識されていたこと、また血液濃縮が亢進した場合には血栓症又は塞栓症を発症する可能性があるというようないわば抽象的なレベルでの認識は一般化していたということが認められる上に、前記1(19)のとおり、平成四年当時においても、OHSSの重症化により血液の濃縮が起こり、凝固亢進や血栓形成のおそれがあることを指摘する論文が存在し、かつ、B医師自身もその症例を知っていたというのであるから、現実にOHSSの重篤化によって血栓症又は塞栓症を発症する事例が少数にとどまっていたとしても、血栓症又は塞栓症を発症した場合には、重篤な後遺症や死亡といった極めて重大な結果を生ずるおそれがあることに鑑みれば、原告において排卵誘発剤を使用する体外受精を行うかどうか自らの意思で決定できるようにするため、かかる体外受精を行った場合の血栓症又は塞栓症発症の可能性や、血栓症又は塞栓症を発症した場合の症状についてひととおりの説明をする必要があったというべきである。なお、鑑定の結果では、平成四年当時、排卵誘発剤を使用している患者の血栓症又は塞栓症発症の危険性はほとんど認識されていなかったとされているが、証人Fによれば、前記のとおり、平成四年当時においても、OHSSから血液濃縮が起こること、血液濃縮が亢進すれば血栓症又は塞栓症を発症する可能性があることが一般的に認識されていたというのであるから、これは、OHSSが重症化して血栓症又は塞栓症を発症する事例が少数しか報告されていなかったため、OHSSを発症した場合の治療過程において血栓症又は塞栓症の発症を具体的に想定してOHSSに対処するということはほとんどなかったという趣旨と理解すべきである。
この点、被告は、これから体外受精を受けようという患者に極めて発症率の低い合併症の可能性を説明して恐怖をあおり立てることは、患者を混乱させるだけで不適切であるから、そもそもOHSSから血栓症又は塞栓症が起こりうることを説明する義務はないと主張するが、不妊治療の前記特質に加え、本件では、原告夫婦の不妊の原因は原告になく、原告は全くの健康体であったことも考慮すれば、確率が低いとはいえ原告が発症する可能性のある合併症についても、説明義務の対象に含まれるというべきであるから、被告の前記主張は採用しない。
(3) よって、大学病院の医師らには説明義務違反があったというべきであり、被告は、原告に対し、後記損害を賠償すべきである。
5 争点4(大学病院の医師らが、排卵誘発剤投与に際し、卵巣の過剰刺激による副作用を防止する注意義務に違反したか否か)について
一般に、排卵誘発剤は、妊娠率の向上のため、過剰な排卵刺激を目的として、排卵障害のない患者に対しても投与されるものであるから、各患者の卵巣反応性や基礎疾患によっては排卵誘発剤の刺激が過剰になることもあることは避けられないところ、証拠(甲4、9、46、47、鑑定の結果)によれば、OHSSの発症機序は完全には解明されておらず、排卵誘発剤を使用した体外受精を行う場合にその発症自体を完全に予防することは不可能ないし困難であること、他方で軽症または中等症のOHSSは安静により軽快するのが大半であることが認められることに照らせば、軽症又は中等症のOHSSの発症自体を予防する注意義務はないというべきであるが、重篤なOHSSの発症が事前に明確に予測される場合には不妊治療を中止するなどして、重症のOHSSを発症させることを予防し、又は、その予測自体を怠らないように注意し、若しくは、不適切な排卵誘発剤の使用等により重症のOHSSを招来させることを防止すべき注意義務はあるということができる。
そこで、大学病院の医師らが、かかる注意義務に違反したか否かにつき、以下検討することとする。
(1) HMGの投与量について
証拠(甲4、乙4の2、鑑定の結果)によれば、HMGの投与量とOHSSの重症度あるいは反応の数との間に相関関係はなく、投与量よりも患者の排卵誘発剤に対する感受性が重要な要素であることが認められ、このことからすると、本件において原告が重篤なOHSSに発展した原因が、原告に対するHMGの投与量が不適切だったことにあると断定することはできない。
また、複数の卵胞を排卵させて受精卵を多く得るという体外受精における排卵誘発剤の使用目的に照らせば、単一卵胞の排卵を目的とする無排卵症の患者に対する場合と比べてその投与量が多くなることは首肯しうるものである上、証拠(甲43、44、乙18、19、鑑定の結果)によれば、GNRHAを併用する場合にはHMG単独療法の場合と比べてHMGの量が増えるとされているから、大学病院の医師らがHMG二二五IUを連日原告に投与したことが、重篤なOHSSの発症を予防する注意義務に違反するものであったということはできない。
(2) HCG投与時のエストロゲン値の測定について
証拠(甲45)によれば、高エストロゲン血症がOHSSを起こすとは限らず、低エストロゲン血症でもOHSSを発症することがあることが認められ、また、証拠(乙14の2)によれば、遅発型のOHSSは、妊娠早期の血中HCGの上昇によって発症するため、エストロゲン値によるOHSSの発症予測は不可能であることが認められることからすると、エストロゲン値の測定によって、重篤なOHSSを発症するかどうかを確実に予測できるものではないということができるから、大学病院がHCG投与時にエストロゲン値を測定しなかったことをもって前記注意義務に違反するものということはできない。
(3) HCG投与の中止について
証拠(甲4、乙4の2、鑑定の結果)によれば、OHSSの発症を決定する要因としては、卵胞数の総数よりも卵胞の発育状況や各患者の卵巣の感受性が重要とされていることが認められ、HCG投与時の原告の超音波断層所見では、重篤なOHSS発症を予測させる症状があったことを裏付ける証拠はないことからすれば、原告の採卵数が二七個と多数であったからといって、HCGの投与を中止すべきであったということはできず、したがって、HCGの投与は前記注意義務に違反するということはできない。
(4) 受精卵の凍結保存方法について
証拠(甲56、証人B)によれば、大学病院は、平成四年当時、既に受精卵の凍結保存の技術があったものの、当該技術は、余剰卵の保存のために用いられていたものであって、当時はOHSSの予防法として全受精卵を凍結保存することは一般化していなかったことが認められ、また、証拠(鑑定の結果)によれば、現在でもこれが一般的な予防法として確立しているわけではないことが認められること、更に、原告に受精卵を胚移植する段階で、重篤なOHSSの発症を予想させるような症状があったことを認めるに足りる証拠はないことからすれば、大学病院の医師らが受精卵を凍結保存せずに原告に胚移植したことが、前記注意義務に違反するものということはできない。
(5) HMGの投与をH総合病院に依頼したことについて
大学病院の医師らは、遠方に住む原告の負担を軽減するため、超音波断層診断の必要がなくHMGを注射するだけの日に限って、注射をH総合病院に依頼したものであって、卵胞が成熟してくるHMG投与五日目以降は超音波断層診断を行い、卵胞の発育状況を観察してHCGへの切替時期を見極めているから、HMGの注射をH総合病院に依頼したことに格別の落ち度は認められない。したがって、前記注意義務違反は認められない。
(6) なお、本件事故後に大学病院が作成した前記予防指針により、OHSSの発症率が低下したことは前記1に認定したとおりであるが、だからといって、本件事故前にかかる予防指針を作成していなかったことが前記注意義務に違反するものでもない。
6 争点5(大学病院の医師らがOHSSの重症化予防注意義務に違反したか否か)について
証拠(鑑定の結果)によれば、OHSSは軽症や中等症であれば安静によって自然軽快する疾患であることが認められるところ、OHSSを発症した場合にはそれが重症化しないよう適切な対策を講じることが重要になると解されるから、大学病院の医師らには、軽症又は中等症のOHSSが重症化するのを予防する注意義務があったということができる。
証拠(鑑定の結果)によれば、本件において、平成四年七月二日の時点での原告のOHSSの症状は、重症度分類のうち中等症であったと認められるが、証拠(甲4、乙37、鑑定の結果)によれば、中等症のOHSSの場合、血液濃縮等の重症化の傾向がなければ原則として入院加療は不要とされていることが認められ、前記1(12)のとおり、同日における原告のヘマトクリット値は40.1パーセントと正常域にあり、血液濃縮は進んでいなかったといえ、また、この日に原告から腹痛や悪心嘔吐といった症状の訴えがあったことを認めるに足りる証拠もないから、C医師が、安静を保ち水分を多く取るよう注意して原告を帰宅させたことに注意義務違反は認められない。
なお、原告が大学病院まで車で片道三時間かかる鹿角市に居住しており、大学病院の医師による厳重な外来管理が困難であったことからすれば、この時点で大事を取って大学病院に入院させた方が望ましかったことは否定できないが、この時点では血液濃縮は進んでおらず、補液によって血液を希釈する等の治療が直ちに必要とされていたわけではなかったことからすると、注意義務違反とまではいえない。
7 争点6(大学病院の医師らが脳血栓症発症予防注意義務に違反したか否か)について
前記4(2)のとおり、OHSSによる腹水貯留が原因で血液濃縮が起こり、血液濃縮が亢進すれば血栓症又は塞栓症発症の原因となるという抽象的レベルでの危険性は、平成四年当時も一般に認識されていたものであるが、OHSSの合併症としての血栓症又は塞栓症を現実に発症した事例は少数にとどまっていたことからすれば、大学病院の医師らが、原告の脳血栓症の発症を予防する注意義務に違反したというためには、血液凝固から血栓症又は塞栓症を発症する可能性があるという抽象的な認識を有していただけでは足りず、原告の症状から血栓症又は塞栓症の発症を具体的に予測して防止できたことが必要であると解される。
証拠(証人F)によれば、OHSSの合併症としての血栓症又は塞栓症は、OHSSの重症化による血液濃縮や凝固系の異常によって血栓を生じるものであるところ、ヘマトクリット値は、循環血液量の減少を最も反映する数値であり、簡易に測定することが可能であることが認められるから、ヘマトクリット値は、産婦人科の医師からみても血栓症又は塞栓症を発症するおそれがないかどうかを予測する指標として重要であると認められる。PIC・TAT検査については、凝固系及び線溶系の最も鋭敏な分子マーカーであるとしても、平成四年当時、OHSSから血栓症又は塞栓症を発症する事例が少数にとどまっていたことからすると、OHSS患者の血栓症又は塞栓症の発症予測のため実施すべきであったとまでいうことはできない。
本件において、大学病院の医師らは、前記1のとおり原告のヘマトクリット値を調べていたところ、原告が平成四年七月二日に外来受診した時点でのヘマトクリット値は40.1パーセントであり、血液濃縮は進んでいなかったと認められる。原告が翌三日から五日までを自宅で過ごした後の同月六日には、ヘマトクリット値が48.1パーセントとなり、前回よりも上昇して正常域を超え、血液濃縮が進んだことを示しているから、この時点では入院して安静や補液等が必要になったということができる。そして、原告が同日入院して補液を受け、安静にした結果、その翌日である同月七日には、ヘマトクリット値は46.9パーセントに低下し、同日午後四時には四四パーセントとさらに低下して、腹腔穿刺後の同日午後一一時四〇分にも45.1パーセントと若干上昇しただけであったから、原告のヘマトクリット値をみる限りにおいては、大学病院に入院後の安静や補液等によって原告の血液濃縮状態は改善傾向にあったということができる。
また、平成四年七月六日に行った血液凝固検査では、比較的鋭敏な線溶系のマーカーであるFDP―Dダイマー、プラスミン・インヒビター及びキニン系のマーカーであるプレカリクレインに異常が見られたが(乙1)、これらの軽度の線溶系の活性化所見は、OHSSの病態を考えればむしろ当然であり、一般的にみてこの所見だけをもって生命予後に影響を及ぼす血栓形成が存在したと判断することはできないものと言わざるを得ない。
さらに、原告の具体的な症状としても、前記1のとおり、OHSSが重症化した同月六日には嘔吐を繰り返し、腹満感もあったが、翌七日には腹満感はあるものの吐き気は緩和の傾向にあり、落ち着きを取り戻しつつあったものであり、同日午後八時以降、腹満感が強まってかなり苦痛があったものの、これもOHSSの症状である腹水貯留によるものとして理解可能な範囲のものであったといえる。
以上によれば、大学病院の医師らが原告の血栓症又は塞栓症の発症を具体的に予測することは不可能であったといわざるを得ず、原告の血栓症又は塞栓症の発症を予防する注意義務に違反したということはできない。
なお、C医師が行った腹水穿刺については、証拠(甲9)によれば、穿刺直後から速やかにサードスペースへの水分移動が起こって循環血液量の減少等に繋がることを十分考慮する必要があることが認められるため、一度に多量の腹水を除去することは避けるべきといえるが、証拠(甲9、乙9、10)によれば、最大腹水吸引量は、血液循環動態を考慮して二〇〇〇ないし四〇〇〇ミリリットルとされていることからすれば、本件においてC医師が除去した原告の腹水の量は適量の範囲内であったということができる。しかも、C医師は併せて一〇〇〇ミリリットルの輸液を行って血液を希釈するとともに、腹水穿刺後にヘマトクリット値を確認して血液濃縮が進んでいないことも確認しているから、腹水穿刺を行ったことに誤りがあったとはいえない。
ただし、原告が腹水穿刺後に強い頭痛によりしばらく動けなかったことは、振り返ってみれば血栓症又は塞栓症発症の前兆であったとも考えられなくはないが、腹水穿刺が適切に行われたことは前記認定のとおりであり、ヘマトクリット値もほとんど上昇しておらず、原告もその後入眠したことからすれば、原告の血栓症又は塞栓症の発症は、不可抗力というべき事態であって、この時点で大学病院の医師らが血栓症又は塞栓症発症を具体的に予測して防止することは不可能であったというべきである。
この点、原告は、平成四年七月五日に頭痛、吐き気、左上肢麻痺の症状が現れ、同月六日に大学病院で診察を受けた際にも、左下肢の麻痺等の症状が現れていたと主張するが、診療録(乙1)には、原告が同月四日から胃部不快感があったと訴えていたことは記載されているものの、同月五日に左上肢の麻痺があったとの訴えについては記載がなく、同月六日に大学病院でB医師の診察を受けたときや、その後入院してからも、麻痺の症状については何ら記載がなく、その他、同月五日や六日の時点で既に原告の左上肢や左下肢に麻痺の症状が現れていたことを認めるに足りる証拠はない。また、Eは、同月七日午前に原告に激しい頭痛があったと証言しているが、診療録にはその旨の記載はなく、その他、これを認めるに足りる証拠もない。よって、同月五日ないし七日の時点では、MRI等の検査を行ったり、抗凝固剤や血栓溶解剤を投与すべき症状は原告にはなかったというべきである。なお、原告に麻痺等の前駆症状がなかったことからすれば、原告が発症したのは脳塞栓症であった可能性が高いものの、仮に脳血栓症であったとしても、前駆症状がなかった以上、大学病院の医師らに脳血栓症発症予防注意義務違反はないというべきである。
8 争点7(原告が被った損害額)について
前記4のとおり、大学病院の医師らには、OHSSの合併症としての血栓症又は塞栓症につき説明義務違反が認められるから、これによって被告が賠償すべき損害の範囲について検討するに、平成四年当時、OHSSの重篤化によって血栓症又は塞栓症を発症した事例として報告されていたものは少数に止まっていたのに対して、体外受精に成功して妊娠に至る確率は二〇ないし三〇パーセント程度あったというのであるから、仮にOHSSの重篤化によって血栓症又は塞栓症を発症すれば重大な結果を生ずる可能性があること等についてひととおりの説明を受けたとしても、長年不妊に悩み、子供を持つことを切望していた原告夫婦としては、OHSSから血栓症又は塞栓症を発症する率と体外受精によって妊娠する確率を比較考量した上で、体外受精を行うことを選択した可能性は小さくないとも考えられ、被告が説明義務を尽くしたなら血栓症又は塞栓症発症による後遺症を免れ得たかどうかは必ずしも明らかではないものといわざるを得ない。したがって、血栓症又は塞栓症についての説明義務違反と原告に生じた後遺症等の結果との間に相当因果関係があるということはできないから、原告に生じた全損害について被告が責任を負うものではない。
しかしながら、原告としては、大学病院の医師らが、体外受精を行った場合に予想される危険等につき十分な説明を行わなかった結果、体外受精の危険性や予後の状態を十分把握して今後の人生のあり方を決定する機会を奪われたことになり、この点については精神的苦痛を受けたものといえるから、この精神的苦痛と大学病院の医師らの説明義務違反とは相当因果関係にあるというべきである。そして、原告は、被告の説明義務違反により、いったんはあきらめていた妊娠・出産に対する期待を抱いて体外受精に臨んだ結果、体外受精前の全くの健康体から日常生活に重大な制約を余儀なくされるような体となってしまったものであること、その他本件に現れた一切の事情を考慮すれば、原告の被ったかかる精神的苦痛を慰謝するのに相当な損害賠償金の額としては、三〇〇万円が相当である。
また、原告が、本件訴訟の提起、遂行を原告訴訟代理人らに委任したことは記録上明らかであり、本件事案の内容、審理期間及び認容額等の事情を考慮すると、被告の説明義務違反と相当因果関係のある弁護士費用は、三〇万円と認めるのが相当である。
よって、原告が被告に請求しうる損害額は、合計三三〇万円となる。
第4 結論<省略>