秋田地方裁判所 昭和40年(わ)142号 判決 1967年3月22日
被告人 貝塚金治郎 外八名
主文
一、被告人古川清、同田村新次郎、同小西周蔵を罰金一三万円に、被告人山形一郎、同内谷与太郎、同小野重雄、同佐藤勝太郎、同佐藤俊一を罰金一〇万円に、被告人員塚金治郎を罰金八万円に処する。
二、右罰金を完納することができないときは、金千円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置する。
三、被告人山形一郎、同小野重雄、同佐藤勝太郎、同佐藤俊一から各金四万円、被告人小西周蔵から金二万千五百円、被告人貝塚金治郎、同古川清、同田村新次郎、同内谷与太郎から各金二万円を追徴する。
四、被告人貝塚金治郎に対し、公職選挙法第二五二条第一項に定める選挙権及び被選挙権を有しない期間を四年に短縮する。
五、訴訟費用中、証人落合キノ、同渡辺忠吉、同竹内康平、同吉田耕也、同渡部万治郎、同戸松政吉に支給した分は被告人貝塚金治郎の、証人吉岡拓郎、同桜井豪、同菅原米蔵、同熊谷忠雄に支給した分は、被告人古川清の、証人佐々木順太郎、同相馬正治、同建部勲に支給した分は、被告人田村新次郎の、証人高橋善治に支給した分は、被告人小西周蔵の各負担とし、その余の訴訟費用は、証人相原英一に支給した分を除き、被告人全員の負担とする。
理由
(事実)
第一、被告人等の略歴と被告人貝塚金治郎、同古川清、同田村新次郎の職務権限
被告人貝塚金治郎は、昭和二三年、当時の大蔵省専売局(以下専売局と略称)秋田支局の職員となり、その後石巻出張所の監視課長等を経て、昭和三八年三月から日本専売公社(以下公社と略称)能代出張所長として、仙台地方局長の指揮監督の下に、同出張所所管のたばこ販売業務全般を掌理し、管内のたばこ小売人及びその団体であるたばこ販売協同組合に対する指導援助、たばこ小売人の指定及びその取消等に関する調査等の職務権限を有していたもの、
被告人古川清は、福島県立岩瀬農業学校卒業後大正一五年専売局須賀川出張所の職員となり、その後東根出張所長を経て、昭和三九年七月から公社秋田支局長として、仙台地方局長の指揮監督の下に、同支局所管のたばこ、塩販売業務全般を掌理し、部下職員を指揮監督すると共に、管内のたばこ小売人及びその団体であるたばこ販売協同組合に対する指導援助、たばこ小売人の指定及びその取消等に関する調査等の職務権限を有していたもの、
被告人田村新次郎は、岩手県立工業学校卒業後昭和二年専売局盛岡出張所の職員となり、その後盛岡工場裁刻課長等を経て、昭和三七年一〇月から公社花輪出張所長として、仙台地方局長の指揮監督の下に、同出張所所管のたばこ販売業務全般を掌理し、管内のたばこ小売人及びその団体であるたばこ販売協同組合に対する指導援助たばこ小売人の指定及びその取消等に関する調査等の職務権限を有していたもの、
被告人山形一郎は、明治学院高等商業部を卒業後、商事会社及び北支那開発株式会社の社員を経て、昭和二三年専売局青森支局の職員となり、その後田名部出張所長等を経て、昭和三五年四月から公社男鹿出張所長であつたもの、
被告人内谷与太郎は、山形県立長井中学校を卒業後、昭和六年専売局湯沢販売所の職員となり、その後青森支局勤務等を経て、昭和三五年一一月から公社本荘出張所長であつたもの、
被告人小野重雄は、岩手県立盛岡農業学校を卒業後、大正一五年専売局盛岡出張所の職員となり、その後大館出張所長を経て、昭和三七年一〇月から公社大曲出張所長であつたもの、
被告人小西周蔵は、秋田県立横手中学校を卒業ししばらく家業の手伝いをした後、昭和九年専売局横手販売所の職員となり、その後五所川原出張所長を経て、昭和三六年一〇月から公社横手出張所長であるもの、
被告人佐藤勝太郎は、昭和七年専売局寒河江販売所の職員となり、途中兵役に服したが、その後千厩支局耕作課長を経て、昭和三九年八月から公社増田出張所長であつたもの、
被告人佐藤俊一は、青森県立商業学校を卒業後、昭和六年専売局五所川原販売所の職員となり、その後同出張所長を経て昭和三七年一〇月から大館出張所長であつたものである。
第二、被告人等が小林章の選挙運動に関与するに到つた経緯
被告人等の中には、すでに、日本専売新聞等の業界紙等により、次期参議院議員選挙(昭和四〇年七月四日施行)に、当時の公社総務理事小林章が出馬するかもしれないとの知識を得ていたものもあつたが、被告人古川清、同佐藤勝太郎を除くその余の被告人等は昭和三九年五月一五日頃公社秋田支局において開催された秋田県下支所長会議の席上、同会議に出席した仙台地方局長(以下役職名は全て当時のもの)山口方夫、販売部長代理伊藤博、総務部秘書役佐藤圭一郎等地方局幹部から、次期参議院議員選挙に、たばこ業界の代表たる現議員上林忠次は病気のため立候補できなくなつた、そのかわり総務理事の小林章が立候補する予定である、しかし、たばこ耕作関係者は、たばこ耕作組合中央会長河合沖を推しているため苦戦が予想される、小林章は公社が組織をあげて応援するということで決意を固めたようだ、従つて、あらゆる機会を利用して小林章の名前の浸透を計つて貰いたい、近く小林章の写真と経歴の入つたパンフレツトを送るから小売人研修座談会等の席上等で効果的に配布して貰いたい、また、外郭団体の総会等には小林章名の祝電を送るから日時場所等を連絡して貰いたい等の説示を受け、仙台地方局幹部が組織を総げて小林章のため選挙運動を行う意思があり、かつ、各支所長に協力方を求めていることを知つたが、これに異論を唱えたものはなかつた。次いで、被告人佐藤勝太郎を除くその余の被告人は、同年七月二三日頃秋田市保戸野所在泰山荘において開催された秋田県下交所長会議の席上、同会議に出席した地方局長山口方夫、販売部長松原緑、総務部秘書役佐藤圭一郎等地方局幹部より、管内をまわつてみると小林章が立候補するようになつていることは余り徹底していないようである、中央では、河合沖との間で、立候補の調整をしているが難航している模様である、小林章は東北にゆかりのある人であり、専売事業の発展につながるから同人を是非当選させるように協力されたい、仙台地方局では選挙対策委員会を作つたから各支所においても組織を作つて系統的に運動を盛りあげて貰いたい、差し当り公社職員一人当り一〇票、たばこ、塩小売人一軒当り三票ないし五票を獲得できるように努力されたい、各支所に対してはハイライトの本数を以て得票数を割当てる、得票見込や選挙運動の経過について地方局へ報告されたい等前回よりより強くかつ具体的な指示を受けた。被告人古川清は、同年五月一二日頃及び同年六月一八日頃山形市諏訪町所在公社山形工場会議所において開催された山形県下支所長会議に東根出張所長として出席し、地方局長山口方夫等仙台地方局幹部からほぼ同趣旨の指示を受けた。更に、被告人等は、同年一一月二七日頃仙台市所在の安田信託銀行会議室において開催された仙台地方局管内の全体支所長会議の席上、地方局長山口方夫等同地方局幹部より小林章のためなお一層の尽力方を要請されたほか、各支所から販売、生産関係の組合員の主だつた者に対し、小林章の名前で年賀状を出して貰いたい等の依頼をうけた。かくして、被告人等は、これら会議における地方局幹部の指示や文書、電話等による連絡事項を上司からの命令と受けとり、被告人小野重雄、同佐藤勝太郎を除くその余の被告人は、被告人毎に運動の種類、内容、積極性の程度等に差異があつた、小林章が昭和三一年に一年間仙台地方局長として直近の上司であつたこともあり、自らの利益代表として当選させたい気持も手伝い、これらの指示に基づいて、選挙運動を行つた。
第三、罪となる事実
一、被告人貝塚金治郎、同古川清及び同田村新次郎は、いずれも前述の如く昭和四〇年七月四日施行の参議院議員通常選挙に際し、全国区から立候補した小林章が既に立候補の意思のあることを知り、同人に当選を得しめる目的をもつて、未だ立候補届出がないのに、
(一) 被告人貝塚金治郎は、昭和三九年七月九日頃、能代市檜山字小間木五二番地所在の多宝院において開催された檜山、鶴形、東能代地区たばこ小売人研修座談会の席上、同被告人の前記職務権限の影響下にあり、かつ右選挙の選挙人である同地区のたばこ小売人戸松政吉ら約一一名に対し、自己の前記職務上の地位を利用し、「現在日本専売公社の理事をしている小林章さんは、来年の参議院選挙に立候補する予定で、たばこ販売の歩率引上に尽力してくれた方だから、選挙の際はよろしく頼む。」旨申し向けて右小林章のため投票ならびに投票取りまとめ方を依頼し、
(二) 被告人古川清は、同年八月一〇日頃、秋田市長野下新町二六番地所在の公社秋田支局において開催された月例同支局課長会議の席上、同被告人の前記職務権限の影響下にある同支局経理課長吉岡拓郎、販売課長河田俊夫、生産課長菅原米蔵、塩業課長熊谷忠雄、監視課長桜井豪等課長五名に対し、自己の前記職務上の地位を利用し、「秋田でも仙台地方局にならつて、小林章の選挙本部を設置したい。秋田支局には一万二千票の割当である。そのつもりで各課長が小林のためにこの目標を確保するよう頑張つて貰いたい。」旨申し向けて右小林章のため投票取りまとめ方を依頼し、
(三) 被告人田村新次郎は、昭和四〇年三月二五日頃、鹿角郡花輪町字上中島二三番地ノ一所在の公社花輪出張所において、同被告人の前記職務権限の影響下にある花輪たばこ販売協同組合理事長佐々木順太郎及び同組合専務理事相馬正治の両名に対し、自己の前記職務上の地位を利用し、「貴方がたの組合でも小林さんのことについて一生懸命やつているでしようが、公社の方でも相当力を入れて応援している。しかし、我々は公社員なので、表面上選挙運動はできないから、貴方等の組合の総会等で小林さんのことを組合員に一言話して貰いたい。四月二四日頃湯瀬ホテルで組合総会、五月一八日頃茅茹荘で組合婦人部座談会を開いてよろしく頼む。」旨申し向けて右小林章のため投票取りまとめ方を依頼し、
もつて公社職員の地位を利用して立候補届出前の選挙運動をし、
二(一)、被告人古川清、同田村新次郎、同山形一郎、同内谷与太郎、同小野重雄、同小西周蔵、同佐藤勝太郎及び同佐藤俊一は、昭和三九年一一月一七日(被告人古川清につき)若しくは一八日(被告人山形一郎、同内谷与太郎、同小野重雄、同佐藤勝太郎、同佐藤俊一につき)又は一九日(被告人田村新次郎、同小西周蔵につき)頃、いずれも自己の勤務する支局又は出張所において同月一七日前記秋田支局会議所において開催された秋田県下販売課係長会議に出席した秋田支局販売課長河田俊夫、花輪出張所販売係長建部勲、男鹿出張所販売係長伊藤武夫、本荘出張所販売係長成田進、大曲出張所販売課長小林研司、横手出張所販売係長酒井実、増田出張所販売課長岩本秀宥又は大館出張所販売課長金沢清水を各介し、前記小林章の選挙運動者である販売部長松原緑等から、右小林章のための選挙運動の報酬として供与されるものであることの情を知りながら、それぞれ現金二万円の供与を受け、
(二) 被告人貝塚金治郎、同古川清、同田村新次郎、同山形一郎、同内谷与太郎、同小野重雄、同小西周蔵、同佐藤勝太郎及び同佐藤俊一は、同年一二月一八日頃前記秋田支局会議所において前記小林章の選挙運動者である地方局長山口方夫等から、右小林章に当選を得しめる目的の下にその選挙運動を依頼され、その報酬として供与されるものであることの情を知りながら、それぞれ現金二万円の供与を受け、
三、被告人小西周蔵は、前述の如く、小林章が既に立候補の意思のあることを知り、同人に当選を得しめる目的をもつて、未だ立候補届出前である同年一一月一九日頃、横手市前郷字下松原二五番地の一所在の公社横手出張所において、同出張所経理係長五十嵐辰吾、同係員後藤吉治、販売係長酒井実、同係員佐々木四子雄、同高橋善治及び同小松賢之助等六名に対し、右小林章のため投票並びに投票取まとめ等の選挙運動を依頼し、その報酬としてそれぞれ現金千五百円を供与し、もつて、立候補届出前の選挙運動をし
たものである。
(証拠の標目)<省略>
(判示第三の二の各受供与罪についての弁護人の主張に対する判断)
第一、検察官調書の任意性並びに特信性
(一) 本件公判審理の結果、本件公訴事実中、金員受供与の訴因(以下、便宜昭和四〇年九月九日付起訴状公訴事実第二の一及び同年一〇月三〇日付起訴状公訴事実第一を一一月の件、前者の起訴状の公訴事実第二の二及び後者の起訴状の公訴事実第二を一二月の件と略記する)を証明しうべき直接の証拠は、当裁判所が取り調べた証人及び被告人等の検察官に対する供述調書以外には存しないことが判明したところ、弁護人は「これらの検察官に対する供述は、………すべて捜査官の強制誘導に基づき全く虚構の事実を述べたものであつて、到底信用し得ないものである」(弁論要旨その一の三二頁、以下、「弁論一-三二」の如く略記する)と主張し、その根拠を詳細に述べているので、以下、項を改めて
これに対する当裁判所の判断の要点を示すこととする。
(二) 本件でまず注目すべきことは、被告人古川清の昭和四〇年八月二三日付、同山形一郎の同月二七日付、同小西周蔵の同月二八日付の検察官鴻上正治に対する各調書並びに被告人貝塚金治郎の同年九月八日付検察官水上寛治に対する調書の存在である(検察官の「特信性に関する意見書」五項、以下、意見書五項の如く略記する)。右被告人等は、要するに、身体拘束に由来する肉体的精神的苦痛、その間における捜査官の脅迫的言辞、誘導等(古川清につき、弁論二-三五乃至五〇、山形一郎につき、弁論二-六三乃至六七、小西周蔵につき、弁論、二-七四乃至七九、貝塚金治郎につき弁論三-二七一乃至二八三参照)を理由に、身柄拘束中の自己の検察官調書の任意性、信用性を争つているにも拘らず、身柄釈放後一〇日乃至一四日を経過した後、本件二回の受供与事実を認め、或は、そのうち一二月の件を暗に認める供述をしているのである。
これらの調書(但し、貝塚金治郎のそれを除く)につき、弁護人は「本件捜査中被告人らを罰金で済ませてやるからと安心させ、その心の間隙に乗じて妥協的な供述を促し、或は従前の自白を再確認させた例が存する。」それらは「明らかに「約束」に基づく供述であり、信憑性は勿論任意性さえ疑わせるに充分である」(弁論、二-二八、二九)。「検察官は早期釈放を願つて釈放され自由の身となつた古川が再び虚偽の自白をする筈がない旨主張(論告要旨九〇頁、以下、論告九〇の如く略記する)されるが、それは右のような自白の原因を前のそれと混同し看過した結果であつて誤つている。所謂首になるかどうかの瀬戸際に立たされその裁断は検察官の心証如何にかかつておると考えた古川が俄かに迎合的な気持を抱いたとしても不自然でなく、むしろ斯様な心理状況下にある被疑者(当時)をその言動からそれと察知した検察官が、それまでは申し向けたこともないような同情的な言葉をかけて恰も軽い処分を考慮しておるが如く装つたとすれば、その結果なされた供述は信憑性のみか、任意性さえも失わせるに充分な事由になり得ると信ずる。右古川の供述調書はその意味で証拠となり得ないものである」(弁論二-四七、四八)と主張する(なお、弁論一-七、八、一一、二-二八、二九、弁護人平松勇の弁論要旨一一頁、以下、平松弁論一一の如く略記する)。ところで、まず、被告人古川清の右調書についてみるに、古川清の証言(第一四、第一八回)及び右各尋問調書(以下、被告人たる証人については全て尋問調書が当該被告人に対する関係で証拠として取調べられているので、尋問調書の引用は省略する)によると、右調書作成の際検察官から罰金で事済にするからと安心させられた事実は全く認められない。被告人山形一郎及び同小西周蔵の前記調査については、証人山形一郎(第一六、第一九回)、同小西周蔵(第二二回)の供述によると、検察官が両被告人の右調書を作成した日にはすでに罰金で事済にする旨の話が出ていたことが認められる。ところで、罰金で事済にすることと自白とが対価関係に立つている場合は勿論のこと罰金で事済にするという話が出たというだけでもその日又はそれ以後に自白調書を作成した場合には、罰金で事済にすることを度外視し得べき特段の事情のない限り検察官の意図如何にかかわらず弁護人のいう約束に基づく自供として、調書の任意性はないものといわなければならない。しかしながら本件においては、被告人古川清を含め右被告人両名につき、右の特段の事由が存在する。即ち、西村忠弘(第二九回)、田村新次郎(第二二回)、小野重雄(第三二回)及び前掲各被告人(なお、山形一郎(第二〇、第三二回)及び小西周蔵(第三二回))の証言又は供述によれば、右被告人三名は、被告人田村新次郎、同小野重雄と共に昭和四〇年八月一六日頃、仙台から来秋した製造部長西村忠弘に召集をかけられ、同部長から、少くとも、「どういう理由があろうともほんとうにもらつていないものならばもらつていないということを認めてもらう努力をしないであとは弁護士さんなんとかよろしくお願いします。あるいは言つてしまつたが公社が見殺しにするようなことはないだろうという気持は間違いですよ、自分の権利を自分で守るその上に弁護士もありそういう事情に同情しあるいは真相を知つていて援護してくれる同僚というものもあるんであつてまず自分は自分で守るということが基本なんだ、それがあなたがたの態度は公判段階に行つたらなんとかしようとか、とりあえず出るということが先でその辺をなんとかしようと思つているのは間違いなのではないか。特に捜査段階でしつかりあるべきことはあるということが問題で公判段階よりも捜査段階が重要なんですよ」「もしそういうことが全然ないものをあなたがたがあつたと言われてもこれは公社の体面をつぶしてその上にあなたがたの面倒を見るということはできないんですよ」「これからも残された手段はあるとぼくは思う。それで検事さんでも調べの段階で供述調書に結論は書かれているであろうけれども、その調べられた過程の心理、それでどういうやりとりがあつてどうなつたかということを知つておられるはずだ。そういうことに訴えてあなたがた勇気があるなら検事さんのところへ行きなさい。それから、もし紙に書いて出す方法もあるでしよう」「退職願を受理するということはあなたどうしてそう考えるか。今、ほんとうにないならばないということをはつきりさせなければならない時期じやないか。それを退職願を出してやめて逃避しようというのはおかしいではないか」等略々このような趣旨のことを言われたことが認められる。してみれば、被告人等は、地方局幹部の冷い態度に憤慨すると同時に、身柄拘束中にした自供の意義とそのもたらす効果を十二分に再認識したとみるのが相当である。このことは、古川清が証言の中で「実際もらつていないんだからやはりもらつていないことをわかつてもらうべきだというわけであのときは必死の気持であなたのところへ行つたんです」「自分がもらつたために、もらつたと言つたためにくれていない人にも迷惑かけることになるということで悶々としていたわけなんですが、そういう新聞やなんかを見てその日は思いきつて出かけたわけです」(以上第一四回)、西村部長といろいろ話合つたときに「自分の何と言いますか反省しまして、これは有りもしないことを自分がやつたために偉い迷惑をかけたということで非常に慚愧にたえない気持でいたわけです」(第一八回)と供述していることからも十分窺うことができる。従つて、右被告人三名は、前記供述当時自白を更に確認することの意味と重大性を十分に知つたうえで供述に応じたものとみるのが相当であり、本件においては、前記三通の調書の任意性並びに特信性は十分に認められるということができる。このことは、調書の内容に照らしても窺われるところであつて、被告人古川清の前記調書には、呼出しがないのに自白を撤回するために出頭した心境が詳しく述べられており、検察官に予備知識のなかつたと認められる西村製造部長の話の内容や、弁護人と接見したときの模様、猿芝居の話を経て、自白を再確認する心情がまことに自然に録取されており、被告人山形一郎の前記調書には、自白を撤回するために上申書を提出した経緯と心境が詳しく述べられており、その上申書を更に撤回し、自白を確認する心情がまことに自然に録取されており、被告人小西周蔵の前記調書には、現在でも自白を撤回する意思のないことが、これまた極めて自然に録取されているのである。次に、被告人貝塚金治郎に対する前記調書についてみるに、昭和四〇年九月八日の取調べ以前に本件を罰金で事済にしたいがどうかと言われていたことは、前記被告人山形一郎、小西周蔵の場合と同様であるが、被告人貝塚金治郎の場合にも、この事情を度外視しうべき特別の情況がありながら任意に供述したことが認められる。即ち、貝塚金治郎の証言(第三〇、第三一回)によると、同年八月二七、八日頃、来秋していた職員課長山口治から、被告人古川清、同山形一郎、同小西周蔵、同佐藤勝太郎等と共に、少くとも、「公社から出ていない金をあなたがたがもらつているじやないか、それはあくまでも真実を確かめてもらわなければならないものだからそれは自分の気持の上でも今後はつきりしてもらわなければ困るという」趣旨のことを言われたこと及び同月二四日頃略式命令による処分の承諾書に印はついたが、すでに翌二五日頃からこれに応じないつもりであつた事実が認められる。してみれば同被告人は、受供与事実を一つでも暗に認める供述をすること、或は、検察官に対する身柄拘束中の自白調書は「文句の言う事はありません」という供述をすることの意味と重大性を十分に知つた上で供述に応じたと認めることができる。同人は、前記証言において、右調書の記載のうち、とくに不利益な部分につき、供述したことはないと述べ、調書の読み聞けは受けたが記載してあるとおりには読まれなかつたように思うと弁明しているが、同被告人が右証言で述べているとおりに供述したとすれば、さきの如き認識を有しかつ二年六月余の監視課長の経歴を有する(後記(九)の(2) 参照)同被告人が正反対の趣旨の調書を読み聞けられて署名して来たということになり、到底理解することができないところである。同被告人は右証言において右取調べの際涙を流したことを認めているが、それは「副検事がもう停年近いんだと、その人をさしおいて私がここで調書を取るわけにはいかないんだと、これは直接そうは言いませんよ、遠まわしで三十分ぐらい話した間の中にそういうような感じを私は受け取つたわけです。それで涙をこぼして、そうですかと、わかりましたと、こう言つて私は感激の涙と言いますか、だからその感じとしては検事でもやつぱりこういうことあるんだなと、これはもうむり言つても水上検事は困るだろうというふうに私は感じとつて涙をこぼしたのを覚えています」と弁明しているが、検察官と一対一で話しをしている被疑者がこのような理由で涙をこぼすということが一体全体ありうるであろうか。更に、右供述調書には、受供与の事実を争わざるを得ない心境、上申書を提出しようとした経緯並びに自分の口からは貰つたとか貰わなかつたとかは言えない理由等が山口治の話及び上申書の雛形の入手経路を折りまぜてまことに自然に録取されている。以上の理由により、これら四通の調書は、任意性の点に問題がないばかりでなく、供述の時期及びその内容からして特に信用すべき状況の下で作成されたものということができ、従つてまた、これら四被告人の身柄拘束中の調書の任意性及び特信性を有力に担保しているということができる。
(三) 当裁判所で取調べた証人又は被告人の中に、公社職員である上司又は同僚に対して受供与の事実又は封筒の取り次ぎの事実を認め或はこれを明らかに否定しなかつた者があることが認められ、これ等の者の調書についての任意性及び特信性の判断に重要な間接証拠を提供している。即ち、第一に、西村忠弘(第二九回)、古川清(第一四、第一八回)、田村新次郎(第二二回)、山形一郎(第二〇回)、小野重雄(第二三回)、小西周蔵(第三二回)の各証言及び被告人古川清の前記検察官調書によると、前記(二)で認定した如く昭和四〇年八月一六日頃被告人五名が西村忠弘に召集された際、同人が本当に貰つたのかと念を押したのに対し、被告人小西周蔵と同田村新次郎は「貰つたと思うような気がする。」被告人山形一郎、同小野重雄、同古川清の三名ははつきりした記憶がないという返答をしたことが認められる(前掲証拠中、田村新次郎、小野重雄の各証言中右認定に反する部分は前記西村忠弘、古川清の各証言のみに照らしても措信できない)。古川清は、第一八回公判において、当時の心理状態につき、「もらつていないということですと第三者に対してはなんだか自分がみじめなような気がして変なところに見栄を張つたと言いますか、それで、はつきりしないというふうに言つたわけなんですが、つまり、中ではどういう事情があるにせよ、その時にはもらつたという印象はないんだけれどもその中ではもらつて来たと言つてしまつて来たんだと、そんなものですからこう引つかかりと言いますか、自分としても素直になれなかつたと言いますか、そんな気持があつたわけです」と弁明しているが、かかる時期、場所で、自己の上司に対し、かかる事柄につき、見栄を張つたり、素直になれない気持があつた等ということは到底理解できないところである。第二に、金沢清水(第一七回)の証言によると、昭和四〇年八月六日頃東大館駅で建部勲と会つた際「お前封筒もらつたのか」と聞いたら「うん」と答えたこと及び金沢清水はこれに対し、「おれあんたもらつたんだら仕方ないと、おれもらわないぞ」と言つたことが認められる。第三に、右証言及び伊藤博(第二五回及び期日外尋問調書)、厨川臣也(第二二回)の証言を綜合すると、同年一〇月二五日頃、伊藤博は、たまたま指定事務講習のため来局していた金沢清水、厨川臣也、伊藤武夫、建部勲を総務部長室に招き、これらの者に封筒を貰つたかと聞いたところ、金沢清水と厨川臣也が貰わないといつたのに対し、伊藤武夫と建部勲は受けとつたような気がすると述べ、更に何が入つていたかと問われたのに対し、伊藤武夫はわかりませんと答えたが、建部勲は黙して答えなかつたこと及びその際伊藤博は、同人等に対し「私は、一四日には出張していないんで、渡したはずないんだと、それから課長に渡したことはないんだ」という趣旨の話をしたことが認められる。第四に、伊藤博の右証言によると、菅原信助は、伊藤博から封筒を渡した筈はないんだがどういう記憶からそういうことを話したかと聞かれた際、「最初はどうももらつたような記憶がある」、そして、それを「渡辺正直と二人で渡したような気がする」と答えたことが認められる。このように精神的肉体的に完全に自由な情況下で自己の上司又は同僚に対してさえ右の如く事実を否定しなかつた被告人小西周蔵、同田村新次郎、同山形一郎、同小野重雄、同古川清及び菅原信助、建部勲、伊藤武夫が捜査官に対して最終的には事実を争わなかつたであろうことは容易に推認できるところであつて同人等の調書の任意性は極めて高いものとみるのが相当である。そして、前記(二)で認定したところの西村忠弘が被告人古川清等に申し向けた文言、金沢清水が建部勲に申し向けた前記文言及び伊藤博が金沢清水等に申し向けた前記文言は、その内容、時期、場所等に鑑み、同人等がいうように「ほんとうになかつたことならばないということをはつきりさせたかつた」(西村忠弘の場合)或は「私は自分の身の潔白を証明するためにしやべつたわけです」(伊藤博の場合)と理解することもできる反面事実を認めるような口吻をもらす者に対し、事実を否認して争えと慫慂したとの見方も可能であつて、調書の特信性を判断する一つの重要な情況証拠であると解される。そして、前掲各証拠によると右四つのいずれの場合にも他人の刑事責任を左右する虚偽の事実を述べてきた者から事情をきくという場合に想定される殺気立つた雰囲気というものは何等看取されないのであつて、このことは、後者の見方の方がどちらかといえば正しいのではないかと推認せしめる一つの手懸りを提供しているとみることができる。
(四) 被告人又は証人の中には、勾留尋問に際し裁判官に対して供与若しくは受供与又は封筒交付の事実を認めた者がおり、これまた、これ等被告人証人の調書についての任意性及び特信性について重要な手懸りを提供している(意見書五項)。即ち、裁判所書記官福士哲夫作成の勾留尋問調書によると、被告人山形一郎は、昭和四〇年八月六日裁判官菅原敏彦に対して、一二月の件の被疑事実を認め、裁判所書記官小西久已作成の勾留尋問調書によると、被告人小野重雄は、同月七日裁判官磯部喬に対して、右と同じ被疑事実を認め、裁判所書記官柴田嘗悦作成の勾留尋問調書によると被告人小西周蔵も、同月六日裁判官阿部季に対し、同じ被疑事実を認め、裁判所書記官布田俊夫作成の同年八月五日付陳述録取書によると、松原緑は、同日裁判官渡部修に対し一一月の件の被疑事実を認め、右布田俊夫作成の同年八月六日付陳述録取書によると、菅原信助は、同日右渡部修裁判官に対し、右の被疑事実につき封筒を渡した点だけは認めていることが認められる。弁護人はこの事実について「従前、事実を認めさせられて来た者が裁判官の面前で否認すれば、その直後再び捜査官の面前に連れ戻された際どういうことになるのか、被疑者の脳裡にひらめくものは取調べが益々苛酷化することを虞れるのみであつて、とても真実を述べるどころではないのである」(弁論、二-二四)と説明している(なお、弁論二-一四七乃至一四九、一三四参照)。しかしながら、後に更めて触れるこれ等被告人又は証人の年令、社会的地位、人生経験等(後記(七)及び第二の(一)参照)及び右勾留尋問が、松原緑を除き、身柄拘束後、二、三日のうちに行われていること等を考慮するとき、右の説明は、本件被告人又は証人については納得しうるものではない。勾留尋問の際は、被疑者の弁明をそのまま聞きとり、弁明に不自然な点があつても追求しないというのが実務の慣行であるところ、右被告人及び証人等が法廷で供述するが如く、自らの意思に反して自白させられたというのであれば、裁判官に弁解の機会を与えられた際、とにかく一応否認してみて様子を窺うということをしなかつたというのは理解に苦しむところである。そして、この事理は、何も裁判官に対する場合に限らないのであつて、藁にも縋りたい気持であつた筈の被告人及び証人等のうち、建部勲(第一三回証言参照)、岩本秀宥(第七回証言参照)、小林研司(第六回証言参照)、佐藤実(昭和四一年三月二五日期日外尋問調書、第九回証言参照)、菅原大三郎(同年四月一一日期日外尋問調書参照)、被告人貝塚金治郎(第三〇回証言参照)、同田村新次郎(第一四、第二一回証言参照)の如く、警察で自白した後は、検察官の面前で事実を争わなかつたというのもまことに不可解であるといわなければならない。従つて、これ等被告人及び証人の調書は、叙上の点からも、任意性及び特信性が高いということができる。
(五) 押収してある河田俊夫の一九六四年の日記帳(前同号の二)は、同人及びその他の証人並びに被告人等の調書の特信性を判定するのに重要な手懸りを提供している(意見書三項参照)。右日記帳には、消しゴム様のもので消去しようとした部分が多数あるが、右日記帳、吉田一美作成の鑑定書、同鑑定人(第三三回)、河田俊夫(第四、第三三回)の各証言、同人作成の判読書、同人の一九六五年の日記帳(同号の三、以下、いずれも同人の用字、書体の特徴についてのみ)、同人の手帳(同号の九)、同人のたばこ販売検討会と題するノート(同号の一二)、秋田支局検討会事績綴(同号の一三)を綜合すると、昭和三九年一二月一八日の秋田県下支所長会議における伊藤博の発言内容と読みとれる記載部分は、左のとおり判読することができる。
「伊藤代理の注意事項、
公社は今後一切支部責任者にながす
販売は専務とかにする
(四字不明)は各部毎とす
公社内に事務所のある処は自宅とする
連絡担当者宛とする
今迄は公社が行つて来たが今後は外かくが
行うべきだ
後援会の集合した印刷物は公社が一切集め
ないこと
以上のため多少時間がかかつても止むを得ない
局業者は従来の考とする
会合について
1 公社が行う会議 宴会(三字又は四字不明)差支いない
今後は公社がタツチしない 理事長とすること
公社側が不存とする
(但し所長課長は(三字位不明)こと)
2 座談会
3 組合総会
総会には公社側は出席しないこと
(二字不明)をもとめること
4 年末年始の宴会はさけるべきだ
5
今後の運動
1 外勤者は小売店に話しする際は一人対一人として
第三者が居らないときすること
2 専担も同上と同じ
集合指導
3 部内
関係書類は焼却
関係
第三者が居る時は話ししないこと
夫婦で話もしないこと
4
(二字不明)取調を受けた時は上司より命令され
たと言わないこと
4 外かく団体について
従前通りなるも組合運動が行わいと
思つたなら小野寺氏に連絡のこと
5 公社文書について
選挙関係は全部焼却のこと
関係書(一字不明)は全部連絡所え
6 選挙立会人について
7 (一字不明)販組合について
東北六県は小林氏一本となる
酒造組合関係
8 銀行関係(一字不明)銀 銀行相互銀行信用金庫
9 小林(二字位不明)餞別 強制しない 局長三、-、
職員五〇円以上 部長二、-、
一、- 円 (不明)一、五〇〇
五〇〇円 課長係長 三〇〇
一般 一〇〇
10 年末年始関係(配賦予算)
a 販売検討会経費について、 五〇千円
大口消費者の(三字位不明)
礼状の経費
以上含む、
一括買受者には
たばこ保存調査 既配布
但し 指導旅費に支出しても良い
ハガキの件不足の際は年度末にて調整する
連合会より三五〇千円流しておる
秋田一二、――
横手五 男鹿五 増田五 五城目五、――
以上は選挙に支出のこと
オリンピアスは公社報償金
以上の外(二字不明)外理事長え 二〇、〇〇〇円
県庁所在地
(強調月間)には五五〇千円 一等五〇千円」
弁護人は、「河田日記帳の記載内容は検察官主張の如く正確なもので」はない(弁論四-二二五)と主張するけれども、前掲各証拠によると、会議でメモをとる習慣のある河田俊夫が、他人に見せる意図なしに、この日も会議の席上で書いたものと認められ、正確性に疑いを入れる余地がないばかりでなく、これらの記載が消してあることと相俟つて証拠価値は極めて高いということができる。ところで、右一二月一八日の支所長会議に出席した被告人及び証人等は、公判において、異口同音に右会議では今後も選挙運動をやらないという自粛を徹底したのである旨供述しているが、これらの供述が、右日記帳の記載から窺われる伊藤博の話と矛盾することは明らかである(なお、山口方夫、木村冬夫の証言については後記(九)参照)。これに対し、被告人等及び山口方夫、木村冬夫の各調書には、略々右会議では今後は公社が表面にでないで裏面から選挙運動を推進することが話合われた旨の記載が存し、伊藤博の右説示とよく符合する。また、証人河田俊夫は、自ら右メモを作成し、かつこれを判読しておきながら、不利益な記載については、文言自体から明瞭に意味のわかるものであつても説明を回避しており、公判廷における供述は信用性に乏しい。そして、伊藤博が早くも昭和三九年一二月一八日の時点において取調べを予想し、出席者に対し取調べの際は上司から命令されたと言わないように訓戒していることは軽々に看過できないところである(後記(七)参照)。以上によれば、少くとも右支所長会議における地方局側の意向に関しては、公判における供述よりも調書の方が信用性が高いということができる。
(六) 証人佐藤実は、昭和四〇年三月二五日の公判期日外尋問において、昭和三九年一二月八日局長室で、山口方夫が選挙のことで支所長たちに骨を折つて貰つているので何か慰労の意味の金をやりたいと思うと話をし、その金額について一律にするかどうかの論議が自分との間でなされた旨を供述し、その後右証言を徹回したが、その内容と撤回の過程は、調書の特信性を判断するうえで重要な手懸りを与えている(意見書、二、1、論告一三〇参照)。同証人は、右期日において、検察官から右の趣旨の話が出たかどうかの質問をうけて二度これを否定し、次に検察官が調書に基づいて相違する箇所とその理由の尋問に入つてからも一度これを否定し、次いで当裁判所から、「今は事実としてあなたがこういうことを述べたのか、もし述べないとすればそういうことが調書に書かれてあるのはどういうことかということですからね」という注意を受けて後、さきの趣旨の話が出たことは事実であると述べ、同時に「これは実施は、決定されておりません」と述べ、その後これに関連する「山口方夫が金を本社からもらつて来ているというようなことはいわれたか」「一二月一一日の宮城県下支所長会議で金をくばつたか」等という質問を全て否定し、同期日の最終尋問で検察官から再度念を押されて、さきの趣旨の話が出たことを確認した。次いで翌三月二六日の公判期日外尋問の初めの方で前日の証言を三度び確認したが、それに続く質問で、その話は小林章の選挙とは関係のない仕事上のことについてである等供述が極めてあいまいとなり、全体として否定する趣旨の供述をしたが、検察官からあいまいさを追求されて「はい、それではきのうのとおりにお願いします」と四度び肯定し、更に、同期日の最後で、「きのう述べた………小林さんの選挙の慰労ということ」「は撤回するようなことはありませんね」と問われて「それはありません」と答えたのである。ところが、昭和四〇年四月二八日の期日外尋問において、弁護人から、さきの趣旨の供述が検察官調書に記載されているが、「この供述は間違いないんですか」と問われて二問続けて沈黙し、更に、事実としてあつたかないかについて聞かれても二度沈黙し、その次の問から否定して以後一貫して弁護人並びに検察官の問に対し否定し、同期日及び第九回公判においてこれを撤回した理由を述べたが、結局事実ないことであるからということに尽きた。以上の佐藤実証言につき、弁護人は「検察官は(右は)真相の一端を披瀝した旨主張されるが、しかし、同人の右尋問の状況と証言の推移を仔細に検討すれば、右の証言は撤回される運命にあつたことが明瞭である」(弁論、四-一九四)、「佐藤が検察官の期日外尋問に対し肯定的証言をしたのは、検察官から検面調書に基づいて追及され検面調書記載の供述に反する証言を行うに於ては偽証罪として刑事責任を問われるべきを顧慮し、心ならずも検察官の意に添う証言を行つたのであり、その後、前の証言を覆えすに至つたのは自ら反省した結果公判廷に於ては飽くまでも真実を吐露すべきであると考えた結果であると言うのであり、このことは本件公判調書の記載を熟読翫味すれば自ら明白であつて疑う余地が無い。従つて佐藤証言を重視することは当らない。殊に同証人は性格的偏向を有し、性急にして相手方の言うことを十分に咀嚼せずして自己を主張する傾向が顕著であるのみならず、表現能力に乏しいことを憶えば、同人の言わんとすることが前述の通りであることを認めるに十分である」(平松弁論、二五、二六)と主張する。しかしながら、さきに摘録した「右尋問の状況と証言の推移」及び同証人の供述態度からみて、肯定した方の供述は十分に信用できる。供述内容の点からみてももし、話は出たけれども「実施していない」というのが事実であれば、右の供述を敢て撤回するまでのことはないと考えられるのに右供述全体を撤回したことは、慰労金の話が出たこと自体が重要な不利益事実であるがために撤回したのであると解するのが相当であり、慰労金のことと、これを一律にするかどうかの論議があつたことは事実であればこそ証言しえたものと認めることができる。してみれば、昭和三九年一二月八日局長室において、地方局幹部が集つた際に、選挙のための慰労金の話が出たことすら全く事実無根である旨主張する証人山口方夫、同菅原大三郎、同佐藤圭一郎、同木村冬夫の公判廷における供述の信用性は減殺され、右の話が出たことの記載がある各調書の方が信用性が高いものということができる。
(七) 弁護人は、「被告人等は何れも長年専売公社の職員として真面目に勤務していた公務員でいわば温室育ちともいうべき人々であり、これまで身柄を拘束され、容疑者として取調べを受けた経験は全くない。これが一旦選挙違反容疑を以て取調べを受けたとなると仮に身に覚えのない事実でも場合によつては逮捕勾留されると聞かされただけで、不安焦躁、恐怖のために心の平静を失い供述に混乱を来す位であるから、通常刑法犯に接しておる百戦練磨の第一線捜査官から見れば極めて誘導に乗せ易い相手であつたといつても過言ではない。この点は、自供の任意性又は信憑性の有無を吟味するにつき、極めて重要な根本事である」(弁論、二-三二、三三)と指摘する(なお、弁論、四-六〇、二五五、二-一三二、一-一一平松弁論一二参照)。しかしながら、被告人等は、後記の如く(第二の(一)参照)、年令、経験、見識等いずれの観点からみても人生において最も円熟した時期にある者であるばかりでなく、被告人貝塚金治郎(前記(二)参照)、同山形一郎、松原緑(約一一年間)、河田俊夫(約一〇年間)、木村冬夫(後記(九)参照)は、専売法違反事件の捜査に携つた経歴を有する者である。しかのみならず、前記(五)で認定した如くすでに昭和三九年一二月一八日の時点において、選挙関係文書の処理方法、取調べを受けた際の心構えについて説示を受けていること、河田俊夫(第四、第五回)、佐藤圭一郎(昭和四一年三月二五日期日外尋問調書)、山形一郎(第一六回)、内谷与太郎(第一六回)の各証言並びに佐藤圭一郎(昭和四〇年八月二日付(甲))、河田俊夫(同月五日付)、貝塚金治郎(同月一二日付)の各検察官調書(以下本項において証拠とする供述調書及び供述書中の記載は、いずれもその内容自体からみて他の部分と切り離してでも任意性、特信性及び信用性の十分に認められるもののみである)等によると、地方局幹部から電話又は口頭で随時証拠の隠滅が指示されていた事実が認められること、菅原慶吾(第二九回)、田村新次郎(第二一回)の各証言、田村新次郎の同月五日付検察官調書によると、地方局の中堅幹部たる菅原慶吾が選挙関係書類の回収に歩いていた事実が認められること、植木幸朋(期日外尋問調書)、松原緑(昭和四一年三月二四日期日外尋問調書)、菅原大三郎(同年四月一一日期日外尋問調書)、佐藤圭一郎(同年三月二五日期日外尋問調書)、菅原信助(同月二三日期日外尋問調書)の各証言及び松原緑(昭和四〇年八月二四日付(甲))、佐藤圭一郎(同月四日付(甲))の各検察官調書並びに能代出張所出張員その他来訪者名簿(前同号の二八)、同乗用車傭上決議簿(同号の二九)秋田支局会議室利用者名簿(同号の二二)を綜合すると、本件に関連する事件で山形県下に逮捕者が出るや、昭和四〇年七月七日頃、総務部長植木幸朋は、同局の中堅幹部以上を一堂に集め「自分自身だけを守れ、余計なことをいわないように」という趣旨の指示をし、かつこれを、これ等幹部が管下支所長に伝達して歩いたことが認められること、更に、菅原大三郎の右証言並びに同人の同月一二日付検察官調書によると、松原緑、佐藤圭一郎が逮捕された後である同年七月中旬頃、植木幸朋は、主任以上の職員を一堂に集め、右と同趣旨の話をしたほか、「この事件で公社をはなれるような事になる人は公社で拾つてやるが、今言つた私の注意を守らない人はそのような訳にはいかない」という趣旨の話をし、次いで、職員課長山口治は、取調べの際、自分を守るについては、尋問に対しどのような要領で応答すればよいかにつき注意を与えたことが認められること(その他、被告人山形一郎、同内谷与太郎のみに対する情況証拠としては、山形一郎の同年八月四日付申述書、内谷与太郎の同月三日付司法警察員調書、秋田支局会議室利用者名簿(前同号の二二)によると、同年七月二七、八日頃、右山口治から被告人山形一郎、同内谷与太郎に対し、金銭授受についての取調べがあつたら否認するようにという趣旨の電話がかけられたことが認められる)等を綜合すれば、なるほど被告人及び証人等は「温室育ち」ではあるが、選挙違反の捜査乃至取調べにはいかに対処すべきかについて知識を有し或はこれについて特別の教育を施されていたとみることができる。更に、小西周蔵(第一九回)、山形一郎(第一九回)、小野重雄(第二三回)、佐藤勝太郎(第二八回)、厨川臣也(第二二回)及び前記菅原信助の各証言、古川清(昭和四〇年八月一三日付(乙))、小西周蔵(同月七日付(一))、前記菅原信助の各検察官調書並びに秋田支局区域外電話使用決議票(前同号の二〇)(なお、被告人山形一郎のみに対して、同人の同月四日付申述書)によると、本件及び本件と関連する事件の捜査が開始されるや、少くとも仙台地方局と秋田支局間、山形支局と秋田支局間、秋田県内の支局出張所相互間で、取調情況についての情報交換が行われていた事実が認められ、この事実は、被告人及び地方局幹部たる証人等が身柄拘束前の取調の進捗情況に関する知識を持つていたこと、従つてまた上司又は同僚が同じ被疑事実で取調べられているという連帯意識があつたこと、被告人等及び少くとも秋田県下の証人は逮捕されるかもしれないと予測していたこと並びに地方局が取調べの結果に重大な関心を寄せていることを知つていたこと等を推認せしめるに十分である。かかる情況にあつた被告人並びに証人にとつては、「捜査官の………巧妙かつ執よう(な)誘導(と)被告人等(の)個別的事由に堪えかねて半ば自棄的な心境となり、捜査官の右誘導尋問に迎合した」のである(弁論、二-三四)との弁明の説得力は著しく乏しいものといわざるを得ない(なお、被告人及び証人の多くの者に対し、取調べの際捜査官から誰々が何々と自供しているがこれはどうかとの誘導尋問がなされたことは認められるが、本件の如く同一の会議に出席した際又は出席した者を介して、買収金を授受したとの被疑事件において本件の如き被告人及び証人等に対してかかる誘導尋問をすることは、その尋問の内容が虚偽でない限り許された取調べ方法であつて、この点に捜査の違法はない)。そればかりでなく、右の「個別的事由」についても、前記(二)、(三)、(四)に説示したところのほか、松原緑の、ダンボール一箱のりんごと一応受けとつたが返却した商品券につき汚職罪の捜査を受けるのを虞れて虚偽の自供をしたとの弁明(昭和四一年四月二八日期日外尋問調書、第三一回証言参照)、渡辺正直の、上司の立場が悪くならないようにと心配したとの弁明(同年四月一二日期日外尋問調書参照)、被告人山形一郎が詳細な申述書を書いた理由(第一六、第一九、第三二回証言参照)の如く、弁明自体から全く諒解不能のものは別としても、供述調書又は供述書の内容若しくはその供述時期又はその両者からみて明らかに強制的誘導乃至は押付けと考えられない記載(山口方夫の昭和四〇年八月二日付検察官調書中、秘書役室で鞄の中に現金が入つているとの話を耳に挾んだ旨の供述記載、松厚緑の同年七月三一日付検察官調書中、地方局販売部の部屋で伊藤博から、所長に渡すものを菅原信助に渡してやつた旨の報告を受けた旨の供述記載及びその場所についての図面、菅原信助の同年八月一日付検察官調書中、伊藤博から渡された封筒の状況に関する供述記載及びそれを渡された場所等についての図面、木村冬夫の同月三日付検察官調書中、伊藤博が封筒を被告人等に配つたときの情況に関する供述記載、古川清の同月一一日付検察官調書中、販売係長会議後の懇親会の席上における松原緑との対話に関する供述記載、田村新次郎の同月五日付司法警察員調書添付の図面、山形一郎の同月一一日付検察官調書中、同封の書面は仙台へ返戻した旨の供述記載、同人の同月四日付申述書中、山口治からの電話の内容に関する供述記載、小西周蔵の同月七日付(第一回)検察官調書中、被告人小野重雄、同佐藤勝太郎からの電話の内容に関する供述記載、酒井実の検察官調書並びに顛末書中、販売課係長会議後の懇親会の席上における菅原信助との対話の内容に関する供述記載、岩本秀宥の検察官調書中、渡辺正直から封筒を渡された際の同人との対話に関する供述記載、伊藤武夫の検察官調書中、封筒を提出したうえ、貰つた封筒はこれと同じである旨の供述記載等)についても種々納得し難い弁明(山口方夫(第一一、第一五回)、松原緑(昭和四一年四月二七日期日外尋問調書)、菅原信助(第一二回)、木村冬夫(第一〇回)、古川清(第一四、第一八回)、田村新次郎(第一四回)、山形一郎(第一六、第一九回)、小西周蔵(第一九、第二二回)、酒井実(第七回)、岩本秀宥(第七回)、伊藤武夫(第七回)の各証言参照)をしている有様であつて、いずれも真実性に乏しい。更に、虚偽の供述をもつともらしくみせるために(例えば、松原緑の昭和四一年三月二四日期日外尋問調書参照)或は明らかに信憑性を持たせるために(例えば、佐藤圭一郎の同年四月二八日期日外尋問調書参照)創作或は作文したとの弁明に到つては弁明としての体裁すら備えていないと評さざるを得ない。創作をしたという最も極端な例として、押収してある建部勲名義の普通預金通帳及び現金四千五百円(前同の四一及び四二)の存在を挙げることができる。即ち、建部勲(第一三回)、太田幸雄(第二六回)、田村民雄(第二四回)の各証言、司法警察員太田幸雄作成の領置調書及び建部いみ子作成の任意提出書によると、右は、建部勲が昭和四〇年八月五日花輪警察署において、被告人田村新次郎から渡されたという二万円の使途につき取調べを受けていた際、うち一万円は自分の金と一緒に預金し、他の一万円は部下の送別会費と、本社からの客の接待費にあてたが、その残金四千五百円は自宅の箪笥の中にあると供述したので、太田幸雄が早速建部勲の家へ赴き同人の妻建部いみ子から前記通帳と現金四千五百円の任意提出をうけてこれを領置したものであることが認められる。ところで、建部勲は、前記証言において、右一万四千五百円は全部自分のへそくりである旨供述し、そのような嘘を言つたのは、「もらつたと申し上げた以上それにつじつまを合わせなければという私なりの考えからそういうようなことを供述したわけで」、それは創作である旨弁明しているが、一万数千円の金の使途は何とでも創作可能であり現金を提出した弁明としては全く納得できないのである。
(八) ところで、本件受供与事実を立証するため受供与の事実に直接関係している者として検察官側から請求されて取調べた証人はいずれも公社の職員であるところ、これらの者は被告人とは上司、同僚又は部下の関係にあるほか、山口方夫、松原緑、佐藤実、伊藤博、菅原大三郎、佐藤圭一郎は、本件受供与と必要的共犯の関係にある供与の罪等で仙台地方裁判所に起訴され目下審理中であることは当裁判所に顕著な事実である。従つて、証人等が述べる如く事実無根であるからその旨を証言しているということもできる反面、検察官が指摘するとおり「上司を庇い、同僚、部下を哀んで到底被告人らに不利益となる事実を証言できない」(論告要旨、四頁)情況にあるとする見方も十分に可能である。そして、この後者の見方の方が蓋然性が高いことは、前段迄に説示した事柄、とくに、自白が任意でないとの被告人及び証人等の弁明にみるべきものがないこと、前記(二)で指摘した西村忠弘の話、山口治の話、前記(三)で指摘した伊藤博の話、前記(七)で指摘した植木幸朋の話の各内容によつて十分に裏づけられると解される。前記(六)で検討した佐藤実証言は、公社職員たる証人が上司及び同僚の罪責に直接関連する不利益事実を公判廷において供述することがいかに至難な業であるかを示した好例であるといえよう。そして、この心理的制約が捜査段階においても強く存在したことは、前記(七)で認定した諸々の指示、注意、連絡等によつて十分推認できるばかりでなく、本件においては、被疑事実を認めることが自己の罪責の証拠固めになるだけではなく、同時に、上司又は同僚の罪責の証拠を提供することになるという特殊な事情が存したことからも推認できる。そして、このことは、捜査官に対して二回の受供与事実を二つ共自白した被告人においてすら、これを同時に認めた者がいないこと(古川清の第二七、第三二、第一四、第一八回公判における証言又は供述及び同人の昭和四〇年七月二九日付検察官調書によると、同被告人は右七月二九日ほぼ同時に二つの事実を認めたが、同じ日にまず二万円貫つていないかと聞かれ、次いでもう一回貫つていないかと聞かれた上で自白したことが認められる)からも窺われるように、積極的乃至は自主的に供述した者が認められないことにも現われているということができる。従つて、公判段階におけるよりも、この心理的制約が幾分なりとも少なかつたと考えられる捜査段階においての供述は、特に信用すべき情況の下においてなされたと認めるのが相当である。弁護人は、「上司を庇い、同僚、部下を哀み労わることは職場における一般論としては言い得ても、そのために偽証の罪に問われ、その地位、職場を失うようなことになつては、それこそ上司を庇い、同僚、部下を哀み労わることの基盤が覆えることは明らかであり、偽証をなし得る限界を超えるものというべきである」(弁論、二-一三六)と主張する(なお、弁論、一-五、六参照)。しかしながら、例えば、証人伊藤博は、昭和四一年一〇月一一日の期日外尋問において、昭和三九年一二月一八日の支所長会議における同証人の発言内容につき、当裁判所から前記(五)で認定したとおり極めて信用性の高い河田俊夫の日記を一々朗読されながら尋問を受けたのに拘らず、特に不利益と思われる部分については、これを話した当の本人が「そんなことはいつておりません」、そのような記載があるのは「了解に苦しみます」の連発に終始したのであり、この証言は偽証でなくて何であろうか。また、前記(六)で摘録した佐藤実証言のうち、肯定の答と否定の答のいずれか一方が偽証であることは論理上明らかである。ここに、不利益な証言を法廷に顕出しないためには、敢えて偽証をも辞さない態度が窺われるのである。
(九) 最後に、山口方夫、木村冬夫の各調書に一言触れておかなければならない。
(1) 証人山口方夫及び弁護人は、山口方夫は、検事正をはじめとする各検察官の脅迫的言辞と拘禁生活の苦痛に耐えかねて全く任意に基づかず虚偽の供述を強要された旨主張する(同人の証言並びに弁論、二-八六乃至九六、四-一九乃至二五、平松弁論、二六、二七)。しかしながら、同人の一連の検察官調書並びに右証言によると、同人は八月三日を最後に、金員供与の事実を否認し、検察官に対しそれ以前の調書の訂正方を求めたことが明らかであつて、この一事を以つてしても山口方夫の前記主張は到底採用できない。山口方夫は事実を否認した理由につき第一五回公判において、八月三日の昼頃弁護人と接見した際、弁護人から「所長は私の調べている範囲内ではそんなことは言つていない。そんな、君、こう思うと、こう推測するんだとそういうようなことを、君、言つたんじやだめじやないか自分のほんとうに知つていることだけ言えと、推測やら想像でものを言つてはだめじやないかと、私はこうこうこうだ、すればこうだというようなことを追い込まれて言つたんですというような話をしましたら、推測だとか想像でものを言つてはいかんという注意を受けましたので、確かに自分も前からそういう反省をしておつたものですからこれはほんとうにそうだつたと思い直したわけです」それで「今度は真実を守ろうという気持になりました」と証言しながら、同日以後の検察官調書の大部分も事実と反し、更には、昭和四〇年八月二五日今までやつたことをまとめて書けとだけいわれて自ら筆をとつて書いた上申書の内容すら事実でないこともあるというに到つては、八月三日以降金員供与を否認したという理由が、事実ないことであるからという弁明と明らかに矛盾する。更に、昭和二九年一二月一八日の支所長会議における地方局側の話の内容につき、同人は第一一回公判において検察官との間に次の如き問答をしている。即ち、問「その席においてあなたも含めて木村さん、伊藤さんの間に、今後小林章に対する選挙運動についてどのようにやつていくべきかという点について話された記憶ありませんか。その点については全然話しませんか」。答「どのようにと言いますか、自粛しなさいということを話しました」。問「これからの運動はこうしなさい、ああしなさいということは言いませんか」。答「別に言いません」。問「こういう方法によつてやつてくれということも話しませんか」。答「選挙そのものがわれわれの公務員の地位という制約がありますから、そういう制約に触れるようなことはいけない。それから小林さん自身がはつきり立候補された以上その後援団体というものがあるだろう。その後援団体が支援されるということであるから、そういうことを含んでおくようにということを言つております」。この供述が前記(五)に摘録した伊藤博の話の内容と相違することは明らかであるばかりでなく、同証人は検察官から河田俊夫の前記日記帳を示されたうえでその内容を数箇所確かめられても、伊藤博が発言した記憶がないと述べている有様であつて、山口方夫証言は調書と対比して信用性に乏しいといわなければならない。
(2) 次に、木村冬夫の各調書についてみるに(弁論、二-一二八乃至一三〇参照)、木村冬夫は、昭和四一年四月一一日期日外尋問及び第一〇回公判において、調書は口述する方法で録取されかつ読んで聞かされたが、調書に記載してある不利益事実、とくに、封筒を配る状況を現認したという点及び昭和三九年一二月八日局長室において選挙のための慰労金を出す話を聞いたという点については、読みきかされた記憶がない。かかる点について質問を受けた記憶はあるが肯定の答はしていない。伊藤博が立ち上つてかばんを開けた「格好」はしてみせたし、そういう場合に何かわたされただろうとは供述したが、現在の記憶では、伊藤博がかかる「格好」をしたという事実もない旨証言した。しかしながら、同証人は取調べ当時、仙台地方局の監視課長であり、二〇年近く専売法違反事件の捜査に携わつてきた者であり、従つてまた、調書作成の目的、方法、その効力等を熟知していたものと推認できるところ、かかる木村冬夫が、自分の述べたことがどのように記載されたかを確かめないで署名押印したり、尋問の核心であつたと思われる現金入り封筒と関係なしに検察官に対し「何かわたされた」ような「格好」をしてみせたり、その格好をした場所を図示するということが一体全体ありうるであろうか。また、昭和三九年一二月一八日の支所長会議における地方局側の話の内容については、河田俊夫の前掲日記帳を示されて質問をうけながら、自粛せよという趣旨の話だけで、他は聞いていません。聞いた記憶がありませんと証言しており、この証言が信用できないこと、山口方夫の証言につき、前段で説示したところと全く同じである。してみれば、木村冬夫の証言は、調書と対比して信用性に乏しいということができる。
(一〇) 以上説示し来たつた事柄及びその他前掲証拠の標目欄に掲げた全証拠、とくに取調状況に関する証言、証拠書類並びに各調書の内容(但し、弁護人の指摘する矛盾撞着については後記第二の(二)、(三)、(六)、(七)、(八)参照)を綜合し、それと被告人及び証人の公判における弁明とを対比すれば、自白調書及び不利益事実を承認している各調書の任意性及び特信性を十分に肯定することができる。その結果山形一郎の昭和四〇年八月四日付申述書中、山口職員課長の電話を否認せよとの命令と考え、最初任意出頭で取調べられたときは否認して帰宅したところ、秋田支局の当直から電話があつて、自分の取調状況を報告し、同時に、こちらからも他の所長や仙台の偉い方の取調状況について聞いてみた。「それではこの様に仙台局の部長も又県内の支所長も今の処明確に金銭(現金)のことについては返事せずあいまいな返答をしているのだなあと感じられました。心にもない嘘と偽りを申上げて甚だ恥じ入る思いで一杯ですが上司や同僚にも一応の義理を立てねばと思い又否認したのですが、結局は、現金手渡しの当事者並びにそれをはつきり傍で見守つた人々が実在することを思い合わせ私もこの際はつきり自供に踏みきつた次第であります」との記載は、一人被告人山形一郎のみならず、他の自供をした被告人や証人等の取調べ当時の心況を余すところなく代弁しているものということが判明した。結局、自供をした被告人や証人等は、上司や同僚に「義理を立て」逮捕前の知識や逮捕後捜査官から得た知識によつて上司や同僚の供述状況を気にしながら、供述に応じたものと解され、右被告人、証人等が法廷で自供がその意思に反するものであると弁明するところは、単に「自供に踏みきる」迄の苦悩を訴えているものと理解されるのである。
第二、検察官調書の信用性
(一) 検察官調書の任意性及び特信性の存在は、本件においては、直ちに強い信用性の推定を生ぜしめる。即ち、これ等調書の供述者たる被告人又は証人は、いずれも壮年以上の年令に達し、とくに被告人等及び供与者側証人は人生の円熟期にある者であり、かついずれも長年公社に職を奉じ出張所係長以上の地位にある者であり、被告人等はいずれも支局長又は出張所長の地位にあつた者である。特に山口方夫は、最高学府を出、その経歴等からみて将来を嘱望されていた有為の人物であることは自他ともに許していたと認められる。このように、社会的地位と信用を有し、社会的経験を十分に積んでいると考えられる被告人及び証人が全く虚構の犯罪事実を自白することはないのではないかとの強い推定が働くことは条理上当然である。そして、受供与者側の自白は互にこれを補強しあい、供与者側の自白も互いにこれを補強しあい、更に、受供与と供与の自白は互いに他を補強しあつて、極めて高い証明力を帯びているものといわなければならない。ところで、弁護人は本件「金員受供与の事実は検察官の創作した「幻の馬」と断ずべきであり、かかる事実は絶対に存在しないのである」(弁論、五-二六)と主張し、これら自白の内容等が著しく不自然、不合理である点を指摘しているので、その主要な点につき、以下項を改めて当裁判所の判断を示すこととする。
(二) 弁護人は、「若し(検察官)主張のような供与ありとせば、該資金を捻出した者が存在した筈であり、捻出方法、出所等が証拠によつて立証せられない限りは、恰も本犯なき賍物を考えるに等しく本件現金供与、従つて受供与を現実のものとは到底考えられず、その存在は根底から覆えるものと思料されるのである。……この点に関する供述記載は、……………複雑多岐を極めると共に相互に矛盾撞着する点が多いのみならず具体性を欠き到底信用出来ないものである」(弁論、二-一、二)、「(検察官は)、右幹部らがそれを明らかにすることによつて、他の関係者へも捜査官の追及が及ぶことを恐れたか、又は国民からさらに厳しい批判をうけることを恐れたから詳細な供述ができなかつただけであると推察するが失当も甚だしい。右は単なる検察官の主観であつて、しかも捜査上のミスの責任を右地方局幹部に転嫁するものというべきである」(弁論、四-五八)と主張する(なお、仁科哲弁護人の弁論要旨、弁論、四-二〇三、二-一八乃至二一、平松弁論六乃至一四参照)。よつて按ずるに、検察官は、冒頭陳述において、本件受供与金の資金源は主張立証しないといいながら、証拠調べの過程において資金源を臭わせるが如き証拠を顕出しようと試みたが、当裁判所は弁護人から異議の出た限度でこれを差し止めた。ところで、検察官が金員受供与の事件で、その資金源を立証しないことは、公訴維持に重大な危険を負担しているというべきであり、当裁判所も本件において資金源の証明がなくとも公訴事実の証明が十分であるかどうかを慎重に検討した。資金源に関する供与者側の調書の内容が「複雑多岐を極めると共に相互に矛盾撞着する点が多い」ことは弁護人指摘の如くであり、資金源に関する供述のいずれが真で、いずれが偽であるのか、或は全て偽であるのか不明である。しかしながら、前記第一の(七)、(八)及び(九)の(1) で認定した事実から窺われる供与者側証人の捜査時における心理状態及び供述態度からみて、供与の事実を自白しながら資金源について納得のゆく供述をしなかつたのは、検察官所論(論告、六七)の如く、更に捜査が人的質的に拡大することを虞れたからではないかとの見方が十分に可能である。而して、金銭という物の性質及び弁護人のいうところに従つても高々総額「百四十万円」(弁論、二-一)余りという金額であることを併せ考えれば、本件において、資金源が証明されなかつたことは、供与の事実を認めている各調書の信用性に合理的な疑いを挿し挾ませるに到らない。
(三) 弁護人は「検察官の主張する昭和三九年九月初旬頃から数回にわたつてなされた協議というものについてはこれを認め得べき証拠は全くなく、主張自体も地方局幹部の一部と言つたのみで誰と協議したものか明らかにしていない。かえつて、弁第一一ないし弁第一六の出張命令書によると、昭和三九年九月中………山口方夫らは………各地に出張し………地方局内で謀議を行う機会がなかつたことが認定されるし、特に同月初旬頃より一三日頃まで数回にわたる協議などその可能性もないことが明らかであつて」「本件謀議が虚偽架空のものであること」を示している(弁論、四-二乃至三、五七)と主張する(なお、弁論、四-一乃至五七、二-四、五、八乃至一四参照)。押収してある幹部出張命令書綴(前同号の一三四)、出張命令(変更)書写、支払票(同号の五三乃至五八)、幹部会議事要録綴(同号の一六)、出勤簿(同号の一三六)、佐藤実宛の封書(同号の一〇四)を綜合して認められる山口方夫、松原緑、佐藤実、伊藤博、菅原大三郎、佐藤圭一郎の仙台地方局における在局状況に照らすと、いわゆる九月謀議について記載のあるこれらの者の検察官調書のうち、山口方夫の昭和四〇年八月一日付調書には、九月一三日かその直後頃幹部会のあと幹部会議室で相談したといいながら、当時盛岡市方面へ出張していたと認められる佐藤実がその一員に加わつている点、同じく山口方夫の同月二日付調書には、「九月中旬に東北五県のたばこ販売員講習会から帰つて来た後」相談して決めたといいながら、同じく佐藤実も加わつていたことになつている点、松原緑の同年八月一日付調書には、九月二〇日頃の午後から、山口方夫、伊藤博、菅原大三郎、佐藤圭一郎と相談して決めたというのに、これら五名が在局する可能性のあるのは、同月一九日以外にはないのではないかとの疑いが濃く、松原緑には、同月一五日から同月一九日迄、盛岡、宮古、横手方面への出張命令が、伊藤博には、同月二〇日から同月二三日迄弘前方面への出張命令が出ていることが認められる点、同じく松原緑の同月二日付(丙)調書には、九月五日頃、山口方夫、伊藤博、菅原大三郎、佐藤圭一郎と相談したというのに、菅原大三郎には、同月四日から六日迄十和田への出張命令が、山口方夫には、同月四日五日の両日山形への出張命令が、松厚緑には同月三日から五日迄山形への出張命令が出ている点、同じく松厚緑の同月七日付調書には、九月一四日頃相談したというのに、前記の如くその頃出張していた佐藤実が加わつている点、菅原大三郎の昭和三九年八月二五日付調書には、九月中旬頃、山口方夫、松原緑、佐藤実、伊藤博、佐藤圭一郎と相談して決めたというのに、佐藤実は、同月一一日頃から二〇日頃迄前記認定の盛岡のほか、山形方面へも出張した可能性があること、その余の四人については同月一四日以外に全員が在局した可能性の少ない点(弁護人並びに証人伊藤博(期日外尋問調書)は、同人は九月一四日午前一〇時の急行で一関へ出発したため早朝わずかの時間出局しただけで幹部会議には出席していないと述べているけれども、前記幹部会議議事要緑綴には、同人が出席したとの記載があるところ、押収してある専売取締協議会の開催期日等についての報告書(同号の一一四)によると一関市における専売取締協議会の開催時間は午後四時となつているので、出張命令書写、支払票(前同号の五六)及び伊藤博の右証言は、右出席の記載が事実に反すると疑うに足る証明力を有しない)、佐藤圭一郎の昭和四〇年八月九日付調書には、九月二〇日頃山口方夫、伊藤博、菅原大三郎と相談したと記載があるが、さきに、松厚緑の昭和四〇年八月一日付調書について述べたのと同様の矛盾がある点等、客観的事実に反し或は反する疑いが濃厚である記載が認められる。そのうえ、日時、場所、相談した者の顔ぶれ、相談の内容等についても差異があることが認められる。しかしながら、前掲各出張命令書、山口方夫の証言(第一一回)によつて明らかな如く、地方局幹部は、外に出歩く機会が多くて顔を揃える機会が少なかつたこと、判示第二の事実につき証拠の標目欄に掲げた全証拠によると、地方局幹部、とくに、山口方夫、伊藤博、菅原大三郎、佐藤圭一郎は小林章の選挙運動を平常の業務と差別することなく随時相談しながら行つていたことが認められること。従つて、もし金員供与の話が出たとすれば、これ等の機会に随時話し合われて次第に煮つまつていつたと解して少しも不自然でないこと等からみて、山口方夫等の右各調書の中にさきに指摘した程度の矛盾や変化があつても異とするに足らない。かえつて、いわゆる九月謀議に関する全調書とくに、松原緑の昭和四〇年八月二日付、同月二三日付(甲)、(乙)、佐藤実の同月一一日付調書を綜合的に考察すれば、現金供与の話は、遅くとも九月初旬頃から地方局幹部中少くとも山口方夫、松原緑、佐藤実、伊藤博、菅原大三郎、佐藤圭一郎の間で随時、折々の顔ぶれで話合われ、同月一四日に、地方局幹部中少くとも山口方夫、松原緑、伊藤博、菅原大三郎、佐藤圭一郎の間で最終的結論に達したと解しても不合理ではない。してみれば、いわゆる九月謀議に関する調書の記載には、これら調書の信用性を否定し去らなければならないほどの矛盾撞着はないということができる。
(四) 弁護人は「検察官は、弁護人の提出した各証拠によつて、(昭和三九年一二月八日)午前中局長室において角館たばこ販売所新築工事実施についての協議がなされている事実が極めて明白であるに拘らず、右事実は存在しないと執拗に主張されるのであるが右事実が同日午前中に存在したことはまぎれもない真実なのである(弁論、四-一五四)、「木村は局長室に入つたが右協議中であつた為め一旦室外に出たが、再び入つて衝立の傍に腰掛けて右協議の終るのを待つていたのである。………木村が衝立の傍に腰掛けて間もなく、右の協議は新築開始に踏切るとの結論で終了し(たのであつて)」(弁論、四-一七三)、「(一二月)謀議も前記九月謀議と同様全く事実無根のことである」(弁論、四-一五一)と主張する(なお、弁論、四-一五一乃至二〇二参照)。よつて按ずるに、前掲証拠の標目欄に判示第三の二の(二)につき掲げた証拠中、角館たばこ販売所新築工事実施の問題が昭和三九年一二月八日の午前中に協議されたこと及び同日及びその前後頃の地方局幹部の行動に関する全証拠(なお、角館たばこ販売所事務所新築その他工事関係書類(前同号の六九)中、工事の施行についてと題する決裁書の起案及び決裁欄の日付が、一二月一〇日から同月八日へと公文書にはあるまじき方法で改ざんされていることは検察官指摘(論告、一二九参照)のとおりであるが、それが本件の証拠隠滅のためになされたと認めるに足る証拠は発見できない)を綜合すると、右の問題が一二月八日午前中局長室において地方局幹部間で協議されたと認めるのが相当である。しかしながら、右の協議が、木村冬夫の話を聞く直前までの全時間を費やしてなされたかの点については、右弁護人の主張に沿う証拠としては地方局幹部等の証言しか存在しないのであつて、山口方夫(昭和四〇年八月二日付)、佐藤実(同月七日付)、菅原大三郎(同月九日付)及び木村冬夫(同月二日付、同月五日付)の各調書には、木村冬夫の話を聞いた機会に、選挙のための慰労金を支所長に供与する相談をした旨の記載があり、結局、前記証人等の公判における供述と右山口方夫等の調書とどちらを信用すべきかの問題に帰着する。そして、同日午前中角館たばこ販売所の問題の協議とともに前記慰労金の相談もしたと解してもいささかの不合理も存しない(論告、一二九参照)のみならず、前記山口方夫等の各調書には右協議がなされていたとの供述記載は全く存しないところ、山口方夫(第一一、第一五回)、佐藤実(第九回)、菅原大三郎(第一二回)の各証言によると、同人等は、捜査当時には右協議を全く想起できなかつたというのである。虚偽の謀議を押しつけられているという右証人等が、木村冬夫の話の直前迄喧々囂々続けてなされていたという協議を思い出せないということがあるであろうか(論告、一二六参照)。とくに、佐藤実及び木村冬夫は、両名の調書(佐藤実の昭和四〇年八月七日付、木村冬夫の同月二日付)に右角館たばこ販売所新築工事の主管部長であつた大繩栄の名前が現われていることでも明らかなように同人が出席していたことまでは記憶していながら、右協議を思い出せなかつたということになるのである。してみれば、右協議は、なされたことはなされたが、関係者の記憶に残るほどの論議はなく、時間もかからなかつたものと解するのが最も自然であり、このことは、右協議の内容が、前日の一二月七日既に土地の登記が済まされている事実及び角館販売所新築問題が終始一貫実現の方向で推進されてきたこと等から窺われるように、いわば既定方針の確認に止まつたことによつても裏付けられる。よつて、角館たばこ販売所新築工事実施の問題が同日午前中に協議された事実は、未だ以て一二月謀議があつたという前記山口方夫等の調書の信用性を減殺するに足るものではなく、まして、本件受供与の事実が存在したかにつき、合理的な疑いを容れる間接事実たりえない。
(五) 弁護人は「検察官は、本件被告人等の第二回目の現金受供与は、同地方局の幹部の一二月八日の謀議決定により秋田県内の支所長会議の際に行われたと主張するが、………一二月八日当日はその頃既に木村冬夫が管区警察局から、同地方局管内の小林章派の選挙違反容疑について警告を受けており、事情の如何によつては検挙も敢て辞さない旨申し渡されているのであつて、期る緊急を要する事態に直面している最中に、金員供与の謀議をするということ自体、これまた不自然、不合理の事柄であつて到底常識では考えられない」(弁論、一-三四、三五)と主張する。弁護人のこの見解はまことにもつともであつて、本件においてもし前記第一の(六)で検討した佐藤実証言がなくかつ河田俊夫の前掲日記帳が証拠として提出されていなければ、合理的な疑いとして残つたであろうと思われる。しかしながら、右日記帳によると、昭和三九年一二月一八日の支所長会議において、山口方夫を面前においての伊藤博の話の内容は、前記第一の(五)に摘録したとおりであつて、その趣旨は、今後は、公社が表面に出ないようにして、外郭団体又は支援団体を通じ、かつ証拠を残さないようにして選挙運動を進めて欲しいというにあつたと解することができる。そして、同時に、選挙のために使用してよい金の指示をしていることも軽々に看過できないところである。而して、かかる支所長会議の内容からみて、この会議の開催を決めた一二月八日に、山口方夫、伊藤博が、木村冬夫を介しての警告をいかに受けとり、いかなる心境にあつたかは明らかであつて、同じ機会に、前掲佐藤実証言からも窺われるように金員供与の謀議をしても少しも不自然でない雰囲気にあつたことが認められる。
(六) 弁護人は、伊藤博から菅原信助が二万円入り封筒を渡された日時につき、「菅原信助の昭和四〇年八月一四日付検察官に対する供述調書の第九項では、………、封筒の束を預つたのはその前日と申し上げましたが只今聞かされてその日は日曜日と知りましたので、一五日に封筒をうけ取つたのは誤りでその前日一四日、土曜日にでも受け取つたのだと思います」と同人の同月一日付供述調書中日時の点をわざわざ訂正供述させておるのである。………然るに曜日の感違いのみで菅原信助が右の如く訂正供述したのは検察官の誘導のまま供述した何よりの証左といえる。しかるに最終段階である論告に至つて「特に一三日頃」としなければならない理由は見出せないばかりか、右の期日を裏付ける証拠はない。………かかる重要な事実が何等の証拠に基づかず軽々しく変更されてよいものであろうか。証拠に基づかぬ所論と評する外はない」(弁論、四-九二乃至九六)と主張する。しかしながら、渡辺正直の昭和四一年四月一二日期日外尋問における証言によると、菅原信助は、昭和四〇年八月一日の取調べ終了後、病院に渡辺正直を訪ねた際、同人から一五日は日曜日である旨を指摘され、「そうかそうすると前の日かな」という趣旨のことを言つていたことが認められ、菅原信助の日付に関する記憶は当時極めてあいまいであつたことが窺われる。従つて、検察官調書の記載自体から明らかなように、検察官から曜日の点を指摘されて前の供述を訂正したのであるが、菅原信助自身も証言(第一二回)しているように、ぼやけた供述をして来たのであつて、決して「検察官の誘導のまま」記憶に反する供述をしてきたものとは認められず、かつまた一四日という訂正後の日付もその日以外ではないという趣旨を含んでいないと解するのが相当である。
(七) 弁護人は「論告要旨中の二回にわたる現金受供与の事実ありとする各被告人及び関係人の供述調書記載には」、(地方局側出席者の発言内容、供与の時期、配付の状況、封筒の特定、金種」等につき、「数多くの矛盾があり到底検察官が主張するような信用性のあるものではない」(弁論、四-九一、二二四)と主張する(なお、弁論、四-九一乃至一四九、二一七乃至二四一参照)。本件二回の金員供与及び受供与に直接関係した証人及び被告人等の調書を精査するに、各調書には弁護人指摘の如き矛盾があることは所論のとおりである。しかしながら、これ等の矛盾は、多数の者が本件公訴事実の如き同一事実を目撃又は体験した場合経験則上生ずると思われる認識違い、記憶違いの範囲を超えているとは認められない。もし、弁護人並びに各供述者が主張するように、金員又は封筒授受自体を強制的に自白させられたというのであれば、封筒の外形とか金種とかの類の事実こそ、更に容易に強制的に誘導できたはずである。少くとも、同一の警察署又は検察庁で自白した者相互間の供述内容は弁護人が、横手出張所職員の調書について指摘しているが如く(弁論、四-一四三乃至一四六参照)一致しなければならないということができよう。従つて、これら供述内容の矛盾は、これら調書の任意性、特信性を否定するものではなく、かつまた、それ等調書の信用性につき合理的な疑いを生ぜしめるものではない(なお、横手出張所職員の検察官調書の任意性及び特信性については、被告人小西周蔵、酒井実のそれについて前述したところのほか、石井貞蔵(第二四、第二六回)、近藤義雄(第二八回)の各証言、酒井実作成の申述書の体裁内容、同人の検察官調書の内容、小西周蔵、酒井実、佐々木四子雄、高橋善治、小松賢之助、五十嵐辰吾、後藤吉治の証言中、虚偽の供述をさせられた弁明、佐々木四子雄、五十嵐辰吾の両調書は、被告人小西周蔵の釈放後に作成されたものであること(論告、一二二参照)及び小西周蔵、酒井実を除いては取調事項が簡単であることとを綜合して、十分これを肯認できる)。
(八) 弁護人は、被告人及び証人等の調書中、本件受供与金の使途に関する供述は「それぞれ過去に経験したことやあるいは創作してその使途を述べているので」あつて、それらは本件受供与事実の裏付けをなすどころか「調書の供述記載がいかに虚偽のものであつたか」(弁論、四-二四三)の証左である旨主張する(弁論、四-一二五乃至一四六、二四三乃至二五六参照)。しかしながら被告人等の受供与金の使途に関する調書中の供述には、経験則に照らしてあり得ないものは一つもなく、本件受供与事実の自白を裏付けこそすれ、決して、その信用性を疑わせるに足るものはない。なお、被告人小野重雄の一一月の件の二万円の使途に関する調書中の供述が虚偽であることを証明する物証として、押収してある昭和四〇年六月一四日付大曲出張所名義の高吉建設株式会社宛金八千円の領収証(前同号の三八)が提出されている。右領収証と高山恵吉(第三〇回)の証言によると、領収書記載の日時頃高吉建設が大曲出張所に金八千円を支払つたことが認められる。しかしながら、その金を地方局長三代川清造の歓迎会の費用にあてたか否かについての証拠は、金額が八千円で一致するという間接事実以外には、小野重雄の証言(第一七回)以外にないので、結局同人の昭和四〇年八月一〇日付調書中、七月半ば過頃、榊田源太郎に本件受供与金の中から八千円を現金で渡した旨の供述とどちらを信用すべきかの問題に帰着する。そして、右の八千円は、業者からこれを出させた目的に従つて費消されたとみることが最も自然であるから、右領収証は、被告人小野重雄の一一月の件の二万円の使途に関する前記調書中の記載が虚偽でないかを疑わしめるに足るほどの証拠ではない。
(九) 弁護人は、「本件謀議の内容が仙台地方局管下全支所長に現金を供与するというものでありながら、宮城県と青森県下の支所長が除外され、現金の供与が行われていないという点と、実行行為が行われたとする山形県、岩手県及び秋田県下の各支所長のうち山形県においては、米沢出張所長山田忠男、岩手県においては大迫出張所長桜井稲造、秋田県においては能代出張所長貝塚金治郎が除外され、現金供与をうけていないという不思議な現象を呈している」(弁論、四-五四)と指摘する(なお、弁論、二-一七、一-三四、四-五〇、九六乃至九九、二七一乃至二七三、平松弁論一七、一八参照)。しかしながら、当裁判所は、秋田県以外の各県では全く金員を供与した事実がないと想定した上で、秋田県において公訴事実記載の二回の金員供与がなされた事実が証拠上認められるか否かを判断しようとしているものである。弁護人の右主張は、本件及びこれに関連する全事件の検察官の主張を綜合すると、検察官の主張自体矛盾があつて条理に反するという趣旨であろうと思われるが、謀議が一旦成立してもそれが実行に移されないことがありうることは経験則上明らかであり、かつその合理的理由もあまた想定できるから、仮りに所論のとおり宮城県、青森県下の各支所長及び米沢、大迫各出張所長に金員供与の事実が証拠上認められなくても、本件の受供与事実が存在しなかつたのではないかにつき合理的な疑いは生じない。次に、本件で一一月の件について被告人貝塚金治郎が除かれている点についてみるに、当裁判所は、前掲証拠の標目欄に記載した関係証拠によつて認められる事実、とくに、菅原信助が伊藤博から本件各封筒を預かつた際の状況、一一月一七日の秋田支局会議所における封筒配付の際の状況並びに一二月一八日に被告人貝塚金治郎が供与者側から差別されることなく、かつ他の被告人の面前で任意に受領している事実からみて、被告人貝塚金治郎も一一月の件の二万円を受けとつているとの十分な心証を得ることができた。従つて、本件公訴事実については、弁護人指摘の如き矛盾は全く存しない。被告人貝塚金治郎は一二月の件の受供与については任意に自供していながら一一月の件の受供与については自白をしていないけれども、それは、前記第一の(八)で認定したところの被告人等の自供状況のほか、太田幸雄(第二六回)、田村新次郎(第二一回)の各証言から窺われるように、被告人田村新次郎の如く一二月の件の受供与を自供した後であるのに、一一月の件の受供与をすぐには認めようとしなかつた事例が存すること、貝塚金治郎(第三〇、第三一回)の証言から推認できるように、一一月の件は、一二月の件に比べればそれほど深く追及されなかつたこと(このことは、一一月の件のみについて取調を受けたという昭和四〇年八月一三日頃から一五、六日頃迄の取調べ時間が短いことによつても裏付けられる――司法警察員三浦周治作成の報告書中、留置場からの出入状況についての記載参照)並びに、同被告人の供述(第三三回)から推認できるところの、同被告人は、一旦自白した一二月の件についてさえも、昭和四〇年八月二三日の暫らく前から自白を撤回しようとしていた事実等を綜合すると、一一月の件を自白しなかつた事実は、被告人貝塚金治郎が一一月の件の金員を貰わなかつたのではないかを疑わしめるに足る間接事実たりえないと解することができる。
(量刑の事情)
本件は公務員に準ずべき日本専売公社職員たる被告人等が、公の会議の機会又は公務所において買収資金の供与を受けたことを主体とするまことに稀な事件であつて、選挙の公正を害した点はもとよりのこと公務員の中立性清廉性を害した点でもまことに悪質極まる事犯といわなければならない。とくに、昭和三九年一二月一八日の受供与は警察当局の警告を知らされた同じ席上で行われたものであつて、被告人等の綱紀の保持及び選挙の清潔性についての感覚がいかに鈍麻していたかが十分に窺われる。たとえ、上司の指示に基づくとはいえ公務をさいての小林章の選挙運動に何らの反撥を示さず、一旦供与されたとしてもこれを返還する方法と余裕は十分に存在したと考えられるのに誰れ一人としてその挙に出たと認められる者がいないことは、まことに遺憾である。これらの事情に鑑みれば、本件の違法性は極めて強いといわなければならない。そして、公判においては、公訴事実は勿論、ほとんど全ての不利益事実を徹底的に争い、外形的には、改悛の情は全く認められない。自己の地位とこれに付随する諸々の利益を保全するため、上司、同僚を庇つて虚偽の証言をすることは断じて許されない。以上の観点からすれば、自懲他戒のため、検察官主張の如く禁錮刑を以て処断すべきであるとの見方もまことにもつともである。しかしながら、他面、被告人等と供与者との間には行政官庁にみられる上命下服の関係があるほか、被告人等は形式的(但し、古川清を除く)にも、実質的にも、山口方夫に人事権を掌握されており、更に、いわゆる現業官庁の例にもれず、公社一家の一員という意識が極めて濃厚であることが窺われる。而して、本件被告人等が金員の供与を期待して選挙運動をしたとか、金員の供与を要求したと認めうる証拠は存しないので、本件金員は、「最高司令官とも言うべき地方局長」(山形一郎証言第一六回)はじめ、地方局幹部側から一方的に供与されたものであると解すべきところ、組織の中でさきの如き地位にある被告人に対して、これを拒否することを期待することは、相当困難な状況にあつたと認めるのが適当であつて、被告人等の責任は供与者側の責任に比しはるかに軽いと評さなければならない。検察官の求刑意見は供与者側の悪質性を本件被告人にも反映させている嫌いなしとしない。そして、被告人等が公訴事実を徹底的に争つていることも、古川清、山形一郎、小西周蔵等の被告人が罰金で済まして貰えると聞いた際喜んでいた事実及び職員課長山口治が被告人貝塚金治郎等に対して徹底的に争えと暗黙のうちに指示している事実等に鑑み、被告人等が自らの意思のみで争つているのかについて、遂に心証をとることができなかつた。被告人等は長年公社に奉職し、被告人佐藤勝太郎に選挙違反の前歴があるほかは、粒々辛苦公務のみに精励して今日の地位を築きあげ、今まさに停年を迎え或はまもなく迎えようとするものである。かかる被告人等に対し、前述の如く同情すべき余地が全くないとはいえない本件につき禁錮刑を以て望むことは、いささか酷に失するというべきではなかろうか。よつて、当裁判所は罰金刑を選択した上、主文掲記の刑を宣告するのを相当と認める。
(法律の適用)
被告人貝塚金治郎の判示第三の一の(一)、同古川清の判示第三の一の(二)及び同田村新次郎の第三の一の(三)の各所為中、公社職員の地位利用の点はいずれも公職選挙法第二三九条の二第二項、第一三六条の二第一項に、事前運動の点は、同法第二三九条第一号第一二九条に、被告人貝塚金治郎を除くその余の被告人の判示第三の二の(一)及び全被告人の同(二)の各所為は、いずれも同法第二二一条第一項第四号第一号に、被告人小西周蔵の判示第三の三の所為中、買収の点は、同法第二二一条第一項第一号に、事前運動の点は、同法第二三九条第一号、第一二九条に該当するところ、判示第三の一の各所為及び同三の所為は、いずれも一個の行為が二個の罪名に触れる場合であるから刑法第五四条第一項前段、第一〇条に従い、判示第三の一の各所為についてはいずれも重い公社職員の地位利用の罪の刑、同三の所為については、重い買収の罪の刑を以て処断することとし、以上の罪につき、いずれも所定刑中罰金刑を選択し、各被告人の以上の罪は、当該被告人につきそれぞれ同法第四五条前段の併合罪の関係にあるから、同法第四八条第二項に従い、各罪に定めた罰金の合算額の範囲内で処断すべく、被告人古川清、同田村新次郎、同小西周蔵を罰金一三万円に、被告人山形一郎、同内谷与太郎、同小野重雄、同佐藤勝太郎、同佐藤俊一を罰金一〇万円に、被告人貝塚金治郎を罰金八万円に処し、同法第一八条に則り、被告人等において右罰金を完納することができないときは、金千円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置することとし、被告人等が収受した金員のうち被告人等が他に供与したと窺われる金額を控除したものについては公職選挙法第二二四条前段に則りこれを没収すべきところ、これを没収することができないので、同条後段に従い、その価額を追徴すべく、被告人山形一郎、同小野重雄、同佐藤勝太郎、同佐藤俊一から各金四万円を、被告人小西周蔵から金二万千五百円を、被告人貝塚金治郎、同古川清、同田村新次郎、同内谷与太郎から各金二万円を追徴することとし、被告人貝塚金治郎に対しては、同法第二五二条第四項を適用して、同条第一項に定める選挙権及び被選挙権を有しない期間を四年に短縮することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文に則り、主文第五項掲記のとおり被告人等に負担させる。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 佐藤文哉)