秋田地方裁判所 昭和50年(ワ)340号 判決 1981年1月29日
原告 石田一良
<ほか三名>
右原告ら訴訟代理人弁護士 金野繁
同 沢田隆義
被告 日本赤十字社
右代表者社長 東龍太郎
<ほか一名>
右被告ら訴訟代理人弁護士 内藤庸男
同 内藤徹
主文
原告らの被告坂西昭夫同日本赤十字社に対する請求はいずれもこれを棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者双方の申立て
一、請求の趣旨
1 被告らは各自原告石田一良に対し金二七七四万九二五三円及び内金二五二四万九二五三円につき、被告日本赤十字社は昭和五〇年一一月二一日以降、被告坂西昭夫は同月二六日以降いずれも完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告らは各自、原告石田香織、同石田由利子、同小泉礼子に対し、それぞれ金一七七六万六一六八円及び内金一六二六万六一六八円につき、被告日本赤十字社は昭和五〇年一一月二一日以降、被告坂西昭夫は同月二六日以降いずれも完済まで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決並びに1項、2項につき仮執行の宣言。
二、請求の趣旨に対する答弁
被告ら
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
第二、当事者の主張
(被告坂西に対する請求原因、被告日本赤十字社に対する主たる請求原因―以下「請求原因第一」という)
一、当事者の地位
1 原告石田一良(以下「原告一良」という)は亡石田希以子(以下「希以子」という)の夫であり、原告石田香織(昭和三九年一月二六日生―以下「原告香織」という)は右両名の間の子であり、原告石田由利子(以下「原告由利子」という)同小泉礼子(以下「原告礼子」という)は亡堀内博と希以子との間の子で原告一良の養女にあたる。
2 被告日本赤十字社(以下「被告日赤」という)は日本赤十字法に基づく法人で、秋田市中通一丁目四番三六号秋田赤十字病院(以下「秋田日赤」という)を経営し、医療業務を行なっているものであり、被告坂西昭夫(以下「被告坂西」という)は、右病院に医師として雇われ、外科部長として同病院における外科の業務を統轄しているものである。
二、診療の経緯
1 希以子は昭和五〇年七月七日午前一一時四〇分ごろ、黄疸症状の出現と右季肋部鈍痛を感じ、秋田市旭北栄町所在の白根病院に赴き訴外白根雄二医師の診察を受け、同医師の紹介により、同日午後三時ころ秋田日赤外科外来に到り、白根医師の紹介状と川瀬病院のカルテ及び原告一良宛ての書簡を提出したところ、直ちに同病院外科に入院させられ、同日午後四時ころ若い外科医師が簡単な診察をなした後、午後六時ころ右外科医師と看護婦による点滴を受けた。
2 翌八日朝の回診の際、毎日点滴一本ずつ行なう旨を告げられ、午後胸部レントゲン、心電図、採血の検査が行われた。
3 翌九日午前五時ころ、希以子から家に気分が悪く、目まい、動悸が非常に激しいという電話連絡があり、原告由利子と原告一良の長男が病院に駆けつけたところ、一見して非常に衰弱しており、同日午前八時三〇分ころ腎機能の検査のためコップ三杯程の検査液を飲むよう指示されたが、飲むと間もなく三、四回嘔吐した。
4 翌一〇日午前四時半ころ家に前同様の電話連絡があり、原告一良が駆けつけ、被告坂西の来診を求めたところ、午前九時過ぎでないと来ないと告げられたので、原告一良は同日午前九時三〇分ころ被告坂西に面会し、川瀬病院での診療経過を話し、「肝臓からの黄疸でないか」と意見を申し出て、再三再四内科的治療を要請したが、被告坂西は素人判断と一蹴し、「そんなに重い病気ではない。胆嚢炎で手術により胆石を取りさえすれば黄疸はすぐ治る」といい頑として応じなかった。
5 同日午前一〇時二〇分ころから点滴を開始したが、間もなく患者の体動が激しくなり、うわ言を話し、意識が混濁し始め、当番の看護婦も右の容態を知りながら何らの措置を講ぜず、同日午前一二時二〇分ころ点滴が終わり、看護婦が検査しようとしたところ、更に一層体動が激しくなり、意識を喪失したので、看護婦は二ccの注射を打ち、午前一二時五〇分から午後一時ころの間に二人部屋に移し、同日午後二時三〇分ころようやく内科の三浦医師が診察し、同医師が退室して約一〇分後に内科及び外科の医師が数名来室し、その後原告一良は医務室に呼ばれ、被告坂西から患者を内科に移す旨、内科の三浦医師からは手遅れで縁戚関係者に知らせるよう告げられた。
6 その後種々の治療がなされたが、希以子の病状は悪化し、翌七月一一日午前八時三〇分劇症肝炎による肝性昏睡によって死亡した。
三、被告坂西の過失
被告坂西の診断及び治療については以下主張するような過失が存した。
1 診断について
(一)希以子は秋田日赤外科に入院当時、右季肋部の鈍痛を訴え、黄疸症状を呈していたものであるところ、一般に黄疸は閉塞性黄疸・肝細胞性黄疸・溶血性黄疸・間接ビリルビンの増量する非溶血性黄疸・肝内うつ滞性黄疸等に分類されるようにその発生原因において多様であるから、医師としては血液像、尿、大便、十二指腸液の所見、肝機能検査、エックス線検査等その発生原因を鑑別するための総合的な諸検査を実施すべきであるにもかかわらず、被告坂西は七月九日に心電図・胸部レントゲン・採血等の検査をしたに止まる。
(二) 希以子は、昭和五〇年一月一六日から同年四月上旬まで、東京都港区所在の川瀬病院に入院して治療を受けていたが、当時の病状については原告一良から被告坂西に入院当日の七月七日、同病院のカルテ及び原告一良宛ての書簡を提出しており、右カルテ、書簡には希以子の病因について慢性肝炎または膠原病で、胆石症ではない旨明記されていたのであるから、右カルテ等を検討すれば、希以子の病気が肝炎に基因するものであることを察知し得たにもかかわらず、被告坂西は原告一良の再三の懇請を無視し死亡前日の七月一〇日に至り右書面を披見したに過ぎない。
(三) 以上のとおり、被告坂西は医師として当然用いるべき注意義務を怠った結果、希以子の病因を早期に発見することができず、胆石症・胆嚢炎と誤診した。
2 治療について
被告坂西は右の誤診に基づき同月七日から同月一〇日まで毎日一本ずつの静注をなし、同月九日から食後投薬を開始し、同月一〇日に鎮静剤を一本注射するなど、全体的に極めて不十分な治療に終始し、劇症肝炎に対して有効な抗生剤、ACTH、副腎ステロイドの投与等の薬物療法を施行しなかった。
四、因果関係
被告坂西が速やかに必要な諸検査と既往症の調査をしていたならば希以子の病因が劇症肝炎であることを早期に発見診断することができ、これに対する適切な治療を開始することにより死亡の結果を回避し得たというべきである。
五、損害
1 希以子の逸失利益
(一) 希以子は死亡当時満四三才で有限会社双葉不動産に勤務し、昭和四九年度における基本給、歩合給の総所得額は四一九万七四〇〇円で、生活費控除率は右年収の二〇パーセントと認めるのを相当とするから、その純収入は年間三三五万七九二〇円となるところ、その就業可能期間中における純収入の総額から、年五分の中間利息(新ホフマン係数一五・五〇)を控除し、死亡時の現価を算定すると、逸失利益の総額は五二〇四万七七六〇円となる。
(二) 原告らによる相続
原告らは、右希以子の損害額五二〇四万七七六〇円を、共同相続人として法定相続分により、原告一良につきその三分の一に相当する一七三四万九二五三円、その余の原告香織、同由利子、同礼子につき各九分の二に相当する一一五六万六一六八円宛を相続により承継した。
2 原告ら固有の慰藉料
被告坂西の故意に近い重過失により、原告一良は妻を、その余の原告は母を失い、その憤りと悲しみは大きく、原告らに対する慰藉料は原告一良につき六五〇万円、その余の原告については各四五〇万円を相当とする。
3 葬儀費用
原告一良は喪主として一〇〇万円以上の葬儀費用を支出した。
4 弁護士費用
原告らは訴訟代理人沢田隆義、同金野繁の両名に本件訴訟を委任し、着手金として原告一良につき四〇万円、その余の原告三名につき各二〇万円合計一〇〇万円を支払い、成功報酬として勝訴額の一割と約しているので、その額は原告一良につき二五〇万円、その余の原告三名につき各一五〇万円を下らない。
5 そうすると原告らの損害賠償請求債権は原告一良につき、二七七四万九二五三円その余の原告三名につき各一七七六万六一六八円となる。その内訳は次のとおりである。
(一) 原告一良
(1) 逸失利益相続分 一七三四万九二五三円
(2) 慰藉料 六五〇万円
(3) 葬儀費用 一〇〇万円
(4) 弁護士費用
着手金 四〇万円
成功報酬 二五〇万円
(二) 原告香織、同由利子、同礼子につき
(1) 逸失利益の相続分 一一五六万六一六八円
(2) 慰藉料 四五〇万円
(3) 弁護士費用
着手金 二〇万円
成功報酬 一五〇万円
六、被告らの責任
よって被告坂西は不法行為者として民法七〇九条により、被告日赤は被告坂西の使用者として民法七一五条により、原告らに対し各自右の損害を賠償する責任がある。(被告日本赤十字社に対する予備的請求原因―以下「請求原因第二」という)
被告日赤に対しては予備的に次のとおり主張する。
一、当事者の地位
希以子と原告らの身分関係、被告日赤の法人格及びその業務内容、被告坂西の被告日赤における地位は被告日赤に対する請求原因第一の一項で主張したとおりであるからこれを引用する。
二、診療契約の成立
希以子は、被告日赤との間で昭和五〇年七月七日希以子の病気について診断並びに治療をなすことを内容とする診療契約を締結した。
三、診療の経緯
請求原因第一の二項で主張したとおりであるからこれを引用する。
四、被告日赤の不完全履行
秋田日赤、医師被告坂西の診断及び治療に診療契約上の善管義務に違反する所為があったことは請求原因第一の三項1、2で主張するとおりであるからこれを引用する。
五、因果関係
請求原因第一の四項で主張したとおりであるからこれを引用する。
六、損害
請求原因第一の五項で主張したとおりであるからこれを引用する。
七、被告日赤の責任
よって被告日赤は希以子との間の診療契約に基づく債務の不履行に基き原告らに対し右の損害を賠償する義務がある。
(結論)
よって被告らに対し、連帯して、原告一良は二七七四万九二五三円、その余の原告らはそれぞれ一七七六万六一六八円及び弁護士費用中の成功謝金を除き、原告一良は内金二五二四万九二五三円に対し、その余の原告らは各一六二六万六一六八円に対し、いずれも被告らに訴状の送達された日の翌日にあたる被告日本赤十字社については昭和五〇年一一月二一日以降、被告坂西については昭和五〇年一一月二六日以降各支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による金員の各支払を求める。
(請求原因第一に対する被告日赤、同坂西の認否)
一、請求原因一項1の事実は知らない。同2の事実は争わない。
二、同二項1の事実中、昭和五〇年七月七日午後三時ころ、希以子が白根雄二医師の紹介により秋田日赤外科に入院したことと認めるが、その際川瀬病院のカルテ及び原告一良宛ての書簡の提出を受けたことは否認する。その余の事実は争う。同2ないし5の事実は争う。同6の事実は認める。
三、同三項の事実は争う。
四、同四項の事実は争う。
五、同五項の事実中1の逸失利益、2の慰藉料についての主張は否認する。3の葬儀費用、4の弁護士費用については知らない。5項は知らない。
六、同六項は争う。
(請求原因第二に対する被告日赤の認否)
請求原因二項の事実は認める。同四項、五項、七項の事実は争う。その余の同一項、三項、六項に対する認否は、その引用する請求原因第一の一項、二項、五項に対する認否と同一である。
(請求原因第一、第二に対する被告らの主張)
被告坂西の希以子に対する診療行為については、原告ら主張のような過失、ないしは診療契約上の不完全履行は存しない。すなわち、
1 希以子の入院後における治療の経過は別紙のとおりであるところ、希以子に昭和五〇年六月三〇日右上腹部、右肩、背部痛が出現し、同年七月四日黄疸、発熱があり、尿が濃紅色となり、悪心嘔吐を伴う症状があった。そこで希以子は同月七日午前一一時ころ、秋田市白根病院で白根雄二医師の診察を受け、検査の結果白血球一万五〇〇〇の増加を認め、胆石症急性化膿性胆嚢炎の疑いと診断され、同時刻ころ白根医師から被告坂西に電話による紹介があったので、被告坂西は入院室を確保し患者の来院を待ったが、同日午後一時半の手術開始時間までに来院せず、同日午後三時ころに至り女性一名に附添われて秋田日赤外科外来を訪れ、白根病院の紹介状を呈示した。そこで受付係事務員加賀谷は、午前中に被告坂西から知らされていたので、直ちに電話で手術中の被告坂西の了承を得、希以子を入院させたものである。
2 本症例は入院七日前に右上腹部痛が発現し、右の疼痛は右肩・背部に放散した。また希以子は入院三日前に黄疸に気付き、悪心・嘔吐・発熱を伴っている。疼痛・発熱・黄疸は胆石症の三主徴であり、これに加え入院当日白根病院における検査により白血球増多が証明されているので、臨床的にはまず胆石症による胆管気系感染症を疑うのが通常である。事実白根病院においても胆石症・胆嚢炎と診断され、右病名によって秋田日赤に紹介され同月七日午後三時過に入院した。
3 翌八日早朝より疾患の診断及び手術を含む処置に必要な血液検査・尿検査・便検査・腎機能検査・オーストラリア抗原・肝機能検査・血清蛋白電気泳動試験・血清電解腎検査・心電図・胸部レントゲン撮影等の諸検査が行われた。これらの検査結果が報告されるのは一、二日後で一番時間を要するのは肝機能検査でその結果が判明したのは一〇日であった。
4 入院当日から糖と電解質を含む輸液を肝庇護剤とともに注射し、以後毎日同一の治療を行っている。また抗生物質としてネオマイゾンを使用しており、これは胆嚢炎の治療を目的としたものであったが、結果的には腸内細菌の発育を抑え、肝炎の治療としても適切なものであった。副腎皮質ホルモンは使用していないが、これは感染症が疑われたときには使用しないのが原則であるためである。交換輸血に関しては昏睡に陥った後に初めてその是非が考慮されるもので、当初からこれを行うことはあり得ない。
5 希以子の入院後の経過は、黄疸・発熱・右上腹部痛が続き、触診により右上腹部に圧痛と抵抗があり、一〇日午前一〇時ころの被告坂西の廻診時には意識の混濁はなく、発熱・全身倦怠感を訴えていた程度である。患者の体動が激しくなり、うわ言を言い、意識が混濁し始めたのは同日午後一時三〇分ころである。
6 なお宮村医師は川瀬病院の原告一良宛ての書簡(甲第三号証)を八日午前の廻診時に患者から受取ったが、右の書面は医師に対する紹介状ではなく原告一良宛ての症状経過報告書の形態をとっており、作成者の署名も押印もなく信憑性の疑わしいものであった。
7 以上のとおり希以子の入院当日直ちに胆嚢炎並びに黄疸に対し現在最も有効適切であり、安全と考えられる輸液(肝庇護剤を含む)、抗生物質等を投与し、早急かつ強力に治療を開始し、一〇日午後一時に劇症肝炎と診断した後は、直ちに内科にその治療を依頼しており、被告坂西につき医療上の手落ちは全くなく、希以子及び原告らにおいて、発病当初の七日間、何らの医療を受けないで経過していたことが予後を不良にし、診断の遅れをもたらした最大の原因であり、ひいては死への転帰を早める結果となったものである。
第三、立証《省略》
理由
第一、原告らの被告坂西に対する請求、被告日赤に対する請求原因第一について判断する。
一、請求原因一項2の事実は当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告一良は希以子の夫であり、原告香織(昭和三九年一月二六日生)は右両名の間に出生した子であり、原告由利子、同礼子は希以子とその先夫亡堀内博との間に出生した子で、原告一良の養女にあたることが認められる。
二、そこで原告ら主張の被告坂西について過失の存否を判断するに先立ち、秋田日赤における希以子に対する診療の経緯について検討する。
希以子が昭和五〇年七月七日午後三時ころ訴外白根雄二医師の紹介により秋田日赤外科に入院し、同病院で入院治療中の同月一一日午前八時三〇分、劇症肝炎による肝性昏睡によって死亡したことは当事者間に争いがないところ、《証拠省略》を総合すると次の事実が認められる。
1 希以子は昭和五〇年七月七日午前一一時四〇分ころ、受診のため秋田市旭北栄町所在の内科胃腸科白根病院を訪れ、同病院院長白根雄二医師の診察を受けたが、同医師は主訴として右季肋部の鈍痛があり、視診上球結膜に高度の黄疸を認め、触診上腹部・右季肋部に抵抗圧痛が強く、採血検査の結果、白血球数は一万五〇〇〇と増多しているので、胆石症・胆嚢炎の疑いと診断し、直ちに総合病院外科に入院の必要があると認め、同日午前一一時ころ被告坂西に電話連絡し、右診断及び検査の結果を伝えるとともに、同病院への入院を依頼した。
2 希以子は、原告礼子に付添われ、同日午後三時ころ秋田日赤外来事務受付に来院したので受付係員事務員加賀谷キミ子は直ちに外科看護婦室に連絡した。
3 被告坂西は同日外来診療日にあたり、診療時間の午前一二時半まで外来で希以子の来院を待ったが現われなかったため、診察できず、同日午後一時五〇分に開始された手術の施行中看護婦よりその旨の連絡を受けて四B病棟四一六号室への入院を指示した。
4 同日午後四時、秋田日赤外科医師宮村、同越後谷両名が入院時の診察を行ったが、その際紹介者である白根雄二医師が名刺の裏面に記載した御依頼と題する文面及び被告坂西が白根医師から予め聴取した電話連絡の内容のメモにより、白根病院の診断名が化膿性胆嚢炎の疑いであり、同病院の採血検査によれば白血球数は一万五〇〇〇であることを了知した。
5 右宮村、越後谷両医師が右診察の際問診により聴取した既往歴、現在歴は次のとおりであり、診察所見によれば栄養状況は良、意識は正常、顔貌は平常、脈搏一分間一〇二であり、黄疸・発熱・右季肋部の圧痛を認め、該部位に腫瘤を触知したが、肝臓・脾臓・腎臓は触知しなかった。右診察の結果、胆石症・胆嚢炎の疑いと診断した。
(一) 既往歴
昭和二〇年甲状腺腫にて手術し、昭和四五年虫垂切除術と卵管結紮術を受けた。昭和四五年一二月胆嚢炎の診断で通院治療した。昭和五〇年一月に発熱・全身倦怠感があり、東京虎の門病院で胆嚢炎の診断を受け、近くの川瀬病院に入院したが、同病院では慢性肝炎と言われ、肝臓腫大を指摘され、三月末まで入院加療を受け軽快したが黄疸はなかった。
(二) 現病歴
昭和五〇年六月三〇日、何らの誘因もなく右季肋部痛が出現し、痛みは食事に関係なく肩から背部に広くゆきわたり、鉛の板を押しつけられたような重苦しい感じがあり、やがて顔色が黄色になって周囲の者が気付き、尿も濃紅色となり悪心嘔吐があった。
6 入院時の看護記録中の現病歴欄には、一週間前古本を片付けていたところ、右背部の鈍痛あり、両肩こりもあった。安静にしていたが、四月頃より眼球結膜、皮膚の黄染が見られ始め、発熱もあり、更に皮膚、球結膜の黄染が増強し、右側腹部に膨満感があって、排ガスがみられなくなり、本日白根病院で受診しすぐ当院を紹介され、入院となる。もっと早く入院したかったが子供が小学生であり、留守を気づかって遅い来院となった旨の、入院時の状態欄には、眼球結膜・皮膚の黄染が激しい。右側腹部に重圧感が始終ある。吐気ないし背部を圧すると吐気が出る旨の各記載がある。
7 宮村、越後谷両医師は主治医として同日午後六時ころ診察の結果に基づきビタノイリン・ビタミンB2、C1、K1・タチオンを混じた輸液(KN3B液)の点滴静注と抗生物質(ネオマイゾン)の注射を行い、午後九時ころ発熱に対しインダシン坐薬を投与した。
8 翌八日朝、秋田日赤において入院時の大検査と称している一般検査を指示した。右検査内容には血算・血清総蛋白質量・流酸亜鉛試験・チモール混濁反応(TTT)・アルカリ性フォスターゼ、血清トランスアミナーゼ(GOT、GPT)・血清乳酸脱水酵素・オーストラリヤ抗原・コレステロール値・電気泳動法等肝機能に関係のある諸検査をも含むものであった。
9 同日午前一〇時からの廻診時、宮村医師は希以子本人あるいは付添人のいずれかから川瀬病院からの手紙と称し、書面(甲第三号証)の提出を受けたので、同医師は右書面を預かりカルテとともに保管した。
10 同日、前日と同様輸液、抗生物質の注射を施行したほか、径口剤としてラックB(乳酸菌剤)・コリオパン(鎮痛剤)・グリチロン・ガロゲン(利胆剤)・フェスタール(消化酵素剤)を投与した。
11 翌九日、腎機能検査(PSP)のため飲用したお茶を二、三回嘔吐したが、同日午前一〇時からの宮村、越後谷両医師の廻診の際には病状に変更を認めず、午後七時三〇分ころに至り上腹部重圧感と全身倦怠感を訴えていた。治療としては同日も前日と同様輸液、抗生物質の注射を行った。
12 翌一〇日、被告坂西による廻診が午前一〇時から行われることとなっていたが、被告坂西は右の廻診に先立ち、午前九時三〇分原告一良からの申出に応じて同原告と面会した際、同人より、希以子の病気は胆石ではなく、内科の病気であるから、転科させて欲しい旨の申出を受けたが、主治医師宮村、同越後谷両医師による同日までの診療の経過に基づき、胆石症の疑いがある旨を説明した後、午前一〇時からの廻診の際、初めて希以子を直接診察したがその際同女は全身倦怠感を訴えていたものの意識に混濁を認めず、被告坂西は右診察の結果によっても胆石症、胆嚢炎の疑いを維持すべきものと診断した。
13 同日午前中、これまでと同様に輸液・抗生物質を注射したが、午後一時三〇分ころ、看護婦長万田ノブは、担当看護婦からの連絡により希以子の話すことがはっきりせず、同女に呼称反応がなく、時折り焦点の定まらない状態にあることに気付き、急遽二人部屋に移したが、右時刻ころ主治医宮村、越後谷両医師は手術中であり、被告坂西も午後一時から午後二時までの間秋田貯金局における勤務にあたり不在であったため、万田ノブは宮村医師の指示によりホリゾン(鎮静剤)を注射して被告坂西の帰来を待ち、同被告が午後二時三〇分帰院して直ちに診察した結果、急性黄色肝委縮症と判断し、直ちに内科医三浦荘治医師の来診を求めたところ、同医師においても肝性昏睡と診断した。
14 そこで直ちに内科に転科させ、同日午後四時四五分から翌一一日朝まで徹夜による治療が行われたが、前記のとおり同日午前八時三〇分ころ死の転帰をとるに至ったものである。
15 死後剖検による所見によれば、肝臓は非常に縮少し、肝細胞はその殆んどが壊死に陥り消失しており、僅かに肝細胞巣を認めるのみであったが、胆嚢に結石はなく、胆管にも通過障害はなく、その死因は劇症肝炎と判断された。
16 なお当時秋田日赤外科は、被告坂西、訴外宮村治男、同越後谷武、同土屋某、同小柳某の五名の医師によって構成され、入院病棟患者については宮村、越後谷両医師と土屋、小柳両医師がそれぞれ一組となってその診療を担当し、被告坂西は外科部長として右医師らを統轄する地位において週二回の廻診の方法により入院患者全員の診療に関与していたものである。
以上のとおりであ(る。)《証拠判断省略》
三、右認定の診療の経緯を前提として被告坂西の過失行為の存否について判断する。
1 希以子が劇症肝炎に基因する肝性昏睡により死亡したことは当事者間に争いがない。ところで被告坂西は同日午後二時三〇分希以子に意識の混濁、肝濁音の消失を確認し、急性黄色肝委縮症と診断するまでは、胆石症・胆嚢炎を疑診していたものであることは前記認定のとおりであるところ、原告らは右の疑診は、被告坂西において診断のために必要な諸検査、既往症に対する検討を怠った過失に基因する旨主張するので検討する。
2 原告らは、被告坂西において七月九日心電図・胸部レントゲン・採血等の検査をしたに止まる旨主張し、右の事実を前提として被告坂西の過失を主張するのであるが、被告坂西は七月一〇日の廻診の際初めて希以子を診察したもので、それまでは越後谷、宮村の両医師が主治医としてその診療に関与し、同医師らは希以子の入院翌日の八日朝、入院時の大検査と称する一般検査を指示し、右検査中には肝機能検査を含むものであることは前判示のとおりであり、《証拠省略》によれば、右検査成績の結果が判明しさえすれば当然肝機能障害の存否についても確診し得たことが認められるから、この点に関する原告の主張は失当である。
3 更に原告らは被告坂西に既往症に対する検討を怠った過失がある旨主張するので検討する。
原告らは右の主張の前提として、入院当日の七月七日原告一良から被告坂西に川瀬病院のカルテ及び原告一良宛の書簡を提出した旨主張するので検討するに、《証拠省略》によれば、希以子は昭和五〇年一月一六日東京都所在虎の門病院で急性胆嚢炎の疑いと診断され、同病院に空床がなかったため近くの川瀬病院を紹介され、同病院に入院のうえ加療したが、同病院においては急性胆嚢炎の疑いは否定され肝障害と診断され同年三月二八日退院したことが認められるところ、秋田日赤外科に入院中同病院のカルテが提出された事実についてはこれを認め得る証拠はなく、また原告一良宛の書簡(弁論の全趣旨によれば右書簡とは甲第三号証の書面と解される)を秋田日赤に入院と同時に提出した旨の原告の主張については、《証拠省略》中、右の主張にそう供述部分はにわかに措信し難く、他に右の事実を認めるに足る証拠はない。
却って、前記診療の経緯として認定した事実に《証拠省略》を綜合すると、前記川瀬病院の書面は翌八日朝宮村医師の廻診の際提出され、カルテとともに保管され、その後内科に引継がれたが、宮村、越後谷両医師は右書面の内容を閲覧し、一〇日被告坂西も廻診の際右書面の内容を見ており、右書面には「昭和五〇年一月二〇日白血球、レントゲン所見により胆嚢炎は否定」と記載されていたが、当時宮村、越後谷両医師の指示により、肝機能検査を含む一般検査を実施中であり、右諸検査の結果によっては初診時の疑診を否定し異なった確診を得ることも可能であったのであるから、数か月前の川瀬病院における診断ないしは検査結果に従って胆石症・胆嚢炎の疑診を撤回しなかったからといって、これをもって被告坂西ら医師に注意義務違反があったものということはできないのみならず、成立の真正に争いのない乙第二七号証(浦井和夫作成の鑑定書)によれば、川瀬病院入院時には黄疸の発症はなく、触診により肝臓の肥大を認めたが、秋田日赤入院時黄疸があり肝臓を触知していない等その症状に相違があるうえ、原告らも主張する如く黄疸の発生原因は多様であってその鑑別診断のためには総合的な検査を必要とすることが認められるところ、その書面の形式内容自体に徴して成立の真正を認める乙第二〇号証(佐々木博作成の鑑定書)によれば、希以子の死因である劇症肝炎は発病後四週間以内に意識障害、出血傾向等急性肝不全の徴候を示す肝疾患であり、その原因としてはウイルス、薬剤等の成因が挙げられるが、入院後意識障害の発現に至るまで三日の期間が存するに過ぎない本症例においては、検査施行後その結果の到達までの期間を考慮すると、その発生を予見することは困難であったことが認められる。
4 更に原告らは被告坂西の治療について過失の存在を主張するのであるが、劇症肝炎の発生を予見することが困難であったと認められる以上、劇症肝炎に対応する治療を講じなかったことをもって過失ということのできないことはいうまでもなく、前記認定のとおり宮村、越後谷両医師は外科における診療期間を通じ、連日タチオン・ビタミンを混じた輸液の静注と抗生物質ネオマイゾンの継続投与を指示し、八日にはラックB(乳酸菌剤)フェスタール(消化酵素剤)の投与を行っており、前顕乙第二七号証によれば、右治療方法は一般の肝炎に対する治療としても有効適切であったことが認められる。
四、以上説示し来ったところに前顕乙第二〇、第二七号証を併わせ考えると、被告坂西及び主治医宮村、越後谷らの診療行為につき原告主張の過失の存在を肯認することはできず、被告らに対し被告坂西の不法行為責任及び被告日赤の使用者責任に基づく損害賠償を求める原告らの請求原因第一は、その余の点について判断するまでもなく失当というべきである。
第二、次に原告らの被告日赤に対する請求原因第二について判断する。
一、希以子と被告日赤との間に昭和五〇年七月七日、被告日赤が希以子の病気について診断並びに治療をなすことを内容とする診療契約の締結のあったことは当事者間に争いがなく、右診療契約の法律的性質は準委任契約と解するのを相当とするから、被告日赤は右契約の本旨に従い、善良なる管理者の注意をもって適切な診断と治療をなすべき注意義務があるというべきところ、希以子の診療の経緯については請求原因第一に対する判断理由第一の二で認定したとおりであり、右認定の事実によれば、秋田日赤外科所属の医師として希以子の診療に関与した被告坂西、訴外宮村、同越後谷ら各医師はいずれも被告日赤の希以子に対する診療契約に基づく債務の履行補助者たる地位にあったものと解するのを相当とする。
二、ところで原告らは、被告坂西につき、右診療契約上の善管義務に違反する所為のあったことを理由に、被告日赤の債務不履行責任を主張するので、以下主治医である宮村、越後谷を含む被告坂西ら秋田日赤外科所属の医師につき不完全履行の有無について判断する。
医師として診療業務に従事する者は、受診する患者の病因につき問診・視診・触診・打診・聴診その他各種の臨床上・理学上の検査結果に基づく所見を総合して、受診する患者の病因の的確な判断に努め、その病因に対応した適切な治療を施すべき義務のあることはいうまでもないが、その診断、治療行為につき診療契約上の善管義務に反する不完全な履行が存したか否かは、その行為の行われた諸条件のもとにおいて判断さるべきところ、原告らは、被告坂西は心電図・胸部レントゲン・採血等の検査を行ったに止まり、黄疸の発生原因を鑑別するに必要な総合的な諸検査を怠り、あるいは希以子の既往症についての検討を怠った結果、胆石症・胆嚢炎と誤診し、右の誤診に基づき不適切な治療を行ったものである旨主張するのであるが、被告坂西・主治医の宮村、越後谷らに右原告らの主張するように黄疸の鑑別の為に必要な諸検査並びに既往歴の検討を怠ったと目される診断方法上の不手際により希以子の病気を誤診し、その結果不適切な治療を施行した事実の認め難いことは、請求原因第一の判断理由中診療の経緯(第一の二)被告坂西の過失の存否(第一の三)について判示したところによって明らかである。
三、そうすると被告坂西らに診療契約上の不完全履行のあったことを前提として、被告日赤に対し債務不履行に基づく損害の賠償を求める原告らの請求もまた失当というべきである。
第三、以上の次第で、原告の被告坂西、同日赤に対する請求はいずれもその理由がないから失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 名越昭彦)
<以下省略>