大判例

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秋田地方裁判所 昭和63年(ワ)90号 判決 1991年3月18日

原告

加藤智巳

右訴訟代理人弁護士

荘司昊

被告

太田瑞夫

右訴訟代理人弁護士

内藤徹

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和四六年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一事実経過

争いのある事実については( )内に認定した証拠を挙げる。

その余については争いのない事実である。

1  当事者

原告は、昭和四五年一二月一四日生まれの女性で、被告は「太田小児科医院」の名で小児科医院を営む開業医である。

2  原告は、昭和四六年一月一六日から同年九月二九日までの間、前後一八回にわたり、風邪等の病名により被告の診察を受け、その際、肩甲部、臀部及び大腿部の各左右交互に計一二回(各部位につきそれぞれ二回)の筋肉注射を受けた(<証拠略>)。

3  原告の母親が昭和四六年九月ころ、原告の左足膝関節の屈曲障害を発見し、原告に整形外科医院の治療を受けさせたところ、四頭筋短縮症との診断を受けた。同医院でマッサージ治療がなされたが、一定の対症的効果はあったものの、治療を中断するとすぐに元のとおり屈曲障害が生じてしまう状態で、根本的な治癒には至らなかった(<証拠略>)。

その後、原告の右足にも屈曲障害が生じ、手術等を受けたものの、根本的な治療効果はなく、昭和六二年一〇月時点での原告の症状は左記のとおりである(<証拠略>)。

病名 両大腿四頭筋短縮症

症状 ①膝関節可動域(自他動とも)

伸展時 左右とも〇

屈曲時 右一二〇度、左八〇度

②大腿筋萎縮

膝上一〇cm 右四五cm、左三九cm

膝上一五cm 右四九cm、左四五cm

③腓腹部最大径

右35.5cm、左三四cm

④手術痕

左大腿部前面から膝外側にかけて二五cm

左大腿外側部 一五cm

4  原告は、原告の両大腿四頭筋短縮症は、被告の大腿部への筋肉注射が原因であり、被告には過失責任があるとして、債務不履行、不法行為に基づき慰謝料を請求している。

これに対し、被告は、大腿四頭筋短縮症(大腿四頭筋拘縮症、ともいう。)には注射に起因するもの以外に先天性のものもあるから、被告が原告になした大腿部への筋肉注射と原告の大腿四頭筋拘縮症との間に因果関係は認められず、また、被告が原告に筋肉注射を施した当時、被告には大腿部への筋肉注射により大腿四頭筋拘縮症が生じる危険性があることにつき予見可能性がなかった旨主張している。

二争点

1  原告の両大腿四頭筋短縮症と被告の筋肉注射との間に相当因果関係が認められるか。

2  被告に、被告が原告に筋肉注射を施した当時(昭和四六年)、筋肉注射により大腿四頭筋拘縮症が発症する危険性があることにつき予見可能性があったか。

3  1及び2が認められた場合の原告の慰謝料額

第三争点に対する判断

一争点1について

<証拠略>及び大腿四頭筋拘縮症についての各症例報告(<証拠略>)によれば、大腿四頭筋拘縮症の成因としては、大腿部への筋肉注射(以下、単に「筋注」ともいう。)のほか先天性のものも認められる。しかしながら、本件においては、前記認定のとおり、被告によって、原告の大腿部へ二回の筋注がなされており、医学的には、一、二回の大腿部への筋注でも大腿四頭筋拘縮症の発症はありうること(<証拠略>)、原告の膝関節の屈曲障害は被告による大腿部への筋注後間もなくして発生し、原告はその後大腿四頭筋拘縮症の診断を受けていること、等の事実が認められ、かかる事実に大腿四頭筋拘縮症は、その多くが筋注に起因するものであり、先天性のものは稀であること(<証拠略>)や原告の大腿四頭筋拘縮症の原因は注射だとかなりの確度で断定できる旨の関証言などを照らすと、原告の大腿四頭筋拘縮症は被告による大腿部への筋注を原因として発症したものと推認することができる。

したがって、被告の右筋注と原告の大腿四頭筋拘縮症との間には相当因果関係を認めることができる。

二争点2について

次に、被告に、昭和四六年当時、筋注により大腿四頭筋拘縮症の発症の危険性につき予見可能性があったか否かにつき判断する。

1  <証拠略>によれば、以下の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(一) 昭和二二年、伊藤四郎が、大腿部注射による膝関節攣縮について報告し、これが大腿四頭筋拘縮症の注射原因説の端緒となった。その後昭和二七年の整形外科集談会において、大腿四頭筋拘縮症と注射薬剤との関係について精力的な検討が行われ、昭和三三年の日本外科全書のなかでは、大腿四頭筋拘縮症の大部分が注射によって発症したものであることが指摘された。その後、昭和三〇年代半ばころからは、各種の整形外科医の集会において大腿四頭筋拘縮症の症例報告が重ねられていき、標題にも「注射による」ことを明記したものが相次いで報告されるようになった。

(二) 昭和四六年当時、整形外科学会内においては、大腿四頭筋拘縮症の症例報告、それが筋注に起因するものであることを指摘する報告、文献は多数にのぼっており、整形外科医らの間においては、筋注に起因して大腿四頭筋拘縮症が発症することがあるとの知見は、広く認識されるようになりすでに一般化していた。

(三) しかしながら、右症例報告は、そのほとんどが、整形外科医によってなされ、その発表も整形外科学会内部の集会において行われていたものであり、また、これに関する論稿も整形外科内部の雑誌等に掲載されるにとどまり、医学会における閉鎖性が災いして、この情報について小児科学会を始め他の医学会に伝達するなどの積極的な対策を講じようとする動きはみられず、整形外科領域外へは伝達されないまま経過した。

(四) 一方、被告の所属する小児科学会においては、昭和三七年発行された一般小児科向けの医学書「小児の微症状」のなかで、大腿四頭筋拘縮症が注射で起こることが述べられており、昭和四六年には、熊谷進らが「注射による大腿直筋拘縮症について」という標題で、一般小児科向けの雑誌のなかで筋肉注射による障害性を警告していたが、一般の医師特に開業医を対象とした情報の伝達は不十分なものであり、そのほか小児科医の学会で大腿四頭筋拘縮症の症例報告、筋注に起因して大腿四頭筋拘縮症が発症するとの指摘、報告がなされた、或いはそのような文献が存在したことを認める証拠はない。

このような状況のもと、昭和四八年、山梨県で大腿四頭筋拘縮症が集団発生し、その原因が筋肉注射であることが指摘されて以来、国会でその問題が取り上げられ、厚生省でも大腿四頭筋拘縮症の発生状況を調査するなど社会問題化するに至った。日本小児科学会も、このような情勢のもとで、大腿四頭筋拘縮症の問題に取り組むことになり、昭和五〇年一〇月二八日、筋拘縮症準備委員会を発足させ、日常の診療に当って不必要な筋肉注射を阻止し、濫注射による大腿四頭筋拘縮症の防止を周知徹底させることを目的とし、昭和五一年二月及び同年七月に全部で九項目からなる「筋肉注射に関する提言」を広く発表し、さらに医療担当者にこの提言の趣旨を徹底させることを目的として、昭和五三年六月に学会誌に掲載し、同年一一月に関係機関に文書をもって周知方依頼した。

2  以上のとおり、本件筋注並びに発症時である昭和四六年当時、整形外科医の間では大腿四頭筋拘縮症が必ずしも稀な症例ではなく、本症の原因として筋注を疑うべきであるとの理解が一般的になってはいたものの、この情報につき小児科学会を始め他の医学会には伝達されないまま時日が経過し、右医学的知見は整形外科領域内でのみ認識されるに留まっていた。その結果として、小児科領域内においては、昭和四六年当時、大腿四頭筋拘縮症についての症例報告等はほとんどなされておらず、小児科領域内少なくとも小児科一般開業医のレベルにおいては、筋注に起因して大腿四頭筋拘縮症が発症するとの医学的知見についての認識はなかったものと推認される。このことは、前記高田及び同関は、「昭和四六年当時、小児科学会が、大腿四頭筋拘縮症の成因を把握していたとは認め難い。」旨証言していること、先に認定したとおり、昭和四八年に本症が社会問題化した後、日本小児科学会筋拘縮症委員会が本症の存在及び注射の危険性についての周知徹底が第一の急務であるとして「注射に関する提言」等の発表に精力を費やしていること、日本小児科学会筋拘縮症委員会はその報告書の中で、学会の閉鎖性、情報伝達の積極的な努力の欠如等を明示し、小児科等に従事する医師への情報不足が、昭和四八年の山梨県下における大腿四頭筋拘縮症の集団発生に至ったと自己批判的に指摘していることからも裏づけられるところである。また、<証拠略>によれば、昭和四六年当時も筋注の部位として、臀部、大腿筋及び肩の筋肉が推奨され、昭和四七年九月五日発行の小児科学改定第2版(<証拠略>)において、「筋注は、臀筋、大腿外側の中1/3がしばしば用いられる。」との説明がなされている。これらは、昭和四六年当時の小児科領域内の大腿四頭筋拘縮症についての医学的知見の程度を端的に物語るものといえる。確かに、前記認定のとおり昭和三七年発行の一般小児科向けの医学書「小児の微症状」の中には、大腿四頭筋拘縮症が注射で起こることが述べられているが、前記高田証言によれば、大腿四頭筋拘縮症についての説明を目的としたものではなく、本症につき述べられている部分も全体四〇〇頁のなかの一頁弱であることなどからすれば、この「小児の微症状」が小児科領域特に一般開業医への大腿四頭筋拘縮症についての情報伝達に寄与した程度には相当の疑問があるといわざるを得ない。

以上のとおり、昭和四六年当時、整形外科領域では、大腿四頭筋拘縮症の存在及びその成因が筋注によるという認識が広まっていたが、学会の閉鎖性等が災いして、他の領域にはその情報が伝達されず、小児科領域においては未だ大腿四頭筋拘縮症の存在少なくともその成因が筋注によるとの認識を有していたものと認めるには足りない。

3 一般に医学専門家である医師は、人の生命及び健康の管理を業務とするものであり、その職務の重要性に鑑みれば、患者の生命身体に危険を生ずることのないよう常に最善の注意を払って業務を遂行すべきであり、通常の業務の過程の中で、一般に購読等が予定されている医学雑誌等により容易に入手しうる情報については常に注意し調査すべき義務があるといえるが、一般開業医である被告に、小児科領域以外の雑誌等の調査までして、その情報に注意を払うべきなどの高度の調査義務まで負わせることはできない。前記認定のとおり、昭和四六年当時、客観的には大腿四頭筋拘縮症の報告例及びその成因が筋注であると示唆する文献が多く存在していたものの、そのすべてが小児科の一般開業医が購読することは予定されていない小児科領域外の雑誌及び大学の内部論文等のような入手するのが困難なものがその殆どであるから、右のような文献が存在していたことをもって、被告に予見可能性があったとすることはできない。また、被告の個人的な情報伝達経路により、筋注により大腿四頭筋拘縮症が発症するとの予見を得ることが客観的に期待できるような特別な事情も認めることができない。

4 以上を総合すれば、被告が原告に筋注を施した当時、被告が、大腿部への筋注により大腿四頭筋拘縮症が発生する危険性があることにつき予見可能性があったとは認め難いものと言わざるを得ない。

三よって、原告の請求は、その余について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却する。

(裁判長裁判官秋山賢三 裁判官加々美博久 裁判官川本清巖)

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