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秋田地方裁判所大曲支部 昭和45年(わ)36号 判決 1972年3月30日

主文

被告人田口正雄を懲役一年六月に、被告人田口完悦を懲役一〇月にそれぞれ処する。

但し、被告人両名に対し、この裁判確定の日から三年間それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人小野寺盛明、同佐々木光男に支給した分は被告人田口正雄の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人両名は、昭和四五年七月一〇日午後七時頃から秋田県仙北郡角館町山谷川崎字高屋二六〇番地小林晴夫方居間において、山仕事仲間の佐々木光男らとともに飲酒に興じていたところ、同日午後九時頃小林誠信(当時三一年)がたまたま同家を訪れてこれに加わり、ともに飲酒しながら雑談していたところ、同日午後一〇時頃右誠信が酔余被告人らの山仕事を侮蔑するような言辞を吐くなどしたことから、被告人田口正雄がこれに憤慨し、同人との間で口論となり、互いにつかみあうなどの小競合を始めたが、右佐々木や被告人田口完悦の制止によりその場は一応納まつたものの、そのうち被告人正雄と誠信が同家玄関前において、再び喧嘩を始め、同被告人が同人の頭部を小脇に抱き込み、その身体を振り廻して同人を同家玄関前に駐車中の貨物自動車の車体にぶつからせ、その後双方がなおもつかみあいながら同家玄関脇のアスパラ畑の方へ移動したうえ、同所において、さらに互いに転倒しながら取組合いを続け、その際同被告人において手拳で同人の頭部、顔面を数回殴打し、他方、被告人完悦は、その間取組合いの喧嘩を続けている被告人正雄と誠信の両名に対し、同家玄関前付近において、再三にわたりやめるよう声を掛けたが、両名ともなかなかやめようとしないので、前記アスパラ畑において誠信を組み伏せ同人に馬乗りになつている被告人正雄の襟首をつかんで両名を引き離したところ、誠信が起きあぎがるやいなや、「この野郎、お前もか。」と言いながら手を振り上げて立ち向つてきたため、「やめろ、やめろ。」と言いながらこれを制止したが、同人が聞き入れずなおも手向つてきたため、同人の挑戦的な態度に憤激した被告人宗悦は、前記佐々木が手出しをしないよう注意したのもきかず、誠信を前記貨物自動車の車体に押しつけ、手でその顔面のあたりを一、二回殴打したうえ、組みついて殴り返してくる同人に足払いをかけて地面に転倒させ、さらに転倒した同人の脚付近を数回蹴とばすなどし、もつてそれぞれ暴行を加え、よつて同人に対し頭頂後部右側に鶏卵三分の一大の軽度の皮下出血を伴なう腫脹、顔面前額部に示指頭面大の表皮剥脱、上口唇に皮下出血、右下腿膝に皮下出血などの傷害を与えたが、被告人両名のいずれの暴行により右傷害の結果を生ぜしめたものかを知ることができないものである。

(証拠の標目)<略>

(弁護人らの主張に対する判断)

弁護人深井昭二および被告人完悦は、被告人完悦の本件所為は、正当防衛または過剰防衛にあたると主張するので判断するに、前掲各証拠(但し、被告人田口正雄に対する関係の証拠を除く)によれば、被告人完悦の本件所為は、判示のとおり、被告人正雄を被害者から引き離して喧嘩をやめさせようとした際、被害者が「この野郎、お前もか」といいながら手向つてきたため、その態度に憤激し、佐々木が注意するのもきかず、被害者を駐車中の自動車の車体に押しつけ、手でその顔面のあたりを一、二回殴打したうえ、組みついて殴り返してくる同人に足払いをかけて地面に転倒させ、さらに転倒した同人の脚付近を数回蹴とばすなどしたというものであつて、右の経過に照らせば、被告人完悦は、喧嘩の仲裁をしたのに被害者がこれに応じないのみか、かえつて自己に手向つてきたため、憤りを爆発させて逆に被害者に攻撃を加えたものであつて、その所為は当初から防衛の意思に出たものではなく、むしろ積極的に攻撃の意思に出たものと認めるべきであるから、同被告人の本件所為は正当防衛と認めることができないことはもちろん、過剰防衛と認めることもできない。同弁護人らの右主張はいずれも採用しない。

(法令の適用)

被告人両名の判示所為は刑法二〇七条、六〇条、二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中いずれも懲役刑を選択して処断すべきところ、被告人両名はいずれも被害者の言動に触発されて本件犯行に及んだものであるとはいえ、被告人正雄は被害者に対し、きわめて執拗に暴行を加えており、また被告人完悦は被害者の攻撃から逃れる方策が他に充分考えられたにもかかわらず、敢えて積極的に本件所為におよんでいるものであつて、その犯情はいずれも軽視しがたいものがあり、また被害者が被告人両名の判示所為の結果外傷性ショックにより死亡するに至つたことは現に否定し得ない事実であり、一家の柱であつた被害者の突然の死によつて遺族の蒙つた精神的、経済的打撃ははかりしれないものがあること、しかし他面、本件は飲酒のうえでの犯行であり、被害者にも少なからず責められるべき点があること、被告人正雄において被害者の遺族に対して見舞金三〇万円を支払つていること、被告人両名はこれまで粗暴犯の前科もなく、比較的まじめに稼働してきたものであること、その他被告人両名の改俊の程度、家族関係等諸般の情状を考慮したうえ、その所定刑期の各範囲内で被告人正雄を懲役一年六月に、被告人完悦を懲役一〇月にそれぞれ処し、刑法二五条一項を適用して被告人両名に対し、この裁判確定の日から三年間それぞれその刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、証人小野寺盛明、同佐々木光男に支給した分はこれを被告人正雄に負担させ、証人村上利に支給した分は被告人両名に負担させないこととする。

(共謀の事実を認めなかつた理由)

検察官は、主たる訴因において、本件は被告人両名の共謀による犯行であると主張しているので判断する。

前掲各証拠によれば、本件の発端は被害者において被告人らの山仕事を侮るような言動に出たことにあるから、被告人完悦自身、被告人正雄と同様、被害者の右のような態度を快く思わなかつたであろうことは認めるに難くはないが、しかし被告人完悦は、被告人正雄と被害者との間に喧嘩闘争が始まるや、これを判示のように再三にわたりやめさせようとしていたのであり、しかも、右喧嘩闘争において被告人正雄が必ずしも劣勢であつたわけではなく、ことに被告人完悦が、判示のように被害者に暴行を加えるに至る直前にあつては、被告人正雄は被害者を組み伏せ馬乗りになるなどしており、被告人完悦においてことさら被告人正雄に加勢しなければならないような状況にはなかつたこと、また被告人完悦が被害者に暴行を加えるに至つたのは、判示のように、同被告人が、被告人正雄を被害者から引き離して喧嘩をやめさせようとしたのに、逆に被害者が「この野郎、お前もか」と言いながら手向つてきたのでこれに憤激したためであつて、多分に偶発的なものであること、したがつてその暴行も極めて突発的で短時間に行われたに過ぎないこと、そして被告人正雄は被告人完悦から引き離されると、そのまま付近の畠の中で喧嘩の最中に落したサングラスを探し廻つていて被告人完悦と一緒になつて被害者に暴行を加えたことはなかつたこと、さらに被告人完悦は被害者に暴行を加えた後、被告人正雄が、地面に仰向けに倒れている被害者に対し水をかけようとするや、これを制止していること、などを認め得るのである。以上の被告人完悦の本件犯行の動機、態様および犯行前後の行動態度ならびに被告人正雄の行動等に照らせば、被告人完悦は、前記のような動機からただ突発的に被害者に対し暴行を加えたに過ぎないものというべく、それ以上に被告人正雄と共同して被害者に暴行を加えようとの意思があつたとは到底認め難い。被告人完悦の司法警察員および検察官に対する各供述調書中、同被告人が被告人正雄と共同して被害者に暴行を加える意思で本件所為に及んだことを認ゆる趣旨の供述部分は前記認定の諸事実に鑑みれば、措信し難く、他に被告人完悦に共同暴行の意思があつたことを認めるに足りる証拠はない。以上の次第であつて、検察官主張の共謀の事実は認めることができない。

(傷害致死の同時犯を認めなかつた理由)

本件の予備的訴因は、被告人田口正雄、同田口完悦の両名は、昭和四五年七月一〇日午後一〇時ころ、仙北郡角館町山谷川崎字高屋二六〇番地小林晴夫方でたまたま酔余同家を訪れた小林誠信(当時三一年)とともに飲酒中、同人と被告人田口正雄とが些細なことから口論となつた際、

第一、被告人田口正雄は、同時刻ころ、同家玄関脇の畑において、右小林誠信と組みうちの喧嘩となり、手拳で同人の頭部顔面を数回殴打したうえ同人のからだを振りまわして同人を同家玄関前に駐車中のトラックの車体にぶつからせ、

第二、被告人田口完悦は、同時刻ころ、同所において、手拳および足で右小林誠信の顔面および足付近を数回殴る蹴るなどし、

もつてそれぞれ暴行を加え、よつて同人に対し頭頂後部右側に鶏卵三分の一大の軽度の皮下出血を伴なう腫脹、顔面前額部に示指頭面大の表皮剥脱、上口唇に皮下出血、右下腿膝に皮下出血などの傷害を与え、右傷害の軽重を知ることができないものであるが、同人をして同日午後一一時五〇分ころ同郡同町山谷川崎字清水川一七一番地小林盛喜方において、外傷性ショックにより死亡するに至らせたものである、というのである。

なるほど、<証拠・略>によれば、小林誠信が被告人両名の判示所為の結果、検察官主張の日時、場所において外傷性ショックにより死亡するに至つた事実を認めることができる。

ところで、刑法二〇七条は、二人以上の者が意思の連絡なしに各自、他人に暴行を加えて傷害の結果を生ぜしめた場合において、その傷害の軽重を知ることができず、またはその傷害を生ぜしめた者を知ることができないときに、生じた結果についての責任を何人にも問い得ないという立証上の困難から生じる不都合を救済するため、暴行者全員を共同正犯として処断するというのであつて、刑法における個人責任の原則に対する重大な例外を定めたものであるから、これをみだりに拡大して適用すべきでないことは言うまでもない。本案の立法趣旨と責任主義の原則の調和を考えれば、傷害致死罪に本条の適用を認め得るとするためには、傷害と死亡との間に単に因果関係の存在が認められるだけでなく、さらに各行為者にとつて、行為の当時致死の結果を予見することが可能であつたことを必要とすると解するのが相当である。

しかして、いま本件についてこれをみるに、<証拠・略>によれば、被害者小林誠信の死因は次のように認められる。すなわち、判示認定の各傷害はいずれも軽く、それぞれが単独では被害者に死の結果を与えるようなものではないが、被害者には、普通人であれば、三〇才位になると、なくなる胸腺そのものがなお遺残していること、また普通人に比べると、心臓が肥大しているのに、これを形成する心筋線維は細く、大動脈壁も腹部大動脈に至るまで薄く、その幅も狭いこと、さらに副腎の皮・髄質が菲薄でその機能不全が推測されるなど、明らかな体質の異常或いは発育不均衡を強く推定せしめる所見があり、そしてショック状態にあつたことを示すものとして喉頭・気管内に分岐部に達する胃内容の存在がみられたことから、被害者は、右のような身体的条件を有していたことにより、その身体に加えられた外力が致死的に作用し、いわゆる外傷性ショック状態をひき起して死亡するに至つたものと推定されるのである。そして、<証拠・略>によれば、被害者は、生前、病気といえば風邪を患つて医師の治療を受ける程度で、日頃は普通に左官や農業等に従事していたことが認められる。他方被告人両名が被害者に、外力によつてショック状態を招来するような右の体質異常或いは発育不均衡があることを知つていたと認めるべき何らの証拠もない。してみれば、これらの具体的事情のもとでは、被害者の本件致死の結果は、被告人両名にとつてはもちろんのこと、一般通常人にとつてもとうてい予見し得ないことであつたといわなければならない。果してそうだとすれば、被告人両名において、被害者に対し、判示のような暴行を加えた際、被害者に本件致死の結果が発生することについて予見可能性がなかつたことに帰するから、被告人両名に対し、傷害致死の同時犯としての刑事責任を問うことはできず、結局被告人両名の所為は傷害罪の限度において問擬すべきものといわなければならない。

よつて、主文のとおり判決する。

(生島三則 高橋金次郎 鈴木正義)

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