大判例

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秋田地方裁判所大館支部 事件番号不詳 判決

主文

被告人を死刑に処する。

押収の鉈一丁(証第一号)は没収する。

訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

(被告人の前歴)

被告人は、山本貞次郎、同ジユンの次男として秋田県鹿角郡柴平村柴内字西町二百七番地に生れ、柴平村尋常高等小学校高等科二年を卒業、昭和十六年四月同県立青年学校教員養成所第一期臨時養成科に入所、翌十七年三月二十九日同所終了、同年三月三十一日同郡曙村立青年学校指導員に嘱託され、同校に奉職後、同十八年一月十日現役兵として秋田第十七部隊に入隊、同年二月満州国に派遣され、同十九年二月南方フイリツピン派遣、ルソン島において終戦となり、同二十一年十一月二十三日実家に復員、同二十二年五月頃同村関清五郞、同ヤツヨの次女祐子と結婚し、同年十二月頃同村役場庶務係として奉職、結婚後一時実家である山本貞次郞方に同居していたが、同二十四年春その住家を建築するに際し、右ヤツヨが自己の附近に建ててくれとの懇請により右貞次郞の持地と右清五郞の持地とを交換し、現在地である右関清五郞家の隣地の本籍地に住家一棟を建築、田一反四畝、畑二反位の財産分与を受け、同所に居住するようになつたが、後記のような理由によつて、同村役場を退職、妻祐子とも離婚するに至つた。

(妻祐子と離婚するに至つた事情)

被告人は、祐子と結婚後一年で長女久子(当時五年)を設け、円満に生活していたが右ヤツヨが派手な生格であつた上、勝気であつて右清五郞が昭和二十四年七月頃死亡した後は自家の手不足を理由に被告人夫婦の手助けを頻繁に求めるようになり、時には金銭的援助も求めて来たこともあつて、被告人はヤツヨの日頃の行動を心良からず思つていたこととて、同人とはとかく折合が悪くなつていたが、偶々自己が右村役場庶務係として保管中の公金十数万円を生活費その他に費消するに及んで、同二十六年四月頃同村役場を退職し、その後は百姓仕事などをしていたが、生活が苦しくなるにつれて妻祐子にもつらく当るようになり、同年六月二十二日遺書を残して突然家出し、同二十五日何事もなかつたようにして帰宅し、祐子、ヤツヨ一家の心配していたのを意に解せず、却つてヤツヨの長男清祐を非難するような状態であり、又同二十七日同村万松寺から自己が借り受けた開墾畑のことでヤツヨと口論し、はては同人に鉈を投げつけ、手拳で殴打するに至り、被告人の仕打に耐えかねてヤツヨ一家が祐子を同家に宿泊させたことから、右清祐及び同姉嶋田喜保子に傷害を負わせるなどのことがあつて、住居地に居られなくなつたので、祐子と別居し単身宮川村赤川鉱山に出稼に出て、同九月下旬頃から同村元山作業所(焼山)稲垣組人夫頭として働くようになつた。一方ヤツヨ一家においては祐子の離婚について親戚が集つて話合をするなどヤツヨ一家とは益々不仲になるに至つたが、被告人の懇願により一時話合ができて、同二十七年二月頃祐子長女久子が被告人と同居することになり、出稼先附近の銭川温泉に生活するようになつたが、結局生活費も入れず、子供の教育その他被告人の将来に関し不安を感じた祐子は同年四月頃再び実家であるヤツヨ方に身を寄せ、離婚手続を進め、被告人の人を介しての再三の復縁要求にも拘らず、遂に八月八日祐子と協議離婚するに至つた。

(稲垣組における被告人の状況、ヤツヨ等殺害の経過)

被告人は稲垣組から月一万五千円冬期一万二千円の給与を受け、仕事は真面目で、その働き振りは雇主の稲垣峯太郎も認めるところであつて、元山作業所の同人の代人として前記のように人夫頭をしていたが、給料は飲代その他に費消するなど祐子に対しては殆んど生活費を送金せず、前記離婚話が再燃するに至つて、悶々として仕事の方も真劍味を欠き、前より一層酒を呑むようになり、酒の上で同所の人夫をビール壜で殴打したり、又ピツケルで殴るなど気が荒くなつていたが、同年七月上旬頃右稲垣から人夫賃一万五千円を預り保管中飲代などに費消して仕舞い、人夫などから種々批判されるに至り、同所におることができないため同二十六日無断で同所を出奔、宮川村熊沢ふけの湯温泉業阿部せつ方に二、三日の予定で湯治に行つたが、稲垣組では被告人の代りを雇つた噂を耳にするに及んで、人夫賃の費消もあつて再び帰ることもできないで、その侭引続き同所にいたが、八月二十九日宿泊代金約二万円の請求を受けるや懐中無一文で支払ができないため、阿部方を九月一日午前十時頃浴衣姿の侭逃げだし、途中鉱山従業員休憩所で四泊して同五日午後十二時頃自宅に帰り、翌六日夕刻迄寝て、午後七時頃隣家の木村仁八宅に赴き濁酒など御馳走になり仁八から盆踊り見物に誘われたが断り、昼間ヤツヨ方で蓄音器などをかけていて、酒もりをしていたのが気になつて同家玄間から隙間見たが、何もみえないので同家左手から裏手に廻り、あかり取りの高窓から約一時間のぞきみしたところ、午后十時頃祐子とかねてとかくの噂を耳にしていた木村富弥が茶の間炉端に居り寝ころんでいた祐子と親しそうにしていたのをみて、右噂は真実であると考え、祐子との離婚はヤツヨの差金によるもので何時かは復縁できるものと信じていたのに祐子が心変りしたと考え、この際祐子(当時二十四年)を殺害して意趣をはらそうと決意し、祐子が寝間に入るのを見届け、直ちに自宅に引返し、台所にあつた鉈(証第一号)を持つたが刃こぼれがあるので果して兇器として使用できるかを確めて、該鉈を持ち午後十時三十分頃直ちにヤツヨ方厩出入口から家屋内に侵入し、寝静つているのを確め、地下足袋のまま流場において水を一杯飲んで気を落ちつけ、茶の間上り框から南側十畳間に就寝していたヤツヨ(当時四十五年)の姿を認めるや、この際同女をも殺害して日頃の恨みをはらすに如くはないと考え炉端附近にあつた座布団二枚に片足宛乗せて足音がしないようにづつて同女の傍に近づき前示所携の鉈で熟睡中の同女の顔面を数回斬りつけ、その足で祐子の寝室である同家納戸に至り、物音に眼を醒した同女と二、三言い争つた挙句被告人の只ならない劍幕に驚いた同女が「許してくれ」と哀願したにも拘らず、即座に右鉈を以て同女の後頭部を数回斬りつけ、更に被告人に取り縋つた同女を仰向けに押し倒し「俺の腕をみせてやる」と祐子のズロースを引破つて陰部その他下腹部等数十回に亘つて斬りつけ布団をかけ、更にヤツヨの傍に就寝していた清文(当時十三年)が眼を醒まし枕から頭を上げたのを認めるや突嗟にこれをも殺害しようと考え「お前もかと」申向け、右鉈を以てその顔面等を数回斬りつけた上、苦しさの余り布団から這い出し、うつ伏せになつている前記ヤツヨを炉端で後頭部を二、三回右鉈を以て斬りつけ、更に仰けにして「俺は山本繁治だよく聞け、過去四年間の御恩返しに来た、今日は充分その御恩返をして行くから」と申し向け、陰部を滅多切した上、同家台所で濁酒を二、三杯飲んで前記厩出入口から逃走した。因つて同女及び祐子は間もなく、清文は翌七日午前三時頃孰れも同所において頭蓋骨折竝びに脳出血挫滅を伴う頭部外傷に基く脳障害のため死亡せしめ、以て夫々殺害の目的を遂げたものである。

(証拠説明省略)

法律に照すに、判示住居侵入の点は刑法第百三十条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、判示殺人の点は刑法第百九十九条に各該当するが、以上は手段結果の関係にあるから刑法第五十四条第一項後段、第十条を適用して重い殺人の罪に従つて処断することとし、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるが、被告人の前歴、性行、竝びに本件犯行の態様等諸般の情況から考察するときは、本件記録中に窺い得られる被告人の有利な二、三の事情の如何に拘わらず犯情の最も重い右清文に対する殺人につきその所定刑中死刑を選択し、同法第四十六条第一項本文に従い他の刑を併科せず、被告人を死刑に処する。押収の鉈一丁(証第一号)被告人が本件犯行に使用したもので、被告人の所有であるから同法第十九条第一、二項により没収し、許訟費用については刑事訴訟法第百八十一条第一項により全部被告人の負担する。

よつて、主文の通り判決する。(昭和二八年四月一三日秋田地方裁判所大館支部)

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