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立川簡易裁判所 昭和27年(ハ)29号 判決 1953年2月04日

原告 株式会社多摩川製作所

右代理人 岡田勝

被告 木村浤

<外三名>

主文

被告等四名は原告に対し夫々別紙目録第一の一乃至四記載の建物を明渡すべし。

被告木村は原告に対し金二百五十円並に昭和二十八年二月一日以降建物明渡済に至るまで一ヶ月金百五十円の割合による金員を支払い、被告太田は原告に対し昭和二十八年七月二十一日以降建物明渡済に至るまで一ヶ月金百五十円の割合による金員を支払い、被告渡辺は原告に対し昭和二十九年一月二十一日から建物明渡済に至るまで一ヶ月金百五十円の割合による金員を支払うべし。

被告等に対する原告其余の請求を棄却する。

第一項に於て命ずる強制執行は判決確定の日から一年二月之を猶予する。

訴訟費用は被告等の負担とする。

理由

第一、建物明渡の請求に付て

一、請求原因、甲に付て

原告の主張する建物の所有、建物の使用貸借契約の成立存在消滅、被告等の建物占拠の各事実は被告等の自白する処である。

二、被告等の抗弁(一)に付て

被告等が抗弁(一)に於て主張する未払賃料等の支払及建物明渡に関する合意が成立したこと並に原告が約定支払期に支払わなかつたことは被告等本人の供述によつて認められる。

併乍ら被告等が原告から未払賃料退職金を時々分割して受領したことは被告等本人の主張自体から明らかである。従つて斯る合意の効力が自ら消滅したものと認められる。

被告の抗辯(一)は失当である。

三、建物明渡に関する原告の請求は理由がある。

第二、損害金の請求に付て

一、使用損害金の額に付て

昭和二十三年五月中本件建物に付き成立した原告と渡辺被告木村上西太田間使用貸借契約に基づく使用料が昭和二十四年七月十一日現在に於て一ヶ月金百五十円であつた旨の被告等の主張は原告の明かに争わない処である。又争う意思が他に顯われない処である。原告が被告等の主張を自白したものと推定する。本人訊問に於ける被告等の供述によつても右の事実を認定することが出来る。

本件建物の使用貸借契約終了後に於ける損害金(使用による)の額は使用料(一ヶ月百五十円)と同一額を以て相当と認むる。原告が求むる昭和二十六年十一月一日から本判決言渡の前月末迄である。同二十八年一月末日までの各被告の支払うべき損害金の額は何れも金二千二百五十円である。

尤も成立に争なき甲第一、二号証によれば昭和二十四年十月一日に於ける本件建物の公定賃料の額は原告主張の如くであることを認めらるるから此公定賃料の額を以て損害金の額とすべきものではないかという疑問はある。併乍ら原告が条理、情宜約束に反し未払賃料及退職金を約束支払期日である昭和二十四年八月三十日に支払われなかつたことは前第一の二判示の通りであり之が為め被告等は新に住居を求め得ず今日に至つたものと認むるから被告等は原告に対して解雇前と同様の割合、金額で建物占拠に対する損害金を支払い夫以上の額の損害金を支払う義務がないと主張する利益と理由とを有つて居ると認定する。

二、反対債権の存在に付て。

本人訊問に於て被告等の供述によると被告等は尚原告に対し昭和二十八年一月(本判決言渡の前月)末日現在で既に履行期にある別紙目録第二の第三段記載退職金未払賃料等の反対債権を有つて居ることが認めらるる。

尤も渡辺勲の未払金等反対債権の額が一万二千円であるが同人が昭和二十四年十一月二十一日死亡し被告寿子(配偶者)は子二名(直系卑属)と共に勲の財産を相続したことは当事者双方の主張自体から明かであるから被告寿子の相続分は民法第九百条第一号によつて一万二千円の三分の一即四千円である。

三、相殺の主張に付て

被告等は本訴に於て前二判示反対債権を以て原告の主張し且認容せらるる範囲に於ける現実に生じた損害金合計金二千二百五十円と対等額で相殺する旨の意思を表示した。

原告の被告等に対する夫々昭和二十八年一月末日までに別紙目録第一の一乃至四の建物に付て生じた損害金請求権は被告木村に対する金二百五十円の部分を除き凡て消滅した。

四、将来の損害金請求権に付て

(一)  原告の求むる将来(本判決言渡の日である昭和二十八年二月四日以降)の損害請求権(以下原告の将来の請求と略称する)は未だ発生しない、厳密なる意味に於て現に存在しない。我民事訴訟法第二百二十六条の規定は実体法上未発生虚無の請求権を訴に依つて主張することを認めた趣旨でない(バウムバツハ民訴三八二頁参照)。「請求権は実体法上存在する。但履行期が到来しないという場合に於て原告が訴える利益がある」ならば訴うることが出来るという趣旨である、其上将来の訴を許すことは例外に属する(ローゼンベルグ民訴資料書第二版二四〇頁、スタイン、ヨナス民訴第十五版二五七条第一参照)から此規定を無制限に拡張して解釈することは出来ない。

(二)  併乍ら占有(即本訴に於て被告等の建物占拠)は継続する性質を有つて居る、被告等は将来も建物を占拠すると主張して居る。従つて原告の為め損害金請求権の発生すべき原因が既に存在して居るといわざるを得ない。

(三)  然らば損害請求権(厳密に云うと請求権発生の原因)が存在すると認定し且つ之に対し将来の請求の訴を許すことは不当に例外規定を拡張するものであるということは出来ない。

(四)  従来と雖不法占拠を原因とする建物明渡の訴に於て申立により建物明渡に至るまでの将来の損害金の支払を被告に命ずることは裁判例である。

(五)  本訴原告の将来の損害金請求は許さるる。

五、将来の請求に対する相殺の許否に付て

(一)  本訴原告の将来の損害金請求権の発生には被告等の意思が加わつて居る、此事は前四の(二)判示の通りである、損害金請求権の発生も不発生も共に被告等の意思に係つて居る。然らば発生した損害請求権の消滅(相殺による)を被告等の意思に係らしむることを禁ずべき理由がないではないか。

(二)  相殺の対象となる請求権(本訴に於ては将来の損害金請求権)は単純なることを要する、反対給付を要する請求権例之将来に生ずべき賃料請求権の如きに対しては相殺することは出来ない(独乙帝国裁判所民事判例集第六一卷三三五頁以下、スタイン、ヨナス民訴第一巻第十五版第二百五十八条第一、ローゼンベルグ民訴資料書第二版二四一頁参照)。

併乍ら本訴原告の将来に於ける損害金の請求は賃貸借契約による賃料の請求又は有償使用貸借契約による使用料請求と全く性質を異にして居る、原告には被告等をして建物の使用収益をなさしむる義務がない、本訴原告の将来の損害金の請求は全く一面的なる権利である。

被告等が建物を占拠使用すること被告等が之に対し原告に出捐することといふ経済上の観察に於ては本訴原告の将来の損害金請求と将来の賃料又は有償使用料の請求を区別する理由は存在しないけれども法律上の観察に於ては全然別個の関係にある、一は一面的請求権であり他は双務的請求権である、前者は相殺に適する、後者は相殺に適しない。

(三)  仮定相殺の理論(エンデマン民法第一巻第一冊八四一頁、スタウデンガー民法第二巻第一冊七五一頁以下、エンネクセルス民法第一巻第二冊一九八頁参照)は若干の修飾を以て将来の損害金請求権に対する相殺に妥当する。

(四)  職権を以て調査する、若し被告等の建物占拠が故意によるものであるならば之によつて原告に生じた損害金請求権は相殺の対象とならない筈である(独乙民法第三九三条独乙帝国裁判所判事団編民法第一巻五九四頁参照)。併乍ら被告等は事実摘示第二の三抗辯(一)の通り建物を適法に占拠する旨を主張するものである、其抗辯の理由のないことは前第一の二判示の通りであるが被告等の建物占拠が故意に不法行為をなすものでないと被告等が信じて来た事実自体は之を否定することは出来ない。本訴原告の将来の損害金の請求は相殺の対象となり得る。

(五)  然らば本訴原告の将来の請求に対する相殺は許さるる。

六、将来の損害金請求権に対してなされた相殺の結果に付て

原告は将来の損害金を現実に生じた損害と併せて被告等に対して支払を命ずべきことを本訴で求めて居る。

被告等は之に対し反対債権を以て対等額に於て相殺する旨の意思を表示している。

右は何れも許さるる。

(一)  而して被告木村は反対債権を有つて居ない、被告木村は原告に対し反対債権を有つていないから前三判示金二百五十円の外昭和二十八年二月一日以降建物明渡に至るまで一ヶ月金百五十円の割合による金員を支払うべき義務がある。

被告木村に対する原告其余の請求は失当である。

(二)  被告上西は原告の将来の債権に対し八千三十九円(合計金一万二百八十九円から前三判示二千二百五十円を控除した額)を以て相殺する旨の意思を表示した明渡の期間(一年二月の猶予期間)に至るまでの原告の損害請求権は消滅した。被告上西に対する原告其余の損害請求は失当である

(三)  被告太田は原告の将来の債権に対し八百五十円(三千百円から二千二百五十円を控除した額)を以て相殺する旨の意思を表示した、原告の同被告に対する昭和二十八年七月二十日までの損害金請求権は消滅した。被告太田は原告に対し昭和二十八年七月二十一日から建物明渡に至るまで一ヶ月金百五十円の割合による金員を支払うべき義務がある。

原告の被告太田に対する其余の請求は失当である。

(四)  被告渡辺は原告の将来の損害請求権に対し千七百五十円(四千円から前三判示二千二百五十円を控除した額)の反対債権を以て相殺の意思を表示した原告の同被告に対する昭和二十九年一月二十日に至るまでの損害金請求権は消滅した、被告渡辺は原告に対し昭和二十九年一月二十一日から建物明渡に至るまで一ヶ月金百五十円の割合による損害金を支払うべき義務がある。

原告の被告渡辺に対する其余の請求は失当である。

第三、訴訟費用の負担

訴訟費用は民事訴訟法第九十二条によつて被告等の負担(平等)とする。

第四、強制執行の猶予

一、即時明渡の困難である事情

当裁判所昭和二十七年(ユ)第七四号七五号七七号及七八号各調停事件に於て被告等の希望もあり且本件公判廷に於て主張すると同様被告木村は家族三名を擁し貯金が無く生活に窮する旨被告上西は家族三名を擁し貯金五百円があるに過ぎない生活に窮する旨被告太田は家族五名を擁し貯金がなく生活扶助を受けて居る旨被告渡辺は寡婦として二人の子を擁し貯金がなく生活扶助を受けて居る旨並に各被告等は長く失業して居るから新に家を借りる際に差入れる権利金がない旨を供述して居つたものである。それで被告等が他に移転し得る様に調停委員会が努めた、殊に被告渡辺は寡婦として二人の子を擁して居るから母子寮に収容する様に努めたが一日違で他の寡婦が収容せられた為め母子寮に入ることは出来なかつた、調停は不調に了つた。

被告等としても調停委員会としても被告等が他に移転する為め考え得られる手段を尽したが其方法がなかつた。

それ故現在の処主文等一項のみ言渡され確定したと仮定すると被告等は家族と共に屋外に引出され家が釘付けにされて路頭に迷うことになる。

二、被告の責任

第二次世界大戦の結果我国無防備の都市が爆撃せられ原子爆弾が投下され巨万の富と共に家屋は無数燒失し人民は無数に殺戮せられた。

平和に生活して来た多数の同胞は海外から凡て押戻された。

之が為め全国に於て二百五十万戸以上の家屋が不足している。右は顯著なる事実である。

被告が本件家屋から立退くに至つた原因が被告に存することは被告の自白する処であるが一般的住宅の不足に付ては被告に責任がない。

三、基本人権

国民は最低限度の生活を営む権利を有つて居る。

民事訴訟法第五七〇条(独乙民事訴訟法第八一一条)第六一八条(同第八五〇条)は司法裁判所が与え得る基本人権保護の限界を例示して居る。

人の知識には限度がある。後に発生する事態に付一々規定することは出来るものでない。独乙法を受継いだ我民事訴訟を制定した当時何人が無防備都市の爆撃原子爆弾の投下非戦斗員の多数殺りくを予想したか、平和に海外居住する者が内地に送還せらるるという事を何人が想像したか、之等は戦時国で際公法、平時国際公法の厳に禁ずる処あつた。二百五十万戸の住宅が不足するという事実は当時夢想だにせられなかつた処であるから住宅に関する最低限度の生活の保護に付第五七〇条第六一八条の様な規定が民事訴訟法にないとしても敢て怪しむに足らない。

規定がないという理由で住宅に関する国民の最低の生活を保護する必要がないという結論を抽き出す得るものでない。

其判断には論理の跳躍がある。

四、独乙民事訴訟法第七二一条

独乙民事訴訟法第七二一条は次の様に規定して居る。

裁判所が住宅の明渡を命ずる判決を下す場合には申立によつて相当の期間強制執行を猶予することが出来る

第一次世界大戦後の住宅払底の事情に鑑み独乙は民事訴訟法に第七二一条を加えて賃借人を保護した、外に賃借人保護法移民住宅保護法を制定した。

三百万戸余の住宅が不足する我国の現場は独乙の当時の事情と同日に言うことが出来ない程深刻である。

相互扶助は政治、法律の基底をなすものである、万国法の母であるローマ法に影響を及ぼした少くも其体系を形成する力があつたというキリスト教の精神から見ても、第三ストイカーの教義(例令聖マーカス、アウレリヤス冥想録第七篇第三一節第一一篇第一節)から考えても自明な処である。何人も他人の人格を無視し其基本権を侵害することが出来ない、そればかりでなく何人も即裁判所と雖も許さるる範囲限度に於て相互扶助の精神に基いて当事者の基本人権を保護する権利があり義務がある。

社会軌範を無視し社会の現実に目をおおい此一大原則の存在することを忘れ法規の末節に拘わり有形の文字で表現せられないという理由で敗訴の被告に対し強制執行を猶予することが出来ないというならば夫は余りに無知である。相互扶助の精神から見ると無形の文字を以て我民事訴訟法に独乙民事訴訟法第七二一条と同趣旨の規定が記載せられ居る。

五、我民事訴訟法の弾力性

強制執行の許否少くも仮執行の許否に付き我民事訴訟法が弾力性を有つて居ることは第五〇〇条第五一二条第五一三条によつて窺知することが出来る。

六、猶予期間

被告等は他に住居を求めた場合通常一ヶ月二千円の賃料を現実に支払わねばならないであろう、此額は顯著である、若し一年二ヶ月の間一ヶ月二千円宛を賃料として支払つたものとして之を貯蓄し権利金として他に住居を求めることが出来る筈である、猶予期間は一年二ヶ月を必要とし且十分であると認める。

七、要約

以上要するに被告等には各数人の家族を擁して直ちに本件家屋を明渡すに困難なる事情がある。住宅が一般的に払底するに付被告に責任がない、併乍ら被告と雖も最低の生活をする権利がある、受継法である我民事訴訟法の下に於ても独乙民事訴訟法第七二一条と同様相当の期間強制執行を猶予することは相互扶助の精神から当然であると考えられる。

客観的な社会の情勢は強制執行の猶予の宣言を必要とする本件に於て相当の期間は一年二ヶ月と認める。

第五、仮執行の宣言の拒否

既に前第三の通り強制執行の猶予を宣言する以上原告の求むる仮執行の宣言の申立は自ら拒否することになる。

仍つて主文の如く判決す

(裁判官 庄子勇)

<以下省略>

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