足立簡易裁判所 昭和37年(ハ)55号 判決 1962年11月30日
原告 宮下武平
右訴訟代理人弁護士 品田四郎
被告 黒須美恵
右訴訟代理人弁護士 遠藤誠
主文
原告の請求は之を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
本件家屋は原告の所有であり、右は原告が昭和三十二年十二月二十六日成瀬厚外三名の共有者から買取つたこと及び原告は被告にこの家屋を賃料一ヵ月二千五百円で賃貸していること、原告の妻が本件家屋の隣で産院を経営していること、助産婦であること、原告主張の日その主張する内容の申入が被告宛なされ、それが到達したこと及び被告が現在本件家屋を占有していることについては、当事者間に争はない。
本件家屋賃貸借契約解約の正当事由の当否について争があるので、判断するに、
証人飯田徳造、同黒瀬義治の各供述、被告本人尋問による時は、被告は昭和二年当時の本件家屋の所有者青木惣之丞より賃借し、爾来三十五年間引続き本件家屋に居住することが認められ、之に反する証拠はない。
然して、原告は昭和三十二年十二月二十六日当時の本件家屋の所有者成瀬厚外三名の共有者よりその所有権を取得し、現在右家屋の所有者であるところ、右家屋取得当時原告は被告が本件家屋に賃借人として居住していることを認識して、これを買取つたものであることは、前顕各証人の供述及び原被告本人尋問の結果に徴し認め得るところである。
前顕の各証人の供述及び被告本人尋問の結果によるときは、被告は本件家屋に於て、せんべい屋を営業とし、月収純益三万円を取得し、同居家族は次男義治(三十才)、三男孝平(二十才)、四男寿明(十七才)であつて、内次男は生活費として一万円、三男は五千円の金員を支出し、月四万五千円で一家四人が生計を営んでいることが認められ、且特段の貯金の蓄えもないことが窺われ、もし、本件家屋の明渡をなした場合は、生存そのものが脅威にさらされる怖があることが認められる。蓋前記被告本人の供述及び現在社会実情に照すときは、現在の如き条件の店舗を捜すことは容易でないことが認められるからである。
原告本人尋問の結果によるときは、原告一家は児童福祉法に基く第二種産院の許可をとる必要性及びその為には出来得る限り広い合理的な物的施設を設けたいとなす原告一家の事情は正に原告主張の通りである。
然れども、前認定のとおり、原告は本件家屋購入に際しては、被告が正当な賃借人として住居していることを承知のうえ買取つたものであることは明らかである。現在の社会実情は住宅の絶体数が不足し、特に大都市に於てその傾向は著しく、然も居住権には営業上の権利が纒綿する場合があるので、然も、被告に於ては、もし本件家屋が昭和三十二年に原告に買取られなかつたならば、三十五年間住居として生活の本拠となしていた場所の立退を求められなかつたであろうところの可能的地位を有していたのであるから、賃借人の居住を承知の上、その家屋の所有権を取得した者は、社会人として出来得る限りその賃借人の住居の静ひつをおびやかすことなき消極的な法的地位を有するものとみらるべきものである。従つて、右の地位を全うせんが為には被告に然るべき住居の斡旋の後、その立退を求めるか、然らざれば、被告の保護された右の法律上の地位を打破るに足る充分な原告の自己使用のきん急性の存する場合に限らるべきところ、原告本人の尋問の結果及び原告提出の各証拠を提出するも、右の如き緊急度高き必要性は認められないのみならず、その他の全証拠に徴するも、右の高度の緊急性ありと認むることは、困難のようである。
よつて、原告の被告に対する本件家屋明渡及び原告請求の損害金の請求は認められない。よつて、原告の請求は之を棄却さるべきである。
訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 竹田東洋雄)