那覇地方裁判所 平成11年(ワ)818号 判決 2003年2月12日
主文
1 被告国は,原告に対し,金55万円及びこれに対する平成11年12月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告の被告国に対するその余の請求及び被告乙山次郎に対する請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,原告と被告国との間においては,原告に生じた費用の10分の1を被告国の負担とし,その余は原告の負担とし,原告と被告乙山次郎との間においては,全部原告の負担とする。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
1 被告らは,原告に対し,金550万円及びこれに対する被告国については平成11年12月10日から,被告乙山次郎については同月15日から各支払済みまで,それぞれ年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
第2 事案の概要
本件は,琉球大学医学部の生理学第二講座(以下「生理学第二講座」という。以下,大学名について記載しない場合,琉球大学を前提とする。)の助教授である原告が,同講座の教授である被告乙山次郎(以下「被告乙山」という。)からその教授たる地位を利用した種々の嫌がらせを受けたと主張して,また,琉球大学医学部及び琉球大学が,原告からの職場環境改善の申入れに対して何らの対応をしなかった等と主張して,①被告乙山に対しては,不法行為に基づき,②琉球大学を設置,管理する被告国に対しては,(ア)被告乙山がした不法行為については国家賠償法1条1項又は民法715条に基づき,(イ)琉球大学自身の対応については信義則上の労働環境配慮義務違反又は不法行為に基づき,550万円の損害賠償及びこれに対する被告国ついては平成11年12月10日から,被告乙山については同月15日から(いずれも本件訴状送達の日の翌日から)各支払済みまで,それぞれ民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を請求した事案である。
1 原告の主張
(1) 被告乙山の行為の違法性
被告乙山は,生理学第二講座における教授としての優越的支配的地位を利用して,原告に対して,以下のような嫌がらせ行為をして,原告の人格権等を侵害した。
ア 論文への著者名記載の強要
被告乙山は,平成3年10月ころ,原告に対し,原告が雑誌に投稿した論文について,論文作成に関与していなかったにもかかわらず,被告乙山も著者名に入れるよう要求し,その要求に応じなければ論文の発表は許さない旨クレームを付け,原告が被告乙山の要求を拒んだところ,平成4年1月6日,8日,琉球大学医学部附属病院長(以下「病院長」という。)であった丙原三郎とともに原告の研究室を2度にわたって訪れ,同様の要求を繰り返した。
イ 私物持ち帰りの要求
被告乙山は,平成4年1月28日ころ,原告に対し,原告のメールボックスに「D室(原告の研究室のこと)にある私物を持って帰ってください」と記載されたメモを入れ,原告が自費で購入した研究用機器(マイクロダイアリシス・システム等)の持ち帰りを要求し,原告が文書でその真意を問い合わせたが,同じメモを届けるだけで何ら回答がなかったので,持ち帰ることなく置いていたところ,平成5年3月11日に,原告を教授室に呼び出し,私物を持ち帰るよう繰り返し要求した。
本件で問題となった機器は,被告乙山と相談の上,一部を講座予算から,残りを自費で購入したものであり,しかも,研究室に研究のための私物を置いているのは通常のことであったから,被告乙山が原告に対してのみ,持ち帰りを要求したことは不当である。
ウ 物品及び実験用動物等購入の妨害
物品購入の申出は,通常,講座の構成員から教授に対して口頭などの簡易な方法でなされ,予算の範囲内では特に問題なく決裁されているものであるのに,被告乙山は,平成4年ころから,原告からの物品購入の請求に対しては,「私物で行う実験は違法実験であるから物品は買ってやれない。」,「私物の機械で実験をやるのは泥棒だ,電気や水を泥棒している。」などの理由で拒否し続けた。
また,被告乙山は,平成7年ころ,原告が研究のために実験用の猫を必要としていたが,実験用動物購入のための支出に印鑑を押さず,購入を妨害した。
原告は,平成4年から平成10年10月までの間,被告乙山に物品購入を妨害され,その間,やむなく自費で研究に必要な物品を購入するようになった。
エ 琉球大学医学部紀要への業績掲載の妨害
医学部では,毎年度の構成員の研究課題と業績を,琉球大学医学部紀要(以下「紀要」という。)に掲載することになっているが,被告乙山は,平成5年度末の紀要掲載のため,生理学第二講座の業績に関するデータを保存していたフロッピーディスクを紀要編集委員会に提出するに当たり,同講座内の大学院生である丁谷一美(以下「丁谷」という。)に指示して,原告の研究課題等に関する部分を削除させて提出した。
オ 出張の妨害
被告乙山は,平成8年3月14日,原告が同年4月開催予定の第73回日本生理学会に出席するための学会出張願いを提出したところ,必要もないのに「丙原学部長に相談してみます。」と言って,出張の承認を引き延ばした。
カ 事務機器利用の妨害等
被告乙山は,平成8年3月26日,生理学教室の講座員が共用している事務室に設置されていたファックス機を,被告乙山の教授室に移動させ,同年5月21日,コピー機を使用するためのコピーカードの保管場所を,事務室から被告乙山の教授室に移動させた。被告乙山の教授室は,通常施錠されているため,それ以降,他の講座員が上記の事務機器を自由に利用できなくなった。
被告乙山は,平成8年5月28日,原告が被告乙山の教授室からコピーカードを持ち出し,コピー室でコピーをとっていたところ,「泥棒,泥棒」と怒鳴りながら入室し,原告の背中に体当たりしてきた。原告は,被告乙山の妨害を排除するため同被告の身体を押しのけてコピーをとったところ,被告乙山は,この件に関し,平成8年6月ころ,原告から暴行を受けたとして,浦添警察署に虚偽の告訴をした。
キ 不当訴訟の提起
被告乙山は,平成9年1月28日,原告に対する嫌がらせの一環として,原告と生理学第二講座の助手である戊川四郎(以下「戊川」という。)に対し,被告乙山による論文の捏造はないのに原告と戊川が故意にデータを捏造して被告乙山を陥れようとしたなどと主張して,名誉毀損の不法行為を理由とする金1000万円の慰謝料と新聞紙上への謝罪広告を求めて訴訟を提起した。
ク 講義・実習の取り上げ
第二生理学講座においては,従前より,学生向けの講義・実習を被告乙山と原告がそれぞれ分担していたのに,被告乙山は,平成11年4月開講の講義・実習では,正当な理由なく,原告担当部分をすべて外し,ほとんど自分一人で担当するカリキュラムを独断で作成して実施した。大学教官として研究と教育は一体不可分であり,そのうちの教育にかかる講義・実習担当をすべて外すのは,原告の学問の自由に対する重大な侵害である。
(2) 被告乙山の不法行為責任
被告乙山の上記各行為は,上司として人事と予算に関する権限を事実上握っている講座の教授という地位を利用してなされた,原告に対する不当な嫌がらせ,すなわち「アカデミック・ハラスメント」であり,原告の学問研究の自由と職場における人格権を侵害するものであるから,被告乙山は民法709条,710条に基づく不法行為責任を負う。
なお,公務員による不法行為につき,国に国家賠償法による責任が発生する場合でも,当該公務員の行為に少なくとも故意があった場合には,公務員の個人責任も追求できると考えるべきである。なぜなら,損害賠償制度が損害の填補だけでなく民事上の私的制裁の側面を持ち合せていることは否定できず,将来の公務員による違法行為の抑制のためには,内部処分だけでは十分な抑止効果があるともいえないからである。また,公務員の個人責任の追求を,故意の場合に限定して認めるのであれば,事後の公務員の公権力行使に対して不当な抑制効果を及ぼすおそれもないのだから,公務員個人の責任を肯定すべきである。
(3) 被告乙山の行為についての被告国の責任
被告乙山の原告に対する上記各嫌がらせ行為は,国立大学の教授が,その地位権限を利用して,勤務時間中,職場において,職務の一環又はこれに関連して行われたものであるから,被告国は,国家賠償法1条1項による責任又は被告乙山の使用者として民法715条本文による責任を負う。
(4) 琉球大学等の行為についての被告国の責任
被告国は,任用関係にある原告に対し,一定の場所,設備のもとで勤務を命じるのであるから,使用者が勤務に従事するに際して,その生命,身体等に対し危害が及ばないように配慮するとともに,被用者の人格権が侵害され,職場環境が著しく悪化する事態が発生することを未然に防止し,上記事態が発生したことを知った場合には,迅速かつ適正に対処し,職場環境を働きやすく調整すべき義務を負う。そして,被告国は,原告から被告乙山による嫌がらせ行為等の職場環境の悪化について改善を求められ,その事情を十分把握していたのであるから,労働環境を適正に改善すべく配慮する義務があったといえ,下記各不適切な対応は,労働環境配慮義務違反行為として,原告に対し,債務不履行責任又は不法行為責任を負う。
ア 原告は,琉球大学医学部ないし琉球大学に対し,平成6年9月8日ころに被告乙山による研究妨害について,平成7年11月6日ころ被告乙山による論文捏造及び嫌がらせ行為について,平成10年3月2日及び同年7月29日ころに(更に琉球大学職員会も同年5月18日ころに)被告乙山による物品購入妨害行為について,平成11年4月8日ころに被告乙山による講座はずしについて,同年6月9日ころに被告乙山による論文捏造問題,講座はずし及び職員録での不当な取扱いについて,職場環境改善の申入れをしたが,琉球大学医学部ないし琉球大学はこれに対して何も対応しなかった。
イ 琉球大学医学部は,平成7年10月4日に戊川助手が,更に平成8年2月23日に原告が行った,被告乙山の論文に捏造がある旨の告発に関し,調査委員会を設置して捏造問題について調査し,同委員会は同年3月29日に捏造はなかった旨の報告書を提出した。また,琉球大学医学部は,同年5月29日に生理学第二講座における問題等を検討するため,医学部あり方委員会(以下「あり方委員会」という。)を設置し,同委員会は平成9年3月18日に,答申を提出し,論文捏造問題につき調査委員会による捏造はなかったとの報告を前提とした上で,関係者の責任について,講座主任としての被告乙山に重大な責任があり,しかるべき処分がなされるべきこと,論文捏造問題の告発により,大学の信用を著しく失墜させた原告,戊川に重大な責任があり,両者にしかるべき処分がなされるべきであることなどと指摘した。
琉球大学医学部は,これらの調査過程及び結論において,原告を不当に扱い,誤った結論により原告の名誉・信用を侵害した。
ウ 琉球大学医学部教授会は,あり方委員会の前記答申を受けて,平成9年4月9日,医学部長東田五郎(以下「東田医学部長」という。)の提案により,「生理学第二講座の問題については,乙山教授は講座主任として責任を問われるべきこと,甲野助教授,戊川助手の行為は謝罪に相当する行為であること」という内容の問責決議を行い,原告の名誉・信用を侵害した。
エ 病院長東田五郎(以下「東田病院長」という。)は,平成9年3月31日,原告に対し,原告には何ら落ち度はないのに,被告乙山が提起した前記(1)キの訴訟において被告乙山と和解しないのであれば分限免職にする旨述べて脅迫した。
オ 琉球大学医学部は,平成11年4月ころ,原告を第二生理学講座の講義等の担当から外し,原告の教育研究の自由を侵害した。
カ 琉球大学医学部は,平成11年5月ころ,平成11年度版琉球大学職員録中の生理学第二講座の欄から原告の氏名を外す処置をし,原告の名誉・信用を侵害した。
(5) 不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効について(被告らの主張に対する反論)
被告乙山の原告に対する嫌がらせ行為は,自己の意に沿わない原告を自己の属する講座から追い出そうという目的のもとに向けられた8年余に及ぶ執拗なもので,同一意図に基づく一連の継続した一個の行為というべきで,全体として原告に対する違法な行為として評価されるべきであるから,不法行為に基づく損害賠償請求権の起算点は,被告乙山の原告に対する嫌がらせが終了した時点であると解すべきである。
(6) 原告の損害
ア 慰謝料 500万円
約8年間にわたる被告乙山による嫌がらせ行為等により原告が受けた精神的苦痛に対する慰謝料額は,少なくとも500万円は下らない。
イ 弁護士費用 50万円
損害額の1割を請求する。
2 被告乙山の主張
(1) 被告乙山の行為の違法性について
ア 論文への著者名記載の要求について
被告乙山が,原告に対し,原告が雑誌に投稿した論文について,被告乙山の名前を共同研究者として併記するよう要求したことはあるが,これは,被告乙山は講座の主任教授として論文に関与しており,共同研究者とする旨の原告による事前の了承もあったのであるから,当然のことを要求しただけである。
イ 私物持ち帰りの要求について
被告乙山が,原告に対し,原告が自費で購入した研究用機器(マイクロダイアリシス・システム等)の持ち帰りを要求したことはあるが,これは,大学内において,物品を私物のまま公務に使用することは認められておらず,被告乙山が再三にわたって違法状態を解消するように言い続けたにもかかわらず,原告が無視していたのであるから,被告乙山の要求には正当な理由がある。
ウ 物品及び実験用動物等購入要求に対する決済について
原告による物品購入等の要求のうち,研究目的等の理由が明示されていないものにつき,講座内の研究費で購入することを拒否したことはあるが,これは,原告が物品購入の要求をする際,具体的な研究計画の内容や購入理由を提示しなかったため,購入の必要性及び妥当性を判断できず,結果的に物品購入が認められなかっただけであり,被告乙山が原告の要求する物品等の購入を認めなかったのは当然のことである。
エ 琉球大学医学部紀要への業績掲載について
被告乙山が原告の研究実績に関するデータの削除を指示したとの主張は否認する。また,平成5年度の紀要には,原告の研究実績が掲載されている。
オ 出張願いの承認について
被告乙山が,原告から学会出席のための出張願いを提出されて,「丙原学部長に相談してみます。」と言ったことはあるが,これは,原告の学会出席の目的が小倉記念病院での共同研究成果を発表するためというものであったため,公務出張扱いとすることが適正であるかどうか判断しかねたことから,学部長に相談する旨回答しただけである。また,原告は,申請どおり,公費で出張し,学会に出席しており,不法行為は成立しない。
カ 事務機器の利用について
被告乙山が,ファックス機の設置場所とコピーカードの保管場所を教授室に移動させたこと,被告乙山の教授室は通常施錠されており,被告乙山が開けない限り出入りができないことは認めるが,利用が不可能になったわけではない。いずれについても,原告が被告乙山宛の通信文書を不正に入手することを防止するとともに,原告により不当な論文捏造告発のビラ作成に使用されることを防止し,講座の主任として講座費が適正に使用されるべく監督するためになされたものであり,正当な理由がある。コピー室における紛争は,原告が被告乙山の同意なく実験データ表の入ったクリアフォルダーを持ち出してコピー室に赴いたため,これらの実験データをコピーされ,悪用されたら大変であると考えて取り戻そうとしただけであり,被告乙山は,逆に,原告から,右手拳で上腕部を殴打され全治10日の傷害を負わされた。
キ 訴訟提起について
被告乙山が訴訟を提起したのは,原告らから,被告乙山の論文に捏造がある旨の誹謗中傷を受けたからであって,何ら不当なものではない。しかも,裁判提起が不法行為となるのは,極めて例外的な事案に限定されるべきであり,本件には該当しない。
ク 講義・実習の分担について
被告乙山が,平成11年4月以降,原告を学生向けの講義・実習の担当から外したことは認めるが,講座内の教員をどのように講義・実習に参加させるかは,講座の主任である教授の判断に委ねられているところ,原告は,助教授として教授を補佐する立場にあるにもかかわらず,被告乙山を共同研究から閉め出したり,執拗に被告乙山の論文に捏造がある旨学内外で吹聴するなどして,被告乙山との人的関係をあえて悪化させる言動を続けていた。そこで,被告乙山は,原告を共同して授業や研究を行うのに適したスタッフと考えることができず,助教授が講座の責任者と反目する状態では講座として統一した責任ある授業・実習・研究を行えないと判断したことから,やむを得ずこのような措置をなしたものであって,違法ではない。
(2) 被告乙山の責任について
被告乙山と原告間の紛争は,相互の信頼関係が完全に破綻したことに起因する問題であって,いずれも私人間の感情的問題に端を発したトラブルであり,喧嘩両成敗というべき性質の事案であるから,不法行為による責任追求は許されない。
また,公権力の行使に当たる国又は地方公共団体の公務員がその職務を行うについて,故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には,当該公務員の所属する国又は地方公共団体がその被害者に対して賠償の責めに任ずるのであって,公務員個人は,その責任を負わないから,被告乙山に対する請求は理由がない。
(3) 損害賠償請求権の時効消滅
原告が,被告乙山の不法行為であるとして主張する各行為のうち,原告が本訴を提起した平成11年11月22日より3年以上以前のもの(上記1(1)ア,イ,エ及びオの全部とウ及びカの一部)については,仮に,それらの行為につき不法行為が成立するとしても,その損害賠償請求権については,消滅時効が完成しているので,時効を援用する。
(4) 原告主張の損害額について
争う。
3 被告国の主張
(1) 被告乙山の行為の違法性について
被告乙山の主張と同旨
(2) 被告乙山の行為についての被告国の責任について
原告が,被告乙山の不法行為であるとして主張する上記1(1)記載のすべての行為は,民法709条及び国家賠償法1条1項における違法性の要件を欠いており,加えて,上記1(1)ア及びカ記載の各行為は国家賠償法1条1項の要件である公権力の行使に当たらず,キ記載の行為は被告乙山が職務を行うについてなされたものとはいえないから,いずれにしても,被告国は,被告乙山の行為について責任を負わない。
また,上記1(1)ク記載の行為に関しては,被告乙山の不法行為に当たるとしても,琉球大学医学部は,その選任・監督について相当の注意をしているから,被告国は,民法715条1項但書により損害賠償責任を負わない。
(3) 琉球大学等の行為についての被告国の責任について
以下のとおり,被告国は,原告に対し,その職場環境について配慮し,なし得る限りのことをして労働環境配慮義務を尽くしたから,義務違反による損害賠償責任は負わない。
ア 琉球大学医学部及び琉球大学による,原告による職場環境改善の申入れに対する対応について
琉球大学は,原告や戊川による被告乙山の論文に関する捏造告発や生理学第二講座における諸問題の発生を受け,調査班及び調査委員会を設置して調査したり,あり方委員会を設置したり,被告乙山による訴訟提起に対し取り下げるよう説得したり,研究費の支出に関し被告乙山の決裁を受けずに支出できるように原告に配分したり,原告の研究室を被告乙山の教室から移動させるなど,ことあるごとに被告乙山と原告との間を仲裁した。しかも,大学教員はそれぞれ専門分野の授業研究を行っていることから,配置換えが容易でないという制約の中で,琉球大学は,原告と被告乙山の両者に注意を与え,人間関係を修復し,勤務環境に配慮してなし得る限りのことをした。
イ 被告乙山の論文に関する調査委員会等の調査過程及び結論について
調査委員会及びあり方委員会の調査過程及びその結論は,いずれも正当である。
ウ 琉球大学医学部教授会による問責決議について
琉球大学医学部教授会は,あり方委員会が,原告に対して相応の処分を行ってしかるべきである旨の答申を受けて,原告の行為が謝罪に相当する行為であるという内容の決議をしたのであり,原告が調査委員会の調査結果に従わず,不当な方法で被告乙山に対し論文捏造の誹謗中傷を続け,被告乙山及び琉球大学の名誉をおとしめたことが前提となっているから,原告に対して反省を求めるのは当然のことである。しかも,同決議は,反省を促す趣旨でなされたものにすぎず,原告に対して何らかのペナルティーを課すことを目的として行われたものではないから,原告に何の不利益も与えておらず違法と評価されるものではない。
エ 東田病院長の発言について
東田病院長は,被告乙山が原告に対し訴訟を提起したことにつき,そのような訴訟提起が琉球大学の評判を下げるだけでなく,被告乙山及び原告が行うべき生理学第二講座での教育研究の支障になるものと考えられたため,訴訟を進行することにより,生理学第二講座の授業教育研究に支障を来すような事態が発生した場合には,教員としての責務を放棄したものと判断せざるを得ないので,生理学第二講座を一時閉鎖し,被告乙山及び原告を講座外教員とすることもあり得る旨述べ,今後は互いに協力して教育研究に取り組むよう,当たり前のことを説諭しただけであり,脅迫などと評価されるものではない。
オ 原告を第二生理学講座の講義等の担当から外したことについて
原告を第二生理学講座の講義等の担当から外したのは被告乙山であり,これに対し,医学部教授会は被告乙山に再考を求めたが,講座主任である被告乙山が,原告との信頼関係が破綻し原告と共同で研究講座を担当することができないとの意向であったことから,講座主任の学問教育の自由の観点から担当の割当を指示することは適当ではないと判断し,その結果,原告が担当から外れたままで開講されたのである。
元来,講座において,どのような授業を行うか,誰にこれを手伝わせるかは講座の長である教授が自由な裁量により決定し得るものであり,助教授は,教授の学生に対する教授,研究指導,研究への従事を助け補佐するものとして置かれているのであるから,助教授に学問の自由が保障されているとしても,大学という組織の中にあっては,助教授という立場から組織体の一員として制約を受けるものである。また,助教授として講義や実習を行うことによって得られる利益は,教授による学生に対する教授,研究指導又は研究への従事を助け補佐することによって反射的に得られる事実上の利益にすぎず,被告乙山の行為により原告の権利及び法的利益は侵害されていないから,違法性の要件を欠く。
また,原告は,医学外国語Ⅲ英語及び統合科目(Ⅰ)のうち神経学に関する授業を担当している。
カ 琉球大学職員録中の原告の所属の記載について
平成11年度版琉球大学職員録の記載上,原告を生理学第二講座の所属から外すことについては,原告の了承を得ているし,これは,原告の研究室が,被告乙山の教授室及び教室がある基礎研究棟6階から基礎研究棟2階に移され,被告乙山の講座と独立している実態に合致しているから,違法ではない。
(4) 損害賠償請求権の時効消滅
原告が不法行為であるとして主張する各行為のうち,本件訴訟提起時より3年前のものについては,各行為の日から3年経過したことにより,消滅時効が完成しているので,不法行為に基づく損害賠償請求権の時効を援用する。
(5) 過失相殺
仮に,被告乙山や琉球大学職員の行為によって,被告国に不法行為責任が生じるとしても,その原因は,専ら琉球大学の基本的ルールを守らず,被告乙山を不当に中傷誹謗するなどして人間関係を破壊させた原告の言動に基づくのであるから,損害賠償責任の全部又は相当部分につき過失相殺されるべきである。
(6) 原告主張の損害額について
争う。
第3 争点に対する判断
1 証拠(甲1,甲2,甲19ないし29,甲31ないし33,甲35ないし38,甲42,甲48ないし55,甲62,甲66,甲68,甲70ないし72,乙イ2,乙イ4ないし7(枝番を含む。以下同じ。),乙イ12ないし19,乙イ25,乙ロ10,乙ロ28,乙ロ29,乙ロ38ないし44,原告,被告乙山,証人戊川四郎,同西村太郎,同南畑七郎,同北町八郎)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(1) 当事者等
原告と被告乙山は,昭和49年ころ,東京医科歯科大学医学部第一生理学教室において,同じ助手として勤務していた元同僚である。原告は,昭和62年8月ころ,先に琉球大学において勤務していた被告乙山の誘いを受けて,同大学に赴任したことから,被告乙山と原告は,生理学第二講座の教授と助教授という関係となった。
生理学第二講座には,戊川の紹介により,平成2年1月ころから,丁谷が,丁谷の紹介により平成3年10月ころから子野九郎(以下「子野」という。)が,研究留学生として在籍していた。
(2) 原告と被告乙山が対立するに至る経緯等
被告乙山は,研究内容・方針,教育方針,予算の支出等講座の運営に関することについては,講座主任である教授主導で決定するものという考えであったが,原告は,講座所属のメンバーで話し合うなどして決定されるべきであると考えており,講座主任としての権限を強調するきらいのある被告乙山に対して疑問や不満を感じていたことから,平成3年ころ以降,両者は,次第に衝突することが多くなった。
また,原告は,平成3年ころまで,原告が主導で行う研究について,被告乙山を共同研究者として論文を発表していたが,被告乙山の関与は,研究用物品の提供,研究用機材の工面,論文の査読の他,研究自体については,偶に原告の実験を見学し,データの記録を手伝う程度であったため,被告乙山が原告の研究にはほとんど関与,貢献していないにもかかわらず,共同研究者として論文を発表することに不満を持つようになった。
そのような状況のもとで,原告は,平成3年10月ころ,原告が丁谷らと共同研究した論文について,被告乙山を共同研究者とせずに,雑誌「神経化学ジャーナル」に投稿した。当該論文は,以前,原告が被告乙山との共同研究として発表した論文における研究の続編に当たるものであったが,原告は,従前の取扱いと異なり,被告乙山を共同研究者としないことについて,被告乙山に事前に説明することはなく,また論文の査読を求めることもなかった。被告乙山は,同年11月ころ,そのことを知り,被告乙山の名前も著者名に入れるよう要求したが,原告は拒否した。そこで,被告乙山は,平成4年1月6日,8日の2度にわたって,病院長丙原三郎と共に原告の研究室を訪れ,同様の要求を繰り返したが,原告は応じなかった。
このような原告による行動を契機として,被告乙山は,平成4年1月18日,医学部長丑山十郎に対し,「生理学第二講座助教授甲野太郎の服務違反について」と題する書面(乙イ2)を提出し,その中で,原告が,助手の採用に際して意見を述べて干渉してきたことや,実験実習及び実験機器の使用に関する被告乙山の指導に従わないことなどを挙げて,原告が講座主任の指示に耳を貸さず,異常な程度の行為・行動をしており,講座として正常な機能を保てない状況にあることを訴えるに至った。
さらに,被告乙山は,平成4年1月28日,原告に対し,「D室(注:電気生理学実験室)にある私物(備品)を持帰って下さい」と記載したメモを,原告のメールボックスに入れて,私物である研究用機器(マイクロダイアリシス・システム等)の持ち帰りを要求した。これに対し,原告は,同月30日,趣旨不明であることを指摘し明確に理由を述べることを求めるメモ(甲1)を返し,同年2月6日付けでその要求に抗議する文書(甲2)を出したが,被告乙山からは,同じメモが再度届いただけであったので,原告は,その後も研究用機器を置いたままにした。
生理学第二講座では,従前から,昼食時やセミナーの時を利用してミーティングを開き,講座の運営や研究内容についての意見交換をしてきたが,平成4年ころから,原告による被告乙山の講座運営に対する批判が強まり,原告と同被告との対立も深刻となったため,両者の間で,直接に会話をすることがなくなった。
また,医学部では,学部内の毎年度の予算を,講座ごとに割り当てており(当時の生理学第二講座の予算は年間約400万円であった。),講座に与えられる研究費の支出については,物品供用官である講座の教授の決裁に委ねられているため,助教授以下の研究者が研究費で物品購入を希望するときには,教授に申出をして決裁を受けることが必要であったが,被告乙山は,研究用機材や研究用物品の購入を請求されると,原告に対してだけは,その都度,研究計画調書の提出を求めるようになった。このため原告は,従来のようには物品を購入することができなくなった。
また,平成4年ころから,生理学第二講座においては,戊川と丁谷の関係が悪化し,争いが生じるようになった。
(3) 論文データ等捏造に関する告発(第一次)と琉球大学の対応
戊川は,平成5年9月ころ,子野から,被告乙山と丁谷が発表予定の報告内容が,実験結果と異なることを知らされ,原告と戊川は,平成5年9月ころ,被告乙山に対し,丁谷と被告乙山の連名で発表予定であった研究報告の抄録において,実際の実験結果と反する記載がある旨指摘した。また,原告と戊川は,平成6年2月28日,医学部長丙原三郎(以下「丙原医学部長」という。)及び医学部教授会に対し,丁谷と被告乙山による論文において,麻酔や人工呼吸に関する記載が実際の実験状況とは異なることを指摘し,論文内容の捏造であるとして告発した(甲5,甲6)。
これに対し,平成6年3月22日,医学部内に,原告らによる告発に関し,医学部教授により構成される調査班(寅原一男教授,卯谷二男教授,辰川三男教授,巳田四男教授,午村五男教授)が設置され,被告乙山,丁谷及び原告らから事情を聴取したり,実験室を検証するなどの調査が行われた。そして,調査班が被告乙山などから事情を確認した結果,概ね原告と戊川が指摘するような記載内容の誤りが認められたが,それが意図的なものであるとの証拠はないとされた。
このような調査結果を受けて,医学部は,平成6年7月13日,「論文告発事件に関する覚書」と題する書面(甲7)を作成し,丙原医学部長立会いのもと,原告,戊川及び被告乙山に署名するよう求めた。同覚書には,合意の内容として,「乙山次郎が捏造と評されても致し方ないような論文を作成したことは大いなる反省に値することであって,当人は再びこのような事態が生じないよう最大限の努力を払う必要がある。」「当事者3名には,今後の生理学第二講座の教育・研究の実施にあたり,まず関係諸規則等をよく理解することが求められる。また,教授は講座責任者としての立場から,助教授・助手は講座構成員としての立場から講座の円滑な運営と発展に寄与するわけであるから,それぞれは協調して講座の教育・研究に臨まなければならない。したがって,仮にかかる対応ができない場合は,医学部長が関与して善処するものとする。」旨が記載されていた。この内容については,原告及び被告乙山の双方ともに不服な箇所があったが,調査班の教授等からの説得もあって最終的には署名するに至った。
(4) 論文データ等捏造に関する告発(第二次)と琉球大学の対応
こうして先の捏造告発については一応の収拾が図られたが,その後の平成7年10月4日及び同年11月6日,戊川は,医学部長に対し,平成6年12月以降の被告乙山の3つの論文及び抄録において,データの捏造がされていると指摘し,データの捏造を阻止するために有効な手段をとることを求めて再び告発した(甲10,甲11)。その後,平成8年2月23日,原告は,大学長に対して戊川同様,被告乙山の論文捏造を告発する文書(甲18)を提出し,告発人に加わった。また,戊川は,平成7年11月7日,文部省高等教育局長に対し,被告乙山がデータ捏造を行っており,外国人留学生にもさせていること,戊川が学部長に善処を求めたところ,逆に脅迫されたことなどを訴え,文部省による調査を求めた(甲15)。
平成7年11月8日,医学部内に,この戊川による新たな告発を受けて,被告乙山が関与した3つの論文及び抄録について調査するため,医学部教授により構成される調査班(未畑六男教授,申町七男教授,西村六郎教授,酉野八男教授,戌山九男教授)が設置され,同月28日,丙原医学部長に対し,「論文に記載された数値に変更が加えられたと思われるところを認めなかった」旨の調査報告書(乙ロ38)が提出された。しかし,この報告書については,前記告発文書を参考としながらも,原告や戊川からの直接の事情聴取をしなかったことなどから異議が出され,その結果,平成8年1月10日,先の調査班のメンバーに,亥原十男事務部長を加えて公式な調査委員会(委員長未畑六男,副委員長西村六郎)が設置された。
調査委員会の発足後,原告らが告発した論文データ捏造の問題は,平成8年2月ころには新聞報道され,原告らの主張や大学の対応などについて詳しく取り上げられた。また,同年3月ころには,原告や戊川の支援者によって,医学部問題を明らかにする会が発足し,以後,捏造問題に関する原告らの主張や大学側の対応に対する批判等の問題点を取り上げるニュースを発行するようになった。
他方,調査委員会は,被告乙山,原告及び戊川から事情聴取するとともに,その根拠となるデータ等資料の提出を受けて検討し,戊川と原告の捏造であるとの主張には,データの改変の他,統計学上の有意差の有無,実験方法の妥当性,細胞の同定判断基準などが挙げられていたので,実験方法の妥当性や細胞の同定判断基準などの専門的知識を要する事項については,専門家の意見を求めるなどして調査を進めた。
この間,戊川の代理人弁護士は,平成8年3月19日,琉球大学医学部調査委員会に対し,「乙山次郎教授の論文データ捏造問題調査の件について」と題する書面(甲19)を提出し,調査委員会において戊川提出のデータの入手方法が問題となったことに関して,戊川が調査委員会において即答しなかった事情を説明し,被告乙山から原資料データを提出させ,戊川に提示した上で説明の機会を与えることを要望した。
また,原告は,平成8年3月21日,調査委員会に対し,「捏造の説明」と題する文書(甲20)を提出し,原告が捏造であると考える根拠を説明した。
こうして,平成8年3月29日,調査委員会から,丙原医学部長に対し,調査委員会報告書(甲21)が提出された。同報告書によれば,調査対象となった抄録において,実際のデータの数値と異なる記載があること,標準誤差と記載すべきところを標準偏差と記載していることなどの誤りを指摘しつつ,それらの誤りは不注意によるものでデータの捏造とはいえないとされた。
(5) 調査委員会による調査報告書提出後の状況と琉球大学の対応
これに対し,原告と戊川は,平成8年4月23日,調査委員会による調査報告書の調査が不十分であるとし,調査のやり直しを求めた(甲22)。
しかし,医学部教授会は,平成8年5月29日,多数決により,調査委員会の調査結果を受け入れる旨を決議し,捏造問題についての医学部としての結論を出した。しかし同時に,生理学第二講座における問題等を検討するため,あり方委員会が設置された。
丙原医学部長は,平成8年6月4日,原告に対し,「論文捏造問題について(通知)」と題する文書(甲24)により,平成8年5月29日医学部教授会が調査委員会の調査結果を支持することを決定したことを通知し,医学部教官として教授会決定を尊重し今後は論文捏造問題について学部外へ投書すること等を慎むよう要請した。
これに対し原告と戊川は,平成8年6月5日,丙原医学部長に対し,調査委員会の報告書について,調査方法が客観性と誠実さに欠けたものであるとして異議を申し立て(甲25),同月21日,大学長に対し,調査委員会の報告について問題点を指摘し,論文捏造問題及び戊川に対する人権問題を解決することを求めた(甲26)。
医学部では,原告と戊川から出された疑義について,補充の調査を行い,被告乙山の論文及び抄録の内容が,正当な実験に基づくものであり,データの捏造には当たらないとの結論を確認し,平成8年11月27日,医学部教授会にその旨報告し(甲27),同月28日には琉球大学評議会にも同旨の報告をした。
なお,この間の平成8年5月21日ころまでの間,被告乙山は,原告らが講座のコピー機を使用して大量のコピーを作成していた(1回に504枚)ことから,被告乙山の論文捏造問題に関する文書を講座のコピー機を使用して作成しているのではないかと疑い,コピー機の操作に必要なコピーカードを教授室内に保管することとし,講座員の自由に使用できない状態に置いたが,同年6月26日にはコピーカードの扱いを元に戻す一方,同年7月12日には事務部長に対して原告らによるコピー機の不正使用について調査をするよう求めた(乙イ12)。
(6) あり方委員会の活動及び答申
あり方委員会は,戊川が人事院に対して人権侵害の訴えをしていること,論文捏造問題について調査委員会の結論が出され,医学部教授会に報告されて了承されたことを踏まえて,生理学第二講座における人権問題の解決と講座運営の今後のあり方等を検討するために,前記平成8年5月29日の医学部教授会において設置された。
そこで,あり方委員会は,同年6月以降,被告乙山,原告,戊川から事情聴取した上で審議し,当事者間の意見調整をするなどした。
あり方委員会は,平成9年3月18日,丙原医学部長に対し,「論文捏造問題,人権問題に関する答申」と題する書面(甲29)を提出し,その中で,論文捏造問題につき,調査委員会による捏造はなかったとの報告を前提とした上で,関係者の責任について,講座主任としての被告乙山に重大な責任があり,しかるべき処分がなされるべきこと,論文捏造問題の告発により,大学の信用を著しく失墜させた原告,戊川に重大な責任があり,両者にしかるべき処分がなされるべきであることなどと指摘した。また,生理学第二講座の今後のあり方について,講座内の問題の背景に,強い相互不信と意思疎通の欠如があることを指摘し,講座内の人間関係を修復することはもはや不可能な状況にあるため,今後,講座の存続そのものを見直す必要があるとの意見を示した。
さらに,あり方委員会の最終報告として,原告から提起された問題点について協議した結果,今後の講座の運営に関する改善策について,講座研究費の配分に当たっては,研究者が各自実験計画書を提出しその内容,意義,研究経費との関連などを講座全体の問題として討議した上で決定すること,講座内で実施した研究成果の公表は主任教授の了解を得て行い,論文内容,共著者名について討議すべきであること,実験記録の管理・保管をきちんとすること,講座内で意思疎通を図るためのミーティングを行うこと,今後,講座内において問題が生じ,講座内での解決が困難である場合には,あり方委員会に対して相談することなどについて双方の同意を得た旨を報告した(甲29)。
(7) 被告乙山による訴訟提起と大学の対応
被告乙山は,あり方委員会から講座内のコミュニケーションを図るためにミーティングを行うよう勧告されたため,平成8年12月24日から原告を交えたミーティングを再開したが,ミーティングは,子野の学位請求論文につき,原告から実験データの提出が求められるなどして紛糾した。このようなこともあって,被告乙山は,平成9年1月24日,教授会構成員に対し,原告と戊川を相手方として,名誉毀損に対する謝罪広告等請求の訴訟をすることを予告し,支援を求める文書(甲28)を配布した上で,平成9年1月28日,原告と戊川に対し,被告乙山による論文の捏造はないのに原告と戊川が故意にデータを捏造して被告乙山を陥れようとしたなどと主張して,名誉毀損による不法行為を理由とする金1000万円の慰謝料と新聞紙上への謝罪広告を求める訴訟を提起した。
大学においては,被告乙山による訴訟提起に関する対策を協議し,東田病院長が,被告乙山及び原告に対し,提訴によって生理学第二講座の授業や研究に支障を来すような事態になると困るから,訴訟を続けるようであれば,生理学第二講座を一時閉鎖し,被告乙山及び原告を講座外教員とすることを考えるなどと述べて,訴訟を断念するよう説得し,被告乙山は,それに従って,平成9年4月10日,訴えを取り下げた。
(8) 医学部教授会の決議
平成9年4月9日,医学部臨時教授会において,東田医学部長の提案により,「生理学第二講座の問題については,乙山教授は講座主任として責任を問われるべきこと,甲野助教授,戊川助手の行為は謝罪に相当する行為であること」という内容の決議が賛成多数で決議された(甲31)。
原告は,この決議に関し,何らの通知も受けなかった。
(9) あり方委員会の答申後の状況
生理学第二講座では,あり方委員会の答申が出された後も,平成9年4月7日のミーティングでは,被告乙山が共著者になっている子野の学位請求論文に対して原告が誤りを指摘することがあり,また,同年7月に医学部が被告乙山を主査として子野の学位論文を承認すると,同年8月27日の医学部問題を明らかにするニュース(甲32)が頒布されて,同論文についての種々の誤りが指摘されるなど,講座内の人間関係の改善は見られなかった。
その後,平成9年10月13日のミーティングの際に,原告が被告乙山に対し,フラクション・コレクター(価格95万円)の購入を求めたところ,被告乙山は,研究計画調書の提出を求めるとともに,講座予算上の問題を指摘して科学研究補助費の申請をするよう勧めたが,原告はこれを拒絶した。そして,被告乙山は,これ以上原告らとのミーティングを続けることはできないと考え,ミーティングを開催することを断念した。
また,原告と戊川は,平成9年11月13日,被告乙山に対し,合計約2万5000円程度の物品購入手続を求め,原告らの研究の概要及び実験方法等を記載した文書(甲35)を提出した。これに対し,被告乙山は,同日付け「提出した科研費調書のコピーを出してください」旨を記載したメモ(甲36)を返した。原告と戊川は,翌14日,被告乙山に対し,被告乙山から求められた調書を提出するとともに,速やかに物品購入手続をとることを求め研究活動を邪魔しないよう求める文書(甲37)を提出した。これに対し,被告乙山は,同月18日,原告と戊川に対し,15項目にわたる釈明事項を記載し,正確な研究計画書の提出を求める文書(甲38)を返した。この中には,研究分担者,実験場所,実験期間,関連文献,実験動物の購入予算,他の必要機器についての質問のほか,文章の誤りを指摘する事項や研究成果の公表予定に関する事項が含まれていた。
これに対し,戊川と原告の代理人弁護人は,平成10年2月12日,被告乙山に対し,被告乙山の対応について抗議する文書(甲42)を送付し,同年3月2日,東田医学部長に面談をして善処を求めた。
これを受けて,東田医学部長は,平成10年3月3日,原告に対し,「乙山教授は少しやりすぎだ。物品を購入できるよう自分から乙山教授に言っておく」と述べた。そして,原告は,同月6日,被告乙山から,3万円程度の物品購入は請求してよいとのメモを交付されたことから,同月9日,被告乙山に対して物品購入を請求したところ,「もう今年は予算がない」と言われて断わられたが,実際に当該年度の講座予算には余裕がなかった。
このように原告が物品購入をできない状態が続いていたことから,原告の代理人弁護士は,平成10年7月29日,大学長に対し,被告乙山による物品購入妨害やコピー機使用妨害などの研究妨害を止めさせて正常化するための適切な対策をとるよう求め,論文捏造問題についても適切な再調査をすることを求めた(甲48)。
医学部長は,原告に対し,平成10年9月30日付け「生理学第二講座の問題に対する改善措置について」と題する文書(甲50)を交付し,その文書において,具体的改善措置として,生理学第二講座における研究体制について,①原告と戊川は,教授の指導・監督を受けることなく必要な研究活動ができることとする。研究計画は医学部長に提出する。②講座に配分された研究費は,教授,助教授及び助手にそれぞれに分配し,それぞれが執行できることとする。助教授及び助手の物品請求等は分任物品管理官である事務部長が行う。③講座の共通経費の負担等は医学部長が裁定する。④予算配分の措置は平成10年度予算配分から実施すること,服務上の手続等の措置について,原告,戊川に関わる出張申請,休暇等その他服務上の手続は教授に代わって医学部長が行うこと,原告と戊川の研究室を移動すること,生理学第二講座において教育研究に関わる講座運営上の問題が生じた場合は必要に応じ医学部長が対応することなどを提示し,後日,これらの改善措置が実施された。
(10) 講義・実習の担当について
その後,被告乙山は,平成11年度4月開講の「生理学C」の講義・実習について,それまで原告が被告乙山と分担していた担当から,原告をすべて外した内容のカリキュラムを作成した。これに対して,医学部教授会が,再考を促したが,被告乙山が応じなかったため,当該カリキュラムが実施され,原告は,平成11年度4月以降,「生理学C」の講義・実習の担当から外された。そのため,原告は,医学外国語Ⅲ英語及び統合科目(Ⅰ)のうち神経学に関する授業のみを担当した。
原告と戊川は,平成11年4月8日,医学部長酉野八男(以下「酉野医学部長」という。)に対し,被告乙山と非常勤講師一人のみで担当することになっている「生理学C」カリキュラムでは,学生に対して十分な教育ができないことを訴え,適切な対応をとることを求めた(甲52)。
(11) 職員録の記載
酉野医学部長は,被告乙山から,琉球大学が発行する職員録の記載上,生理学第二講座の欄から原告及び戊川を外して掲載するよう申入れを受け,担当の係に対し,平成11年度琉球大学職員録において,生理学第二講座の所属から原告及び戊川を外して掲載するよう指示し,その結果,原告及び戊川だけは生理学第一講座及び同第二講座の記載箇所から離れた,法医学講座と内科学第一講座の間に単なる「生理学」の所属助教授,助手として掲載された。原告は,総務課庶務係からの校正依頼の文書を見て,そのことを知り,生理学第二講座の所属とするよう校正を申し入れたが,医学部長の指示であるから応じられないとの回答を受け,酉野医学部長に対して抗議した。これに対し,酉野医学部長は,「博士講座としての形態を取れない限り,原告及び戊川の所属は生理学となるが,これで何ら不利益を被ることはない。」旨の説明をし,結局,上記のとおりの内容で平成11年度琉球大学職員録が大学より刊行された。
2 前記前提事実及び認定事実に基づき,被告乙山及び琉球大学等の行為の違法性について検討する。
(1) 被告乙山の行為の違法性について
まず,被告乙山による原告に対する不法行為として,原告が主張する各行為は,それぞれ,日時場所を異にするものであって,各行為の時点で,別個に,慰謝料の請求をすることに何ら支障はなかったものといえ,これらを原告主張のように不可分一体のものとして把握しなければならない必要性はないから,本件における慰謝料等損害賠償請求権の消滅時効は,それぞれの行為時から進行するものと解される。よって,原告主張の各行為が仮に不法行為に当たるとしても,本件訴訟が提起された平成11年11月22日の3年以前の行為を原因とする損害賠償請求権については,消滅時効が完成しており,被告らがそれを援用しているから時効により消滅していることになる。そうすると,平成8年11月21日以前の行為については,各行為が不法行為に当たるか否かの判断をすることを要しないものと認められる。そして,この点は,被告乙山の不法行為責任を検討する際だけでなく,被告乙山の行為についての被告国の不法行為責任(民法715条)又は国家賠償責任(国家賠償法1条1項)を検討する際にも同様に妥当する。したがって,原告が被告乙山の不法行為であるとして主張する第2の1(1)ア,イ,エ,オ記載の各行為については,検討の対象とせず,その余の各行為についても,平成8年11月21日以前のものに関しては,同翌日以降の不法行為の成否を判断するのに必要な限りにおいて検討するものとする。
ア 物品購入の妨害について
上記認定事実によれば,被告乙山は,平成4年ころ以降,原告が研究用機材や研究用物品の購入を請求すると,その都度,研究計画調書の提出を求めるようになり,そのため,原告は,従前のように簡便にそれら機材等を購入することが困難になったことが認められる。
しかし,前記認定のとおり,講座制をとる琉球大学医学部においては,学部内の毎年度の予算(校費)を講座ごとに割り当てていることから,そうして割り当てられた講座予算を講座内のどのような支出に割り当てるかについては,基本的に講座の主任教授であり,物品供用官である被告乙山の裁量に委ねられている。そして,被告乙山本人の供述によれば,同人が原告に対して研究計画調書の提出を求めたのは,被告乙山と原告との関係が悪化し,研究内容を協議する機会が乏しくなったことから,被告乙山が原告の研究内容を把握できなくなり,購入を求められた機材や物品の必要性及び妥当性について判断することができなくなったからであるというのであるが,このような事情及び必要性等は前記認定事実に照らして納得することができる。従って,被告乙山が原告に対して研究計画調書の提出を求めたことは,講座の主任教授としての裁量を逸脱又は濫用した違法なものとはいえない。
これに対し原告は,原告が被告乙山の求めに応じて研究計画調書を提出しても,被告乙山は物品購入を認めなかったと原告本人尋問において供述する。しかし,平成8年11月22日以降の物品購入をめぐる事実関係は具体的に明らかではなく,むしろ同尋問によれば,原告は,物品購入のための手続をしても,お金がないと言われたり,更なる手続を要求されるなどしたことから,徐々に請求を控えるようになったというのであるから,被告乙山による裁量を逸脱ないし濫用した物品購入妨害の事実を認定することは困難であるといえる。
もっとも,上記認定事実によれば,被告乙山は,原告が平成9年11月13日にした約2万5000円程度の物品購入の申出に対し,科研費調書の提出を求め,原告がそれに応じたところ,さらに,15項目にわたる事項の釈明を求める書面を返しており,その中には誤字の指摘や,研究成果の公表予定などその時点において必ずしも明確とはいえない事項が含まれており,購入価格が比較的低価であることを考えると,物品購入を申し出た原告に対し,必要以上の釈明を求めるものといえなくもない。しかし,被告乙山が明らかにすることを求めた項目の中には,研究分担者,実験場所,実験期間,関連文献,実験動物の購入予算及び他の必要機器についての質問も含まれているのであって,これらの事項は,日常的な意見交換の機会に乏しく,原告の研究内容を詳細に認識していない被告乙山が,講座員を指導すべき立場にあり,かつ講座予算の管理者でもある主任教授として把握すべきものと考えたとしてもあながち不合理とはいえないものである。特に,このやりとりがなされる直前には,フラクション・コレクターの購入をめぐって被告乙山と原告との間で交渉があり,その結論は未だ出ていない状況にあったのであり,その結論次第では今後の講座予算の支出に大きな影響が生じかねないものでもある(ちなみに,被告乙山は,このときの物品購入申請とフラクション・コレクターとの関係について前記書面〔甲38〕の13項で質問をしている。)から,被告乙山が原告の研究予定を科研費調書以上に詳細に把握しておこうとしたとしても一概に合理性を欠くものとはいえない。そしてまた,多くの項目は原告にとって回答することが可能であると考えられるし,未定の事項についてはその旨説明することで足りるはずである。したがって,前記のような被告乙山による説明要求も,裁量を逸脱ないし濫用した違法なものとはいうことができない。
イ 事務機器利用の妨害について
前記認定のとおり,被告乙山は,平成8年3月26日以降ファックス機を,平成8年5月21日から同年6月26日までの間コピーカードを,被告乙山の教授室内に移動させて保管したが,被告乙山の教授室が,同被告の不在の際には施錠されていたことからすると,確かに,原告も含めた他の講座員は,ファックス機やコピー機の利用に支障が生ずることがあったものと認められる。
しかし,これによってファックス機やコピー機の使用が不可能となったわけではなく,利用に一定の不便を来すようになったにすぎない上,特に原告だけに不便をもたらしたものとも考えられないから,大学の備品機器の管理のあり方としての当不当の問題を生ずることはあり得ても,原告に対する関係での違法な嫌がらせとは認めることができない。
また,証人戊川の証言によれば,ドイツに留学中の戊川のもとに,何者かにより被告乙山宛のファックスが無断で送信されたことが認められ,被告乙山が,個人の秘密保持の観点から,ファックス機を直接管理することを望んだことも理解できないことではない。また,当時,論文捏造問題に関して新聞報道がなされたり,原告の支援者と見られる団体がニュースを発行するなどしていた上,原告によるコピー枚数が多数枚計上されていたことは事実であり,加えて講座内の人間関係が悪化している状況にあったことからすると,被告乙山が,ファックス機やコピー機が講座内での正当な目的以外に利用されているのではないかと疑問を持ち,これを管理する必要性を感じたことは必ずしも不合理なこととはいえない。
ウ 被告乙山による訴訟提起について
一般に,紛争の当事者が,紛争解決を求めて訴えを提起することは,当然の権利行使であって適法な行為であるから,それが違法であるとして不法行為を構成するのは,提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的法律的根拠を欠くものであって,提訴者がそれを知りながら又は容易に知り得たといえるのにあえて訴えを提起した場合のように,裁判制度の趣旨に照らして著しく相当性を欠くときに限られるものである。そして,本件においては,前記認定事実に照らすと,被告乙山による訴訟提起が,このような例外的な場合に当たり違法であるとは到底いえないから,これを不法行為であるとする原告の主張は採用できない。
エ 講義・実習の取り上げ
被告乙山が,平成11年4月以降,それまで原告が担当していた「生理学C」の講座・実習の担当から原告を外したカリキュラムを作成して実施させたことは,前記認定のとおりである。
この点,被告らは,講座内の教員をどのように講義・実習に参加させるかは,講座の主任である教授の判断に委ねられている旨主張するが,大学において教育研究に携わる教員にとって,学生に対する講義や実習は,自らの研究の成果を発表し,更なる研究進展のための契機となるなど重要な場であるといえ,学生に対して講義や実習をすることは単なる義務ではなく,法的に保護されるべき利益として権利の側面があることは否定できないところであるから,この点に関する教授の判断は,教員らの利益を不当に侵害することのない合理的範囲内で裁量が認められるものというべきである。
そこで,検討するに,被告乙山の作成したカリキュラムでは,生理学第二講座による全ての講義と実習の担当から原告を外していること,被告乙山と原告の間に,平成4年以来の長年にわたって軋轢があったことは上記認定のとおりであるが,それにもかかわらず,平成10年まで,原告は被告乙山と分担して講義や実習を担当していたこと,被告乙山本人の尋問によれば,原告を担当から外した理由について,「甲野先生が当講座におられないほうが,私の講座運営が都合がよいと思ったからであります。」と述べるだけであり,講義や実習を原告に担当させることによって具体的な不都合が生じたことを認めるに足りる証拠はないこと,また,被告乙山は,「早く別になりたいとは思ってましたが,なかなかそういう機会がありませんので,延び延びになっておりました。」と述べるなど,対立関係にある原告の存在を疎んじてなされたものと推認されることなどからすると,被告乙山の当該行為は,明らかに合理的裁量の範囲を逸脱した違法な嫌がらせといわざるを得ない。
もっとも,原告は,平成11年度において,医学外国語Ⅲ英語及び統合科目(Ⅰ)のうち神経学に関する授業を担当しているが,これらはいずれも原告の本来の所属である生理学第二講座が主催する講義ではないから,この点は前記評価を左右するものではない。
(2) 琉球大学等の行為の労働環境配慮義務違反ないし違法性について
ア 原告の職場環境改善の申入れに対する対応について
原告は,琉球大学医学部及び琉球大学が,原告による職場環境改善の申入れに対して何も対応しなかったと主張するが,上記認定事実よりすれば,琉球大学医学部は,調査班,調査委員会,あり方委員会をそれぞれ設置して捏造問題及び生理学第二講座の諸問題について対応するための方策を講じたものと認められるから,何も対応しなかったとの主張が妥当しないことは明らかである。
イ 調査委員会等の調査過程及び結論について
原告は,琉球大学医学部及び琉球大学が,原告による被告乙山の論文についての告発に関し,調査委員会等の調査過程及び結論において,原告を不当に扱い,誤った結論により原告の名誉・信用を侵害したと主張する。
しかし,調査委員会等の結論が原告の主張と異なるものであったことは認められるが,そのことにより,直ちに原告の名誉・信用が侵害されるものでないことは明らかであり,調査過程において,特に,原告が不当に扱われたとの事実も認められないから,いずれの主張も失当であり,採用することはできない。
ウ 医学部教授会の決議について
琉球大学医学部教授会が,平成9年4月9日,前記認定事実のとおり,原告の行為が謝罪に相当することを決議したことについては争いなく,その決議について原告に何らの通知もなされず,その決議を受けて原告に対し何らかの措置が執られたこともないことが認められる。
このような事情からすると,医学部教授会が,上記決議をしたことの意義及びその効力は必ずしも明らかでないが,当該決議は,しかるべき処分が相当とするあり方委員会の答申を受けて,それを確認する程度の趣旨であったものと理解でき,特に,原告に対する不利益処分がなされたものではないことからしても,決議自体が原告の人格権を侵害して違法となるものではないというべきである。
エ 東田病院長の発言について
上記認定事実によれば,被告乙山による訴訟提起に対し,琉球大学がその対応策を検討し,被告乙山及び原告に対し,東田病院長らが,提訴及び応訴することにより,生理学第二講座の授業や研究に支障を来すような事態になると困るので,訴訟を続けるようであれば,生理学第二講座を一時閉鎖し,被告乙山及び原告を講座外教員とすることを考えるなどと言って説得し,被告乙山が,その指示に従って,訴えを取り下げたことは認められるが,その際,東田病院長が,原告に対し,分限免職の脅しをしたことを認めるに足りる証拠はない。
オ 講義・実習の担当外しについて
上記認定事実によれば,被告乙山が,平成11年4月以降,それまで原告が担当していた「生理学C」の講義・実習の担当から原告を外したカリキュラムを作成し,これに対し,医学部教授会において再考を促したが,被告乙山の意志が強固であったため,その意向を尊重し,被告乙山作成のカリキュラムが当初のとおり実施されたことにより,原告がそれまで担当していた講義・実習の担当から外されたことが認められる。また,これに関し,被告乙山の行為が,その裁量の合理的範囲を逸脱する違法なものであることは前述のとおりである。
そして,担当教員の配置・配属も含めて,どのような講義・実習等を行うかについて,最終的に決定し,その責任を負うのは大学であって,決定するに当たり,講座主任である教授の裁量が認められ,その判断を尊重するとしても,その判断が合理性を欠き,特定の教員に甚大な影響を及ぼすような場合には,大学は,それを是正して実施する義務があるというべきである。本件において,琉球大学は,被告乙山によって,それまで原告が担当していた「生理学C」の講義・実習の担当すべてを外す内容のカリキュラムが作成されたことを知り,その内容が不合理で,それまでの経緯からしても,これが被告乙山の原告に対する嫌がらせ行為の側面を有することは容易に理解できたはずであるにもかかわらず,被告乙山に対する適切な指導を怠り,結局,被告乙山の意向に追従して,当初のとおりの内容でカリキュラムを実施させたことは,違法といわなければならない。
カ 職員録の記載について
前記認定のとおり,琉球大学の発行した平成11年度版琉球大学職員録においては,原告の所属が生理学第二講座の欄から外され,単なる「生理学」所属とされているものと認められる。
この点について,被告国は,原告の了解があった旨主張するが,原告の了解を認めるに足りる証拠はない。また,被告国は,平成11年度においては原告の研究室も移動し,生理学第二講座の講義も担当していないのであるから,上記職員録の記載は実態に合致していると主張するが,その当時においても,原告の所属が生理学第二講座であったことは,争いがなく,平成11年度平成12年度の各履修要綱においても,原告の大学内での所属講座は生理学第二講座と明記されている(乙ロ29,44)から,むしろ上記職員録の記載は事実と合致しないというべきである。
しかるところ,大学が発行する職員録は,その記載によって直ちに各教員の地位及び所属に変動を来すという性質のものではないが,当該教員の地位や講座の所属等についての大学当局の正式な見解が掲載されて広く頒布されるものであるから,原告がその本来の所属である生理学第二講座から外され,正規の講座として存在するものか否かも定かでない「生理学」の助教授として別の箇所に掲載されることは,職員録を閲覧する大学内外の多数の者をして,原告が正式に生理学第二講座から外されたとの印象を抱かせるに十分であって,講座制をとる琉球大学医学部の教員である原告が,その社会的評価を低下させられ又はその名誉感情を害された程度は決して小さいものとはいえない。
他方,上記認定よりすれば,そのような職員録の記載がなされるに至った経緯については,被告乙山の要望があったことから,医学部長がその要望を受け入れて,総務課に指示をし,原告からの再三の抗議がなされたにもかかわらず原告の所属の記載を生理学第二講座から外し,生理学所属として掲載させたものであると認められる。そうすると,上記のような記載をすることに何ら合理性はなく,医学部長にとっても,被告乙山の要望が原告を嫌悪する感情からなされたものであることも容易に理解できたものと推認され,それにもかかわらず医学部長がその要望に追従して,職員録の記載に関し指示をしたこと,そして,大学が,原告の所属を生理学第二講座の欄から外した内容で平成11年度版琉球大学職員録を発行したことには,いずれも合理的理由を認めることができない。
したがって,琉球大学が職員録の記載を上記のようなものとしたことは違法というべきである。
3 被告乙山の不法行為責任について
先に述べたところによれば,前記2(1)で検討した被告乙山の行為のうち,原告の講義・実習を取り上げたことは違法と評価されるべきであるが,その行為は被告乙山が琉球大学教授としての権限に基づいて行ったものであり,「公権力の行使」に当たるというべきである。そして,公権力の行使に当たる国家公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には,国がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって,公務員個人はその責を負わないものと解すべきであるところ,被告乙山の違法行為については,被告国が賠償責任を負うのであって,被告乙山が負うものではないといわなければならない。
したがって,原告の被告乙山に対する請求は理由がない。
4 被告乙山の行為についての被告国の責任
前記2(1)記載のとおり,被告乙山が,平成11年度4月以降,原告を生理学Cの講義・実習の担当から外したことは,公権力を行使する被告乙山が職務上行ったもので,違法であるから,被告国は,これらの行為によって原告に生じた損害について国家賠償法1条1項により責任を負う。
なお,被告国は,過失相殺の主張をするが,たとえ従前の被告乙山との関係において原告にも非難されるべき点があるとしても,上記違法行為自体に関しては,原告の過失を考える余地はないのであるから,上記主張は採用できない。もっとも,被告国の指摘する,被告乙山との人間関係を悪化させた原告の言動等の事情については,慰謝料額を算定する際の事情として考慮すべきものと考える。
5 琉球大学の行為についての被告国の責任
前記2(2)記載のとおり,琉球大学が,平成11年度4月以降,原告を生理学Cの講義・実習の担当から外したこと,平成11年度版琉球大学職員録中の原告の所属を生理学第二講座の欄から外した内容で発行したことは,違法であり,これは原告主張のとおり琉球大学の不法行為を構成するものであるから,琉球大学を設置管理する被告国は,これによって原告に生じた損害について責任を負う。
被告国の主張する過失相殺が認められないことは,上記4記載のとおりである。
6 原告の損害
原告は,被告乙山及び琉球大学の上記不法行為により,精神的苦痛を被ったものと認められる。これに対する慰謝料の額を考えるに当たり,本件不法行為の背景には被告乙山と原告の間の長期間にわたる個人的な確執があり,両者の関係が悪化した契機や両者が対立するに至る経緯においては,原告の態度に問題がなかったわけではなく,原告において,円満に事を進めようとする努力が必ずしも十分でなかったなど本件における上記認定の諸般の事情を考慮すれば,50万円をもって相当と認められる。
弁護士費用については,上記賠償額に照らすと5万円をもって相当と認める。
7 結論
以上のとおりであるから,原告の請求を一部認め,その余の請求を棄却することとし,担保を条件とする仮執行免脱宣言は相当でないので付さないこととして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・清水節,裁判官・髙松宏之,裁判官・池田弥生)