那覇地方裁判所 平成12年(行ウ)2号 判決 2004年3月30日
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告が原告に対して平成10年5月26日付けでした公務外認定処分を取り消す。
第2事案の概要
1 本件は,B市消防本部に勤務していた亡Aの事実上の配偶者であった原告が,亡Aが勤務中に死亡したことについて,被告に対して地方公務員災害補償法に基づき公務災害認定請求をしたところ,被告が平成10年5月26日付けで公務外認定処分(以下「本件認定処分」という。)をしたことから,原告が被告に対し,本件認定処分の取消しを求めている事案である。
2 前提事実(証拠等を掲記しない事実は,当事者間に争いがない。)
(1) 原告
原告と亡Aは,昭和47年9月28日に婚姻し,昭和62年8月3日に離婚したが,その後,平成元年春ころ以降,再び事実上婚姻関係と同様の生活を営んできた(甲30,乙6の44,乙8の4,原告本人)。
(2) 亡Aの経歴・健康状態
亡Aは,昭和23年3月8日生まれの男性であり,昭和49年9月21日にB市消防本部に消防士として採用されて以後,警防係及び総務係において勤務し,平成7年3月4日(下記(3)の本件発症日)当時は警防係において消防士長として勤務していた。
亡Aは,従前から,高血圧等の診断を受けており,平成4年から6年の定期健康診断結果によれば,最高血圧は178から182mmHg,最低血圧は118から120mmHgで,肥満度は38パーセントから42パーセントであった(乙6の13,乙16の5ないし7)。
(3) 亡Aの死亡
亡Aは,平成7年3月3日午前8時30分から翌4日午前8時30分までの予定で勤務に就き,同日午前0時15分ころからは,同日午前4時からの通信勤務に従事するため仮眠室で仮眠をとっていたが,同日午前3時53分ころ,脳動脈瘤破裂,くも膜下出血及び急性硬膜下血腫を発症し(発症の具体的態様については争いがある。以下「本件発症」という。),翌5日午前1時58分に脳ヘルニアにより死亡した(以下「本件死亡」という。)。
(4) 公務災害認定請求等
原告は,被告に対し,本件死亡について,平成8年2月21日付けで地方公務員災害補償法に基づき公務災害認定請求をしたのに対し,被告は,平成10年5月26日,本件認定処分を行った。
これに対し,原告は,同年7月23日付けで,地方公務員災害補償基金沖縄県支部審査会に対して審査請求をしたが,同審査会は,平成11年3月16日付けで審査請求を棄却するとの裁決をした。
さらに,原告は,同年4月26日付けで,地方公務員災害補償基金審査会に対して再審査請求をしたが,同審査会は平成12年3月7日付けで再審査請求を棄却するとの裁決をした。
(5) 本件訴訟の提起
原告は,平成12年6月26日,本件認定処分の取消しを求めて,本件訴訟を提起した(当裁判所に顕著な事実)。
3 争点
本件の争点は,本件死亡が「公務上」(地方公務員災害補償法31条)のものか否かである。
第3争点に関する当事者の主張
(原告の主張)
1 転倒・打撲による本件発症
亡Aは,本件において脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を発症しているが,その脳動脈瘤の大きさは,7㎜×4㎜である。ところで,脳動脈瘤の形成は,総人口中約5パーセントの割合で見られるが,その脳動脈瘤が破裂することはまれであり,10㎜未満の小さな脳動脈瘤が破裂に至る割合は年間0.05パーセントにすぎない。したがって,亡Aの脳動脈瘤が自然的経過によって破裂に至ったと見ることには無理がある。
また,亡Aは,本件において急性硬膜下血腫も発症させているが,急性硬膜下血腫のほとんどは外傷性(必ずしも痕跡が残るような強打に限らない。)であるから,亡Aの頭部に外部から何らかの衝撃が加わったことは否定し得ない。
そして,本件発症の時間が通信業務に就く直前であること,亡Aの肥満体型,体調不良及び起床直後等の状況から転倒しやすい状態にあったことからすれば,亡Aは,当日午前4時からの通信業務に就くために仮眠室から通信室に行こうとして,通信室のドア又は床に転倒ないし打撲し,この転倒ないし打撲によって急性硬膜下血腫と脳動脈瘤破裂を発症し,又は脳動脈瘤破裂が先に発症して急性硬膜下血腫とくも膜下出血を発症したと考えられる。
また,後記2で述べるとおり亡Aの脳動脈瘤壁の脆弱化が進行していたとするならば,転倒ないし打撲が軽度のもので,その痕跡を留めない程度のものであったとしても,それにより脳動脈瘤破裂が発症した事態も想定される。
そうすると,本件発症ひいては本件死亡は,勤務中の転倒ないし打撲という事故により生じたものであるから,「公務上」のものといえる。
2 公務過重による脳動脈瘤壁の脆弱化・本件発症
仮に前記のような転倒も打撲もなく,被告が主張するように脳動脈瘤の破裂とそれに伴うくも膜下出血により二次的に急性硬膜下血腫が生じたとしても,亡Aの脳動脈瘤壁は,以下のような消防職員としての過重な公務遂行により肉体的・精神的な疲労が蓄積したため,その自然的経過を超えて増悪し,脆弱化した結果,破裂するに至ったものであるから,本件発症ひいては本件死亡は「公務上」のものである。
(1) 亡Aの過重な勤務について
ア B市消防本部警防係の勤務体制
亡Aは,平成5年4月1日に総務係から警防係に異動となったが,警防係では,隔日24時間交代制勤務の体制がとられており,午前8時30分から翌日午前8時30分までの24時間継続勤務の当務日,翌日の非番日,翌々日の週休日を交互に繰り返し,その間に3週間サイクルで1日は午前8時30分から午後0時45分までの半日勤があるという変則的な交替勤務となっているうえ,非番の日や週休日にも訓練が行われるのであり,また,当務日の24時間のうち,勤務時間とされているのは16時間で,その余の時間は休息時間(正午から午後1時,午後5時から午後6時。但し,この時間帯に通信業務に従事する者は別の時間帯に変更される。)と仮眠時間(午後10時から翌午前5時。ただし,うち1時間は通信業務に従事する。)とされていたが,休憩時間や仮眠時間といっても,常に災害発生その他の緊急出動に迅速に対応できるように「待機」の状態にあり,所属長の指揮命令下にあるから,労働から完全に解放されて心身を休息させ得る時間とはなり得ていない。
加えて,仮眠室は,仕切もなく,暗くて狭いものであり,同僚のいびきや気配等を気にしながら作業着のままで仮眠をとらなければならないものであり,仮眠時間中の1時間は通信業務に従事しなければならず,火災等の場合には,署内一斉放送により指令があるため,その都度,職員は緊張を強いられるのである。
このような長時間労働・夜間労働は,生体リズムを破綻させ,慢性疲労をもたらし,全身に悪影響を与えるものであるが,とりわけ異動当時から高血圧等の状態にあった亡Aにとっては,より一層過重なものであった。亡Aの前記異動は,周囲の事情に配慮してやむなく応じたものであった。
加えて,本件発症当時,B市消防本部は人員不足の状態にあり,警防係は40名が3係に分かれていたが,職員の年休取得や研修参加にかかわらず実働1係11名を常時確保するため,補充勤務として超過勤務に従事することや当務日でない者が当務日の者と交代して勤務に従事すること(交代勤務)を余儀なくされていた。
イ 亡Aの従前の勤務状況等
上記のような勤務体制の中,亡Aは,そもそも警防係に適した健康状態ではないにもかかわらず,迅速機敏な対応についての劣等感や頼まれれば断れない人柄等から,平成5年には交代勤務を20回・283時間と数多く行うとともに,年間839時間という極めて長時間の超過勤務を行っていた。
亡Aは,平成5年11月の健康診断で健康状態が悪化していることが判明したため,それ以降は超過勤務を控えることとし,人員が増員されたこともあって,平成6年の超過勤務時間は年間442時間に留まったが(交代勤務は32回・334時間),依然として高水準にあった。また,亡Aは,前記健康診断の結果を受け,平成6年1月にはI小児科・内科・皮膚科医院においてC医師の診察を2回受けたが,血圧等の検査結果が若干改善されたことや同医師が投薬等を勧めなかったこともあり,その後は通院せず,食事療法等で対応しようとした。上記のような健康管理の結果,平成6年11月の健康診断の結果は,僅かに改善されるに至ったが,依然として,警防係に適した健康状態にはなかった。また,亡Aは,このような健康管理をする反面,警防係から日勤勤務の職場への異動を希望したが,結局,異動は実現しなかった。
ウ 亡Aの本件発症前の勤務状況
(ア) 未帰宅児童の捜索活動への従事等
平成6年12月18日,B市内在住の3名の児童・幼児が遊びに出たまま夜になっても帰宅しないという事件が発生し,翌日からB市消防本部による捜索活動が開始された。亡Aもこの捜索活動に従事し,当務日である12月18日から同月30日までの間,週休日はわずか1日で,捜索活動に7日間従事し(これは,捜索活動に従事した警防係職員の中で2番目に多い日数である。),その余は当務日という連続勤務が続いた。特にその捜索区域は山岳,沢や崖下,大湿地を含む困難なものであり,亡Aの徒歩による捜索距離は41.5km,車両による捜索距離は75.5kmに及んだ。亡Aの12月の超過勤務は93時間にのぼり,同人は体調を崩した。
(イ) 消防学校における研修の受講
亡Aは,前記未帰宅児童の捜索活動の疲れを癒す間もなく,平成7年1月9日から同月2月2日までの間,沖縄県消防学校において,救急隊員に新しく医療行為ができる資格を付与するために実施された「第6回救急Ⅱ課程教育訓練」研修を受講せざるを得なくなり,救急業務概論,医学概論,解剖生理学等の35教科を修得した。この研修中,亡Aは,6人部屋での入寮生活を余儀なくされ,午前6時30分の起床から午後10時30分の就寝まで全く自由時間のない24時間拘束の状態で,相当な精神的ストレスを強いられ,より体調を悪化させた。
また,亡Aは,平成6年12月末ころ,救急業務中の担架搬送が原因で腰痛となり,翌平成7年1月中に3回治療を受けたが軽快せず,研修受講中の肉体的負担も相当なものであった。
(ウ) 体調不良の下での勤務
亡Aは,前記研修終了後,体調が回復しないまま通常の勤務に戻ったが,その後も体調は回復しなかった。そして,平成7年3月1日には非番日であるにもかかわらず防災パレードに参加し,同月3日には前日からの風邪のため微熱を発しているにもかかわらず,風邪薬を服用して出勤し,通常業務に従事した後,本件発症に至った。
(2) 亡Aの過重な勤務と本件発症ひいては本件死亡との関係について
ア 生成された脳動脈瘤が破裂に至るか否かに当たって最も重要なのは,脳動脈瘤壁の脆弱化の進行状態である。脳動脈瘤壁の脆弱化が十分に進行しない状態の下では,高血圧等の血行力学的圧力や脳脊髄液等の圧力によって脳動脈瘤が破裂することはない。脳動脈瘤壁の脆弱化は日常生活の中で一方的に進行するわけではなく,その修復過程も存するものではあるが,その過程に関与する重要な因子は,血圧の低下や血流の減少という血行力学的負荷の軽減であり,生理的血圧の低下は主として夜間の十分な睡眠によってもたらされることから,過労により夜間に十分な睡眠時間が確保されないときには,前記修復過程が阻害され,脳動脈瘤壁の脆弱化が進行することになる。
イ 亡Aの場合,もともと高血圧という基礎疾患を有していた同人が,時間的に不規則な警防係勤務に就き,長時間にわたる交代勤務・超過勤務に従事する中で脳動脈瘤壁の脆弱化が進行し,さらに体調を崩す中で未帰宅児童等の捜索活動に従事し,消防学校の研修を受講する過程でその疲労が蓄積する一方,夜間の十分な睡眠を確保できず,脳動脈瘤壁の脆弱化の修復過程が阻害され,脳動脈瘤壁の破裂準備状態が形成されていき,本件発症に至ったものと考えられる。
被告は,公務災害か否かを検討するに当たり,本件発症前半年から1年程度前の業務の過重負荷の有無を問題とするが,業務に起因する長期間にわたる疲労の蓄積・基礎疾患の増悪が疾病の発症や死亡を招くに至った場合,長期間にわたるがゆえにその発症が業務との間に相当因果関係を否定されるべきではなく,業務による悪影響時と発症時点との間に時間的制限を設ける合理的理由はない。
ウ このように亡Aの脳動脈瘤破裂は,少なくとも平成5年4月1日の警防係への異動以降における過重な公務遂行が,脳動脈瘤壁の脆弱化を十分に修復させることなく促進させたことに起因するものであって,本件発症ひいては本件死亡は「公務上」のものというべきである。
エ なお,仮に亡Aに健康管理上の懈怠があったとしても,地方公務員災害補償法は,本件のような遺族補償の場合には,被災職員の重過失等による給付制限は定めていないことからすれば,被災職員の健康管理上の懈怠を公務災害認定に当たって斟酌すべきものではない。
(被告の主張)
1 亡Aの本件発症ひいては本件死亡の原因について
亡Aは,右中大脳動脈の嚢状動脈瘤が破裂してくも膜下出血を発症したことから,右脳が圧迫されて急速に死に至ったものと考えられる。仮に原告主張のように亡Aが急性硬膜下血腫をも発症していたとしても,原告主張のような程度の外部的打撲によって硬膜下血腫が生じるとは考え難いから,それは原告主張のような外部からの打撲によるものではなく,仮眠中に発症した脳動脈瘤破裂の勢いが強いために,脳動脈瘤からの出血がシルヴィウス裂を充満した後,薄いくも膜を破って脳表に出たか,脳動脈瘤から勢いよく噴出した血液が直接脳実質を穿破して硬膜下に達したものと考えられる。
ところで,嚢状の脳動脈瘤が亡Aの脳動脈瘤の大きさになるには通常何年もかかるところ,平成4年から平成6年の定期健康診断の結果によれば,亡Aは,この間,①肥満度38から42パーセントの肥満状態,②最高血圧178から182mmHg,最低血圧118から120mmHgの高血圧状態で「要医療」ないし「要治療」の所見,③中性脂肪及び総コレステロールが高値であり,くも膜下出血発症の高度の素因を有していたと認められ,しかもそれらに対する治療を受けてこなかった。その結果,亡Aは,自然的経過による血管病変の増悪を招いてくも膜下出血を発症させたものである。
2 公務と本件発症ひいては本件死亡との相当因果関係について
(1)ア 本件発症ひいては本件死亡が「公務上」のものというためには,公務と本件発症ひいては本件死亡との間に相当因果関係があることが必要である。
脳・心疾患における公務上外認定の行政は,相当因果関係を判断するに当たり,従前は平成7年3月31日地基補第47号地方公務員災害補償基金理事長通知「心・血管疾患及び脳血管疾患等業務関連疾患の公務上災害の認定について(通知)」(以下「旧基準」という。)の基準に基づいて実施されてきたが,平成13年12月12日地基補第239号地方公務員災害補償基金理事長通知「心・血管疾患及び脳血管疾患等の職務関連疾患の公務上災害認定について(通知)」(以下「新基準」という。)が発せられ,これが改正された。そして,この改正は,医学専門家で構成する「心・血管疾患及び脳血管疾患等業務関連疾患の公務上災害認定基準に関する研究・検討会議」において得られた最新の医学的知見とともに,労働省(当時)による臨床医・病理学等の専門家を構成員とする「脳・心疾患の認定基準に関する専門検討会」が提出した報告書を受けた検討結果及び人事院による「心・血管疾患及び脳血管疾患等業務関連疾患の公務災害認定指針に関する専門家会議」の報告を受けた検討結果を踏まえてなされたもので,現時点での最新の医学的知見と経験則を踏まえた専門家の検討結果を前提としたものであるから,単に担当行政庁の運用基準としてのみならず,相当因果関係の有無を判断するに当たっての裁判規範としても妥当するものというべきである。
イ まず,旧基準によれば,公務と本件発症ひいては本件死亡との間に相当因果関係があるというためには,発症前に,業務に関連してその発症状態を時間的,場所的に明確にし得る異常な出来事に遭遇したことにより,または通常の日常の業務(被災職員が占めていた職に割り当てられた職務のうち,正規の勤務時間内に行う日常の業務をいう。)に比較して,特に質的に若しくは量的に過重な業務に従事したことにより,医学経験上,心・血管疾患及び脳血管疾患等の発症の基礎となる病態(血管病変等)を加齢,一般生活等によるいわゆる自然的経過を超えて急激に著しく増悪させ,当該疾患の発症原因とするに足る強度の精神的または肉体的負荷を受けていたことが必要である。
ここに,「異常な出来事」とは,強度の精神的,肉体的負荷を起こす可能性のある突発的な出来事(例えば,暴風雨,洪水等の特異な事象に業務に関連して遭遇し,強度の驚愕,恐怖等を起こしたことが経験則上明らかな場合)をいい,「通常の日常の業務に比較して特に質的に若しくは量的に過重な業務」とは,通常に割り当てられた業務内容等に比較して特に過重な業務(例えば,日常は肉体労働を行わない職員が,勤務場所の火災等特別な事態の発生により,特に過重な肉体労働を必要とする業務を命ぜられ遂行したとか,業務上の必要により,発症前に週数十時間にまで及ぶ過重な長時間勤務を1か月以上にもわたって行ったり,暴風雨,豪雪,猛暑等異常な気象条件の下での業務を長時間にわたって行っていた場合等勤務時間及び業務量の面で特に過重な業務の遂行を余儀なくされた場合)をいう。
そして,公務起因性の判断基準として,①発症前日から直前までの間の業務は,発症に最も密接な関連性を有すること,②発症前1週間以内に過重な業務が継続している場合には,血管病変等の急激で著しい増悪に特に関連があると認められること,③②に準ずる過重な業務が発症前1か月以上継続している場合には,血管病変等の急激で著しい増悪に関連があると認められること,④発症前数か月間における業務については,発症前1週間の業務と併せて総合的に評価することにより,血管病変等の急激で著しい増悪に関連があると認められる場合もあることの各基準が考慮されるべきである。
さらに,上記各基準は,症状顕在化までの時間的間隔について,過重負荷を受けてから心・血管疾患及び脳血管疾患の症状が顕在化するまでの時間的間隔が医学上妥当と認められることが必要である。
ウ そして,旧基準をより具体化した新基準によれば,公務と本件発症ひいては本件死亡との間に相当因果関係があるというためには,①発症前に,職務に関連してその発生状態を時間的,場所的に明確にし得る異常な出来事・突発的事態に遭遇したこと,又は②発症前に通常の日常の職務(被災職員が占めていた職に割り当てられた職務であって,正規の勤務時間内に行う日常の職務をいう。)に比較して特に過重な職務に従事したことにより,医学経験則上,心・血管疾患及び脳血管疾患の発症の基礎となる高血圧症,血管病変等の病態を加齢,一般生活によるいわゆる自然的経過を早めて著しく増悪させ,当該疾患の発症原因とするに足る強度の精神的又は肉体的負荷を受けていたことが明らかに認められることが必要であり,また,過重負荷を受けてから,心・血管疾患及び脳血管疾患の症状が顕在化するまでの時間的間隔が医学上妥当と認められることが必要である。
このうち,上記②の公務の過重負荷の評価期間については,発症前概ね半年程度とし,特別の事情が特に長期間に及ぶことを余儀なくされていた場合は概ね1年程度とし,その過重性については,労働時間の面では,(ア)発症前1週間程度から数週間(2から3週間をいう。)程度にわたる,いわゆる不眠・不休又はそれに準ずる特に過重で長時間に及ぶ時間外勤務を行っていた場合,(イ)発症前1か月程度にわたる,過重で長時間に及ぶ時間外勤務(発症日から起算して,週当たり平均25時間以上の連続)を行っていた場合,(ウ)発症前1か月を超える,過重で長時間に及ぶ時間外勤務(発症日から起算して,週当たり平均20時間程度以上の連続)を行っていた場合により評価すべきであり,労働時間以外の職務従事状況の面では,(ア)交代制勤務職員の深夜勤務(22時から翌朝5時までの勤務)中の頻回出動及び深夜勤務時間数の著しい増加・仮眠時間の著しい減少等,(イ)精神的緊張を伴う職務への従事状況等を考慮すべきであり,これらの評価に当たっては,被災職員と職種,職,職務経験及び年齢等が同程度の職員(なお,健康な状態にある者のみならず,心・血管疾患及び脳血管疾患の発症の基礎となる高血圧症,血管病変等を有しているものの,通常の日常の職務の遂行に特に支障がない程度の職員も含む。)にとっても特に過重な精神的,肉体的負荷と認められるか否かについて客観的に評価すべきである。
エ これを本件について検討するに,
(ア) まず,亡Aが本件発症前に,職務に関連してその発生状態を時間的,場所的に明確にし得る異常な出来事・突発的事態に遭遇した事実(前記①の基準)は認められない。
原告が指摘する未帰宅児童の捜索については,それが終了したのは亡Aが死亡する約2か月前である平成7年1月7日であって,その後の亡Aの業務は下記のとおり過重とはいえないのであるから,これが本件発症ひいては本件死亡と相当因果関係を有するものとはいえない。
また,消防学校における研修の受講についても,研修時間は午前9時から午前11時まで及び午後1時から午後4時50分までであり,その内容も講義を受講するにすぎないものであって,むしろ日常業務よりも負荷ははるかに少なかった。また,この研修は24時間拘束といえるものではないし,就寝も6人部屋を実際には2人で使用していた。したがって,これが過重な業務であったとはいえない。
(イ) 次に,公務の過重性(前記②の基準)についても,下記aないしeのとおりであって,亡Aの本件発症前6か月間の勤務状況は,勤務従事時間(時間外勤務時間)の量的な側面から検討しても,職場環境及び就労内容等の質的な側面から検討しても,過重なものとはいえず,亡Aの本件発症ひいては本件死亡は「公務上」のものであると認めることはできない。
a 発症前1週間から3週間における亡Aの勤務状況
発症前1週間において,亡Aの従事した業務は,いずれも同人の職に割り当てられた通常の業務のほかは,防火パレードへの出席等であり,時間外勤務も6時間30分にすぎない。この間,救急出動を4回しているが,1回当たりの出動時間は最長でも1時間に満たない時間であり,大きなトラブルが生じた等の事情は認められず,また防火パレードの出席については,出発式の後,消防車両を運転して市内を回ったにすぎず,何らかのトラブルが生じた事情もない。
また,発症前3週間に遡ってみても,時間外勤務の状況は,最も遅くまで時間外勤務を行った日は2月11日の9時間30分と2月18日の10時間30分であるが,これはいずれも午後5時から翌午前8時30分までの補充勤務であり,それ以外には1時間程度の救急出動が2回,病院研修中の3時間の超過が3回,春の防災パレードのための超過勤務3時間30分が1回あるにすぎない。
したがって,亡Aの勤務状況は,発症前1週間程度から数週間(2から3週間をいう。)程度にわたる,いわゆる不眠・不休又はそれに準ずる特に過重で長時間に及ぶ時間外勤務を行っていた場合には該当しない。
b 発症前1か月間における亡Aの勤務状況
この間の時間外勤務の状況は,超過勤務時間は36時間であり,1か月4週間の計算においても1週当たりの平均超過勤務時間は9時間である。これは新基準の週当たり平均25時間程度以上を大きく下回っている。
したがって,亡Aの勤務状況は,発症前1か月程度にわたる,過重で長時間に及ぶ時間外勤務(発症日から起算して,週当たり平均25時間以上の連続)を行っていた場合には該当しない。
c 発症前6か月間における亡Aの勤務状況
この間の時間外勤務の状況は,業務との関連性が認められる週20時間を超えている週は全く存在せず,それどころか,未帰宅児童捜索のあった発症3か月前及び病院研修のため時間外勤務が若干増加した発症1か月前を除けば,平均すると週4時間弱しか時間外勤務が行われていない。また,この間亡Aは,週休日や非番日の休日は行使していたから,十分に休息を確保できていたものというべきである。
したがって,亡Aの勤務状況は,発症前1か月を超える,過重で長時間に及ぶ時間外勤務(発症日から起算して,週当たり平均20時間程度以上の連続)を行っていた場合には該当しない。
なお,原告が指摘する未帰宅児童等の捜索及び消防学校における研修については前記のとおりである。
d 原告が「隔日24時間交代制勤務」と呼ぶ勤務について
亡Aは交代制勤務に就いていたが,本件発症の76日前である平成6年12月18日以降に,午後10時から午前5時までの間勤務により拘束されていた日の回数は17日にすぎず,亡Aの原則的な勤務形態が,午前8時30分から翌日午前8時30分までの当務日,翌々日午前8時30分までの非番日,さらにその翌日午前8時30分までの週休日を繰り返す交替勤務であることからすれば,上記程度の深夜拘束回数は「深夜勤務時間数の著しい増加」には当たらない。
また,上記17日の深夜拘束時間中に救急出動及び警戒出動があったのは7回であり,出動時間はいずれも1時間前後であって,このような勤務状況が医学経験則に照らして強度の精神的,肉体的過重性が認められる場合とはいい難い。
公務の過重性を問題にせず,消防職員の通常の業務であっても,それが夜勤交代制勤務であるがゆえに過重であるとするのであれば,およそ夜勤交代制勤務に従事している消防職員,警察官,自衛官,警備員,医師,看護婦等の脳・心臓疾患はすべて公務災害となってしまい,不合理である。
e その他の精神的緊張の有無
亡Aは,B市消防本部の一警防係員としてその職責を果たしていたのであって,責任者として困難な対外折衝への従事や重大な判断を強いられる状況には置かれていなかった。また,亡Aは,警防係に配置される前は総務係に配置されていたが,さらにその前は警防係に配置されていたものであって,警防係への異動も職務内容の変更について予測できる範囲内のものにすぎず,急激かつ著しい変更とはいい難い上,異動自体も本件発症から約2年も前のことである。さらに,亡Aの職場における人間関係は良好であった。
したがって,亡Aが公務遂行に当たり特に精神的緊張にさらされていたとはいえない。
(2) なお,亡Aは過重かつ不規則な勤務のために,夜間の十分な睡眠が確保できず,そのため脳動脈瘤壁の修復が阻害された旨原告は主張しているが,脳動脈瘤の発生・破裂は,多くの事象が関与する多因子現象であるところ,十分な睡眠と脳動脈瘤壁修復の関係は医学的に認知されているものではなく,他方,原告の基礎疾患である高血圧のくも膜下出血に対するリスクの高さについては前記専門家の検討会においても指摘されているところであり,原告が罹患していた糖尿病が組織損傷の回復を阻害することも周知の事実である。
第4当裁判所の判断
1 本件発症ひいては本件死亡に至る経緯
前記前提事実,当事者間に争いがない事実,証拠(甲4ないし7,甲11,15,18ないし20,甲21の1,2,甲28の1ないし11,甲29の1ないし14,甲30,59,乙4の2ないし8,乙6の3ないし7,11ないし40,42ないし45,乙8の2ないし5,乙10,11,12の1ないし3,16の1ないし3,5ないし7,乙21の1ないし5,乙26,29ないし32,証人D,証人E,証人F,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(1) 原告の経歴等
亡A(昭和23年3月8日生)は,民間会社における約7年間の勤務を経た後,昭和49年9月21日にB市消防本部に消防士として採用され,警防係に勤務し,その後昭和53年4月1日から総務係に勤務し,昭和62年9月1日から警防係に勤務し,昭和63年3月24日から後記入院のため休職し,平成元年3月24日に復職して警防係に勤務し,同年5月10日から総務係に勤務の後,平成5年4月1日から再び警防係に勤務していた。
この間,亡Aは,昭和62年12月24日から平成元年2月28日までの間,心因反応・アルコール依存症でH町のG医院に入院した。
亡Aは,昭和47年9月28日に婚姻し,職場であるB市消防本部から約1㎞(通勤時間は自動車で片道5分)のところに妻子5名とともに居住していた。その間,原告と亡Aは昭和62年8月3日に離婚したが,平成元年春ころ以降,再び事実上の婚姻関係と同様の生活を営んでいた。亡Aは,G医院退院後は一切飲酒をせず,喫煙もしなかった。また,同人は,責任感が強く,真面目で几帳面であり,仕事第一で,世話好きで,家族思いで,人から頼まれると断れないといった性格であった。
(2) B市消防本部の概要
B市消防本部は,消防長,次長の下に総務係,予防係及び警防係が置かれている。B市消防本部・署の職員定数は51名で,平成5年1月時点では配置人員43名,同年4月時点では44名,同年5月時点では46名,平成6年4月時点では48名,同年6月時点では49名となり,同年9月以降は50名となった。その50名の内訳は,消防長1名,消防署長1名,警防係長1名,予防係(係長,係員)4名,総務係(係長,係員)3名(うち2名は市長部局からの出向),警防係40名であった。
亡Aが所属していた警防係の所掌事務は,①消防計画に関すること,②救急業務に関すること,③地理水利に関すること,④消防機械器具に関することとされており,要するに第一線での消防・救急等の業務がその内容であった。
(3) 警防係の勤務体制
ア B市消防本部に勤務する消防職員のうち,警防係以外の職員については,一般の公務員と同様,毎週月曜日から金曜日まで午前8時30分から午後5時までの日勤勤務の形態がとられていた。しかし,警防係の職員については,24時間体制で業務を行う必要があることから,全体を3係(1係13名,2係14名,3係13名)に分け,各係が,①午前8時30分から翌午前8時30分まで勤務する当務日,②当務明けの午前8時30分以降勤務を離れる非番日,③その翌日の勤務を要しない週休日を交互に7回繰り返して3週間で一巡し,このほか④3週間に1日だけ週休日の代わりに午前8時30分から午後0時45分まで勤務する半日勤日が割り当てられている。したがって,年間365日のうち当務日は121から122日存する計算になる。なお,亡Aは2班に所属していた。
このうち,①の当務日について見ると,午前8時30分から翌午前8時30分までの24時間のうち,午後0時から午後1時までと午後5時から午後6時までの2時間は休憩時間(但し,この時間帯に通信業務に従事する者は別の時間帯に変更される。)とされ,また午後10時から翌午前5時までの7時間のうち6時間が仮眠時間(その余の1時間は交代で通信業務に就く。)とされているため,勤務時間は16時間とされている。そして,仮眠時間においては,仮眠室のベット(8床設置されている。)で仮眠をとることができる。もっとも,休憩時間中や仮眠時間中も災害発生その他の緊急出動に迅速に対応できるようにするために「待機」(外出禁止措置)の状態にある。
この勤務体制による警防係職員の勤務時間は,B市職員の勤務時間に関する条例上の所定週勤務時間に合致するように設定されている。
イ このように警防係の職員の1係当たりの人員は13名又は14名であるが,B市消防本部では,1当務日当たりの最低確保人員を11名と定めている。したがって,当務日に年次休暇を取得できる職員は1当務日に2ないし3名ということになり,当務職員中に研修中の者がいる場合には,年次休暇を取得し得る職員はさらに減少することになる。そのため,既に年次休暇取得可能枠が満杯になっている状況下で,さらに年次休暇を取得しようとする職員は,非番日又は週休日の職員の中から交代してくれる者を探して,当務日の勤務を交代してもらうことが必要になる。
このように慣例的に行われている交代勤務においては,後日交代してもらった職員が交代した職員の当務日に当務に就くこととなる。
また,人員が不足する場合に,その不足を埋めるために超過勤務が行われることもあった。
(4) 警防係の当務日の業務内容
当務日の勤務は,まず午前8時30分に前日からの当務職員との間で,人員の確認,車両や器材等の異常の有無等について引き継ぎが行われ,その後,当務長の割振りによって,第1小隊,第2小隊,救急隊への出動編成,業務連絡等がなされ,編成された各隊員は,全車両及び資器材の点検整備,清掃を行い,出動に備えることとなっており,その間,各員が1時間交代で1名ずつ通信勤務に就くようになっている。午後10時の勤務時間終了までの間は,出動を待機しながら,各種訓練,調査,事務処理,各自学習等割り当てられた業務が行われた。
午後10時から翌日午前5時までの間は,出動に備えた状態で庁舎内の仮眠室で仮眠をとることとなっているが,この間も各員が1時間ずつ交代で通信勤務に就くことになっている。
翌朝は,午前7時から消防車両の点検及び庁舎内の清掃作業を全員で実施し,洗面等を終えて午前8時30分の交代時間を待つことが通常である。
また,3週間に1度ある半日勤日の業務は,各種訓練及び調査が主な業務である。
(5) 亡Aの平成5年3月までの勤務状況と健康状態
ア 亡Aは,平成5年3月までは総務係に勤務していたが,平成2年4月から平成5年3月までの同人の時間外勤務の状況は,別紙1のとおりである。なお,甲20の別表1では,休日手当分を加算して総時間外勤務数が算出されているが,休日手当は,日勤職員と隔日勤務職員の公平の見地から,当務日が国民の休日等と重なった場合に支給されるものであると認められるから,これを時間外勤務に加算するのは相当でない(甲29の9ないし14,証人Dの証言)。
別紙1によれば,亡Aは,平成2年度に年間371時間(1週平均7.1時間),平成3年度に年間539時間(1週平均10.4時間),平成4年度には年間729時間(1週平均14時間)と,かなりの時間に及ぶ時間外勤務をしていたと認められる。もっとも,総務係時代の時間外勤務の中には,人員が不足していた警防係への補充勤務によるものも多くあり,その場合,亡Aは,専ら指令室勤務をしていた。
また,この間の休暇取得状況は別紙2のとおりであり,平成4年は19日2時間の年次休暇を取得した。
イ 亡Aの総務係勤務時代の平成4年2月3日に実施された健康診断の結果は,別紙3のとおりである。これによれば,肥満度42パーセント(身長162.7㎝,体重81.9㎏),最高血圧182mmHg,最低血圧118mmHgとなっており,総合判定では,高血圧症が要治療,尿蛋白が要再検とされていた。なお,亡Aは,婚姻した当時から,太めの体型であった。
さらに平成5年1月19日に実施された健康診断の結果は,別紙3のとおりである。これによれば,肥満度40パーセント(身長は変化なし,体重80.9㎏),最高血圧178mmHg,最低血圧118mmHgと,前回とほぼ同様であり,総合判定では,高血圧症疑いが要治療,総コレステロール高値及び中性脂肪高値が要指導,尿蛋白が要再検とされていた。
ところが,亡Aは,これらの健康診断の結果にもかかわらず,治療を受けることはなかった。
(6) 亡Aの平成5年4月から平成6年3月までの勤務状況と健康状態
ア 亡Aは,平成5年3月までは宮城敏直と共に総務係に勤務していたが,週休二日制の導入に伴って警防係職員が不足するようになるため,いずれか1名が警防係に異動するよう求められ,上記宮城が家庭の事情を理由に断ったこともあり,亡Aが警防係への異動を承諾した。
イ 亡Aのこの間の時間外勤務の状況は,別紙1のとおりであり,平成5年度には年間570時間(1週平均11時間)となり,平成4年度に比べて減少した。特に,平成5年9月以降,時間外勤務が顕著に減少しており,同年4月から8月までの時間外勤務時間が週当たり約19時間と総務係時代を上回っていたのに対し,同年9月から平成6年3月までの時間外勤務時間は週当たり約5時間と減少している。
また,平成5年4月から12月までの亡Aの交代勤務は,合計20回・283時間に及んだ。
亡Aの時間外勤務や交代勤務がこのように多くなったのは,同人の世話好きで,頼まれれば断れない人柄によるところが大きかった。
なお,亡Aの平成5年の休暇取得状況は別紙2のとおりであり,9日4時間の年次休暇を取得した。
ウ 亡Aが警防係に移って1年目の平成5年11月19日の健康診断の結果は,別紙3のとおりである。これによれば,肥満度38パーセント(身長は変化なし,体重79.6㎏),血圧が最高182mmHg,最低120mmHgとやや悪化し,総合判定では,高血圧症に加えて,尿蛋白,尿糖及び高脂血症が要医療,肥満が要指導とされるなど,健康状態は前回よりも悪化していた。
このため,亡Aは,平成6年1月17日と20日に,B市のI小児科・内科・皮フ科医院にてC医師の診察を受けたが,その結果は別紙3のとおりであり,上記健康診断時に比べて特に最高血圧が低下した。そのためか,同医院にての治療薬の処方はなく,その後亡Aは同医院に通院していない。
亡Aは,健康診断での指摘事項について,以上のほか,他の医療機関を受診することはなく,職場に設置された自動血圧計で血圧の測定をするにとどまった。
(7) 亡Aの平成6年4月以降の勤務状況及び健康状態
ア 亡Aのこの間の時間外勤務の状況は,別紙1のとおりであり,平成7年2月までの11か月間には272時間(1週平均5.7時間)となり,平成5年9月以降の状況より若干増えたが,ほぼ同じ状況であった。
他方,平成6年1月から12月までの亡Aの交代勤務は,合計32回・334時間に増加した。
なお,亡Aの平成6年の休暇取得状況は別紙2のとおりであり,22日3時間の年次休暇を取得していた。
イ 平成6年11月18日の健康診断の結果は,別紙3のとおりである。これによれば,肥満度39パーセント(身長162.8㎝,体重80.3㎏),血圧が最高180mmHg・最低118mmHgで,総合判定では,高血圧症と尿蛋白が要医療,肥満,中性脂肪高値が要指導とされるなど,健康状態は,平成5年11月19日の診断結果とほぼ同様であった。ところが,亡Aは,特に治療を受けることはなかった。
(8) 亡Aの平成6年12月18日以降の勤務状況
ア 未帰宅児童等の捜索(平成6年12月19日から平成7年1月7日)
平成6年12月18日,B市の児童及び幼児3名が遊びに出たまま夜になっても帰宅しないとして,親からB警察署に捜索願いが出された。B市消防本部では,翌19日の午前10時25分にB署からの通報で事件を覚知し,非番日及び週休日の職員を召集して,午前11時から捜索活動を開始した。その後のB市消防本部における捜索活動の概要は,別紙5のとおりであり,平成7年1月7日に3名の遺体発見により終了するまで,1月1日から4日を除き,捜索活動は続けられた。
この時期の亡Aの勤務状況は別紙4のとおりであり,それによれば,亡Aは,12月19日,20日,22日,23日,25日,28日及び30日の捜索活動に参加しているが,より詳細に見ると,①12月18日午前8時30分から翌19日午前8時30分までは当務日で勤務に就き,②19日は非番日のはずが同日午前11時から午後5時まで捜索活動に従事し,③翌20日は3週間に一度の半日勤日のはずが半日勤明けの午後1時から午後5時までも捜索活動に従事し,④このように休日を捜索活動に従事したまま再び翌21日は午前8時30分から翌22日午前8時30分まで当務日で勤務に就き,⑤当務明けの22日も非番日のはずが午前8時30分から午後5時まで捜索活動に従事し,⑥翌23日も週休日のはずが午前8時30分から午後5時まで捜索活動に従事し,⑦このように非番日及び週休日を捜索活動に従事したまま再び翌24日は午前8時30分から翌25日午前8時30分まで当務日で勤務に就き,⑧25日は非番日のはずが午前8時30分から午後5時まで捜索活動に従事し,⑨翌26日にようやく9日ぶりに休日(週休日)を取得することができたが,⑩再び翌27日は午前8時30分から翌28日午前8時30分まで当務日で勤務に就き,⑪28日は非番日のはずが午前8時30分から午後5時まで捜索活動に従事し,⑫翌29日は本来なら週休日だが交代勤務により午前8時30分から翌30日午前8時30分まで勤務に就き,⑬30日は交代勤務の結果として非番日ないし週休日のはずが午前8時30分から午後0時まで捜索活動に従事したというものであった。
また,B消防本部が担当した捜索活動の内容は,特に人が入り込まない山,原野,海等が中心であり,徒歩による捜索距離は合計37.3km,車両による捜索距離は75.5kmに上った。
この間,亡Aは風邪をひいて体調を崩し,疲れ切って帰宅しても,食事もすすまず,口をきくのも億劫な様子でそのまま寝てしまうという状態もあった。
イ 腰痛の発症
亡Aは,先に救急業務で担架を持ち上げた際に腰を痛めていたが,それが未帰宅児童等の捜索活動のころに悪化し,そのために平成7年1月5日,14日及び21日の3回にわたって,B市のJ整形外科で通院治療を受けた。しかし,亡Aは,それ以後腰痛治療のため通院することはなかった。
ウ 消防学校における研修の受講(平成7年1月9日から2月2日)
亡Aは,平成6年12月31日以降は通常の勤務体制に復帰した後,平成7年1月9日から2月2日まで,K町所在(当時)の沖縄県消防学校における第29期救急科(救急Ⅱ課程)教育の研修に参加した。
この研修は,平成3年8月に救急救命士法が制定,施行されたことにより,救急隊員に新たに医療行為ができる資格を付与するため,主として医学的側面からの研修を行うもので,その具体的なカリキュラムは別紙6のとおりであり,解剖・生理,救急措置,医療対策等の医学的な講義が午前9時から午後4時50分まであるほか,必要な機材等を用いての実技訓練が2日と病院に赴いて救急患者に対する医師の処置を見学する等の病院実習が2回(合計6時間)実施され,最後に考査も実施された。なお,病院実習は,通常のカリキュラム終了後の時間帯に実施された。
この研修は,1日でも休むと研修修了は認められず,改めて欠席した科目を受講しなければ修了証書が発行されなかったが,亡Aは欠席もなく,研修を修了した。
亡Aは,この研修を受講するために入寮したが,亡Aの寮室は定員8名のところに2名が割り当てられていた。入寮生は月曜日から木曜日まで寮に宿泊し,金曜日のカリキュラムの終了後から月曜日の午前7時45分までは自宅に戻ることができた。平日は,起床時間が規則上は午前6時30分で,午前7時に人員点呼を受けた後,体操後,清掃を行い,午前8時から朝食を摂り,午前9時から午後4時50分まで前記カリキュラムに沿って講義等を受講し,午後5時から10分程度清掃し,午後5時30分から午後6時30分までの間に夕食を摂り,入浴の後,午後10時30分に就寝するというものであった。なお,トレーニングのためであれば,平日の夜でも帳簿に記載し届け出る方法により外出することができ,実際には,届出さえすれば,かなり自由に外出することができた。
この間の亡Aの勤務状況は別紙4のとおりであり,この期間中は亡Aは基本的に通常の業務には就かず,研修に専念していたが,講義のない1月22日だけは午前8時30分から午後5時まで補充勤務に就いた。
なお,本件訴訟に先立つ審査請求手続の審理の過程において,地方公務員災害補償基金沖縄県支部審査会が,この救急Ⅱ課程の研修内容について,当時の受講生にアンケートを実施したところ,無記名ではあるが,この研修は通常の消防業務に比べて楽であり,救急・火災出動の心配もなく,研修に集中できた,寮での生活は普段の生活と比べて規則正しかったといった回答が寄せられた。
エ 研修終了後から本件発症前日まで(平成7年2月3日から同年3月2日まで)
研修終了後,亡Aは通常業務に復帰したが,この間の2月20日から同月24日までの毎日午前9時から午後0時までの間,M病院において,胆のう摘出手術見学,痔疾のヘモ切除手術見学,扁桃摘出手術,胃噴門部摘出手術等の手術見学のほか,器具の取扱い説明の研修を受けた。この間,22日の当務日と研修明けの25日の当務日は,22日は午後から,25日は午後2時からそれぞれ年次休暇を取得している。また,亡Aは,3月1日は,非番日であったが,午前8時30分から午後0時まで,消防車両を運転して市民への防火広報を行うための防火パレードに参加した。
なお,この間の勤務中の救急出動等の状況は別紙7のとおりであり,亡Aの勤務時間外の生活状況は主として自宅で休養をとるというものであった。平成7年2月の亡Aの時間外勤務は合計33時間(1週平均8.3時間)であった。
オ 本件発症の前日から当日の勤務状況(平成7年3月3日から同月4日)この間の勤務状況は,別紙8のとおりである。特に負担過重な業務が行われたものではない。なお,亡Aは,風邪のために微熱があり,風邪薬を服用して勤務に当たっていた。
(9) 本件発症発見時の状況
亡Aは,平成7年3月4日(本件発症当日)午前0時15分ころまで同僚と雑談をしていたが,それ以降,午前4時からの通信業務従事に備えて,庁舎内の仮眠室において仮眠をとっていた。B消防本部の庁舎は,1階がB消防署,2階がB消防本部となっており,1階に廊下(幅1.3メートル。特に転倒の原因となるような障害物は存在しない。)を挟んで通信室と仮眠室が設けられている。仮眠室は,引き戸の扉で廊下と仕切られ,室内に8床のベッド(床からの高さは35㎝)が設置されており,亡Aは最も扉に近いベッド(扉までの距離は約1m)で仮眠していた。同人が仮眠していたベッドと扉との間には特に障害物はなかった。
本件発症当時,Rは仮眠室の向かい側にある通信室(廊下に面して木製開き戸があり,同扉の上部にはガラス窓がある。)で通信業務に従事していたが,午前3時53分ころ,通常の場合と異なり,仮眠室の引き戸を激しく開ける音がしたので,後ろを振り向くと,通信室扉のガラス窓越しに,亡Aが出て来て,通信室の扉の前の廊下で右手を挙げて立っており,もう一度扉の方を見ると,亡Aが扉に寄り添うように倒れかかっていたので,異変を感じ,放送マイクで一斉指令にて当務員全員を起こした(当時仮眠室で仮眠をとっていたKは,仮眠中にドン,ドンという鈍い音を聞いた後,放送マイクで異変を告げられたと述べている。ー甲19)。当務員が亡Aの上記異変に気付いたとき,亡Aは,通信室の扉によりかかって座り込むように倒れており,目は開いたままでイビキのような呼吸をし,右手が少し上げ気味で肘を曲げた状態で痙攣のように震えていた。そのため,亡Aはすぐに救急隊によりM病院に搬送された。
(10) 亡Aに対する治療と同人の死亡
搬送を受けたM病院のN医師は,亡Aの頭部CTスキャンを撮ったところ頭蓋内に出血があることが判明したため,さらに脳血管造影術を施行して右中大脳動脈の脳動脈瘤破裂と診断し,緊急開頭し,脳動脈瘤クリッピング術を施行したが,亡Aは翌3月5日午前1時58分に死亡するに至った。直接の死因は脳ヘルニアとされた。
なお,上記の際,亡Aには,頭部に明らかな打撲痕はなく,頭部レントゲン写真にも骨折はなく,頭部CTスキャン上にも脳挫傷の所見はなかった。
2 くも膜下出血及び動脈瘤破裂をめぐる医学的知見等
前記前提事実,当事者間に争いがない事実,後掲各書証及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(1) 亡Aは,本件において,脳動脈瘤破裂,右急性硬膜下血腫,くも膜下出血を発症した。亡Aの脳動脈瘤は,右前側頭葉内の右中大脳動脈にあり,その大きさは,7㎜×4㎜×4㎜であった(甲27,乙18,27)。脳動脈瘤がこの程度の大きさになるのには,通常何年もかかる(乙20)。
(2) くも膜下出血とは,頭蓋内血管の破綻により,血液がくも膜下腔に出血をきたす病態をいい,その原因の75パーセントは脳動脈瘤の破裂である。脳動脈瘤には,嚢状脳動脈瘤と紡錘状脳動脈瘤があり,中膜や内弾性板が欠損した動脈壁が嚢状に拡張したのが嚢状脳動脈瘤であり,脳表面を走る脳主幹動脈の分岐部に生じやすい(乙33)。
通常の状態にある脳の主幹動脈は生理的に起こるいかなる血圧の上昇に対しても十分な強度を保持しているが,脳動脈瘤は原則として中膜や内弾性板の欠損に基づく構造上の脆弱性を有しているため,日常の生理的な血圧の変動の範囲で破裂・出血することがある。この場合,脳動脈瘤の破裂を促進する因子としては,①脳動脈瘤壁に対して内側より作用する血行力学的圧力があり,これに対して破裂を抑制する因子としては,②脳動脈瘤の構造的強度,③脳動脈瘤を外面から取り巻き,支えている脳脊髄液や脳実質の圧力があり,①の破壊力が②③の防御力を凌駕したときに脳動脈瘤は破裂するに至るが,これらの多岐にわたる因子が関与している状態の中で,個々の脳動脈瘤が破裂するか否かはそのときどきの状況による。実際,未破裂の脳動脈瘤を有する者の割合は約5ないし6パーセントであるが,それが破裂する確率は年間1ないし2パーセント程度とする各種報告や,生涯破裂する確率は40歳代で14.4パーセントとする報告がある(甲27,32)。また,未破裂頭蓋内動脈瘤の破裂の危険性について,従前くも膜下出血歴がない患者で,未破裂脳動脈瘤の直径が10㎜未満であった場合,その破裂率は年間0.05パーセント未満と低いとの報告がある(甲22の2)一方で,未破裂動脈瘤の直径が4㎜を超えると破裂する危険が増してくるとの報告(甲39),脳血管疾患のリスクファクターとして,高血圧は最大のリスクファクターであり,血圧レベルが高くなるほど,脳出血・脳梗塞発症率は有意に上昇したとの報告,肥満も脳血管疾患のリスクファクターであり,肥満があると病気を併発しやすく,死亡率が高くなることは明らかで,肥満度がプラス30パーセント以上になると,合併症の危険が高くなるとの報告(乙33)もある。
(3) 脳動脈瘤破裂を含む脳・心臓疾患は,血管病変等の形成,進行及び増悪によって発症するが,この血管病変等の形成,進行及び増悪には,主に加齢,食生活,生活環境等の日常生活による諸要因や遺伝等の個人に内在する要因が密接に関連し,このような基礎的要因による生体が受ける通常の負荷により,長年の生活の営みの中で,徐々に血管病変等が形成,進行及び増悪するといった自然経過をたどり発症するものであり,労働者に限らず一般の人々にも数多く発症する疾患である。
しかし,加齢や日常生活などにおける通常の負荷による血管病変等の形成,進行及び増悪という自然的経過の過程において,業務が血管病変等の形成に当たって直接の要因とはならないものの,業務による過重な負荷が加わることにより,発症の基礎となる血管病変等がその自然経過を超えて著しく増悪し,脳・心臓疾患が発症する場合があることは医学的に広く認知されている。そして,最近では,脳疾患の発症に影響を及ぼす負荷として,脳・心臓疾患の発症に近接した時期の負荷のほか,長期間にわたる業務による疲労の蓄積も認識されるようになってきている。
すなわち,業務には,どのような業務であれ,それを遂行することによって生体機能に一定の変化を生じさせる負荷要因が存在する。この負荷要因によって引き起こされる反応をストレス反応というが,ストレス反応は個々人によって異なり,血圧上昇,心拍数の増加,不眠,疲労感などの生理的な反応,生活習慣,疾病休業,事故などの行動面での反応など多様である。また,一般的な日常の業務等により生じるストレス反応は一時的なもので,休憩・休息,睡眠,その他の適切な対処により,生体はもとに復し得るものである。しかし,恒常的な長時間労働等の負荷が長期間にわたって作用した場合には,ストレス反応は持続し,かつ,過大となり,ついには回復し難いものとなる。これを一般に疲労の蓄積といい,これによって,生体機能は低下し,血管病変等が増悪することがあると考えられている。もっとも,このような負荷要因が消退した場合には,疲労も回復するものである。
このような疲労の蓄積,血管病変等の増悪を招来する業務上の要因としては,まず長期間にわたる長時間労働が挙げられる。長時間労働は,①睡眠時間が不足し疲労の蓄積が生じること,②生活時間の中での休憩・休息や余暇活動の時間が制限されること,③長時間に及ぶ労働では,疲労し低下した心理・生理機能を鼓舞して職務上求められる一定のパフォーマンスを維持する必要性が生じ,これが直接的なストレス負荷要因となること等により,脳・心臓疾患に影響を及ぼすものと考えられ,このなかでも,疲労の蓄積をもたらす要因としての睡眠不足が深く関わっていると考えられ,長時間労働による睡眠不足に由来する疲労の蓄積が血圧の上昇などを生じさせ,その結果,血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させる可能性がある。そして,現在までの研究によれば,1日4から6時間程度の睡眠が確保できない状態が継続していたかというのが1つの目安となり,この6時間程度の睡眠が確保できない状態というのは,日本人の1日の平均的生活時間についての調査結果を前提とすると,1日の労働時間が12時間(うち時間外労働時間が4時間)程度で,1か月当たりでみれば概ね80時間を超える時間外労働が想定される。
また,疲労の蓄積,血管病変等の増悪を招来するその他の業務上の要因としては,不規則な勤務,拘束時間の長い勤務,出張の多い勤務,交代制勤務,深夜勤務,温度・騒音・時差等の作業環境,精神的緊張などが挙げられる。もっとも,交代制勤務,深夜勤務それ自体が直接的に脳・心疾患の発症の大きな要因になるものではなく,シフトの変更により,生体リズムと生活リズムの位相のずれが生じ,その修正の困難さから疲労がとれにくくなるものであり,交代制勤務が日常勤務としてスケジュールどおり実施されている場合又は日常業務が深夜時間帯である場合における負荷は日常生活で受ける負荷の範囲内であって,必然的に疲労を蓄積させるものではない。
他方,脳血管疾患の発症には血管病変が前提となるが,動脈瘤等は短期間に進行するものではなく,長い年月をかけて徐々に進行する。その進行には,遺伝のほか生活習慣や環境要因の関与が大きいとされている。血管病変等の進行を促進・増悪させるような各種の条件がリスクファクターと呼ばれており,高血圧,飲酒,喫煙,高脂血症,肥満,糖尿病,ストレス等が挙げられるが,特に高血圧は脳出血の最大のリスクファクターであり,糖尿病等の他のリスクファクターと重複した場合にはさらにリスクが高まるものと考えられている。(以上,乙33)
3 亡Aの転倒・打撲による本件発症ひいては本件死亡についてー本件死亡の公務起因性(1)
(1) 原告は,本件発症は,亡Aが転倒等により頭部を打撲したことによって生じたと主張し,その根拠として,①本件発症時間が亡Aが通信業務に就く直前であったこと等の発症時の事情,②急性硬膜下血腫のほとんどは外傷性のものであること,③亡Aの動脈瘤の大きさ(7㎜×4㎜)における破裂割合の低さ(年間0.05パーセント)を掲げている。
(2) しかし,
ア まず,本件発症時の状況の点についてみると,なるほど,本件発症時間(平成7年3月4日午前3時53分ころ)は,亡Aが同日午前4時からの通信業務に従事するために起床した直後と思料される時間帯ではあるが,亡Aが転倒・打撲したことを現認した者はいないし,亡Aは仮眠室の引き戸から約1mのところにある最も近いベッドで仮眠していたもので,同ベッドから引き戸までの間に特に障害物になるものも見当たらないことからすれば,亡Aが仮眠室内で転倒したとはにわかに考え難い。また,上記のとおり,亡Aは仮眠室から出て来て通信室の扉の前の廊下に立っていたが,上記廊下には特に転倒の原因となるような障害物は存在せず,同所付近で転倒ないし打撲したと認めるに足りる証拠はない。
この点,仮眠室で仮眠していたKは,ドンドンという鈍い音を聞いたと述べているが,それが転倒ないし打撲によるものと断定することはできないし,上記比嘉が当時仮眠中であったことも考え合わせると,同人の供述から,転倒,打撲を認定することはできない。
イ 次に,急性硬膜下血腫の原因の点についてみると,亡Aには,頭部に明らかな打撲痕はなく,頭蓋レントゲンでも骨折は認められず,CTスキャン上も脳挫傷は認められないのであって,頭部打撲の他覚所見は認められない。
なるほど,この点,O医師は,急性硬膜下血腫はそのほとんどが外傷性であると述べているが,結論としては,上記医学知見からすれば,亡Aの脳動脈瘤破裂の前に,たとえ軽微であっても頭部外傷による急性硬膜下血腫が発症した可能性も否定できないと述べるに留まっており(甲27),また,M病院のN医師も,頭皮に損傷を認めない頭部打撲で未破裂脳動脈瘤が破裂する可能性があることの他大きな急性硬膜下血腫を伴う脳動脈瘤破裂は稀な病態であるとは述べてはいるが,同時に,脳動脈瘤破裂以前にその動脈瘤壁がくも膜や硬膜に癒着していた可能性や,脳実質に埋没された脳動脈瘤が自然破裂し,脳内に血腫を形成するとともに脳実質を突き破り,硬膜下へ血腫が大量に流出した可能性についても述べ,今回の亡Aの初診時の理学所見及び頭部CTスキャン,脳血管造影所見からは,脳動脈瘤破裂による突然の激しい出血であったと考えられると述べており(甲4,23,乙10),さらに,P病院のQ医師も,一般的な急性硬膜下血腫の成因としては急速な強度の頭部外傷が考えられるが,亡Aにおける血腫や動脈瘤の位置,病態からは,動脈瘤破裂の際にものすごい勢いで側頭葉内に血を吹き出し,さらに脳の外側に血腫を形成したと考えるのが自然であり,転倒等が脳動脈瘤の破裂より先であるという推測は非常に困難と考えると述べている(甲7,乙27)。
そうすると,急性硬膜下血腫はそのほとんどが外傷性であるという一般的な医学的知見から,直ちに亡Aに生じた急性硬膜下血腫は外傷性のものであると結論付けることはできない。
なお,頭部に何らの痕跡を残さないような程度の打撲は日常生活の危険の範囲内のことがらであり,仮にその程度の打撲で破裂したというのであれば,その時点でその程度にまで脳動脈瘤壁の脆弱化等が進行していたと考えざるを得ない。そして,この場合,本件発症ひいては本件死亡が「公務上」のものか否かの判断は,脳動脈瘤壁の脆弱化の原因が過重な公務にあるのか否かの問題に帰着するというべきである。
ウ さらに,亡Aの脳動脈瘤の大きさ(7㎜×4㎜)の点についてみるに,なるほど,直径10㎜未満の脳動脈瘤が破裂する確率は年間0.05パーセント未満であるとの前記研究報告からすれば,亡Aの脳動脈瘤破裂は自然に発症したものと考えることには疑問の余地があろう。しかし,自然に破裂する可能性が否定されているわけではなく,前記のとおり,未破裂動脈瘤の直径が4㎜を超えると破裂する危険が増してくるとの報告,脳血管疾患のリスクファクターとして,高血圧(成人において,180mmHg以上の最大血圧は高血圧症の中でも重症高血圧に分類される。乙33)は最大のリスクファクターであり,血圧レベルが高くなるほど,脳出血・脳梗塞発症率は有意に上昇したとの報告,肥満も脳血管疾患のリスクファクターであり,肥満があると病気を併発しやすく,死亡率が高くなることは明らかで,肥満度がプラス30パーセント以上になると,合併症の危険が高くなるとの報告もあるのであって,前記報告における発症可能性の低さから直ちに頭部打撲の存在を基礎付けることができるとまでは認め難い。
エ この他,亡Aの転倒・頭部打撲を基礎付ける事情等は見出せない。
(3) そうすると,亡Aが頭部を打撲した可能性は低いとみるのが相当であって,むしろ亡Aの脳動脈瘤破裂は,何らの外力なく自然に発症した可能性が高いものというべきである。
したがって,本件発症ひいては本件死亡は,勤務中に転倒ないし打撲という事故により生じたものであるから「公務上」のものであるとの原告の主張は理由がない。
4 公務過重による本件発症ひいては本件死亡についてー本件死亡の公務起因性(2)
(1) 亡Aは従前から脳動脈瘤を有しており,その生成自体がその公務に起因するものでないことは原告も自認するところである(原告準備書面(6)7頁)から,本件発症ひいては本件死亡が「公務上」のものか否かを判断するに当たっては,同人の脳動脈瘤が,公務の過重によって,その自然的経過を超えて増悪した結果,破裂するに至ったものと認められるかが問題となる。
(2) 公務の過重性について
ア(ア) 亡Aは,平成5年4月の警防係への異動後,基本的に原告が隔日24時間交代勤務と呼ぶ体制で勤務に当たってきたものであるところ,このような勤務体制が,人間の通常の生活リズムに反するもので,拘束時間も長く,通常の日勤業務と比べて負担が重い側面を有すること自体は否定できない。
しかし,前記認定のとおり,交代制勤務,深夜勤務それ自体が直接的に脳・心疾患の発症の大きな要因になるものではなく,シフトの変更により,生体リズムと生活リズムの位相のずれが生じ,その修正の困難さから疲労がとれにくくなるものであり,交代制勤務が日常勤務としてスケジュールどおり実施されている場合又は日常業務が深夜時間帯である場合における負荷は日常生活で受ける負荷の範囲内であって,必然的に疲労を蓄積させるものではない。そして,半日勤日に当たる場合を除いて,当該勤務体制では,24時間継続勤務した後,次の48時間は休息をとることができる体制となっており,このような基本的シフトが守られる限り,原告が高血圧等の基礎疾患を有していたことを前提としても,必然的に疲労が蓄積していくほどのものとは認められない。
また,当務日の24時間勤務の内容を見ても,①正規の勤務時間は16時間で,2時間が休憩時間,6時間が仮眠時間と定められており,熟睡するためには不十分な面は否めないが,深夜の時間帯には専用の仮眠室においてベットで仮眠をとることができるようになっていて,拘束時間は24時間連続しているものの,その間連続して業務を遂行しているものではなく,②日常の業務内容も,消防・救急活動に出動するとき以外は,出動を待機しつつ,車両・器具の点検や各自学習を行うというのが主たるものであり,出動の頻度については確たる証拠がないが,平成7年2月の1か月間の出動状況(別紙7)から見る限りは,仮眠時間中の出動も見られるものの,当務日でも出動しない日もあり,また出動があった場合でも最高1日4回程度で,1回当たりの時間も概ね1時間以内であり,他の期間においても大差はなかったと推測され,職務遂行に伴う緊張状態が間断なく継続しているものでもない。
これらの点からすると,原告が隔日24時間交代勤務と呼ぶ勤務体制は,肉体的負担が重いことは否定し得ないものの,それにより疲労が回復せずに蓄積していくほどまでに過重な勤務体制であるとは認められない。なるほど,亡Aは,年齢的にも若くはなく,肥満であり,高血圧の基礎疾患を有していたから,その肉体的負担は,これら素因を有しない者と比べると大きかったものとはいえるが,亡Aにとってみても,上記認定の勤務体制が,それにより疲労が回復しないまま蓄積していくほどに過重なものであったとまでは認められない。
(イ) もっとも,交代勤務や時間外勤務(特に補充勤務)を行う場合には,勤務のシフトが不規則になり,また休息のための時間が減少して,通常よりも負担が重くなることになる。しかし,①交代勤務の点について見ると,この場合には当務日と当務日との間に十分な休息時間が得られない可能性があるが,本来の当務日が代休となって72時間の休息を得られることになる(例えば別紙4の2月13日から15日の間を参照)から,これによる負担増は重大なものとは思われないし,実際,年間121ないし122日ある当務日に対し,亡Aが交代勤務に就いたのは,平成5年(4月以降)は20回,平成6年は32回というのであるから,その頻度は約4回に1度の頻度であったことになり,基本的なシフトが崩れたとまではいえない。
また,②時間外勤務の点について見ると,亡Aの時間外勤務時間は,警防係に異動後の方が総務係の勤務時よりも短くなっており,またその量も,警防係異動後の5か月間(平成5年4月から8月まで)は週当たり約19時間に上っていたが,それ以後の18か月間(平成5年9月から平成7年2月まで)は週当たり5時間余りにとどまっており,通勤時間も片道約5分であって通勤に伴う負担も少なく,日常生活に必要な時間を考慮しても,勤務による疲労を回復させ得るか否かの1つの目安である1日当たり6時間程度の睡眠時間を確保することは充分に可能であったと考えられる。したがって,交代勤務や時間外勤務の存在が,特に疲労の蓄積につながったと見ることはできない。
イ(ア) 亡Aが平成6年12月19日から同月30日までの未帰宅児童等の捜索活動に従事していた間は,当務明けの非番日と週休日にも捜索活動に従事することが続いて,この期間中に4回の当務日があったにもかかわらず,非番日や週休日の日中も捜索活動に従事し,丸一日を休日に充てることができたのはわずか1日にすぎなかった上,捜索活動はその間継続的に徒歩や車両で捜索を続けるものであったから,特に肉体的な負担の大きなものであったと考えられ,同月31日,1月1日は休んだものの,まとまった休日を得られないまま,通常業務に戻ったことからすると,この間の業務は亡Aに精神的,肉体的に相当な負荷をもたらしたと考えられる。
(イ) しかしながら,上記のように特に肉体的な負担の大きなものであったと考えられる期間は12日間という比較的短期に留まる。さらに,時期的には,本件発症の2か月以上も前の時期のことであり,平成6年12月31日以降の亡Aの勤務状況,生活状況も併せ考慮すると,未帰宅児童等の捜索活動に従事していた間の公務の過重によって,亡Aの脳動脈瘤壁が,その自然的経過を超えて増悪したとは認められない。
(ウ) 次に,平成7年1月9日から2月2日まで沖縄県消防学校で実施された救急Ⅱ課程の研修は,入寮生活を送るものではあるが,①警防係の通常の業務とは異なり,基本的には,午前9時から午後4時50分まで研修を受講するという日勤型の職務で,②その内容も,医学的知識を扱うという点で困難性は伴うものの,基本的に講義を受けるというもので肉体的負担は通常業務より軽いと認められ,③生活面でも午前6時30分に起床して午後10時30分に就寝するという規則正しいものであり,④しかも日中も夜間も緊急出動に備えておく必要もないもので,⑤休日には自宅に帰ることもでき,平日の夜間も寮からの外出も可能であり,⑥寮も8人定員の部屋を2人で使用するというものである。これらからすれば,原告が主張するように,上記研修が過重な精神的負担を伴うものと見ることはできず,後日ではあるが,この研修を受講した消防職員が,アンケートに対して,通常業務よりも楽だったと回答している者もいたことを併せ考えると,亡Aが同研修によってさらに疲労を蓄積させたということはできない。
(エ) もっとも,亡Aは,この研修前から患っていた腰痛が悪化して,この研修中に整形外科で治療を受けているが,3回受診した後は,休日があったにもかかわらず,平成7年1月21日を最後に整形外科への通院をやめており,さらに,この研修は基本的に講義を受けるという内容のものであり,腰痛の点を重視することはできない。
ウ 研修終了後,亡Aは通常の業務に復帰しているが,特に負担過重となるような業務がなされているとは認められない。平成7年2月20日から24日までの病院研修のときは,非番日及び週休日にも研修が実施されてはいるが,その間の当務日には年次休暇を取得しているため,その間は結果的に午前中のみ毎日勤務したのと同様の状態となっており,研修内容も手術見学にとどまっている。また,同年3月1日には非番日であるにもかかわらず,午前中は防災パレードに参加しているが,その職務内容は消防車両を運転して防火広報活動のためのパレードに参加するというものであって,当務日明けであることを考えても,その後の休養によって回復できないまでに疲労が蓄積したとは考え難い。
エ そして,発症前日から当日にかけての業務内容を見ても,その日は当務日であったものの,消防・救急出動はなく,特別な訓練もなかったのであるから,亡Aが風邪を引いて微熱があったとしても,特に過重な業務状況であったとは認められない。
オ その他,亡Aが,業務において過重な精神的負荷を受けた事実は認められない。
カ 以上の検討によれば,亡Aの業務の内容・程度が,その動脈瘤壁を自然的経過を超えて増悪,脆弱化させるまでに過重であったと認めることはできない。
5 結論
以上によれば,原告の請求は理由がないから,これを棄却することとし,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 窪木稔 裁判官 鈴木博 裁判官 高松みどり)