那覇地方裁判所 平成15年(わ)141号 判決 2004年4月15日
主文
被告人を懲役7年に処する。
未決勾留日数中210日をその刑に算入する。
訴訟費用中金7万円を被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人及びAは,指定暴力団N組の下部組織であるM組(かつて,N組O組の下部組織であった。)P一家の構成員であったが,被告人は,Aが,法定の除外事由がないのに,
1 平成14年4月20日午後2時25分ころ,那覇市a町b番b2号北方約20メートル先路上において,回転弾倉式けん銃1丁を同けん銃に適合する実包5発とともに携帯して所持し,
2 前記日時ころ,不特定若しくは多数の者の用に供される場所である前記場所先路上において,普通乗用自動車助手席に乗車中のかつて前記O組組長Cを射殺した者が所属していたQ会の副会長B(当時54歳)に対し,殺意をもって,前記けん銃で弾丸4発を発射し,さらに逃走する前記自動車を自動二輪車で追跡し,同日午後2時30分ころ,不特定若しくは多数の者の用に供される場所である同市a2町e番f2号先路上において,前記自動車助手席に乗車中の前記Bに対し,殺意をもって,同けん銃で弾丸1発を発射し,これら一連の銃撃により弾丸3発を同人の胸部及び背部に命中させ,よって,その場で,同人を背部銃創による心臓,肺及び肝臓損傷に基づく失血により死亡させて殺害したという犯行を行った際,その情を知りながら,同年1月ころから同年2月上旬ころまでの間,長崎市g町hーaD3二輪において,Aが前記各犯行に際し使用した自動二輪車を証人D3から購入し,同年3月ころから同年4月15日ころまでの間,前記各犯行の準備のために訪れるAに同行して,同人と共に数回にわたり沖縄県内を訪れてBの動向を探り,同年4月20日の前記Aの前記各犯行当日も同人に同行して,同人と共に福岡から沖縄に赴くなど行動を共にするなどし,もってAの前記各犯行を容易にして幇助したものである。
(判示各事実について被告人を従犯と認定した理由)
検察官は,被告人はAと共謀して,a町において本件殺人及び銃砲刀剣類所持等取締法違反の犯行に及んだものであり,被告人も本件犯行に使用された自動二輪車(以下「本件自動二輪車」という。)を購入するなど重要な行為を行っているから,被告人は本件犯行について共謀共同正犯としての罪責を負うと主張し,弁護人らは,本件はAの単独犯行であり,被告人は犯行には一切関与しておらず,Aとの間に共謀もしていないから,被告人は無罪であると主張し,被告人もこれに沿う供述をしているので,以下検討する。
第1証拠上認められる事実
関係証拠によれば,以下の事実が認められる。
1 O事件の発生,N組によるQ会への報復及びP一家の動向など
平成9年8月,N組Q会組員が神戸市内のホテルでN組若頭(O組組長)Cを射殺した(以下「O事件」という。)ことから,N組は,同年9月3日,Q会を絶縁処分とし,以後,N組関係者は,Q会幹部らに対する報復を開始し,Q会若頭,若頭補佐をけん銑で襲撃するなどの事件を繰り返した。
Q会副会長のBは,高知県出身で,成人となる前後から広島県内あるいは高知県内等の暴力団に加入し活動していたが,平成4年12月Q会会長と兄弟の杯を交わし,平成7年には大阪市内にB組事務所を出す一方,Q会副会長に昇格していた。
N組構成員らは,Q会副会長であったBを報復の標的の1人とし,N組R組内S組組員,O組組員らがB襲撃を計画していた。
Bは,O事件以後,N組による報復をおそれて,かってゴルフ場造成等で縁のあった沖縄県内に赴き,沖縄県本部町にある別荘に隠れていた。しかし,ボディーガードなどが,交通事故を起こして,所在を警察に知れるようになったことから,本部町の別荘を離れて,那覇市内のホテル等を転々と宿泊するようになった。さらにその後は,那覇市a4,那覇市a3,宜野湾市k,浦添市lなどで他人名義で部屋を借りるなどして身を隠していた。
R組S組組員らは,平成10年11月19日,法要のため実家のある高知県に帰ったBを射殺することを計画したが,Bの親族方付近を徘徊中に,殺人予備,銃砲刀剣類所持等取締法違反(けん銃所持)の容疑で高知県警捜査員に逮捕され,また,O組組員も,Bの所在が判明しないことから標的を変更し(平成11年9月1日にQ会若頭を射殺),いずれもB襲撃には至らなかった(甲92)。
O事件発生当時,M組(組長M2ことM3。以下「M」という。),長崎T会は,いずれもO組配下にあったが,同事件後,M組は,N組U組預かりを経てN組直参に昇格し,長崎T会は,同会会長の引退表明に伴って分裂し,同会の構成員中,P2は自分が組長となってP一家を組織し,M組配下に加わった(甲92,93)。M組本部事務所は大阪市m区内にあり,P一家を含めた下部団体が持ち回りで,事務所当番についていた。P一家は,長崎を活動拠点としていた。
P2は,平成13年11月ころ,P一家構成員であるVとともに沖縄に来て,同人の親戚の証人D4に,沖縄県内で自動車1台の名義人となってくれる人物がいないか尋ね,また,那覇空港付近のアパートを借りたいと言った。その後,自動車は,建築関係の仕事で使うため,三,四か月の間必要であり,その後は名義人となってくれた者に譲る旨話した。アパートは保証人になってくれる適当な人物が見つからず借り入れはできなかったが,軽四輪自動車を証人D4の知人に名義人になってもらい購入した(証人D4)。
なお,P2が購入した軽四輪自動車(ダイハツミラ白色)は,その後,同年12月5日に那覇市内で駐車違反の取締りを受けたが,M組関係者であるXは,同車を使用していたとして,これを引き取っていた(甲119)。そして,同車は,平成14年2月又は3月ころには,証人D4に無償譲渡された。
2 被告人の身上及びAとの関係など
被告人及びAは、同じ長崎市内の小中学校を卒業し(被告人が1学年上),地元の建設会社で同僚として稼働するうちに親しくなり、その後,被告人とAは「H総業」の名称で人夫出しをするようになり,Aは鳶やガス溶接工として稼働していた。
被告人は,20歳ころ,中学校の先輩でO組T会構成員であるG(当時は長崎T会構成員)と知り合い,同人を慕って,T会事務所に出入りするようになったが,平成9年に強盗致傷事件(自動二輪車を盗もうとした時被害者に発見され,逮捕を免れるために暴行を加え負傷させた事件)等を起こして平成10年10月に懲役3年6月に処せられて服役した。同事件で,Aは被告人を大阪まで逃がし,犯人隠避罪で保護観察処分を受けた(甲65)。被告人は,服役中の平成12年12月にF(以下「F」という。)と婚姻した。
他方,Aは,平成12年夏過ぎころまでに,P一家組員となっていたGからP2を紹介され,P一家組員となった。
被告人は,服役中の平成12年度M組の住所録にはP一家若中として名前が登載されており,平成13年7月11日に出所した後は,P一家組員としての自己の名刺を所持するなどし,同組員であったAと行動を共にし,自己の居住地で妻の在住する長崎と大阪を行き来し,同年10月ころからは,大阪在住の女性証人D2とも交際するようになっていた。
被告人は,同年10月31日ころには,自己の指を詰め,その理由について,証人D2には,「上の者に腹がたってやった。」などと言っていた。
同年秋ころ,被告人と長崎県内の中古バイク店D3二輪で勤務していたNとの間で,被告人が服役中に預けていたバイクをNが売ってしまっていたことからトラブルになり,被告人はAや他の友人らなどと共に2回ほどD3二輪を訪れた。
被告人は,同年11月ころから平成14年4月までの間,A及びP2との間で頻繁に携帯電話から連絡を取っていた。(Aとの間では,平成13年10月5日から本件犯行前日である平成14年4月19日までの間で合計616回,P2との間では,平成13年11月1日から平成14年2月28日までの間で被告人からP2に対するものだけで44回,平成14年3月1日から同年4月19日までの間で両者相互間で合計38回)。また,証人D2に対しては,「事務所当番のために大阪に来る。」旨話していた(甲94,95,証人D2証言等)。
他方,被告人は,同年4月8日にFと協議離婚した。
3 被告人らが沖縄に来たときの状況
被告人は,平成14年3月ころから4月上旬ころまでの間に,少なくとも6回程度,Aと共にいずれも偽名で飛行機に搭乗して沖縄に来て,7,8回程度は那覇市所在のクラブw(以下「w」という。)で飲酒した(甲84ないし86,106等)。その際,ホステスから仕事の内容を聞かれ,被告人とAは曖昧な返答をしていたが,ホステスらに対して,「沖縄には,やる仕事があってきた。」と話していた。また,被告人とAは,後記のとおりホステスらに黒色ナイロン製バッグを預けた際,ホステスに自己の携帯電話の番号を教えたが,両名はホステスに「番号を教えた携帯電話は家に置いてあり,沖縄にいる間にかけても誰も出ない。沖縄にいるときは,携帯を上の人から持たされている。」などと話していた。そして,自己らの所持していた携帯電話について「この電話は仕事用である。この電話にかけるときは,携帯電話からではなく公衆電話からかけて欲しい。」とも言い,被告人らからホステスらに電話する際も携帯電話ではなく専ら公衆電話を利用していた。
被告人らは長崎県内に居住していたが,沖縄に来る際は,自己の携帯電話は知人に預けるなどして置いてくるか,沖縄まで持参しても使用を原則として差し控えていた。
なお,被告人,Aの携帯電話が双方,沖縄での使用を除き,原則として24時間以上使用されなかったのは,平成13年11月1日から平成14年4月20日までの間で次のとおりであった。
① 被告人携帯電話 3月2日11時10分から3月3日20時59分
A携帯電話 3月2日11時53分から3月4日03時03分
② 被告人携帯電話 3月14日05時46分から3月16日0時39分
A携帯電話 3月14日11時35分から3月19日16時17分
③ 被告人携帯電話 3月22日12時08分から3月26日09時10分
(但し,3月24日22時01分に1回使用されている。後記のとおり,証人D2が,3月22日夜に被告人の携帯電話に電話した際には,Aの姉と称する女性が出て,被告人の携帯電話を預かっている旨話していたことに照らすと,被告人は,この間自己の携帯電話をAの姉と称する女性に預けており,3月24日22時01分の1回使用は,この女性が使用したものとみられる。)
A携帯電話 3月22日15時10分から3月26日14時05分
(但し,3月23日12時13分に1回使用されている。上記同様,Aが携帯電話を預けた者が使用したものとみられる。)
④ 被告人携帯電話 3月30日16時27分から3月31日21時32分
A携帯電話 3月30日13時57分から3月31日21時12分
⑤ 被告人携帯電話 4月 5日08時44分から4月 8日17時24分
(その間,沖縄での使用有り)
A携帯電話 4月5日06時17分から4月8日21時37分
⑥ 被告人携帯電話 4月12日18時59分から4月14日19時14分
A携帯電話 4月12日16時37分から4月15日13時45分
(wのホステス証人I2は,平成14年7月4日付検察官調書(甲84)で,被告人とAは,平成14年1月初旬か中旬から来店するようになった旨供述するが,被告人は,Aと共に沖縄に行くようになったのは同年2月終わりか3月に入ったころであった旨供述しており,前記のとおり,被告人,Aの携帯電話が双方,24時間以上使用されない状態が生じるのは3月2日が初めであり,それまでは,長崎,大阪等で毎日頻繁に携帯電話が使用されていたことが認められ,証人I2の検察官調書は平成14年7月4日付であり,被告人らの来店時期から数ヶ月以上経過しており,同女が来店開始時期として供述する時期について特に客観的な資料はないことなども併せ考えると,被告人がAと共に沖縄に来てwに来店するようになったのは3月に入ってからであると認められる。)
なお,被告人は,同年2月19日ころ,女友達である証人I4と2人で1泊2日で沖縄に来て(被告人は偽名で飛行機に搭乗して),同女と共に那覇市内の戦跡を観光したことがあった(甲87)。
同年3月ころ,wのホステスである証人I2は,被告人とAの両名から,「用事で地元に帰ることになったけど,荷物を預かって欲しい。」旨依頼され,縦横約40センチメートルの黒色ナイロン製バッグを預かり,数日後,被告人とAの両名と落ち合い,これを返した(甲84)。
また,3月24日に,wホステスである証人I3が,被告人から,鞄を預かって欲しい旨依頼され,被告人とAの両名と落ち合い,約40センチメートル四方の黒色ナイロン製バッグを預かり,3月30日ないし31日ころAにこれを返した(甲85)。
被告人らは,同年4月5日ないし8日ころ沖縄に来た。同月5日にAは那覇市内所在のnp店でヘルメット2個,レンチ1個等を購入し(甲51,98,携帯電話履歴),同月7日に被告人及びAは那覇市tの洋服店に立ち寄った(甲79)。
被告人は,同月7日及び8日には,沖縄で自分の携帯電話を使用して証人D2等に連絡し,帰りの交通費がないから貸してくれと言ったことがあった(証人D2,携帯電話履歴)。
被告人らは,同月12日ないし15日ころ沖縄に来て(甲76),13日には,Aが本件自動二輪車で移動し,np店でプラグレンチを購入した(甲51)。そして,同市内のモーターサロンjでプラグを買い,本件自動二輪車のエンジンプラグの交換をし,また,ガソリンスタンドでバッテリーチャージと給油を行った。
4 犯行当日前後の被告人,被害者らの行動
犯行前日の同月19日に氏名不詳者がo銀行q支店の被告人名義の預金口座に午後3時40分に10万円,同41分に2万円を入金し,被告人は同日午後4時29分に現金12万円を引き出した。また,氏名不詳者が同支店のA名義の預金口座に同日午後3時59分に11万円を入金し,Aは同時刻に現金11万円を引き出した。被告人とAは,同月20日の福岡発那覇行きの航空券を予約した。被告人は,Aらと共に長崎から福岡に移動し,翌20日,自己の携帯電話を知人に預けて長崎まで持ち帰らせた上,午前9時に福岡空港発の飛行機にAと共に偽名で搭乗して出発し,午前10時半ころ沖縄に着いた。
他方,証人Iは,平成8年ころ,Bと知り合い,平成9年ころから,愛人関係となり,同女は,大阪市内に居住していたが,しばしば,Bの住む沖縄に来て,月の半分以上は沖縄でBと一緒に過ごしていた。証人Iは,平成14年4月20日,伊丹空港から飛行機(午前11時55分伊丹発)に搭乗し那覇空港に向かった。
同日午後2時過ぎころ,証人Iは,那覇空港に到着した。空港1階到着口には,Bとその知人のJが証人Iを待っていた。証人I到着後,3名は,空港2階に上がり,そこで証人IとBは,Jと別れ,Bの案内で空港建物から道を挟んで向かい側にある立体駐車場につながる連絡通路を通って,車(証人Iが沖縄で使っている濃緑色のトヨタウインダム)が駐車してある場所まで行った。そして,証人Iが同車を運転し,Bを助手席に乗車させて立体駐車場から出発して同駐車場の東側出入口から出て,立体駐車場の建物沿いの道を南方向に走行した。その際,Bが空港ロビーにサングラスを忘れた旨話したため,一旦,道沿いに立体駐車場の西側に回って北方向に走行し,空港1階入口前に同車を停車し,Bは降車し,空港ターミナルビルに入って,サングラスを取って戻ってきた。Bは再び助手席に乗車し,証人Iは,車を発進し,道沿いに平面駐車場の横を通るなどして北方向に走行し,沖縄県宜野湾市内のマンションに赴くため国道331号線に入って那覇市街方面へ向かった(甲37,99)。
Aは,黒色ヘルメットをかぶり,B車両を本件自動二輪車(カワサキFX400R。ナンバー「rめ7086」)で追跡し,信号待ちのため停車したB車両に接近し,同日午後2時25分ころ,那覇市a町b番b2号北側約20メートル先路上(第1現場)において,所携の回転弾倉式けん銃をBに向けて弾丸4発を発砲した。けん銃を4発発砲し終わった時点では,本件自動二輪車は路上に倒れていた。証人Iは,車を急発進加速し,病院に向かい,途中,タクシー運転手に病院の場所を聞くなどし,s病院横の那覇市a2町e番f2号先路上(第2現場。第1現場から約1.3キロメートルの地点。)に至り車を停めたが,同病院入口はシャッターが閉まっていた。他方,Aは,B車が急加速したのを見て,10メートルほど走って追いかけたが,その後,本件自動二輪車が倒れていた地点に戻り,同車に乗って,B車を追跡した。そして,Aは,同日午後2時30分ころ第2現場において,さらに弾丸1発を発砲し,一連の銃撃によりBを射殺した。
その後,Aは,本件自動二輪車で第2現場から逃走した。なお,第2現場の路上にAが使用したけん銃が遺留された。Aは,那覇市t-u丁目v番f3号所在の駐車場まで赴き,同所に本件自動二輪車を乗り捨て,かぶっていた黒色ヘルメットも付近に投げ捨てた。午後2時35分から2時45分ころにかけて,同月7日に立ち寄ったことがあった同市t-u丁目f番h2号所在の洋服店でTシャツ等を,同市t-u丁目b番b3号所在の靴店で靴と靴下をそれぞれ購入して着替えた上で,逃走した(甲77ないし80)。
同月21日午前9時25分ころ,本件自動二輪車が警察官に発見されたが,本件自動二輪車は,車体番号の4桁以下はヤスリ様のもので削られ茶色に錆び付いて読み取れない状態であった。また,付近には黒色ヘルメットが遺留されていた。
本件自動二輪車の車体番号は上記のとおり4桁以下は読み取れない状態であったが,エンジン番号から,車体番号はZX400Dー307199と判明した。
同日(20日),被告人及びAは,K,A2の偽名を用いて,那覇市辻u丁目f番u2号所在のa5ホテル714号室と716号室にチェックインした。同ホテルの記録には,チェックイン時間は同日午後3時5分ないし6分ころと記録されている。
なお,714号室については,翌日の清掃時の記録には未使用と記載されていた。
被告人とAは,翌21日午後8時50分に那覇空港発の飛行機で東京に赴き(甲76),同月23日ころまで東京に滞在した後大阪に移動して25日ころまで滞在し,その後共に長崎に帰った。
なお,Aは,B殺害に要した費用(交通費,宿泊費)は75万円程度である旨供述する(甲117)。
5 犯行後の被告人らの行動など
被告人は,本件犯行後,同年5月ないし6月ころから長崎県を離れて,大阪付近に居住するようになった。
被告人は,証人D2に対し,電話で「雑誌見たか。」と話したことがあった。
平成14年7月ころ,大阪市y区の神社の夏祭りの夜,被告人は証人D2の自宅で,本件について,証人D2から「自分じゃないやろな。」などと尋ねられ,関与を否定していたが,引き続いてしつこく尋ねられた後,「ああ,そうじゃ,俺じゃ。」と答えた。しかし,その後,「俺じゃない。」とも言った。
他方,Aは,同年7月30日に本件により通常逮捕された。
同日,警察官が,長崎市内のF方を捜索したが,その際,F方居室内の台所段ボール箱内から約100万円,居間洋服入れかご内から約50万円,畳間押入内から約50万円など,現金合計約200万円が発見されたが,Fは,これらの現金について亡母の保険金や葬儀後に残った金である旨供述した(甲89,107)。
また,警察官が証人D2方を捜索した際,「N組新情報Q会NO.2射殺は九州の系列組織か?」「Q会のB副会長が射殺された事件で沖縄県警は九州で活動するN組系3次団体の組織ぐるみの犯行と,ほぼ断定したという。」などという見出しの,本件に関する記事のある雑誌数冊(週刊Y6月17日号,週刊Y26月20日号,月刊Y38月号(9月号が7月29日発売であり,8月号は6月29日ころ発売とみられる。)など)が発見された。
被告人は,証人D2に対して,「もう俺は捕まるから。」「警察に張られてるんちやうんか。」と話すことがあった。
被告人は,同年8月5日にFと再度婚姻した。
被告人は,平成15年3月17日,大阪市内で捜査官に発見され,本件により通常逮捕された。
6 被告人の証人D2に対する言動
被告人は,以下のように,交際していた証人D2に対して,平成14年2月下旬ころから,しばしば「会われへんようになる。」「大事なことに集中したい。」「やることがある。」「何年も待っていられるか。」などと話したり,手紙を書くようになっていた。
2月21日ころ,被告人は,証人D2に対して,電話で「有給取って遊びに来いや。もう,本気で会われへんようになるから。最後に会いたかった。」などと繰り返し伝え,翌22日夜には,大阪から長崎まで遊びに来るよう言って証人D2を呼び出し,同日から同月25日まで長崎で一緒に過ごした。
証人D2が長崎に滞在している間,被告人は,証人D2に対し,「何年も待っていられるか。」と尋ね,証人D2が,何故なのかと尋ねても,「お前は聞かんでいい。組のことは聞くな。」などと答えていた。
証人D2は,被告人の言動に心配して,自己の日記の2月24日の欄に,「やめて・・・※やめてほしい。」と記載した。
3月1日,被告人は,証人D2に「明日からは連絡つかんからな。元気でおれよ。愛してたよ。」と話し,さらに,知人のLを通じて,「信じて待っとけ。俺の帰るところは証人D2のところやから。」などの言葉を証人D2に伝えた。
以後,同月3日夕方に被告人から公衆電話で電話があるまでは,証人D2は被告人と連絡をとることができなかった。同月9日,10日にも被告人は,「本当に待てるんか。」と証人D2に言った。
同月14日,被告人は,公衆電話から証人D2に電話をかけ,証人D2が「今どこ」と尋ねると「ちょっと・・・※。」と言うだけで,「ちょくちょく電話をかけられるようにするから。」などと言った。
同月21日,被告人は,「明日からまた連絡が付かんからな。」と証人D2に言い,22日にも,「昼過ぎから連絡つかんからな。」と証人D2に言った上,22日未明には,証人D2宛に「今は俺にとって大事なことに集中したいだけやから少しの間我慢しててくれ。」「俺は,この道でしか生きて行かれんのよ。」などという内容の手紙を書いていた。
同日夜,証人D2が,被告人の携帯電話に電話した際には,Aの姉と称する女性が,被告人の携帯電話を預かっている旨話し,被告人は電話には出なかった。
同月30日,被告人は,電話で「また,つながらんようになるから。」と証人D2に言った。
7 妻Fの雑記について
Fは,平成14年7月30日に長崎市内の同女方から押収されたメモ帳に,「いよいよ出発なのね・・・※この手紙はラストレターじゃ(あくまで)ないからね。ファイトレターであって,絶対に何があっても無事でおらんばばい。あんたね,マジで死んだりなんてしたら許さんけんね・・※。本当はFだって行ってほしくなんかナイさ。Hが行くって決めたことなんでしょう・・※。もううちに言うたトキは,決めてカラ,決まっての報告やったんよね」「前の(4年,5年前の)Fやったらあんたから言われてたら,カワイク自分に素直のまま,行かないでって言えるんだろうケドね。行くのなら絶対に死んだら絶対に許さんけんね。」などと記述していた。
8 本件自動二輪車等の準備状況
Aが犯行に使用した本件自動二輪車は,平成12年12月8日に福岡陸運事務所で登録抹消されたが,その後,オークションに出され,平成13年1月9日D3二輪(長崎市g町hーa。代表者証人D3(以下「証人D3」という。))が落札してD3二輪が保管してナンバーが付いてない状態で売り出していた。平成14年1月から2月上旬ころ,証人D3は,D3二輪で2人組の男に本件自動二輪車を販売した。その際,男は,領収書も再登録のために必要な廃車届もいらないと言っていた。その後,本件自動二輪車は同年3月25日までには沖縄県内に搬送され,同日,那覇港近くに駐車されているのが目撃されたが,その際は,ナンバープレートは付いていなかった(甲44)。本件自動二輪車は,同年4月10日ないし12日ころから本件犯行までの間には,那覇空港近くの給油所隣の空き地に駐車されていたことがあった(甲45)。
本件自動二輪車は,D3二輪で販売された時点では無登録であったが,同年3月25日から本件犯行までの間に,福岡市x区内で同年1月下旬ころから同年3月初旬ころまでの間に窃取されたナンバープレートが取り付けられ(甲125),また,購入後に車台番号が削り取られるなどの加工が施された(甲65)。
平成14年7月30日に警察官がD3二輪事務所を捜索した際,テレビ台引出内から「M組二代目M会会長代行X2」と記載された名刺が発見された。なお,証人D3の妻の弟で,D3二輪で働いたこともあるN2はN組系の暴力団員であった。証人D3自身もかつて暴走族に入っていた。
また,被告人らが沖縄で使用していた原動機付き自転車(ホンダアクト白色)は,平成13年12月中旬以降に長崎県内で窃取されたもので,平成14年2月25日午後7時から同月26日午後1時頃までの間に福岡市x区内で別の原動機付き自転車から窃取されたナンバープレート(福岡市zれ43-33)が取り付けられた(甲126)。同車は,本件犯行の4,5日後(同月24日から25日ころ)に,本件自動二輪車が同月10日から12日ころに駐車されているのを目撃された那覇空港近くの給油所隣の空き地内に駐車されていたのが発見された(甲45)。
なお,被告人の携帯電話で,平成14年2月26日午前零時24分ころ佐賀県内から,同日1時33分ないし46分ころ福岡県内から通話がなされている(通話先の者の氏名不明)。
第2A及び被告人の供述
1 Aの供述
Aの本件に関する供述の大要は次のとおりである。
・※ 捜査段階において
私は,ヤクザ社会で自分の名前を売ろうと1か月前からBをターゲットにした。写真を見てBの顔を覚えた。6回くらい沖縄に来た。はじめの1回は一人で来たが,その後は,被告人と一緒に来た。
バイクは,私の手元に来たときは,rナンバーが取り付けられ,車体番号が削られていた。私は,長崎市内の運送屋に沖縄までバイクを送ってもらった。事件の2週間くらい前に,バイクが着くころを見計らって被告人と共に沖縄に来た。被告人と一緒にバイクに乗るため,nでヘルメットを2個買った。何度か被告人とバイクを二人乗りした。
けん銃と弾は,長崎で,ある人から受取り,4月中旬ころ,私が沖縄に送った。発送方法,届け先は言えない。事件の1週間くらい前に被告人と共に沖縄に来たのは,けん銃を受けとるためとバイクを整備するためであった。
本件当日,那覇に来てから,被告人と共にホテルに入り,フロントで宿泊カードに私と被告人の名を署名した後,被告人をホテルに残し,一人でタクシーでポシェットに入れたけん銃とバイクを隠してある港近くに行った。そして,ポシェットを持ってバイクでホテル近くに戻り,ポシェットを持ってホテルの部屋に入りけん銃に弾を込め,ホテルを出て,バイクに乗って空港に行った。
空港の青空駐車場で,Bが現れるのを待っていた。当日,Bが空港に現れることは誰かから連絡があったのではない。
1時間くらいして,車の助手席に乗車したBが現れ,これを追跡し本件犯行に及んだ。
・※ A自身の公判(平成14年12月3日)において
被害者への報復と自分の名前を売るために本件犯行に及んだ。けん銃の入手先は言えない。バイクは知り合いから手に入れた。
・※ 公判前の証人尋問(平成15年5月16日)において
事件前に私が出金した銀行に入金したのも私である。事件当日,被告人の様子に変わったところはなかった。
・※ 公判(平成15年7月10日)において
Aは,ほとんどの質問に対して,「私の裁判で答えたとおりである。」と返答しており(質問自体A自身の公判における調書に記載のないものも多いにもかかわらず),供述を回避しようとする姿勢が強く,具体的な供述は極めて少ない。そして,「バイクは人に頼んで入手してもらったと言っているが,その人は被告人か。」との質問に対して,「人です。」と答え,「被告人かどうかというのは,記憶しているか。」との質問に対しては,「もう記憶はない。」と答えている。その後,最終的には,本件自動二輪車を被告人が購入したことはないとも供述する。
原付車は知り合いにもらった。知り合いの名前は言えない。被告人を一緒に連れてきたのはなぜか分からない。
事件当日,Bがたまたま現れたのであり,この日にBの関係者が沖縄に出入りするという情報は聞いていない。
Bを殺すことを他の人と相談したことはない。被告人と相談した記憶はない。殺した後も被告人に話してないと思う。
2 被告人供述
被告人の本件に関する供述の大要は次のとおりである。
・※ 捜査段階において
沖縄にAと一緒に来たのは,Aから「個人的に用事があるので,観光を兼ねながら沖縄に一緒に行こう。旅費は全部自分が持つから。」と誘われたからである。Aが何のために沖縄に来ているのか,何のために私を連れてきているのか知らなかった。ホテルにチェックイン後,昼はAと別行動をしていたので,Aが何をしていたか知らない。私は,沖縄では,ぶらぶら遊んでいただけで,何もしなかった。夜は一緒に飲食に出かけていた。旅費,宿泊費はAに出してもらっていた。
400ccの単車や原付を本土から沖縄に送ったことはない。
4月20日の前に私の口座に金を入金した人は分からない。思いあたる人もいない。
4月19日に長崎から福岡に出て,福岡のホテルに泊まったが,その時から,私は熱があり,のどが痛くて,食べ物ものどを通らないような状態だった。しかし,A一人で行かせるのは寂しいからかわいそうと思った。それで,Aと一緒に沖縄に来た。私は,熱が下がらず,ずっとホテルで寝ていた。
B殺害については,Aから何も聞かされていなかったし,事件後も聞いていない。
・※ 公判において
Aとは,暴走族というかバイク仲間という感じで付き合うようになった。
平成14年5月にGが刑務所を出所してからP一家に入ることを決めたが,それ以前は,暴力団組員という認識はなかった。
平成14年2月終わりか3月に入ったころ,Aから「ちょっと沖縄に行くからついてきて。」という感じで言われて,ただで行けるんだと思い,三,四回Aと一緒に沖縄に行った。AからBをやるから一緒に来てくれないかというようなことは言われたことはない。
私にはH2というおじがいて,その妻が沖縄の人で,2度ほど沖縄に来たことがあり,風土が好きだった。
Aがwのホステスに荷物を預けた際にAについて一緒に行ったが,荷物の中身は分からない。
沖縄に来るとき,自分の携帯電話を置いてくることがあったのは,電話がしょっちゅうかかってきたらうっとうしいからである。4月20日に沖縄に行く前も,携帯電話を名前は言えない知人に預けた。
4月20日,福岡から飛行機で那覇に来たが,のどが痛くて,食べ物,飲み物を飲むのもしんどい状態で,頭もふらふらしていた。熱もあったと思うが計っていないので分からない。那覇空港に着いて,正午前ころa5ホテルに直行した。Aがたぶん交渉してくれ,私は部屋に入って暗くなるまで寝た。夜になって,Aと一緒に国際通りの方に食事に行った。
翌日,東京に行ったのは,Aがちょっと東京に行くというので行った。Aから沖縄での事件のことは聞いていない。
平成13年秋ころ,Nに預けていたバイクの件でNが勤めていたD3二輪に2回行ったことがある。2回ともAに車を運転してもらい行った。1回目は道に迷いながら何回も電話して行ったが,Nと話しただけで帰った。2回目は道に迷わずに行けた。その時は,Nから証人D3を紹介してもらい挨拶をした。それ以外にD3二輪に行ったことはない。平成14年1月から2月ころ,D3二輪に行ったことはない。Aからバイクを用意してほしいと頼まれたことはない。沖縄に来て,昼間自分は大体寝ており,Aが何をしていたか分からない。Aから原付を借りてうろうろしていたことはある。
証人D2に言った「しばらく会えなくなる。」というのは,私が長崎に帰るから当分会えなくなるというだけの意味で,「連絡が取れなくなる。」というのは,妻のFといるときは連絡できないから,そういう言い方をした。
「大事なことに集中したい。」という手紙を書いたのは,証人D2からの連絡がひどいからそう言えば連絡もしてこないだろうということからである。
証人D2宅から押収された雑誌には,自分が買っていったものも入っているし,Y3は,入れ墨のタトゥを写真で載っているのがあって,証人D2が入れ墨に関心があったことからその雑誌を教えたことがある。雑誌見たかとは言ったが,タトゥの関係である。
証人D2は,自分らが沖縄によく行っていたので詮索したのではないかと思う。
第3主な争点についての判断
1 証人Dの体験した事実について
検察官は,本件はM組P一家の組織ぐるみの事件であると主張し,弁護人らはその点について争っている。この点については,証人Dの供述の評価が重要となるので,その信用性について判断する。
・※ 証人Dの検察官調書の内容は,大要次のとおりである。
私は,N組M組N3興業組長であるN3ことN4と知り合って,平成11年7月ないし8月ころから,行動を共にするようになり,同年10月ころ,正式にN3興業の組員になった。私は,正式組員になる前から,N3からQ会組員の顔写真だといわれて四,五人分の写真や立ち回り先の飲み屋などのリストを渡されて,「Q会の人間を見付けたら,その所在をきっちり見付けとけ。」と指示され,Q会組員の所在を探していた。私は,平成12年1月ころ,M組のトップであるM2会長に紹介されたが,その際,M2から,「お前らは,Q会の関係者の所在だけきっちりつけてくれたらええ。仕事をする実行部隊は別に待機させている。」と言われた。平成12年4月ころには,私はM2会長付きとなり,M2方に住み込んで,常時行動を共にするようになった。平成12年7月か8月ころ,M組若頭であるP2が,大阪市y2区内のM2の自宅を1人で訪ね,2階寝室で,M2と二人で話をしたことがあった。その際,自分は寝室のすぐ外のドアの前に立って待機していたが,室内からは,M2が「お前の所から兵隊出せるか。」と言い,P2が「分かっています。」などと言って話し合っているのが聞こえた。その後しばらくして,同様に,M2の自宅でM2とP2が話をしていた際にも,P2が「今,沖縄に潜らせています。準備はできています。」と言い,M2が「兵隊は潜らせて銭がいるんやったら言ってこい。」と言って話し合っているのが聞こえた。その後,別の用事でN3と電話で話をした際,N3は「今,沖縄に潜っとんや。おっさんからの仕事や。M4(M組組長秘書),若頭のところのAと潜っている。」と言った。「おっさん」とはM2会長のことである。Aは,一時,M組本部事務所に詰めていたことからよく知っていた。その後,Aの様子が気になり電話してみたところ,Aは,「今,沖縄や。」と言っており,Aがヒットマンを務めるのだろうかと思いながら,「お前が行くの。」と尋ねたところ,「そやな,俺がいかないけんやろ。」などと言っており,Aがヒットマンを命ぜられているのだと思った。平成13年2月ころ,M2会長宅を逃げ出したが,その後,N3やM2に電話をして脱退を承諾してもらった。
その後も,Aとは,時々電話で連絡を取っていたが,平成13年暮れころ,Aと電話で話をした際,Aは「仕事をするのに単車を取った。」「九州で取った。」と言っていた。
・※ これに対し,同人の公判廷での供述は,大要次のとおりである。
平成11年10月ころ,N3興業の正式組員になった後,N3からQ会関係の人間だと言われて写真を渡され,他の組員と一緒にその所在を探したことがあった。私は,Q会への報復のために捜しているのだと自分なりに思っていたものの,何のために探すのか聞いていたか覚えてない。平成12年夏ころ,M2の自宅で,M2とP2が寝室か居間か部屋の中で,M2が「兵隊はできておるか。」と言い,P2が「準備できています。」などと言っているのを部屋の外で木製ドア越しに聞いたことがあったが,この会話がQ会に関係あるのではないかと思っていたかよく覚えてない。また,P2が沖縄に潜らせていると話していたのを聞いた記憶があるが,いつどういう機会のことだったか覚えていない。N3から電話で「仕事で沖縄の方にいる。」と聞いたことがあるが,誰の指示かと言っていたか覚えていないし,私自身は,Q会に対する報復とは違う用事だと思っていた。自分が組をやめて九州の方に帰ってきてから一,二か月後ころに,よく話しをして仲よかったし,九州にいる人間だったので,Aに電話をした。その際,Aに,Q会組員の襲撃に参加するのか否かについて尋ねたかどうか記憶はない。ただ,時期は分からないがAに電話をした時,九州で単車を盗んだという話は聞いた。
私は,平成13年2月にM2のもとから黙って出たとき,M2が経営する会社関係の金80万円を使い込んだことがあった。私は,絶縁処分を受けた。しかし,M組長やN3に電話して,組をやめる承諾をもらった。80万円については,親の方で払ってもらった。
・※ まず,証人Dの検察官調書と公判供述で変遷のない部分で,M2とP2との組員を沖縄に行かせている旨の会話(これは平成13年2月以前とみられる。)については,その会話より後の出来事ではあるものの,前記認定事実により認められる,P2がVと沖縄に赴き車を調達するなどしたこと及びAが沖縄で本件の準備をしていたことと符合する。また,証人Dには公判廷であえて虚偽の事実を述べるような事情はなく,逆に被告人又は暴力団組織に不利な事実を供述することで自らを危険にさらすことになることに照らすと,少なくとも証人Dの公判供述での事実の部分(「よく覚えていない。」と述べている部分以外)には信用性が認められる。
さらに,検察官調書の供述内容自体に不自然な点はないこと,公判廷では,M2とP2の会話がQ会に関係あるのではないかとはあまり思っていなかった,N3の沖縄での仕事はP2の話とは別件だと思っていた等と意識的に自分の体験した事実と本件との関連付けを避けようとしているとみられるような供述をしていること,検察官の取調べの時には記憶のとおり供述し,調書の内容を確認し,間違いないということで署名押印した旨供述していること,当初は法廷で証言することについて安全を脅かされる不安があったとも供述していることなどに照らすと,証人Dの公判廷における供述は,M組による報復を恐れて,故意にM組と本件との関連付けを避け,後退した供述をしていることが認められ,検察官調書の記載に信用性が認められる。したがって,検察官調書と公判供述で変遷のある,検察官調書の,「兵隊は潜らせて銭がいるんやったら言ってこい。」というM2のP2に対する言葉,「M2からの仕事で,M組組長秘書のM4,Aなどと一緒に沖縄に潜伏している。」旨のN3の言葉,証人DがAに電話した際,Aが「今,沖縄や。」と言っており,「お前が行くの。」と尋ねたところ,「そやな,俺がいかないけんやろ。」などと言った一連のやりとりについても,信用性が認められる。
・※ 弁護人らは,証人Dの供述について次のとおり信用性がない旨主張するが,いずれも採用できない。
ア 弁護人らは,証人DがM2とP2との会話を聞いた時期から本件までは約2年を経過しており,当時関係者が沖縄で活動していた裏付けもないと主張する。しかし,前記認定事実によれば,被害者の殺害は,N組系暴力団内では平成10年ころから企図されていたことであり,平成12年にかかる会話がなされていること自体は不自然ではない。また,当時関係者が沖縄で活動していた裏付けがないことも,その当時の状況が単に解明されていないというものに過ぎず,前記認定を覆す事情ではない。
イ 弁護人らは,証人Dは,M2とP2の会話部分の前後関係については具体的に覚えておらず,本件に関連する部分のみ覚えているのは不自然であると主張する。
しかし,証人Dの供述によれば,かねてからQ会の組員を捜すよう指示されていたというのであるから,「兵隊」という襲撃を連想させる言葉を含む会話であれば,それだけ印象が強いものと考えられる。また,M2とP2の会話は,証人Dが事情聴取を受けた2年以上前の出来事であり,記憶喚起も容易ではないと考えられるところ,本件との関連で聴取を受けている状況であれば,印象深い本件に関連する部分のみ記憶が喚起され,他の部分については具体的に記憶喚起できないことも特段不自然とは考えられない。
ウ 弁護人らは,仮にM2とP2とのやりとりがあったとしても,その内容からしてひそひそ話でするはずであり,分厚いドア越しに証人Dが聞くことはできないと主張する。しかし,証人Dは公判廷でもドア越しに会話が聞こえたと明言しており,そもそも証人Dはボディーガードとして警備や人払いを任されていたもので,証人DもQ会組員探しを指令されていたというのであるから,前記やりとりは証人Dに聞かれることを強く警戒する内容ではなく,証人Dが人払いをしているのであれば,それ以外の人間に会話が漏れる心配はない状況にもあるといえることからすると,M2らがM2の自宅内でひそひそ話をする必要性までは認められず,ドア越しにある程度会話が聞こえるような声で会話することが不自然とはいえない。
エ 弁護人らは,金員横領で除籍処分を受けた証人DにAが自分がヒットマンを務めるかのような不用意な発言をするはずがないと主張する。しかし,証人Dの検察官調書におけるこの供述は,同人が平成13年2月に組をやめる前のものとされているもので,この点の弁護人の主張自体理由はなく,また,証人Dは,Q会組員への襲撃について少なからず知っていたのであり,前記会話内容を見ても,内容的にはさほど具体的ではなく,双方の解釈がなければ本件との結びつきを想定できないとみられることからすれば,暴力団組織の下の者同士の会話として,前記のような会話がなされたとしても,不自然とはいえない。
オ 弁護人らは,本件自動二輪車とAから聞いた単車窃盗の話は結びつかないと主張する。確かに,D3二輪から購入した本件自動二輪車とは結びつかないが,原動機付き自転車(窃取された物)との関係では符合するもので,この点が前記認定を覆すものではない。
・※ 以上によれば,証人Dが平成11年ころから写真を渡されてQ会組員探しを指示されていたこと,M2とP2が前記のような会話をしていたこと,N3がM組の仕事として沖縄に行っていたこと,Aに電話した際,前記のようなやりとりがあったことが認められる。
2 ホテルのチェックイン時間について
被告人は,前記のとおり,本件犯行前日から,のどが痛く頭もふらふらするなど体調が悪かったことから,那覇空港到着後すぐa5ホテルに向かい,正午前にチェックインして,夜になってAと-緒に国際通り付近に食事に出るまでは,ずっと客室内で寝ていた旨供述している。
しかし,同ホテルのチェックイン等の状況を記録したジャーナル(甲112)には,被告人らの宿泊した714号室及び716号室について午後3時5分及び午後3時6分にチェックイン手続が行われた記録があることが認められる。さらに,同ホテルの従業員証人D5は公判で,同ホテルのチェックイン時間は午後3時と決まっており,チェックイン時間は厳守していたこと,証人D5が責任者として勤務していた平成14年2月22日(ホテルオープン日)から同年6月までの間に,チェックイン時間より前に客をチェックインさせたことはないこと,証人D5がフロントにいないときに別の従業員が対応したとしても,責任者である証人D5に連絡が来ることになっていたこと,同年4月20日は,証人D5がフロントで勤務したが,チェックイン時間より前に客をチェックインさせたことはないことを供述しており,事件とは無関係な第三者である証人D5が虚偽の証言をする事情も特に認められないことに鑑みると,証人D5の供述は信用できる。そして,体調が相当に悪い(被告人は,公判で「生まれて初めてぐらいの具合の悪さで」と供述する。)にもかかわらず特に理由もなく沖縄に来たという被告人供述は不自然であること,被告人は,4月20日午前1時15分に証人D2に約7分間電話して,子供の誕生日のお祝いを述べているが,その際,自己の体調が悪いことを述べた形跡はないこと(証人D2の3月4日の日記には,被告人が電話で「しんどい。頭痛いし調子悪い。」などと話した旨記載されているのに,4月20日の日記には,子供の誕生日のお祝いを述べたことなど(「おめでとうと言っといて,と言ってくれたね。映画見にいくねんと言ったね。」)の記載はあるのに,体調についての記載はないが,7分間も会話しながら,体調の悪さについての話をしないというのは不自然である。),Aも,ホテルのチェックイン時間については被告人の弁解に沿う供述をするものの,被告人の体調不良の件については供述していないことにも鑑みれば,被告人のこの点の供述は信用できず,被告人が同ホテルにチェックインして入室した時間は午後3時ころであったことが認められる。
したがって,被告人は本件犯行当時,ホテルにはいなかったことが認められる。
3 本件自動二輪車を購入した者の容貌について
検察官は,本件自動二輪車を証人D3から購入した者(以下単に「購入者」という。)は被告人であると主張し,弁護人らはその点を争っている。
この点については,本件自動二輪車を販売した証人D3が,その購入者について捜査段階と公判段階で供述を変遷させているので,その信用性について判断する。
・※ 証人D3は,検察官調書において,購入者の特徴について,身長170センチメートル前後,やや痩せ型,面長,二重で目がぱっちりしていてまつげが長い,ひげは生やしておらず,黒色のつば付き帽子に,黒色系の長袖トレーナーのような上着,紺色系のGパンのようなズボン,年齢は20歳代半ばくらいと供述をした上で,30枚の写真の中から被告人の写真を抽出し,断言は出来ないものの被告人に似ている旨供述している。そして,本件自動二輪販売以前に従業員のNとトラブルになり,D3二輪にH(被告人)が訪ねてきたことがあって,珍しい名前なので名前は覚えていたが,その際は顔についてはっきりと覚えていなかったと供述している。
・※ これに対し,証人D3は,公判段階では,「警察官から写真台帳を示されて,どれが似ているかと聞かれたので,購入者と似たタイプの男を選べばいいのだと思い,軽い気持ちで4番の写真を指し示したところ,Hという名前の人物だと教えられた。その名前を聞いて,Hなら以前バイクのトラブルでNを訪ねて来た時1度顔を会わせたことがあり,挨拶程度はしていたから,購入者とは違うと思い,その旨警察官に話した。検察官の取調べの際も,購入者はHではないと話した。Hは,警察官に見せられた写真台帳の中では購入者に顔の感じが似ているというだけであり,購入者は,被告人ではない。」旨供述している。
そして,捜査段階で公判段階と異なる供述をした理由については,「四,五日間にわたって連日取調べを受けて,早く終わらせたいと思った,そう話さないと帰さないような勢いだった。似てないとは言いきれないぐらいの表現にしとこうと言われて,それでいいですよって言って,捺印はした。」旨供述している。
・※ 検察官調書には,本件自動二輪車購入者の特徴については,「二重で目がぱっちりしていてまつげが長い。」などと具体的な供述がなされていること,もう1人の同行者については,顔ははっきり覚えていないと記載されており,捜査官が証人D3の記憶がをはっきりしない点を誘導するような形跡は見当たらないことなどに照らすと,検察官調書の記載は信用性が高いものと見られる。
証人D3は,被告人とは本件販売以前に一度面識があり,被告人が購入者ではない旨供述するが,証人D3は面割の際に被告人の顔写真を見てもそれがNとのトラブルの件で来たH(被告人)という人物だとは分からなかったのであり,証人D3はNのトラブルの件で被告人がD3二輪に来た際は,挨拶程度しかしていなかったというのであるから,その人相についてさほど記憶しておらず(公判段階でも,もじゃもじゃ頭,眉毛が濃い程度しか供述していない。),その後,本件自動二輪車販売の際に,被告人に会っても以前に会ったことのある人物だと気付かなかったとしても,不自然とはいえない。
そして,証人D3は公判において,検察官の取調べの際にまず被告人の写真(甲115の④)を示しているにもかかわらず,他の写真(同・※)を示したかのような供述をし(238項),検察官の取調べの際に,バイクを買いに来た人間に似ている顔があったかと聞かれたことについて何と答えたのか,4番の写真(被告人の写真)を選んだのを覚えているかという質問に対し,「終始,犯人にしたいのは勝手ですけど,そのせいでこの人間が捕まっちゃったというとあかんけんがって,違うって私ずっと言ってますよとは言うたんですけど(249項)。」「それは調書とるときがどんなことを聞かれたか,4番が似てる,もうHという人間分かってますけんが,どれが似てるかと言われれば答えたかもしれんですけど,この人間が犯人とかそんなこと全く言っとらんですもんね(250項~251項)。」などと購入者と被告人との同一性について供述を渋る態度が看取できる。
また,証人D3の取調べを担当した警察官Eは,公判廷において,「証人D3の取調べは,平成14年7月30日は午前10時50分ころから午後7時半ころまで,同月31日は午前9時ころから午後1時少し前ころまでと,同日午後5時ころから午後7時半ころまで,同年8月1日は午後5時頃から午後7時半ころまで実施し,同月2日夕方と同月5日夕方に供述調書を作成した。同月3日,4日は,証人D3に仕事等の予定があるとのことで,取調べを行わなかった。」旨供述し,特にこの供述の信用性を疑わせる事情もない。したがって,取り調べはそれなりに証人D3の都合を考慮した形で行われていることが認められ,証人D3の四,五日間にわたって連日取調べを受けて早く終わらせたいと思った,そう話さないと帰さないような勢いだったという供述は信用できない。
さらに,Eは,「7月30日の取調で,バイクを売った相手の特徴を聞くと,「目がぱっちりとした感じでまつげが長い。」などと供述した。さらに,写真台帳を示したところ,証人D3は写真台帳を最初から見ていき,4番の写真のところで,「この人によく似ている。」と言い,さらに最後まで写真台帳を見せた上で改めて尋ねたところ,「断言は出来ないけれども,この人によく似ている。」と言った。その後,4番の写真がH(被告人)のものである旨話したところ,証人D3は,「Hというのは以前D3二輪に2度来たことがある。」と述べた。そこで,それなら被告人をその時(Nの関係で来た時)に見ており,バイクを売った人物が被告人であったと分かるだろうと聞いたが,証人D3は,「自分はバイクの修理か何かをしていて関心がなかったのでHの顔はよく見なかったし,チラッと見ただけだったので,ほとんどHのことは記憶になかった。Hとはその際,話はしていない。」と言った。」旨供述しているところ,Eは,当初は証人D3自身の本件殺人事件への関与(幇助等)も疑っていた状態であり,さらに,以前のNの件で証人D3は被告人と面識があったことから,面割りの際,被告人の写真を指した証人D3の供述を直ちには信用せず,取調べを重ねたが,証人D3の話し方が淡々とした態度であったため信用するようになったというのであり,その経緯も不自然ではなく,このEの供述も信用できるものである。
したがって,証人D3の検察官調書は信用でき,購入者は被告人に似た人物であったと認められる。
・※ 本件自動二輪車販売時の状況などについて
証人D3の捜査段階及び公判段階の供述によれば,次の事実が認められる。
本件自動二輪車は,証人D3が平成13年1月にオークションで落札した物で,無車検無登録で,後方部分の取り外しが出来ず,暴走族が好む改造ができないため人気がない物であったが,証人D3は修理すれば売れると考えていた。証人D3は,雑誌広告に載せたり,オークションに出品したりしたが,買い手がつかなかった。平成14年1月から同年2月上旬ころ,証人D3の携帯電話に若い男の声で電話があり,「10万円くらいのバイクありますか。ちゃんと動けば書類なしでもいいんですけど。」と言った。証人D3は,相手は暴走族だと思い,改造しやすいXJRを紹介したところ,男は「そのバイクを下さい。今日の夜,取りに行きます。」と言っていた。その1時間後にまた同じ男から電話があり,「さっき電話した者ですけど。そのバイクはどんなバイクですか。もう少し詳しく教えてください。」と言うので,証人D3がハンドルが内側に絞ってあって,マフラーも真ん中付近から切ってあると答えると,男は「もうちょっとまともなバイクがいい。」と言うので,証人D3が普通に乗れる本件自動二輪車を勧めたところ,「それでいいです。夜9時過ぎころに取りに行きます。」と言った。その男は特に値切るようなこともなかった。その日の午後9時過ぎころ,白色軽トラックが来てD3二輪の前に駐車し,2人連れの男のうち1人の男の方が事務所の方にやってきて,証人D3に「電話した者ですけど。」と言ってきた。証人D3が本件自動二輪車を指してエンジンの掛け方を説明すると,男は「これをもらいます。」と言い,証人D3が領収書や廃車届などの書類を用意すると言うと,いらないとのことだった。証人D3がエンジンキーと車両本体を引き渡すと,男はバイクを軽トラックに積み込み,矢上町方面へと走り去っていった。
購入者は,身長170センチメートル前後,やや痩せ型,面長,二重で目がぱっちりしていてまつげが長い,ひげは生やしておらず,年齢は20歳代半ばくらいであり,被告人に似た男であった。
4 被告人が証人D2に本件犯行に関する記事が掲載された雑誌を読むように話したか否かについて
検察官は,本件犯行後,被告人が証人D2に対し,電話で「雑誌見たか。」などと言って本件に関する記事を読むよう促すような発言をしていたと主張し,被告人はこれを否定するので,この点について判断する。
・※ 証人D2は,「平成14年6月ころ,被告人から,多分電話がかかってきてだったと思うが,「雑誌見たか。zとかに売ってるわ。」と言われた。最初は何のことか分からなかったが,被告人からN組関係の記事である旨言われた。その日のうちにコンビニのzストアで雑誌を買って読んだと思う。雑誌には,沖縄でQ会の幹部が射殺されたという記事が載っており,被告人が沖縄の事件と言っていたと思ったので,これが被告人が話していた記事だと思った。その後,被告人と話をした際,あらためて雑誌の記事を読んだか尋ねられたので,読んだと答えた。被告人は,雑誌に掲載されていた似顔絵について,「誰に似てんやろな。」などと言っていた。」旨供述する。
・※ 前記認定事実によれば,証人D2の居宅から,平成14年6月ころに販売された本件に関する記事が掲載されている雑誌数冊が発見されており,これは前記証人D2の供述に沿うものである。また,証人D2の供述態度をみると,雑誌の件については前記のように具体的に供述しており,被告人がいないときも雑誌は買っていた,以前にも雑誌見たかという話はされたような気がする等,事実は事実として述べており,被告人の言動を無理に本件に結びつけようというような様子はみられず,信用できるものといえる。
・※ 弁護人らは,証人D2が刑事から被告人がFと再入籍したことを知らされたことから,自分が裏切られたと思い,被告人に反感を持ち,捜査機関に迎合していることが明らかであるから,証人D2の供述は信用できない旨主張する。 しかし,証人D2の供述態度自体,故意に被告人と本件を結びつけようとするものでないことは前述のとおりであるし,証人D2が被告人が妻と復縁したことで裏切られたと思っていたとしても,それが本件のような重大事件の犯人として被告人を陥れようとする動機とはなり得るとは考え難い。したがって,弁護人の主張は採用できない。被告人は,入れ墨のタトゥを写真で載っているのがあって,証人D2が入れ墨に関心があったことから雑誌を教えたことがある旨の供述もなすが,前記認定の経緯に照らし信用できない。
・※ 以上によれば,被告人が証人D2に対し,電話で「雑誌見たか。」などと言って本件に関する記事が掲載された雑誌を読むよう促していたことが認められる。
第4共謀の存否についての判断
前記のとおり,本件犯行は,Aが実行したもので,被告人に本件犯行についての共謀があったかが問題となる。
A,被告人は,捜査,公判を通じて,本件犯行について共謀したことはない旨供述するので,本件における状況事実等から共謀が認定できるかについて検討する。
1 共謀認定について積極的に働く事実
・※ M組は,配下組員も含め,沖縄に居住するQ会関係者襲撃を計画しており,Aの本件犯行は,M組による組織的犯行としてなされたとみられること
Aは,Bへの報復と自分の名前を売るために本件犯行に及んだもので,B殺害を他の人と相談したことはない旨供述する。
しかし,前記認定事実によれば,
N組若頭(O組組長)C殺害によるQ会への報復として,N組傘下組織組員によりQ会副会長であったBもその襲撃の標的とされていたこと,
O事件当時,M組はO組傘下の組織であり,M組の組長以下構成員には,組織として,O組組長殺害の報復として,Q会のトップに近いBの殺害を意図する動機が存すること,
Bは,O事件以後,N組からの報復をおそれて,沖縄県内において,ホテル等を転々としながら厳重に自己の所在地を秘匿していたこと,
平成11年10月前後にM組N3興業組員となった証人Dは,N3興業組長のN3から写真を渡されてQ会組員探しを指示されたこと,更に,証人Dは,平成12年4月ころからM組組長付をしていたが,M組組長のM2とM組若頭でP一家総長のP2が,平成12年7月か8月ころに,M2が「お前の所から兵隊出せるか。」と尋ね,P2が「分かっています。」と答えるなどし,そのしばらく後には,P2が「今,沖縄に潜らせています。準備はできています。」と言い,M2が「兵隊は潜らせて銭がいるんやったら言ってこい。」などと言うなどして話し合っているのを聞いたこと,
証人Dは,その後,N3から電話で「今,沖縄に潜っとんや。おっさん(M組長の意)からの仕事で,M4(M組組長秘書),Aと潜っている。」旨聞いたこと,その後,電話でAと話した際,同人が「今,沖縄や。」と言っており,証人Dは,Aがヒットマンを務めるのかと思い「お前が行くの。」と尋ねたところ,Aは「そやな,俺がいかないけんやろ。」などと言っていたこと,
Aは,P2の配下で,P一家若中であり,P2としばしば連絡を取っていたこと,
P2は,平成13年11月ころ,沖縄に赴き,借家や車を調達する活動をしていたこと,
Aと被告人の沖縄での滞在費用は少なくとも75万円かかっているところ,A自身にそのような収入があることを窺わせる事実はみあたらず,他の者から拠出されたものとみられること(前記のとおり,M2は沖縄で組員が活動する費用を支出する旨話している。),
現に,本件犯行前日の4月19日午後3時40分から3時41分にかけて,氏名不詳者からA名義の預金口座に現金12万円が入金され,その直後にAは同金額を引き出し,同日福岡から那覇までの翌日の航空券を予約していたこと,
Aは,沖縄では,自己の個人用の携帯電話とは別に仕事で持たされているとする携帯電話を使用していたこと,
本件犯行時,Aが供述する見張り状況を前提とすると,Aが何の情報もなく単独で見張りをして被害者の乗った車を見つけて追跡することは極めて困難であり,少なくともBの情婦証人Iが搭乗している飛行機の到着予定時間の情報を得ていることが必要であり,Aが本件犯行当日,Bが証人Iの出迎えのために那覇空港に現れる数時間前に沖縄に来て本件犯行に及んでいることに鑑みれば,Aとは別に大阪に居住する証人Iの動向を探る協力者の存在があったとみられること,
が認められ,以上の諸点に照らすと,M組は,配下組員も含め,沖縄に居住するQ会関係者襲撃を計画し,Aの本件犯行は,M組関係者による組織的犯行としてなされたものと認められる。
・※ 被告人は,平成13年秋ころから,実質的にM組P一家構成員として活動していたとみられること
被告人は,「平成14年5月にGが刑務所を出所してからP一家に入ることを決めたので,それ以前は,暴力団組員という認識はなかった。」旨供述する。
しかし,前記認定事実によれば,
被告人は,服役中の平成12年には,P一家若中としてM組の住所録に登載されるようになっていること,
平成13年7月11日に出所した後は,P一家構成員としての自己の名刺を所持するなどし,同構成員であったAと行動を共にし,自己及び妻の居住地でP一家の活動拠点である長崎とM組本部事務所のある大阪を行き来していたこと,
M組本部事務所の事務所当番は,P一家を含めた下部団体が持ち回りで行っていたこと,
被告人は,同年10月ころから親密に交際していた証人D2に対して,「事務所当番のために大阪に来る。」などと言っていたこと,同年10月ころには,自己の指を詰め,その理由について,証人D2には,「上の者に腹がたってやった。」などと言っていたこと,
同年11月ころから平成14年4月までの間,P一家総長のP2との間で頻繁に携帯電話で連絡を取りあっていたこと(平成13年11月1日から平成14年2月28日までの間で被告人からP2に対するものだけで44回,平成14年3月1日から同年4月19日までの間で両者相互間で合計38回),
が認められ,以上の諸点に照らすと,被告人は,少なくとも平成13年秋以降は,実質的にM組P一家構成員として活動していたことが認められる。
・※ 被告人はAがB殺害(射殺)を実行しようとしていたことを認識しており,被告人が本件犯行前からAと共に何度も沖縄に来ているのは,B殺害に向けての準備であったとみられること
被告人は,本件犯行の前後を通じ,AからBを殺すことを話されたことはない旨供述し,Aも,Bを殺すことを被告人に相談したことはないし,本件犯行後も被告人に話してない旨供述する。また,被告人は,「沖縄にAと一緒に来たのは,Aから「個人的に用事があるので,観光を兼ねながら沖縄に一緒に行こう。旅費は全部自分が持つから。」と誘われたからである。Aが何のために沖縄に来ているのか,何のために私を連れてきているのか知らなかった。」旨供述する。
しかし,前記認定事実によれば,
被告人は,Aとは旧知の間柄であり,同じP一家の構成員として活動しており,以前被告人が行った強盗致傷事件の際にはAが被告人の逃亡を手助けしたほどの仲であり,また,B殺害はM組による組織的犯行として計画されていたものであるから,AがB殺害を被告人に秘匿すべき理由はないこと,
被告人は,本件犯行の実行犯であるAと共に数回(本件犯行当日よりも前に6回程度)沖縄に来て滞在しているが,B殺害と関係なしにAが被告人を沖縄まで同行する理由はないこと,
被告人は,Aと頻繁に携帯電話で連絡を取り合っていたこと(平成13年10月5日から本件犯行前日の平成14年4月19日までの間で合計616回),
被告人は,沖縄では,自己の携帯電話の使用を避け,仕事用と称する携帯電話を使用しており,本件犯行時は自分の携帯電話を他人に福岡から長崎へ持って帰らせることまでしていること(観光のためであるならこのようなことをする必要性は想定しがたい。本件犯行を企図していたとすると,事後に,携帯電話の履歴等から捜査機関に沖縄での行動状況がある程度明らかにされてしまう可能性などがあるから,これを回避するすることが想定できる。),
被告人は,Aと共に沖縄で訪れたクラブのホステスには仕事で沖縄に来たと言い,しばらく地元に帰る旨述べて荷物を預けたりしていたこと,
本件犯行前日に,前記Aと同様,氏名不詳者から被告人の口座に現金が振り込まれ,被告人はそれを引き出し,同日福岡から那覇までの翌日の航空券を予約していたこと,
被告人は,平成13年12月以降に長崎県内で窃取され,平成14年2月25日から同月26日にかけて福岡市内で別の原動機付き自転車から窃取されたナンバープレートが取り付けられた原動機付き自転車を沖縄県内で使用していたこと,
Bは,前記のとおり,N組による襲撃をおそれ,沖縄県内において住居を転々と変えて自己の所在を隠していたもので,Bを判示のように襲撃し殺害するためには,同人の動向を探りその所在を確認することが不可欠であり,被告人が沖縄県内で原動機付き自転車(しかも,盗んだナンバープレートを取り付けた盗難車)を乗り回す理由は,Bの動向を探るため以外には想定できないこと,
本件は,O組長射殺事件の報復としてなされるもので,本件経緯に照らしてもBの襲撃はけん銃による射殺が想定されること
が認められ,以上の諸点に照らすと,被告人は,Aに誘われ,単に沖縄に観光に来ていたとは到底考えられず,被告人はAがB殺害(射殺)を実行しようとしていたことを認識しており,被告人が本件犯行前からAと共に何度も沖縄に来ているのは,Bの動向を探るなどB殺害に向けての準備であったと認められる(弁護人は,被告人がBの動向調査を行ったとの事実の証拠はない旨主張するが,前記の各事実に照らすと,同事実は合理的疑いを入れることなく認定できる。)。
被告人,Aのこの点に関する前記供述は,不合理で信用できない。
・※ 被告人は本件当日もAと一緒に沖縄に来て,本件犯行後にはAと共にホテルにチェックインしており,Aが本件犯行に及んだ時間帯の被告人の行動も明確でないこと前記認定事実によれば,
本件当日午前10時半ころ,被告人とAは,那覇空港に到着したこと,Aは,同日午後2時25分ころ,那覇市a町b番b2号北方約20メートル先路上(第1犯行場所)においてけん銃を発射し,同日午後2時30分ころ,同市a2町e番f2号先路上(第2犯行場所)において,けん銃を発射してBを殺害したこと,
その後,Aは,本件自動二輪車で現場から逃走し,同市t-u丁目v番f3号所在の駐車場(第2犯行場所から公刊地図で計測すると直線距離で約1.5キロメートル)にこれを乗り捨て,午後2時35分ころから午後2時45分ころにかけて同市t-u丁目f番h2号所在の洋服店(前記駐車場から公刊地図で計測すると直線距離で約200メートル)でTシャツ等を購入し,同市t-u丁目b番b3号所在の靴店(前記洋品店から公刊地図で計測すると直線距離で100メートル以内)で靴を購入して着替え,その後,同市辻u丁目f番u2号所在のa5ホテル(前記靴店から公刊地図で計測すると直線距離で約2300メートル)に赴き,午後3時5分ないし6分ころ,同所において,被告人と共にチェックインしたこと
が認められる。
被告人は,本件当日午前10時半ころ那覇空港に到着するまでAと行動を共にしており,本件犯行の約35分後の午後3時5分ないし6分ころにも,前記ホテルに,Aと共にチェックインしており,Aが本件犯行に及んだ前後の被告人の行動は明らかでない。
しかし,前記のとおり,被告人は,ホテルに入った時間について虚偽の供述をなしているが,被告人が本件犯行に関係ない行動をとっていれば,このような供述をなす必要はなく,被告人は,那覇空港到着の午前10時半ころからホテルチェックインの午後3時5分ころまでの間,B襲撃に関係のある行為に及んでいたとみられる。
・※ 本件犯行においてAは本件自動二輪車を使用しているが,被告人は,これを購入し,その後,Aに引渡されたと認められること
被告人は,本件自動二輪車を証人D3から購入したことはない旨供述する。
しかし,前記認定事実によれば,
本件購入者は被告人に似た人物であったこと,
本件自動二輪車は平成14年1月から2月上旬の間に長崎県内で販売されているが,甲106号証によれば,平成14年1月から2月上旬の間に長崎県内で被告人の携帯電話から発信がなされており,その相手にF及び証人D2が含まれていることから,被告人自身が使用したことが認められ,D3二輪で本件自動二輪車が販売された時期に被告人が長崎にいた期間があり,被告人が本件自動二輪車を購入することは可能であったこと,
本件自動二輪車は,購入後,Aに引渡され,同人が本件犯行の際に使用したこと,
本件購入者は,普通に乗れるバイクであれば,車種も登録の有無も問わず,再登録するための廃車届も必要ないという考えであり,本件犯行に使用される予定であるとの事情を知っている者であるとみられること,
被告人は,当時Aと行動を共にしていたことが多く,被告人は,AがBを殺害しようとしているのを認識していたとみられること,
Aは,沖縄で,本件自動二輪車に被告人と二人乗りをしたこともあった旨供述しており,被告人自身も本件自動二輪車を利用したことがあったとみられること,
Aは,本件自動二輪車は知り合いから入手した旨供述していること(Aは,公判で,本件自動二輪車を入手してもらった人が被告人かどうか記憶しているかとの質問に対し,いったんは「もう記憶にない。」と答え,明確には否定しなかった。なお,Aは,最終的には,本件自動二輪車を被告人が購入していないとも供述するが,本件自動二輪車を入手してもらった人物が被告人であったかどうかについて記憶を失うということは想定できないにもかかわらず,当初は「もう記憶にない。」と答え,被告人ではないと当初は明確に否定しなかったことに照らすと,その供述は不自然である。),
被告人は,Aの親しい知り合いであり,Aが被告人に犯行に使用する予定の自動二輪車の入手を依頼することは自然で合理性があること
が認められ,以上の諸点を総合すると,被告人は,本件自動二輪車を購入し,その後Aに引渡されたものと認められる。
そして,前記認定事実及び本件経緯に照らすと,被告人は,本件自動二輪車がB殺害の犯行に利用されるのを認識していたものと認められる。
弁護人らは,被告人は本件自動二輪車が販売された二,三か月前に非日常的なトラブルで2度にわたってD3二輪を訪問しており,そのような被告人が本件自動二輪車を購入するためD3二輪に赴くというのは通常の犯罪者の心理として理解し難く,購入者と証人D3との電話や訪問時のやりとりをみても,その者が被告人でないことを端的に示していると主張する。
しかし,本件自動二輪車の入手経路が判明したのは,エンジン番号から車台番号が判明し,その車台番号を手がかりとした追跡調査の結果であるから,車台番号を削り取っておけば,容易に入手経路が判明しないと考えれば,被告人が購入先として,かえって店の状況や扱っている商品について知識のあるD3二輪を選んだとしても,特に不合理ではない。また,前記のとおり,証人D3の妻の弟はN組系暴力団員であり,D3二輪の事務所からN組M組組員の名刺も発見されていること,D3二輪では暴走族等へもバイク等を売っていたと窺われることなどに照らすと,犯罪に使用する自動二輪車の購入先としてD3二輪を選ぶことは不自然ではなく,むしろ可能性が高いとみられる。更に,購入者と証人D3とのやりとりについても,前記認定によれば,互いにほとんど面識がなかったものといえ,被告人の方から特に証人D3に過去の話を持ち出す必要もないことからすると,購入者と証人D3とのやりとりが前にD3二輪を訪れたことがある被告人と証人D3のやりとりとして,不自然とはいえない。
また,弁護人らは,証人D3は購入者にD3二輪までの道順を教えており,被告人はその前にもD3二輪を訪れているのだから改めて道順を教えてもらう必要はなかったはずであると主張し,証人D3は公判において,本件購入者からD3二輪への道順を聞かれ,購入者は,県外者で,D3二輪までの道を知らなかったと思った旨供述している。
しかし,証人D3は,客は県外者ばかりであり,通常電話をかけてくる客にはみんなに道順を説明しており,県外者と思ったのは自分が勝手に判断しただけみたいである旨の供述もなしており,本件の際に証人D3が道順を聞かれたかどうかは曖昧である上,本件購入の際は2人で車に乗って来たもので,被告人は自動車の運転ができないというのであり,前年秋にD3二輪に来た際も被告人が自ら運転して赴いたものではなく,車に同乗していただけであり,経路を正確に覚えられるものかは疑問であること(被告人自身は,Nの件でD3二輪に行った際,1回目は道に迷いに迷ったと供述している。なお,被告人は,2回目は道に迷わなかったと供述するが,2回目の運転者は1回目と同じAであったというのであるから,本件購入時,別の人物が運転していたとすれば,経路を聞くこと自体不自然ではない。),また,本件購入の際にはもう1人の人物(運転者)が証人D3に電話をした可能性もあることなどに照らすと,弁護人主張の点が購入者と被告人との同一性を否定する事情とはみられない。
・※ 被告人は,愛人の証人D2や妻のFに対し,本件犯行前に被告人が本件犯行に関与することを前提とすると理解できるような言動をしていたこと
前記認定事実によれば,
被告人は,証人D2に対して,Aと共に沖縄に行くようになる直前の平成14年2月下旬ころから,しばしば「会われへんようになる。」「今は自分にとって大事なことに集中したい。」「やることがある。」「何年も待っていられるか。」などと言ったり,手紙に書いたりしていたこと,
被告人の妻Fの書いたメモ帳には,「いよいよ出発なのね・・・※この手紙はラストレターではないからね。ファイトレターであって,絶対に何があっても無事でおらんばばい。あんたね,マジで死んだりなんてしたら許さんけんね・・※。本当はFだって行ってほしくなんかナイさ。Hが行くって決めたことなんでしょう・・※。もううちに言うたトキは,決めてカラ,決まっての報告やったんよね」などという記載があったこと
が認められ,以上の諸点に照らすと,被告人は,愛人の証人D2や妻のFに対し,本件犯行前に被告人が本件犯行に関与することを前提とすると理解できるような言動(本件犯行に関与することにより長期間の服役の可能性があること,あるいは,相手の命を狙うことに関係することから相手方からの反撃により被告人の生命にも危険が生じる可能性があること等を前提とすると,理解できる言動である。)をしていたことが認められる。
なお,被告人は,公判で,「証人D2に言った「しばらく会えなくなる。」というのは,私が長崎に帰るから当分会えなくなるというだけの意味であり,「大事なことに集中したい。」という手紙を書いたのは,証人D2からの連絡がひどいからそう言えば連絡もしてこないだろうということからである。」旨供述するが,不自然であり,また,「何年か待っていられるか。」という点は,説明できず,いずれにしても信用できない。
また,弁護人は,妻Fのメモ帳の記載について,暴力団と関係のある人間の陥る一般的危険を予想して綴ったとも考えられる旨主張するが,「いよいよ出発なのね」「マジで死んだりなんてしたら許さんけんね。」「本当はFだって行ってほしくなんかナイさ。」「もううちに言うたトキは,決めてカラ,決まっての報告やったんよね。」などという記載は,一般的危険の予想とはみられず,具体的な危険のある行為に関与することを前提とするもので,弁護人の主張は採用できない。
・※ 被告人は,本件犯行後の平成14年6月ころ,証人D2に対し,電話で「雑誌見たか。」などと言って,本件に関する記事が掲載された雑誌を読むよう促し,証人D2が雑誌を買って読んだところ,本件事件の記載があり,「Q会NO.2射殺は九州の系列組織か?」などと記載されていたこと
被告人のこのような言動は,被告人が本件に関与していたことを前提とすると理解できる行動である。
なお,平成14年7月ころ,被告人は,本件について,証人D2から「自分じゃないやろな。」などとしつこく尋ねられた際,「そうじゃ,俺じゃ。」と答えたことがあったが,その後,「俺じゃない。」とも言っており,この点自体は,重視することはできない。
・※ 小括
以上によれば,M組は,配下組員も含め,沖縄に居住するQ会関係者襲撃を計画しており,Aの本件犯行は,M組による組織的犯行としてなされたとみられること,被告人は,平成13年秋ころから,M組P一家構成員として活動していたとみられること,被告人はAがB殺害を実行しようとしていたことを認識しており,被告人が本件犯行前からAと共に何度も沖縄に来ているのは,B殺害に向けて同人の動向を探るなど本件犯行の準備活動とみられること,本件当日もAと共に沖縄に来ており,Aが本件犯行に及んだ時間帯の被告人の行動は明確でないこと,本件犯行においてAは本件自動二輪車を使用しているが,その購入者は被告人であり,被告人はこれをAが本件犯行に使用するのを認識していたとみられること,被告人は,愛人の証人D2や妻のFに対し,本件犯行前に被告人が本件犯行に関与すること前提とすると理解できるような言動をしていたこと,被告人は,本件犯行後,証人D2に対し,本件に関する記事が掲載された雑誌を読むよう促したことが認められ,以上を総合すると,被告人は,本件犯行に深く関与しており,Aとの間で本件犯行について共謀があったと認定し得ないものではない。
2 共謀認定について消極的に働く事実
・※ 本件Bの襲撃計画は,M組の上層部により決定され,その指示のもとに組員が動いていたと認められるところ,被告人は,M組P一家若中という末端組員に過ぎないこと
・※ 被告人は,Bとは,面識がなく,特に個人的に襲撃すべき事情は見いだしがたいこと
・※ 被告人が本件Bの襲撃計画に関与を始めたのは,被告人が前刑を終え出所した以降であるが,前記事実によれば,その時点においては,沖縄でBを襲撃する計画がほぼ固まっており,Aが実行犯を務めることもすでに決まっていた段階であったとみられること
・※ 被告人の具体的な加担行為としては,本件自動二輪車を購入しこれがAに引渡されたこと,Aと共に沖縄に来てBの動向を探るなどしていたことなどのほかには明らかになったものがなく,これらの行為は,本件犯行の実行行為の準備行為とみられること
(なお,検察官は,Aが,本件犯行当日協力者の手を借りることなく,単独で見張り及び襲撃を行うことは困難であり,見張りをする人物は被告人以外に考えられないとして,被告人が見張りをしていたと主張する。
Aが見張りを行った地点として供述している場所は,空港ターミナルビル正面を通過する道路沿いの,国際線ターミナル駐車場内南東側地点であり,関係証拠によれば,この場所は立体駐車場から出る車の全てを捕捉できる場所ではなく,Bを捕捉できず,空振りに終わる可能性も高いことからすれば,本件犯行には他に見張り役が存在する可能性は高いといえる。そして,前述のとおり,犯行当日もAと共に沖縄に来ていること,被告人には本件犯行時点前後のアリバイはないことなどに照らすと,被告人が見張りをしていた可能性は高いものである。
しかし,見張り役が存在したとしても,本件がM組の組織的な犯行であったことを前提とすれば,被告人以外の者が見張りをしていた可能性も否定できない上,本件当日,見張り以外にも被告人が犯行の見届け,襲撃,逃走の援助などの役割を担っていた可能性も否定できない(具体的にいかなる行為に及んだかは明らかにはならない。)から,被告人が犯行当日,実際に空港で見張りをしていたと認定することはできない。)
・※ 小括
以上の諸点に照らすと,被告人は,組織的な犯行として計画されていた本件に,後から本件自動二輪車の手配,Bの動向探索等の補助的な役割で関与していた可能性を排除することはできない。
被告人が,本件犯行前に証人D2やFに対し被告人が本件犯行に関与することを前提とすると理解できるような言動をしていたこと,本件犯行後に証人D2に対し,本件事件の記載がある雑誌を読むよう促したことは,被告人が本件に補助的な役割で関与していた場合でも必ずしも不自然な行動ではない。
3 結論
以上を総合すると,本件に関し,被告人がAと共同意思の下に一体となって,Aの行為を自己の手段とし,本件犯行に及んだとみることには,なお合理的な疑いを差し挟む余地があるといわざるを得ない。
よって,被告人に本件について共謀共同正犯が成立すると認定することはできない。
しかし,前記のとおり,被告人は,AがB殺害を実行しようとしていたことを認識し,Aが本件犯行に使用する予定である自動二輪車を購入し,これがAに引渡されたこと,本件犯行前からAと共に何度も沖縄に来て,Bの動向を探るなどB殺害に向けての準備に協力していること,本件当日もAと共に沖縄に来ていることは認められる。これらがAの本件犯行を物理的にも心理的にも容易にしたことは明らかであり,被告人には,本件犯行について,従犯(幇助)が成立すると認められる。
以上から判示のとおり認定した(なお,本件において,(共謀)共同正犯の訴因に対し幇助犯を認定するについて訴因変更の必要はない。)。
(累犯前科)
被告人は,平成10年10月28日長崎地方裁判所で強盗致傷,窃盗罪により懲役3年6月に処せられ,平成13年7月10日その刑の執行を受け終わったものであって,この事実は検察事務官作成の前科調書(乙10)により認める。
(量刑の理由)
本件は,暴力団構成員であった被告人が,同じ暴力団の構成員Aがけん銃1丁及びその適合実包5発を所持した上,公道上において,同けん銃を発射して対立関係にあった暴力団組織の幹部である被害者を殺害するのを幇助した事案である。
被告人は,平成9年8月に発生したN組若頭C射殺事件に対する,N組系暴力団M組内組員の組織的なQ会幹部への報復に加担したもので,その動機は暴力団社会特有の危険かつ反社会的な目的に基づくものとみられ,酌量の余地はない。
その態様をみても,幇助とはいえ,被告人は,犯行前に実行犯であるAと共に何度も沖縄を訪れて被害者の動向を探り,また,本件自動二輪車を調達するなど,計画性のあるもので,Aの犯行に密接に関係するものであり,これにより,白昼多数の一般車両や通行人が往来する公道上において,Aがけん銃を発砲して被害者を殺害するという,被害者車両の同乗者や一般市民をも巻き添えにしかねない極めて危険な犯行を幇助したものであって,悪質というほかない。被告人の犯行は厳しい非難に値する。被害者は,暴力団組織の幹部であったとはいえ,突然一命を奪われたものであり,その結果はまことに重いものである。
被告人は,平成10年に強盗致傷,窃盗罪により懲役3年6月に処せられ,その刑の執行終了後1年も経たずして本件に関与したもので,被告人の遵法精神の欠如は顕著である。
以上の事実を考慮すれば,被告人の刑事責任は重大であるといわざるを得ない。
しかし他方,被告人の本件への関与はなお従犯の限度にとどまることなどを考慮して,主文のとおりの刑に処するのが相当と判断した。
よって,主文のとおり判決する。
(検察官石島正貴,主任弁護人中道武美,弁護人岡・※一郎各出席)
(求刑 懲役12年)
(裁判長裁判官 横田信之 裁判官 栗原正史)
裁判官 升川智道は,転補のため署名押印することができない。 裁判長裁判官 横田信之
<編注:『※』部分は原文のとおり。>