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那覇地方裁判所 平成6年(ワ)740号 判決 1997年4月09日

主文

一  被告は、原告に対し、訴外大城健栄と被告糸数青正の名義で登録されている別紙目録記載の特許権について、被告の共有持分について原告に移転登録手続をせよ。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求める裁判

一  原告

1  主位的請求

主文一と同旨

2  予備的請求

原告は、被告に対し、訴外大城健栄と被告の名義で登録されている別紙目録記載の特許について、原告が、特許権を有することを確認する。

3  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  被告

1  (本案前の答弁)

(一) 原告の請求をいずれも却下する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  (本案の答弁)

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (特許出願権)

(一) 大城健栄(以下「大城」という。)は、業務用生ゴミ処理装置を発明した(以下「本件生ゴミ処理装置」という。)。

(二) 原告は、平成四年八月一一日、大城との間で、生ゴミ処理装置の共同開発研究事業契約を締結し、その際、原告及び大城は、本件発明にかかる特許を受ける権利のうち、原告がその五分の一の権利を譲り受けることに合意した。

2  (出願手続)

(一) 原告と大城が、平成四年一〇月二九日、本件生ゴミ処理装置について、特許出願の共同申請をした。

(二) 原告が、被告に本件特許出願手続に関する事務をまかせていたところ、被告は、平成五年六月二五日、本件特許を受ける権利の原告の持ち分を原告から譲り受けたとして、平成五年六月二九日、出願人名義を原告から被告に変更する旨の出願人名義変更届けを行った。

3  本件生ゴミ処理装置の発明は、平成八年三月二八日、特許として登録された。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実については、認める。

なお、本件生ゴミ処理装置の発明、開発をしたのは、大城と被告の両名であり、その持分は各二分の一である。

同1(二)のうち、前段の事実は認め、後段の事実は否認する。

2  請求原因2及び3の各事実は、認める。

三  抗弁

1  抗弁1

本件生ゴミ処理装置の発明は、大城と被告との共同発明である。すなわち、本件生ゴミ処理装置中の生ゴミ投入装置部分については、被告が着想したものであり、同部分と大城が着想した攪拌槽が一体となって本件発明を構成するものである。したがって、出願人名義変更届によって、実体に合致した届出がなされ、実体に合致した特許権が登録されたものであり、正当である。

なお、特許出願人変更の方法によったのは、被告が従業員発明は自動的に使用者に帰属するものと思い込んでおり、更に、原告と被告間に共同開発研究事業契約が存在したことから出願権は原告と大城とに帰属していると誤解したためである。その後、原告代表者松尾幸治(以下「松尾」という。)と関係のあった山田義博から、平成五年一月頃、確認書(乙第一号証)を譲り受けたので、譲渡証書(甲第一一号証)を作成して、出願人の変更手続をしたものである。

2  抗弁2

原告は、被告に対し、平成五年一月一八日頃、本件特許を受ける権利を被告に譲渡した。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実のうち、共同発明である点は否認し、その余は争う。

なお、被告の主張の通りなら、冒認出願ということになり、出願自体が無効となるべきである。

2  抗弁2の事実は否認する。

第三  争点

1  本案前の答弁の是非

(一)  被告の主張

(1) 特許庁の無効審判手続によることなしに、裁判所に対し、被告を名宛人としてかような請求はできない。

(2) 特許権の帰属を争う事件には、二葉の場合があり、一は、特許登録に至る手続過程に瑕疵があったことを理由として、特許権を受ける真正な権利を有すると主張する者が、現に特許名義を有するものに対して当該特許権の返還を請求する場合であり、他の一は、特許登録前あるいは登録後に当該特許権について権利移転原因があったと主張する者が、現に特許名義を有する者に対して名義の変更を請求する場合であり、後者は、裁判所に対して訴提起できるが、前者は裁判所に対して訴提起することはできず、本件は、前者の場合であり、裁判所に対して請求することができる場合ではない。

(二)  原告の主張

(1) 特許庁の無効審判手続によらなければならないのは、特許の実体的な審理判断であって、特許権の内容と離れて、特許権の帰属の問題については、裁判所において決着する問題であり、特許無効審判の手続によることはできない。

(2) 被告の分類に従うと、本件は、特許申請後の譲渡の有効性の問題であり、後者に属するもので、裁判所に対して訴えを提起することができる。

2  被告が、大城とともに本件発明をしたものか、本件発明は、大城単独によるものか。

(原告の主張)

(一) 大城は、平成三年一〇月頃、原告から、攪拌器の製作を依頼された。大城と株式会社琉球ゴールデンイーグル社(以下「ゴールデンイーグル社」という。)の代表者松尾らは、平成四年二月二九日頃、本件攪拌器について、沖縄県産業振興公社(以下「公社」という。)の新技術企業研究開発補助事業の適用を受けるべく、公社を訪れ、公社職員と打ち合わせをし、平成四年四月八日頃、攪拌器について、補助事業の予算が計上されるとの内示を受け、その準備をしていたが、平成四年六月二日頃、攪拌器では公社の補助事業の審査会の承認を得ることが困難であるとの通知を受け、攪拌器について、公社の補助金の受給を断念した。

大城は、平成四年一月頃、本件特許発明の元となった本件生ゴミ処理装置のアイディアを思いつき、メモ書き程度の図面を作成した。右メモ書きに基づいて、平成四年五月二日頃、本件生ゴミ処理装置の概略図を作成した。大城は、これをゴールデンイーグル社に持参し、攪拌器よりも優れている旨を説明したが、松尾らはこれを取り合わず、大城は、独自で特許権申請を行うということで、ゴールデンイーグル社の了解も得た。

平成四年五月一五日頃には、本件生ゴミ処理装置の詳細図面が出来上がり、その一週間後である、平成四年六月二日頃、攪拌器による公社の補助事業認定が困難であることが明らかになったので、訴外松尾から、公社の補助事業の対象を攪拌器から大城の発明にかかる本件生ゴミ処理装置に変更してくれとの申出を受け、大城は、これを了承した。

そして、公社提出用として、大城とゴールデンイーグル社は、平成四年六月一二日、公社の補助事業の申請書を提出した。

大城は、平成四年六月一九日ころ、試作品を作成し、同年七月二二日頃、試作品を完成させ、同年九月一五日頃、更に手直しを行った。

被告は、平成四年九月一四日頃から、微生物の測定のために関与することになった。しかし、被告は、消臭機能を持つ微生物を供給することができず、被告の仕事は失敗した。

(二) 本件発明は、「発酵処理槽と、発酵処理槽に生ゴミを水切りしながら投入する生ゴミ投入装置とを備え、発酵処理槽の内部に攪拌筒と攪拌筒内に前記発酵処理槽の下部に堆積している生ゴミを上昇させ該攪拌筒から再び発酵処理槽下部に分散落下させる攪拌スクリューとからなる攪拌装置を設けていることを特徴とする生ゴミ処理装置であり、本件発明の作用としては、発酵処理槽に、予め発酵微生物を播種した発酵促進材を適量収容しておくことによって、該発酵処理装置に供給された生ゴミは効率良く発酵処理が行われる」ものであるが、被告の微生物の研究は、消臭機能を果たす微生物を提供できず、結局、役に立たず、大城は、本件生ゴミ処理装置に投入する発酵微生物は、被告とは別に入手したものである。

(三) 二号特許が被告と大城との共同発明として出願されているのは、被告のなした特許を受ける権利を原告が被告に譲渡したとの被告の説明を真実と誤信した大城が、最初の特許について、原告から被告に権利が譲渡されたのであれば、その延長線上の二号特許についても、被告との共同出願でよいと考えたからで、もし、最初の特許について原告から被告への譲渡が無効であることを知っていれば、被告との間で共同出願する意思はなかったものである。

(四) 本件の発明は、「生ゴミ処理装置」の発明であり、右機械を発明・製作したのは、大城に他ならない。

(被告の主張)

(一) 被告は、ゴールデンイーグル販売株式会社に在職中、有機肥料である「うるま」を開発し、生ゴミ処理装置関連の機械についても十分な知識を身につけており、生ゴミ処理装置を開発し、その機械を用いて有機肥料を作れば一石二鳥の利を生むと考えて、ゴールデンイーグルにそのプランを提案した。

(二) 被告は、機械の専門家でないため、「生ゴミ処理装置の共同開発事業契約書」と題する契約(乙第二号証)を締結し、機械の専門家である大城とともに生ゴミ処理装置を開発することになったが、右契約書上でも被告が開発責任者となっている。

ゴールデンイーグルは、サンアグリ社に実質的に移行することになったのであり、甲第二号証の内容も乙第二号証と実質的には同じである。

(三) 被告が、大城に対し、別紙概念図(生ゴミ投入装置を含む)を示し、これをもとに生ゴミ処理装置(原告主張の攪拌器)が大城によって製作された。しかしながら攪拌装置の機能については、後日、大城が独自に発案した本件生ゴミ処理装置の方が優れていたため、大城の発案にかかる攪拌装置を採用することとされたが、生ゴミ投入装置については、被告の発案のものが採用され、これと大城発案の攪拌装置と被告発案の生ゴミ投入装置とが一体となって、本件生ゴミ処理装置が構成されているのである。

(四) 本件発明後の二号特許も、被告と大城の発明とされており、この二号特許については、大城も被告を共同発明者と認めている。

3  権利譲渡の有無

(被告の主張)

被告は、従業員発明は、自動的に使用者に帰属するものと思い込んでいたために、当初、原告と大城との共同出願になったものである。しかし、乙第一号証を被告が入手したことから、自己に権利があると自覚するに至り、実体に合致すべく、譲渡証書を作成したのであり、権利譲渡はあった。

(原告の主張)

出願人名義変更の申立てに添付した譲渡証書は、偽造であり、被告が原告から特許を受ける権利を譲り受けたことはない。

第三  当裁判所の判断

一  まず、被告の本案前の答弁について判断する(争点1)。

1  思うに、あらゆる紛争は、裁判所において審理判断されるべきであるが、特許成立後、特許の有効性については、その技術的特殊性に鑑み、まず、特許庁だけが特許無効審判によって判断することとし、その後に、裁判所による判断の途を残している。しかしながら、これは、特許の有効性の判断の特殊性に由来するものであるから、特許自体が有効性であることを前提にして、その特許権の帰属に関する紛争については、原則どおり裁判所が第一次的にも判断することになる。このことは、特許法一二三条一項に無効事由が列挙され、これに限定されていることからも明らかである。

そして、本件の事案は、まさに、有効に成立した特許の帰属が原告にあるのか、被告にあるのかの問題であり、訴の利益にかけるところはないものといえる。

2(一)  なお、被告は、特許権の帰属を争う事件には、二葉の場合があり、一は、特許登録に至る手続過程に瑕疵があったことを理由として、特許権を受ける真正な権利を有すると主張する者が、現に特許名義を有する者に対して当該特許権の返還を請求する場合であり、他の一は、特許登録前あるいは登録後に当該特許権について権利移転原因があったと主張する者が、現に特許名義を有する者に対して名義の変更を請求する場合であり、後者は、特許無効審判を経由せずに裁判所に対して訴提起できるが、前者は経由せずに裁判所に対して訴提起することはできず、本件は、前者の場合であり、裁判所に対して第一次的に請求することができる場合ではないと主張する。

要するに、前者の場合は、冒認特許として手続過程に瑕疵があった場合は、無効審判(特許法一二三条一項五号)によるべきである旨を主張するものと解される。

(二)  しかしながら、本件において、当初の特許申請手続は、原告から有効な代理権の授与の下に、被告が原告及び大城のために特許申請を行っているのであって(この事実は当事者間に争いがない)、冒認出願の場合には該当しないので、被告の主張は理由がない。仮に、被告が共同発明者であって、その持分について原告名で、被告自身が申請したというのであれば、それを冒認出願であると被告自身が主張することは信義則に反し、許されないものといえる(なお、被告が共同発明者か否かについては、争点2で検討する。)。

二  被告が共同発明者か否かについて、判断する(争点2)。

1  甲第二、第三号証、甲第四号証の一、二、第八乃至第一五号証、証人大城健栄の証言及び原告代表者本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 那覇市から原告の前身であるゴールデンイーグル社に対して、生ゴミ処理装置の依頼あったが、同社では、機械の製作はできないので、平成三年八月頃、ゴールデンイーグル社の翁長が被告を連れて、大城鉄工所を経営する大城を訪ねた。ゴールデンイーグル社では、図面などを用意しておらず、とりあえず、似ている製品の見学ということで、被告の案内で、糸満市摩文仁在の農事化研という会社の工場に見学に行った。

(三) その二、三日後に、大城は、ゴールデンイーグル社において、原告の代表者である松尾に会い、同人から、見学してきたのと同じ攪拌器で生ゴミ処理装置を製作できないかと尋ねられた。

(四) 大城は、他のメーカーと同じものを製作すれば、特許に触れるから製作できないと一旦は断ったが、攪拌器の羽根を改良すれば、特許に触れることもないと考え直し、図面を製作することとした。

(五) その後、大城は、羽根の部分を改良した攪拌器の図面を作成して松尾氏の承諾をもらい、平成三年一二月初め頃から製作に着手し、平成四年一月一〇日頃には攪拌器の機械を完成させた。

(六) しかしながら、この攪拌器は、なかなか思ったような攪拌性能が得られず、羽根の部分の改良や動力の出力を変えるなどの工夫を重ねていた。

(七) そのよう改良作業と併行しながら、大城は、全く別の方法による生ゴミ処理装置を作成するアイディアを思いつき、その図面などの作成をしていた。

(八) 公社から新技術企業研究開発補助事業の適用を受けるべく、大城とゴールデンイーグル社の松尾らが、平成四年二月二九日、公社を訪れ、公社職員と打ち合わせをした。その後、同年四月八日頃、本件攪拌器について、補助事業として予算が計上されると内示を受け、公社に提出する書類や図面などを準備していた。

(九) 大城は、自らの考案にかかる本件生ゴミ処理装置の開発作業も進めており、平成四年五月二日頃、概略図面を完成させ、同月一一日頃、ゴールデンイーグル社に持参し、本件生ゴミ処理装置の方が本件攪拌器よりも性能がよいことを松尾に説明したが、聞き入れてもらえなかった。そのため、右ゴミ処理装置については、大城が独自に特許申請することになり、大城は、同月一五日頃には、本件生ゴミ処理装置の詳細図面を完成させた。

(一〇) 松尾は、同年六月二日頃、大城考案の攪拌器では、公社の補助事業の審査会の承認を得ることはできない旨の通知を受け、右攪拌器について公社の補助金を受けることは断念した。そして、松尾は、大城に対し、公社の補助事業の対象をそれまでの攪拌器から大城の発明にかかる本件生ゴミ処理装置に変更して欲しいと依頼し、大城はこれを承諾した。

(一一) そこで、本件生ゴミ処理装置について、公社の補助事業の適用申込みをするために、公社提出用として、大城とゴールデンイーグル社との共同開発研究契約書を作成して、平成四年六月一一日、これを公社に提出した。

(一二) 大城と松尾は、平成四年七月二三日頃、本件生ゴミ処理装置の補助事業の申請書類を手直しするために公社に行ったが、その際、公社職員から本件生ゴミ処理装置の特許について、ゴールデンイーグル社と大城とで、特許の持分を折半としたらどうかと勧められ、大城は、既に本件ゴミ処理装置の特許申請は、大城のみが申請することになっていると考え反発したが、公社の仲介の結果、特許権の権利の配分について、大城が八で、ゴールデンイーグル社が二とすることで合意するに至った。

(一三) 公社の補助事業の認定については、平成四年七月二九日から審査会が開催されて審査を受け、最終的には、同年九月八日に補助事業と認定された。

(一四) 公社からゴールデンイーグル社の定款では、生ゴミ処理装置の製作販売が目的に入っていないので手続上不都合である旨の指摘を受け、原告を新たに設立することとした(登記は、平成四年九月七日であるが、それ以前から事実上の活動をしている。)。したがって、原告が、ゴールデンイーグル社から、本件生ゴミ処理装置の共同開発事業契約を引き継ぐことになり、平成四年八月一一日頃、原告と大城との間で、新たに共同開発契約書を作成した。

(一五) 被告は、平成四年九月頃から微生物の測定について関与することになったものの、被告は、消臭の機能を果たす微生物を提供することができなかった。

(一六) 特許申請については、大城が、国際特許事務所の大城弁理士に依頼することを決めた。原告代表者であった松尾は、特許申請については、全て被告に任せていた。被告は、大城弁理士を通じて、原告と大城の連名で、特許の申請をしたが、その際、被告は、原告の代表者を松尾ではなく、被告とした申請書や委任状を作成し、これを弁理士に送付した。

(一七) その後、被告は、大城に対して、原告から特許を受ける権利を譲り受けたと説明し、大城の同意書を入手の上、平成五年六月二五日頃、出願人名義変更届を弁理士を介して特許庁に提出した。

(一八) 平成八年三月二八日、本件生ゴミ処理装置は、特許権者及び発明者を、大城及び被告として、特許権として登録された。

(一九) その後、大城弁理士から、本件装置を生ゴミ処理装置だけでの特許申請では有効な活用ではなく、同一装置でもっと範囲を広げて特許申請しておいた方がよいのではないかとの助言があったので、単なる攪拌粉砕装置としても特許申請することとなった(二号特許)。この申請は、本件生ゴミ処理装置の延長であるので、大城と被告とを特許権者として申請した。

以上の事実を認めることができ、これに反する被告の供述は採用しない。

2  被告は、当公判廷において、生ゴミ投入装置は、自己の発案で、自分で仮図面も作った。乙第一二号証も自分が作成したものであると供述している。

しかしながら、前記認定の事実からすれば、本件生ゴミ処理装置については、大城が全てを発案したと考えるのが自然であり、しかも、公社における権利関係の割合についてのやりとりの中で、被告が発明したということは一切出てきていないこと(証人大城健栄の証言並びに原告代表者本人及び被告本人の尋問結果)、更に、被告は、平成四年一〇月下旬頃、原告の代表者が真実は松尾であるにも関わらず、自己を表示して申請したり(被告は、この当時、松尾が西表に帰ってしまっていたと弁解するが、原告代表者本人尋問の結果では、松尾が西表に帰ったのは、平成四年一一月一六日であることが認められ、当時は未だ本島にいた。)、本件特許を受ける権利を原告から譲り受けたとして出願人名義の変更申請をしているが、次に認定するようにこの点も極めて曖昧であるほか、自己の権利が譲り受けたものなのか共同発明であるのか自体も明確でないなど、被告の供述内容は、全体として極めて曖昧な点が多く(供述が曖昧な点については、本件生ゴミ処理装置の特許と二号特許とを混同しているからなどと弁解するが、前記認定の事実からすれば、本件生ゴミ処理装置の特許と二号特許とは実質的に異なることはないのであって、右弁解自体信用しがたい。)、更に主張段階においても、主張が変遷していたことも弁論の全趣旨として考慮せざるを得ず、これらの事情を総合すると、被告の供述内容をそのとおり採用することはできない。

したがって、本件生ゴミ処理装置は、被告と大城との共同発明であると認めるに足りず、かえって、大城一人の発明であったと認めるのが相当である。

三  次に、原告から被告に本件特許権の譲渡があったのかについて検討する(争点三)。

1  被告は、当公判廷において、平成五年一月一八日頃、山田義博が乙第一号証の文書を作成してきて、大城鉄工所にもってきて、大城の目の前で、原告の権利が全部被告に譲渡された趣旨の文書であり、大城も良かったなと被告に対して話しかけてきた旨の供述をする。

2  しかしながら、原告代表者本人、証人大城健栄及び証人山田義博の各供述によれば、平成六年一月頃、原告から被告に本件特許権を譲渡したこともないし、そのような話を聞いたこともないことが認められ(原告、証人大城、同山田の各供述と対比すると、被告の供述は信用することができない。)、また、特許庁に提出された被告作成の譲渡証書は、平成五年六月二五日付けとなっており、合意日時について齟齬していること(甲第一一号証)及び甲第一一号証の譲渡証書は被告が原告の印鑑を使用して原告の承諾を得ずに作成したものであること(この事実は当事者間に争いがない)からすれば、被告主張の事実を認めるに足りないというべきである。

3(一)  なお、乙第一号証の社判及び印影は、原告のものであることに当事者間に争いがなく、このことからすれば、原告が乙第一号証を作成したものとの推定が働くと一応はいえるので、この点について判断を加えておく。

乙第一号証の内容自体が、本件生ゴミ処理装置に関する特許権を譲渡するという内容ではなく、むしろ、原告が被告に対して、特許を受ける権利を有する者は、元々被告であったことを確認するというものであり、被告の右供述内容に必ずしも符合しないこと、更に、原告代表者本人、証人大城健栄、証人山田義博は、原告も山田も乙第一号証を作成したことはないし、乙第一号証を見たこともなかったと供述している。

(二)  更に、証人山田義博の証言及び原告代表者本人、被告本人の各尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 原告は経営状態が悪化し、平成四年一一月頃から従業員の給料も支払えない状態になり、会社の閉鎖を考えたが、公社の補助事業を継続していたことから、これだけを継続することとして、原告代表者である松尾は、西表に帰り、事後処理は、松尾及び原告の実質的なオーナーであった国場幸昇から山田が依頼された。

(2) 山田は、原告の印鑑などを預かり、那覇情報システム専門学校の理事長室で保管していたが、被告が、平成五年六月頃、山田の不在のおりに原告の印鑑が税務署の書類作成の関係で必要であるからといって借りていった。

(3) 山田は、税務署関係及び社会保険関係の手続は全て終わっていたので、おかしいと思い、被告に問い詰めると、「税務署関係に使った」「できなかったから使っていない」などと弁解した。

(三)  以上の事実からすれば、被告が原告の印鑑を使用して乙第一号証及び甲第一一号証の譲渡証書が作成された可能性が極めて強いというべきである(甲第一一号証の譲渡証書を被告が原告の印鑑を使用して作成したことは被告自身が認めるところである。)。

四  以上によれば、被告の抗弁はいずれも理由がないので、原告の請求を認めることとし、主文のとおり判決する。

(別紙)

目録

平成四年特許願第三一二六四三号

平成七年特許出願公告第〇六四六六三号

特許第二〇三八九六五号

発明の名称 生ゴミ処理装置

特許権者  沖縄県糸満市字照屋八〇四の一

大城健栄

沖縄県那覇市樋川一丁目一―四四

糸数青正

発明者   大城健栄

糸数青正

<省略>

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