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那覇地方裁判所 平成7年(ワ)818号 判決 2002年5月14日

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  被告は、原告Aに対し、金2627万0972円及び内金2356万5715円に対する平成4年11月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告Bに対し、金3227万0972円及び内金2956万5715円に対する平成4年11月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

1  争いのない事実等

(1)  原告Aと同Bは、昭和55年12月27日に婚姻し、3女をもうけた。

被告は、那覇市立病院を設置し、これを管理運営する者であり、訴外C産婦人科医師(以下「C医師」という。)及び訴外D小児科医師(以下「D医師」という。)は、同病院に勤務する者である。

(2)  原告B(昭和26年11月12日生)は、原告Aの子を妊娠し、平成4年3月5日ころから那覇市立病院に通院していた。原告Bの妊娠状態は、前置胎盤であったが、胎児も順調に成長し、出産予定日は同年12月15日であった。

同年11月7日、母体性器から出血が見られたので、C医師は、同日、帝王切開術を行い、出産は成功したが、胎児は仮死状態で出生した。生まれた子は後日「E」と命名された。

Eは、出産後自発呼吸がなかったので、D医師らは、気管内挿管による人工呼吸を試み、出産から20分後に自発呼吸を得た。その後、引き続き挿管による呼吸管理が行われたが、Eは、翌8日19時、呼吸不全に陥り死亡した。

また、C医師は、事前に原告Bの同意がなかったにもかかわらず、帝王切開の際、原告Bの子宮を全部摘出した。

2  原告らの主張

(1)ア  C医師は、帝王切開術を実施するに当たり、胎児側の胎盤を切ることのないよう注意する義務があるのにこれを怠り、胎児側の胎盤を切って出血させ、Eを出血性ショックによる仮死状態に陥らせた。

イ  D医師は、Eの呼吸管理を行うに際して、気管内に変性壊死組織が詰まることのないよう注意すべき義務があるのにこれを怠り、本来なら挿管には内径3mmないし3.5mmのチューブを使用すべきところを内径2mmのチューブを使用し、吸引も十分に行わなかったため、Eに変性壊死組織による気管狭窄を生じさせ、呼吸不全に陥らせた。

ウ 仮にEの死因が呼吸窮迫症候群(Respiratory distress syndrome、RDS)であるとしても、D医師は、サーファクタントの追加投与を行うなどして十分に治療すべき義務があるのにこれを怠り、その治療として投与したサーファクタントの量(1瓶)が不十分であり、更に自ら回診するのを怠ってサーファクタントの追加投与の時期を失したため、Eを呼吸窮迫症候群によって死亡させた。

エ  C医師は、原告Bの子宮を摘出するに当たって、原告Bの同意を得るべきであるのにこれを怠った。

C医師及びD医師の上記行為は、原告ら及びEに対する不法行為を構成し、被告は、C医師及びD医師の使用者として、不法行為責任を負う。

(2)  被告の不法行為により、原告らは、次のとおりの損害を被った。

ア E死亡による逸失利益  1913万1430円

就労可能年数49年、ライプニッツ係数7.549、平成2年度賃金センサス男子労働者学歴計収入506万8600円、生活費控除率50%で計算すると、506万8600円×7.549×0.5≒1913万1430円(少数点以下切り捨て)となる。

イ E本人の慰謝料  1800万円

ウ 原告ら固有の慰謝料  各自500万円

原告らにとって待望の男児を失った悲しみは計り知れず、これを慰謝する金額は、各自500万円が相当である。

エ 原告Bの慰謝料  600万円

原告Bは、子宮摘出により生殖機能を失った後遺症を有する。これを慰謝する金額は、600万円が相当である。

オ 弁護士費用  541万0514円

原告らは、本件訴訟を提起するために代理人らに対し、着手金164万円、成功報酬として損害額の8%に当たる377万0514円(小数点以下切り捨て)の支払を約した。

原告らは、上記アイのEの損害を各2分の1ずつ相続したから、原告Aの損害は、これに上記ウ及びオの2分の1を加えた合計2627万0972円、原告Bの損害は、これに上記ウ、エ及びオの2分の1を加えた合計3227万0972円となる。

(3)  よって、原告らは、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、原告Aが2627万0972円及び原告Bが3227万0972円並びに弁護士費用を除く損害額に対する不法行為の日である平成4年11月8日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

3  被告の主張

(1)  原告Bの妊娠状態は前置胎盤であり、前置胎盤の娩出法として胎盤を切って胎児を出すことは医学上認められている。C医師は、胎盤を約2cm切ったが、その際の胎児の出血は少量であり、Eの予後に重大な影響を与えたとは考えられない。

したがって、C医師は、医学上認められた方法に従い帝王切開術を実施したものであり、その手技・手法について過失はなく、Eが仮死状態で出生したこととの因果関係もない。

(2)  D医師は、Eの容態を観察しながら適切な呼吸管理を行っており、過失はないし、Eの死亡との因果関係もない。

(3)  D医師は、サーファクタントを2瓶投与しており、投与量に問題はなく、また、Eの呼吸管理は良好であったから、追加投与の必要性もなく、呼吸窮迫症候群の治療を適切に行ったものであり、過失はない。

(4)  帝王切開手術中、原告Bには出血多量による生命の危険が差し迫っていたところ、本人は全身麻酔で意識はなく、夫である原告Aは帰宅していた。また、原告Bは、本件が4回目の帝王切開であり、手術前にC医師に対し、永久避妊手術を依頼していた。したがって、本件子宮摘出術の実施に際しては、患者の生命の危険が差し迫っていて承諾を求める時間的余裕がないという特段の事情が存在した上、原告Bには子宮摘出術について推定的承諾があったと考えられるのであるから、原告Bの明確な同意がなく行われた子宮摘出術であっても、違法性が阻却され、不法行為は成立しない。

第3当裁判所の判断

1  本件の経緯

甲第1ないし第5号証、乙第1ないし第3号証、第8ないし第10号証(各枝番号の書証を含む。)、証人F、同G、同C、同D、同Hの各証言、原告A本人尋問の結果、鑑定の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1)  原告Bは、昭和55年12月27日に婚姻し、昭和56年10月に帝王切開で長女を出産、昭和57年6月に人工流産、昭和58年11月に帝王切開で次女を出産、昭和60年12月、昭和61年8月、昭和62年9月、昭和64年1月、平成元年8月にいずれも自然流産、平成3年5月に前置胎盤(胎盤の付着部位が子宮下部のため、胎盤が内子宮口の一部又は全部を覆う状態)により帝王切開で三女を出産、同年11月に再び自然流産している。

また、原告Bは、昭和56年に血小板減少性紫斑病で1年間の治療歴がある。

(2)  原告B(昭和26年11月12日生、当時40歳)は、原告Aの子を妊娠し、平成4年3月5日ころから那覇市立病院に通院していた。出産予定日は同年12月15日であった。

原告Bは、同年10月5日の時点で妊娠29週にあり、前置胎盤の中でも胎盤が前壁から後壁にまたがり内子宮口を完全に覆う全前置胎盤であることが確認された。

同年11月2日の原告Bの外来受診の結果は、血液検査で赤血球数361万/mm3、血色素量(Hb)10.2g/dlであり、体重54kgであった。

(3)  同月7日7時ころ、原告Bは、自宅で性器出血があり、同日7時30分、妊娠34週と4日で那覇市立病院に入院した。入院直後の超音波検査では、後壁主体であるがかなり前壁の高いところまで広がった全前置胎盤が確認された。同日8時10分から1000mlの輸液が開始されたが、8時40分、血圧は74/48mmHgまで低下し、顔色、口唇色不良、四肢末端の冷感が認められた。C医師は、前置胎盤からの出血によるプレショック状態であると診断するとともに、緊急帝王切開術の適応があると診断した。その際、原告らから永久避妊手術の依頼を受け、卵管結紮術も同時に行うことにした。

同日の血液検査では、赤血球数287万/mm3、血色素量8.2g/dlであった。同日10時10分までに2時間で2700mlの輸液が行われており、同日10時15分、麻酔医によって、ASA-Risk2(1が正常、5が瀕死)と診断され、10時21分、全身麻酔が開始された。モニター上、胎児の心拍数は正常であった。

(4)  同日10時38分から、C医師により、全身麻酔による帝王切開術が行われた。C医師は、前置胎盤付着部位を避け、子宮体部縦切開により胎児を娩出したが、子宮壁と前腹壁との癒着があり、それを3回に分けて切離し、子宮の縦切開も一度で胎児を娩出できずに追加して切開を加えた。この際、切開創が広がり、C医師は胎児側胎盤を約2cm切開した。

同日10時40分から、原告Bに対し最初の輸血(B1)が行われ、10時42分に胎児が娩出された。原告Bは、胎児娩出前に最大120mmHg、最小60mmHgの血圧が保たれていたが、胎児娩出後、子宮頸部(胎盤剥離面)から湧いてくるような出血があり、頻脈が続き、10時45分には血圧は最大80mmHg、最小40mmHg、11時には最大60mmHg、最小30mmHgまで低下した。そこで、C医師は、止血のためにガーゼ圧迫及びZ縫合をし、更に胎盤付着部にピトレッシン(子宮収縮薬)1アンプルを100mlに溶解した溶液20mlを注入し、出血が減少したと判断して、いったん子宮壁を閉じ始めた。しかし、再出血が始まり、輸血及び凍結血しょう(FFP)の投与が繰り返し行われたが、血圧が上下して一定せず、輸血が間に合わない状況であった。出血量は、胎児の娩出までは1200gであったものが、11時前には1600g、11時すぎには2090g、11時15分ころには2250gと増加し、11時30分すぎころには3370gに達した。C医師は、子宮頸部(胎盤剥離面)からの出血が多いため、11時30分ころ、子宮全摘出術を行った。その後、原告Bの血圧は、11時40分ころから、最高が100mmHg強、最低が60mmHg前後で安定している。

術中の原告Bの全出血量は、3670mlであり、輸血量は、濃厚赤血球9単位、凍結血しょう10単位であった。羊水混濁は(-)であり、子宮内感染等は認められなかった。同日12時45分、手術は終了した。

(5)  同日10時42分、Eは母体から娩出されたが、ただちに啼泣することなく、アプガースコアは、1分後、3分後、5分後及び10分後、いずれも2点(重症仮死、7点以上が正常)という重度な仮死分娩であった。

Eは、体重2580gで、赤血球数(RBC)3.28×106、ヘモグロビン濃度(血色素濃度Hb)12.3g/dl、ヘマトクリット値(Ht)36.1%であった。

医師らは、吸引、刺激、アンビューバッグによる人工呼吸等を行ったが、Eの自発呼吸がないため、さらに、D医師が気管内挿管による人工呼吸を試みた。挿管チューブは、内径3mm及び2.5mmのものが挿管できず、内径2mmのものを使用した。弱い自発呼吸が出現したのは、娩出から20分後であった。

(6) 同日11時ころ、Eは、手術室から小児科病棟に搬送用クベース(保育器)で搬送され、インファント・ウォーマー(処置台)にて処置された。PEEP(Positine endo-expir原告Atony pressure、終末呼気陽圧)による陽圧人工呼吸を主体とする呼吸管理が行われ(圧最高20cm水柱、最低4cm水柱の陽圧呼吸PEEP、呼吸回数40ないし60/分)、静脈切開(cut down)による点滴のための静脈路の確保と10%糖液の輸液、止血のためのビタミンKの投与、エコリシン(淋毒防止薬)の点眼、感染予防の抗生物質(シオマリン)投与、吸入O2濃度100%などの処置が行われた。

同日12時、Eの胸部レントゲン写真を撮影したところ、両肺野にすりガラス状の影が認められた。TcPO2(経皮による血中酸素分圧)は40ないし50mmHg、TcPCO2(経皮による血中炭酸ガス分圧)は30mmHgであった。そのため、D医師は、呼吸窮迫症候群(2度)と判断し、肺サーファクタント(表面張力活性物質)の投与を行い、その後は、Eの状態は、吸入O2濃度60ないし80%でTcPO260ないし90mmHgと改善し、TcPCO2も30mmHg前後と著明に改善した。同日12時30分には全身の皮膚色が良くなり、四肢の冷感が消失したため、インファント・ウォーマーからインキュベーター(保育器)へ収容した。

同日15時、気管から白色痰が少量吸引され、同日17時、2回目の胸部レントゲン写真が撮影された。その時点で、挿管チューブが入りすぎていたので、1cm程度抜いた。その後は、吸入O2濃度60%でTcPO260ないし100mmHg、TcPCO2は25mmHg前後であった。脈拍数は140/分以上、呼吸数は60/分以上の状態が続いていた。

翌8日4時ころ、気管から白色痰が少量吸引されたが、7時ころの時点では吸引物がほとんどなかった。7時30分、D医師が診察したところ、Eの全身状態は良好で動きは活発、吸入O2濃度60%台でTcPO260mmHg以上、TcPCO2は29mmHgであり、聴診による肺野への空気の入りは良好であった。

その後、D医師は私用で外出し回診はなかった。Eについては、9時に両肺狭窄音があり、11時に陥没呼吸がみられ、13時には声漏れもあったが、同日10時、14時に気管からの吸引物はなかった。ただし、脈拍数140/分以上、呼吸数60/分以上の状態は依然として続いていた。

(7)  同日15時ころから、鼻翼呼吸、チアノーゼ(+)となり、16時には陥没呼吸が生じ、呼吸状態の悪化傾向がみられた。同日16時すぎころ、面会に来た原告Aが、Eにチアノーゼが出ているのを発見し、看護婦に医師を呼ぶよう指示をしたため、同日16時30分ころ、当直医が呼ばれたが、Eの状態が更に悪化し、全身蒼白、四肢チアノーゼ(++)、人工呼吸器をはずしてアンビューバッグで強く加圧しても肺に空気の入りが悪かった。16時45分ころ登院したI医師が、挿管チューブを内径2.5mmのものに入れ替えたが、チューブの閉塞はなく、胸部レントゲン写真によっても気胸や肺気腫の所見はなかった。呼吸窮迫症候群は3度に悪化していた。17時40分ころ、D医師が登院し、ボスミン、メイロン投与、心マッサージ等の心肺蘇生処置が行われたが、同日19時、Eは死亡した。

(8)  同日21時05分、G医師による剖検が行われた。

その結果、Eの肺には高度の肺硝子膜症、肺胞拡張不全、肺出血等があり、これらの病変に加えて、気管の分岐部真上から右気管支にかけて、長さ1cm、直径0.5cm×0.5cm大のやや不規則な形の淡黄褐色からやや緑色調の軟らかい固形物が存在した。この固形物は、変性の強い組織や壊死組織、粘液等から形成され、変性に陥った軟骨様の小片も混在していた。

G医師は、この変性壊死組織が、気管壁由来のものであり、その成因として、レスピレーター装置(人工呼吸器)及び吸引操作等により、ビラン、潰瘍等が形成され、その底部から気管内に脱落したものが壊死を起こし、粘調な痰に混入したものと推測している。

2  胎盤切開について

(1)  前記認定のとおり、原告Bは、胎盤が前壁から後壁にまたがり内子宮口を完全に覆っている全前置胎盤であるところ、前置胎盤では、子宮峡部の内膜は発育が不良で脱落膜化が不十分であり、胎盤は菲薄で結合が弱く剥離しやすいため、分娩が近づき子宮口開大が起こると胎盤と子宮壁の間にずれが生じ、部分的に剥離して多量の出血をきたすことがあり、帝王切開術が最も安全な分娩方法であって、絶対的適応と認められている(乙7の1)。

原告らは、36週目まで手術を待つべきだったと主張するかのようであるが、上記のように全前置胎盤で出血があった原告Bの状態からすると、今後の多量の出血を予想して帝王切開術にふみ切ったC医師の判断を誤りであると認めることはできず、原告らも手術には同意していたのであるから(乙1)、この点に被告の過失を認めることはできない。

(2)  全前置胎盤の場合、通常、子宮下節横切開(乙4の1)をする部位に胎盤があるが、子宮後壁から前壁にかけての前置胎盤である場合には、子宮壁切開創を通常よりやや上部へ加えることにより胎盤本体を傷つけることなく胎児を娩出させることも技術的には可能である。ただし、前壁主体の前置胎盤の場合には、このような方法をとると、胎盤剥離面積が広くなり、全剥離の状態で胎児を娩出させる事態に陥ることも予想されるので、むしろ胎盤を切る方法を採用するべきであるとの医学文献も存在する(乙5)。このように、帝王切開術に当たって胎盤を切ることはおよそ禁忌というわけではなく、それを行う必要性があれば、子宮後壁から前壁にかけての前置胎盤であっても、諸条件を考慮して胎盤を切開して入ることも許されるし、医学的に認められた方法であるとされる(鑑定の結果、H証人)。

原告Bは、子宮後壁から前壁にかけての全前置胎盤であったから、前記医学文献上、子宮壁切開を通常よりやや上部で行うことにより胎盤本体を傷つけることなく胎児娩出をさせることも可能とされる類型ではあるが、C医師は、術前の超音波検査で確認した胎盤の位置からすると、通常より上方で子宮頸部に横切開を加えて胎盤を傷付けることなく胎児を娩出することが困難な症例であると判断し、前置胎盤付着部位を避けて、子宮体部縦切開により胎児を娩出した。この手術方法は、適当な術野を短時間で得るための適切な選択と認められる(鑑定の結果)。C医師は、その際、予想に反して胎児側胎盤を約2cm切開したが、これは胎児の娩出に必要なスペースを確保するための措置であり、後記のとおり、その際胎盤の切開部分から多量の出血があったとは認められず、また、子宮の縦切開を一度試みただけでは胎児を娩出できずに追加して切開を加えるなどの手術状況にあったことをも考慮すると、胎盤の一部を切開したこと自体は、迅速に胎児を娩出させるためにやむを得ない行為であったといえる(H証人)。

(3)  原告らは、C医師が胎盤を切開したため、胎盤からの出血が原因でEが仮死状態で出生したと主張する。

通常の新生児の出生時血色素量は、14.5ないし22.0g/dlと幅があり、経膣分娩であれば胎児娩出後胎児側に血液が流れるのを待って臍帯結紮をするが、帝王切開では胎児側の血液が胎盤内に残留しているうちに臍帯結紮をすることが多いため、一般的に帝王切開で生まれた児の方が14ないし16g/dl程度に血色素量が低くなる。この点につき、Eの出生時の血色素量は、12.3g/dlであり、貧血傾向ではあるものの軽中等度にとどまっている。上記の程度の貧血は、前置胎盤のない帝王切開術においても早期臍帯結紮によって生じ得るもので、その血色素量は、生命維持が問題となるほど低くはないといえる。胎児娩出時に胎盤上の大血管の損傷による出血があり、胎児側の出血などが重なったりすれば、児により強い貧血(血色素量が8g/dl以下)が生じて胎児仮死又は新生児仮死を招くことがあるが、Eの上記血色素量からは、それほどの出血があったと推認することができず、胎盤からの出血が仮死状態で出生した原因と認めることはできない(鑑定の結果、H証人)。

また、原告らは、出産時刻が10時42分ではなく10時55分だったのではないかと推測し、この間に胎盤からの出血が続いたと主張するが、診療録上の出産時刻の記載は、42分で一致している。仮に、出産時刻に多少の相違があるとしても、上記のとおり、胎盤からの出血自体がそれほど認められないのであるから、仮死状態の原因を検討する上での問題とはならない。

さらに、手術前のモニターでは、胎児の心拍は正常であったが、Eが仮死状態で出生したときも、心拍はほぼ正常だったのであり、しかも、モニター上で正常であるからといって常に胎児が健康であるとは限らない(H証人)から、モニター上の数値により帝王切開時の手術上の瑕疵が推認できるものでもない。

以上のとおり、C医師が胎児側の胎盤を切ったことは、Eが仮死状態で出生した原因であるとは認められず、この点について被告に結果と因果関係のある過失は認められない。

(4) なお、Eが仮死状態で出生したことの医学上の正確な原因は判然としない(鑑定の結果)が、この点につき一応の検討をするに、原告Bは、入院時(11月7日)には同月2日に比べて約2g/dlの血色素量が低下しているところ、体重54kgの原告Bの推定循環血液量(体重の1/13)は約4000mlと考えられ、血色素量が10.2g/dlから8.2g/dlへと低下(循環血液量の約1/5)しているとすると、約800mlの失血(出血)があったものと推定できる。また、手術開始直後の10時40分から輸血が行われ、胎児娩出までの間の出血量は、1200ないし1600mlくらいと推測される(乙1の7頁「Out Blood」欄、鑑定の結果)。

このような事情及び前記認定の事実によれば、原告Bが、多数回にわたる出産及び流産歴を有して高齢(当時40歳)であること、同原告が自宅において全前置胎盤から出血し、プレショック状態で入院したためにEの予備能の低下が考えられること、Eが妊娠34週の早産児であることなどが複合的に影響して(乙6)、Eが仮死状態で出生したのではないかとも推測されるところである。

原告らは、原告Bが普段から低血圧であり、プレショック状態ではなかったと主張するが、前記認定のような顔色や血圧及び血色素量の急な低下並びに出血状況からみれば、原告Bからかなりの出血があったと考えられ、プレショック状態との判断が誤りであるとは認められない(H証人)。原告らは、入院時の血色素量の測定方法が正確性を欠くと主張するところ、仮に原告ら主張の測定方法であったとしても、それが検査数値にどのように影響したかは明らかでなく、血色素量の低下が全くなかったと認めるに足りる証拠もない。ASA-Risk2という麻酔医の診断は、急速な輸液の後であり、入院時よりは血圧が多少改善して、気分不良も軽減し、顔色、口唇色もやや良好になった時点(乙1看護記録)での診断であるから、プレショック状態を否定する根拠となし得ない。

3  Eの死亡原因について

Eの剖検記録中の所見(乙3)によれば、Eには、変性壊死組織による気道狭窄の存在が認められ、気道狭窄がEの死亡の一原因であると認められる。

ただし、気道狭窄が生じると、生じた部位以下の気道から肺胞に至るチェックバルブ機構による肺気腫を生ずることにより呼吸不全を発生させたり増悪させたりするのが通常であるにもかかわらず、11月8日16時45分ころに撮影されたEの胸部X線像(甲10の3)には、気胸や肺気腫又は無気肺がある所見はなく、剖検記録(乙3)でも同様である。また、剖検にも、気道狭窄の所見はあるが、窒息の所見はない。したがって、気道狭窄のみがEの死因であると断定することはできない。

Eは、前記認定のとおり、重症仮死で出生し、挿管による陽圧人工呼吸、酸素投与等の蘇生術の努力があって、生後20分後にようやく自発呼吸が出現したが、自ら呼吸して生命の維持は不可能な状況であり、更にPEEPによる陽圧人工呼吸や酸素投与などにより生命が維持された。このような出生の状況、胸部X線単純像では肺がすりガラス状であったこと、同月7日10時から翌8日16時までの経時的な体温、脈拍数、呼吸数等をみると、140/分以上の頻脈及び60/分以上の呼吸促迫状態が継続しており、挿管によるPEEP(陽圧呼吸)、肺サーファクタントの使用、経皮酸素分圧測定などによっても、この点は改善の徴候がみられていないこと、剖検肺所見(肺硝子膜症、肺胞拡張不全)などから、Eは、重度の呼吸窮迫症候群(RDS)であり(鑑定の結果)、このことがEの死亡原因に極めて大きな影響を有しているというべきである。剖検記録(乙3)にも、臨床診断の一つとして呼吸困難症候群が挙げられ、「高度の肺硝子膜症、肺胞拡張不全、肺出血等の病変に加え、この気管内剥脱変性壊死組織による気道狭窄が死因となり、最終的にはEは、呼吸不全で死亡したものと考えられる。」と記載され、G証人も、直接的には気道狭窄で死亡したと思うが、基本には呼吸窮迫症候群があった旨の証言をしている。

したがって、Eは、変性壊死組織による気道狭窄のみが死亡の原因でなく、呼吸窮迫症候群もまた死亡の原因であると考えられる。

4  呼吸管理について

(1)  原告は、D医師が内径2mmの挿管チューブを使用した点に過失があると主張する。

確かに、体重2500g以上の児であるEに対しては、挿管チューブの内径が3mmから3.5mmのものを使用するのが一応の目安とされる。しかし、チューブは喉頭を損傷しないようやさしく挿入することが大切であり、決して強い力で無理やり挿入すべきではなく、チューブが声帯を通過しても、その先(輪状軟骨部)でひっかかることがあり、そのときには、それ以上チューブを押し進めずに、一つ下のサイズのチューブに変えてみることが推奨されている(乙6)。

D医師は、当初、内径3mm及び2.5mmのチューブの挿入を試みながら、ひっかかりを感じて挿入できなかったために内径2mmのチューブを使用したのであり(乙9、D証人)、その手順自体に問題は認められない。

また、内径2mmのチューブであっても呼吸管理上は特に問題はないとされる(鑑定の結果)。現に、11月7日11時ころ、内径2mmのチューブによる気管内挿管をして初めて自発呼吸が発生し、その後、翌8日午前中までの間にチューブの入替えはないにもかかわらず、PEEPによる呼吸管理のモニターにおいて、TcPO2、TcPCO2の改善が認められ、O2(酸素)濃度100%から60%へと低下し、聴診による肺野への空気の入りは良好となり、状態も一時期は安定していたのであるから、Eの呼吸管理は内径2mmのチューブでも順調に行われていたとみるべきである。

(2)  前記認定のとおり、変性壊死組織による気道狭窄の存在は、Eの死亡の一原因となっていると考えられる。

しかし、Eの呼吸状態が悪化した15時ないし16時30分ころに、気道狭窄や窒息を思わせるような気管内の変性壊死物質の存在は確認できていないし、同月8日16時45分ころに撮影されたEの胸部X線像に、気道狭窄を思わせる気胸や肺気腫がある所見がないことからも、被告がEの気道狭窄を確認することは困難であったと考えられる。また、Eが出生当初から呼吸促迫、呼吸障害を有していた以上、陥没呼吸や喘鳴が稀有な病変ということはできず、しかも、正常の新生児でも声漏れ、狭窄音等は生じるから、看護記録(乙1)に見られる両肺狭窄音、陥没呼吸、声漏れ、喘鳴といった症状が、気道狭窄特有の所見であるということもできない(鑑定の結果、H証人)。確かに、気道狭窄による部分的な肺気腫が胸部X線像にて確認できれば、咽頭鏡下に気管支鏡を用いての変性壊死組織の除去が可能なこともあるが、Eの場合は、上記のとおり、臨床的に気道狭窄を診断できる根拠に乏しかったのであるから、このような方法による変性壊死組織の除去を行うことは困難であり、これを行わなかったことをもって被告の過失ということはできない。

(3)  原告らは、この変性壊死組織は痰にすぎず、気管内に3mmのチューブを挿管して吸引を行っていれば痰が詰まることはなかったと主張する。

前記認定のとおり、気管狭窄を生じさせた固形物は、レスピレーター装置(人工呼吸器)及び吸引操作等により、ビラン、潰瘍等が形成され、その底部から気管内に脱落したものが壊死を起こし、粘調な痰に混ざったものと考えられ、明らかに単なる喀痰とは異なる(H証人)。したがって、この固形物は、数時間程度を経過して生成されたものと推測される(G証人)が、その生成過程において、実際に被告の看護婦が頻回の吸引を行っても痰が引けなかったのであるから、より大径のチューブを用いて更に吸引をすればその生成を排除できたと推認するに足る根拠はない。

また、剖検所見(乙3)においても、変性壊死組織は銀線維が未だよく保存されていて、固形物として脱落したものと考えられ、その大きさ及び粘調度に照らして吸引操作による排除は極めて困難であったと考えられるとされており、このことは、内径3mmのチューブであろうと2mmのチューブであろうと同様と認められる(G証人)から、原告らの主張を採用することはできない。

(4)  以上のとおり、被告がEの変性壊死組織による気道狭窄を確認することは非常に困難であり、しかも、仮に内径3mmのチューブを使用したとしても、変性壊死組織を吸引により除去することが可能であったと認めるに足る根拠はないから、結局、被告にEの死亡と因果関係のある過失を認めることはできない。

5  呼吸窮迫症候群の治療について

原告らは、呼吸窮迫症候群の治療のために、D医師が頻回に回診し、サーファクタントの追加投与をしていれば、Eが死亡することはなかったと主張する。

前記認定のとおり、11月7日にサーファクタントを投与してから、Eの呼吸状態は安定し、翌8日7時30分に、D医師が診察したところ、Eの状態は良好であった。そのため、D医師は、サーファクタントの追加投与といった呼吸窮迫症候群に対する治療を行わないまま、私用で外出し、看護婦による経過観察及び吸引等が行われていた。同日16時すぎころ、面会に来た原告Aが、Eにチアノーゼが出ているのを発見し、看護婦に医師を呼ぶよう指示をしたため、16時30分ころ、当直医及び担当医らが呼ばれたが、Eの状態はかなり悪化しており、結果的に死亡するに至った。

D医師の診察後、再び当直医が呼ばれるまでの看護記録(乙1)を見ると、9時に「両肺狭窄音+」、11時に「陥没呼吸軽く+」、13時に「声漏れ+」という記載がある。Eは、出生当初から呼吸促迫、呼吸障害を有しており、陥没呼吸や喘鳴は稀有な病変ではなく、正常の新生児でも声漏れ、狭窄音等が生じるため、いつ頃からEの呼吸状態が悪化していたかを正確に判断することはできない。しかし、遅くとも同日15時ころからは、陥没呼吸、鼻翼呼吸、チアノーゼ(+)となり、呼吸状態の悪化傾向がみられた(鑑定の結果)のであるから、看護婦から当直医への連絡が16時30分ころに行われたのでは、迅速かつ適切な対応を欠いていたのではないかと考えられる。本訴において鑑定を行った医師であるH証人も、自分であればEのような重症の患者に対しては、2時間おきくらいに自分自身で診察し、また、サーファクタントの追加投与もしてみると証言している。

ただ、Eの場合は、自発呼吸が弱く、生まれつきの肺拡張不全及び肺硝子膜症があったことから、もともと肺の機能が著しく未熟であったといえるため、既に行われたサーファクタントの投与量如何にかかわらず、サーファクタントの追加投与をすれば呼吸逼迫症候群が改善されたであろうと推認することができない(H証人)。また、変性壊死組織の存在は死亡してから初めて確認されたものであり、その徴候が生前認められなかった以上、生存中の除去は困難であったと考えられるし、看護婦による吸引も定時的に行われていたことから、D医師が頻回の回診を行っていれば、Eの気道狭窄が避けられたというものでもない。したがって、被告における呼吸窮迫症候群の治療対応に疑問を呈する余地はあるものの、Eの死亡と因果関係を有する被告の過失を認めることはできない。

6  子宮全摘出について

(1)  一般に、前置胎盤で帝王切開した場合、胎児及び胎盤娩出後、子宮下部の胎盤剥離面の収縮が悪く、出血多量となり、母体が生命の危険に陥ることがある。止血のためには、一般に輸血、新鮮凍結血しょうの輸注などの治療、局所的に子宮収縮剤の注入、ガーゼ圧迫、Z縫合、さらに内腸骨動脈の結紮(子宮を温存する方法)などが行われる。しかし、これらの治療を行っても止血できない場合は、子宮全摘出術もやむを得ないとされている(乙5、7の1、12、鑑定の結果)。

原告Bは、前記認定のとおり、胎児娩出後の前置胎盤剥離面(子宮頸部)から出血しており、全身的な止血法として輸血や新鮮凍結血しょうなどが大量に投与され、子宮下部から胎盤剥離面の出血に対し、局所的にピトレッシンを注入し、ガーゼ圧迫、Z縫合を施行したが、止血困難であった様子が認められ(C証人)、出血量が3670mlと大量であり、短時間のうちに出血量が大きく増加し、輸血が追いつかないほどの状況であった(F証人)。特に同原告は、経産婦として過去3回帝王切開を経験し、前回も前置胎盤での子宮体部縦切開を受けており、このような妊婦については、大量出血の危険性が高いといわれている(乙12、H証人)上、実際に、原告Bの子宮体部は膨隆し、子宮壁が瘢痕のため弱くなっていた(C証人)。また、筋肉組織がある子宮体部に対しては、子宮収縮剤を使用すれば筋肉が収縮し、血管が圧迫されて止血するが、原告Bのように前置胎盤等で胎盤が付着している子宮頸部は、筋肉組織が少ないために子宮収縮剤が有効に働かない場合が多い(H証人)。

これらの事情にかんがみれば、C医師が母胎に生命の危険があると判断したことに誤りはなく、同医師が、子宮を温存するための内腸骨動脈結紮を実施しておらず、アトニンやメテルギンなどの子宮収縮剤を投与せず、ピトレッシンの追加投与もしていないという事情を考慮しても、最終的な止血方法として子宮全摘出術を実施したことは、やむを得ない措置と認められる。。

(2)  原告らは、C医師が、原告Bの子宮を摘出するに当たって、同原告の同意を得ることを怠ったと主張する。

確かに、原告らは事前に永久避妊手術を望んでいたものの、卵管結紮術に同意していたのであって、子宮全摘出術に同意していたわけではない。しかし、前述のように母体に生命の危険が切迫しており、患者自身の同意を得る時間的余裕がない場合には、患者やその親族の同意がなくとも、緊急に子宮全摘出術を行うことはやむを得ないものと考えられ、同意なく行われたC医師の行為であっても違法性を欠き、不法行為を構成しないものといわなければならない。

また、原告らは、原告Bがもともと低血圧気味であったとして、血圧が最大80mmHg程度では、生命の危険はなかったと主張する。しかし、前示のとおり、同原告の血圧は、胎児娩出後の11時には最大60mmHgまで下降しており、その出血量及び出血の様子、輸血を繰り返してもすぐに低下してくる血圧と頻脈の状態から、通常の止血方法では出血をコントロールすることが困難な状態にあったと認められる(F証人)から、原告らの主張は、その前提事実を誤認するものであって理由がない。

7  以上のとおり、被告に不法行為を構成する過失を認めるに足りる証拠はない。

よって、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 清水節 裁判官 高松宏之 裁判官 瀬戸さやか)

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