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那覇地方裁判所 平成9年(ワ)577号 判決 2000年10月17日

原告兼亡赤嶺盛吉訴訟承継人

赤嶺盛一

原告

赤嶺光枝

外三名

右五名訴訟代理人弁護士

三宅俊司

被告

医療法人友愛会

右代表者理事長

比嘉國郎

右訴訟代理人弁護士

与世田兼稔

阿波連光

主文

一  被告は、原告兼亡赤嶺盛吉訴訟承継人赤嶺盛一に対して一九八万円、その余の原告らに対して各三三万円及びこれらに対する各平成七年一一月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告兼亡赤嶺盛吉訴訟承継人赤嶺盛一及びその余の原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告兼亡赤嶺盛吉訴訟承継人赤嶺盛一及びその余の原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告兼亡赤嶺盛吉訴訟承継人赤嶺盛一(以下「原告盛一」といい、原告盛一とその余の原告らと併せて「原告ら」という。)に対し、二四三九万七〇五四円、原告赤嶺光枝、同赤峰盛繁、同當間順子及び同工藤恵子に対し、各四〇七万四五〇九円並びにこれらに対する各平成七年一一月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、亡赤嶺文(以下「文」という。)の子である原告らが、文が、被告が肩書地において開設する豊見城中央病院(以下「被告病院」という。)に入院中死亡した件について、被告病院の医師に、腎盂腎炎に罹患し、イレウス、敗血症性ショック及び敗血症性ARDSの症状を呈していた文に対し適切な治療を施さない過失があったなどと主張して、被告に対し、不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償金合計四〇六九万五〇九〇円及びこれに対する右不法行為の日である平成七年一一月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実等<省略>

二  争点

1  責任の有無

甲野医師の治療に以下の点に関して過失及び因果関係が認められるか。

(一) 腎盂腎炎及び敗血症性ショックに対する治療

(二) イレウス(腸管の通過障害)に対する治療

(三) 敗血症性ARDS(急性呼吸窮迫症候群)に対する治療

(四) 転院の措置をとらなかったこと、また、原告らに文の症状及び治療方針に関する説明をし、原告らに転院を含めた適切な治療を受ける機会を与えなかったこと

(五) 麻酔をせずに気管挿管をしたこと

2  損害額

三  当事者の主張<省略>

第三  当裁判所の判断

一  文が死亡するに至る経緯

前記の争いのない事実等に証拠(甲一、二、三の一ないし一一、四の一ないし一〇、五ないし三二、乙一の一ないし二四、二の一ないし三、三の一及び二、四、五、七、証人甲野太郎、同丁野二郎、同庚野三郎、同勝屋弘忠、鑑定の結果、検証の結果)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の各事実が認められる。

なお、以下で日時を表記する際に年を示さない場合は、平成七年を指すものとする。

1  文の既往症等

文は、昭和二年六月五日に生まれ、一一月当時は六八歳であり、体重は四二キログラムであった。文は、平成三、四年ころ、リウマチに罹患し、一か月間その治療を受けた後、平成六年から再びリウマチの治療を受けるようになったが、右治療に当たってステロイド剤は使用されなかった。

2  一一月二七日の経過

文は、以前から腰痛を患っていたが、腰痛が強くなり歩けなくなったことから、救急車を呼び、午後一時六分ころ、被告病院に搬送され、外来にて医師の診察並びに血液検査、尿検査及び腹部CT検査を受けた。右血液検査の結果は、白血球数が一万一八〇〇、CRPが15.0、血沈が93.0であり、尿検査の結果は、白血球が五〇ないし九九/各視野、蛋白は一+、潜血が二+、硝子円柱が一+、顆粒円柱が一+、赤血球円柱が一+というものであった。文の主訴は、腰痛と腹痛であったほか、腹満があり、一週間前ころからほとんど便通がなく、三、四日前に嘔吐したとの訴えであった。

文の担当医となった甲野医師は、前記診察の結果をふまえて、文を腰痛症と診断し、安静を目的として入院させることとし、浣腸を一二〇ミリリットル実施し、絶食(水分摂取可)並びにソルデム(輸液)三A(アンプル)を一時間に八〇ミリリットルの速度で五〇〇ミリリットルを四回、ガスター(抗潰瘍剤)一A及び発熱時のジクロニック座薬(解熱剤)二五mgの投与と入院を指示し、文は午後二時一五分被告病院に入院した。

文の体温は、午後一時八分には三五度であったが、午後四時三〇分には三八度、午後五時には38.3度、午後八時四五分には38.5度となり、午後八時四五分には悪寒、戦慄及びチアノーゼの症状が現れた。しかし、午後一〇時過ぎころから体調が回復し、翌日の午前〇時には体温が35.2度に下がった。

なお、同日は被告病院内科の乙野医師も文を診療したが、その際は、尿路感染症マイナス、腰部叩打痛プラスとの診断であった。

3  一一月二八日の経過

文の症状は、午前九時一〇分にはチアノーゼ及び両手に冷感が現れ、脈拍が微弱で測定が困難となり、午前九時一五分には、右チアノーゼが増強し、さらに、両下肢にもチアノーゼが現れ、悪寒、戦慄の症状を呈したが、午前一〇時には、チアノーゼ及び戦慄は消失した。午前九時四七分ころの血液ガス分析の結果は、動脈血酸素飽和度が93.8パーセント、PO2が71.5mmHgであった。甲野医師は、文を午前一〇時ころ及び午後〇時三〇分に診療し、文は敗血症性ショックに陥っている可能性があり、悪性腫瘍による可能性もある旨考えた。その後、午後二時には、文の血圧は上が七〇、下が五〇となった。体温は、午前六時には37.3度であったのが、午前一〇時一〇分には、39.3度まで上昇したが、その後は下降していき、午後三時には三六度台となったが、その後再び上昇し、午後五時三〇分には39.5度となり、その後再び下降し、午後九時には37.9度となった。

検査としては、胸及び腹部のレントゲン検査、腹部のCT及びエコー検査、血液及び尿検査、血液培養検査、四時間毎のCVP測定及び尿量の測定がされ、投薬については、ソルデム三Aが一時間に一〇〇ミリリットルの速度で五〇〇ミリリットルを四回、ガスター一Aが二回のほか抗生剤としてセファピコール二グラムが二回投与された。

4  一一月二九日の経過

文の症状は、午前九時には、チアノーゼは見られず、腹部緊満は著明で、腹痛・嘔気症状はなく、午前一〇時には、血圧が上が九四、下が五〇で、腰痛のみを訴え、午前一一時には、呼吸苦を訴えるが、チアノーゼは見られず、午後〇時には、腹部緊満は持続しているが、腹痛は訴えなかった。そのころ、甲野医師は、腸の状態を調べる目的で大腸ファイバースコープ検査を施行したが、文はこの直後の午後二時二〇分には、腹痛で唸るような状態になり、午後三時に悪寒、戦慄の症状が増強し、四肢末端部にチアノーゼが現れたが、マスクによる酸素投与が実施されて、午後四時には回復し、顔色及び四肢末端部の体色は良好となった。そして、午後五時三〇分以降は呻吟が続き、午後七時四〇分には、腹痛及び腰痛が増強し、午後八時一〇分には血圧は上が八四、下が四〇となった。文の体温は、午前一時一〇分には38.7度、午前二時五〇分には38.5度、午後四時には39.9度、午後七時三〇分には39.5度であった。

検査としては、血液及び尿検査、胸部レントゲン検査及び右のとおり大腸ファイバースコープ検査が行われ、投薬については、ソルデム三Aが一時間に一〇〇ミリリットルの速度で五〇〇ミリリットルを四回、ガスター一Aが二回投与された。なお、CVP測定を午後二時二〇分ころに一旦止めた。

大腸ファイバースコープ検査の結果、文には大腸に器質的な閉鎖がないことが確認された。

5  一一月三〇日の経過

文の症状は、未明までは落ち着いていたが、その後、腰痛及び腹痛を訴え、呻吟が聞かれるようになり、以降腰痛及び呻吟は持続したが、腹痛は午後七時ころまで持続し、その後おさまった。体温は、午前中は三六ないし三七度台で推移していたが、午後〇時ころから午後六時ころまで三九度前後の高熱が続き、その後下降した。血圧は、午前一時三五分には上が八八、下が五四であったが、その後上昇し、午後〇時三〇分には上が一四〇、下が七〇となり、その後再び下降した。

検査としては腹部のレントゲン検査及びエコー検査を行い、投薬についてはガスター一Aを二回及びセファピコール二グラムが二回、ジクロニックが二五ミリグラム投与された。

6  一二月一日の経過

文の症状は、腰痛が持続し、午後五時ころからは腹痛も訴え、午後七時五五分ころには腰痛及び腹痛が我慢できない程の痛みとなり、呻吟は終日聞かれたが、体温は下降した。血圧は、午前一〇時一五分には上が一四〇、下が八〇となり、その後若干下降したが午後五時ころから上昇に転じた。

血液培養検査の結果が報告され、黄色ブドウ球菌が同定された。

検査としては、血液及び尿検査、胸及び腹部のレントゲン検査を行い、CVP測定の回数を一日一回とし、投薬については、ジクロニックが二五ミリグラム投与された他は、ソルデム三Aが五〇〇ミリリットル、ガスター一Aが二回及びセファピコール二グラムが二回投与された。

なお、尿中白血球数は、二〇ないし二九であった。

7  一二月二日の経過

文に、腰痛及び呻吟が持続し、午後二時ころに軽度の見当識障害が生じ、呼吸苦を訴えた。

検査としては、血液検査等が行われ、投薬については、ソルデム三Aが五〇〇ミリリットル、ガスター一Aが二回投与された。また、ラスカルトン一Aを週に二回(火曜日と金曜日)の割合で投与することとなった。

甲野医師は、泌尿器科の丁野医師及び整形外科の丙野医師に診断を依頼し、丁野医師は、胸部CT検査、腹部エコー検査を行い、甲野医師に対し、現在の症状の引き金となるような閉塞性の尿路感染症は否定される旨の報告をした。

8  一二月三日の経過

文の呼吸苦が増強したため、午前四時三〇分ころ、当直の戊野医師が診察し、マスクによる酸素投与を行い、心不全の治療としてラシックス(利尿剤)を二分の一A投与し、フランドールテープ(冠動脈拡張剤)を塗布した。午前四時四五分に行われた二回目の血液ガス分析の結果は、動脈血酸素飽和度は82.1パーセント、PO2は45.9mmHgであった。その後、午前六時三〇分にラシックスを一A投与し、午前七時にはミリスロール(冠動脈拡張剤)の投与を開始したが、状態は改善しなかった。午前九時ころには心拍数が一五〇になったことからワソラン(不整脈治療剤)を投与したが、呼吸の状態は改善せず、チアノーゼが増強し、午前九時四七分の動脈血酸素飽和度は七七パーセント、PO2は42.2mmgであったことから、酸素投与量を増量した(毎分一一リットル)。その後、午前一〇時四〇分ころ、己野医師が診察し、ラシックス二A及びネオフィリン(気管支拡張剤)一Aを投与した。その後、午前一一時ころ甲野医師が診察し、プレドパの投与を開始し、午前一一時三〇分ころ、ラシックスの持続投与をし、麻酔をせずに気管内挿管を行った。午後〇時ころの動脈血酸素飽和度は86.2パーセント、PO2は、62.6mmHgであった。午後一時ころ、挿管チューブ及び口腔からさらさらした水っぽい泡沫状の痰が吸引され、心拍数が一四〇台となったことからワソランを投与し、午後二時一〇分ころの動脈血酸素飽和度は94.2パーセント、PO2は73.1であった。午後三時ころに心拍数が一三〇ないし一四〇台となり、挿管チューブから淡血性泡沫状痰が吸引され、ジコキシン(強心剤)0.25mgを投与し、以降は経過観察をした。その他に、ソルデム一Aを五〇〇ミリリットル、ガスター一A及びセファピコール二グラムを二回、ビソルボン一A等を投与した。また、甲野医師は、文が肺水腫に罹患していると診断した。

検査としては、血液検査及び胸部のレントゲン検査が行われた。

9  一二月四日の経過

文の症状は、午前三時一五分には右足底部にチアノーゼが出現し、午前四時ころには軽減するも、その後も持続し、午前七時一〇分ころには体温が39.6度まで上昇し、以降午後二時ころまで、問いかけに対する反応も鈍くなり、午前一時一五分、午前三時一五分、午前八時、午後三時及び午後四時一五分ころには、挿管チューブから淡々血性の痰が吸引された。午後一時二七分ころの動脈血酸素飽和度は89.2パーセント、PO2は57.4mmHgであった。

午後〇時一〇分及び午後九時ころにフランドルテープを塗布し、午後五時一五分ころにラシックスが一A、午後五時三〇分ころにラシックスが二A投与され、その他に、ソルデム一Aが五〇〇ミリリットル、ガスター一A及びセファピコール二グラムが二回、ジコキシン0.125mg、ビソルボン一A等が投与された。

甲野医師は、泌尿器科の庚野医師に文の診察及び透析を依頼したところ、同医師は、文を診察し、甲野医師に対して、「急性腎不全、多臓器不全の診断だが、敗血症性ショックによる腎前性の可能性があり、胸水及び肺炎がPO2低下の原因と思われる。昇圧剤で血圧を一二〇まで上げて下さい。」との報告をした。

なお、尿中白血球数は一ないし四であった。

10  一二月五日の経過

文は、未明に心拍数が下降し、チアノーゼも現れ、午前六時一〇分には心拍数がフラット状態となり、心臓マッサージを行ったが午前七時三五分に死亡が確認された。

11  文は、死亡後病理解剖がされ、その結果は、「両腎に急性及び慢性の腎盂腎炎の像が見られ、脾臓には急性脾炎の像が見られ、肺には急性気管支肺炎、肺水腫、肺胞内硝子膜形成が見られ、びまん性の肺胞損傷が合併したものと考えられる。また、肺及び膵臓には播種性血管内凝固症候群が合併したと考えられ、各臓器組織には微小膿瘍は認められなかった。これらのことから、文の症例は、腎盂腎炎由来の敗血症の状態であった可能性が高く、以上の病変が複雑に絡み合って死亡したと考えられる。」というものであった。

二  争点に対する判断

1  腎盂腎炎及び敗血症性ショックに対する治療に関する甲野医師の過失及び因果関係の有無(争点1(一))について

(一) 証拠(甲三〇、証人甲野太郎、同丁野二郎、同勝屋弘忠、鑑定の結果)によれば、腎盂腎炎及び敗血症性ショックについて、以下の事実が認められる。

腎盂腎炎とは、細菌感染により引き起こされる腎盂、腎杯、腎実質の炎症疾患であり、発生経過から急性と慢性に分類され、基礎病変の有無により単純性と複雑性に分類される。単純性の腎盂腎炎に対しては、主に抗生剤及び補液の投与により治療が可能であるが、複雑性の腎盂腎炎に対しては、それに加え基礎病変の治療が必要となる。

敗血症とは、体内の感染病巣から細菌が血液中に流れ込み、血液中に細菌が存在する状態をいい、ショックとは、細胞、組織が、必要とされる酸素が供給されないために、その形態及び機能を維持できなくなった状態をいう。敗血症は、重篤な全身症状を伴い、迅速な診断と治療の開始が要求され、治療が遅れると多臓器不全となる率が高い。敗血症に対しては、起炎菌に感受性のある抗生剤を投与し、可能であれば原発感染巣を除去することが必要であり、ショックに対しては、直ちに呼吸状態及び循環動態を安定化する必要がある。

(二) そして、前記一で認定した事実に証拠(証人甲野太郎、同勝屋弘忠、鑑定の結果)並びに弁論の全趣旨によれば、文は、単純性の腎盂腎炎に罹患していたが、これを原因として一一月二八日ころに敗血症性ショックの状態となり、その後、一二月五日、腎盂腎炎由来の敗血症に急性脾炎、急性気管支肺炎並びに肺及び膵臓の播種性血管内凝固症候群等が複雑に絡み合って多臓器不全に陥り死亡したことが認められる。

また、前記一で認定したように、一一月二七日の血液検査の結果は、白血球数が一一八〇〇、CRPが15.0、血沈は93.0、尿検査の結果は、白血球は五〇ないし九九/各視野、蛋白が一+、潜血が二+、硝子円柱が一+、顆粒円柱が一+、赤血球円柱一+であり、尿路感染症の所見を示しているところ、甲野医師は、同日、右結果を把握していたものと認められること、文の体温は、同日午後四時三〇分には三八度、同月二八日午前一〇時一〇分には39.9度まで上昇しており、同月二七日午後八時四五分には悪寒、戦慄及びチアノーゼの症状が現れていることから、遅くとも同月二八日には、文が腎盂腎炎に罹患していたことを診断することは可能であったとみるのが相当である。

(三) 以上の事実を前提に甲野医師等の採った措置について検討するに、前記一及び証拠(証人甲野太郎)によれば、甲野医師は、文の死に至るまで同人が腎盂腎炎に罹患していることを認識することなく文の治療にあたっていたことが明らかである。

ところで、前記一のとおり、甲野医師は、文に対して、入院と安静、水分摂取以外の絶食を指示し、血液及び尿検査、血液培養検査、レントゲン撮影等を行い、一一月二七日からソルデム及びガスターの、同月二八日からセファピコールの投与を開始しているところ、文の血液培養検査の結果、黄色ブドウ球菌が同定されており、証拠(乙一の二一、証人甲野太郎、同丁野二郎、同勝屋弘忠、鑑定の結果)によれば、黄色ブドウ球菌がセファピコールに対して感受性が認められ、また、本件全証拠によっても、文に対するソルデム及びセファピコールの投与量が腎盂腎炎もしくはこれに由来する敗血症に対する投与として不適切であったとは認めるに足りない。

なるほど、証人勝屋弘忠の証言及び鑑定の結果によれば、勝屋鑑定人は、文に対しては尿の細菌培養検査は必須であった旨、また、尿路感染の疑いがあれば大量輸液をして尿量を増加させ尿路系の洗浄(ワッシュアウト)を図るとか、感染の原発巣があればそれを可及的速やかに発見して、可能であればこれを除去しなければならない旨判断していることが認められるが、抗生剤については、右のとおり、黄色ブドウ球菌にはセファピコールは感受性が認められるのであり、尿の細菌培養検査をしたからといってさらに適切な薬剤が選択できた可能性が大であったとは認められない。ワッシュアウトについても、ソルデムでの輸液に代えてどのような輸液をどの程度行えば文の症状に改善がみられた可能性があったのか本件証拠上これを確定することはできない(甲第三〇号証中には、大量輸液として「乳酸化リンゲル、酢酸リンゲル等の細胞外液補充」との記載があるが、これが標準的な治療であることを認めるに足りる的確な証拠はない。)。さらに、原発巣の除去であるが、前記のとおり病理解剖の結果、肉眼的には感染病巣ははっきりせず、各臓器組織には微小膿瘍は認められなかったというのであるから、文について腎盂腎炎と診断した場合に現実に原発巣の除去をどのように行うのか、本件証拠上、これを窺うに足りる証拠はない。

(四) したがって、結局、腎盂腎炎及び敗血症性ショックに対する治療に関して甲野医師等が診断を誤ったことにより、行うべき治療を行うことなく文が死に至ったものと認めるに足りる証拠はないといわざるを得ない。

2  イレウスに対する治療に関する甲野医師の過失及び因果関係の有無(争点1(二))について

(一) 証拠(甲三〇、証人甲野太郎、鑑定の結果)並びに弁論の全趣旨によれば、イレウスとは、何らかの原因によって腸管内容の通過が障害された状況をいい、腸管が器質的に閉塞したことにより生ずる閉塞性イレウスと感染、炎症、ストレス等により生ずる麻痺性イレウスとがある。

そして、前記一で認定したように、文は、被告病院における受診日の約一週間前からほとんど便通がなく、三ないし四日前には嘔吐し、入院以降継続的に腹痛を訴えていたというのであり、腹部のレントゲン検査によれば小腸及び大腸のガス像が多く見られるというのであるから(検証の結果、鑑定の結果)、イレウスの状態にあったものと認められるが、前述のように文は腎盂腎炎に罹患しており、これにより敗血症ショックの症状を呈していたこと、一一月二九日に行われた大腸ファイバースコープ検査の結果によれば、大腸に器質的な閉塞が認められなかったことから、右イレウスは麻痺性イレウスであったと考えられる。

(二) 原告らは、イレウスに対しては、イレウス管の留置、腸ぜん動促進薬の投与及び腸管内の減圧等の処置を講ずる必要があったにも拘らず、甲野医師は右処置を講じなかったのであるから、甲野医師には過失が認められる旨主張する。

確かに、証拠(甲一、二、三の一ないし一一、四の一ないし一〇、一七、一八、二五、二六、二八、乙一の一ないし二四、二の一ないし三、五、証人甲野太郎)によれば、甲野医師は、イレウス管を留置したり、プロスタルモン(腸ぜん動促進薬)を投与するなどのイレウスそれ自体に対する措置は特に講じなかったことが認められる。しかし、前記二1で認定したところから、文はイレウスが原因で敗血症性ショックの状態となったのではなく、敗血症を原因としてイレウスの状態になったものと考えられ、文のイレウスの治療には、その原因となった敗血症に対する治療が必要であること、前記一で認定したように、甲野医師は、文の敗血症の原因菌に対して有効な抗生剤及び輸液の投与を継続しており、敗血症に対する治療はしていたこと、前記二1で認定したように、イレウスの悪化が文の死亡の原因とは認められないこと等を考慮すると、甲野医師のイレウスに対する治療に過誤があったとしても、それが原因となって、文が死亡したと認めることはできない。

(三) また、原告らは、文はイレウスの状態にあったにも関わらず、甲野医師は大腸ファイバースコープ検査を行った点に過失が認められる旨主張をする。

確かに、前記二1で認定したように、文は腎盂腎炎に罹患しており、その診断は大腸ファイバースコープ検査時には可能であると認められること、右検査の前日である一一月二八日には、体温が39.9度まで上昇し、血圧が低下し、チアノーゼの症状を呈しており、重篤な状態にあったのであるから、文のイレウスが閉塞性のものではないことを診断することは容易であり、右検査の必要性は低かったものと考えられること、前記二1で認定したように、文は敗血症性ショックの状態にあり、甲野医師自身もそのことの認識を有していた(証人甲野太郎)ことから、右検査を実施したことには疑問の残るところである。しかも、前記のとおり、大腸ファイバースコープ検査直後に文に悪寒、戦慄の症状が増強し、四肢末端部にチアノーゼが現れる等大腸ファイバースコープ検査により発熱物質が血中に入ったためと思われる症状が出現したことも、これを認めることができる。

しかしながら、前述のように文は右検査を行ったことにより敗血症に陥ったのではなく、また、前記一及び二1で認定した事実によれば、右検査が原因となって文が死亡するに至ったものと認めることもできない。右文の症状の悪化は前記認定のところからすると、一時的なものといわざるを得ず、鑑定の結果からも、大腸ファイバースコープ検査が文の死因になったと認めることはできない。

(四) したがって、イレウスに対する治療に関して甲野医師に文の死と因果関係のある過失は認められず、この点に関する原告らの主張は理由がない。

3  敗血症性ARDSに対する治療に関する甲野医師の過失の有無(争点1(三))について

原告らは、文が敗血症ARDSに罹患しており、甲野医師は、遅くとも一一月二九日には右診断をし、適切な処置をとるべきであったにも関わらず、一二月三日まで、右疾患に対する治療を全くしなかった旨主張するが、文の病理解剖の結果(乙三の一及び二、乙四)からは、文が敗血症性ARDSに罹患していたことは窺われず、文が敗血症性ARDSに罹患していたかについては本件全証拠によっても必ずしも明らかではなく、また、仮に右疾病に罹患していたとしても、本件全証拠中、右疾病の概念、原因、治療法、治癒の可能性の程度等についての証拠がほとんどなく、原告らの主張事実を認めるに足りない。

そして、前記一で認定したように、文は、一二月三日午前四時三〇分ころに呼吸苦を訴え、同日午前四時四五分のPO2は45.9mmHgと極めて低くなっているにもかかわらず、人工呼吸管理を開始したのは右時刻から七時間近く経過した同日午前一一時三〇分ころであるが、同日午前四時三〇分ころにはラシックスが投与され、同日午前七時ころにはミリスロールの投与を開始し、同日午前九時ころにはワソランを、同日午前一〇時四〇分ころにはラシックス及びネオフィリンを、同日午前一一時ころにはプレドパを投与していること、マスクによる酸素投与はされていること、本件全証拠によっても、人工呼吸管理の開始が七時間近く遅れたことが文の病状にいかなる影響を与えたかについては不明であり、右遅れの重要性について評価し難いことから、右の点から直ちに甲野医師に過失があったものと認定することができない。

4  転院の措置をとらなかったこと、また、原告らに文の症状及び治療方針に関する説明をし、原告らに転院を含めた適切な治療を受ける機会を与えなかったことに関する甲野医師の過失の有無(争点1(四))について

(一) 原告らは、まず、甲野医師は文を転院させるべきであったにもかかわらず、転院させなかったのであるから、甲野医師には過失が認められる旨主張する。証拠(甲二九、乙七)及び弁論の全趣旨によれば、被告病院では、平日には三〇数名の医師が出勤しているが、休日は一ないし二名の当直医のみが出勤していること、ICUの設備がないことは認められる。しかしながら、右各事実のみでは被告病院においては文の治療が困難であったことを直ちに認めることはできないから、甲野医師に転院義務があったものと認めることはできない。また、その他に本件証拠中に転院義務の存在を認めるに足る証拠はなく、原告らの右主張は理由がない。

(二) 次に、原告らは、甲野医師は原告らに文の症状及び治療方針に関する説明をすべきであったにも関わらず、右説明をしなかったため、原告らは文を転院させる機会を喪失したのであり、甲野医師には右説明義務違反が認められる旨主張する。

しかしながら、前述のように、本件全証拠によっても被告病院の執務体制及び施設の程度が不十分であったと認めるには足りない。また、甲野医師に、原告ら主張の説明を積極的になすべき法律上の義務を認めるべき根拠はない。一方、仮に、原告らが希望した場合には、転院の可否の判断資料とするために甲野医師に何らかの説明義務が課されていたとみるとしても、甲三二(原告工藤恵子作成の陳述書)によっても、いつ、どのような説明を原告らが甲野医師に求めたかを確定することはできないのであるから、甲野医師にその義務違反があると解することはできないし、その義務違反がなければ、文が死を免れたと認めることもできない。したがって、原告らのこの点に関する主張は理由がない。

5  麻酔をせずに気管挿管したことに関する甲野医師の過失の有無(争点1(五))について

原告らは、甲野医師は、文に麻酔をせずに気管内挿管を行い、不必要な苦痛を与えたのであるから、同医師には過失が認められる旨主張する。

確かに、前記一で認定したように、甲野医師は文へ気管内挿管をする際麻酔を行わなかったが、証拠(証人甲野太郎、鑑定の結果)によれば、麻酔をして気管挿管を行うと痰の排出が困難になること、麻酔を投与することにより血圧が低下したり、誤嚥を起こす危険が生ずることが認められ、麻酔をせずに気管内挿管をしたことには合理性が認められる。

したがって、気管内挿管をする際に麻酔をしなかったことに関して甲野医師に過失は認められず、この点に関する原告らの主張は理由がない。

6  適切な治療を受ける権利の侵害に基づく損害賠償請求の可否について

以上のとおり、甲野医師の診断及び治療には、文の死と因果関係のある過失は認められず、被告は、文の死亡に対する責任を負うことはない。

しかしながら、医師は患者の死亡の結果発生を回避できない場合であっても、患者に対して医療水準に則った適切な治療を行う義務を負っており、右義務に違反した場合は、患者の適切な治療を受ける権利を侵害したものといえ、患者に対してその被った精神的損害を賠償する責任を負うものというべきである。

本件においては、前述のように、甲野医師の診断及び治療には、腎盂腎炎であることを見逃したこと、敗血症であると認識しながら、原発巣を探索することなく抗生剤を投与したに止まったこと、必要性の低い大腸ファイバースコープ検査を行ったこと等不適切な点があったといわざるを得ず、一一月二九日午後二時二〇分ころにはCVP検査を一旦止め(前記二4)、血液ガス分析も一一月二九日から一二月二日まで行っていない(前記二8)など、文の呼吸苦に対する注意に欠け、なおかつ、文が呼吸苦を訴え、肺機能の低下が明らかとなって以降も、気管内挿管による呼吸管理を行ったのは約七時間後であったこと(前記二8)等、その治療に疑問を禁じ得ないところである。特に、甲野医師が、文が腎盂腎炎に罹患していることを一一月二八日に認識し、それを前提とした治療を行っていれば、前記認定、判断したところによれば文の回復の可能性は絶無ではないと思われる点からして、甲野医師の診断及び治療は不適切であったといわざるを得ない。

したがって、甲野医師の診断及び治療によって、文の適切な治療を受ける権利が侵害されたというべきであり、被告は文の右権利を侵害されたことによって被った精神的損害を賠償すべき責任を負うべきものと思料する。

7  損害額(争点2)について

(一) 前記で判示した甲野医師の診断及び治療の内容、右診断及び治療と文の死との間に因果関係は認められないこと、その他諸般の事情を考慮すると、文が甲野医師の不適切な治療によって被った精神的損害を慰謝するに足る額は三〇〇万円が相当と考える。

右金額を原告らの相続分にしたがって配分して原告らの損害額を算出すると、原告盛一は一八〇万円、その余の原告らは各三〇万円となる。

(二) 本件訴訟の事案の内容、立証活動の難易、認容額の程度等本件弁論に現われた一切の事情を考慮すると、弁護士費用としては、原告盛一については一八万円、その余の原告らについては各三万円をもって相当とする。

第四  結論

以上のとおり、原告らの本訴請求は、原告盛一については一九八万円、その余の原告らについては各三三万円、及びこれらに対する不法行為の日である各平成七年一一月二七日から支払済みまで民法所定の利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので、右の範囲内で認容し、その余の請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条を、仮執行宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・線引穰、裁判官・松田典浩、裁判官・佐野信)

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