那覇地方裁判所 昭和49年(わ)101号
主文
被告人甲野一郎を罰金五万円に、同乙山次郎を罰金四万円にそれぞれ処する。
被告人両名において、その罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置する。
訴訟費用は、その二分の一ずつを各被告人の負担とする。
理由
(本件犯行の背景をなすスト及びピケの状況等)
一 那覇市職労と被告人両名の身分
被告人両名はいずれも那覇市の職員で、沖縄の本土復帰後初めてのいわゆる春闘(昭和四八年=一九七三年の春闘で、「七三春闘」と略称されていたので、以下この略称に従う。)当時、被告人甲野は那覇市職員労働組合(以下、「市職労」という。)の執行委員長、同乙山は執行副委員長であったところ、市職労は、全国組織である自治労、特にその沖縄県本部の傘下に属する市町村自治体労働組合の一つであり、当時那覇市職員約二、七〇〇名中、約一、八〇〇名が組合員であった(なお、那覇市には、他に、第二組合ともいわれる那覇市役所労働組合があり、その組合員は当時約四五〇名であった)。
二 市職労の七三春闘
復帰前の沖縄においては、市職労などの市町村自治体労働組合は、地方公務員の争議行為等を禁止した地方公務員法(以下、「地公法」という。)の適用を受けず、争議権を認められていたことから、毎年の春闘において民間同様のストライキ(以下、「スト」という。)等を伴う団体交渉により賃上げ等を獲得していたが、市職労は、復帰後も地公法を容認しない立場に立ち、七三春闘においては、本土における官公労働者のスト権奪還要求などとも足並みを揃えつつ、復帰前後の異常な物価上昇もあったことから、ことに賃上げ要求につき、ストを含む強力な行動方針のもとにその要求を貫徹することを定め、昭和四八年三月六日団体交渉において、那覇市長(以下、「市長」といい、なお、那覇市当局を「市当局」という。)に対し平均二万円以上の賃上げ等を要求し、その後も団体交渉をもったが、市当局が同年四月二三日平均一万円の賃上げを回答したのに対し、これを低すぎるとしてその後も市当局と団体交渉を重ね、かつ、同年四月二七日自治労等が全国的に実施した二四時間の統一ストに参加したりした後、同年五月一一日ころ市当局から平均三、〇〇〇円上積みする旨の回答がなされたが、なおもこれを不満として同月一四日ころ執行委員会、闘争委員会をそれぞれ開き、被告人両名も加わり、自治労県本部の指導も得て検討した結果、今後団体交渉を重ねても進展がなければ五月二四日に全面二四時間ストを中心とする強力な戦術を実施する方針を固め、次いで同月一七、一八日の両日いわゆるスト権投票を実施して同月二四日午前零時からのスト突入に対する市職労組合員多数(九二・七一パーセント)の支持を取りつけるとともに同月二二日まで団体交渉を続け、席上市当局に対し同月二四日のストで要求が容れられなければ更にストを続行することがあり得る旨述べて二万円以上の賃上げ要求を受け容れるよう強く迫ったが、市当局は依然として右一万三、〇〇〇円の賃上げ額を固執して譲らなかったため、既定方針どおりストを決行することとし、その間、闘争委員会、戦術会議等(被告人両名とも関与)により、スト中は、市役所本庁、各支所のほか那覇市が管理する港湾施設等合計九か所にいわゆるピケット(以下、「ピケ」という。)を張ること等のストに関する具体的戦術を決定し、殊に港湾施設については、ふ頭出入口にピケを張り、貨物の搬出入は冷凍物、青果物、生鮮食料品、生物その他緊急を要する物(以下、総称して「緊急貨物」という。)に限って認め、その他の物の搬出入は阻止することとし、船会社や港湾荷役会社等港湾関係者の一部に、スト以前に貨物の搬出入をするように呼びかけるなどし、同月二三日、市職労闘争委員長被告人甲野名義で「春闘要求実現のため組合員は五月二四日午前零時を期して全面二四時間ストに突入せよ」とのスト指令を発した。
三 那覇港の施設及び業務の概要
(一) 当時、那覇市が管理する港湾施設としては、那覇港那覇ふ頭、同泊ふ頭、同新港ふ頭があったが、本件現場となった那覇ふ頭(以下、「那覇港」という。)は、面積約一万平方メートルの用地を有する県内最大の内外貿易港で、周囲は高さ約二・四メートルのフェンスで囲まれ、その中に二万トン級の大型船舶がけい留できる岸壁、荷揚場、荷捌場、上屋、野積場等の諸施設を有し、なお貨物の搬出入用ゲートは三か所あり、中央ゲート、西ゲート、東ゲートと呼ばれているが、通常東ゲートは閉鎖され、他の二ゲートのみが使用されていた。
(二) 那覇港は、従来那覇商港と呼ばれ、琉球政府が管理していたところ、復帰と同時に那覇市の管理に移されたのであるが、右移管に伴い、那覇市は港湾部(部内に管理課等三課及び那覇ふ頭事務所等二ふ頭事務所がある。なお、那覇ふ頭事務所を以下、「港務所」という。)を新設し、同部において那覇港に関する業務、すなわち、<1>ふ頭用地及び岸壁の管理(管理課管理係及び同海務係所管)、<2>船舶の岸壁けい留についての打合せ、指示、許可(バース会議等)(管理課海務係所管)、<3>貨物の積み降ろしに際しての荷揚場、上屋、野積場等の指定、貨物搬出入の確認・許可及び施設使用料の徴収(港務所所管)(なお、施設使用料金徴収等については、那覇市港湾施設使用条例((昭和四七年那覇市条例六七号、なお、昭和四八年四月に一部改正、以下、「使用条例」という。))に定められている。)等の業務を行なっていた。
(三) ところで、那覇港内においては右にみた市の業務のほか、船会社、船会社代理店、港湾荷役会社、検数人(全沖縄検数協会所属)、荷主、運送業者等がそれぞれの業務に従事しているほか、大蔵省(税関)、法務省(入国管理)、運輸省(海上保安本部)などの官公庁の公務も行なわれており、平常港内で働く人々の数は極めて多人数にのぼり(弁護人らの弁論によれば、一、〇〇〇名以上)、中央ゲート、西ゲートの人車の出入りは頻繁である。貨物の搬出入についてみるならば、貨物の陸揚げ・荷捌き、貨物の野積場・上屋等への移動・保管、貨物の船積み等の作業は荷役会社等港湾運送事業者の業務であって、ウインチマン等の右会社従業員によって行なわれ、貨物の重量・個数・容積、受渡等を計算または証明する検数業務は検数人によって行なわれ、これらの業務は港湾運送事業法により、他の者によっては代替できないものとされており、貨物の搬出入にとっては不可欠である。
(四) 本件ピケの現場である中央ゲート及び西ゲートの通常時の状況をみると、いずれのゲートにも鉄パイプと鉄製網で造られた鉄製扉が取りつけられており、中央ゲートは幅員約一七メートルで、その中央付近に間口約四・五メートル、奥行約一三・四メートルのゲートボックスがあり、右側扉(左右はゲートの外側から見た場合をいう。以下同様)は高さ約一メートル、長さ約七・四メートル、左側扉は高さ約一メートル、長さ約五メートルであって、同ゲートの両端には約三〇センチメートル角のコンクリート柱が建てられ、左右の各扉はその端をそれぞれ右コンクリート柱に固定されている。右側扉は本件以前から閉鎖されたままで使用されておらず、左側扉は昼夜の別なく常に開放され、午後五時以降も港内への出入り口として使用され、夜間は港運協会(荷役会社等)から依頼された日本警備保障会社の警務士が警備にあたっている。なお、右側端には人の出入り用の幅約七八センチメートルの通用口(鉄製扉付)がある。次に、西ゲートは中央付近及び左右両端に約三〇センチメートル角のコンクリート柱が建てられ、中央柱をはさんで左右に高さ約二メートルの扉があり、右側扉は長さ約八・九メートルで本件以前から閉鎖されたままで使用されておらず、左側扉は長さ約八・七五メートルで、午前八時三〇分ころから午後五時ころまでの間は開いて港内への入口として使用されるが、その後は管理上の理由で閉められる。
四 本件スト期間中の那覇港における市の業務
市職労から前記二のとおりのスト通告を受けた市当局は、本件スト期間中も那覇港の港湾施設を閉鎖せず、同港における必要最少限の業務は行なうこととし、そのため、課長以上の者を動員するとともに、市職労に要請して保安要員数名を確保し、特に、前記三(二)<3>の業務については通常の業務は期待できないことから、貨物の搬出入につき荷主から貨物搬出入届を提出させるだけで、その他の施設使用料金の算定・徴収等の事務は事後に処理することなどを定め、事実、本件スト期間中、同<2>の業務(バース会議等)は港湾部管理課長渡嘉敷真太郎により、ほぼ平常通り行なわれ、これに基づく船舶の出入港は、後記の貨物の搬出入の遅れによる遅延はあったものの、円滑に行なわれ、また同<3>の貨物の搬出入については、市職労組合員が搬出入を認めた緊急貨物等につき、現実に搬出入が行なわれ、搬出入の許可その他市の行うべき事務はすべて事後に処理された(なお、本件スト後、右貨物等の施設使用料金は使用条例一七条に則り市長が免除した。)。
五 那覇港中央ゲート及び西ゲートにおけるピケの状況
市職労は、前記二末尾記載のスト指令どおり、昭和四八年五月二四日午前零時よりストに突入したが、同日早朝までに、市職労組合員は、那覇港中央及び西各ゲートの鉄製門扉に「スト決行中」と大書した横断幕を張り、中央ゲートの前に市職労の組合旗を立てるなどしてスト態勢を整えたうえ、同日午前七時すぎころから中央ゲート付近で集会を開いて被告人乙山が激励演説を行なった後、同日午前八時すぎころから、中央ゲートの鉄製門扉を完全に閉鎖して「自治労」等と書かれたヘルメット及び赤鉢巻を着用した市職労組合員二〇ないし三〇名がその前面に座り込み、西ゲートにおいても閉鎖された鉄製門扉の付近に時折四、五名の前同様の姿の組合員が立ち塞がるなどして、それぞれピケを張り、同様の状態を同日午後五時すぎころまで継続した。一方被告人両名は同日午前一一時ころから市当局との団体交渉に出席したが、双方とも従前の主張を譲らず、平行線のまま交渉が決裂したため、同日午後三時三〇分ころから戦術会議を開いて翌二五日もひき続きストを行なうこと、翌朝から那覇港におけるピケを強化し、原則として港湾内における荷役作業を許さず、緊急貨物を含む一切の貨物の搬出入を阻止することをそれぞれ決定した。その後同日夕刻ころから翌二五日の早朝にかけても各ゲートに数名の組合員が泊り込みでピケを続け、その間前記三(四)のとおり普段は昼夜閉めることのない中央ゲート左側の鉄製門扉を鉄製鎖と錠で固定したうえ、テント用ポール、木材、角材、多数の丸太棒及び盤木等を門扉内側に縛りつけるなどしてバリケードを築き、同ゲートをほぼ全面的に封鎖し、前同様の服装でピケを張る労組員ら(以下、「ピケ隊員ら」ともいう。)の数も四〇ないし五〇名に増員し、中にはタオルで覆面した者もいて同ゲートの前面およびその付近に座り込んでスクラムを組み、あるいは立ち塞がるなどして同ゲートの通行を殆ど不能ならしめ、また、西ゲートにおいても同日午前九時ころ、船客、荷主等がピケ隊員の隙をついて鍵を壊して門扉を押し開けて港内に立ち入ったため、中央ゲートから約二〇名のピケ隊員が駆けつけて門扉を閉鎖して施錠し、近くにあった盤木等を内側から積み重ねてバリケードを築き、組合旗数本を立て、その後も常時、数人のピケ隊員が同ゲート付近に座り込んで同ゲートの通行を殆ど不能にした。一方、同日も午後一時ころから被告人両名は前日同様ほか多数の市職労組合員らとともに市当局と団体交渉を行ったが、そこでも結局妥結点を見い出せずに交渉が物別れに終ったことから、同日午後四時ころから戦術会議を開いて翌二六日もスト及びピケを続行すること、二五日の夕刻からは港湾荷役作業を黙認し、翌二六日の午前零時以降緊急貨物に限ってその搬出入を許すことをそれぞれ決定した。そして、二五日夕刻から翌二六日早朝にかけては、前夜同様各ゲートに数名のピケ隊員が泊り込み、二六日は、警察機動隊導入に備えるということもあって、朝から前日をかなり上回る数のピケ隊員らが中央ゲートの前面に座り込んでスクラムを組み、あるいは立ち塞がるなどし、他の組織からの若干の応援も加わり、次第に人数が増え、同日午前九時すぎにはピケ隊員は約一〇〇名にものぼり、同ゲートの通行は殆ど不能となり、一方西ゲートにおいてもピケ隊員二〇名くらいが同ゲートの前面に立ち塞がるなどして車両の港内出入りを厳重にチェックしていたが、午前八時四五分ころには門扉に施錠して完全に閉鎖した。そして、そのころ出動した警察機動隊から、両ゲートのピケ隊員らに対し、直ちにピケを解除するようにとの度重なる警告がなされたが、ピケ隊員らはいずれもこれを全く無視してピケを続け、同日午前一〇時前ころには西ゲートのピケ隊員らも中央ゲートのピケに合流してその数は被告人両名のほか約一五〇名にふくれ上り、被告人両名の指揮のもとに同ゲートの前面及びその付近に数列横隊に座り込んでスクラムを組み、警察官から繰り返えし発せられる右同趣旨の警告に対しても「何んで違法になるのか。警察は組合活動に介入するな。警察は帰れ。」などと怒号してこれに応じようとはしなかった。そのため同日午前一〇時一〇分ころから、右機動隊員らが実力を行使してピケ隊員らを排除するとともに中央ゲート内側に構築されていた前記バリケードを撤去し、同日午前一〇時二六分ころ同ゲートを現状に復させて人車の往来を自由にし、また西ゲートもまもなく警察官の説得に応じた市職労組合員によって開かれ、ようやく両ゲートの人車の通行が自由になった。
なお、右五月二四日から二六日の三日間を通じて、各ゲートのピケ隊員の数には、かなりの変動が見られ、更に、二五日から各ゲートにバリケードが構築されたとはいえ、バリケードはゲート全体を完全に塞ぐほどのものではなく、ピケ隊員らが特に認めた車両は、主として西ゲートを開いて通行させ、時には普段は閉鎖されている東ゲートを利用させたりし、また人の通行については、中央ゲートの通用口のほかゲートボックスの出入口などを利用させていたが、右人車の通行についてはすべてピケ隊員によりチェックされていた。
六 本件ピケへの荷役会社等港湾利用者の対応等
(一) 前記五の市職労の五月二四日からのスト及び那覇港におけるピケにより、その期間中及びその前後に那覇港にまたは同港から入出港した一日当たり数隻の船舶の船会社、同代理店、荷役会社、積載・登載貨物の荷主などは、前記ピケによる長期間の通行制限、殊に二五日の日中は荷役作業すら認めない通行制限により、程度の差はあれその業務に支障を来たし、各業界の代表者等が、市長をはじめ市当局や被告人両名ら市職労幹部に何度か善処方を要請したが、市当局ははっきりした回答をせず、市職労幹部はストへの協力を要求するのみで、事態の進展がみられなかったことから、事態を憂慮した沖縄貿易協会会長真栄城玄明らが警察へ機動隊の出動を要請し、前記のとおり、右機動隊が本件ピケ隊員を実力で排除した。
(二) 一方、港湾荷役労働者(荷役会社の従業員)、沖縄検数協会所属の検数人等港湾労働者により結成された全沖縄港湾運輸労働組合(略称「港運労」、以下、これによる。)は、市職労から本件スト及びピケに対する支援、特に五月二五日は荷役作業等港運労組合員による作業を拒否するよう要請されたが、港運労としては、いわゆる同情ストはしないこととし、ただ、組合員はいつでも就労可能な態勢でゲート付近で待機するものの、市職労のピケを尊重し、これを強行突破はしないという限度でのみ市職労に協力することとした。従って、港運労組合員を含む荷役作業員、検数人等は、五月二五日も各会社等の指示があればいつでも就労可能な態勢にあったもので、現に待機中の賃金等は受領しており、また、会社等使用者側がピケ隊員と交渉し、その了解を取りつけた接岸作業等の業務及び市職労が認めた同日午後七時ころからの荷役作業等にも会社等の指示により直ちに従事している。
(三) 三日間のスト期間中もピケ隊員が認めた貨物の搬出はなされており、五月二六日は警察機動隊によるピケ排除後も市職労は終日ストを続行したが、当日もピケ排除後多数の貨物の搬出がなされている。
(罪となるべき事実)
被告人両名は、右のような市職労によるスト及びピケを同組合幹部として統括することにより、市職労組合員ら約二、三〇名ないし約一五〇名と共謀のうえ、前記のとおり昭和四八年五月二四日午前八時すぎころから同月二六日午前一〇時二六分までの間、沖縄県那覇市通堂一一二番地所在の那覇港中央ゲート及び西ゲートにおいて、前記五のとおり、各門扉を閉鎖して多人数で各ゲートの前面等に座り込みあるいは立ち塞がるなどしてピケを張り、更に各門扉に施錠したり、各ゲートの内側にバリケードを構築したりしたうえ、別紙一覧表(以下、「別表」という。)記載の日時に、いずれも中央ゲート付近において、車両等を準備して港湾荷役や貨物搬出入の業務を行なおうとしていた別表記載の沖縄繊維工業株式会社等の従業員らに対し、被告人ら自らもしくはピケ隊員が別表記載の言動に出て、同人らの港内立入りを阻止あるいは著しく制限し、もって威力を用いて別表記載の同社等の業務をそれぞれ妨害したものである。
(証拠の標目)(略)
( 裁判所の判断中、「……・公」とあるのは、公判調書中の供述部分、「……・検」とあるのは、検察官に対する供述調書の略記=編注)
(検察官の主張に対する判断)
第一検察官の主張(略)
第二当裁判所の判断
一 天野吉信用堂株式会社関係について
豊里友直・公によれば、右天野吉信用堂株式会社従業員豊里友直は、昭和四八年五月二四日午前六時三〇分ころ、同日午前九時すぎころ、二五日午前九時ころ及び二六日午前九時すぎころの四回にわたり、那覇港の状況を確かめるとともにできれば前記シャツ類一六箱を搬出しようと考え、会社の車等を準備して中央ゲート近くまで行ったが、ピケの状況からみて貨物の搬出はできないものと思い込み、ピケ隊員らに何も話を持ちかけようとしないまま現場から退去したことが認められるところ、判示のとおり、他の業者らはいずれもピケ隊員らと交渉し、その強力な阻止にあって、始めて業務の遂行を断念していること、本件ピケは、ピケ隊員らが兇器等を所持するなど外観からして交渉すら危険であると感じさせるほど強固なものではなく、また貨物の性質も一日を争うというものではなかったことなどを考慮すると、二四日及び二五日の同人の業務遂行の意思は弱く、その行動は単に様子を見に行ったのに近く、また二六日は機動隊によるピケ排除を待っていたものと思われ、それ以前に業務を行なう意思はなかったといわざるをえない(これらの内心の状況について同人の供述中ニュアンスの異なる部分もあるが、同人の外形的行動等から右のような疑問は払拭し切れない)。
ところで、右豊里の場合も、本件ピケ等がなければ、直ちにその業務を遂行したであろうことは容易に推認されるのであるが、そのような因果関係は、本件ピケを、遠くからながめたり、テレビ等で報道されているのを見たりして、自己らの業務遂行は無理だと判断してあきらめ、迷惑に立腹しつつも家で寝転がっているような業者についても、また認められるのであって、このような者までが本件ピケによる威力業務妨害の被害者とは到底解しえないのである。即ち、同罪が成立するためには、ピケ等威力と目されるもののもとに被害業務が現在したといえることが必要だと解されるところ、これを本件についてみると、前叙の事実関係に徴すれば、本件被害業務は、いまだ本件ピケ等のもとに現在していたものと断ずることはできず、従って、これを被告人らの側からみれば、威力を用いる対象である被害会社の業務がいまだ存在しなかったのであるから、被告人らが威力を用いて右業務を妨害したということはできず、結局右天野吉信用堂株式会社に関しては未だ犯罪の証明がないことに帰する。
二 大和港運株式会社関係について
大和港運株式会社が第八高洲川丸に積載搬入することになっていた貨物の所在につき、同社営業課長金城良哲は、公判廷において、「五月二四日一七時貨物搬入準備を完了した。沖縄繊維工業株式会社の荷物は港内に置かれてあった。」旨述べているところ、右貨物の荷主である沖縄繊維工業株式会社取締役宮永鉄郎は、公判廷(公判準備期日)において、「五月二四日午前九時三〇分ころには婦人物スラックス三、二四九ダースは未だ保税倉庫内にあって、その港内への搬入を阻止された」旨述べ、その後二六日のピケ排除以前に同貨物が港内に運び込まれたという証拠はないから、右両名の供述は、右貨物の所在につき矛盾することとなるが、右金城・公には記憶のあいまいな部分が多く、ために同人・検が証拠とされているところ、同人・検は右貨物が港内にあったか否かについては全くふれておらず、他方、右宮永・公は供述に具体性があり、自然であって、右両名の供述を対比すれば、宮永・公がより信用できることは明らかであって、それからすると、右大和港運株式会社が第八高洲川丸に積載搬入すべき沖縄繊維工業株式会社所有の衣類一〇〇トンは同船が出航した二五日午前一一時ころまでには港内には搬入されていなかったということになる。
ところで、検察官は同一貨物(同一性については検察官の釈明及び関係各証拠により明らかである。)について、沖縄繊維工業株式会社と大和港運株式会社のそれぞれの業務が妨害されたと主張するのであるが、前者の業務は貨物をふ頭内に搬入することであり、後者の業務はふ頭内に搬入された貨物を船舶に積載搬入するという荷役であって、前者の業務がなされてはじめて行なわれるものであり、前者の業務がピケにより妨害されて不能になれば、後者の業務も当然に不能になるが、それは前者に対する業務妨害の派生的結果というべきであり、両者に対する関係で威力業務妨害罪が成立するためには、貨物の移動が前提となるといわねばならず、本件においては、この点についての証明がないことは前叙のとおりであるから、結局大和港運株式会社の関係では同罪は成立しないものといわざるをえない。
三 検察官は、その訴追した九名の被害者に対する威力業務妨害罪は単純一罪の関係にあると主張するが、当裁判所は、被害法益の性質及び各被害業務相互の関連の程度などに照らし、これを単純一罪ないし包括一罪とみることは困難だと考えるが、判示認定の事実関係からみて、後記のとおり科刑上一罪の関係にあるものと解するので、右にみた犯罪の証明のない起訴状添付別紙一覧表1、7の点について、特に主文において無罪の言渡はしない。
(弁護人らの主張に対する判断)
第一弁護人らの主張
本件ピケは、威力業務妨害罪にいう「威力」に当らないばかりか、本件ピケと業務の遅延との間には因果関係がないから、被告人らの本件各行為は威力業務妨害罪の構成要件に該当せず、また、本件ピケは、その目的及び手段において正当なものであったから、被告人らの本件各行為には違法性がなく、結局被告人らはいずれも無罪である。
第二当裁判所の判断
以下の判断において、冒頭判示の背景事情を引用するときは、例えばその第三項の(一)を「背三(一)」というように表示する。
一 判示事実認定についての付加説明
弁護人らの主張中には、判示認定と異なる事実関係を前提とする点が多々見受けられるので、以下、主要な点について、説明を付加しておく。
(一) バリケードの構築について
弁護人らは、中央ゲートのバリケードは市職労により設置されたものではなく、また西ゲートにバリケードを構築した事実はないと主張しているが、関係各証拠上、中央ゲート及び西ゲートにバリケードが存在したことは疑いの余地がない。ところで、この点に関し、被告人両名及び弁護側証人は、「バリケードができていたのは現認したが、やむを得ないものとして容認した。」(被告人甲野の供述)、「バリケードの存在には気が付かなかった。」(被告人乙山の供述)、「バリケードができていたのは知っていたが、いつ、誰が作ったかは知らない。」(<人証略>)、「バリケードはなかった。」(<人証略>)等と客観的事実に反するか、あるいは極めてあいまいで作為的な感じすら受ける供述をしているが、判示のとおり、本件スト及びピケの主体は市職労であって、昼夜を通じて、ピケ隊員がいたにもかかわらず、その現場に、ピケ隊員が全く知らない間に、その構築にかなりの時間及び労力を要する判示のバリケードが忽然と姿を現わしたなどとは到底考えられず、右バリケードは、証拠上具体的に構築の作業をした者が誰かは不明であるが、市職労のピケ隊員らのみかあるいはその要請を受けた者の協力をも得て構築されたと優に推認でき、また前記被告人両名及び弁護側証人の供述のあいまいさ、作為性、並びに本件ピケは戦術会議等に基づいて行なわれた組織的な行動であることをも合わせ考えると、被告人両名ともその構築を当初から知っていたものと推認されるし、百歩退いてもその存続を容認し続けたことは明らかといわねばならない。
なお、弁護人らの主張中には、バリケード構築についての責任を港運労に転稼するかのように受けとれる点があるが、以上述べたところと後に判断する港運労の支援の程度とを合わせ考えると、右主張は全く採用できないし、以上のような被告人両名及び弁護側証人の供述は、その余の諸点に関する供述の信用性についても重大な疑問を抱かせることとならざるを得ない。
(二) 別表記載の被害会社の従業員らとの応接状況について
弁護人らは、別表に判示した被告人両名及びピケ隊員らの言動につき、その大半を否定し、あるいは態様がより穏やかであったと主張し、被告人両名の供述及び弁護側証人の供述(<人証略>)中には別表判示と異なる趣旨の部分があるが、これらの供述自体、全体的にみて不自然な点が多いのみならず、別表記載の各従業員らの供述(<人証略>)と対比し、到底措信できないといわざるをえない。これに比し、右従業員らの供述はいずれも具体的で、他の客観的証拠とも符合し、かつ相互に補強し合う関係にあるのであって、別表判示の前記認定は動かないところである。また右従業員らの供述によれば、被害会社等は、いずれもトラック、運転手、作業員等別表記載の各業務遂行に必要な準備(外航貨物については通関手続も終了)をしてピケ隊員らと交渉していることが明らかであって、これによれば各被害者らは差し迫った必要から、強い業務遂行の意思を有しながら、本件ピケにより港内立ち入りなどを阻止・制限されたということにならざるを得ない。なお、別表記載の被告人両名の具体的言動、被告人両名の組織上の地位及び本件スト及びピケについての戦術会議等への関与の程度などを合わせ考えると、被告人両名が判示全事実につき実行もしくは共謀共同正犯としての刑責を負うことは明らかである。
(三) 別表記載の貨物の所在及び業務遂行の可能性について
弁護人らは、搬出を妨害したとされる別表2、3、6、7記載の各貨物は、各従業員らが搬出しようとした時点では未だ荷揚げされておらず、船積みされたままであった疑いがあり、搬出が不可能だったのではないかと主張しているところ、別表2及び7については、関係各証拠上明らかなワンリュウ号及び第二神戸丸の入出港日時、ピケ排除(二六日)後現実に搬出された事実及び通常、揚荷は入港当日に行なわれること等からしていずれも揚荷されていたと推認されるが、別表3、6については船積みされたままで揚荷はなされていなかったようである。しかし、貨物の揚荷が行なわれていなかったとしても、入港中の船舶に積載されている以上、荷主としては、立ち入りを拒否されなければ、トラック等を港内に入れて直ちに搬出できる態勢を整えるとともに(特に別表3のアイスクリームは船から冷凍車へ直ちに積みかえねばならない。)、荷役会社に対し早期に揚荷等を行ない、貨物を引き渡すように交渉する等貨物搬出に向けての行動を行なうことが可能であり、これらの行動も貨物搬出業務の一部と見うるのであって、別表3、6についてのみならず、同2、7について仮に荷揚が認められないとしても、右被害会社の従業員らの別表記載の交渉態度からみて、これらの者たちが右のような行動に出る意思であったことは明らかであり、従って、右の弁護人らの主張するところは、右いずれの貨物についても、その搬出業務が妨害されたとする結論に径庭を来たすものではないというべきである。
(四) 港運労の支援の程度について
弁護人らは、五月二五日の港運労の支援につき、実質的ストと評価し、同日の日中はそのため港内の荷役作業、検数業務が殆ど行なわれず、従って、同日貨物の搬出入がストップしたのは本件ピケのためではなく、港運労の不就労のためであると主張しており、被告人両名の供述中にもこれに沿う部分があるが、港運労関係の仲宗根市之助、新垣一馬・各公と荷役会社の責任者である桑江良勇・公・検、狩俣恵良・公・検、与古田幹三・公・検、中島一夫・公・検を対比しつつ、総合的に判断すれば、当日の港運労組合員らの市職労に対する協力等の程度は背六(二)に認定した限度にとどまり、港運労組合員といえども、荷役等の会社関係者がピケ隊員らから許された業務について、就労拒否はしなかったし、またできなかったことが明らかであり、会社関係者も、ピケ隊員らから拒否された業務について、本件ピケの状況からみて、ピケを強行突破すれば不測の事態を招来しかねないと考えて、そのような業務命令を出さなかったのであり、従って、当日の荷役作業の遅延等は、主として本件ピケにより会社責任者らが業務の中止等の決断を余儀なくされたためであって、港運労の不就労決定に起因した度合いは小さいといわねばならない。次に検数業務についてみれば、荷役作業とは様相を異にし、これが特に本件ピケにより制限されたりしたとの証拠もなく、荷役や搬出入が行なわれた貨物について検数人が不在のため支障を来たしたことも皆無のようで、関係各証拠を総合すれば、必要に応じて検数業務はなされうる態勢にあったものと推認される。
(五) スト中の貨物の搬出入手続について
通常の貨物の搬出入手続についても、細部にわたっては証人毎に各人各様なところがあって必ずしもはっきりしない点はあるが、背三(二)<3>の市の業務のほか、同(三)の荷役会社等の荷役作業、検数人等の検数業務が必要不可欠であり、さらに外航貨物については通関手続がこれに加わることになるところ、弁護人らは、本件スト中市当局は貨物の搬出入に関する右市の業務を行なう意思はなく、本件スト期間中搬出された貨物についてはピケ隊員が市の業務を代行した旨主張しているが、(人証略)を総合すると、スト中における市当局の那覇港の業務方針は背四に記載したとおりに認定され、スト中の貨物の搬出入についてもできる限り手続を簡略化してこれを認める方針であったと認められる。
ところで、本件スト期間中、ピケ隊員が認めた緊急貨物等の搬出について、通常市が行なうべき業務は誰によってどのように行なわれたかは、本件全証拠によるも必ずしも明らかではない。すなわち、弁護側証人中で最も搬出入手続に詳しいとされている本村輝夫(本件スト当時、港務所ふ頭係勤務)の供述によるも、通常港務所ふ頭係で行なう貨物の搬出許可にあたっての積荷総目録(マニフェスト)と荷主からの搬出届とを照合したりする手続をピケ隊員らが代行したことはなく、ピケ隊員がチェックしたのは、当該貨物が緊急貨物で自己らが搬出を認めるべきか否かだけであって、搬出届提出も後日でよかったというのであり、また、保安要員であった伊良波長哲及び知名定英の各供述によると、同人らも搬出入関係の業務には全く関与していなかったというのであって、右各供述と、次の各事実、すなわち背六(三)のとおり、二六日本件ピケ排除後、なおストが続行されたにもかかわらず、多数の貨物の搬出がなされているところ、これについても、搬出時に市の行なうべき業務が行われたとの証拠はないこと、一方、本件スト期間中に搬出された貨物につき、現に搬出届が提出され(搬出時に提出されたものであるかどうかは不明であるが、スト解除後の二七日までに提出されていることは明らかである。仲吉良二・公)、施設使用料金も後日市長が免除していること(背四)、貨物搬出時に市がとるべき手続を省略したことについて、市当局が、後日これを問題にした形跡は全くないこと等の事実を合わせて考えると、本件スト期間中に搬出された貨物については、本来搬出時にとられるべき市の手続は一切省略され、すべて事後に処理されたのであって、市当局も、右手続の省略を容認していたものとみるのが相当である。なお、仲宗根市之助・公によると、本件後、従来港務所ふ頭係が行なっていた市の貨物搬出入に関する業務は検数協会に委託されて処理されており、港務所の職員の関与なしに貨物の搬出入が行なえるようになっていることが認められ、このことは、逆に、本件当時も施設使用料金の算定・徴収以外の市の業務は、スト中などにおいては検数業務が行なわれている限り、必ずしも必要不可欠とまではいえないものであることを示しているものということができる(右料金が後日免除されていること及び検数業務が行なわれていたであろうことは先にみたとおりである)。
以上によると、やや不明な部分が残るとはいえ、結論的に、ピケ隊員らが各ゲートの通行を阻止しなければ、市の行なうべき手続はすべて事後処理するということで、貨物の搬出入が可能であったものというべきである。
(六) 本件ピケの目的について
弁護人らは、本件ピケを張った目的(賃上げ要求貫徹等の究極的目的は別とする)として、<1>組合の団結の誇示と組合員の志気の高揚、<2>業者と市民への理解と協力の要請、<3>盗難の予防と港湾の秩序維持、<4>第二組合や悪質業者の妨害の予防などを挙げて、第三者の権利侵害を意図したものではない旨主張し、被告人両名及び弁護側証人も同旨の供述をしているが、右<1>の目的達成のためには、本件のようなピケでなくてもかまわないことは明らかであり、<2>は意味があいまいであり、<3>の貨物等の盗難防止や秩序維持は荷役会社等(警務士を雇用している)や市当局の行なうべきことであり、これが、本件ピケの派生的効果とはいえても目的の一つであるとは到底認め難く、<4>については当時第二組合にも就労の動きがなかったことは明らかで、市当局とも保安要員についても合意ができており、また、その他の第三者からのいやがらせや攻撃は、むしろピケを張ることによって誘発されるものであって、ピケによってこれを予防しようというのは本末顛倒である。以上のことと、判示のとおりの本件ピケの態様及び別表記載のピケ隊員らの言動を正視するならば、本件ピケの主たる目的は、各ゲートを封鎖して、第三者である各種業者等の通行を阻止もしくは制限して、貨物の搬出入等をできる限り阻止することにあったといわざるをえないのであり、このようにして第三者に迷惑や損害をこうむらせることによって、市当局へ大きな圧力を加え、賃上げ等の要求貫徹を期したものと認められる。
二 威力業務妨害罪の構成要件該当性
判示認定の事実、すなわち、本件ピケの態様、バリケード構築の事実、被告人両名及びピケ隊員らの言動等を総合すれば、被告人両名の判示各所為が威力業務妨害罪にいう威力(人の意思を制圧するに足りる勢力)に該当することには疑問の余地がないところである。
なお、弁護人らの主張中、本件ピケと業務遅延の因果関係を否定する部分は、前記一(四)(五)に説示したところからも採用できないものであるが、そもそも、右主張は、本件ピケがなければ、貨物の搬出入業務等が被害者らが計画していたとおり完遂されたであろうと認められなければ、威力業務妨害罪の成立はないことを前提としているようであるから、この点につき、念のため判断を示すと、一般に威力業務妨害罪が成立するためには、業務に対し現実に妨害の結果を生じたことを要せず、業務を阻害するおそれのある状態を発生させれば足りると解されているのであって、本件のような事案においても、弁護人らの主張するような完全な因果関係が必要とされるものでないことは明らかと言わねばならない。また、本罪は、経済的意義を帯びた人の社会的活動の自由を保護するものであり、自由・安全に対する罪の要素も濃厚に持っているのであって、本件のような場合、被害者らが貨物搬出入等の業務を行なう目的で港内に立ち入ろうとすること自体が威力による妨害から保護されるべきであり、自由に立ち入れたとしてその目的を達成しえたか否か、どの程度まで達成しえたかなどによって本罪の成否は左右されないと解すべきである(もっとも、誰の目にも目的達成は不可能であることが予め明らかな場合のように極端な場合については別異に解する余地はあろう)。従って、本件において、別表のいずれの業務についても、ピケに阻止されなかったとしたら、予定どおり絶対確実に搬出入の目的を遂げたであろうとまではいえなかったとしても、このことは、何ら本罪の成立に消長を来たすものでないことは明らかである。
次に、弁護人らが特に貨物の搬出につき、通常港務所でとられるべき手続が欠如することを問題としている点につき、若干付言すると、威力業務妨害罪における「業務」はあらゆる面で適法で瑕疵のないものであることを要しないのであり、特に、本件のようにスト中で、しかもいずれも緊急を要する貨物の搬出行為につき、もっぱら市側の事情により所定の手続が履践されていないからといって、本罪において保護に値いしない業務となることはないと解すべきである。
以上によれば、被告人らの本件各行為が威力業務妨害罪の構成要件に該当することは明らかである。
三 本件スト及びピケの正当性
本件ピケは、地公法に違反する違法なストに伴うものであって、それ自体違法なものであることは明らかであるが、地公法上の問題点をひとまずおくとしても、本件ピケの目的は前記一(六)のとおり、主として第三者である那覇港利用業者等に向けられたものであり、その規模・態様も判示のとおりであって、被告人らは、市以外の数多くの業務が行なわれている広大な施設で、かつ公共性が極めて高く、見方によっては一般道路にも等しい那覇港の中央ゲート及び西ゲートを、港内においては二〇数名という極めて少数の職員しか有しない市の労働争議の過程で封鎖し、港内に立り入らなければ行なえないそれぞれの業務を有し、これが遅延することにより多大の損害をこうむる立場にある多くの業者ら(第三者)の港内立ち入りを阻止したものであり、説得などといっても、これらの者に業務の断念を迫る以外の何物でもなく、これらの者も自分が莫大な損害をこうむることを甘受すべきいわれは何もないのである。
なお、百貨店やホテル等のストに伴うピケの場合、その顧客について、いわゆる良識ある第三者としてピケ尊重主義などがいわれることがあるが、これらの場合、ピケの対象はあくまで百貨店やホテル等の業務そのものであり、顧客の側も他の店等で間に合わせる等の方法があるのであって、本件を、これらの場合と同列に論ずることは相当でない。
また、本件ピケは本件ストに必然的に随伴し、ストと同一に評価さるべきものではなく、那覇港についてみれば、市職労組合員の不就労の影響は比較的小さいが、本件ピケの影響は破壊的に大きいといわねばならない。
以上の諸般の事情を総合すれば、被告人らの本件各行為は、社会的相当性の範囲内にある正当なものとは認められず、違法なものというほかない(本件ピケは、もしも、私企業労働組合によって行なわれたとしても労働組合法一条二項にいう「正当なもの」には当たらない違法性の強いものと言うべきである。)から、この点の弁護人らの主張も採用できない。
(法令の適用)
被告人両名の判示各所為は、いずれも刑法六〇条、二三四条、二三三条、罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するところ、右は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い別表3の沖縄森永乳業株式会社に対する罪の刑で処断することとし、後記の情状により所定刑中いずれも罰金刑を選択し、所定罰金額の範囲内において被告人甲野を罰金五万円に、同乙山を罰金四万円にそれぞれ処し、被告人両名において右罰金を完納することができないときは、同法一八条によりそれぞれ金二、〇〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置し、訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文によりその二分の一ずつを各被告人に負担させることとする。
(量刑の事情)
本件は、沖縄県における最も重要な貨客輸送路の一つである那覇港の主要ゲートにピケを張り、バリケードを構築するなどして同港をほぼ全面的に封鎖し、人車の港内立入りを不能もしくは著しく困難にして判示各業者の業務の遂行を妨害し、同人らに多大な損害を与えたという計画的、組織的な犯行であり、更に、本件スト及びピケのほこ先は争議行為の相手方である市当局に対してではなく、これとは無関係な第三者である荷主等の港湾関係者らに直接向けられ、被害者以外の港湾関係者らにも多大な迷惑を及ぼしたものであること、被告人両名は市職労の最高幹部として終始本件スト及びピケを統括し、リードしてきたものであることなどを考えると、被告人両名の刑責は重い。しかしながら、本件スト及びピケは、復帰直後の異常な物価高騰から組合員の生活を防衛するために行なわれたもので、前記のとおり違法ではあるが、その動機において同情すべき点があること、被告人らを含む市職労は、復帰前においてはスト権を認められ、合法的にスト等を行なってきたものであり、本件は復帰後始めての春闘の際行なわれたものであること、本件スト及びピケに対し、市当局は、これが違法であることは認めながら終始これを黙認し、積極的に、これを中止させるような措置は何らとっていないことなど被告人らに有利な事情も認められる。当裁判所は、特に右有利な事情を考慮し、被告人らに対し、いずれも罰金刑を科することにしたものである。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松本昭徳 裁判官 安廣文夫 裁判官 根間毅)
別紙一覧表
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