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那覇地方裁判所 昭和55年(ワ)396号 判決 1983年3月02日

原告 比嘉廣

原告 比嘉千恵子

右両名訴訟代理人弁護士 新里恵二

同 国吉真弘

同 照屋寛徳

被告 沖繩県

右代表者知事 西銘順治

右訴訟代理人弁護士 澤村卓

右指定代理人 仲尾次健三

主文

一  被告は、原告らに対し各金六〇万円及び内各金五〇万円に対する昭和五三年七月二三日以降、内各金一〇万円に対する昭和五五年一〇月一三日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し各金三一〇万円及び内各金二五〇万円に対する昭和五三年七月二三日以降、内各金六〇万円に対する昭和五五年一〇月一三日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第一項に限り仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (交通事故の発生)

訴外甲野太郎(当時コザ中学三年生、一五歳。以下「甲野」という。)は、昭和五三年七月二一日午前七時頃、沖繩市胡屋九五二の一の比嘉設計事務所前市道一七四号線路上において、他から窃取してきたオートバイを運転し、後部座席に訴外亡比嘉健二(当時同中学三年生、一五歳。以下「亡健二」という。)を同乗させて走行中、ハンドル操作を誤り、右オートバイを歩道に乗りあげた後ブロック塀に激突させ、亡健二を頭部強打で即死させ、自らは右肩打撲で全治一四、五日の傷害を負うという事故を惹起した(以下右事故を「本件事故」という。)。

2  (警察の発表と新聞報道)

(一) 本件事故は、県下の小、中学校が夏休みに入った初日の事故であり、かつ、いわゆる「七・三〇(ナナサンマル)」(沖繩県における自動車の左側、歩行者の右側通行への切換移行)直前の事故であったため、沖繩タイムス及び琉球新報の各新聞は、前者が七段抜、後者が五段抜でそれぞれ当日夕刊の社会面トップに写真入りで大きく報道した。

(二) 右各新聞記事には、前記オートバイは盗難車であり、運転していたのは無免許の亡健二、後部座席に同乗していたのは甲野であったとされ、両名とも実名をもって記載されていたが、これらの新聞報道はいずれも、沖繩県警察のコザ警察署(現在の沖繩警察署)交通課長の訴外上里富喜久(以下「上里課長」という。)の発表に基づいてなされたものであった。

3  (警察官の過失)

前記のとおり、新聞記者に対する警察発表は、真実に反するものであるが同発表がオートバイの運転者と同乗者を誤認してなされたのは、生残った甲野が、警察官に対し、オートバイを運転していたのは死亡した亡健二であり、自分は後部座席に同乗していただけである旨の虚偽の事実を述べ、本件事故の捜査を担当したコザ警察署交通課の事件係主任訴外知花裕光(以下「知花主任」という。)が、右甲野の虚言を軽信し、オートバイのハンドルの指紋採取、目撃者の証言の収集等の基本的捜査を疎かにした過失及び右知花主任の捜査結果を軽信して新聞記者に対して発表した上里課長の過失によるものである。

4  (被告の責任)

知花主任及び上里課長は、いずれも被告の公権力の行使に当たる公務員(警察官)として、本件事故の捜査ないし新聞記者に対する発表を行なったのであるから、右両名の過失により原告らが被った後記損害については国家賠償法一条に基づき被告においてこれを賠償すべき義務がある。

5  (原告らの損害)

(一) 亡健二は、原告ら夫婦の次男であるところ、原告らは、折角一五歳まで亡健二を養育し、これから成育が楽しみという時期に愛児を失ったものであるがその際の誤った新聞報道によりあたかも亡健二がオートバイの窃盗犯人であり、かつ無免許でオートバイを運転した非行少年で、同級生に重傷を負わせた加害者であるかのような印象を世間に流布されて亡健二の名誉を毀損され、その結果原告らの亡健二に対する敬愛、追慕の情等の人格的利益ないし名誉をいちじるしく侵害された。

右原告らの被った精神的苦痛を慰藉するに足りる金員は、原告ら一人当り金二五〇万円を下らない。

(二) 原告らは、被告が任意の賠償に応じないため、本件訴を提起したが、本件訴の特殊性に鑑み、本人訴訟によっては訴訟の維持や勝訴判決を得ることが困難なため、法律専門家に依頼するほかないと判断し、原告ら代理人を訴訟代理人に選任し、弁護士報酬として、各金六〇万円(合計金一二〇万円)を支払う旨約した。右弁護士報酬の支払は、被告の加害行為と相当因果関係にある損害というべきである。

よって、原告らは国家賠償法一条に基づき、慰藉料各金二五〇万円と右各金員に対する加害行為後である昭和五三年七月二三日以降、弁護士費用各金六〇万円と右各金員に対する訴状送達の翌日である昭和五五年一〇月一三日以降各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実中、少年の実名の新聞報道が警察発表に基づくものであったとの部分は争い、その余は認める。

少年事件についての関係少年の実名は、新聞報道しないのが報道機関における確立された慣行であり、警察は、右慣行を前提とした上で、専ら報道機関の便宜のため関係少年の実名を明らかにするに過ぎず、本件の場合も同様である。

3  同3の事実中、甲野が警察官に対し、オートバイを運転していたのは死亡した亡健二であり、自分は後部座席に同乗していただけである旨の虚偽の事実を述べたことは認めるが、その余は争う。

4  同4は争う。

5  同5の事実は不知。

6  なお、前述のとおり、たとえ警察において少年事件について、関係少年の実名を発表したとしても、報道機関は、新聞報道するに際し実名を公表しないのが慣行である以上、本件発表を行なった警察官には結果発生についての予見可能性はなかったし、又、右警察官の発表と本件名誉毀損等の損害発生の間には相当因果関係が存しない。

三  被告の主張

1  警察官が、刑事事件の発生及び内容について報道関係者に発表を行なうことは、発表の内容が公共の利害に関し、専ら公益を図る目的に出たものと認められる場合であるから、たとえ発表された事実が真実でなかったため関係人の名誉等が毀損されるに至ったとしても、発表者において発表内容が真実であると信ずるについて相当の理由があったと認められる場合には、右発表行為について過失がないかもしくは違法性が阻却されると解すべきである。

2  警察官が本件事故の加害者は亡健二であると信じたことについては、次のような相当の理由があった。

(一) 甲野は、再三にわたる警察官の質問に対し、事故直後から一貫して運転者は亡健二であると答えていた。

(二) 本件事故の際、亡健二は黒色、甲野は青色のヘルメットをそれぞれ着用していたが、本件事故直前に本件オートバイの約一〇〇メートル後方を約一〇〇メートル余り追従運行していた本件事故の第一発見者が、現場での警察官の質問に対し、後部座席の同乗者は青ヘルメットをかぶっていたと答えた。

(三) 本件事故の実況見分によると、黒ヘルメットの着用者はオートバイに乗ったまま現場のブロック塀に頭部を強打して、脳挫傷で死亡したものと認められるが、右ブロック塀の手前に青ヘルメットの強い擦過痕があり、青ヘルメット着用者がオートバイから先に転落したことが推測されるところ、通常オートバイの運転者は、ハンドルを握っているため衝突等の事故に際し後部座席の同乗者よりも転落するのが遅くなると考えられるので、青ヘルメットの着用者が後部座席の同乗者であると推測された。

第三証拠《省略》

理由

一1  請求原因1(交通事故の発生)の事実及び同2(警察の発表と新聞報道)の事実(但し、少年の実名の新聞報道が警察発表に基づくものであったとの部分を除く。)はいずれも当事者間に争いがない。

2  《証拠省略》によると、本件事故の際にオートバイを運転していたのは無免許の亡健二である旨の誤った新聞報道及び右オートバイが盗難車である旨の報道がなされたのは、上里課長がその旨の発表を事故当日の午前一〇時頃に新聞記者に対して行なったことによること、沖繩県内において警察官が少年事件につき新聞記者にその内容を発表する際には、一般に特に実名の報道を控えてもらいたい場合には警察発表の段階で仮名をもって発表するか、もしくは新聞取材の便宜上実名を発表するとしても、実名の報道は控えるよう特に新聞記者に依頼するが、それらは発表される少年事件全体の二、三割に過ぎず、その余の七、八割の事件は警察官から新聞記者に少年の実名で発表され、右のような留保のない実名発表の場合には、特段の事情がない限りそのまま実名で新聞報道されるのが通例であるところ、本件事故について上里課長は、新聞記者には何ら実名の報道を控えさせる措置をとらなかったこと、交通事故についての新聞報道はおおむね警察の発表どおりになされ、新聞社において独自の調査等を行なうことはほとんどないこと、従って、右の如き警察発表を行なえば、たとえ少年事件といえども亡健二の実名がそのまま新聞報道されることは同課長においても容易に認識し予見し得たことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実に照らせば、本件事故についての少年の実名の新聞報道が警察発表に基づくものではない旨、従って右発表をなした警察官には少年の実名が報道されることについての予見可能性がなかった旨及び右発表と右少年の実名の報道によって損害が生ずることとの間には相当因果関係がない旨の被告の各主張はいずれも理由がない。

3  《証拠省略》によれば、亡健二は原告ら夫婦の次男であるところ、本件事故の際無免許でオートバイを運転し、同乗者を死亡させた旨の誤った警察発表ひいてはこれに基づく新聞報道がなされたこと、更には、右オートバイが盗難車である旨の警察発表に基づく報道がなされたことにより亡健二がこれを窃取した犯人であるかの如き印象を世間一般に流布されたことにより、著しくその名誉を毀損され、結局原告らの亡健二に対する敬愛、追慕の情等の人格的利益ないし名誉を害されたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  そこで、以下上里課長の誤った前記新聞記者に対する本件事故についての発表についての違法性、故意、過失について判断する。

1  一般に名誉毀損については、当該行為が公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出た場合において、摘示された事実が真実であることが証明されたときはその行為は違法性を欠いて不法行為にならず、又、摘示された事実が真実であることが証明されなくとも、その行為者においてその事実を真実であると信ずるについて相当の理由があるときには、故意過失がなく前同様不法行為にならず(最高裁判所昭和四一年六月二三日判決、民集二〇巻一一一八頁参照)、少年法六一条並びに犯罪捜査規範二〇六条等の趣旨に照し特段の配慮をしなければならない少年の刑事事件についても、右の原則の適用外となるとは断定しえないと解されるところ、刑事事件の発生及びその内容は公共の利害に関する事項であり、刑事事件の捜査を行なう警察官が報道関係者に事件についての発表を行なうことは、たとえそれが少年事件であっても特段の事情のない限り、専ら公益を図る目的に出たものと認めるべきで、右特段の事情についての主張、立証もないから本件における発表も専ら公益を図る目的に出たものと認められる。

2  しかしながら、本件において上里課長が新聞記者へ発表した内容が、事実を誤認したものであったことは前認定のとおりであるから、右行為は違法性を有するものというべきである。

3  次に、上里課長に亡健二が無免許でオートバイを運転していたと信ずるについて相当の理由があったか否かについて検討するに、《証拠省略》によると、以下の事実が認められる。

(一)  本件事故の直接の目撃者はおらず、事故当日亡健二、甲野らと交代で一緒にオートバイに乗って遊んでいた訴外喜友名朝敏、同仲栄真盛幸及び同ジョセフ・ペロルらも、沖繩市在の沖繩こどもの国入口付近で、島袋方面と、沖繩市立コザ中学校方面へ数回行ったり来たりしている亡健二と甲野を現認したが、その時は甲野がオートバイを運転し、亡健二は後部座席に同乗しており、亡健二が運転しているのを見た者はいない。そして右少年らは右オートバイが最後にコザ中学校方向から島袋方面へ相当のスピードを出して進行し、こどもの国入口付近を通過したのを目撃してから一五分ほど後に、サイレンの音を聞き、もしや事故を起こしたのではないかと心配になって本件事故現場へおもむき、初めて本件事故の発生を知った。

なお、右少年らの供述調書は事故当日にコザ警察署でとられている。

(二)  本件事故の第一発見者は訴外大城正治(以下「大城」という。)であるが、右大城は当時乗用車を運転してコザ中学校方向から島袋方向へ進行中、前方約一〇〇メートルのこどもの国入口付近で同一方向へ発進しようとするオートバイを見かけた。右オートバイは下り坂にさしかかったため、すぐに視野からはずれ、その後大城が事故現場を通過した際に倒れたオートバイのタイヤがまわっていたため、一〇メートルほど車を後退させて事故の発生を確認し、直ちに近くの比嘉設計事務所の者に救急車等の手配を依頼した。その際、現場にはヘルメットが二個散乱し、そこで身体の大きな男(甲野)が身体の小さな男(亡健二)を起こすような動作をしていたので、大城がオートバイを運転していたのは誰かと右甲野に尋ねたところ、甲野は亡健二が運転していたと答えた。

大城は、当日行なわれた実況見分にも立会い、又翌日コザ警察署で供述調書をとられたが、同人は事故を現認した訳でもなく、最初にこどもの国入口付近でオートバイを見た時には二人乗りであるか否かについても格別の注意を払っていた訳でもなかったので、どちらの色のヘルメットが前であったかについては明確な記憶がなく(なお、事故現場には、黒色と青色の二個のヘルメットが散乱しており、前掲証拠及び黒色のヘルメットの破損状況を総合すると、黒色のヘルメットを着用していたのは亡健二であり、青色のヘルメットを着用していたのは甲野であると認められる。)、従って現場での警察官の質問に対しても、どちらの少年が運転していたかはわからないと答え、更に供述調書でも青ヘルメットの少年は前か後かいずれに乗っていたかわからない旨供述している。

(三)  甲野は本件事故直後から、大城あるいは警察官に質問されるたびに、オートバイを運転していたのは亡健二である旨答えた。しかし、夏休みが終了し、第二学期の初日である昭和五三年九月一日、コザ中学校の校長室で原告比嘉千恵子に対して本件事故の際オートバイを運転していたのは亡健二ではなく自分であった旨告白し、当日コザ警察署へおもむきその旨を警察官に対して初めて供述した。

(四)  本件事故は、左側に向うゆるいカーブをオートバイが曲りきれずに道路右側の立木に接触し、右側歩道に乗り上げた上、右道路脇にある比嘉設計事務所の駐車場において道路に向けて駐車中の車両の前部ナンバープレート付近に運転者の身体を接触させ、その約一・五メートル先のブロック塀に激突したもので、青ヘルメットの擦過痕が右駐車車両の前のコンクリート床部分に付着し、ブロック塀の地上から八〇センチメートルの地点にも毛髪数本が付着していることから、青ヘルメット着用者は駐車車両に衝突、接触した時点でオートバイから転落し、黒ヘルメット着用者はそのまま進行してブロック塀に頭部を激突させ死亡したものと認められるところ、オートバイを運転していた青ヘルメット着用の甲野が、黒ヘルメットを着用し後部座席に同乗していた亡健二より先にオートバイから転落しているものの、その間の距離はわずか一・五メートルほどで、時間にすれば一瞬に過ぎないものと認められるから、後部座席に同乗していた者が運転者よりも後にオートバイから転落しても何ら不自然ではないし、むしろ、駐車車両に身体のみ衝突、接触している状況からも、右時点で前部に乗っていた甲野が先にオートバイから転落することの方がより合理性があるというべきである。

なお、本件事故の実況見分は、事故直後の午前七時一五分から同九時三〇分までの間に行なわれた。

(五)  沖繩県警察コザ警察署が本件事故の捜査として行なったのは、前認定の現場での大城を立会わせた上での実況見分、及び甲野、大城、喜友名朝敏、仲栄真盛幸及びジョセフ・ペロルからの事情聴取のほか、ヘルメットに付着していた血液の鑑定程度であって、オートバイのハンドル部分からの指紋の採取は行なわなかった。右採取が不可能であったか否かについては証拠上も明らかでない(《証拠省略》中には、右指紋の採取は不可能である旨の部分も存するが、警察官は捜査を専門的に遂行しているのであるから、指紋の採取が不可能であれば、これを積極的に立証すべきであって、これがなされていない以上、単に右証言のみによって指紋採取が不可能であったと認定することはできない。)。又、《証拠省略》中には大城は本件事故当日、現場で警察官に対し青ヘルメットの者が後部座席に乗っていたと述べていた旨の部分が存するが、証人上里富喜久は本件事故当日現場で大城と接触したことはなく、したがって右各証言部分は単なる伝聞に過ぎないこと、《証拠省略》は、事故の翌日に作成された大城の供述調書と矛盾するばかりか、事故後二年以上経過した昭和五五年一〇月六日(本件訴提起の前日)に知花主任によって作成されていること、仮に、大城が本件事故当日の現場での供述を翌日の取調の際に翻したならば、右経緯を明らかにする書面を作成するはずであるのにこれが作成されていなかったこと(右は《証拠省略》によって明らかである。)及び《証拠省略》に照らすと前掲各証言及び書証部分は容易に措信し得ず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

以上を総合すると、捜査にあたった警察官が事故の当日に亡健二らを目撃していた前記少年らの供述(但し、《証拠省略》中には、甲野が運転していたなら事故は起きなかったろうから、亡健二が運転していたのではないかと思うとの訴外ジョセフ・ペロルの供述部分が存するが、当時一五歳の少年の全くの推測に基づく右供述が重視するに値しないことは明らかであろう。)、第一発見者である大城の供述及び本件事故の態様から、本件事故の際オートバイを運転していたのは亡健二であると直ちに断定したことは妥当でないといわざるを得ない。又、甲野は一貫して亡健二がオートバイを運転していたと述べていたことが認められるが、刑事事件において、当事者が二人で、一方が死亡している場合に、生存者は罪を死亡者に転嫁しようとすることがあるのは捜査の専門家として当然に予知すべきことである(甲野は、亡健二が事故時即死状態にあったので、咄嗟に亡健二を運転者に仕立てようと判断したとしても何ら不自然ではない。)から、右甲野の供述をただちに信用し、右供述に基づき亡健二がオートバイの運転者であると速断したことについても妥当性を欠くものといわざるを得ない。

そうすると、右のような捜査担当者からの報告をもとに上里課長が事故当日の午前一〇時、直ちに新聞記者に亡健二が無免許でオートバイを運転していたものである旨発表したことは、同人において右が真実であると信ずるにつき相当な理由があったということはできないから、同人に過失があったといわざるを得ない。更に右発表の際にオートバイは盗難車であることを付加すれば、亡健二がオートバイを窃取したものと短絡的に受け取られる危険があるのに、漫然とこれを発表した点についても上里課長には過失があるというべきである。

三  (被告の責任)

本件において、警察官である上里課長が刑事事件の発生及びその内容を報道関係者に発表した行為は、被告の公権力の行使にあたる公務員の職務執行行為であると認められるから、前認定のとおり、上里課長の過失による本件事故についての誤った発表によって原告らが被った後記損害については、被告は国家賠償法一条に基づきこれを賠償すべき義務を負う。

四  (原告らの損害)

1  前認定のとおり原告らは亡健二の名誉を毀損され、結局原告らの亡健二に対する敬愛、追慕の情等の人格的利益ないし名誉を害されたが、《証拠省略》によると、原告らは本件事故の際オートバイを運転していたのは亡健二ではなく甲野であったとの強い信念のもとに、事故発生後一か月以上にわたり種々の方法で真相究明にあたり、遂には前認定のとおり昭和五三年九月一日に甲野から真実の告白を得るに至ったものであり、右経緯は昭和五四年一一月三〇日の琉球新報に七段抜で「母親が真犯人をつきとめる。」「死人に口なしで犯人に。」などとの表題で、又、同年一二月九日の同紙のサンデーストーリーの欄に七段抜で「わが子の無実を信じ真犯人をつきとめた母親の涙ぐましい執念」との表題でそれぞれ大きく報道されたこと及び右により亡健二の名誉もある程度は回復されたものといい得るが、右新聞報道も被告の働きかけ等によりなされたものではなく、原告らが亡健二の名誉を回復するためになした努力の結果であり、原告らの右努力は並々ならぬものがあったことがそれぞれ認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そうすると、原告らの被った右精神的苦痛を慰藉するに足りるには、原告ら一人当り金五〇万円をもってするのが相当であるというべきである。

2  《証拠省略》によると、原告らは本訴を提起遂行するに当り、原告ら訴訟代理人にこれを委任したことが認められるが、右に要した弁護士費用中被告の加害行為と相当因果関係ある損害は、原告ら一人当り金一〇万円と認めるのが相当である。

五  (結論)

以上の次第で、原告らの本訴請求は、被告に対し各金六〇万円及び内各金五〇万円(慰藉料相当額)に対する加害行為後である昭和五三年七月二三日以降、内各金一〇万円(弁護士費用相当額)に対する本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五五年一〇月一三日以降各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 比嘉正幸 裁判官 梶村太市 高林龍)

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