那覇地方裁判所 昭和57年(ワ)325号 判決 1987年1月27日
原告 城間和子 ほか五名
被告 国
代理人 布村重成 林田慧 宮平進 ほか七名
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告城間和子に対し金一九〇一万一三七三円、原告城間光信、同城間光芳、同城間和江及び同城間順子に対し各金三八六万二二七五円、原告城間幸也に対し金三八六万二二七四円並びにこれらに対する昭和五七年三月八日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文同旨。
2 敗訴の場合、担保を条件とする仮執行免脱宣言。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告ら並びに事件関係者
(一) 原告城間和子(以下「原告和子」という。)は、亡城間幸栄(以下「幸栄」という。)の妻であり、原告和子を除くその余の原告らは、いずれも幸栄の子である。
(二) ケビン・エム・ヘデマーク(以下「ヘデマーク」という。)は、一九六一年四月一五日アメリカ合衆国カンザス州で生まれ、一九七七年コロラド州の高校を中退し、一九七八年一一月、一七歳で米海兵隊(海軍に含まれる。)に入隊し、後記2の事件当時、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に基づき在沖縄ハンセン基地に駐留する第三海兵師団第七通信大隊本部中隊(以下「本部中隊」という。)所属の海兵隊員として勤務していた者である。
2 事件の発生
ヘデマークは、昭和五七年三月三日、無許可で職場を離脱し、以後、沖縄県石川市内の建築中の空家や同僚のアパート等を転々と寝泊りする生活をした後、同月八日午前七時三〇分ころ、沖縄県国頭郡金武町字金武浜田原四一五一番地の二所在の大城礒栄所有の墓地内において、幸栄をコンクリートブロツク塊で殴打し、同人を殺害した(以下「本件殺人事件」という。)。
3 被告の責任
(一) 在日米軍の隊員監督義務
軍隊は、実力を用いて戦闘を行う組織であり、その目的のために絶えず隊員を教育し、訓練を行う集団であるから、一般市民社会とは異なる質の高い支配服従関係で規律され、一般市民に対して危害を加えないようにその隊員を指揮監督すべき注意義務を負う。とりわけ、戦争の放棄を定め軍隊の保持を禁ずる憲法の下で日本に駐留する在日米軍は、日本国民に対して高度の犯罪防止義務を負うというべきである。
しかも、ヘデマークの勤務するハンセン基地周辺においては、かねてから根強い占領意識の下で、在日米軍の構成員(以下「隊員」という。)による凶悪事件が多数発生し、隊員の規律の緩み、暴力行為に対する抑制意識の鈍化がみられたのであるから、在日米軍は、隊員が犯罪を犯さないように、日常的に注意深く隊員を監督すべき高度の注意義務を負つていたものである。
(二) 具体的な監督義務者
ヘデマークに関して具体的には、ヘデマークが所属していた小隊の小隊長又は直属の上司のほか、ヘデマークは当時部隊内の整理、建物の管理、敷布、毛布の配布等を行うポリス業務を命ぜられていたので、その責任者であるケネス・イー・スタイン曹長及びヘデマークの居住する兵舎の管理責任者が、いずれもそれぞれの立場からヘデマークを監督すべき注意義務を負つていた。
ところで、右注意義務は、通常は勤務時間中又は兵舎内での生活について及ぶにとどまるが、ある隊員について、部隊整列による点呼に出頭しない、業務命令に従わない、兵舎にいないなどの行動が長期にわたり、また、個々の状況を総合してその行動に異常な点がみられる場合には、その隊員が所属する中隊の中隊長が、中隊の責任者として、その隊員の全生活領域において右(一)の注意義務、すなわち、その生活状態を調査して監督すべき積極的な義務を負うものである。
(三) 本件殺人事件に至るヘデマークの行動
ヘデマークについては、本件殺人事件を犯す具体的危険性が十分にあつた。すなわち、ヘデマークは、
(1) 昭和五五年九月、合衆国海兵隊員として沖縄に配属されたが、昭和五六年三月ころから、不法侵入、窃盗、命令不服従、不法飲酒、歩哨勤務中の睡眠及び外出禁止命令違反などの統一軍法違反を犯し、同年六月四日、軍法会議において、罰金、二等兵への降等処分、懲役二ヶ月及び不行跡による除隊の判決を受け、更に昭和五七年一月にも、命令不服従、風紀びん乱などにより再び軍法会議にかけられ、同月一八日に罰金、二等兵への降等処分及び二九日間の禁錮の判決を受けた。このように、上司に対する反抗態度が進み、隊内でやつかい者扱いされて孤立する状態が続いた。
(2) 一二、三歳のころから麻薬の違法使用の習慣を身につけ、海兵隊入隊後も、薬物乱用及びアルコール中毒症状は改まらず、昭和五五年三月ころ、米軍の病院でアルコール乱用者と診断されていたし、来日後の昭和五六年三月にも、米軍地域医療アルコール症矯正所において、薬物乱用でパーソナリテイ不全のため軍隊からの隔離が必要であると診断指示されていた。
(3) 昭和五七年一月ころからは、右(1)の判決による禁錮等の拘禁期間中を除き、本部中隊で行われる午前七時三〇分の部隊整列による点呼に出頭せず、命ぜられていたポリス業務にも就かずに、兵舎で寝るか、薬物、アルコールを飲むために外出していたが、その間、精神的荒廃は極度に進み、ついに同年二月二五日には、かみそりで自らの手首を切つて自殺を図るに至つた。
(4) 同年三月三日、脱走を決意して基地外に出て、昼夜の別なく薬物やアルコールを使用し、同僚のアパートに泊つたり、野宿するなどして過ごし、同月七日も午後六時ころから金武町の酒場を転々と飲み歩き、その後翌八日朝、本件殺人事件を犯した。
(四) 違法な公務執行
前記(二)記載のヘデマークの上司らは、右(三)の(1)ないし(4)記載のヘデマークの薬物中毒の症状、精神状態、生活態度、勤務状況などからみて、ヘデマークが基地から脱走する危険があり、かつ、脱走すれば何らかの犯罪を犯す具体的な危険性があることを十分認識し得たのであるから、同人らとしては、予めヘデマークの生活、行動を規制して脱走を防止し、又は、脱走したヘデマークを直ちに基地内に連れ戻すべきであつたのに、何らの措置も採らず、ヘデマークを放置していた。これは、前記(一)のとおり在日米軍が日本国民に対して負う犯罪防止義務を怠つたもので、違法な公務執行に当たるというべきである。
(五) 因果関係
ヘデマークは、脱走を決意して基地を出てから本件殺人事件当日に至るまで、六日間、昼夜の別なくアルコール及び薬物を乱用し、その状態の中で本件殺人事件を犯したもので、これは、ヘデマークのアルコール及び薬物乱用歴、本件殺人事件の一年前からの行動、生活状況及び脱走直前の精神状態を考慮すれば、ヘデマークの脱走を防止せず、かつ脱走を放置したことに伴う必然的な結果であり、右(四)の違法な公務執行と相当因果関係を有する結果の発生である。
(六) 被告の責任
したがつて、本件殺人事件は、ヘデマークを監督すべき注意義務を負つていた上司らの違法な公務執行によつて生じたものであるから、被告は、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う民事特別法(以下「民事特別法」という。)一条に基づき、原告らに対し、本件殺人事件によつて生じた後記4の損害を賠償する責任を負う。
4 損害
(一) 逸失利益
幸栄は、本件殺人事件に遭つた当時四八歳で職に就いていなかつたが、昭和五九年度賃金センサス全国性別・年齢階級別年次平均給与額表第一巻第一表に基づく平均年収五一八万二六〇〇円程度の収入は、今後就労可能年齢六七歳までの二〇年間は得ることが可能であつた。そうすると、その間の逸失利益の現価は、次の計算式のとおり四〇七八万四九八八円となる。
五一八万二六〇〇円×〇・六(生活費控除後の収入率)×一三・一一六(新ホフマン係数)=四〇七八万四九八八円
(二) 慰謝料
幸栄は、ヘデマークに殺されねばならない格別の行為をなしたのではないのにかかわらず、前記2記載のとおり殺害されたものであり、その遺恨ははかり知れないものがあり、慰謝料として二〇〇〇万円が相当である。
(三) 相続
右(一)及び(二)の合計は六〇七八万四九八八円であるところ、原告和子がその二分の一の三〇三九万二四九四円を、同原告を除くその余の原告らがその各一〇分の一として、原告城間光信(以下「原告光信」という。)原告城間光芳(以下「原告光芳」という。)、原告城間和江(以下「原告和江」という。)及び原告城間順子(以下「原告順子」という。)が各六〇七万八四九九円を、原告城間幸也(以下「原告幸也」という。)が六〇七万八四九八円をそれぞれ相続した。
(四) 損害填補
原告らは、合衆国から、本件殺人事件の損害の補償として二四一六万二二四一円を受領し、そのうち一二〇八万一一二一円を原告和子の損害へ、各二四一万六二二四円を同原告を除くその余の原告五名の損害へそれぞれ充当した。
よつて、未払損害額は、原告和子について金一八三一万一三七三円、原告光信、原告光芳、原告和江及び原告順子について各三六六万二二七五円、原告幸也について三六六万二二七四円である。
(五) 弁護士費用
原告らは、被告が右損害を賠償しないので、認容額の一割をそれぞれ報酬とすることとして原告ら訴訟代理人に本訴の提起、追行を委任したが、その弁護士費用のうち、原告和子については七〇万円、同原告を除くその余の原告らについては各二〇万円は本件と相当因果関係のある損害として被告が負担すべきである。
(六) 請求額
したがつて、本件について原告和子は一九〇一万一三七三円、原告光信、原告光芳、原告和江及び原告順子は各三八六万二二七五円、原告幸也は三八六万二二七四円の損害について未だ填補を受けていない。
5 結論
よつて、原告らは、被告に対し、民事特別法一条に基づき、原告和子について一九〇一万一三七三円、原告光信、原告光芳、原告和江及び原告順子について各三八六万二二七五円、原告幸也について三八六万二二七四円並びに右各金員に対する本件殺人事件の日である昭和五七年三月八日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び反論
1 請求原因1及び2の事実は認める。
2(一) 同3(一)の主張は争う。
軍隊をはじめ行政組織体、企業などの人的組織体は、一定の業務、事業目的を遂行、達成するために行われる職務遂行過程において、その構成員を指揮監督する権限又は義務があるに過ぎず、職場外における職務遂行に関係のない生活関係に対しては、その構成員を指揮監督する権限及び義務はなく、右生活関係は構成員自らの責任と判断に委ねられた構成員の私的生活の分野である。在日米軍の隊員についても、基地内の隊舎で居住することが義務づけられているのではないし、隊舎内の生活に関しても、一般市民社会での生活以上の厳格な服務規律又は指揮監督を受けているのでもないから、隊員は、勤務外においては、職場外で職務遂行に関係のない行為をするについて在日米軍当局から拘束を受けるいわれはないのであり、在日米軍は、親権者のように隊員の生活関係の全面にわたつて指揮監督する権限及び義務があるものではない。
本件殺人事件は、ヘデマークの私生活の分野で挙行されたもので、在日米軍当局には、ヘデマークの私生活上の分野に対しては指揮監督する権限又は義務そのものがないのであるから、本件殺人事件を防止する義務が在日米軍当局に生ずる余地はない。
(二) 同3(二)の主張は争う。
中隊長は、中隊の長として、また、ヘデマークの上官として、同人を指揮監督する権限を有するが、職務から離脱する目的で基地を出て一般市民社会で生活していた同人に対しては、指揮監督する権限はなく、ましてや基地内に連れ戻す権限もない。
そもそも、中隊長の隊員に対する指揮監督権限は、中隊職場内の規律及び秩序の維持並びに職務の適正円滑な運営の確保の観点から認められた権限であるから、隊員の一般市民社会での私生活関係の上で、一般市民に対して危害を加えるおそれがあるか否かといつた犯罪予防的見地からこれを行使すべきものではない。すなわち、中隊長が隊員に対する指揮監督権限を行使すべき義務が生じうるとしても、これは、中隊長が合衆国海兵隊に対して負う職務上の義務に過ぎず、犯罪の防止を目的として個別の国民に対する関係で負担している義務ではないのである。したがつて、たとえ中隊長がこれをけ怠したとしても、不法行為法上の義務違反を構成するものではない。
(三) 同3(三)及び(四)の事実のうち、ヘデマークが、昭和五五年九月合衆国海兵隊員として沖縄に配属され、昭和五七年三月三日基地外に出て昼夜の別なくアルコールを飲み同僚のアパートに泊つたり野宿するなどして過ごし、同月七日も午後六時ころから金武町の酒場を転々と飲み歩き、その後翌八日朝本件殺人事件を犯したことは認め、その余の事実及び主張は争う。
ヘデマークが本件殺人事件を犯すに至つた経緯は、軍隊生活での不平不満からその憂さ晴らしをするため一般市民社会で金銭の続く限り酒を飲もうと思つて、無断職場離脱の意思で基地を外出し、酒を飲むだけといつた生活をしていたところ、幸栄の自分に対する行為及び態度に憤りを覚え、衝動的に同人を殺害したものであり、本件殺人事件は、被害者幸栄の行為及び態度が起因となつた偶発的な事件である。ヘデマークが基地を外出したこと、又は、同人の性格、行状等が直接の原因となつて発生したものではないし、また、同人は、軍隊から脱走する意図であつたのではなく、単に、金銭の続く限り酒を飲んで軍隊生活での憂さ晴らしをすることが目的で、金銭がなくなつた場合には基地に戻つて無断職場離脱についての責任をとる意思であつたこと等からして、同人が基地を外出して一般市民社会で生活することにより一般市民の生命身体等の重大な法益に対する具体的危険が切迫していたものということはできない。したがつて、中隊長がヘデマークに対して指揮監督権限を行使しなければ著しく合理性に欠けるような状況にあつたということはできないから、中隊長に右権限を行使すべき義務があつたものとはいえない。
(四) 同3(五)及び(六)の主張は争う。
3 同4の事実のうち、幸栄が前記一2記載のとおりヘデマークに殺害されたこと及び原告らが合衆国から損害の補償として二四一六万二二四一円を受領したことは認め、その余は不知ないし争う。
第三証拠<略>
理由
一 請求原因1及び2の事実は、当事者間に争いがない。
二 右事実によれば、本件殺人事件は、ヘデマーク自身の在日米軍構成員としての職務の執行とは無関係に行われたものであるが、これが、ヘデマークを監督すべき注意義務を負つていた上司らの違法な職務執行によつて生じたものと認められるか否かについて、次に検討する。
1 ヘデマークが昭和五五年九月合衆国海兵隊員として沖縄に配属されたことは当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、ヘデマークは、昭和五五年九月、在沖縄ハンセン基地に駐留する本部中隊に配属され、その本来の任務は補給業務であつたが、昭和五六年九月ないし一〇月ころから、部隊内の整理、建物の管理、敷布等の配布などを行うポリス業務に就いており、同基地内の本部中隊員の宿泊する兵舎に起居し、毎朝中隊単位で行われる部隊整列による点呼を受けたのち、平日は通常午前七時三〇分から午後四時三〇分までポリス業務に従事していたこと、本部中隊のような中隊については、中隊長がその管理の責任者であること、隊員は、勤務時間中は上司の指揮監督を受けるが、勤務時間外の行動については各人に任されており、基地からの外出は自由であるし、門限の時刻も定められていないこと、勤務時間外においても兵舎内では、その秩序を乱す行いをすれば、兵舎ごとに任命された下士官(NCO)が隊員を注意監督すること、隊員は、合衆国統一軍法及び合衆国海軍規則等の規則に服し、統一軍法等に違反した隊員に対しては、日本国内においても、刑事及び懲戒の裁判権を行使できること、日常の勤務開始時には中隊単位で点呼が行われ、これに出頭しない隊員は無断欠勤とされ、その隊員の属する中隊長から所属の大隊長にその旨が報告され、程度によりその隊員の人事記録に記載されるほか、場合によつては、統一軍法違反として罰金、外出禁止などの処罰が行われること、無断欠勤している隊員が行方不明のときにはその所属する大隊の大隊長がその裁量で憲兵隊に捜索を依頼することもできること、三〇日以上無断欠勤が続けば脱走兵として軍法会議にかけられること、隊員につき無断欠勤のような統一軍法違反の事実があるときには、基地内においては、士官及び下士官はその隊員を逮捕し、帰隊させることができるけれども、基地外においては憲兵隊のみがこれを行いうること、統一軍法に違反した者に対しては必要であれば、一四日間は行政的な措置としてその自由を拘束できること、また、中隊長は隊員が非常に酩酊していて自分自身或いは他人に対して危険な状態にある場合に隊員の身分証明書(IDカード)を一晩取り上げるというような措置をとりうること、在日米軍当局は、その構成員の勤務状況のほか健康状態についても容易に把握することができ、薬物中毒者に対する治療、リハビリテーシヨンを行うことも可能であること、以上のとおり認めることができ、これに反する証拠はない。
2 右事実を総合すると、中隊長を含むヘデマークの上司らは、職場内の規律及び秩序の維持並びに職務の適正円滑な運営を確保するため必要な限りにおいては、ヘデマークら構成員の勤務時間内の行動のみにとどまらず、統一軍法違反者に対する行政的、刑事的な措置や隊員の健康管理を通し、構成員の生活、行動の全般について指揮監督を及ぼす権限を有し義務を負つていたものであるが、在日米軍は、わが国の安全に寄与し並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与することをその職務とし、その構成員による日本国民に対する犯罪の防止をその本来の職務とするものとはいえないから、右の視点に立つ限りにおいては、仮にヘデマークの上司らにおいて右指揮監督義務のけ怠があり、かつそれが一因となつて本件殺人事件が発生したものとしても、直ちに右け怠が民事特別法上の違法な職務執行に結びつくものとは解されない。
しかしながら、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(以下「地位協定」という。)一六条によれば、合衆国軍隊の構成員らは、わが国において、わが国の法令を尊重する義務を負つているところ、地位協定九条二項により、合衆国軍隊の構成員については、旅券及び査証並びに外国人の登録及び管理に関するわが国の法令の適用から除外され、また、同協定二条、三条、一七条により、在日米軍は基地につき使用権、管理運営権、警察権等を有し、その反面として、基地に対するわが国の行政警察権をはじめとする公権力の行使は大幅な制約を受けているのであるが、それらの取扱が取り決められたのは、合衆国軍隊の構成員らに対する出入国の規制ないし基地内における管理については、在日米軍の職務の特質及び任務遂行の必要上、大幅に在日米軍による自律的統制に委ねる趣旨と解されるから、在日米軍当局としては、その見返りとして、日本国内に居住する在日米軍の構成員につき、他人に重大な法益侵害を加える高度の蓋然性があることを予測し、かつ、これに対し、その与えられた権限に基づき、結果の発生を防止する措置をとることが可能である場合には、右措置をとるべき民事特別法上の義務を負うものというべきである。
3 そこで、本件殺人事件を犯す以前に、在日米軍当局、具体的にはヘデマークの上司らにおいて、ヘデマークにつき、本件殺人事件のような他人に重大な危害を加える高度の蓋然性があることを予測しえたか否かについて、検討する。
ヘデマークが、昭和五七年三月三日基地外に出て昼夜の別なくアルコールを飲み同僚のアパートに泊つたり野宿するなどして過ごし、同月七日も午後六時ころから金武町の酒場を転々と飲み歩き、その後翌八日朝本件殺人事件を犯したことは当事者間に争いがなく、右事実に、<証拠略>によれば、次の(一)ないし(六)のとおり認定することができる。
(一) ヘデマークには、一二、三歳のころから薬物の乱用癖があり、合衆国海兵隊に入隊して間もなくの一八歳のころ、飲酒の上喧嘩して下あごを骨折し、治療の際、診断と治療のためアルコール症矯正所に紹介されていた。沖縄に配属されてからも、アルコールのほか、「ブルー」及び「ヴアリウム」と称する薬剤、アンフエタミン、コカイン、ハルシノゲン、エフエドリン等の薬物を乱用しており、昭和五六年三月六日には、中隊長からの要請で米軍地域医療センターアルコール症矯正所医師による診察がなされ、その結果、「薬物乱用でパーソナリテイ不全のため、軍隊からの隔離を考慮した方がよい。薬物乱用癖の治療のため、入院させることを薦める。」と診断された。
(二) ヘデマークは、同年三月中旬から四月上旬にかけて、不法侵入及び窃盗の共謀、命令不服従、不法飲酒、歩哨勤務中の睡眠及び外出禁止命令違反の統一軍法違反罪を犯し、同年六月四日、軍法会議において、罰金、二等兵への降等処分、懲役二か月及び不行跡による除隊処分の判決を受け、除隊処分以外については執行を受けたものの、除隊処分についてはヘデマークが控訴したため執行されず、同人は休暇を得て帰国することをつよく希望していたのに、その後も許されなかつた。
更に、昭和五七年一月一八日、ヘデマークは、その前日犯した命令不服従、暴行、侮辱、飲酒による風紀びん乱により、再び軍法会議において、罰金、二等兵への降等処分及び禁錮二九日の判決を受けた。
(三) 右禁錮刑執行終了後の同年二月二三日、ヘデマークは大麻を所持しているのを発見され身柄を拘束され、釈放後の同月二四日深夜、帰国が許されないことへの不満や自己のアルコールや薬物乱用の問題に悩んだ挙句、飲酒のうえ、かみそりで自己の左手首を数回切りつけ自殺を試みているところを夜警に発見されて入院し、翌二五日に行われた精神科医による診察及び鑑定の結果、「幻覚、錯覚、連想間隔のゆるみ等の症状はなく、精神的未熟な個人的特徴があるが、自殺や殺人行為の可能性は現在の状態ではない。」と診断され、勤務に戻るため即日退院させられた。
(四) ヘデマークは、自己に対する当局の処遇への不満がうつ積し、同年三月三日から無断で職場を離脱し、同僚のブツチヤーと共にハンセン基地を出て、同人と共に連日酒を飲み、同僚のアパートや建築中の空家に泊るなどして過ごすようになつた。同月六日、ブツチヤーは上司の説得に応じて基地に戻つたが、ヘデマークはこれに応じず、同日夜は一人で野宿し、翌七日も午後六時ころから金武町のバー街に出かけて酒場を転々と飲み歩き、翌八日午前四時ころ、スナツク「風車(かじまやー)」で飲酒中、相客の幸栄と知り合つた。
(五) ヘデマークは、同日午前六時三〇分ころ、一人で同店を出て付近を徘徊するうち、午前七時三〇分ころ、再び幸栄と出会い、一緒に酒でも飲もうと考えて後をついて歩いたが、同町内の墓地内で、幸栄から肩や腕を掴まれたため、これに立腹し、その手を振りほどこうとしてその肩を突き飛ばしたところ、後ずさりした幸栄は腰をかがめ、右手拳を腰の横につけ空手の構えをしてヘデマークの方に近寄つてきた。これを見たヘデマークは、かつて空手の心得がある兵隊仲間に手拳で下あごを殴られ、下あご骨折の重傷を負わされたことを思い起し、幸栄が自分に殴りかかつてくるものと考え、衝動的に同人を殺害しようと決意し、同所にあつたコンクリートブロツク塊を拾い上げ、幸栄の頭部を目がけて投げつけ命中させ、更に転倒した同人の頭部に二回右ブロツク塊を投げつけ、よつて、そのころ、同人を頭部打撃に基づく脳損傷により死亡させた。
そして、その直後不法領得の意思を生じ、同人の所持品を物色した上、着用のベルトを窃取した。
(六) ヘデマークは、同日中にハンセン基地に戻り、同月一〇日、石川警察署員に逮捕された後、当庁に殺人罪及び窃盗罪で起訴され、懲役一〇年の有罪判決を受けた。右起訴後の同年六月一六日、ヘデマークは拘置所内で米海兵隊の精神科医の診療を受けたが、本件殺人事件について述べる際にも、その当時、幻覚、幻聴等の精神障害の徴候が存したことを窺わせるものはなく、結局、過去においても、右面接時においても、ヘデマークは精神病のきざしは見当らず、社会的な意識を欠く反社会的性格との印象であつた。なお、ヘデマークの弁護人は、公判手続において、誤想過剰防衛及び病的酩酊による心神喪失又は心神耗弱の主張を行つたが、いずれの主張も採用されなかつた。
以上のとおり認定することができ、右認定に反する<証拠略>の一部は採用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
右認定事実を前提として検討するに、なるほどヘデマークは、以前からアルコールその他の薬物乱用癖があり、これと精神的未熟さとがあいまつて、職場への相当深刻な不適応をひき起こして基地を無断離脱し、その後は放縦な生活の中で昼夜を問わず飲酒し、かなり抑制力の低下した状態で本件殺人事件に及んだもので、本件殺人事件は、ヘデマークの精神的に未熟な性格や薬物乱用癖、更には職場への不適応がその背景となつて惹起されたものであることは否定できないけれども、前認定のとおり、同人はこれまで精神病に罹患したことはないし、本件殺人事件以前には飲酒ないし薬物乱用及び職場への不適応に起因する軍法違反行為があるのみで他人を傷つけた前歴はなく、自殺を試みた直後の精神科医による診察鑑定の結果でも、自殺や殺人の可能性はないと診断されており、無断離脱して基地を出た後も本件殺人事件に及ぶまでは飲酒に耽るなど現実逃避的な行動に終始し、その間、他人に危害を加えようとした徴候は見当らず、本件殺人事件の際にも同人には、幻覚、幻聴等はなく、右は、現場における幸栄のとつた行動がヘデマークの過去の被害体験と結びついて発生した偶発的な犯行であると考えられるから、以上によれば、ヘデマークの上司らにおいて、ヘデマークがこのような犯行に至る高度の蓋然性のあることを予め予測することができたものとは認められない。
してみると、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がない。
三 以上の次第であつて、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 河合治夫 水上敏 後藤博)