那覇地方裁判所 昭和59年(ワ)42号 判決 1987年2月25日
原告 比嘉栄五郎 ほか三名
被告 国
代理人 阿波連本伸 布村重成 林田慧 宮平進 ほか二名
主文
一 原告らの論求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告比嘉栄五郎に対し、金三九八〇万円、同仲尾ミツ子、同真田ケイ子及び同比嘉良彰に対し、それぞれ金六六三万円並びに右各金員に対する昭和五九年二月八日から各支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 訴外比嘉照邦(以下「照邦」という。)は、昭和二七年二月一四日原告比嘉栄五郎(以下「栄五郎」という。)及び訴外亡比嘉キク(以下「亡キク」という。)の長男として沖縄県名護市に出生し、沖縄県立名護高等学校を卒業後、昭和四八年四月琉球大学に入学し、同大学法文学部文学科英文学専攻一年次に在籍中の昭和四九年二月八日死亡した。
原告仲尾ミツ子、同真田ケイ子、同比嘉良彰は、栄五郎及び亡キクの子供で、各々、長女、二女、二男で照邦の兄弟である。
(二) 被告は、琉球大学を設置し、管理するものである。
2 本件事故の発生
照邦は、昭和四九年二月八日、琉球大学教養Aの一教室(以下「本件教室」という。)で行われていた同大学教授新垣義一(以下「新垣教授」という。)の講義する物理概説を受講していたところ、午後一時五〇分ころ、覆面をして鉄パイプやバール等を持ち、「安室はいるか」とどなりながら、右教室に乱入した七、八名の者に頭部等を右鉄パイプやバール等で多数回にわたつて殴打され、左前頭、側頭部開放性陥没骨折等の傷害を負わされ、よつて頭蓋内出血及び腹腔内出血による失血のため、同日午後五時〇五分ころ、沖縄県立中部病院で死亡するに至つた(以下「本件事故」という。)。
3 被告の責任
(一) 照邦が、昭和四八年四月琉球大学に入学したことにより、同人と被告との間には、照邦が琉球大学で教育を受けることを主目的とする在学契約が締結された。
被告は、右在学契約に付随して、照邦に対し、信義則、教育条理、教育基本法第一〇条二項等教育関係法令に基づき、教育過程において照邦の生命、身体、健康等に危害が生じないよう注意し、物的、人的環境を整備し、種々の危険から照邦を保護すべき安全配慮義務を負つていた。
(二) 仮に、照邦の学生としての在学関係が琉球大学長の入学許可という行政処分によるものとしても、被告は、照邦に対し、右法律関係に内在し又は付随する義務として、信義則上身体、生命、健康等についての安全配慮義務を負つていた。
(三) 大学教育は、学内、特に教室における講義を主要な内容とするのであるから、被告は、前記安全配慮義務の履行として、教室で受講中の学生の生命、身体、健康に対して危害が生じないよう万全の措置を講ずべきであり、常日頃から学内に出入りする者を点検するとともに、講義中の教室への受講生以外の出入りを点検して、学生に危害を加える目的で兇器を所持する者の侵入を禁止し、これを排除できるよう具体的措置をとるべき義務を負つていた。
(四) 更に、本件事故当時琉球大学内では、過激派学生等集団による対立抗争が激化しており、学内デモや実力行使がなされる等不穏な状況にあつたから、被告は、前記の義務に加えて、次のような具体的措置を講ずべき義務を負つていた。
(1) 過激派学生の動向を十分に把握し、その行動に対応して学生に危害を及ぼさないための措置。
(2) 学生が過激派学生の対立抗争に巻き込まれないための学生に対する具体的な指導。
(3) 警備員を増強して学内への出入りを厳重に点検することによる兇器を所持する者の学内への侵入の排除。
(4) 警備員を増強して教室内外を監視し、加害目的で兇器を所持する者の教室への乱入の未然防止。
(5) いわゆる中核派(以下「中核派」という。)によりいわゆる革マル派(以下「革マル派」という。)の拠点である琉球大学が襲撃される可能性があつたから、安室の如く襲撃される可能性のある人物が受講する予定の教室や、襲撃を受ける可能性のある学生自治会室等付近の職員、警備員らによる巡回の強化。
特に、本件事故当日、本件教室で安室が物理概説を受講することを大学当局は知つていたのであるから、右時間帯は、右教室付近の警備を強化すべきである。
(五) 新垣教授は、琉球大学の教授として本件事故当時本件教室で物理概説を講義中であつたから、その教室内の秩序維持、学生の身体につき安全を配慮すべき立場にあり、乱入者らに対し、安室が在室していないことを知つていたのであるからこれを告げて乱入を中止するよう説得すべきであつたし、また、受講している学生に対し避難等についての適切な指示、指導をなすべきであつた。
(六) 被告は、前記各義務を懈怠し、またその履行補助者である新垣教授も前記義務を懈怠したために本件事故が発生し、その結果照邦が死亡し、照邦、栄五郎、亡ミツは後記の各損害を被つた。よつて、被告は、安全配慮義務違反により右損害を賠償する義務を負う。
4 損害
(一) 逸失利益
照邦は、本件事故当時二一歳であつたが、本件事故に遭わなければ、琉球大学卒業予定の二五歳から六七歳までの四二年間稼働可能でありその間毎年平均金四五六万二六〇〇円(賃金センサス昭和五七年第一巻第一表の産業計、企業規模計、男子労働者、新制大学卒業、全年齢平均給与額)の収入を得られたものであるところ、生活費としてその二分の一を控除し、中間利息の控除につきライプニツツ係数を用いて逸失利益を求めると次のとおり金三九七〇万円(一〇万円未満切捨)となる。
4,562,600(円/年)×17.423(ライプニツツ係数)×1/2(生活費控除)=39,747,089円
原告栄五郎及び亡キクは、照邦の逸失利益を各自二分の一ずつ相続により取得した。
(二) 慰藉料
照邦は、講義受講中に本件事故に遭い、その精神的苦痛は甚大なものであるから、これを慰藉するためには金一〇〇〇万円が相当である。
原告栄五郎及び亡キクは、本件事故により息子を失い、甚大な精神的苦痛を受けたのであるから、これを慰藉するためには、各自金五〇〇万円が相当である。
原告栄五郎及び亡キクは、前記照邦の慰藉料請求権を各自二分の一ずつ相続により取得した。
(三) 亡キク死亡による相続
亡キクは、昭和四九年四月一六日に死亡したので、同人の有していた慰藉料請求権及び照邦から相続により取得した損害賠償請求権(逸失利益と慰藉料)は、原告らにより次のとおり相続された。
原告栄五郎 三分の一
{1985万円(亡キクが相続した亡照邦の逸失利益}+500万円(亡キクが相続した亡照邦の慰藉料)+500万円(亡キクの慰藉料}×1/3=995万円
原告仲尾ミツ子、同真田ケイ子及び同比嘉良彰 各自 九分の二
(1985万円+500万円+500万円)×2/3×1/3≒663万円(1万円末満切捨)
5 結論
よつて、原告らは、被告に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき、原告栄五郎は金三九八〇万円、その余の原告らは各自金六六三万円及びこれらに対する訴状送達の日の翌日である昭和五九年二月八日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(一)の事実及び(二)の事実のうち被告が琉球大学を設置したことは認め、被告が琉球大学を管理していることは否認する。
琉球大学の管理者は学長である。
2 同2の事実は認める。
3 同3の事実のうち、照邦が昭和四八年四月琉球大学長の入学許可という行政処分により入学し、学生として、被告との間で在学関係にあること及びこれに付随する義務として、被告が照邦に対し信義則上安全配慮義務を負うことは認め、その余の事実は否認し、安全配慮義務の具体的内容については争う。
4 同4の事実は否認する。
なお、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求は、契約ないしこれに準ずる法律関係の当事者の地位にある者が取得するにすぎないから、栄五郎及び亡キクが固有に慰藉料請求をすることができるとしてなされた主張は、前提を誤つた失当なものである。
第三証拠 <略>
理由
一 請求原因1(一)の事実、(二)の事実のうち被告が琉球大学を設置したこと及び2の事実は当事者間に争いがない。
ところで、被告が琉球大学を設置したものと認められる限りは、学校教育法五条により、被告が琉球大学を管理していることは明らかである。
二 <証拠略>によれば、次の各事実が認められる。
1 本件事故発生に至る経緯
本件事故は、中核派に所属する山城信康他九名の者が、かねて対立抗争中の革マル派所属の学生に危害を加えようと計画し、革マル派の指導者とされていた琉球大学自治会長の安室朝哲(以下「安室」という。)が本件教室で物理概説を受講しているとの情報を元に、約一週間にわたり、同人を襲撃することを計画し、綿密に準備を整えた上、次のとおり敢行されたものである。右山城ら一〇名の者は、昭和四九年二月八日鉄パイプ、バール等を所持して琉球大学グラウンド付近へ乗用車二台で乗りつけ、見張りの者二名を残して、パンテイーストツキングで覆面をしたうえ、グラウンド近くの斜面から大学構内に侵入し、本件教室に赴き、右山城ら数名は教室の出入口で脱出するのに備えて待機し、残りの数名が、安室を襲撃するべく、同日午後一時五〇分ころ、物理概説講義中の本件教室内に鉄パイプやバール等を所携して乱入した。
同教室では、約六二名の学生が受講中であつたが、乱入者らの目標とされた安室は講義の開始時には教室にいたが、出欠が採られた後退室していたので、本件事故発生時には在室していなかつた。乱入者らは「安室はどこだ」と叫びながら安室を探しはじめたところ、受講中の学生の多数は、座つたまま声のする方を振り返つたり、教室の窓側に避難したりなどしていたが、同教室の教壇に向つて左側の後ろから四列目の席で受講中の照邦は、教室後方から教壇方向に走り出したため、これを見た乱入者らは照邦を安室と誤認し、同人を後方から追跡し教室の最前列の机付近で押し倒し、同人の頭部、前額部等を所携の鉄パイプやバールで多数回にわたり殴打し、数分後に前の出入口から逃走した。
2 本件事故前の琉球大学の状況
琉球大学においては、昭和四五年四月、中核派を中心とする過激派学生によつて琉球大学土木ビルが占拠され、昭和四六年六月一九日には、琉球大学男子寮(海邦寮)において革マル派学生の一人が、いわゆる民青(以下「民青」という。)系学生と議論していた際、同寮の二階屋上から転落して死亡するなどの事件があつた。革マル派は、そのころから、琉球大学の学生自治会の主導権を掌握し、本件事故当時は、その奪還を目ざす民青の学生との間で小ぜりあいを起し、大学構内でもビラ配り、小集会をし、ヘルメツトや覆面を着用した姿での行動等が散見された。更に、革マル派は、昭和四九年一月一七日、学生自治会長及び選挙管理委員の信任、不信任をめぐり、これに対立する民青の学生及びこれに加わつた一般学生と琉球大学体育館入口で、投石を伴つた竹ざお、消化器等による暴力事件をおこし、その結果負傷者が出るに至つた。しかしながら、それ以上に、格別意見を表明していない一般学生や教職員を巻き込むような過激派学生による抗争事件はなく、他に一般学生に危害が及ぶような具体的危険性を示す事情はなかつた。また、琉球大学内において、中核派の活動はなく、学外の中核派と革マル派とが対立抗争する事件がおきることもなかつた。
3 本件事故当時の琉球大学外の状況
本件事故当時、過激派学生によるいわゆる内ゲバ事件は、全国的規模で発生しており、沖縄県においても、昭和四八年末に沖縄県警察本部が内ゲバの激化を予想して「内ゲバ事件捜査本部」を設置して過激派学生の動きを警戒してきたが、なお内ゲバ事件が相次ぐので、琉球大学において、暴力事件の結果負傷者が出た昭和四九年一月一七日には、右捜査本部を拡充強化して、徹底的な取締りに乗り出していた。沖縄県内では、昭和四八年一一月二九日、沖縄国際大学において学生自治会室が数人の男により襲撃されるという事件がおきたが、加害者、被害者等事件の詳細についてまでは報道されることがなく、右事件は世上の注目を集めるほどではなかつた。
4 琉球大学の対応状況
琉球大学では、前記昭和四九年一月一七日暴力事件により負傷者が出てのち、同月三〇日に学生部長名で学生宛に注意を呼びかける通知を出しこれを各学生に配布した。また、学内の秩序維持及び緊急事態に対する対処策については、すでに昭和四六年に評議会や厚生補導委員会において協議の上、取り決めがなされており、本件事故当時もこれに従つた運用がなされる状態にあつた。
構内の警備等については、学内における集会が予定され、学生間の衝突が予想される場合には、自治会の幹部に対し口頭で注意を与えたり、警察と事前に連絡をとり学外で待機してもらうなどしていたが、本件事故当日は、特別の緊急事態は考えられず、そのような措置はとられていなかつた。
三 被告の責任
1 国立大学における国と学生との間の在学関係は、国立大学長の入学許可という行政処分により発生する法律関係と解すべきであるから、原告らのいう照邦と被告間の在学契約を根拠とする安全配慮義務違反の主張は、失当として排斥を免れない。
2 しかしながら、右行政処分により発生した国立大学の在学についての法律関係は、大学における教育、研究目的達成という一定の目的のため管理作用を伴うものであるから、信義則等により、その法律関係に内在し又は付随するものとして、事業主体としての国及びその事業の遂行を掌る大学当局は、学生の生命、身体、健康についての安全配慮義務を負うものと解される。
3 そこで、本件事故について、照邦と被告との間における右の意味での安全配慮義務の内容及び安全配慮義務違反の有無について検討する。
国が教育過程において学生に対し管理作用を行う場合に負うべき安全配慮義務の具体的内容は、個々の事柄及び具体的状況により異なり、また尽くすべき注意の程度に差異があるのは当然である。
(一) 大学当局が、学生を教室内で受講させる場合に負うべき安全配慮義務の内容は、教室内におけるあらゆる事態の発生につき学生の安全を確保すべきものとまではいうことができない。
大学生は、成年者又はこれに近い年齢に達した者であり、大学において講義を受ける場合も、受講すべき講義については、各学生の選択により決定されるし、また講義への出席、遅刻、早退についてもある程度各学生の自由な判断に委ねられている。従つて、大学当局は、一定の講義及び受講に耐えうる施設を配置し、学生の利用に供すれば足り、大学内の秩序を維持するため、大学及び教室への出入りを絶えず点検し、学生の安全を配慮するまでの義務を負うものではない。
(二) 右程度を越えて学生の安全を配慮すべき場合は、具体的に危険が予知され、これに対応する具体的措置を講ずる必要がある場合に限られるというべきである。そこで原告が主張する被告の安全配慮義務について順次検討することとする。
(1) 請求原因事実3(四)(1)の義務について
本件事故は、前記認定のように秘密裏に計画され実行されたものであり、かかる行為を事前に察知することは捜査当局によつてもなしえなかつたことである。したがつて、大学当局が、事前に本件事故の事態を察知することは不可能であつたというべきで、具体的にこれに対応する措置をとるべき義務を負つていたとは、到底いうことはできない。
(2) 同3(四)(2)の義務について
大学生は成年者またはこれに近い年齢に達した者であり、一定の思慮分別をわきまえた者であるから、過激派学生の対立抗争に遭遇したときは、自らの判断で行動すべきであり、大学当局が、あらゆる場合を想定してあらかじめ対策を講じて指導しておく義務はないというべきである。
(3) 同3(四)(3)及び(4)の義務について
前記認定事実によれば、本件事故当時、沖縄国際大学における学生自治会室への襲撃事件以外に学外者が大学内に立入り、暴力事件をおこした例はなく、右事件も広く世上の注目を集めていたものでもないし、琉球大学において、教室内における暴力事件を予測させる事情もなかつたのであるから、大学当局が警備員を増強して出入口及び教室周辺の警備を厳重にすべき具体的義務まで負つていたとすることはできない。
(4) 同3(四)(5)の義務について
本件事故当時、琉球大学において革マル派が中核派により襲撃されるなど、秘密裏になされる襲撃事件の可能性につき、大学当局が単なる危惧の念以上にこれを予測することができる事情はなく、まして、そのような襲撃事件に伴い一般学生が被害を被ることは予測しえなかつたのであるから、大学当局が特定の学生に対する襲撃事件を想定して警備を強化すべき義務を負つているとは、到底いうことができない。
(5) 同3(五)の義務について
すでに説示したように、一定の思慮分別をわきまえた大学生は、過激派学生の対立抗争に遭遇した場合、自らの判断で行動すべきであり、大学当局も学生が自らの判断で行動するとの前提のもとでこれに対処すれば足りるのであるから、本件事故のように、教室内に不慮の侵入者が出現した場合にも、講義を担当する教授が即時にこれに対する対応策を判断し、受講する学生に対し指示、誘導を行うまでの義務を負つているとすることはできない。
(三) 結局、本件においては、被告に原告ら主張の内容の安全配慮義務の存在を認めることはできず、原告らの請求はその余の主張につき判断するまでもなく理由がない。
四 よつて、原告らの請求はいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 比嘉正幸 山口雅高 後藤眞理子)