大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

那覇地方裁判所沖縄支部 昭和52年(ワ)306号 判決 1979年9月20日

原告 甲野松子(旧氏名 乙山梅子)

右原告法定代理人親権者父兼原告 甲野太郎

同母兼原告 甲野花子

原告 乙山月子(旧氏名 甲野月子)

右原告法定代理人親権者父兼原告 乙山一男

同母兼原告 乙山春子

原告六名訴訟代理人弁護士 加藤義樹

同 大久保建紀

被告 橋口英明

右訴訟代理人弁護士 宮里松正

同 許田進弘

主文

1  被告は、

原告甲野松子に対し金三三〇万円及び内金三〇〇万円

原告甲野太郎に対し金二二七万六八一〇円及び内金二〇七万六八一〇円

原告甲野花子に対し金二二〇万円及び内金二〇〇万円

原告乙山月子に対し金三三〇万円及び内金三〇〇万円

原告乙山一男に対し金二二六万五二九〇円及び内金二〇六万五二九〇円

原告乙山春子に対し金二二〇万円及び内金二〇〇万円

に対する昭和五二年六月二四日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

4  この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告乙山月子及び同甲野松子に対し各自金一一〇〇万円及び内金一〇〇〇万円につき昭和四六年九月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を、原告甲野花子及び同乙山春子に対し各自金八八〇万円及び内金八〇〇万円につき右同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告甲野太郎に対し金九三二万四八八七円及び内金八四九万八四八〇円につき右同日から支払いずみまで年五分の割合による金員を、原告乙山一男に対し金九五九万〇五六三円及び内金八七六万四七〇五円につき右同日から支払いずみまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  新生児取り違え事故

原告甲野松子(以下「原告松子」という。)は昭和四六年八月一六日同甲野太郎・花子夫妻(以下「原告甲野夫妻」という。)の、同乙山月子(以下「原告月子」という)は同月一八日同乙山一男・春子(以下「原告乙山夫妻」という。)の、いずれも長女として、沖縄県沖縄市字仲宗根三一五番地所在の産婦人科医である被告経営の「橋口医院」において出生したが、被告医院退院時に、原告月子は同甲野夫妻に、同松子は同乙山夫妻に、いずれも誤って引き渡され(以下「本件事故」という)、右両夫妻により同月子は「甲野月子」の、同松子は「乙山梅子」の各氏名でいずれも実子として出生届が出され、以来それぞれ取り違えられたまま右両夫妻の実子として養育されていた。ところが、昭和五二年六月頃、同甲野夫妻が同月子の血液型から親子関係の存否に疑念をもち被告に調査を委託し、調査の結果、同年六月前記取り違えの事実が判明した。

2  被告の過失態様

本件事故は、次のとおり、被告の新生児管理上の重大な過失により発生した。すなわち、

(一) 昭和四二年一二月日本産婦人科学会において取り違え事故の実体調査がなされ、複数の標識の採用等の防止策が指導されていたにもかかわらず、被告は、複数の標識を使用せず、新生児の足首につけた標識バンドも入院中常時着用させるわけでなく、右バンドの管理も全く不十分であった。

(二) 被告カルテにおける新生児体重記載も不正確で、原告松子については出生後四日目と五日目の記載が後日書き改められるなどの取り違え防止措置としては杜撰極まりないものであった。

(三) 被告は、出産に介在することを主たる業務とする産婦人科医師として、母親が出産した子はその母親に引き渡すのが初歩的で根源的な責務とするところ、その基本的な注意義務を懈怠した重大な過失により、原告甲野花子にその子でない原告月子を引き渡して退院させた後、原告乙山春子の入院期間中、新生児の体重測定値の推移の異常から本件事故発生に気付くべきであったのにこれを漫然看過し、更にその後の両新生児の定期検診の折にも、両児の発育の異常さを母親の育て方の得手、不得手の問題に帰せしめて、原告らの被害を飛躍的に拡大させ、六年余も経過した昭和五二年六月頃に至って、原告甲野夫妻が、原告月子の血液型から親子関係の存否に疑念をもち、被告に調査を委託した結果、本件事故が判明した状況であって、民法第七〇九条の不法行為責任のあることは明らかである。

3  原告らの権利の侵害

(一) 原告ら両親の監護教育権の侵害

父母は、それぞれ親権を行なう者として子を教育し監護する権利を有し(民法第八二〇条)、自からの経済的・社会的・文化的諸条件により定まる家庭生活環境の内で自からの思想・信条・良識・生活方式などに従って、我子の適性・能力に応じた保育・教育をなし、自からの好ましい親子関係を作りあげる権利を有するところ、原告甲野夫妻及び同乙山夫妻は、本件事故により、いずれも父母として六年もの長き間、その実子に対する右の権利を全く奪われたばかりでなく、これまで慣れ慕ってきた子を手離し、見も知らなかった我子を引き取っても、直ちにこれを円滑に教育監護し得ないことは明らかであるから、過去及び将来の監護教育権を侵害されたものと言わざるを得ない。

(二) 原告ら子の人格権及び実親から監護教育を受ける権利の侵害

子は、個人としてその人権を尊重され、親の庇護と教育を受けつつ、子としての幸福を追求する権利を有するところ、原告松子及び同月子は、本件事故により、六年もの長きの間、その人格権及び実の親から教育監護を受ける権利を奪われたばかりでなく、これまでに形成された人格等はたやすく変え得ないことは明らかであり、人格の形成に連続性・一貫性の断絶が生ずることは不可避であるから、過去及び将来の実父母からの教育監護を受ける権利を侵害されたものと言わざるを得ない。

4  損害

(一) 損害の概要

(取り違え―交換による苦痛)

取り違えの発覚は原告ら親子に表現しつくせない衝撃を与え、適確な善後策のなさゆえの不安を生み、実子交換後は当事者にそれこそ筆舌に尽し難い苦脳を与えたのである。その苦脳は適格な対処策・治療方法がないため、何時まで続くものか図り知れないのである。各原告にほぼ共通する交換後の苦脳・精神的苦痛はおよそ次のとおりである。まず第一に実子が実親、実の兄弟になじまない。このことは不幸なことながら当然のことである。六年間もの長い間、他人の親に育てられ他人の子を実子として育ててきたのである。そこに形成された親子関係、育てられた人格は根本的に本来の実親子関係とは異なり誤った関係なりに固定しようとしているのである。実親子関係が取り戻されたからといって直ちに両者間に円滑な関係が生れようはずがない。しかし実の親は実の子を、実の子は実の親を求めざるをえないのである。子供は育ての親を求めて夜泣きし、一人部屋の隅でひざをかかえて孤独をかこち、就寝中突然かつての兄弟の名前を叫んで飛び起きるのである。また実の兄弟とはなじめず物の取り合をし喧嘩がたえない。実の兄弟であると判ろうとしても感覚的に受け容れ難いのである。これはとりもなおさず人格・精神心理面の障害によるものに外ならない。実の弟を「虫けら」のように嫌がっているのである。実の親が抱こうとしても逃げ、絶えず育ての親の下に帰りたがるのである。親は、それが好ましいことであるか否かに疑問を持ちつつも、現在、なお週に一回は育ての親の下に実子を連れて行かざるをえない。そのときの、育ての親・兄弟と会った時の、会えると判った時の子供の、また親の喜びと安心感は正に実親子としてなじめず、精神的障害が重大であることの証左に外ならない。当初小学校へ入学するようになれば交換されてしまうことを知った子は、時間が停止して学校へ行かなくなればよいと思い、折角買い与えられたランドセルを隠すことまでしたのである。入学してからは、育ての親もとを離れ、友人もおらず育ての親もとの学校へ行きたいと訴えたのである。親としてもこうした状態に直面して、どのように対処してよいか途方にくれ、飲みつけなかった酒に気をまぎらすようになったり、仕事に行く気力を失なったり、寝込んでしまうことになってしまっているのである。他人の親子を見るにつけ、和気あいあいと何の心のわだかまりもなく生活し遊んでいるのに、何故自分らの場合そのようにいかないのか、それも育ての親・子については普通以上の愛着を感ずるだけに、その悲惨さは倍加するのである。「いっそのこと実の子供を手離し、育ての子供を引き取ろう」「一家して死んでしまいたい」との心境になっているのである。

(家庭の破壊)

取り違えにより苦脳をうけているのは単に当事者の親子だけにとどまらず、これらを含めた双方の家族及びその親族に深刻な問題を引き起こしているのである。両家族の家庭に限っても、精神的・経済的破綻を生ぜしめているのである。

(1) 精神的破綻

当事者たる親子の苦痛は先に述べたところであるが、子供は実の兄弟ともなじまず、実の兄弟もまた子供を異端者と理解するばかりである。子供はいずれも実の兄弟間で長子たる立場にあるが、親から与えられたものを弟妹には分け与えず一人じめにしようとすることから争が生じ、また孤独をかこって無口となり泣きくれることが多いため、弟妹からすら「泣き虫」とさげすまれ、「元の姉ちゃんの方がいい、元に戻った方がいい」と言われる有様である。親としても子供にこれを正そうとして言い聞かせても、「嫌だ、元のお母ちゃん、お父ちゃんの方がいい」等と屈曲した反発を受けるばかりで、親として本来の教育すら満足になしえない状態となっている。こうした場合、育ての親もとに行く回数を減らすために親としてはいきおい物を買い与え遊びに連れていくことで子供の歓心を買わざるをえなくなるのである。このような破綻した家庭環境、換言すれば、親としての本来の教育監護権の行使が損われ、子供として親から本来のそれを受ける権利の損われた環境にあっては、子供の性格・心理・精神・身体を含めた全人格の正常な発展は望めないばかりか正常な親子関係の形成も不可能となり、かえって子供の人格・親子関係が屈曲したものとなってしまうことは容易に推測しうるところであり、又専門家の指摘するところである。

(2) 経済的にも家庭を破壊している。

取り違えが発覚して以来、両家族は実子を引きとるため、その円滑な交換ができるよう交歓等の準備をしたが、そのために多大の出捐を余儀なくされた。交換した後も、前記のような実情から、子供を融和させ育ての親から実親への移行を能うる限りスムーズに行い、その間の段差を最少のものにするため、子供を育ての親もとに連れて行ったり、両家族が交遊したりしているが、これにも不可避に出費が伴ってくるのである。その額等は父親の出捐の項で明記するとおりであるが、これらの出捐は各父親の収入の能力を越えるものであって、右の出捐は家計を圧迫し原告らの生活程度は最低のものとなっている。やむなく親族から援助を得てこれを維持しているものの、子供が実の弟妹と喧嘩し、あるいは育ての親もとに行きたいと訴えるようになった場合に、これをしずめるために与えてやる小遣のやりくりにすら事欠く状態である。

子供取り違えとこれに伴う実子の引き取りという極めて異常な事態の発生は、その親と子に対し強烈な衝撃を与え、実親子の融和の困難さは前記のような具体的な現象となって表われているのであるが、問題は単に融和が困難であって関係者に精神的苦痛を与えているというだけにとどまらず、右の事態が実親子、特に子供の精神・心理面に障害をきたし健全な発達を阻害しているということである。このため両家族は昭和五三年一一月から専門家である琉球大学保健学部精神衛生学教室の佐々木雄司教授から治療カウンセリングを受け、以後同教授の指導の下に同教室員らの治療カウンセリングを受けることになったが、当初の治療に金一五、四四〇円を要し(未払)、昭和五四年一月から向後一年間の経費としては八五、九二〇円が予定されているのである。そして子供に対して本件の異常事態が精神的・心理的に影響を与えこれが最も具象化するのは二〇歳前後の思春期であるとのことであり、これを最少限にくい止めるためには、その時期まで治療カウンセリングを継続させる必要があることから、この間の経費の支弁も原告らに強いられることになるのである。これら既に出捐された、また将来確実に出捐の予定されている経済的負担は、貧しい原告らの家庭を経済的に破綻させ、将来にわたる経済的な苦痛はいつ果てるとも知れないのである。

(的確有効な対処策がないこと)

子供取り違えが発覚して以来、その親は果して実子を引き取ることができるものであるか否かに悩まざるをえなかった。六年間もの間見も知らなかった実子を引きとっても本来の親子関係が回復されるかどうかに強い不安を感じたからである。そしてその不安は、交換した後予想以上の困難さに直面して、現実化したのである。子供が二人に増えたと考えればより幸福となるといった安直なことではおよそ対処しえないものであり、それこそ「旧の状態に戻すか」「子供と共に死んでしまいたいくらい」の状態なのである。この苦痛は本件の如き事態に対し、的確で有効な治療方法も含め対処方法が確立されていないことにより、幾重にも倍加されることになるのである。身体的な損傷疾病であれば多くの場合これに対する医学的治療方法が確立されこれに則した対処が可能ではあるが、本件の場合は全く稀有な事例であり、特に子供の人格の形成に対し精神的に重大な支障障害をきたし、これが思春期において特に重大な影響が出るであろうことは指摘されていても、その具体的な現象は不確定であり、現在具現化している前叙の各症状だけに限っても、これを軽減し融和する方策は医学的にも未知の分野であり、専門家も結局長時間をかけて実親子関係を当事者の努力と周辺の者の協力を得て確立していくより方法はなく、精神衛生学的専門家としても、これに対しアドバイスをすることの外に的確有効な方法はないとしているのである。それだけに当事者の不安と苦痛は一層つのり、経済的な苦痛も含め、正常な精神には耐えられない苦痛をこれからも長期間あるいは終生背負って生きていくことになるのである。子供についてみれば現在既に子供取り違えの事態を子供なり理解しているようであるが、これが長じて、事態を完全に把握したとき、その精神的心理面に与える影響は、これが未知数であるだけに言い知れぬ不気味さと不安の苦痛を感じざるをえないのである。

(二) 損害金額

(1) 父母の慰謝料各金八〇〇万円

両原告夫妻の精神的損害を金銭に評価すれば、少くとも各自金八〇〇万円に相当する。

(2) 子の慰謝料各一〇〇〇万円

原告月子及び同松子の精神的損害を金銭に評価すれば少くとも各金一〇〇〇万円に相当する。

(3) 父の出捐

本件事故が発覚したことにより、原告甲野太郎及び同乙山一男は次の(イ)ないし(ヘ)等の出費を余儀なくされた。これら出費はいずれも本件取り違え事故と相当因果関係のある損害であるから、昭和五四年一月一〇日までに生じたもののうち、同甲野は金七九万八四八〇円を、同乙山は一〇六万四七〇五円を、それぞれ賠償請求する。

(イ) 血液型検査費用

(ロ) 被告との接渉、弁護士との面接、子供の交換のための交歓等に伴う勤務先休業による減給

(ハ) 子供交換のための両家族交歓の費用

(ニ) 家庭裁判所に対する調停申立費用

(ホ) 通信費

(ヘ) 子供のカウンセリング費用

(4) 弁護士費用

被告が任意に原告らの右損害を賠償しないため、原告らは本訴の提起・追行を原告ら訴訟代理人両名に委任し、原告甲野太郎について金八二万六四〇七円を、同乙山一男について金八二万五八五八円を、同月子及び同松子について各金一〇〇万円を、その余の原告両名について各金八〇万円を、いずれも報酬として支払う旨約した。右は本件事故と相当因果関係のある損害である。

(5) 一部弁済

被告は、本件事故による損害賠償債務の一部弁済として、昭和五四年五月までに、原告甲野太郎及び同乙山一男に対し各金三〇万円を支払い、両名はこれを右慰謝料に充当した。

5  よって、原告らは被告に対し、右各損害金(原告甲野太郎及び同乙山一男については各弁済受領金三〇万円を控除)につき、不法行為に基づく損害賠償請求権を有するので、右金員及びこれから弁護士費用を控除した各内金について本件事故後である昭和四六年九月一日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実中、本件取り違え事故が被告の過失により発生したことは認める。しかし以下のように、その過失の態様は重大、悪質なものではない。すなわち、

被告は母親の血液型・新生児の血液型・体長・体重を検査して記録し(体重については毎日)、その手首・足首・産衣胸元に母親の氏名を記載した標識板又は標識バンドをつけ、看護婦に対しても沐浴等の際右標識を外さぬよう十分な教育をする等新生児管理に万全を期していた。従って、本件事故は、原告甲野花子退院の際、同人を原告乙山春子と誤認し、同人の出産した子を引き渡し、又同人退院の際同様に右原告甲野花子の生んだ子を引き渡したため生じた公算が強い。

原告月子と同松子は出産時に二日間の差があり、出生時の体重も四五〇グラム程度異なり、その母親も出産後これを告知され、その後毎日自ら授乳したりして、自分の子の体形・体重を知っていたのであるから、看護婦が子供を取り違えて渡した時、少し注意すれば体重・体形の著しい変化に気づいたはずである。

3  同3は争う。

4  同4は争う。

(一) 慰謝金額は以下の理由で一世帯各一〇〇万円ないし三〇〇万円が相当と解する。

(1) 被告の過失は前記2のように重大、悪質なものではない。

(2) 被告は同年六月二二日原告甲野夫妻より調査を依頼され極力真相究明に努め、同月二四日本件事故の真相を解明した。本件事故判明後は、各夫妻が実子を引き取るために、夕食会を催す等の協力をおこなった。

(3) 本件事故による原告らの損害内容も、過去一時的に真実の親子関係をもてなかったにすぎず、原告らの今後の努力次第で回復可能な損害である。

(二) 被告は右の金額の範囲内で任意に慰謝料支払いに応ずる意向であるから、弁護士費用は本件事故と相当因果関係のある損害ではない。

第三証拠《省略》

理由

一  本件事故

請求原因1の事実(本件事故とその判明に至る経緯)は当事者間に争いがない。

二  被告の損害賠償責任

《証拠省略》を総合すれば、請求原因2及び3の各事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。したがって、民法七〇九条に基づき、被告が原告らに対し本件事故により原告らに生じた各損害を賠償しなければならない義務があることは明白である(被告に損害賠償責任があることは、被告も自認するところである)。

なお、被告は、本件事故発生又はその発見遅延について、原告両夫妻にもいくばくかの責任があるかの如き主張をするが、原告両夫妻にそのような責任があるとはとうてい認められない(原告花子及び春子両名は初産であり、いずれも、新生児と最初に接したのは出産三ないし四日後で、その後一日二回授乳する機会があっただけで、出産五日目に新生児を受取って退院したのであるから、本件事故に気付くことを期待することは不可能と認められる)。

三  本件事故判明後の状況

《証拠省略》を総合すると、本件事故判明後の状況はおよそ次のとおりと認められる。

1  本件事故判明後、被告は両原告夫妻に対し、早急に原告月子と同松子を交換し、各実子を養育するよう勧め、昭和五二年六月原告ら両家族を交じえた会食を催すなどしたが、両原告夫妻とも子を双互に交換することにつきにわかに決心できなかった。

2  しかし、その後両原告夫妻とも、原告月子と同松子とを交換して、それぞれ実子を養育することを決意し、右両原告を含め双方の家族ぐるみで、会食・ドライブ・海水浴・小旅行を行なう等交流を深めた後、真実に合致するよう戸籍の訂正手続をし(梅子については、名を松子と改名)たうえ、昭和五三年三月三〇日右両原告を交換し、以来各実子を養育している。

3  両原告夫妻共各実子と融和すべく最大の努力を続けているが、原告月子、同松子とも未だその実親に十分なじまず、実兄弟とのけんかも絶えず、養家に行くことを常に楽しみにしている状態で、養家に行きたいと泣いて右両原告夫妻を手こずらせることもしばしばで、両原告夫妻とも子の求めるままに、やむなく実子を毎週一回程度養家に連れて行って一泊させることを容認している現状である。

4  このような状態を何とか改善しようと考えて、両原告夫妻はそれぞれ実子を伴って琉球大学保健学部精神衛生学教室にカウンセリングに通い始めたが、現在までのところ右状況改善について確たる見通しも立っていない。このように、右両原告夫妻は本件事故に伴う交換の結果生じたであろう子供の心理的悪影響・実子との心の通った親子関係の確立・育てた子の将来等について深く憂慮しながら毎日を送っている。

四  損害

1  慰謝料

《証拠省略》によれば請求原因4(一)(損害の概要)記載の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上認定の各事実によれば、原告らは本件事故のため過去六年間親が実の子に対して監護教育を行い、子が実の親からこれを受けるという相互の権利を侵害されたのみならず、原告月子及び同松子は人格形成上重要な可塑性に富んだ右期間を過した養家を突然離れ、心ならずも実の両親の下で新たな家庭の一員として養育されるという環境の激変に戸惑い、適応に苦しんでおり、しかも両原告夫妻においても実子と円滑な親子関係を形成すべく苦闘しながら、他方六年余膝下で養育した後心ならずも手離した子の将来を心から案じていることが認められ、この原告ら各親子の心痛は察するに余りあるうえ、本件事故が被告の初歩的・基本的な注意義務を懈怠した重大な過失により発生したことをも考慮すれば、その慰謝されるべき原告ら各親子の損害は多大であるといわざるを得ない。しかし、他方、本件事故後その判明までの約六年間、両原告夫妻はそれぞれ原告月子又は同松子を実の子として最善と信ずる監護教育を行ない十分な愛情を注いで養育して来たものであること、その結果右両児は心身ともに健康に生育していること、両原告夫妻が各実子と今後円滑な親子関係が形成されるにはさらに困難が伴わざるを得ないとしても、親の愛情と子の順応性とによりそれが形成されることが十分期待できる場合であって、一方が死亡した場合のように物理的に全く不可能な場合とは到底同視し得ないこと等本件にあらわれた一切の事情を斟酌すると、右各損害に対する慰謝料の金額は、原告月子及び同松子については各金三〇〇万円、その余の原告四名については各金二〇〇万円が相当と認められる。

2  父の出捐(原告甲野太郎・同乙山一男各請求分)

(一)  まず、原告甲野太郎及び同乙山一男が支出した血液検査と戸籍訂正の費用及びそのため欠勤を余儀なくされたことによる減給分並びに子の精神的治療のためのカウンセリング費用(昭和五三年末までの分及び同五四年一月から二か年分)はいずれも本件事故と相当因果関係のある損害と解すべきところ、《証拠省略》によれば、右損害は原告甲野については計金一一万七七三〇円、右同乙山について計金一一万六六六〇円と認められる。

(二)  《証拠省略》によれば、新生児取り違え事故においては子供を交換して実子を引き取ることが通常の解決方法であり、本件事故のように判明までに長期間が経過し、両原告夫妻と養育して来た子との間に事実上の親子関係が確立している場合は、右両原告夫妻が、養育中の子を交換する前提として、相互に親近感を持つために実子と交流を重ねることは、交換後の実親子関係の形成を円滑にするため必要有効な準備行為であることが認められるので、右交流のために必要とされた出費は、本件事故と相当因果関係のある損害と解すべきである。《証拠省略》を総合して考えると、本件事故と相当因果関係があると認められる右交流のための出費は、別表記載の通り、原告甲野につき計金一八万七〇八〇円、同乙山につき計一七万六六三〇円と認められる。

(三)  次に、両原告夫妻は原告月子・同松子を交換後、右両児が養育された事実上の両親や兄弟姉妹を慕って会いに行きたがり、会わさないと精神の安定を害するようになるため、少くとも週一回程度はその養家に連れて行き、両家庭が交流を現在まで継続している事実が認められる。本件の場合は、このような交流も、交換後一年間に限っては、交換された子の精神を安定させ、ひいては実親子関係を融和させる上で必要なものであり、そのために必要な出費も本件事故と相当因果関係のある損害と解するのが相当である。当裁判所は、両家庭間の距離・交流の現状等その他諸般の事情を考慮して、右交換後の交流のための出費による損害を各家庭につきそれぞれにつき金七万二〇〇〇円(月額六〇〇〇円)と認める。原告らの提出した証拠中には右金額を超える出費がなされた旨の記載があるが、仮に右出費が事実としても相当因果関係のある損害とは認め難い。

(四)  以上本件事故と相当因果関係のあると認められる損害は、原告甲野太郎については合計金三七六、八一〇円、同乙山一男については合計金三六五、二九〇円となる。

3  弁護士費用

《証拠省略》を総合すれば、原告らは原告訴訟代理人たる弁護士両名に本訴提起及び訴訟追行を委任し、報酬として請求原因4(二)(4)記載の金額の支払いを約したことが認められる。本訴提起に先立つ原・被告間の交渉の経緯、本件事案の難易等を考慮すると、右訴訟委任は原告らの権利実現のためにはやむを得ない行為であると認められるから、原告ら代理人両名に支払うべき報酬額中相当と認められる範囲内のものは本件事故と相当因果関係に立つ損害というべきである。右損害となるべき報酬額は、右事情の外請求認容額等諸般の事情に照らして考えると、原告月子及び同松子については各金三〇万円、その余の原告らについては各金二〇万円と認めるのが相当である。

4  一部弁済

《証拠省略》によれば、被告は原告甲野太郎及び同乙山一男に対し昭和五三年八月各金一〇万円、翌五四年五月各金二〇万円を支払い、右両名はこれを本件事故による不法行為に基づく損害賠償請求債権の弁済に充当したことが認められる(右両原告も右各金三〇万円を控除した残額につき損害賠償請求している)。

5  したがって、結局、被告に対し、原告甲野太郎は金二二七万六八一〇円及び内金(右弁護士費用を控除した部分。以下同じ)二〇七万六八一〇円について本件事故が明確に認識され、精神的苦痛(損害)が顕在化した昭和五二年六月二四日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、原告乙山一男は被告に対し金二二六万五二九〇円及び内金二〇六万五二九〇円について右同日より支払いずみまで右同率の遅延損害金の、原告乙山月子及び同甲野松子は各金三三〇万円及び各内金三〇〇万円について右同日より支払ずみまで右同率の遅延損害金の、その余の原告両名は各金二二〇万円及び各内金二〇〇万円について右同日より支払いずみまで右同率の遅延損害金の支払いを求めることができるものというべきである。

五  以上の次第で、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条一項本文・第九三条一項本文、仮執行宣言につき同法第一九六条一項を適用して、主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 庵前重和 裁判官 玉城征駟郎 大竹たかし)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例